番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


年が明け、年度末が近づく。

テレビの世界も3月末でお仕事のひとまわりが終わり。それに合わせて特番を作ったりする。お笑いも、ドキュメンタリーも。

だもんで、毎年、この時期から年度末の3月末、そしてゴールデンウィークがある5月末まで、なんだかんだと忙しい。

今年も素材を文字に起こす作業に追われはじめた。

仕事があって、とってもありがたいことだけど、しんどいんだわ、この作業。

番組も重なったりするので、起こす素材も多くなる。

今年はテープ200本くらいかな・・・はぁ、先は長い。


しかし、雪が降り、あしたの朝は零下にまで下がる予報の、冬本番だけど、季節は着々と春に向かっているようで、今年もまたアタマの中が渋皮に包まれ始めた。

あ~、うっとぉしい。

季節変動の脳みそって面倒だ。


まぁ、もはやこの体質との付き合いも四半世紀を過ぎ、すっかり慣れていると言えば慣れているので、今の時期はいつもこんなもんだと思ってゆるゆるやってれば通り過ぎる。

休みながら、ごろごろしながら。


でも、きょうは早寝するかな。

残りはあしたにしよう!!



夜明けにふと目が覚めたら、ぴしゃぴしゃと雨の音。

寝床で聞く雨音は、脳みそにゆったり響いて眠気を誘うなぁ。

きのう、打合せをした編集マンが言ってたっけ。きょうは朝7時に出社してお仕事だって。

きょうは実業団や高校のチームが出場する駅伝があるんだったね。

この雨じゃ、大変だろうな。

と思って、午後の放送を見たら、選手たちがずぶ濡れになりつつ走ってる。

この雨じゃスタッフも濡れねずみ。雨合羽の中まで染みてるだろうね。

大変だな…と、ぬくぬくコタツに入りながら思っているのも申しわけないけど。


あしたは午前中にナレーションの収録。

もうすぐゴールだ。


イスラム教徒の一家の番組に関わり中なので、家にあったそちら関係の本をちらほら読んだり、インタビューを聞いて書き起こしたり。

「神に任せているから、楽で楽で」

大学生の頃にムスリムとなった主人公はそう語る。

すべてが神の思し召しのままと思えるならば、それは確かに楽かもしれないなぁ。

自分が他人に優しくできるのも、それは神がそう望まれているから。自分は神の思いの媒介に過ぎない。

そう思えると、楽だろうね。

一神教でも、多神教でも、安寧と救いをもたらせてくれるなら拝む価値は十二分にある。

こんな時代だし。

でも、神の御心のままならば、自分って一体なんだろう? なんて、邪念がむくむく。

この疑問、中学の頃のまんまだわ・・・。進歩ってなにかしら?

これも神の思し召し?


次の番組は、日本人に数少ないイスラム教徒さんのお話。

ぼつぼつと取材映像を見始めた。


ご夫婦共にムスリム(イスラム教徒)。これは当然、ムスリムはムスリム相手じゃないと結婚できない。

お子さまは女の子が3人。当然の如く、皆ムスリム…かな?

「ヒンズー教徒は生まれながらにしてヒンズー教徒」だという話は聞いたことがあるけれど、ムスリムもそうなのかしらん?

キリスト教徒になるには洗礼を受けなければいけなかったんじゃなかったかなぁ…違ったかな。

あぁ、日常に信仰無き身の哀しさよ、信仰心ばかりか知識さえもが薄かりし。


10年以上前、ちょっとだけイスラム教に触れる機会があった。仕事でだけれど。

ムスリムは豚肉を食べることは許されない。でも、他の動物の肉を食すにも厳しい決まりがある。

鋭く尖らせたナイフを使い(動物の苦痛を少しでも和らげるため)、お祈りを捧げ(神への感謝)、その上で処分した肉しか食べることを許されない。

そうして食用となった肉はイスラムの教えに従って処分された肉、「ハラルミート」として販売される。

日本人ムスリムは1万人ほどだそう。

その人たちは食べることが出来る肉「ハラルミート」を手に入れることが出来るのかなぁと思ったら、日本にも大都市には「ハラルミート」を販売しているお店があるそうだ。

よかった。


イスラム教、もう一度勉強し直さなきゃぁ・・・、
と思っていたら、今朝の朝日新聞「ののちゃんの自由研究」は「イスラム教を知ろう」だった。

おぉ! グッド・タイミング!!

以下、「ののちゃんの自由研究」からの受け売り。


預言者 ムハンマド(“マホメット”は英語読みだそうな)によって伝えられた神の言葉を信ずるムスリム。ムスリムにとって(つまり、イスラム教では)ヨハネもキリストも神の言葉を伝える預言者で、彼らが伝えた神の教えを人間がきちんと守らないので最後の預言者として神が使わしたのがムハンマド。

だから、ユダヤ教の「聖書(キリスト教徒に言わせれば旧約聖書)」も、キリスト教の「聖書(キリスト教徒自ら呼べば新約聖書)」も、ムスリムにとっては「聖書」には違いない。だから、敬虔なムスリムは両聖書も大切にする。

そして、最後の預言者 ムハンマドによってもたらされたのが「クルアーン(“コーラン”も英語読みだそうな)」で、神の最後の教え、というか人間に向けての最後の言葉とされている。

「クルアーン」によれば、人は人種、肌の色、国籍、身分その他、どんな所属であれなんであれ、あらゆる人間は神の前には平等だとされている。この平等主義が人々の心をひき、全世界へと広まった。

それだけ「不平等」は世界中にはびこっていた(今もはびこっている)ってことかな。

今、全世界15億人がムスリムだそうな。5人にひとりはイスラム教を信じている計算になる。すごいね。ぼくらの身近には存在しないというだけなんだ。


イスラムの教えを信じるか信じないかは個人の自由だけど、ムスリムが何を信じ、何を感じているのかを知っておくのは、これからの国際社会の動きを理解するためにも不可欠だろう。

いつ、隣人にムスリムが現れるかも知れないし。


彼と我とは違う存在。それを常に心に留めて、互いに尊重していればいいだけの話なのだけど、ぼくら日本人は同じであることを喜び、それで安心するからなぁ。

だから、

「みんな 違って みんな いい」

っていう、金子みすずさんの「当たり前」の一文が心に染みたりする。


駅のホームで電車を待っている横で、突然おじさんが布をホームに広げ、西を向いて礼拝を始めても、動揺しない。

そんな自分になりたいな。

・・・その場面に直面しないとワカランが。


12月半ばに王さんの番組をやるので、ここしばらくその取材テープを見ているのだけど、王さん、ほんとにいい人だ・・・。

誰に対しても分け隔てなく応対すると噂では聞いていたけど、相手が幼児であろうが、小学生であろうが、高校生であろうが、元仕事仲間の桑田真澄さんであろうが、対談相手の東山紀之さんであろうが、その一生懸命な姿は変わらない。

子供の目を見ながら真摯に話しかける様子を見ると、なんだか泣けてきてしまう。

いい人だ。

イチロー選手もインタビューで、「王さんに会って好きにならない人はいないでしょう」と言っているけど、ほんとにそうだろうなぁ。

「誰に対しても同じ視線でいてくれるから・・・もう、奇跡の人ですよ」

イチロー選手はそうも語ってる。

相手を気遣って、どんな問いかけ働きかけにも可能な限り真剣に応対して・・・。こんな人っているんだ。

辛くないのかなとさえ思ってしまう。


そうだそうだ。

東京にいたころ、住んでいたマンション(と言うよりアパート)の一階に小さなすし屋があって、そこに「時々王さんがいらっしゃるんですよ」と大家さんが言ってたっけ。

「とっても気さくで、いい方なんですよ、王さんって」

四半世紀近く前、80過ぎの大家さんは、嬉しそうに話してくれた。


小さいころ、ぼくは野球よりも相撲の方をよく見ていたし、「巨人、大鵬、卵焼き」という、子供が好きなモノベスト3のみっつとも嫌いだったけど、王さんだけはなぜか好きだった。

きっと「王貞治物語」(確かこんなタイトル)を読んだからだと思う。

王さんのお父さんが中国からやってきてラーメン屋さんを開いた話、王さんは双子で生まれたけどお姉さんは幼くして亡くなった話、高校時代に国籍が問題になり(王さんは中華民国籍)国体に出られなかった話、ホームランを打って喜んだら年の離れたお兄さんに「相手の気持ちを考えろ!」と叱られた話などなどを読んで、「いい人だな」と感じたっけ。

756号を打った試合。王さんは両親をマウンドに呼び、王さんにプレゼントされた大きな花輪を両親に渡した。お父さんとお母さんはどこか申し訳なさそうに腰を低くして、野球界の頂点に立った息子へ賞賛の拍手をおくる周囲の人たちに頭を下げた。

王さんのお父さんは、次男坊が巨人に入団するとき、球団のスタッフに「貞治は、お役に立てるでしょうか?」と尋ねた。

その22年後、王さんが現役を退いたとき、お父さんはこう尋ねたそうだ。

「貞治は、お役に立てたでしょうか?」

なんか、泣けるな。

王さんの控えめな、相手を思いやる姿勢は親譲りなのかな。そうするのがきっと自然なんだろう。


王さんの爪の垢くらい、思いやりが持てたらなぁ・・・。

きょうも王さんの取材テープを見て、我が身を顧み、猛省中。