番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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およそ9万人。

普天間飛行場の沖縄県内移設に反対する県民大会に参加した人の数。

ぼくの義兄もこのうちの一人。仲間が声をあげる場にいたいと飛んで行った。

みんなの声は、しっかりあがった。

当日、本土メディアの報道は、問題の重要性からは考えられないほどに薄かったけど。


その場にいなくとも思いを同じくする人はいったいどのくらいの数にのぼるのだろう。

安全保障は必要かもしれない。が、それがなぜ武力でなければならないのか? 武力である必要があるのか?

武力にとってかわるものはなんなのか?

外交? 文化の交流?


脅威による抑止に頼るのは20世紀に置いてきたんじゃなかったっけ。


考えよう。
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きのう、沖縄の宜野湾市で行われた基地の県内移設反対集会(正式には「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」)には2万人を超す人たちが集まったそうだ。

すごいな。

教科書問題のときみたいに、空撮写真で参加者の数を数える人がまた出てくるかしらん。


しかし、政権発足前の意気軒昂さはどこへやら。

あっちへふらふら、こっちへよたよた。

足元の定まらない鳩山さんたちに沖縄の人たちは怒り心頭だろう。

防衛大臣は、「現行案でも県外移設、国外移設は織り込み済みだからマニフェストには違反しない」という珍解釈を披露してぼくらを唖然とさせてくれた。

がちがちの保守でもそんな解釈はせんのじゃなかろうか。情けない…。

こわもて論客の外務大臣も県外移設はムリとあっさり判断。普天間飛行場の機能の嘉手納基地への移設を自らの案の第一候補とした。

どこか県外、国外を検討したのかな? その過程が全然見えないけど。

首相は、移設先の市長選の行方を見てから判断するとのたまった。


なんだかなぁ・・・。

国の優柔不断で、地元はまた基地建設を巡る対立を迫られるのかしらん。

あの住民投票は何だったのかなぁ…と地元の人は悲しく思っていることだろう。

あれはもう12年も前だよ。


国のリーダーたち、しっかりしてちょうだい。

アメリカの国防長官がやってきて、「普天間移設がないと海兵隊のグアム移転もない!」と恫喝。それにシュンとなってしまったようにしか見えない。

国防長官は、米軍再編は普天間飛行場のすみやかなる移設がそのスタートだと言った。

それは変だよね。

普天間飛行場の移設は少女暴行事件に昔年の思いを爆発させた沖縄の人たちの行動が当時の国を動かして決まったことじゃなかったっけ?

「アメリカが国軍の編成を変える → 普天間飛行場の機能を移設する」じゃなかったはず。まぜこぜにしないで欲しいね。

それに、移転するのはヘリコプター基地の機能のはずなのに、辺野古に作ろうとしている基地にはいつのまにやら軍港が予定されているじゃないの。

いいチャンスとばかりに軍事機能を強化しないで欲しい。

これは「基地機能の移設」じゃなくて「新基地建設」だよね。


それよりなにより、「基地って必要なの、この世の中に?」じゃないかな、やっぱり。

基地や基地関連の企業などで働く人も多い沖縄。基地は必要とする人も多いだろう。生活基盤が消えていくのを「良」とすべき、なんてとても言えない。

でも、少しずつでも減らしていかなきゃ、軍の思惑を待っていたら何年たっても変わらない。敵が攻めてくることを前提として安全保障の考えはあるのだし。

外交でとことん話をつけましょうという姿勢が互いにあれば、武力による安全保障なんて必要なくなるんだろうな。

いかんせん、相手を信じ切ることはなかなか出来ない。

難しいね。

元はと言えば、日本という国が戦争を始めたことに端を発するわけだし。

なんてことを言うと、「アメリカが石油をストップしたからだ!」と言う人が必ず出てきて、対するには、さらにさかのぼり、「中国大陸に侵略したじゃないか」、「アレは“侵略”じゃない、“進出”だ」なんて堂々めぐりになったりする。

難しいな。

どこに視点を置くか、だけどね。

でも、やっぱり軍事基地はない方がいい。

沖縄の新聞社の号外や速報(出たんだ、やっぱり!)に載る沖縄の人たちの表情を見るとそう思うし、基地があるのは日本というぼくらの国の中なんだということ、それを心新たにする。


  → 沖縄タイムス 2009年11月8日 速報版

  → 琉球新報 2009年11月8日 号外


沖縄の放送局も熱気を伝える。

  → 琉球朝日放送 2009年11月9日 夕方ニュース

地元のメディアには現状と生活する人たちの思いを伝え続けて欲しいな。遠く離れたぼくらは、ともすると脳裏からこぼし落としてしまうきらいがあるから。


きのうに引き続き、「集団自決」。

数年前、「集団自決」がらみの番組の制作に参加したことがある。沖縄、読谷村のチビチリガマで起きた「集団自決」。

ガマと呼ばれる自然洞に逃げ込んでいた住民たちは、海を埋め尽くしたアメリカ軍の艦船から兵隊たちが上陸してきたことを知り、パニックに陥る。

観念してガマを出ようと言う人たちと、辱めを受けるくらいならここで死のう主張する人たち。「男は皆殺しにされ、女は強姦されたうえにやはり殺される」。ここで自ら死ぬべきだと言う人たちの「根拠」はこれだった。

その「根拠」は、一部の日本兵が中国や東南アジアの占領地でやってきた行い。同じことをアメリカ兵もすると考えた。いや、鬼畜米英は日本兵など比べものにならないほどに劣悪非道だと信じていた。

「生きて虜囚の辱めを受けず」。捕虜になると殺されるのだ。辱めを受けた上で。ならば、日本人らしく死のう。

捕虜に危害を与えてはならないという国際法など、一般市民が知るよしもない。日本兵もそんな教育は受けてはいなかった。「生きて虜囚の辱めを受けず」。敵の手に墜ちるくらいなら、死を選ばねばならない。

ガマの入口からはアメリカの通訳が顔を覗かせ、水や食べ物を見せながら「出てこい、出てこい」と言っていた。でも、誰も信じなかった。捕虜になると殺されるのだ。

住民が潜んでいたのはチビチリガマだけではなかった。少し離れた別のガマでは「集団自決」は起こっていない。そこには英語を解し、アメリカを知る住民がいたから。「捕虜になっても殺されることはない」。その住民の説得で、そのガマに逃げ込んでいた人たちは命を長らえた。


書いてると気が滅入るな…。
チビチリガマでの出来事を知るには、下記が簡潔で分かりやすい。


  → 「沖縄・チビチリガマの“集団自決”」 (岩波ブックレット) 下嶋哲朗 著


番組の制作にあたっていたとき、戦後60年を経てなお、今も口を開かない体験者が数人いた。あまりの辛さに思い出せない。思い出せても、語ることができない。その、今もなお語れない人たちに向かって「(あなたの父や母や家族は)自分から望んで死んだんだよ」と言えるのだろうか?

チビチリガマの「集団自決」は、ガマの中にいたのが地元の住民だけという点で、何らかの形で日本兵がからんでいる沖縄の他の「集団自決」とは性格を異にするとされている。ここには直接的な「軍の命令」がないだけではなく、日本兵もいなかった。

だからと言って、「死んだ人たちは、みんな望んで死んだんだよ」と言えるのだろうか?

違うと思う。


どんな形の「集団自決」であれ、それが日本軍の強制や強要、命令等によるものであることは生き残った人の証言で明らかだ。それを「自発的行為」と呼ぶことができる人は、よほど強い意志の持ち主なのだろう。どんな苛酷な状況にあっても“自分”を見失わず、自分の行為を自分自身でコントロールできる人に違いない。


11日付けの琉球新報の社説に、ドイツの元大統領・ワイツゼッカーさんの言葉が出ていた。

「過去に目をつぶる者は過ちを繰り返してしまう危険がある」
「逆に、過去に対して目を見開く者は、将来に向け平和の証しを体現できる」


  → 琉球新報 2007.6.11 社説


過去に向き合うときにとるべき態度を示すこんな“当たり前”の言葉を、新聞の社説に見いだしてしまう現状って、いったい何だろう?

そして、その“当たり前”の言葉を、「あぁ、いい言葉だ」と思ってしまったぼくの思考回路は?


ますます気が滅入るな。


二日遅れの新聞が沖縄から届いた。

一面トップには、高校の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の関与が削除されたことに抗議する県民大会の様子。


教科書検定


 記事の内容はこちら → 「集団自決」軍命削除に抗議 (琉球新報 2007.6.10)


ある事実が「なかった」ということを証明するのは「あった」ということを証明するよりも難しい。作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島に取材し、「軍の命令」による「集団自決」はなかったと結論づけている。「集団自決」は住民の「自発的行為」だったというのだ。

興味深いのは曽野さんの著書を根拠に、「だから、集団自決に日本軍は関与していなかった」と結論づける(づけたがる)人がいること。

わからんなぁ、こういう結びつけができる思考回路って。

曽野さんの著書のタイトル『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』(長い…)に表れているように、曽野さんの検証は「渡嘉敷島では、集団自決の命令はなかった」ということ。その結論づけが正しいかどうかは(ムリヤリに)置いても、それが沖縄戦に普遍的に通じる事実ではない。

物書きとして、自分が明らかにしようとする出来事の舞台となった場所を丹念に歩いた曽野さんの姿勢は評価できるとしても、その検証内容から、沖縄戦全体の「集団自決」には「軍の命令」はなかった、と言い切れる人の心がわからない。沖縄では今でも「集団自決」の体験や思いを語る人がたくさんいるというのに。

そのたくさんの人たちに「日本軍が関与した集団自決はなかったよ」と文部科学省は言っている。「死んだのは自発的行為だったんだ」と。

その根拠ってなんなのだろう? 「日本軍の系統だった『集団自決命令』は発動されなかった」ということなのかなぁ。そういう明確な「軍命」はなかったんだ。あったというならその証拠を持ってこい、ってなもんなのだろうか? 敵の捕虜となるくらいなら死を選べという東条英機の『戦陣訓』の教えは、そのまま日本兵の住民への威圧的な態度となっていただろうに。

それはあくまで「命令」ではない、と言うのだろうか?


フタをしようとしても、事実は消えはしない。教科書に記載があろうがなかろうが、事実は消えないし、変わらない。興味を持ってそちらの方へちょっと歩めば、事実はおのずと見えてくる。

でも、沖縄ほどには、ぼくのまわりには動きなし。それがちょっと不安かな。




巡業の旅から帰ると、沖縄の知人からこんなタイトルのメールが届いていた。

  「大変なことになりました」

何ごとかなと思ってメールを開いたら、

  「辺野古についに海上自衛隊まで投入されると日テレが伝えました」

文面はこれだけ。それだけに、緊迫感が伝わってくる。


  → 『普天間移設 環境調査に海上自衛隊を動員へ』 日テレNEWS24


国が辺野古沖に建設しようとしていた普天間飛行場の代替基地は、地元住民を中心とした徹底した座り込みによって建設中止に追い込まれた。その代替案として浮上したのが日本の滑走路がV字型に並ぶ「辺野古崎案」。

建設に先立って防衛施設局は事前調査を予定している。それに対して予想される反対運動を阻止するために、自衛隊が出動した。

「ついに」と言うべきなのか「やはり」と言うべきか。

上記日テレの情報が5月9日の夜。その後、沖縄のメディアでは、実際に海上自衛隊の掃海母船が横須賀港から出港したことが伝えられている。


  → 『自衛隊掃海母艦が沖縄近海へ』 5月11日 OTV沖縄テレビ

  → 『 「辺野古」で海自艦沖縄へ』 5月11日 沖縄タイムス 夕刊

  → 『防衛相 調査参加を示唆』 5月12日 沖縄タイムス 朝刊


戦争に使うための基地、それを建設するための調査、その“妨害”を阻止するために出動する自衛隊。日本は戦争当事国への道を着実に歩み行く。


今、日本国民の5割以上が憲法改正を支持しているという。若い世代になるとその率7割。しかし、沖縄の地元紙が地元大学を対象に行った調査によると、改憲を必要とする学生は3割に満たなかった。


  → 『「9条堅持」学生の82%』 5月3日 琉球新報 朝刊


昔も今も、闘いが身近にある沖縄。そこからの発信でしか知ることの出来ない国の動きがあるというのはコワい。


今、5月13日の午後3時半過ぎ。海上自衛隊の掃海母艦はどこを走っているのだろう? 

そして今ごろ、沖縄では、平和を願う人々が嘉手納基地を人間の輪で包囲しているはず。イスに座していて申し訳ないが、頭の中でその輪に参加だ。


見知らぬ誰かによってぼくらの平安は守られている。
忘れないように、忘れることのないように。


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