番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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♪今日のBGM = String Cheese Incident 『 Carnival ’99』


2003年も今日でおしまい。

毎年、いろんなことがあったと思うのだけれど、今年はほんとにいろんなことがあった。
そのほとんどが、ない方がよかったということなのが残念だけれど。

新年に思いを新たにするように、個人の、そして世界の歴史もリセット、一新できるのならば、一年間に何が起ころうが心を痛めることもない。

しかし、いったん起こった出来事は、無に返すことはできない。
その起こった事実は、受け止められなくても受け止めざるを得ないのが生きていくということだと少しずつ実感している自分に気づく。
年齢を重ねるということは、こういうことなのかもしれない。

毎年、正月には帰省していた高校時代の友人から、この正月は帰れないというメールが携帯に届く。
義理のお父さんが末期のがんで、脳梗塞も患っているという。
ありていに言えば、もう亡くなるのを待っているだけの状態だとか。

人の命の灯が消えていくのを止めることはできない。

喪中につき新年の挨拶を遠慮する旨のハガキが、今年は10通以上、届いた。
両親どちらかを亡くす、そんな年代になってきていることを実感する。

2年前の12月末、義父が世を去った。
危篤の連絡を受けてから8時間後、病院のベッドに横たわる義父の枕元に立った。
義父の体には数本のチューブがつながれていたものの、意識はあった。

しかし、その意識は、強制的に酸素を送り込むことで覚醒させているもの。
酸素の供給を停止すると、意識は混濁し、数分のちには心臓も停止する。
それが医師の見立てだった。

義父はチューブを抜いてくれるよう、娘の手のひらに指で書いて訴えた。
そして、「ありがとう」とも・・。

このままにしていても、朝までもつかどうか。
義母と、男ふたり、女ひとりの子どもたちは話し合い、人工呼吸のチューブを抜いてもらうことを決めた。

チューブをはずす前、義父は娘の手のひらにぼくの名前を書いて呼んだ。
枕元に立ったぼくを見つめ、義父は何か言いたげだった。
生活力のない婿のこと、心配でならなかったのだろう。
ぼくは、手を握ることしかできなかった。

チューブをはずすと義父の呼吸は小さくなっていき、間もなく心臓も停止した。

ぼくらが枕元にかけつけてから、5時間後。

自分自身で延命を拒否した、立派な、ほんとに立派な最期だった。
ぼくもかくありたいと思う、人生の終え方だった。

この年末、親しい人の死に直面している人たちの、なんと多いことか。
数多くの人たちが、病院や自宅ではなく、冷たいがれきの下や、路傍で終えようとしている。
そうした命たちにとって、一年の終わり、そして新たな年というのは、なんの意味があるのだろう。

ご来光を見る気にも初詣に行く気にもならないのは、年の瀬恒例の厭世観のせい。
なにも生みはしない厭世観こそ、なんの意味もないのだが。


来年こそ、「明日という日があるからこそ、苦しい」という人たちの苦しみが、少しでも小さくなりますように!

番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi’s Room”


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♪今日のBGM = Deep Purple 『 Scandinavian Nights 』

年が押し詰まるほど、忙しさが増す。
ありがたいやら、しんどいやら。

留守電に入っていた「今年中に、台本、お願いね」の伝言。
今日、届いた「来年の打ち合わせの際、ラフ構成をお願いします」のメール。

このふたつで、大晦日から三が日、パソコンべったりの日程が決まり。


台本・・・。
気合い一発、しゃかりきになればできるという性格のモノじゃない。
焦るとアイデアが沸かん。アタマ、真っ白。

歌人の話なので、和歌や漢詩も読まんといかん。
岩波書店の『日本古典文学大系』をひもとく。
「ひもとく」と言っても、漢詩と読み下し文に太刀打ちできん。
「注」を参照するも、意味がわからん。

勉強しとくんだった・・・後悔、先に立たず。歳をとってからこればかり。

それでも、一時間でも早くFAXしてやるっ!
ホントは、意地で仕事しちゃいかんのだけど。
出来が悪いと、見てくれる人にも、自分自身にも申し訳ないから。


もうひとつ。
メールに書かれた打ち合わせは、三が日が終わってすぐだ。
ラフ構成を書くには、資料を再度、読み込まなきゃ。

資料は厚めのファイル4冊分。
戦時中の資料が多いので、昔の漢字+カタカナ。  読みづらし。
もってまわった言い回しで、書いてある内容を把握するのも面倒だ。

英文の資料も、少しだけど、ある。
1行に知っている単語がふたつ、みっつ・・・。

勉強しとくんだった・・・またまた、後悔、先に立たず。


それでも、することがなくて、ボーゼンとしていた頃のことを思えば、
仕事があるのはいいことだ。

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しかし、時間がないなぁ。首が回らん。

見るべき取材テープがたまっている。
今日、新たな資料が宅配便で届いた。メールの添付ファイルでも到着。

みんな、1月初旬までにカタをつけなければ。

スケジュールがあとへあとへと押してくるのは常のこと。
ぼくのところでたまるので、遅れていたのがさらに押す。

一番割を食うのは、編集担当。
番組のオンエア日時は厳格に決まっている。
編集が遅れると、オンエア自体が危うくなる。
ディレクターやぼくは、自分たちが遅らせたことは棚に上げ、「早くできない?」と編集担当に迫る。

あぁ、気の毒・・・。
編集の方、いつも、すみませ~ん。で、今回も同じ・・・。


私生活でも、押してくる。
自分の勉強のためにと、ドキュメンタリー番組を見て、感じたことや、こうした方がよかったのでは?といった意見をHPに載せている。
それも、ここ2週間、滞り状態。
番組がHDレコーダーに貯まっている。

正月に見て、書こうと思っていたけれど、それもちょっと不可能だ。
ルーズな性格をHPで自ら暴露する事態とあいなった。あぁ、恥ずかしい。


大掃除も、おそなえも、正月の準備は、なんにもしていない。
せめて自分の机の回りでもかたづけて、こざっぱりと新年を迎えたいのだが・・・。

周囲を見回すと、こざっぱり化するだけで半日は十分かかりそうなので即断念。

小汚い方が、仕事がはかどりますねん。

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あっ、おいっ子どもにお年玉なるモノを渡さねば!

今どき、高校生と小学校高学年のお年玉、相場はどのくらいなんだろう?

財布をのぞくと、あら、千円札1枚ぽっきり。
そうそう、昨日、銀行から集金が来たんだった。
このまま正月を迎えるとこだ。あぶない、あぶない。

おいっ子どものお年玉。あまりたくさんやってくれるなと姉からは言われている。
この懐具合では、高額お年玉なぞ、やれまへん。心配ご無用。


あれやこれやで、年末はやっぱりあわただしい。
テレビは特番ばかりでおもしろくないし、おとなしく仕事をするのが一番かな。

せめて、年越しソバくらい、食べたいねぇ。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Allman Brothers Band 『2nd Set』


昨日の夜、沖縄からもどる。
20度近いところから4度の空気へ身を移すと、もうへろへろ。
気温や湿度の変化に弱いなぁ。

帰宅すると留守電に「台本、年内にちょうだいね」と伝言が・・。
あのな~、ワシがラフをアップして送ったのは9月末でっせ。
その返事をよこしたのは12月半ばだったでしょ。
んなのに、完成台本を年内にあげろっつうのはひで~んでないの?

ま、がんばってもできんもんはできんから、そちらは勝手に困ればいいが、
ワシも大晦日はパソコンの前で除夜の鐘を聞くことになる。
格闘技、見たいのにっ!


沖縄からの帰り、またも演歌にはまる。
行きはJALだったけど、選曲に難あり。
演歌&歌謡曲はやっぱりANAだなぁ。
担当者のセンスがいいのかしらん?
単に、ぼくの趣味にあうというだけなんだろうけど。

まず、長崎特集。
春日一郎の『長崎の女』--オリジナルは当然聞いてない。なのに、頭から最後まで歌える。なんでだろ~なんでだろ~?

クール・ファイブの『長崎は今日も雨だった』--デビュー曲が大ヒット。うん、やっぱいい曲だわ。前川さん、若いくせにしぶいっ!

思い出のヒット曲は昭和43年。
ピンキーとキラーズ『恋の季節』--キメのポーズ、真似しました。この年のレコ大新人賞。

青江美奈『伊勢佐木町ブルース』--この人、歌、うまいっす。ブルースを歌うとまたいいんだわぁ。この年のレコ大歌唱賞。紅白歌合戦ではため息が色っぽすぎるということで、笛かなんかで代用したとか。今では考えられませんわ。

黛ジュン『天使の誘惑』--この年のレコ大大賞。前年の新人賞に続いての受賞でした。ミニで歌った黛ジュンさん。あんまり好きじゃないけど、曲は、う~ん、いいなぁ。

鼻とノドが乾燥しないようにマスクをつけていたので、曲に合わせてこっそりと歌ってしまった。おやぢ丸出し。

演歌や歌謡曲のアルバム、1枚も持ってないんだけど、たいていの歌は歌えるなぁ。
その昔、「歩く芸能界」と呼ばれた面目躍如だっ!

あの頃の歌は、ちゃんと「唄」になっとる。
今の歌は「曲」だもん。今の歌も好きだけど、意味を追って唄えるのはあの頃の歌だわな、やっぱし。

最近はまってる歌は『鋼の錬金術師』の主題歌。ポルノグラフィティが歌ってる。
曲名なんだっけか? ど忘れ。おやぢだなぁ、やっぱ。


ふと気づくと、『長崎の女』を口ずさんでいるぼくなのでした。

番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”




局のパソコンをちょっと借りる。

仕事先からでも日記が書ける。便利だなぁ。

打ち合わせの中休み。
ご飯食べずにやってると、アタマがぼ~ぜんとしてくるなぁ。
血糖値が低くなるのかしらん?

普通はチョコレートなぞを持ち歩いているんだけど、今日は忘れた。
あ、黒糖のお菓子がある! も~らいっと。
おいしかぁ。

沖縄&韓国がらみ。しがらみいっぱい。
なんだかものすごく込み入った番組になるみたい。
タイムリミット、あと2ヶ月。

年末年始は、やっぱり仕事かなぁ・・・。
久しぶりの全国放送。だけど、深夜も深夜。

あ、ディレクター女史がにらんでる。
はいはい、お仕事、復帰しま~す。


明日は自宅で寝れるかな?

♪今日のBGM = Television 『 Marquee Moon 』



雪が舞う。
北風に激しく横殴り。フロントガラスに雪が張り付く。

--ひえ~、前が見えんっ!

と思ったら、すぐやんだ。この冬、二度目の雪。


ちょっと所要で、街まで車で出かける。
幹線道路は車でいっぱい。
三車線の真ん中を走っていると、両側からずんずん追い抜かれる。

ぼくが格段ノロいわけではない。時速70キロ近くで走っている。
制限速度は50キロ。すでに20キロ近くオーバーだ。
そのぼくをあっさり抜いていく車の速度や、いかに。

暮れもいよいよ押し詰まり、皆さん忙しいだろうけど、事故だけには気をつけて。

と、思っていたら、交差点に2台の車がとまっている。
後から追突したらしい。べっこり、へこんでいる。
自分の事故を思い出す。

8月末、信号待ちをしていると、どっかーん!
衝撃と共にとなりの車線へ飛ばされた。

なんだなんだ?

車を降りる。
ぼくの車は、前も後もぼっかりへこみ、バンパーがタイヤに食い込んでいた。
あわれ、走行不能。JAFが修理工場へと運んでいった。

5台が関係する追突事故。
赤信号で停車していたぼくらに、某国立大学職員運転の乗用車が突っ込んだ。
現場検証にやってきた警察官が言うには、

--どうも、飲んどらすみたいですもんね。

しかし、大学職員のおじさんからは、飲酒運転や酒気帯びになるほどのアルコールは検出されなかったとか。
昨夜の酒が残っていたのだろう。

しかし、そのおじさん、やってきた警察官に、
「青い車(ぼくのこと)が急ブレーキを踏んだ」
とのたまった。
ぼくは赤信号で停車していた。それは周囲の車も証言するところ。

人間、追い詰められると何を口走るかわからん。他山の石とせねば。


師走の街は、車でぎっしり。のろのろのろのろ・・。
普段、あまり運転はしないので、まっすぐ走るだけでもすぐバテる。


そんなこんなで、午後1時頃、家を出て、病院だの銀行だの電器屋だのと、暮れの用事を済ませて帰り着いたのが午後8時。

今日は仕事にならんなぁ。

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家に帰ると、某局の制作部長からメールがきていた。
来年3月オンエアの30分ドキュメンタリーを部長自ら手がけるという。

--作る場があるのに、若いヤツらは誰も手を挙げない。

そう言って、いつも嘆いているおじさんは、ぼくとおない年。
先日、会った時、「若いヤツらが作らないんだったら、オレがバンバン作ったる!」と息巻いていたが、やっぱり自ら動いたか。

おじさん、実力行使の巻。
しかし、それでいいのだ。

作る気がない若造に、貴重な時間と電波を与えることはない。
制作力が身に付かず、困るのは若造自身なのだ。放っておいてかまわん。
将来、ハタと気づいた時には、もう遅い。自業自得である。

部長自ら番組作りに乗り出すと、あ~だこ~だと言うやからが必ず出てくる。
やれ後進に道を譲れだの、やれ若い力を伸ばせだの。

そう言う人たち。考え違いをしてはいないか?

よく、人材を育てる、と言う。
しかし、ディレクターは“育てる”のではない、自ら“育つ”のだ。
自ら育とうという意欲のない人間は、絶対にいいディレクターにはなれないし、見ている人の心にしみる番組は決して作れない。

作りたいという欲望を持ち続けるディレクターは確実に伸びる。
そういう人間と仕事をするのは楽しい。
何かを生み出したいという思いが伝わってくるし、ぼくを十二分に活用してくれる。
ぼくを、自ら“育つ”ための踏み台にしてくれるのだ。

これ、結構、快感である。


おじさんが送ってきた企画書を見る。
お、ハイビジョンで撮影とな!
ハイビジョンの編集機、局になかったんじゃない?
どうやって編集するのかしらん。

--情報量の多いハイビジョンの特性を活かし、長まわしの映像で構成する。

う~ん、おじさん、気合い、入っとるなぁ。
こっちも負けないように、がんばらねばぁ。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Pink Floyd 『 Atom Heart Mother 』


クリスマス・イブは、泊まりがけで他県に出張。

編集室に閉じこもり、取材テープを見つつ構成の打ち合わせ。
世間はクリスマス・イブ。しかし、ここは別世界。
モニターが並ぶ薄暗い部屋。
閉じこもっていると、今が昼なのだか夜なのだか、分からなくなってくる。

夜であれ、昼であれ、ぼくらの仕事には関係ない。
予定をこなさないと、この部屋からは出られない。

1時間のドキュメンタリー。
取材テープは、計90時間といったところ。

そのテープを見て、ぼくがざっとまとめたラフ構成がA4で50ページ。
初めて一緒に仕事をするディレクター氏だし、かなりゆるゆるに作っているから、通常よりも倍くらいの長さ。
ラスト近辺は、まだテープを見ていなかったのでこの中には入っていない。
それを入れると、60ページくらいにはなる。

これをそのままつなぐと、2時間以上はゆうに行く。
半分以下、25ページ程度に絞って、ようやく1時間、正味50分くらいだ。

果たして絞れるか?  ディレクター氏の葛藤が始まる。

取材現場&取材対象にどっぷり浸かっているディレクター氏は、番組に入れたい映像や言葉、インタビューが山のようにある。
どの映像にも思い入れがあるので、落とそうにも落とせない。

しかし、落としてもらわねばならぬ。

ディレクター氏、映像を見つつ、う~んとうなる。

この時点で、ぼくはあまりあ~だこ~だと言わない。
ディレクター氏には悩むだけ悩んでもらう。そして、映像やインタビューなどを絞ってもらう。
それでも、時間は確実にオーバーする。

そこでおもむろに、「これは、いらない」というのがぼくの役目。
冷徹である。
ディレクター氏は、「でも、入れたい」と言う。
ぼくは、さらに言う。「入れても、つまらない」。
冷厳である。

冷たいだの、思いやりがないだのなんだのと、さんざん言われ続けてる。
「殴ってやろうかと思った」と言われたこともある。
罵倒されたことも、口論になったことも。

でも、「いらない」と言う、それがぼくの役目。
ディレクター氏の思い入れを聞き、シェイプアップし、スリムで見ていて消化しやすい内容(それでも腹いっぱいのことが多いけど)にするのがぼくの役目。

構成の役回りって、こんなもの。
見ている人にわかってもらえるストーリーを作るというのは当たり前だし。

「こうしたい」というディレクター氏の意向を汲みつつもどこまで冷徹になれるか。
大切なのは、きっとこれだけ。


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打ち合わせ、第1回目終了。

シーンを大幅にカット、かつ入れ換えや追加など、かなりあり。
それをワープロでざっと打ち直し、「初稿」としてプリントアウト。

36ページある。
50ページだったラフからまだ14ページしか切れていないことになる。

「あと、何ページくらい切ればいいですか?」

「エンドの10ページ分があるから、最低10ページはカット必要」

ディレクター氏、大きくため息。

ちょこちょこ落としていっても、大幅な短縮にはならない。
ブロックで、ど~んとカットする決断が必要だ。
若いディレクター氏、まだその決断力はない。

そこで提案。

「ここからここまで、Bのパートをズボッと抜いて、AとCをくっつけると時間が短縮できて風通しがよくなるし、見ていてもわかりやすいんじゃない?」

ディレクター氏、悩む。

「確かにわかりやすくなるんですが・・・」

Bパートが捨てきれない。思い入れの強いパートなのだ。
入れたい気持ちはよくわかる。個々の言葉もよく採れている。

しかし、それが入ることで、主題の流れが途切れてしまい、分かりづらくなっているのもまた確か。
それもディレクター氏はわかっている。  だから、うなる。

結局、Bパートを全部カットすることに。
さらにあちこちに手を入れ、エンドの部分も作り、「第2稿」としてプリントアウト。

第2稿は、30ページ。
オープニングからエンディングまで、要素が全部揃って30ページだから、まずまず。
昨日の午前10時に打ち合わせを開始し、今日の午後4時、ここまでこぎつけた。

今回、ぼくはそれでおいとま。

あとは、ぼくは自宅での作業へ戻り、ディレクター氏は取材テープの山から、これは!と思える映像や言葉を探す。

次の打ち合わせは、新年早々だ。

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昨日、今日の打ち合わせで、大枠は決まった。

しかし、必要な要素が一応入ってはいても、ディテール部分はまだまだ。
これから第3稿を作り、再度ディレクター氏と打ち合わせ。
そして、編集用の台本を作ることになる。

編集用台本までは、言ってみれば“紙”の叩き台。
作るのは映像であって小説ではない。文字をいくらこねくり回しても、映像に反映しなければ何にもならない。

編集用台本をベースに粗編集をしてもらったもの。それが“映像”の叩き台。
そこまでたどり着いて、ようやく“番組”の制作が始まる。

映像の叩き台を見つつ、ディレクター氏や編集マンたちと、あ~だこ~だ言いつつ、映像やインタビュー、さらには流れを変えていく。
そうすることで、番組がより深みを増してくる。

その行程が、最近は削られる傾向にある。

昨日、今日と打ち合わせをしたのは、局から仕事を請け負うプロダクション。
プロダクションの編集室は、一日いくらという計算で使用される。
だから、受注した金額で編集室(&オペレーター)を使える時間がほぼ決まる。

制作費削減の折り、削られるのが編集室の使用料。
使える時間がどんどん減っていく。

先日、某プロダクションでやった1時間番組は、編集開始から完成まで3日間。
丸二日、完全徹夜。数年前までは、考えられないスピード。

映像の叩き台を作り、叩いている時間など、ない。
粗編集をそのままオンエアしているのと同じだ。

--こんなクオリティの番組を流していいの?

ぼくも、ディレクター氏も、そう思った。
しかし、手を入れる時間さえない。  それが現実。


今回の番組は、編集日数を5日間、確保している。
思う存分、叩く時間があるのが嬉しい。

当然なことを喜ぶ、その環境は、ちょっとわびしいが。

番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = 『 Forrest Gump - The Soundtrack』

天皇誕生日、国民の祝日。
70歳になられるとか。

「人生七十古来稀」(杜甫『曲江』)。

古希をむかえる天皇が、昨日、美智子さんと一緒にアマチュア・レスリングを観戦している様子が報道された。
アマレスと天皇。奇妙な取り合わせ。
興味あるのかなぁと思ったけれど、結構楽しそうに拍手なぞをされていたので、なんとなく安心。

「天覧試合」--今日のスポーツ新聞見出し。

記事を読んでずっこける。
この試合に、長嶋さんがメダルのプレゼンターとして登場したからだとか。
主役は長さんかい!

いつまでこんなことを言ってるのだろうか。


午前中から出かける。
これぞ本格的な冬!という日が2、3日続いたと思ったら、今日は春。
寒さにためらっていた髪切りに行く。

陽気に誘われてか、クリスマス・イブイブだからか、街は家族連れで大にぎわい。
家電量販店の立体駐車場は各階満車。初めて一番上の10階へ。
螺旋階段のような通路をぐるぐるぐるぐる。着いた時には、目もぐるぐる。

家電量販店で、プリンタのインクとコピー用紙を購入。
まだ、年賀状の文面さえ書いていない。
昨日、近くの郵便局に行ったら、インクジェット用の年賀状がまだあった。
で、購入。いつもは印刷屋に頼むのだけど、今年は自宅でプリントすることに。

こんな感じで、印刷屋さんの仕事はどんどん減っていくのだろう。

コピー用紙は、プリンタ用。
パソコンを使って仕事をし、インターネットで資料を集めるようになってはいても、プリントアウトしたものを読まなければどうにも落ち着けない。

モニター画面に表示される文字を読んでも同じだろうとは思うけど、やっぱり手触りも欲しくなる。
ページをめくりながら読むことで、きっと大脳がそしゃくしているんだろう。

だから、コピー用紙は大量に使う。

以前、ある局で打ち合わせをし、帰ろうとしたら、部長が「おみやげです」と言ってコピー用紙をひとつつみ、渡してくれた。
ぼくの仕事の仕方を把握している、なかなかのお心遣い。 痛み入った。

コピー用紙、500枚。
よその県から家まで持って帰るのは、ちょっと重たかったけれど。

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ぼくがこの仕事に入るきっかけを作ってくれた元ディレクターから「傑作選」放送の通知が来た。

福岡のRKB毎日放送をこの11月いっぱいで卒業した木村栄文なる人がいる。
ドキュメンタリーの第一人者として、長い年月に渡り優れた番組を制作してきた。

民間放送に勤務する人間にとって最高の栄誉とされる日本民間放送連盟賞や芸術祭賞など、数々の賞を受賞。「賞取り男」とか「芸術祭男」などと呼ばれ、畏敬の念を集める存在でもある。

その木村さんの代表的な作品九つを、今日から大晦日まで、毎日ひとつずつ放映していくのだ。

この「傑作選」が実現した背景には、RKB制作部の大変な苦労があったらしい。
放送するためには、関係者の権利をクリアすること。それが条件だったようなのだ。

関係者の権利のクリア--登場人物またはその遺族から再放送に対するOKをもらうということ。  これはかなり難題だ。

まず、当事者を捜すこと自体が大変だ。
番組を制作したあとも関係を保っていることは少ないだろうから。
放送から30年前後たっている番組もある。人の生きた跡を追うのは難しい。

当事者を見つけても、再度放送することへの理解を得なければならない。

ドキュメンタリーのテーマは、タブーまたはそれに近いことが多い。

--取材され、番組となった時は、放映されることをよしとしていた。
  しかし、今さらテレビに流されるのはちょっと困る。

そう感じる方が普通だろう。
父親なり母親なり、取り上げられているのが自分の肉親の場合は、もっと拒否反応が強いかもしれない。


長い時間をかけて調査し、説得し、今回の「傑作選」放送にこぎつけたそうだ。
当初、再放送の候補にあがっていたのは12本。うち3本はどうしても権利がクリアできなかったと言う。

しかし、12本中9本のオンエアを可能にしたのは、大したことだと思う。

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とはいえ、“権利のクリア”がどこまで必要なのか。
かなり疑問だ。

局側が“権利のクリア”を言うのは、こじれた時に困るからではないのか。
再放送に値するという判断よりも、安全な、つつがなき放送終了を重視しているように思える。

簡単に言えば、「及び腰」なのだ。

人権に配慮するのは当然だ。
その配慮と、番組としての価値のバランスをどうとるのか。
その決断は、局としての姿勢をもはっきりと表す。

ローカル局にとって、ドキュメンタリー番組はコンテンツとしての価値も大きい。
すべての関係者の了解をとりつけなければ再放送できないとしたら?
そんな作業に労力を割く余裕など大半の局にはないだろうから、倉庫に眠る番組の数々は、そのほとんどが目覚めることがないのではないか。

とすると、優れた番組をいくら抱えていたところで、それは利用できるコンテンツとはなり得ないことになる。宝の持ち腐れだ。

デジタル化達成のあかつきには、同時に3本の番組が流せるようになる。
しかし、流すモノはない。
ローカル局は、そんな事態になりはしないか。

今後、番組の二次使用は、どんどん増えていくだろう。
人権とのバランスは、重要な意味を持っている。


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*「木村栄文 傑作選」-RKB毎日放送にて。

・23日:26時20分-「絵描きと戦争」
・24日:26時35分-「桜吹雪のホームラン 証言・天才打者 大下弘」
・25日:27時40分-「まっくら」
・26日:26時50分-「鳳仙花 ~近く遙かな歌声~」
・27日:27時00分-「記者ありき 六鼓・菊竹 淳」
・28日:27時00分-「いまは冬」
・29日:25時57分-「飛べやオガチ」
・30日:25時55分-「記者それぞれの夏 ~紙面に映す日米戦争~」
・31日:11時45分-「むかし男ありけり」


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Richard Betts 『 Highway Call 』



年の瀬は、忙しい。

今、進行中の仕事、一番早いオンエアが1月31日。
それから、2月に2本、5月に3本と続く。

そのハズなのだが、5月にオンエアすると言っていたA社とB社、ふたつの番組の担当者からは音信不通。

「資料映像を送ります」

ディレクターふたりは、異口同音にそう言っていた。
あれから丸一ヶ月。なんの音沙汰もない。
どうなっているのやら、さっぱり分からない。
番組をやるのかやらないのかさえ、はっきりしない。

こういうことが日常茶飯事。おとな不在のテレビ業界ならではだ。

--仕事の話は依頼した方が動くべきもの。

会社員時代から、ぼくはそう思っている。
だから、音信不通の相手にこちらから連絡を取ることはない。
経験上、連絡をよこさない仕事が番組として成立したことはないけれど。

どのようないきさつがあるにしろ、一度は「お願いします」と言ったのだ。
少なくとも、現状はどうなのか、こちらに知らせる義務があるはず。

などと考えるのは、業界のシロウト。
この業界、一般社会の常識は通用しない。


先月、某県へ打ち合わせに出かけた。泊まりがけで。
「宿はとっておきます」
担当者はそう言った。確かに、ホテルはぼくの名前で予約してあった。

深夜に及ぶ打ち合わせを済ませた翌朝、チェックアウト。
カウンターの女性は、にっこり微笑みつつ、宿泊代を請求した。

こうした場合、普通の企業に勤める常識人ならば、ぼくの宿泊費は会社宛てに請求するようにホテルへ伝えておく。会社の都合で呼び寄せたのだから。

しかし、テレビの世界に働く人たちは、どうもそういう感覚がないようなのだ。

会社員時代、ぼくは仕事で人を招く方だったから、こうしたことにはかなり神経を使っていた。だから、最初はすごく驚いた。もう慣れたけれど。

感覚がまったく違うのだ。

今回は、宿泊費にプラスして航空機のチケット代もぼくが出している。
番組が成立しない場合、丸々ぼくの負担になる恐れ、大。
ぼくに立て替えさせているという意識は、担当者にはまったくないだろうから。

ま、5万も6万も自腹を切るのはイヤなので、きっちり、請求はするけれど。

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グチを言っているわけではない。

わけではないのだが、グチってる気分になってしまう。

なぜ自分が言ったこと、頼んだことを、すんなり忘れることができるのか、
または、完璧に無視することができるのか? それが理解できないのだ。

この業界に足を踏み入れて干支が一周したけれど、いまだにさっぱりわからない。
業界人になりきれていないのだろうか?

ギャラの支払いを忘れられた回数も、片手ではきかない。
それも、ひとつの局だけじゃない。
ある局に限られるのであれば、その局の経理なりがだらしないと言えるのだろうが。

やっぱり、この業界特有の現象なのかしらん?

ギャラの支払いを忘れるくらいなのだから、口約束が脳裏から消えるのは、なんの不思議もないのかもしれないけれど。

5月の仕事のうち、2本はなきものとしてスケジュールを組み立て直した方がいいかしらん?
予定が立てづらいのが一番困る。


仕事の消え方はさまざまだ。
動き出す前に消えるのはまだいい。
テープがどーんと送ってきて、しっかり見て書き起こし、さぁスタンバイというところに「制作中止」なんてこともある。

今、ぼくの机の足元に2時間のVHSテープが20数本、積み上げられている。
このテープは、そのパターン。ラフ構成も書いたけど、そこまでで、ジ・エンド。

ただ、これは「仕事になるといいですね」という段階にあったから、結果的にポシャッても、「惜しかったね」で済ませるしかないのだが。
しかし、取材したプロダクションは、経費丸損になるのかな?  気の毒な。


クリスマス・イブとクリスマスの両日は、泊まりがけで編集だ。
曜日も行事も関係ない。それは仕事のある証拠。

今年も除夜の鐘をパソコンの前で聞くことになりそうだ。
口約束が全部生きているならば。

あぁ、ありがたや、ありがたや。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Sea Level 『 Cats On The Coast 』


九州・山口・沖縄のJNN(TBS)系列8局を結ぶブロックネット・ドキュメンタリー番組『MOVE2003』。
その年間最優秀作品を選ぶ審査が、昨日、行われた。

『MOVE2003』は、10年間続いた『電撃黒潮隊』の終了を受け、昨年の秋、新たに始まった。

スポンサーがついていた『電撃黒潮隊』とは違い、制作費は各局持ち出し。
どうなるかわからない、とにかく1年間はがんばろうという、先の見えない船出だった。

それだけに、1年間を乗り切ることができたこと、そして、番組コンテストを開催することができたことは、制作現場を率いる人たちにとって自信になったに違いない。

しかし、スポンサーがつく気配は、やはりない。
唯一、『電撃黒潮隊』時の放送時間を引き継いでいたリーダー局も、深夜の時間帯に移行することが決まったという。

--いずれは『電撃黒潮隊』の放送時間に戻りたい。

そう願っていた制作者たちにとって、リーダー局の深夜への放送時間移動はショックだったようだ。


今、どの局も財政事情は厳しい。

--収入の見込みがゼロの番組に制作費をつぎ込むメリットはどこにある?

営業や編成などのセクションからそうした疑問の声があがるのも当然だ。

その疑問に答えつつ、新たな1年間へ向けて足を踏み出さねばならない。

これはかなり大変だ。

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視聴率のとれない、スポンサーがつかない。
そんな番組が、なぜ、必要か?

それは、制作現場の制作力をあげるために他ならない。

テレビ番組を制作し、視聴者に提供する。それがテレビ局。
番組を作らないテレビ局は、テレビ局に非ず。
だから、番組制作に力を入れるのは当然だ。

新卒採用で即制作部へ配属されたにしろ、他の部署を経由してきたにしろ、誰もが最初は番組制作のシロウト。
そのシロウトがクロウトになるための“場”が、テレビ局には必要だ。

8局がスクラムを組み、互いに刺激し合い、競い合う『MOVE2003』。
それは、シロウトはクロウトになるための、そして、秀でた制作者へと熟練していくための、格好の“場”なのだ。

--この“場”は、一度失われると、二度と再び戻っては来ない。

その危機感に似た思いが、制作現場、特に“場”の力を実際に体験してきた制作者たちの間にはある。
場を失うことは、制作力を磨く機会を失うことなのだ。

もちろん、情報番組でも、ニュースでも、制作力は高まる。
しかし、ひとつのテーマを追い、リサーチし、取材し、30分なりの番組に構築する力は、情報番組などで培う制作力とはまた違ったもの。
その力は、時間をかけないと育って行かないものでもある。

そうした制作力は、多様化するであろうこれからのテレビの世界には、絶対に欠くことはできないものなのだ。

しかし、今、テレビ業界は、制作力をじっくり培養するような状況にない。
その事実がいずれ自らの商品である番組の品質を落とすことになるのではないか。

“場”の喪失には、その危惧がつきまとう。

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「ぼくが制作にいる間は、『MOVE』をやり続けますよ、絶対に」

某局の制作部長は、言葉に力を込める。
“場”の力を体験してきた、『電撃黒潮隊』世代のひとりだ。

--やる、オレは絶対にやる。

何よりも必要なのは、まずやる気と情熱。
しかし、番組作りに情熱があるのはテレビマンとしては当然で、「一生懸命やります」とスポンサーに言ったとしても、あたり前だろ、で終わりだろう。

情熱とやる気にプラスした、何かが必要だろう。
社内の、営業や編成なども含めたコンセンサスが得られるような施策が。

例えば、

*『MOVE応援団』結成。

『電撃黒潮隊』では、1年間に制作された番組から秀でた作品を選ぶコンクールを開き、その審査員として、筑紫哲也氏や立松和平氏、村田喜代子氏などの著名人を招いていた。
また、レポーターとして常田富士男氏も登場した。
さらに、プロデューサーK氏つながりでは、三國連太郎氏や夏八木勲氏などの顔ぶれも揃う。

そうした人たちに、ブロックネット・ドキュメンタリー番組『MOVE』のサポートをしてもらうのだ。

現場のやる気だけでは、社内の共感を得ることも難しい。

営業は、番組を売るのが仕事。しかし、『MOVE』を売ろうにも、アピールするものがない。視聴率は低すぎて、スポンサーを説得する材料にはならない。

だとすれば、番組が少しでも売りやすくなるための“宣材”を営業に提供することを制作現場が考えなければならないだろう。

その“宣材”としての『MOVE応援団』だ。
ヒトのフンドシで相撲をとる的な、嫌らしげな手法ではある。
だが、“場”を確保するために、なりふり構っては居られないはず。

ぼくは、これでスポンサーがつくと考えているわけではない。
ただ、営業や編成のことも配慮してますよ、という姿勢を見せることは、とても大切なことだと思うのだ。

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『MOVE2003』、今年の最優秀作品は、長崎放送報道部のI記者がディレクターを担当した番組に決まった。

I記者は、元カメラマン。
ぼくも一緒に仕事をしたことがある(11月6日の日記参照)。
ラグビーをやっていた偉丈夫で、これぞカメラマン、という男だった。

その彼が、カメラマンから営業マンへ配置換えになった時は驚いた。
営業にいた期間はわずかなもの。スッと報道へ異動した時はもっと驚いた。

報道記者としてどこまでやれるのか。
カメラマンとして経験を積んだ彼が、新人同様、サツ廻りからやっていけるのか。
正直言って疑問だった。

しかし、それは杞憂だった。失礼ながら、嬉しい誤算、だ。

彼の制作し、最優秀作品に選ばれた番組は、核兵器廃絶を求める署名を集め国連に送ろうという「高校生1万人署名」を行う高校生を扱ったもの。
この番組も、『MOVE2003』という“場”がなければ、作られることはなかったかもしれない。


新たな才能が花開くためにも、制作の“場”は、やはり必要だ。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Donald Fagen 『 The Nightfly 』



眠い・・。

ネコ助のおかげで睡眠不足。

このところ、ネコ助は“春”。
恋の季節で、あぉんあぉ~ん、切ない泣き声。

この季節、ネコ助はオスとメスとをしっかり見分ける。
そのまなざしは、オスのぼくに向けられ、なぉんごろにゃん、寄ってくる。
ぼくの顔を見ながら、ねじねじぐにゃぐにゃ、ころがってみせる。

去年の6月、うちにきたときは片手に乗るくらいだったのに。

--あぁ、お前ももう、おとななのね。

多少の感慨も最初だけ。
尋常でない泣き声と、積極的な強烈アタックに、飼い主たじたじ。


普段は入ろうとしないぼくのふとんにも、入れろ入れろと肩口を前足でかく。
うるさいので入れてやる。
すると、ぐにょぐにょ、フトンの中をぐるり一周。
プイと飛び出し、となりの部屋で、あぉんあぉ~ん。  あぁ、やかましい。

それが夜を通して続く。

フトンに入れてやらないと、ぼくの顔を、かじかじ、ほじりだす。  いてて。
即、負ける。
肩口のフトンを持ち上げてやる。

飛び込んでくるネコ助の毛は、冬の空気に冷え切っている。  冷てっ!
うとうとしていた目が、パチッと覚める。

それが夜を通して続く。もう、4日間。   眠い・・・。


昨夜のこと。
寝床で腹這いになって、雑誌を読んでいた。
そこへやってきたネコ助。
ぼくにお尻を向けたかと思うと、ぴんっ、と伸ばしたしっぽをぷるぷる振るわせ、ぴっぴぴっ、おしっこをした。

ぼくの手と雑誌は、ネコ助のおしっこまみれ。  あぁ、これも愛情表現か。


以前、飼っていたネコも、春の季節は視線をぼくに向けていた。
しかし、このネコ助ほどに狂おしくはなかった。
せいぜい、ごろごろとすり寄る程度。おしっこ飛ばしなど、しなかった。

この冬一番の寒い夜。
おしっこにまみれた手を洗いに行くのも、なにか切ない。


今夜から、顔ほじりだけでなく、おしっこ攻撃にも備えなければ。
緊張して眠れない。

あぁ、今も、あぉんぶにゃぁんと呼んでいる。

愛って、耐えることなのね。


しかし、ほんとに眠い・・・・。
パソコンの前で、かっくん、いねむり。


--ネコ助が春なので、台本、遅れます。

言ってみるかなぁ。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM = Jimi Hendrix 『 Live at the Fillmore east 』

窓の外を見ると、雪が舞ってる。

さぶっ! この冬、初めての雪。

南国九州とは言え、福岡は日本海側。冬の空はどんより暗く、雪もちらつく。
時には積もる。しかし、5センチを超えることは、めったにない。

ぼくが子どもの頃は、雪がよく積もっていた記憶がある。
10センチくらい積もることも、そう珍しいことではなかったんじゃないだろうか?

雪が降らなくなってきたのは、地球が暖かくなってきているから?

福岡に雪が積もらなくても、別にぼくらは困りはしない。
冬の情緒がひとつ減るだけ。
でも、スキー場は大変だろう。
つい最近、地肌が見えるスキー場のようすをニュースで見た記憶がある。

--雪が積もらないのなら、人工降雪機でドカッと降らせばいいじゃない。
--ハイテクで、自由自在に雪が作れるんでしょ。

などと思うのは、シロウトだそうだ。
人工降雪機も、一定の温度以下にならないと、雪を作ることはできないとか。

自然に頼る商売の難しさ。天のはからいに期待するばかりだろう。
今日の冷え込みは全国規模。
雪不足に悩むスキー場に雪が降っていればいいのだが。


「雪は天から送られた手紙である」

こう言ったのは、雪研究の世界的権威、中谷宇吉郎博士。
この方が、世界で初めて人工雪を作ったという記憶がある(違うかも)。

科学者としての中谷宇吉郎さんの業績は、その程度しか知らない。
ぼくが中谷さんの名前を知ったのは、エッセイ。
岩波文庫から出ていたが、今はどうだろう。

優れた科学者は、その文章も秀でているとよく言われる。
中谷さん、湯川秀樹さん、朝永振一郎さん、寺田寅彦さん・・・。
アインシュタインも、アシモフも。

読み手を引き込む文章を書く科学者は確かに多い。

専門分野で第一線に立ちながら、余技でも一流とは。
ぼくは文字を書くのが仕事だけど、ひとつの作品として読むに耐える文章が書けるわけではない。

うらやましかぁ。

天が二物を与えることも、ままあるんだなぁ。

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しかし、地球温暖化は深刻。

気温があがり、南極の氷が溶け出す。海面が、ひたひたと上昇する。
イタリアの水の都・ジェノバは、広場も海水に浸りそうだとか。
水面下に沈んでいく水の都・・・笑えない。

インド洋の島国などは、国存続の危機に直面している。

温暖化が進むと気候が激変し、洪水や干ばつなどの災害も増えるという。
さらには、熱帯性の伝染病が全世界へと蔓延し・・・あぁ、コワイ。


ぼくらの日常生活が生み出す二酸化炭素などが地球を取り巻き、熱が宇宙空間へ逃げるのをさまたげる。
地球は、少しずつ、あったかくなっていく。

あったかくなると言っても、5度も10度もあがるわけじゃない。
ほんのちょっと。
その、“ほんのちょっと”が地球環境には大打撃。
氷河期でさえ、今より“ほんのちょっと”、平均気温が低かっただけだそうな。

絶妙なバランスの上に生きているんだなぁと感心する。


温暖化を引き起こすのが、二酸化炭素などの「温室効果ガス」。
行政が作った子ども向けのパンフレットには、「地球のおふとん」と表現してあった。

「温室効果ガス」と「地球のおふとん」・・・・ちょっとニュアンス、違うのでは?
「おふとん」だと、あったかい方がいいじゃん、ってならないかな?

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今、温暖化をテーマとした番組作りがあちらこちらで進んでいる。
スポンサーは行政、ということは、国民がスポンサーということ。

先日、某県の「環境特別番組」の制作に携わった。
5分間のミニ番組を計12本、3ヵ月間に渡って毎週1本放送する予定。
そのうちの、最初の4本を撮影した。

お父さんとお母さん、そして小学校1年生の子ども。
この3人で、ドラマ風に「地球温暖化」と「身近で出来る温暖化防止」について語るというのが、この4本の役目。

困難極める、めちゃ難しい。

県の担当が「これでよろしかろう」とハンコを押した温暖化の説明文。
おとなのワシでもわからんで?

演出担当も、「こんなん小学1年生のわかるわけないやんか」と、変更しようとする。
当然だろう。わからないことを言い聞かせても仕方ない。

しかし、県の上層部までクリアした内容を変えると、納品の際、クレームがつくおそれが多分にある。その時点であれこれ言われても、実質、修正のしようがない。
お役所が融通がきかないのは何度も経験済み。

危ないので、その部分はさわらないことに。
君子、危うきに近寄らず。
ほんとは近寄って、あ~だこ~だ言える時間が欲しいんだけどなぁ。


5分間のミニ番組と言っても、ドラマ的部分を収録するのは時間がかかる。
50秒のシーンで最低10カット。1時間で撮影できれば御の字だ。
このペースで、4話を1日で撮るのはつらい。

二日あれば、演出もあれこれ試すことができる。
だが、経費削減の折り、4話1日は至上命令。
撮影を二日に分けると、役者やカメラや音声などの社外スタッフにかかる経費も二倍になってしまうから。

ここで、不可思議なこと。
ぼくや演出担当などのギャラは、撮影期間が二日になっても二倍にはならない。

そんなもんだと納得しているけど、改めて考えると奇妙ではある。


最初の4本。撮影はひとまず無事終了。
ナレーションを入れて、資料映像を入れると、さて、どうなるか。

次の4本は、来月中に撮影らしい。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM= America 『Highway - 30 Years of America』

まいった。

早朝→深夜の仕事が続き、日記を二日さぼる。
昨日、「さぁ、今日は書こう」とパソコンをON。

あら? 立ち上がらない。

ON、OFFを繰り返す。しかし、モニターは反応なし。
ハードディスクの回転音はしている。立ち上がってはいるようだ。

モニターがダメになったかな?
パソコンは代替わりをしているけど、モニターは古いまま。
四隅に少し湾曲が見えるようになってきた。

モニターを他のパソコンをつなぐ。と、ちゃんと表示。
ということは、おかしいのはメインのパソコンか??

まずいな・・。

えっちらおっちら、机の上に置いたパソコン本体を動かし、後ろ向きに。
配線ごちゃごちゃ。ホコリがたっぷり。
なにがなんだか、わからん。

まずは、掃除機でホコリを吸う。

本体側の接触でも悪いのだろうか?
モニターのコードを抜いたり、さしたり。でも、モニターは無反応。

他になにをすれば復活させることができるのか?
・・・・さっぱりわからん。

本体内部のトラブルかな? だったら面倒。
このパソコンは通信販売で買った。
修理に出そうにも、どこに出せばいいのやら・・・。


途方に暮れて、昨日はこれであきらめた。

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今朝、パソコンのスイッチを入れる。
やっぱり、無反応。

くっそー、ばっかやろぉ!

ほったらかしにして出かけた。

駅へ向かう道で、つらつら考える。

パソコンが使えないということは・・・、
今、作業中の資料や原稿、すべてが人質に! 救出不可能。まいるなぁ。

あ、ワープロ文書はUSBに差しているメモリーにバックアップをとってるんだった。

ちょっと、ホッ。

だが、しかし、

<パソコン不起動 = メール不可>

これって、めちゃくちゃ困るんでないの?

携帯でメールを読むことはできる。しかし、添付ファイルは開けない。
今、資料や原稿のやりとりは、ほとんどメール。
郵便はもちろん、FAXさえほとんど使うことはない。

昨日あたり、資料が送ってきているはず。
しかし、見ることさえできないのでは話にならん。

仕事ができんやないか。

FAXで送ってもらおうにも、100ページくらいあるらしい。
お願いするのは気がひける。
受けるのもイヤ。

昔、用紙にロールを使うFAXだった頃。
B4サイズの資料が80枚くらい送られてきたことがある。
にゅるにゅるずるずる、受信した用紙が部屋の中に伸び、一枚一枚切り離すのが大変だった。

宅配便で送った資料が行方不明になったこともある。
ぼくが資料を出した店、集めた営業所、地区の集配センター、空港、届け先の集配センター、その先の営業所・・・可能性のあるところは全部調べたけど、出てこなかった。
支店長がぼくの家まで直々に謝りにきた。

それこれ思うと、メールは便利だ。
打ち出すとかなりの量になる資料でも、文字ばかりだからデータ量としては知れたもの。
行方不明になってもだいじょうぶ。何度も出すことができる。

しかし、それもパソコンが機嫌良く動いていればこそ。
へそを曲げている今、ぼくの仕事は滞っている。

どうしたもんか・・。

電車に揺られながら、途方に暮れる。

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夜。パソコンON、再トライ。

おそるおそるスイッチを入れる。
すると、何事もなかったかのように、すんなり立ち上がった。
丸一日、動かなかったのはなんだったの??

恐いなぁ。
このまま、立ち上げっぱなしにしとこうかしらん。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM= Orleans 『 Still The One Live 』


こんな話を聞いた。

イラクでは、数多くのフリージャーナリストが今も活動を続けている。
活字であれ、写真であれ、映像であれ、取材には通訳が欠かせない。
それにドライバー。

身軽に動きたいから、運転できる通訳は重宝される。

フリーの映像ジャーナリストが懇意にしていたドライバー兼通訳がいた。
現地の道路事情に詳しく、情報の入手も早い。通訳も的確だ。
彼がいたからこそ、できた取材もある。
単なる通訳ではなく、貴重なパートナーとなっていた。

ジャーナリストが帰国していた日本から現地へ戻ると、いつもは出迎えてくれるはずの通訳の姿がない。

どうしたのだろう、なにかあったのか?

心配していると、取材先でその通訳に出くわした。
彼は、キー局のクルーと一緒に行動していた。

引き抜かれたのだ、数倍のギャラで。


フリーのジャーナリストは、財政的基盤が弱い。
映像ならば、撮った映像を局に買い上げてもらい、それを資金として次の取材へ出向く。そのくり返しが多くなる。

だから、現地スタッフに支払える金額には限りがある。
キー局、NHKの資金力には、到底かなわない。

通訳は責められない。
戦争のさなか、そしてテロが続く今。命の危険が伴う仕事だ。
より多くの報酬を求めて動くのは当然だ。


こんな話は、山とあるという。
数倍ではきかない、10数倍の金額を提示して引き抜いた例もあるとか。


困るのは、引き抜いた局のクルーが引き揚げたあと。
いったん、数倍の報酬を手にした現地スタッフは、多くの場合、元の金額では働いてくれない。

自分の能力を高く売れることがわかったのだ。以前の安いギャラで働く必要はない。
より高く買ってくれる相手を待つことになる。

フリーのジャーナリストは、パートナーをまたゼロから探さなければならない。

「かっさらっていくんじゃなくて、自分で探す努力をしろよ」

引き抜かれたジャーナリストの言葉だ。

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こんな経験がある。

韓国の、ある祭りにまつわる番組を作った時のこと。
ぼくは、取材前のロケハン、そして本取材にも同行した。

その祭りは古い伝統のあるもので、自治体が手厚く保護している。

取材前の打ち合わせの席で、祭りの担当者が思わぬ事を言いだした。
取材協力費として500万ウォン(およそ50万円)をお願いする、というのだ。

プロデューサーは、驚いた。
ロケハンに来た時、自治体側は無料で協力すると快く言ってくれたのだ。

--タダでやるって言ったじゃないか!

若手のディレクターは怒ったが、定年間近なプロデューサーはやっぱりおとな。
さりげなく、その金額の根拠を尋ねた。

ほんの一ヶ月ほど前、その祭りの様子をNHKが取材にやってきた。
その時、ポンと500万ウォン、置いていったという。

--だから、皆さんにも同じ金額をお願いしたのですが。

そう答える担当者に、悪気はまるでない。
同じ日本からやってきたのだ。同じ金額を要求してもいいだろう。
祭りの保護にはお金がかかる。自治体の予算も限られていることだし。

まことに明快。
ぼくらは、黙り込むばかり。

片や全国放送。こちらは、ひとつの県が放送エリア。規模がまったく違う。
しかし、取材される側にとって、取材する側が国営放送だろうがローカル局だろうが、関係のないこと。
かける手間ひまは変わらないのだから。


ロケハンの時にこの話が出たら、制作プランが変わっていただろう。ローカル局にとって、50万の出費は大きい。
だが、もうレポーターを連れて取材に来ている。あれこれもめるわけには行かない。

結局、プロデューサー判断で、500万ウォンを支払い、取材を終えた。


日本はローカル局もお金を出す。
この祭りに対しては、その先鞭をつけたことになる。

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取材に行く。海外でも、国内でも。

するとそこには、先んじた局がお金を落としている。それもかなりの金額。
そんな例は多いと聞く。

一般の人に取材をお願いする場合、基本的にお金を支払うことはない。
相手側の自主的な判断に任せないと、自然な姿や言葉が撮れない可能性があるからだ。

しかし、より早く、より確実に取材に応じてもらうために、金を出す。

出した局がどこであれ、結局は自分で自分の首を絞めていることになりはしないか。

そんな気がしてならない。

番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”


♪今日のBGM=Temptations 『Sings Smokey』


テレビを見ずに聞きつつ、領収書の整理。
税務署申告用の資料作り。
自営業は、これがあるからアタマが痛い。

元旦からから大晦日までの領収書。
これを“交通費”や“消耗品費”“図書資料費”などに分類せにゃならん。

と言っても、分類し、計算してくれるのはパソコン。
「Excel」さんがやってくれる。

作っているのは、パソコンに入力するための資料。
ぼくは、領収書を使用済みのコピー用紙に貼っている。
ひと月分貼って、翌月の頭にパソコンへ入力。う~ん、理想的。
今年、8月分までは、やっていたのだが・・・。

それから今日、12月の半ばまでさぼりにさぼり・・・・日にちゴチャゴチャの領収書がどっさり。
あぁ、ため息。

しかし、これをきちんとしておかないと、必要経費が算出できない。
税務署に申告しないと、経費は戻ってこない。

ぺたぺたぺたぺた、一枚ずつ、コピー用紙に貼っていく。

すぐ、あきる。目が疲れる、肩が凝る。

誰かにかわって欲しいのだが、領収書整理も、パソコンへの入力も、ぼくにしか分からない胸算用があるので(どんなだ?)、「お願いね」と頼むわけにいかない。

お金が戻ってくるからこそ、やるこの作業。
申告して、さらに税金を取られるとしたら、絶対やりたくはない。
意図的に脱税するヤツは許せないけど。

お金が戻ってくると言っても、かん違いしている人がいる。

「必要経費が戻ってきていいねぇ」

違う! 声を大にして言いたい。

    必要経費は戻ってこない!
    戻ってくるのは、収めすぎた、ぼくの税金!

必要経費は、所得金額から引かれるだけ。税金算出の対象にならないだけだ。
必要経費が全額戻ってくるのなら、出て行く金はすべて“必要経費”にするだろう。

仕事をしてぼくの手元に入るのは、局の支払金額の90%。
10%は、税金としてすでに差し引かれている。

手取り10万円の仕事だとする。
局は、額面「111,111円」支出し、そのうちの1割、「11,111円」をぼくのかわりに国へ収めているわけだ。

一年間、仕事をするたびに10%ずつ引かれている。
それでは税金を納めすぎ。
税務署に申告すると、その差額が戻ってくるのだ。

そのための、領収書整理。ぼくにとっては、だけど。
自由業でも、収入の多い人は、申告してさらに税金を納めなくてはならない。


あぁ、もっと税金を納めてみたい。

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ぼくが確定申告を始めたのは、地元へUターンし、今の仕事をするようになってから。

最初の年、ぼくの年収は70万だった。
申告に行くと、担当者はぼくの提出した申告書を見て、

「失礼ですが・・・どうやってお暮らしですか?」

と聞いた。
余計なお世話だと思いつつ、

「ツメに火を灯しまして・・」

と答えた。
彼は小さくうなずきながら、なるほど、と納得した。

今、思い出してもおかしなやりとり。もう、ひと昔以上前のこと。

あの年、年収は確かに70万だった。
そのうち40万は前年に東京でやった仕事の分が年を越えて振り込まれたもの。
純粋に稼いだのは、30万だったことになる。

次の年、1年間で仕事は2本。無謀と言えば、無謀である。
なんとかなるとでも思っていたんだろうか?
今のところは、なんとかなってはいるけれど。


ぼくの仕事は収支の計算がラク。
仕事は1本単価。30分番組でも60分でも、仕事の量的には変わらない。
1年間、20本がMAXだ。

1本あたり100万ならば、収入は2,000万になるし、5万なら100万。
分かりやすい。あまりに分かりやすくて涙が出る。

支出は、交通費と通信費、資料代にパソコン回りの消耗品。それでほとんど。
明朗会計。ごまかしようがない。

時々、同じような仕事をしたい、どうしたらできる?と聞かれる。
一応、役立つであろうことをお答えし、最後に付け加える。

「家も建たんし、旅行も行けんよ」

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どうなるかわからない、しかし、確実に支出は増えるデジタル化。

局は制作費を縮小している。
必然的に仕事は少なくなっていく。

仕事が減ると、時間ができる。調べものも深くなる。
番組の出来不出来は置いておいて(置けないけど)、自分としては納得がいく。

仕事と生活、二律背反。
適度に忙しくて、適度に儲かる。そんな仕事、ないかなぁ。

ぺたぺたぺたぺた。

のりが手につく。ネコ助が領収書の上を駆けていく。

あ~、めんどくさかっ!



番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM=James Taylor 『In The Pocket』

朝から、テレビはイラク派兵のことばかり。
当然だけど。

リポーターが、イラクへ持っていく兵器がどんなに強力か、を力説する。

元自衛隊の評論家が、世界の軍隊の中で最低レベルの装備だ、と反駁する。

いろんなことを教えてくれてありがたいけど、どっちもどっちだと思う。

確実なのは、なし崩し的に“軍隊”の地位を自衛隊は獲得したこと。
中曽根さんは、ことのほかお喜びに違いない。

ずいぶん多くのフリー・ジャーナリストがイラクから帰国したみたい。
どのチャンネルを見ても、彼らが出演。
自ら撮影してきた写真や映像を見ながら、コメントをしている。

その報告に共通しているのは、兵器を持っていったら軍隊だ、ということ。
わかりやすい。

--自国を守るために遙か日本からやって来ました、私、「自衛隊」と申します。

イラクの街頭で、迷彩服にヘルメット、肩から小銃さげながら、イラクの人にそう言って、「はい、了解」って答えが返ってくるかしらん?

あり得ない。    「じゃぁ、丸腰で行けって言うのか?!」

すぐ極論に走るヒトがいる。議論にならん。
行かせること自体、間違っている。

アメ公の押しつけだろうが、サヨク的だろうが、国として憲法を掲げている限り、その主張するところに従わなければならない。

そこには、こう書いてある。

  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

わかりやすい。

  日本は国として“戦争と武力は永久に放棄”した。

読んで字のごとし。
他に、いったい、どう読める?

これを変えたい向きもあるだろう。それは個人の主義主張。
そういう声を結集し、広め、世論として盛り上げていけばいい。

しかし、今は、この約束がある。
日本という国が、世界に向かって宣言した約束。

その約束を守らない。
もう、民主主義の国でござい、とはとても言えない。

ぼくらは、国としてウソをついてしまった。

そのツケは、きっと大きい。

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「テロに屈するな」

そんな言葉が乱れ飛ぶ。   わからん。

「テロに屈する」って、どういうことなのだろう?

テロってなんだか、まずもってよくわからない。

  政治的目的のために暴力を行使したり、それによって威嚇したりする
  手法を、テロリズムという。 [Encarta(R) Encyclopedia 2001]

なるほど・・・。

じゃ、

9.11のあと、アルカイダ掃討を掲げたアフガニスタン空爆を行わず、静かにゆるやかに象の如く歩いていたら、今ごろアメリカはイスラムの教えを法律とする国家になっていた・・・・。

それが“テロに屈した姿”なのかな?   なんか、へん。  違うと思う。

アメリカが非暴力政策を選択していたら、貿易も含めた報復措置をとらなかったら、今のようにこじれねじれた世界にはなっていない気がする。


「なぜ、自分たちはこれほど嫌われるのか?」

9.11のあと、自らにそう問い直す人たちもアメリカには多かったと聞く。
しかし、それは国の姿勢とはならなかった。
大半の国民がブッシュさんを支持し、アフガニスタンへの攻撃に快哉を叫んだ。

それが、テロに対して出した、アメリカの人たちの回答だった。

ひとりひとりの思いが重なり合って、国の行動となる。
ひとりひとりがいるから、国がある。決して、その逆じゃない。


両親、子供、兄弟、伴侶、友人、知人・・・そんな人たちの命を奪われたら、
ぼくも、

 「コイズミに一票!」

そう、なるかもしれない。

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あぁ、毎日毎日、テレビもぼくも、「もし、かも、だったら」話ばかり。

激しく、むなしい。


今日のBGM。
ジェイムス・テイラーが「Shower The People」で「みんなの上に降りそそげ!」と歌ったのは“愛”だけど、ぼくらに降りそそぐのはオゾン層を突き抜けた紫外線と、錯綜する情報ばかり。

いつかそれにミサイルが加わるんだろうか?


CD、終わってる。
もう一回、聞こ。

番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM=Louis Armstrong 『An American Icon』

イラクへ行くことになる自衛官の皆さん。
あちらでは「来るな」と言われ、こちらでは「行くな」と言われ、大変ですね。

「せめて、国民からは、行ってらっしゃい、と言われたい」

という、隊員の方の言葉がありました。
ほんとうにそうだと思います。

しかし、ぼくは「行ってらっしゃい」とは言えません。
人の命を救う任務で、皆さんはこの世を去るかもしれません。
自らを守るために、子どもの命を奪うかもしれません。

そんな可能性のある状況の中へ、「行ってらっしゃい」とは言えません。

何をしに行くのか?
自衛官の皆さんは、きっとわかってないと思います。   ぼくもです。

総理の話を聞いても、ニュースの解説に耳を傾けても、
「なぜ、自衛隊なのか?」
それがさっぱり、わかりません。

--人道援助のために行く。戦争をしに行くのではない。

かように、わが総理は言われます。

それは分かり切ったこと。
憲法で、“戦争”と“武力”は、永久に放棄したのですから。
憲法変えずして、国際紛争解決のために武力を行使することはできません。

ならば、派遣すべきは武器を携帯する皆さん自衛隊ではなくて、民間の技術者であり、雇用に直結する企業のはず。

でも、そうなりませんでした。

行くのは“日本軍”たる自衛隊。
装甲車に日の丸掲げ、ヘルメットに迷彩色の戦闘服。

「アメリカ軍の支援に来た」

イラクの人たちは、そう思うのが自然でしょう。
ぼくもそう思いますもの。

21世紀初頭、ついにベールを脱ぐ“日本軍”。  歴史の誕生、です。

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いずれ、こうした日が訪れる。

自衛官の皆さんは、そう考えていたのではないですか?
そうじゃないと、おかしいですよね。

武器を手に走ったり、沼に身を潜めたり、戦車の前を匍匐前進したり・・・。
訓練だけをするために、入隊したのではないでしょう。
訪れるはずのない“有事”。そんな仮定の中だけで、訓練を繰り返していたわけではないのですから。

親方日の丸、食いっぱぐれなし。
戦車も操縦できるし、ヘリにも乗れる。潜水艦にも、空母にも。
そんな動機で入隊した方も、きっとたくさんいるでしょう。

以前、仕事で自衛隊のことをちょっと調べました。
この春、中学を卒業して陸上自衛隊少年工科学校へ入学した“自衛隊生徒”が1年生の時に手にする俸給は月15万円。
卒業する頃には19万円をこえます。

一人前になる前から、この厚い手当です。
それだけの期待を、皆さんはかけられているのです。

どんな期待?  それは、国民によって違うでしょう。
ぼくが納税者のひとりとして期待するのは、災害救助隊としての働きです。
自衛隊じゃなく災害救助隊に改組すればいい。そう思っています。

重火器を他国でぶっぱなす。そんな期待は、ありません。
でも「お国のために命を捧げる」ことを期待している人も確かにいます。

そう言えば、卒業式にいましたね、
「立派に、お国のために、身を挺して尽くしてくれれば」と言っていたお父さんが。
あのお父さん、息子がイラクへ行くとしたら、なんて言うんでしょう?

「立派に死んでこい」

そう、言わないことを祈ります。


望まれずに行く。そんなつらい仕事って、ないですよね。
それも命がけ。自分の、そして、相手の。

もしも、罪のない人の命を奪ったら、どうします?
殉職して、2階級特進しても、それがなにになりますか?

逃げましょう、あたら命を落とさないために。
逃げましょう、誰も殺さないために。

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こんなことを思って、書いて。

自衛隊をイラクへ送るな、と言えるのかな、ぼくが。

ぼくは、まがりなりにも、今の政治・経済体制を形作っている一員。
現在の政府首脳を選択した責任は、ぼくら国民にある。
戦後のGHQのように、イラクのアメリカ軍のように、武装勢力が乗り込んできて仕立て上げた政府じゃない。

嫌でもなんでも、小泉さんの発言は、ぼくらの言葉。
世界の中の日本は、やはりアメリカに追随するニッポンだ。
それを支えているのは、やっぱりぼくら。

総理大臣が「軍隊だ」とはっきり認めた自衛隊。
今回、“日本軍”として、初めてのおつとめとなる。

それが成功(なにが成功か、わからないけど)に終わるにしろ、ごうごうたる非難を浴びる結果となったにしろ、“日本軍”が海外で活動した事実と実績は残る。

次は、堂々と、出て行ける。

止めるためにはどうするか?

一番簡単な意見表明は選挙。
だけど、この間の総選挙では、有権者の四割が棄権した。
唯一と言っていい、声をあげる場を自ら放棄した。

そんなぼくらが「イラクは」「自衛隊は」と言ったところで、為政者は痛くもかゆくもないのかもしれない。


ぼくは今まで、選挙で投票した人が当選したことがない。
落ちる人を敢えて選んでいるわけじゃないけど、これを、死に票と言うのかな。

でも、いつかは生きる一票になる。

そうでも思わないと、ぼくも権利放棄をしてしまいそうだ。


番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM=Eric Clapton 『One More Car, One More Rider』


あぢ・・・。

南向きの部屋にいたら、窓ガラス越しの日差しがじりじり。
陽のあたっている畳に触れると、ぴっと手を引っ込めるくらい熱を持ってる。

12月も、もう10日。なのに、この陽気はなんなの?

最低気温3.5℃。この冬、一番の寒さ到来!
なんて言っていたのが、ほんのおととい。

先週買った湯たんぽ、ようやく活躍する時機到来と喜んでいたのに。
今は、昨日の冷えたお湯が入ったまま、机の脇にごろん、転がっている。


パソコンを使わない時は、南向きの部屋で仕事。
暖房いらずだし、エネルギーの節約にもなるし、地球温暖化もほんのちょっぴり防げるし。

ま、それは言い訳で、パソコンに向かって仕事をすると、いつの間にやら、インターネットで遊び出してしまうのだ。

適当な文字を入れて検索して、面白そうなページをあっちこっち、覗いたりしてると、すぐに1、2時間はたってしまう。

初めてネットにつないだ月のこと。
まだダイヤルアップで、使い放題じゃなかった頃だ。
嬉しくて、パソコンに向かって仕事をしているようだけど、実はネットで遊んでる。
そんな日々が丸々一ヵ月間続いた。

「使用料が大変だろうなぁ」とびくびく。

そしたら、NTTの回線使用料が7万円強!
プロバイダーの使用料も7万円強。合わせて15万!

ひえ~っ、遊びすぎぃっ! 反省したけど、もう遅い。
しっかり、引き落とされ、口座はマイナスに落ち込んだ。

それを考えると、つなぎっぱなしで定額料金っていうのはいいもんだなぁ。

でも、15万もかかったものが、今はもっと早く、しかもつなぎ放題で数千円。
なんで?

やっぱ、インフラ整備のおかげなのかな?

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しかし、暑い。

フリースを脱ぎ、トレーナーを脱いでも、まだぽかぽか。

こんな中、漢字とカタカナで書かれた資料を読もうというのが間違ってる。
気持ちは、真剣そのもの。
まなじり決して文字を見つめるけど、決していられる時間が5分と持たない。

あくびがでて、潤んだ目を拭きながら・・・あぁ、眠い。


ぽかぽかだから、ネコ助は大元気。


赤ペンアオたろ


ぶみゃっ。ふぎゃ?。あぉん。

ひとりごと言いながら、飛び回る。

ごろんと横になり、ざぶとんの端を両前足でしっかとつかむ。
そして、後ろ足でネコキック連発!

がしがしがしがしっ、あ~うるさかっ!

こら!、とにらむ。
ネコキックを停止したネコ助は、まん丸目玉でぼくを見て、

「どや? 遊んだるで!」

ごきげんネコ助は、関西弁。

手を伸ばすると、しゅぱっと飛び起き、電光石火、テレビの上へ。

「へへん、つかまるようなワテやあらへんで~」

う~ん、小憎らしい。
それならこちらも秘密兵器。
ネコ助大好きな、青いヒモで対抗だ。

ほれほれ、ちょろちょろ、楽しいぞぉ。

「お! それ、ワテにくれっ」

じゃれついてきたところ、がしっ、御用。  どんなもんだい、まいったか。

ところが、うちのネコ助、短毛な上に柔軟極まりない。

ぐねぐねうにうに、にゅるりん、しゅぽん。

ぼくの手のひらにしっぽの感触だけを残し、こたつの中へもぐり込む。

待てっ!

こたつ布団をあげて、中をのぞきんだ。  あら、いない?

どこへ行ったか、周囲をきょろきょろ。
すると、ネコ助、CDラックの上で毛づくろい。

おい、もう終わりか?

「は? なんのことだす?」

いいな、お前は。忘れっぽくて。

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午後のワイドショーでは、イラクへ自衛隊が行く話。

現地の人は、「企業を連れてくる日本人、歓迎。軍隊、いらない」。

遺憾ながら、企業は行きません。
お国に伺うのは、そう、軍隊です。

我は“ジエイタイ”、軍隊に非ず。
そう言ったって通用しない。
装甲車に迷彩服。携帯する銃。どこから見ても軍隊だ。

去年だったっけ、小泉さんが「自衛隊は軍隊」だと明言したのは。
その発言を、メディアは不思議なほど取り上げなかった。
自衛隊は軍隊だと言い切った首相は、小泉さんが初めてなんじゃないのかな?

自衛隊という名の日本軍。
米軍兄貴のお手伝いに、おっとり刀で駆けつけた、見るからに頼りない弟分。

そんな、米軍の弟分との立場で参入するのか、復興自立を目指すイラクの人をサポートするのか。
どっちなのかはっきりしさせないと、イラクの人たちを混乱させるし、自衛隊派遣以降、民間の支援もしづらくなるのは目に見えている。


-今、自衛隊を派遣しないと、アメリカとの関係が悪くなる。

そうかもしれない。
アメリカを中核とした政治・経済体制の中で、日本は大繁栄。
こんなにちっこい国なのに、世界第二の産業立国へとのぼり詰めた。

その位置、今の生活を維持しようとするならば、アメリカ追随の決断は、日本運営責任者である首相として当然でしょう。

小泉さんは、ぼくら国民が選んだ首相。
んなこと、あるかい!、というのが実感だけど、諸外国はそう思う。

日本国民が選挙をへて政治家諸子に託した思い。
そこから出てきた国際貢献のひとつが、自衛隊のイラク派遣。

それは日本人の総意じゃないかと言われたら、抗いがたい。


進むばかりがいいことじゃない。
立ち止まり、振り返り、時には後戻りすることも大切だ。

GNPなんて、下がってもいいやんか。
給料、減って、おかずが一品、少なくなっても、死にはせぇへんで。

番組構成師の部屋

“ネコ助-Aoi’s Room”

♪今日のBGM=Dave Mason & Jim Capaldi
                    『Live - The 40,000 Headmen Tour』


買い物に行く。

『袋につめ放題! 200円!』

ポップが踊っている。

小さなサツマイモ、里いも、ニンジンの三種類。
備えてある袋に詰め込めるだけ詰め込んで、200円。安い、ひじょ~に。

奥さまたちが、むらがっている。
用意されているビニール袋がちぎれんばかりに押し込む奥さま方。
まなじり、決してる。

割り入っていく勇気がない。

ぼくは、かなりな小心者。

ひとり暮らしの学生時代から、買い物は慣れている。
そのはずだけど、今でもどきどき、緊張する。
買い物がすんで家に戻ると、ほぉ~っと安堵のため息が出る。

これは遺伝だ。
かなり前のことだけど、母がこんなことを言っていた。

「お魚屋さんで、これくださいって言えるまで、何日も、何ヶ月も、何年もかかったよ」

朝鮮半島で生まれた母は、女学校に入学するため、ひとりで九州へやってきた。
そして、戦争が始まった。

10代半ばからのひとり暮らし、戦争も体験した。
お嬢さん育ちではない、それなりに苦労している人間のはず。
なのに、魚屋で「この鰯、ください」と、いつまでも言えなかった。

ちゃんと買い物ができるようになったのは、結婚し、旦那に三度三度のご飯を作らねばならない状態に追い込まれてからのこと。

その話を聞いた時は、「あほじゃなかろか」と思った。
けれど、ぼくもやっぱり、買い物はヘタ。

今は昔の魚屋のようにごろごろ魚が並んでいるんではなく、パックになっているから、いちいち「この鯵、ください」なんてことを言わずにすむ。

しかし、内臓を出したり、二枚に下ろしたりは店員に頼む。
自分でできなくはないけれど、本職に頼んだ方がきれいだし、何より手が省ける。

お願いする。そのひと言を発するのが、なかなか難しい。
値頃な鯵一匹を眺めつつ、逡巡する。

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今日の昼、高校時代の友人が訪ねてきた。

Tは、中学の教師。今日は大学の教職課程に特別講師として呼ばれ、中学教育の現場について300人の学生の前で語ってきたという。

昔の彼を知っているぼくには、ちょっとした驚き。
Tは小心者だった。

高校1年の時の同級生。だが、彼は中学浪人をしているのでひとつ年上。
さらに、大学へ入るまでに3年間、足踏みをした。
高校、大学とストレートで入学した中学の同級生が卒業する年に、Tは大学生となったわけ。

Tは東京で2年間、浪人をした。下宿は、ぼくのアパートのすぐそば。
農業をやっていた彼の家からは、米が送ってきた。
息子をよろしく頼むという、親の切ない願いを感じた。

浪人3年目、東京で2年目の志望校の受験日。
ぼくは彼に弁当を作ってやった。
どんな弁当だったか忘れたけど、とにかく合格して欲しい。そう思って作った。

試験を終え、Tがぼくの下宿にやってきた。
弁当はそのまま。箸をつけていなかった。

どうして食べなかったのかと聞くと、

「箸がついとらんやったけん・・」

ばっかやろぉ! 箸がなかくらい、なんやぁ!
となりのヤツから借りるとか、試験官に頼むとか、できるやろが!
手づかみだって、食えるやないか。小心者ぉ!

お前、腹減ったまま、試験、受けたんか?!

「あぁ・・」

八の字眉を一層下げ、申し訳なげにうなずくTに、ぼくは無性に腹が立った。

箸を入れ忘れたのは、ぼくだけど。

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Tは、志望校へ入れなかった。

彼は、他の大学の夜間部へ進んだ。
そして、故郷で中学校の教師となった。

高校の頃から、中学の教師になると言っていた。
初志を貫徹したわけだ。

Tが新任の教師として教壇に立ち始めた頃、ぼくは会社を辞め、プー太郎になった。
なにをしたいのか、わからなかった。

その年の夏、帰省した時、Tの家で飲んだ。
彼は、新任にもかかわらず、生徒の生活指導担当になっていた。

中学校は荒れ放題。生徒の心はすさんでいる。どうすれば生徒に近づけるのか?

Tは、悩んでいた。
ぼくは、きちんと地に足がついているTを少し尊敬している自分に気づいた。

それからずっと、彼は社会科を教えつつ、生活指導担当として、中学生と格闘し続けてきた。

今日、家に来たTは、豊富な経験を持ち、生徒のことをまず考える、そんな教師になっていた。

人の良さげな八の字眉は、あの時のまま、変わらないけれど、

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「この鯵、二枚に下ろしてください」

そのひと言が言えなくて、今日の夕餉はサバフグの煮付けに。
おいしかったけど、ちょっと反省。

明日は、しっかり、お願いしよう。



番組構成師の部屋

♪今日のBGM=David Gilmour 『About Face』


気になる。

「通院している」(または「通院していた」)という表現。
最近、しばしば耳にする。

先日、家族4人が死傷する事件が起きた。
親戚の男性が容疑者として逮捕された。

テレビの報道で、男性は「わけのわからないこと」を語っており、「通院歴があった」とコメントされていた。

この「通院歴があった」というのは、どういうことなのか?
精神的疾患を扱う病院または診療科を訪れ、治療を受けていた、ということだろう。

人の病歴・通院歴などは、プライバシーにかかわる秘密のはずだ。
ニュースのこのコメントは、誰の許可を得て、全国へ向けて発信されているのだろう。
逮捕された男性が、自分の通院を披瀝していいと言ったのだろうか。

そんなことは、考えられない。

まず、なぜニュースのコメントに「通院歴がある」という表現が必要なのか?
そして、ぜひ必要な情報ならば、なぜ「精神科に通院」と言わないのか?

「通院歴」ならば許されて、「精神科」では許されない。

よくわからない。

精神病は、人間の数多ある病の一種だ。
他の病と同じく、罹患した人は、そして家族は、悩み、苦しみ、快癒を願う。

神にもすがる気持ちの患者や家族に、「通院歴」という言葉は、冷水を浴びせる。

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精神異常などという言葉は、差別を誘発する。
放送や出版などのマスコミでは、使わない方向へ向かっている。

しかし、入れ替わるように登場した「通院歴」という言葉。
これが新たな差別用語として定着するのではないか。
そんな気がしてならない。

“差別用語”と書いた。
だが、言葉が差別の要素を含むのは、その使われ方による。
胃腸病による「通院歴」と、精神疾患による「通院歴」。
同じ言葉でも、まったく違うこととして扱われている。

今、ニュースで「通院歴があった」という言葉を聞いた視聴者の頭に浮かぶのは、「あぁ、アタマを病んでるのね」ということではないのか?

人々がそう連想するベースを作ったのは、テレビ局だ。
マスコミであり、ジャーナリズムを自認するテレビ局。
それが新たな差別用語を生んでいる。

繰り返す。
言葉が差別用語となるのは、その使われ方によるのだ。


ぼくは小学校低学年の頃、小使いさんの部屋へ行くのが好きだった。
痩せぎすの、メガネをかけた初老のおじさんは、虚弱で精気薄い小僧っ子をかわいがってくれた。
小使いのおじさんは、ぼくの友だちだった。

いつの頃からか、“小使いさん”という言葉は聞かれなくなった。
“小”さな“使い”という表現は、差別だという。
そのかわり、用務員さんと呼ぶようになった。

ぼくのこころの中で“小使いさん”という言葉の響きはあたたかい。
だが、そう呼ばれることが苦痛な人がいるのならば、その表現はやめるべきだ。

しかし、それにかわる新たな言葉、「用務員」という言葉を、差別の観念を持って使う時、差別をするされるという実態には、なんの変化も起こらない。

使う方の心が変わらない限り、言葉をかえてもなんの意味もないということだ。

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「精神病歴」にかわる言葉として「通院歴」を用意した。
ただ、それだけのこと。
そこには、その言葉を使うことで差別する側に立つ、という認識がみじんもない。

精神を病む人と話したことがある。
その人は、恐怖を感じながら一刻一刻と刻まれる時を過ごしていると言う。
自らがわからなくなる時があるからだ。

自分を失った時、その人は粗暴になったりすることはない。しかし、自分自身がわからなくなること自体が、耐えられない不安、そして苦痛なのだ。

その不安を、「通院歴」という言葉は、限りなく肥大化させる。

頻繁にテレビから流れ出る「通院歴」という言葉。
多発する「通院歴のある」人の犯罪。

自分もいつか放送でそう呼ばれる時がくるのではないか・・・・。

いだく必要のない、かかえきれない不安を、精神を病む人は押しつけられる。

今、“多発する”と書いた。
しかし、精神を病んでいる人の犯罪率は、病んでいない、つまり“正常な”人間の犯罪率よりも低いのだ。

なのに、報道で「通院歴」をことさら付け加える理由がわからない。
その言葉に、人々は自分の周囲の人間たちを信じられなくなる。
疾患を持っている人は、疑いがかけられないかとおびえる。

どこにプラスの要素があるのだろう。


現代人は、100人にひとりの割合で精神を病んでいるという。
いや、10人にひとりという統計もある。
ただ、症状として現れていないだけ。キャリアーということ。
誰もが、明日、“通院”する可能性を持っている。


神経を病む人も増えている。
うつ病と診断された知人は、

「とうとうオレもキチガイになった!」

と、うめいた。

違う。胃潰瘍と同じように、体の一部が病んだだけ。
それが、脳の神経伝達物質に関係しているということだけだ。
胃潰瘍と同じように、投薬し、安静にしていれば、じき、恢復する

問題なのは、知人が「キチガイになった」と思い、実際にそう表現したこと。
その程度の認識しかないのだ、自分は普通だと思っている人たちは。

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「21st Century Schizoid Man」

プログレッシブ・ロックの老舗“King Crimson”の名曲だ。

この曲の邦題は、「21世紀の精神異常者」。
ぼくが持っているCDの1986年付けの日本語解説文は、このタイトル表記になっている。

しかし、今は、どの音楽雑誌を見ても、このタイトルは使われていない。

「21世紀のスキッツォイド・マン」

それが新たな表記。「精神異常者」という言葉をあえて使わないようにしているのは明らかだ。

「スキッツォイド・マン」と言われても、なんのことやらさっぱりわからない。
が、無用な差別を避けるためには必要な措置だと思う。


だが、いずれ、このタイトルが「21世紀の通院経験者」となる。
そんな恐ろしい社会が到来するかもしれない。そんな想像にかられる。

あり得ない。

そう思いたいけれど、今の状況を見ると、思い切れないのが不安なのだ。
限りなく。

番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Elvis Presley 『That’s The Way It Is』



いきなり冬。

最高気温が8度。昨日より10度低い。
もうちょっとなだらかに下がっていってくれんと、体がついていかん。

でも、42.195キロ、走る人たちにはちょうどいい。

「福岡国際マラソン」。
毎年、必ず見てるけど、今年でもう57回目。すごい回数、知らなんだ。

第1回は、昭和22年。戦後も戦後。福岡の街はまだ焼け野原だったろう。
博多は引きあげ港だったから、大陸からふるさとへ戻る人たちが街にはたくさんいたにちがいない。

その福岡の街を42.195キロ、走った選手たち。
食べ物も満足になかったろうに、よくこの距離を走れたもんだなぁ。
大感心。

第1回、1位の記録は、2時間45分45秒。
今年、福岡国際マラソンに出場するための標準記録は2時間27分。
昭和22年の1位選手は、今年の大会に出場することさえかなわない。
それでも、素晴らしい記録には違いない。

現在の男子マラソン世界記録は、今年の9月、ベルリン・マラソンでケニアのテルガト選手が出した2時間4分55秒。昭和22年と比べると、40分以上早くなっている。

40分とな!

飛行機で、福岡から宮崎まで行けてしまう。
テルガト選手がゴールした時、昭和22年に1位となった選手は、30キロを少し過ぎたあたりを走っていることになる。

近いうちに、2時間を切ってしまうんじゃなかろうか?
2時間を切ることはあり得ないと言われているけれど、動物としてのヒトの可能性も、はかりしれない。

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博多の町を選手が駆ける。

その姿を、正面から、バイクから、ビルの上から、カメラがとらえる。
こたつでごろごろしながら、今ごろ現場は大変だろうなぁと思う。

テレビ局に出入りするようになって初めてマラソンの放送マニュアルを見た時、そのぶ厚さに驚いた。ちょっとした月刊誌並み。
そして、その細かさたるや・・・・これを作った人間の頭脳はどんな回路になっているんだろうかと思うくらいに細かい。

そのマニュアルを見るまで、カメラの画像を切りかえるポイントを押さえるくらいかなと思っていた。
ところがどっこい、レースコースのどこで、どの看板を映すか、または映さないか、までがきちんと決めてある。

カメラマンは、単に選手を撮っているのではなかったのだ。
それを知った時、次にマラソンを見る時にはエリを正してみなければと思った。
結局、ごろごろしながら見たけれど。


大きな大会になるほど、決め事は多いらしい。

コースに面したスポンサーのビルボードは、何秒間、映すこと。

トップでゴールした選手の肩に、スポンサーのロゴや名前の入ったバスタオルをかけること。

トップでゴールした選手が欲しがろうと欲しがるまいとにかかわらず、スポンサーのドリンクを渡そうとすること。

トップでゴールした選手の肩にかかるバスタオルのロゴを、何秒間以上、映すこと。

レース中に映し出されるスポンサーのロゴや名前の総トータル秒数は、何秒以上であること、等々・・・・・・・・・・あぁ、スポンサー、恐るべし。


ある大会で、トップの選手にかけたタオルとカメラとの間に局の女性スタッフが入ってしまい、スポンサーのロゴが映せなかった。

「あの女は、なにをやってるんだぁっ!」

プロデューサーは、烈火の如く怒り狂ったという。   こわか~。

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現場って、ほんと、大変だよなぁ。
トイレに行きたくても、行けないし。

ごろごろしながら見ていると、もう30キロを過ぎ、折り返し。
昔は、コースが海の方へと走っていたので、景色もきれいだった。晴れた日は玄界灘が見える。

コース変更になって記録は出やすくなったけれど、画面的には変化に乏しくなった。

フランク・ショーターが四連覇をした頃は、まだ海の方へ伸びるコース。
トップを走っていたショーター選手が、沿道の旗をちぎってコース脇の草むらへ入り、用をたすことができたのも、昔のコースであればこそ。
現在のコースでは、人目を避けて腰を落とす場所はない。

と、書いたショーター選手のエピソード。有名なのだが、本当だろうか?
ショーター選手がトップを走る姿は記憶にあるけれど、草むらへ駆け込むシーンは覚えがない。

以前、市民マラソンの番組を作った時、主人公のおじさんがコースをはずれ、建物の中へと走っていった。
あれれ?と思って見ていると、おじさんは数分後に出てきてレースに復帰。
にこにこしながら、

「200グラム、出してきたからね。ますます早くなるぞぉ!」

と言った。
今日のレースが国際大会だからといって、このおじさんのようなことがないとは言い切れまい。

しかし、レースは、用をたしたくてもできないであろうデッドヒート。
終盤まで日本選手3名が競い合うという、近年にない展開だ。


結局、トップでゴールしたのは、ヱスビー食品の国近選手。
大学時代を含めて3連覇、計4回優勝している瀬古監督だけど、教え子が優勝した気持ちはまた格別だろう。

ちょっと気の毒なのは、優勝候補の大本命と目された高岡選手。
3位に“終わった”と、念を押すように何度も言われている。

2時間7分台、素晴らしい記録なのだが、追われるものはつらいねぇ。

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今日のレースは、10位までが2時間10分を切った。

ほんの数年前まで、一流マラソンランナーの代名詞のように使われていた「サブ・テン」。それも、もう死語のようだ。

来年のアテネオリンピックに出場できる日本選手は3名。今日のレースぶりや記録から、その1名は国近選手で決まりだろう。
あとの2名は誰なのか。来年のマラソンが、また楽しみ。


きっと、今日のレースはいい視聴率だったに違いない。
しかし、ただ走るだけの競技がなぜ面白いのか?
アメリカ人には理解しがたいという。

マラソンをスタートからゴールまで見続けるのは日本人だけ、というのはほんとかな?
韓国の人も見そうだけれど。


番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Johnny Winter 『Still Alive and Well』



まいるなぁ。

連絡も、な~んもこない。

ぼくがテレビ関係の仕事を始めて一番驚いたのが、ほとんどの皆さんが時間にルーズなこと。ちょっと信じられないくらい。

昨日、海外の取材先からぼくにFAXを送ろうとしているというTELが夜11時過ぎにあった。

「FAX、きてないよ」

「じゃ、もう一回(しばし無言)」

「こない。ダメだね」

「じゃぁ、食事してから、また連絡します」

そう言って、ディレクターは電話を切った。

当然、ぼくは待つ。
普段、11時台には寝てしまうのだけど、「食事をしてから」と言うからには小一時間はかかるだろうと思って待つ。

な~んもこない。FAXも電話も。
やっぱりねぇ、毎度のことだ、と思いつつ、万が一ということもあるから、1時まで起きてて、連絡なかった寝ちまおうと決める。

で、WEBで遊んだり、歯を磨いたりしながら、1時。
やっぱり、思った通り、な~んもこない。

こんな体験、数え切れない。


先日、ふたつの局でふたりのディレクターと打ち合わせをした。その時、ふたりとも、異口同音にこう言った。

「すぐ、資料、ダビングして送りますから」

なんにも届かない。
あれからもう2週間がたとうとしてまっせ。

「すぐ」っていうのは、遅くても3、4日。それがぼくの感覚なんだけど、局の皆さんにはまったく通用しない。

ぼくは、会社員生活を10年やっていたから、自分が仕事相手に言ったこと、例えば「後ほどお電話します」とか「○日までにご連絡いたします」といった言葉の重要性を知っている。

もし、メーカーの営業マンが、この局の皆さんのように時間にルーズだったとしたら、信用失墜、即座に配置換えとあいなるだろう。別にメーカーでなくても、局の営業マンでも同じはずだ。

しかし、制作セクションの皆さんは、時間の観念があるようで、実はない。
「食事をしてから、連絡します」と言った電話先には、その言葉で拘束された人間がいるのだけれど、その存在が思考からすぐ消えるのだ。

取材の時は、そんなことをしたらインタビューなどとれないから、現場ではきちんと時間管理をしているのだろう。

その反動が、日常の時間的ルーズさに出るのかなぁ?

ぼくはもう慣れたから対処できるけど、もしそのまま他の業界へ転職したら、あっと言う間に“窓際行き”になりまっせ。


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今日は、大先輩からTEL。

「FAX、届いた?」

「いえ、来てませんけど」

「あら、そ。じゃ、今から送る」

それから6時間。な~んも、こん。

実は、この方の“今から”は、2、3日中という意味でもあるのだ。
しかし、時には、何も送ってこないまま、

「できた?」

すみません、それはムリです。


昨日の金曜日、ある局のディレクターがメールに資料を添付してきた。
そして、ひと言、

「ラフは、月曜で結構です」

ふむふむ、土日に働けっていうことね。で、自分は休むのね。
はいはい、毎度のことで慣れっこですけど。フリーに曜日は関係ありまへんから。


ぼくは、自分の取り柄、言ってみれば“売り物”は、尻の軽さと、時間を守ること、このふたつしかないと思っている。

番組の構成は、時間をかけて、じっくりやれば、誰にだったできる。
ぼくは職人のつもりでいるし、今も修行を続けているつもりでいる。
だが、職人として、他の人よりも優れた構成となっているかと問われれば、「さぁ?」と首をかしげざるを得ない。

しかし、呼ばれれば即飛ぶ、頼まれた時間は守る。
それだけは他の人には負けないという自負がある。それだけで今の仕事を続けていて行けているようなものだ。

だけど、それも相手の出方による。
時間にルーズなディレクター陣の中にも、きちんとしたディレクターが数人いる。その人たちは、ちゃんとタイムスケジュールを考え、提示してくれる。

そうしたディレクターたちの仕事の方を、どうしても優先せざるを得ない。
ルーズな方は後回し。それは理の当然だろう。

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今日、FAXを送ると言った大先輩殿。

まだ、なにも届きません。
こちらからお電話しても、結果は見えているのでご連絡いたしません。
しかし、

「年内に台本、仕上げないと、間に合わないから」

そう言ったのはあなたですけど、仕上げるのはワシでっせ。


大晦日の除夜の鐘。

煩悩を払うあの響きを、ぼくはまたパソコンの前で聞くのかしらん?


番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Aretha Franklin 『Aretha Live at Fillmore West』


お昼を食べながら映画を見る。いつものパターン。

映画といっても、頭から終わりまで、一本丸々見るわけじゃない。
見慣れたモノを、見たいとこだけ、見る。
じゃないと、毎日、午後は映画鑑賞の日になってしまう。

だから、寅さんとか、ポワロ(映画じゃないけど)とか、シャーロック・ホームズ(これも映画じゃないや)とか、シリーズ物になる。

今日は、寅さん。
さくらの夫・博が勤める工場の娘・あけみが家出をする話。

寅さんは全作品、少なくとも3回ずつは見ているし、以前、文庫で出ていたシナリオ集も持ってたりするから、次にどんなシーンがくるか、皆わかる。

マンガの『トムとジェリー』と同じだ。『トムとジェリー』も、

「この角を曲がると、トムがシャベルを踏んで顔がひらべったくなる」

てなことが瞬時に浮かぶ。同じような人、多いに違いない。
三つ子の魂百まで。そら恐ろしや。


いつものように、とらやの座敷で寅さんの心配をし、自宅へ帰るさくらと博。
博は、小脇に雑誌『世界』をかかえている。

『世界』か・・・。

大学へ行きたかった。でも、大学教授の父親に反抗し、家を出て、結局出て行けなかった男。
印刷所の職工をやり、額に汗しながら、地道に学ぶ生真面目な男。

そんな博の性格設定に、山田洋次監督は雑誌をよく使う。

『世界』を読んでいると、ちょっとインテリ。
目覚めようという意欲に燃える、または目覚めたいと、あがく人間。

そんなイメージが、昔は確かにあった。

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『世界』 『朝日ジャーナル』

学生時代、毎号、必ず買っていた。
読んだのだろうか? さっぱり覚えていない。

オレは今、読まねばならぬ。
そんな焦りが、その頃はあった。

大江健三郎
『死者の奢り』 『鯨が死滅する日』 『持続する志』 『厳粛な綱渡り』
『沖縄ノート』

安部公房
『壁』 『砂の女』 『他人の顔』 『砂漠の思想』 『終わりし道の標べに』

柴田翔
『されどわれらが日々』 『立ち尽くす明日』 『ノンちゃんの冒険』
『燕のいる風景』

高橋和巳
『邪宗門』 『我が心は石にあらず』 『非の器』 『堕落』 『わが解体』

どれも読んだ。

なにが書かれていた? 心に残っていない。なにも。

はたちそこそこ。まだ若い自分。だからこそ、今、読む“べき”本。
そんな思いで手に取り、ページをめくり、文字を追う。

確かに、読んだ。 思い出せない。なにも。

あの頃の読書は、なんのためにあったのだろう?
誰のために、読んでいたのだろう?
自分のためであるはずなのに、読まされていたように感じる。


記憶に残っていることもある。
大江さんは、学生時代に『死者の奢り』を書いた。

「んじゃぁ、オレにも書けるんじゃない?」

そう思ったわけじゃない。そう思えた方がよかった。
年齢だけが気になった。

はたちそこそこで、自らの考えを織り綴り、人の心をつかむストーリーに仕立てることのできる人間がいる。

オレには、それができるのか? オレに、なにかがあるのだろうか?

その思いがつきまとっていた。

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焦っていた。すごく。
追われていた。なにかに。

そのなにかを探して、活字の羅列に目を落としていたのだろうか?

ベルボトムのすそを縫いつけたバッグの中には、何かしらの本、『世界』、『朝日ジャーナル』・・・・どれかが入っていた。
持ち歩いていないと落ち着けなかった。

踏み外すと、奈落に落ちていく。
そんな漠とした不安が、周囲を取り巻いていた。

アパートの部屋にいる。部屋は、無限に、果てしなく広がる空間だ。

かと思えば、周囲を取り巻く漠とした不安が部屋の中へ侵入し、ぼくをゆっくりと飲み込んでいく。

つげ義春に、そんな漫画があったっけ。


今、この現在、ここに存在する。

それが、苦痛だった。
その意味が、わからなかった。

そんなことに、意味などないのに。

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せき立てられるように読んだ本。
それは、もうない。

東京を出る時、学生時代の本の大半は処分した。
古本屋さんに部屋へ来てもらい、その場で買い取ってもらった。

高橋和巳の『邪宗門』の初版本も売った。  初版本だし、高いかな?
少し期待したけど、「○○さんへ」と贈与先が記してあったので、上下巻合わせて千円にもならなかった。

○○さんは知る人ぞ知る活動家。でも、高橋和巳も○○さんも人気がないから初版本でもこの程度。それが古本屋主人の見立てだった。

本には、三文判で自分の名前を押していた。
自由が丘の古本屋には、“元ぼくの本”が、今もきっとあるに違いない。


昔の自分を手に取ってみたい。そんな気もする。


番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Frogwings 『Croakin’ at Toad’s』


今日も、やっぱり12月。
でも、昨日と同じく、18度。

どないなっとんのかなぁ、日本の四季は。

昨日に引き続き、「な~んもしとうないモード」だったけど、そろそろ資料を読んどかにゃ、土曜日には取材スタッフが帰ってくる。

「な~んもしとうなかったけん、な~んもせんかったよ」

そう言い放つ度胸があるでなし。
太陽がさんさん入る南の部屋へずるずる移動して、資料をめくる。

あ~、背中があったかい。アタマがぼ~。
活字を目で追う。
ち~ともわからんどぉ。    あら、ページを飛ばしてた。

さっぱり、気づかなんだ。


気づかないと言えば、昨日の朝ワイド。

某大学の推薦枠入試で、試験問題にあまりにも多くの間違いがあり、受験した生徒全員、定員のほぼ倍の人数を合格にしたそうな。

「“微”妙」を「“徴”妙」と間違えたり、「封建的」とすべきところが「合憲的」となっていたりと、ミスがぼろぼろ。

こりゃ、チェックをまったくしとらんなぁ。大学の教官が作ったとは思えない。

まぁ、全国的に恥はかいたけど、定員割れするどころか、倍の入学金が入るかもしれないのだから、大学側はあんまり気にしてないかも。

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おかしかったのは、この“珍事”をおもしろおかしく伝えようとしていた朝ワイド。

キャスターが、

「この大学のこと、笑えないね。この番組も間違い多いし」

とギャグを飛ばし、出演者がひとしきり笑ったところで、アナウンサーがフリップの試験問題ミス正誤表を示しつつ、

「こんな間違い、してたんですよ。『びみょう』を『ちょうみょう』でしょぉ!」

常のように、オーバーな口調であおり終わったところでCMへ。


CMあけ。
アナウンサーが、いきなり謝り始める。

「誠に、申し訳ありません、すみません」

スタジオには、笑い声。「いやだ、もう」という女子アナの声も。

へぁ? どしたの?

アナウンサーが試験問題ミス正誤表を出して、

「うちも間違っておりました!」

ほぉ、なるほど。

ミスを訂正するはずの正誤表。
『合憲的』 → 『封建的』   と記すべきところ、
『合憲的』 → 『封“憲”的』 となっとる。

こりゃ、恥ずかしいわ。

他人のミスを笑おうとしている当人が、さらに輪をかけミスってる。
一番恥ずかしいことだわね。

誰が文字を打ち、フリップを作り、文字チェックをしたかは知らないが、他人の失敗をあげつらう時は、自分の脇を固めなきゃねぇ。


この番組も間違いが多いという、キャスターの言葉通りになったわけ。
見事なオチ。めでたし、めでたし。

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文字スーパーのミスは、ほんとに多い。
ちゃんとチェックしているのに、ぽろぽろこぼれ出る。

以前、2時間番組をやった時、文字スーパーのミスが出た。
「元帥」の「帥」という文字を、「教師」の「師」と間違えてしまった。

横棒一本の違いだけ。いいじゃんか。

とは行かなかった。
番組の重要な人物の階級だったので、2時間の間に何度も何度も「元師」のスーパーが出る。

「元帥という階級をどのようにこころえておるのかぁっ!!」

オンエア中、局にさっそく怒りの電話。
対応するディレクター。ひたすら謝るしかない。完璧に間違っているのだから。


しかし、不可思議。
この文字スーパー、ディレクターが書き、美術さんが文字を打ち、編集マンが画面に入れ込み・・・・などなどの過程を経て最終的にできあがるまで、少なく見積もっても、のべ40個は下らない数の目玉が見ている。

なのに、誰も気づかない。

できあがると、オンエア前に最終チェックをする。
その時も、誰も気づかない。
その場にぼくもいたけれど、まったく、何にも、気づかなかった。

なのに、オンエアを見ていて、最初に登場した「元“師”」の文字に凍りつく。

なんで? あんなにチェックしたのに、なんでなの??

取り返しがつかん。あとは、ぼろぼろ。見てられん。
出来映えなんて、どうでもエエわ。

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文字校正というのは、難しい。

ぼくは、編集関係の仕事をしている時から、ダメだった。
ぽろぽろぽろぽろ、見落とす。

文字を知っていないと、校正ができないのは当然。
だけど、難しい文字は誰もが注意するからミスは少ない。

ミスが多いのは、簡単な文字。自分ではチェックしているつもりでも、脳みそが勝手に「合ってる」と思ってしまう。

文字ひとつひとつに、平等に気を配る。そんな繊細な神経の持ち主じゃないと、校正という仕事はつとまらない。


「元“師”」事件は、今の仕事を始めて3年目くらいの時のこと。

あれから10年近くたったけど、文字スーパーの間違いは、確実に多くなっている。ワープロの変換に頼っているからかもしれない。

しかし、ワープロで「ほうけんてき」と打ってリターンキーを押しても、「封憲的」とは変換しないだろう。

いったい、どうやって間違えたのだろう?
昔のように、今も一文字ずつ打ってるのかしらん?   やっぱ、不可思議。


番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Chet Baker 『Sings』


もう12月。
なのに、朝から太陽さんさん。18度。小春日和、極まれり。

季節はずれの、こんな日が、一番調子が悪い。
冬に向かうものと思い込んでいる身体が、気まぐれな季節についていけない。


洗濯物を干して、さて・・・・・・・・・・何もしとうない。
ぼや~っとテレビを眺める。

ダウナーの時、ごろごろできるのはフリーの特権。
あとで困るのは自分だからエエのだ。


たま~に朝のワイドショーを見ると、おもしろい。
今、視聴者がどんな情報を欲しがっているか、否、欲しがっていると制作側が思っているかが、よくわかる。

なんてことを、ちゃんと考えながら見てるわけじゃない。
ひたすら、ぼや~。


あぁ、武富士の会長が捕まってる。
一代であれだけの金を稼ぎだしたのだ。疑心暗鬼にもなるだろう。

でも、悪いことと知りつつやるなら、盗聴器しかけるのも、全部自分でやんなきゃね。
仲間や部下がいたら、必ずバレる。

サラ金か・・・・。

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学生の時、下宿していた部屋の隣人には、当時はまだ新しい言葉だった“サラ金”から、毎日、督促状が届いていた。

一階は大家さん。二階がアパート。
入り口は一階にあり、ドアを開けると下足場に、いきなり急角度の階段。
下足場には、かまぼこ板で作ったような郵便受けが部屋の数だけ並んでいて、ぼくのとなりは、督促状であふれていた。

ハガキに朱文字で書いてある。読みたくなくても、目に入る。
今のような、回りくどい表現じゃない。
「さっさと返さんと、押し掛けるでぇ」的なことが、表現を変えて毎日届く。

ぼくは、正直、恐かった。

となりの住人は50代らしきたっぷり太ったおじさんで、数回、言葉を交わした程度。
その数回で、肝臓が悪くて働きたくても思うように働けないことを、おじさんは関西弁でぼくに訴えた。   はたちのぼくに。

正直、かかわりたくなかった。


夏。陽が暮れかかり、明かりを灯そうかという頃、下からダミ声が響いた。

「いるのは、わかっとぉ! ドア、開けんかい!」

来た。やっぱり来た。

窓からのぞくと、なんともわかりやすい格好をした、ふたり組の取り立て屋。
その格好を見て、あっさり「あ、取り立て屋だ」と思えたから。

映画やないんやで、ほんま。そんな、予想通りの格好で来るなよ。

盛んに「ドア、開けんかい!」とガナる。
一階のドアは内側からカギがかかり、住人か大家さんじゃないと開けられない。

となりは、確かに部屋にいる。コトとも音を立てないが。
ぼくも、電気もつけず、小さく、丸くなっている。

「となりのヒト、ちょっとドア、開けてくれや」

そう、声がかかるのが恐かった。

その日は、小一時間で、ふたり組は帰っていった。
しかし、もう、時間の問題だ。

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ある夜、11時過ぎ。

おじさんは、取り立て屋に踏み込まれた。

四畳半の壁を通して、声が響いてくる。
ガナる声と、静かな声。脅し役となだめ役。またこれ、何ともわかりやすい。

「借りたお金は返す。ね。それが社会人としての道。でしょ?」

「・・・・」

「なんとか言わんかい!」

びびりながら、おかしかった。  取り立て屋、“社会人の道”を説く。

しかし、こんなに想像通りの役回りなのか。
漫才の“ぼけ”と“つっこみ”と同じやないか。その間に、羊がはさまれているだけだ。

声が響くだけで、他の物音はしなかったから、力の行使はなかったらしい。
この日は、2時間ほどで帰っていった。


数日後、大家のおばあさんが、おそるおそるぼくに尋ねた。

「あの、○○さんですけど、あの日から見かけます?」

となりのおじさんのことだった。

部屋に荷物を置いたまま、おじさんは姿を消した。   フケたのだ。


おじさんが姿を消して一ヶ月以上たった頃。
ぼくが外から帰ると、おじさんの部屋を大家のおばあさんが片づけていた。

上品で優しい物腰のおばあさんは、

「あの方たち、どこに行きなさったんでしょうねぇ」

と、ぼくに言った。

ぼくがこのアパートに入ってから、姿を消した下宿人はふたりめだった。
そのたびに、おばあさんは家賃を踏み倒され、残された家具や荷物の始末を押しつけられながら、店子の行く末を心配していた。

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おじさんが姿を消してからも、その郵便受けには、毎日、督促状が届けられた。

受取人のない督促状。
それを集め、保管していたおばあさんは、ぼくが下宿をしている間に亡くなった。


もう、四半世紀前のこと。


テレビには、武富士の会長が大写し。

日本一の金貸しになったカゲには、となりのおじさんみたいな人が、いっぱい、いっぱいいたんだ、きっと。

ね、会長さん。


番組構成師の部屋

♪今日のBGM=Danny Gatton 『88 Elmira St.』


夕方、ダイコンを手に、ふと考える。

タンザクにするか、イチョウにすべきか?

みそ汁には短冊の方がいい。銀杏だとお椀の中で座りが悪い。
しかし、今日のダイコンは煮込んだ残り。そんなに太くないし、四等分で銀杏切り!

この方が、短冊よりも切りやすい。食べやすい大きさに短冊カットは難しい。

銀杏のダイコンを干し椎茸でとったダシに放り込む。
ぼくは結構、みそ汁にうるさい。

料理はシンプル。「焼く」か「煮る」か「炒める」か。その3パターンだけを適当なサイクルで繰り返す。
「煮る」のも、せいぜい“煮魚”まで。手間のかかる「煮込む」はしない。

でも、みそ汁のダシは昼からとる。

午後2時過ぎ。用をたしに一階へ降りたついでに台所へ。
鍋に水の量はお椀に四杯。干し椎茸は中サイズをよっつ。水に全体が浸るよう、落としぶたをして冷蔵庫へ。

干し椎茸は、水からもどさないとダシが出ないのだ。それも冷水。いきなり熱湯をかけたりするのは愚の骨頂である。
NHKの『ためしてガッテン』を見て覚えた。

この番組のナレーターは、福岡にある局出身の50代。30代半ばにして一旗あげるべく、花の東京へと乗り込んだ。

自らの声(と容貌)に未来をかけて、上京するアナウンサーは数多い。九州では、特に宮崎にそうした人が多いような気がするが、数えたことはないのではっきりしたことはわからない。

青雲の志を抱いたアナウンサーたち。だが、それなりのポジションを得る人は少ない。
その中で、『ためしてガッテン』のナレーターは最も成功したうちのひとりに入るだろう。今でこそ少しおさまったようだが、一時、どのチャンネルからも、この人の声がしていた時期があった。

番組丸々ナレーションあり、ニュースの中の特集コーナーあり、CMあり。
数年前、地元の局で仕事をした折りに年収を聞いて驚いた。ぼくとひと桁違う。

「フリーやけん、稼げる時に、稼いでおかな」

そう言い残し、収録の翌日、グアムの休暇へと飛んで行った。

確かにうまいし、味がある。
1時間番組のナレーションをいきなり録っても大丈夫という安定感もある。

ひとつひとつのナレーション終了タイムを伝えておくと、自ら調節してその時間内におさめてしまう。

明るいパターンも、重々しい朗読調も、なんでもござれ。
ひとりで数人の役もできる。ナレーションを読み、そのまま吹き替えもOKだ。

これぞ、プロ。初めて一緒に仕事をした時、たいしたもんだと大感心した。

番組にとってナレーターは重要だ。その番組の色を決めてしまう。
『プロジェクトX』がいい例だ。
単発、一回こっきりのドキュメンタリーは、ナレーターの選択には気をつかう。

ある時、某ローカル局のディレクターが、

 「金があれば、ナレーターと構成に使いたい」

と言った(ありがと)。金は、やっぱりなかったが。

顔は出さない、声だけで勝負。
それで厳しい世界を生き抜いている。
画面を通して声が聞こえると、がんばってるなぁと嬉しくなる。

早く『水戸黄門』のナレーションをやって欲しい。それがぼくの願い。

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顔は出さない、で思い出した。

会社員時代、リストラされかけて生き残った時、一緒に親会社に吸収された先輩がいた。彼は大学卒業の時、某キー局のアナウンサー試験を受け、最終選考まで残ったという。

最終選考でその先輩と争ったのが、今は亡き逸見政孝さん。

 「しゃべりはオレの方がうまかったけど、顔で負けたと思ったよ」

それが先輩の言い分。この人、確かにいい声をしている。

逸見さんは関西なまりが残り、それをなおすためにアクセント辞典を食べていたという話は有名だ(事実かどうかは知らない)が、その先輩は生粋の江戸っ子。しゃべりっぷりも小気味よかった。

惜しむらくは、二枚目度で逸見さんがまさっていたということ。画面に身をさらすアナウンサー稼業、見栄えもやっぱり大切だ。

逸見さんの死を知ったのは、長崎で。ビジネスホテルのベッドの上だった。
朝、起きて、ニュースを見たら、訃報。あぁ、やっぱりな、という感じ。

一回しか会ったことはないが、ソフトな外見とは違い、メチャクチャ頑固そうな人だった。いったん決めたら、てこでも動かない感じ。瞳にすごみのある人だった。

そんな人だから、辞典を食べてまでアナウンサーとなり、局アナをやめてフリーになれたのかもしれない。

逸見さんの名刺には、肩書きに「平社員」とあった。
奥さんが事務所の社長。
逸見さんは確かに社長から給料をもらう“ヒラ”だったらしい。

逸見さんが亡くなったのは、10年前の、確かクリスマスの日。
早いなぁ。ベッドの上で、ちょっぴりしんみりしてからもう10年だ。

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そんなことを思い出しつつ、みそ汁完了。

具はダイコンの他に、冷蔵庫にあったキャベツも。水でもどった干し椎茸もきざんで入れた。

タマネギも入れようかと思ったけれど、銀杏にしたダイコンが予想以上にあったので断念する。
ぼくの、普段のみそ汁は具沢山。6、7種類くらいの具を入れる。野菜不足になりがちだから。

あとはサラダと、手羽先を焼いて、夕食の準備完了。


NHKのニュースを見、スペインはトレドからの中継を見つつ、夕食も終了。
今日も無事にご飯を食べることができました。


あとはテレビを見つつごろごろ。
釈由美子さんがメカゴジラを操縦している。
この人、真面目な顔は似合わんなぁ。おぉ、中尾彬さんが日本の首相だ。


あ! モズクを食うの、忘れたっ!


番組構成師の部屋

♪今日のBGM = Free 『Fire and Water』


コタツを出した。
その上には、みかんとネコ助。冬支度整えり。

しかし、今日は妙に生ぬるい。


今日は「地上波デジタル化」の日。

NHKでは特番。しばらく見たけど、自画自賛番組で腹立たしい。
チャンネルをかえる。

かえた先では『水戸黄門』。
厚顔無恥な自画自賛番組より、古来変わらぬ自己陶酔番組の方がまだ心地いい。


小学生の頃、親の仕事の関係で、時々近所のおばあさんに預けられた。

「おばあさん」・・・・その時はそう見えていたけれど、その後のお歳の召し方を思うと、まだ40代だったかもしれない。

その、40代のおばあさんが欠かさず見ていたのが『水戸黄門』だった。

ある時、夕食を終え、こたつで『水戸黄門』を見ていたおばあさんが、こっくり、居眠りを始めた。

チャンネルをかえたかったぼくは、黄門さまご一行と、揺れるおばあさんを交互に見ていた。

 ここは人のうち。テレビのチャンネルなぞ、勝手にかえちゃいかん。

今より分別があった。

画面はととんと進み、印籠が登場する時間が近づいた。

助さんがふところに手を入れ、「静まれ~っ!」と言う、
その「し・・」のセリフの瞬間に、おばあさんが目を覚まし、
「この印籠が目に・・・」で、カックリ傾いていた首をまっすぐ伸ばし、
格さんの「この方をどたなと・・・」で、目の焦点がピタリと合い、
「・・光圀公にあらせられるぞ~っ!」「へへ~っ」で、やんやと手を打った。

今、「うっそだぁ!」と思ったあなた、正しい。
ぼくも、うそだと思った。

一緒に預けられていた姉も「うそ!」と思ったらしい。
闇夜のネコ助のごとく、黒目をまん丸にして、おばあさんを見ていた。


数年前、何かの拍子にそのおばあさんの話になった。
姉の記憶も、ぼくのそれとあまり変わらなかった。

あの時、ぼくは単にびっくりしただけだけど、姉は不気味に思ったらしい。
姉はそろそろ高校生になろうとしていた。
ガキんちょのぼくよりも、ものの道理がわかっていたのだ。


あれから30年以上たつ。

おばあさんは亡くなり、黄門さまだった東野英治郎さんも亡くなった。
ガキんちょだったぼくは、おやぢになり、少女だった姉は高校生の母となり、息子の進路に頭を悩ませている。

しかし、『水戸黄門』は、そのままだ。
助さんだった里見浩太朗さんが黄門さまに出世をし、弥七も、八兵衛も、飛猿も姿を消したけど、筋書きはきっちり、変わらない。

今日もまた、数万のお年寄りがやんやと手を打ったに違いない。

あぁ、偉大なるかな、マンネリズム。

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そのおばあさんの影響かどうかはわからないが、ぼくは時代劇がかなり好き。

どの番組をしっかり見たかという記憶はないのだけれど、

 ひとぉつ、 人の世の生き血をすすり、
 ふたぁつ、 不埒な悪行ざんまい、
 みいぃつ、 醜い浮世の鬼を、
 退治してくれよう、桃太郎!

『桃太郎侍』の決めセリフは今でもそらで言えるから、かなり見込んでいたに違いない。

このセリフ、学生時代は結構ネタだった。
今はもう、恥も外聞も知る身になったから、はやされても決してやりはしないが。

こたつの上では、ネコ助がみかんにじゃれている。

こたつとネコ助と黄門さまと。
あの時の、あのシチュエーションとおんなじだ。

ぼくももうすぐ、あのおばあさんの歳になる。


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