番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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零時をまわった。

先ほど、プロデューサー・チェックが終了。

映像の手直し数カ所と、ナレーションへ反映すべき内容を数点指摘されたけど、大きな変更はナシ。

ときには根こそぎダメ出しをされ、あしたがリミットなのにどうすりゃいいのさ思案橋?的状態になることもあるので、ディレクター、編集マン共々、ホッ。

まだちょこちょこと修正しなくてはならないところがあるとは言え、全体の長さも放送時間ぴったりとなり、終わりが見えてきた。

あ〜、良かった。

と、思ったら、車を停めていた駐車場の営業時間が23時までということに気がついた。

きょうは午前中がどしゃ降りだったせいか、よく利用するふたつの駐車場がどちらも満車だったので、あまり停めたことのないところに入れたのがアカンかった。

タクシー使うと万単位かかってしまうし、あぁ、どこへ行けばいいのやら。


ま、あしたもここに来なきゃいけないし、いいことにするかな。


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なんとなくそわそわ忙しかった日々も一段落。

東南アジアに行っているロケ隊が戻ってくると時間に追われる日々に突入するので、それまではゆったりしよ。


でも、別の番組の取材DVDが送られてきていて、知らんふりしてたら40枚、溜まっていた。これは見ておかないと、ディレクターのお姉さんに叱られる。

で、きょうからゆるゆる見始める。

ぼくは可能な限りベタ起こしをするので、インタビューなど、音数が多いとかかる時間が長くなる。実時間の三倍くらいはかかるので、DVD1枚=1時間だとすると、起こすのには3時間を要するという計算に。

実際は、インタビューがべったり入っているわけじゃないから、そんなにはかからないけれど。

「必要の無いとわかっている音まで起こすんですか?」と聞かれることがあるけど、書き起こしている時は一種マシーンのようになっているから、必要かどうかまで考えていない。「使えるかな?」とか「おもしろいな」と思うところに下線を引くくらいで、できるだけ音を文字に再現する、というと大げさだな、方言は方言のままに文字にするという感じ。

編集段階になると「必要ない」と思って書き起こしてないところが妙に気になったりするから不思議。「必要ない」と思っていた箇所を再度聞き直して使ったことも何度もあるので、結局ベタで起こしていた方があとあと楽だということになる。

インタビュー構成の番組だと、Aさんがこう言ったあとにBさんのこの発言を入れて、それを受けてCさんのこの証言を・・・・・なんて並べ方をしなければならなくなる。その時に大切になるのが、どこで発言を切ることが出来るかということ。

並んだインタビュー全体できちんとやりとりになってたり、論争になってたり、ひとつの物語になっている必要がある。そのためには、言葉を緻密に積み上げていかないとダメなので、大意だけメモっていても使い物にならない。

少なくとも、ぼくはダメだった。元々文字で仕事をしてたからかしら、活字になっていないとAさん、Bさん、Cさんの発言を上手につなげない。

でも、テレビは映像と音のメディアなので、紙(文字)の叩き台をできるだけ早く映像(音)の叩き台にする必要がある。

そのためには、とっても遠回りに思えるけど、素材をベタ起こしした方が目標点に到達できるのが結局早い。映像を見、音を聞きながら起こしていると、内容が頭に入ってくるし、ディレクターの取材の意図もおぼろげながら分かってきたりする。


しかしな~、テープ起こしというのはとっても苦行。他のことをやりながらできないもんなぁ。音楽を聴きながらということさえ出来ないからキツイ。

DVD40枚・・・・・・ふぅ、きょうは、ここまでにしとくかな。



2泊3日の編集の旅、無事に終了。

多くのローカル局がそうであるように、初めておじゃました今回の局も番組用の編集室という場所はなく、サブと呼ばれる調整室の隅っこで、ディレクター&編集マン+ぼくの3人は編集にいそしんだ。

毎日のニュースのために報道用の編集機はどの局にもちゃんと用意されているけれど、番組制作用の「編集室」と呼べる部屋があるローカル局は少ない。

不要になった役員室(一人部屋)を編集室に改装した局があって、そこは役員が使っていた(であろう)ソファとテーブルもあったりして、とっても居心地がよかった。

それがいつの間にかソファは片付けられ、部屋の真ん中に中途半端な境が立てられて、あのゆったり感はなくなっていた。

ちょっと寂しいね。


体がくつろがないと、頭もくつろがない。あたまがくつろがないと、いいアイデアも浮かばない。

編集に行き詰まったらお菓子でも食べつつお茶を飲み、馬鹿話でもすると新たな方向性も見えてきたりするのだけれど、他人の軒先を借りているような環境では気分転換も難しい。

そういう状況で、夜中の2時3時までがんばる現場の人たち。男性も女性も、ベテランもニューフェイスも関係ない。目指すはいい番組。

その姿に接するにつけ、ひとりでも多くの人に見てもらいたいと思う。


しかし、あの編集室は心地よかったなぁ・・・。



きのうに引き続き、今夜もディナーをご馳走になる。

きのうとは違う和食の店で、きのう同様、海の幸がうまい。

刺身のツマについているワカメまでがしっかり自分の味を主張する。

魚好きなワタクシにはタマラン。

岩ガキ、ノドグロ…あぁ、うまい。


きのうもきょうもコメ粒&動物の肉を食べとらん。

あしたの夕方には金沢をサヨナラ。着いてからの晩メシはうどんかな、多分。

なんて、食い物の話ばかりだね。



編集も完尺に近づいて、きょうはプレビュー。プロデューサー他、役員さんたちまでやって来た。

偉い人がこんなに集まるプレビューは初めて。聞いてみると、普段は社長も加わるとか。

へえ~。

ちょっとびっくりしたけど、こじんまりとした局ならではのいいことだ。

いろんな人の意見に耳を傾けるのは大切なこと。

それを鵜呑みにしないことも負けず劣らず大切だけどね。



テレビを見ていて、どうにも気になる。

画面に登場する人の、目の泳ぎ。お笑いタレントが多いけど、局のアナウンサーも同様に。

お笑いタレントの泳ぐ目の先は、カンペなのか、ディレクターなのか。

「これでいいの? これからどうするの?」という思いが目の表情からは読み取れるから、視線の先にはディレクターがいることが多いのだろう。

生放送ならばまだしも、撮影済み編集済みの番組でも多々目にするから、制作現場ではもう気にならない出来事なんだろうね。

以前は同様に目が泳いだら、そこでカットして撮り直しだった。だって、変だもんね、見ていて。

お前、プロだろ、しっかりしろよ!…なんて声が飛んだりしたはずだ。

でも、「これでいいの?」という視線をカメラの外にモロ送るアナウンサーも散見するにあたっては、もうなにをか言わんや。

今は「カンペ」という言葉を視聴者が普通に使うくらいだし、制作現場でも大した問題ではないんだろう。

テレビ草創期はドラマも生だった。それでも視線は泳がなかったんじゃなかろうかしらん。みんな、それで禄を食んでるプロだもん。

アナウンサーがゲストを呼び出す時も、視線は明らかにカメラを見ていないことが多い。名前を間違えることはとっても失礼なことだから、カメラの脇に置いてあるカンペで確認しているんだね。

視聴者には「失礼」とは思わないっていうのも「?」だけれど。


視線が泳ぐシーンに出くわすと、見る気が急速に薄れていくんだけどなぁ…。

スタジオ構成のバラエティを見ることが少なくなったのはそのせいかな。テレビ画面に映っているのはBS-NHKのドキュメンタリー系がほとんどなのも、泳ぐ視線を見たくないからなのかもしれない。


現場が素人化しているのかなぁ…。


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