番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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AM8:45

机に向かい、座って“はぁ~”とため息&深呼吸。仕事、しとうないわぁ。
しゃ~ない、今日のCDをセット。あれこれ選ぶのが面倒なので、手近なラックから同じアーティストのものを7枚抜き出す。
Elvin Bishopだった。

♪今のBGM=Elvin Bishop 『King Biscuit Flower Hour Live』

ポール・バターフィールド・ブルースバンドにいたエルビン・ビショップさん。マイク・ブルームフィールドの陰に隠れていたけど(アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドとのライブ・セッションにもカルロス・サンタナと共に参加してるのに、カゲがめちゃ薄い)、ぼくはこの人の楽しいギターが好き。
『Struttin' MY Stuff』では、のちにスターシップのボーカルにおさまるミッキー・トーマスを得て、「愛に狂って」という名曲を生み出す。

あ~、思うままに書いてたら、じょごじょご時間が経ってしまう。
することをしなければ。でも、なにをすればええんかな? 
アタマ、ごっちゃごちゃじゃ。


おっきい顔「とっとと仕事、せんかい」


へ~い。

あっと、そうじゃ。VPの台本を仕上げねば!
とっくにできているハズなのに、なぜかまだできてはおらん。
おしっ、やるどっ。


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PM3:05
青空だぁ。

青空すきっと青空


食事をして、洗濯物を取り込み、たたむ。生乾きだった洗濯物もすっきり。やっぱり太陽の恵みはすごい。
北極圏内とか、極寒に住む人たちは、洗った洗濯物を冷え込む戸外に干す。すると、がちんがちんに凍る。しばらくしてそれを取り込み、ばさばさやると、あら不思議、乾いている。
ということを、なにかで見たか読んだかしたような記憶がある。
しかし、本当だろうか? バナナでクギが打てるようになるほどの寒さ。凍った洗濯物をばさばさやったら、ぽきんぱっきり、こなごなになるんじゃないのかしらん。

洗濯物をたたみつつ、録画していた「こちら葛飾区亀有交番前派出所」1時間特番を見た。おもしろかった。まだまだパワーはあるな。
しかし、この漫画、いつまで続くのだろう。作者の秋本治さんが敬愛する漫画家・山上たつひこさんをもじり、“山止たつひこ”と名乗っていたのはいつ頃までだったかなぁ。ご本家の山上さんから叱られて、今の名前にしたんじゃなかったかなぁ。

などとブレイクをはさみ、仕事へ復帰。


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♪今のBGM=Elvin Bishop 『Struttin' My Stuff』


ちょうど、日記の先頭あたりに書いたアルバムが鳴り始めた。
「マイ・ガール」、よかね~。

VP台本。ひとまず、復習まで終えた。
これから、再度考えつつ、ワープロに打ちこんで行かねばあかん。
今日は考え事をするような日よりじゃないがね。

机に向かって座ってる気が起きんので、鶏ガラでスープをとることに。なぜ、こういう流れになるのかは、自分でも定かでない。
鶏ガラを店頭に並べている精肉店は、最近、あまり多くない。売るとしても、せいぜい一羽分で30円くらいのものだ。
ところが、今日、ぼくが手に入れたブツは133円也。なぜか? なぜかはワカラン。しかし、確かに立派な鶏ガラではある。

これからことこと、3時間くらい煮出してダシを取る。
今日の夕飯は、鶏肉と野菜のスープだっ。


しかし・・・鶏ガラぐつぐつのそばにくっついておくわけにもいかん。

やっぱ、仕事しよ。


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PM5:37

ぎえ~っ!!!!

鶏ガラ煮出し中の深鍋、スープが底から3センチになっとるっ!!
なんでこないなことに。火が強すぎたのかなぁ。いくらなんでも、濃縮し過ぎ。お湯を足して必要量に戻し、ふと安心。
そして、ニンジン、ジャガイモ、タマネギをテキトーな大きさに切ってぶち込む。プラスしめじ。
ほぼ火が通ったら、鶏肉を入れ、軽く煮込んで完成だぁ。

コメのメシはどうしようかな? 冷やごはんがあるから、チャーハンだろうか?
それとも、コメはやめて、鶏ガラスープにウドンでも入れるかな。
あら? 賞味期限が今日までのササミなんぞがあるわん。あちゃ~、どうしよう。トリづくしになってしまう。

ま、いっか。

てなわけで、今日の夕飯メニューは、

--野菜入り鶏ガラスープ+ほうれん草チャーハン+焼きササミ--

ネコ助にササミでもちょっぴり、やるかな。


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PM9:20

先日、上京したとき、六本木の書店でこんなものを買った。

ねこかめらねこかめら


かん詰の中に入って、書棚に鎮座ましましてた。思わず買った。
作りはちゃちぃけど、なんとなくかわいい。ボタンを押すと音がするというので、ねこの鳴き声がするのか、わくわく、と思ったら単なる効果音が数種類。被写体の注意を引いて、そのすきにカシャとやろうという寸法かな。

この書店、深夜セールなるものをやっているらしく、
「午後11時半から翌朝5時まで」
という、恐ろしい時間帯を記したチラシが貼ってあった。
こんな時間に本を買うヒトもいるんだなぁ、さすが大都会、と思ったら、セールの対象は洋書のみ。異人さんたちが買いにくるのかしらん?

次に上京する機会があったら、行ってみるかな、深夜洋書セール。


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PM11:37

♪今のBGM=Hirth Martinez 『Hirth From Earth』

エルビン・ビショップ7枚セットは、終わってしまった。昔のアルバムは40分くらいしかないので、7枚セッとしても結構早く終了してしまう。

あと少しで3月も終わり。もう一年の四分の一が過ぎ去ってしまった。しみじみ、あっと言う間。
あっと言う間あっと言う間と言っている間に、一生を終えてしまうんだろうな。そのうち、三分の一は眠ってるわけで、その間、自覚としてはこの世にいないも同然なわけで、とすると残りはえらく短いなぁ。

などとしみじみしつつ、今日のノルマは達成できなかった・・・。
けど、もう眠いな。

あしたに期待して、今日はもう寝よう!



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


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♪今日のBGM=Santana 『Caravanserai』

久しぶりにちゃんと仕事をしたら、めちゃくちゃ疲れた。
一番苦手な春先の今頃から梅雨の気配がする頃までが一年で一番忙しい。
因果だなぁ。アタマはかすむし、目玉は眠いし・・・・・。

今朝、9時過ぎ。CDプレイヤーにSANTANAを7枚セット。
あ~、このラテンのリズムが心地よかぁ。
リズムに乗って、9時台には既にうとうと・・・・・。

はっ! これじゃ、あかん!!!
毎日、そう思っているのだが、今日こそ本気でアカンと思わねばアカン。
海外取材陣が今日、帰ってくる。

--取材中にちゃんとやっとく!

と大見得切ったことが、な~んと、やっとらんではないかっ!
このままでは、赤道のそばで駆け回っていた取材陣に顔向けできん。
そこで、10時くらいから、めったやたら、しゃかりきしゃりき車引き。
夕方、なんとかメドがついた(ことにした)ので、ひと休み。

でも、どうやってもできなかったことが・・・・。主人公となるべき人が残した日記の読解。7割、いや、8割5分、読めん。達筆だからではなく、戦後、モノのない時代に、それも監獄の中で書かれた日記なので、鉛筆で、小さな小さな字で書かれているから。
B5サイズをA4に拡大し、薄い鉛筆文字も読めるように濃くコピーしたのだけど、読めない、やっぱり。
昔の人特有の崩し文字とか、今ではひらがなにするところに漢字をあてて読ませるとか、そんな部分が散見するので半行ごとにストップしてしまう。

こりゃ、かなり、困ったゾ。

7枚セッとしたSANTANAのCDも、もうラスト。昔のアルバムの再発だから、一枚一枚の収録時間が短い。
『CARAVANSERAI』が流れている。う~ん、いい感じ。

音が出たり出なかったりしていたアンプ。
先日、完璧に出なくなった。これまで3度くらい修理したのにっ!
アタマにきて廃棄処分決定。次なるアンプをどうしようか、と思ってふと気が引かれたのがYahooオークション。のぞいてみると、あるある、アンプがたっくさん。

ぼくは、音が流れていればいい程度の音楽好き。アンプの出力がどうの、スピーカーのツィーター(って何だっけ?)がどうの、という趣味は全くない。よって、きちんと音が出てくれれば、それでOK。

とは言っても、実物を見て触れないオークション。状態がよくわからんからどうしようかなぁ、と思いつつ眺めていたところに登場したのがBOSEの「1706II」。と、機種番号なんか書いてもわからないけど、黒くて、小さくて、スタジオでモニターを鳴らすのを主眼に作られた(らしい)アンプ。ほとんど使ってないということで、きれいそう。競り値を見ると、おお、ジャスト適当!
さっそく、オークション参加。実はこれが初体験。何をどうすればいいのか、よくわからないままに「これまでは出せる!」値をつける。
数日間、ぼくがつけた値が最高だった。

そのままほおっておいたある日の夕方、パソコンでメールを打っていたら、Yahooからいきなりメールがやってきた。

--あなたより高い価格をつけた方がいます!

あらら、やばいんでないの?
その時点で、オークションの時間は残り数分。メールを開いていなければ、自分より上の値をつけた人がいることも気づかなかったワケで、これもなにかの縁だと最高額を上回る値を再度つける。
あとは、メールを開いたまま、Yahooのオークションページを見つつ、どきどきどきどき。

オークション終了! Yahooからメールが届いた。

--落札されました。おめでとうございます!

そのアンプが、今、SANTANAを鳴らしている。
予想以上にきれい、かつヨカ音で、満足至極。
思い切った甲斐があった。
そうは言っても、落札価格は想定していた上限プラス500円。
よかったよかった。

でも、見落とした点がひとつ。このアンプ、スタジオ使用を前提としているためか、ヘッドフォンが使えない。

--あら? ジャックを差し込むアナがないわん?

そう気づいたのは、夜中に大音量で聴こうとしたときだった。
まぁ、いっか。


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仕事で読みたい資料本がある。しかし、買うと上下巻合わせて¥8800!
そんな巨額を投入する度胸がない。しかも、書店には置いてないので注文しなきゃならん。あ~、めんどくさい。
まさか、こんな本はないだろうと思いつつ、Yahooオークションを覗くと、

--あれま! あるじゃんか!

それも、上下巻揃って¥2000。こりゃ、落とさねばなるまい。
¥2100の値をつけて、翌日夜のオークション終了を待つ。
そして、届いた。

--落札されました。おめでとうございます!

どうも値をつけたのは、ぼくだけだったみたい。
二度目のトライも無事に我が手へ。

その本がさっきとどいた。
見てびっくり! 上下巻ともめちゃきれいである。
どうしてこれが¥2000? 不思議不可思議、でも嬉し。

アンプと資料本。定価で比較すると¥25,000くらい安く手に入れることができた。
よかった!

でも、本は読まなきゃ・・・・。


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夜10時半。
着メロ「メリッサ」が突然鳴る。この曲、いい曲なんだけど、イントロからテンション高いので、どきぃっとすること、多し。
あばちゃばして、どうすれば携帯に出れるのかの学習記憶がとんだ。

電話のヌシは、海外取材陣のオサ・ディレクター氏。

--今、局に着きましたぁ!

おっと、えらく元気だわ~。
中三日で、今度はイギリスへと取材へ出発。テンション高くないとやってられんスケジュールではある。


♪BGM変更=Bobby caldwell 『August Moon』

ディレクター氏のハイ・テンションにあてられた。
BGMをかえて心を平静に戻そう。


番組構成師の部屋



“ネコ助-Aoi's Room”



日記をテキトーに入れ換えたりして遊んでいたら、書き込んでもらった内容が違う日付のところにくっついちゃった。
書き込んでくださった皆さま、すみませ~ん。


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庭のかたすみに、初代ネコ助の墓がある。

ルー墓04初代ネコ助の墓


初代ネコ助は、この世で19年間のネコを生き、
おととしの3月2日、次の世へと旅立った。

ルー墓02初代ネコ助の墓標


最近はペットを火葬してくれるところもたくさんある。
でも、身近に葬りたい。
魂はどこかでなにかに生まれ変わるだろうから、心配しない。
体だけ、ふと見ればそこにいる、そんなところがいい。

ルー墓03土に埋もれる香炉


ほんとは庭先なぞに埋めちゃいけないそうだ。
でも、許してもらおう。
初代ネコ助は、庭のかたすみから、二代目とぼくらを
見守ってくれている。

ルー墓01いつまでも、ここに。




28日は、わが家のネコ助“葵(あおい)”、略して“アオ”の
2回目の誕生日。
ケーキは食べるかどうかわからないので、ニオイがするだけで
嬉しくてあばちゃばする「まぐろ」でお祝い。

誕生日-あばちゃば「あばちゃばあばちゃば」


きちんと準備しましたぞ。

誕生日-まぐろネコ助専用皿


ところが、「ハッピー・バースデー」を言う間もなく、

誕生日-ぱくり「ばくり」


そして、一気に、

誕生日-ぺろり「ばくりばくばく」


お皿は、あっと言う間に、

誕生日-なめ尽くし「ぺろりん」


そして、言うには、

誕生日-おいしかったにゃん「もうないの?」


でかくなるワケね・・・・。

↓こんなだったのに・・・。

登場日「ここ、どこ?」




番組構成師の部屋



“ネコ助-Aoi's Room”




♪今日のBGM=Deep Purple 『Deep Purple In Concert』


-昨日から引き続き-

NHKが放送したテレビ番組が、「取材申し込み時と内容が大幅に変更している」として取材対象者から訴えられていた訴訟の判決。
孫請けの制作会社ドキュメンタリー・ジャパンが慰謝料100万円の支払いを東京地裁から命じられたのは昨日見た通り。

この問題で特に気がかりなのは、孫請けに責任を取らせ悠々としているNHKの姿勢は言わずもがなだが、取材対象者側が抱くとされた『期待権』という概念がこの判決を導き出す根拠となっていることだ。

事件を報道した朝日新聞2004年3月24日付記事(カギカッコ内)より抜粋してみる。
東京地裁は、まずこう判断している。

「取材される側が報道内容に抱いた『期待・信頼』は
法的保護の対象になる」

東京地裁は、取材される側が「番組では自分の姿やインタビューは、こんな風に使われるだろう」という期待は法律で保護されるとしたわけだ。
そして、次のように結論づけている。

「その『期待権』を侵害した場合には取材者に賠償の責任が生じる」

「取材する側とされる側の約束がその後の報道内容にも及ぶ」

つまり、「取材される側の期待通りの内容になっていない場合は、取材する側(番組制作側)に慰謝料などの賠償責任が生じる」というのである。制作者側にいる人間として、この判断には納得しかねる。ともすれば自由な番組制作権をおびやかす事例ともなりかねない危惧を感じるからだ。

この本題に入る前にまず確認しておきたいのは、放映直前に「女性国際戦犯法廷」の「結論」をカットするなど、NHKが番組の核心部分を中心に番組を強制的に編集し直したしたことを擁護するつもりは、ぼくにはまったくないということ。
報道機関として最低限の義務を放棄するという堕落しきったNHKの姿勢は、いかように責められようとそれは当然だ。「やっぱりNHK、親方日の丸ね」と切り捨てられてしかるべき権力へのおもねり方だから。

ぼくが懸念するのは、『期待権』なる概念がその重みを増してくると、番組制作の際の姿勢そのものが「取材対象者の『期待』が反映されることを前提とする」という方向へ傾きはしないかということ。
番組制作の現場にいて思うが、単純に期待に応えるようなことは決してあり得ないし、あってはならないことだ。

番組は制作者側の制作意図がまずあって、制作がスタートする。その制作意図を形にし、視聴者へ制作者側の思いを伝えるためには、誰に、またはどの団体に、どんな内容を取材したらいいかを取捨選択する。番組作りの中心にあるのは、あくまで「制作者の制作意図」である。

その制作意図を目に見える形とするために、取材は多方面に、多角的に行われねばならない。制作意図に合致する対象だけでなく、まったく逆の意見を持つ人・団体にもその思うところを述べてもらわなくては、番組としてのふくらみが生まれない。何より、制作意図を鮮明に、明確にすることができない。

例えば、制作者側が「慰安婦が誕生した裏面を探る」こと描こうとしたと仮定する。その場合、慰安婦問題に取り組んでいる人・団体だけを取材しても奥深い番組とはならない。「慰安婦など存在しない」と主張する人・団体にもきちんとした取材をし、その主張する根拠など多彩な意見を聞くことが必要不可欠だ。

しかし、その際、番組が完成したとき、「慰安婦など存在しない」と主張する人・団体が「取材時に期待した内容に反している」として『期待権』を持ち出したらどうか? 「主張が肯定的に取り入れられると期待し、だからこそ取材に協力した。それが無下にされた」と主張したらどうなるのか? 
制作者側は「慰安婦は存在した」ということを前提に番組を作っている。「慰安婦など存在しない」と主張する人・団体が納得するような内容にならないのは、取材をする時から明白なことなのだ。しかし、こうした場合にも『期待権』が成り立つならば、制作意図とは逆の方向性を持つ人・団体に対する取材は困難にならざるを得ない。

例としては極端なものをあげたが、これはニュースであれ、ドキュメンタリーであれ、情報番組であれ、取材という取材すべてに関して言えることだ。
先に述べたように、取材は多方面にわたり、多角的に行われる。それは、制作意図をよりよいと制作者側が考える形にするため。たとえドキュメンタリーであっても、ただ漫然と起こったことをそのまま番組としているわけではない。「こんな風な番組にしたい」というディレクターを中心としたスタッフの意志が最初から存在し、その意志と狙いを具現化することを目指して取材は進められる。

だから、ドキュメンタリーは“ありのまま”を伝えるものではない。制作者側が伝えたいこと、表現したいことを、取材対象者の力を借りて番組という形に作りあげたもの。制作者側の意図によって作りあげられた、いわば“作品”なのだ。
そのため、取材された人たちそれぞれが抱く期待に反する内容となることはかなりの確率で起こり得る。その際、取材対象者おのおのが『期待権』を主張すると、取材という方法自体が成り立たない。

『期待権』という、その概念自体があいまいだ。
まず、どこまでの、どの程度の“期待”が法的に保護されるのかがまったくわからない。ある出来事に期待する度合いは人によってまったく違う。インタビューに関しても、自分がいったん口にしたことはどのように使ってもかまわないという人から、使用する部分を確認しないと番組には使わせないという人まで、本当に多彩なのだ。

そんなあいまいな『期待権』をひとりひとり考慮しつつ、番組として組み上げることなど、はっきり言って不可能である。


今回の問題の場合、取材申し込みの時、ドキュメタリー・ジャパン側と取材対象者との間で取材及び番組内容に関し、かなり濃密なやりとりがあったのだと思う。「番組提案票」なども提示されたという。だから、NHKの介入で番組内容が骨抜きにされたとき、取材対象者側は「信頼が損害された」として告訴に踏み切ったのだろう。

その思いは理解できる。ぼくが制作者側(ドキュメタリー・ジャパン側)にいたとして、「慰安婦の存在は昭和天皇と日本国家にある」とする、民間の試みとしての法廷ではあれ画期的な“判決”が出されたことを番組のハイライトとして取り上げるだろう。そうでなければこの番組を作る意味がない。
だから、裏切られたとする取材対象者側の憤りはもっともだ。しかし、それでも、制作者側の人間として、『期待権』を認めるわけにはいかない。それこそ、今回の孫請けに責任を押しつけた判決に対し原告がコメントした「制作現場をさらに萎縮させること」につながってしまう。

あいまいな『期待権』という概念。
それは、番組制作側(放送事業者)に保障されている、「取材素材を自由に編集して番組制作すること」とも矛盾している。


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しかし・・・・、
これまで記した内容と関わるのだが、ぼくには、テレビ番組の構成という仕事を始めた頃からずっと、ぬぐい去れない違和感がつきまとっている。
それは、「人のインタビューを切り刻み、つなぎ合わせていいのか?」ということ。

例えば、ある人が「A」ということを言ったとする。しかし、その言葉だけでは印象が弱く、また言葉としてもまとまりが悪い。
一方、ここに「B」という、同じ人の発した言葉もある。こちらも一部はおもしろいのだが、このままでは番組に出せるほどのインパクトがない。
こうした場合、インタビュー「A」の一部を切り取り「A’」とする。同様に「B」も「B’」とする。そして、「A’」+「B’」=「C」というインタビュー内容にして番組に使う。

この作業工程。これが、いまだに「こんなことをしていいのか?」という疑問なのだ。
この疑問は、『期待権』の問題とリンクする。

ニュースなどの報道番組にしても、ドキュメンタリーにしても、インタビューを受けている人、語っている人の姿や顔がぴょんと飛んだりすることがひんぱんにある。あれは制作者側がインタビューから使いたい部分を抜粋し、つないでいるから。
ドキュメンタリーではよくある、何らかの映像に取材されている人の言葉がかぶっているシーン。それも、インタビューをつないだ違和感を薄めるために、あえてインタビューに映像をかぶせているのだ。

取材対象者の語った内容をガラリと変えてしまうようなインタビューの切り刻み方は、もちろんしない。取材対象者のインタビューを巧妙につなぎ、欲しい内容の言葉に作り変えたりはしない。取材対象者が語った意味、それが変わらないよう、常に気を配っているつもりだ。
しかしそれでも、人が述べた言葉を、制作意図に合致させるために切り張りしていいのかという疑念が心から消えたことはない。

ぼくは『期待権』という考え方にはものすごく懐疑的だが、取材対象者が期待を抱くことを拒否するわけではない。取材されたら、自分が納得するような形で番組に登場することを願って当然だ。
第一、一般市民にマスコミの取材に協力する義務なぞ、ないのだ。大半の場合、対象者の好意に甘えて取材をさせてもらっているのが現状だ。

ぼくたち制作者側の人間は、取材対象者のその好意をふみにじっているのではないか?
「こんな風に使われるのなら、取材に応じるんじゃなかった」
そんな心の傷を番組制作に協力してくれた人たちに与えているのではないか?
そうした感覚が消えない。


ぼくは取材の現場に出ることは希だ。ほとんどの場合、取材テープを見て、インタビューを聞いて、それから番組の構成をすることになる。だから、これまでかなりの数のインタビューを聞き、取材内容を見てきた。
ディレクターも人によって取材の仕方はいろいろだ。スポンティニアスに、出たとこ勝負の人もいれば、緻密に計算しつつインタビューをする人もいる。

ぼくがことに奇妙に思うのは、「○○的なことをしゃべってくれ」と現場で取材対象者に依頼したり、「今の内容を整理してもう一度」と撮り直しを願うディレクターがいることだ。
こうしたことは、ヤラセとまでは言えなくても、誘導尋問に近いものとなってしまうのではないだろうか?

ぼくは構成をする時、取材対象者に依頼したり、撮り直したりしていると気づいたインタビューは極力はずすようにしている。なぜなら、それは、本来取材対象者の自由意志によるべきインタビュー内容に、制作者側が踏み込み過ぎていると感じるから。
どんなに語りとしてまとまりがなくても、その内容に真実の重みがあるならば撮り直したりする必要はない。
欲しい言葉が撮れなかった場合は番組の流れを工夫するなど、他の方法で取材者側の意図を表現する努力をすべきだと思う。

こうした取材現場での制作者側の態度や、その後のフォローの欠如。それがテレビというメディアに対する不信感を相手方、取材対象者に植え付けているのではないか?
テレビは、自ら一般視聴者の信頼を失うような行為を誕生以来半世紀以上にわたって続けてきているのではないか?
そして、インタビューを切り刻み、張り合わせるという役割のぼくも、テレビが信頼するに足るメディアとなり切れない原因の一端を担っているのではないか?
仕事を重ねて行けば行くほど、そうした思いが消えない。


今回の判決は、番組制作現場のあり方についても、自分自身の役割についても、改めて考えさせられる契機となった。

しかし、孫請け制作会社にだけ責任を負わせた判決内容があまりにも不可解であり、決定的に間違っていることは疑いの余地がない。



信じられない。

NHKが放送したテレビ番組が、「取材申し込み時と内容が大幅に変更している」として取材対象者から訴えられていた訴訟の判決。
東京地裁は、NHKには責任なしと判断、番組制作を発注したNHKの子会社をも通り越し、実際に番組を取材制作した孫請けの制作会社に慰謝料として100万円の支払いを命じた。

番組を作らせ、放送した本体・NHKは何のおとがめもなく、仕事を受注した孫請け制作会社(ドキュメンタリー・ジャパン)が罪を負い、罰を受ける?
信じられない。わけがわからん。

経緯をかいつまむとこうなる。
ある団体が2000年に東京で「女性国際戦犯法廷」を開催した。これは慰安婦制度に対する責任はどこにあるのかを模擬法廷で裁くもので、5日間に渡り行なわれ、当時話題となり注目もされた試み。主催者側は、ドキュメンタリー・ジャパンの要請に応じ、取材に特別な便宜を払った。

ところが、実際に放映された番組では、慰安婦制度の責任は昭和天皇と日本国家にあるとした法廷の結論など、重要な場面がすべてカットされていた。これを不服とした団体側が「意図に反する内容に改変された」としてNHKを相手に2000万円の慰謝料支払いを求めたのだ。

東京地裁がNHKに賠償責任が無いとした理由はこうだ。
(以下、カギカッコ内は朝日新聞の記事より引用)

「放送事業者(テレビ局など)には
取材素材を自由に編集して番組制作することが保障される」

これは当然だ。作る側がどのような規制・圧力からも守られていないと、事実・真実を広く告知するというメディアとしての責任を果たせない。この判断は正しいし、その判断にのっとってNHKに賠償責任はないとしてNHKへの請求を棄却したのも正しい。

では、なぜドキュメンタリー・ジャパンは罪に問われたのか?
東京地裁は、こういう。

「取材される側が報道内容に抱いた『期待・信頼』は
法的保護の対象になる。
この『期待権』を侵害した場合には取材者に賠償責任が生じる」

今回の場合、取材対象者である「女性国際戦犯法廷」を開催した団体は、その試みによって導いた結論、慰安婦への性暴力が昭和天皇と日本国家に責任があるという部分が番組に取り上げられ、視聴者に広く認知されることを期待したと思われる。その期待は当然だ。しかし、その部分はまったく番組には反映しなかった。

その『期待権』を侵害したから、取材制作したドキュメンタリー・ジャパンは慰謝料を支払えというのが東京地裁の判決。平たく言えば、取材対象者が期待していた通りの内容ではなかったから謝りなさいというのだ、ドキュメンタリー・ジャパンにだけ。NHKはおとがめなしである。


まず『期待権』という考え方からして疑問があるが、それは後回しにして、まず責任の所在認定のおかしさから。

番組はドキュメンタリー・ジャパンが企画し、NHKに提案、採用されたという。この流れは、キー局ではごく一般的なものだ。

これはぼくの推測だが、企画の段階でドキュメンタリー・ジャパンは各方面から議論噴出の慰安婦問題を深く掘り下げ、視聴者が慰安婦問題を正面からとらえる端緒としたいと考えていたと思われる。だから「女性国際戦犯法廷」というユニークな、しかし非常に重要な視点を取材ターゲットにし、その視点が導き出すところの結論を視聴者へ提示したかったはずだ。

ところが番組にはその「結論」が抜けていた。なぜか? それは、放送直前、NHK教養番組部長なる人物の指摘により、番組内容が大幅に改変されたことによる。とすると、取材対象者が抱いた『期待権』を侵害したのはドキュメンタリー・ジャパンではなく、NHK本体なのではないか?

しかし、東京地裁は、

「『法廷』を歴史的潮流全体の中に位置付ける方向で
編集しなおした点は『編集自由の範囲内』」であり、
だから「NHKに賠償責任はない」

と言うのだ。わけわからん!

誰が見ても、ドキュメンタリー・ジャパン側が制作した内容(特に、慰安婦に対する責任が昭和天皇にあるとした『法廷』の結論)に対し、NHKの制作責任者が難色を示し、強引に内容を変更させたと考えるのが自然だろう。言わばNHKの“検閲”により変更させられた内容で番組は放送され、その結果、取材対象者が抱く『期待権』が侵された。こうしたはっきりした流れがあるのに、どこをどのように考えれば、『期待権』を侵害したのはドキュメンタリー・ジャパンだ、と言えるのか?

だいたい、“歴史的潮流全体の中に位置付ける方向で編集しなおした”というのはどういう意味なのか? 当然、裁判官は編集しなおす前とあとをご覧になって判決を下されたのだから、“歴史的潮流全体の中に位置付け”ることの意味はお分かりの上なのだろう。

慰安婦問題を歴史的潮流全体の中に位置付けるとどうなるのか?
これまでどおり、慰安婦はいたのかいなかったのかわからない、真実は深く潜行し、汚泥を抜け出てくるガスの塊のように時おりぶくぶくと現れては消える、そんな存在になってしまうのではないか?


慰安婦は確かにデリケートな問題で、テレビ局はその扱いに敏感になっているのは事実だ。その存在を証明する日本軍の極秘資料があり、そして慰安婦として働かされた女性そのものの証言さえありながら、「慰安婦など存在しない!」と声高に叫ぶ人たちがいる。そうした人たちは、多少なりとも慰安婦側に心を寄せる番組が放送されると、その放送局にねじこむこともある。
慰安婦問題について積極的に発言してきた某大学教授は、その筋から狙われ、自宅に帰ることもままならない状況だと聞く。慰安婦など存在しないと主張する人たちの中には、そこまで過激に反応する人たちがいるのも現実なのだ。

そんな状況下、視聴者に真実を知らせるという使命を持つはずのマスコミ、中でも民間放送はピリピリビクビク。まして、親方日の丸・日本放送協会が「慰安婦に対する責任は昭和天皇と日本国家にある」とする内容を含む番組を流すワケがない。極力波風立てまいとするのは至極当然。ドキュメンタリー・ジャパンの制作した番組内容を編集しなおさせた部長は、誉められこそすれ、決してそしられることはないだろう、少なくともNHK上層部からは。もし万が一、今回の問題で責任を取らされるようなことがあっても、それは形式上に過ぎない。


孫請けのみが責任を問われた今回の判決。
NHK側は広報局を通してこうコメントしている。

「判決は、今回の番組が放送事業者に保障された
編集の自由の範囲と認めており、主張が受け入れられたと考える」

ほんとうにそう考えているのか?
ここでNHKが最低限主張すべきは、この番組の取材制作を委託した主体として、罪に問われたドキュメンタリー・ジャパンを擁護する意思、判決を不服とする意思ではないのか?

「末端の弱者に責任を負わせたのは我慢できない。
制作現場をさらに萎縮させることにつながる」

NHKのコメントではない。当の取材対象者、原告側のコメントだ。
自らを訴えた原告、その相手がこうした言葉を吐く。
報道機関として、NHKは恥ずかしくないのか?


NHKのコメントから想像されるもの・・・・。
国から「よくぞ押しとどめた。えらいえらい」と誉められ、尾を振り喜んでいる姿。


『NHKスペシャル』も『プロジェクトX』も『人間ドキュメント』も『その時、歴史が動いた』も、よく見るし、よくできている番組が多いと思う。

しかし、ことタブーとされること、国が表ざたにすべきではないと考えることに正面から対峙する番組を見たことがない。
闇に隠されたもの、それは日本という国に住むぼくらにとって哀しみであり、恥辱となることかもしれない。しかし、それが真実である以上、受け止めざるを得ない。見ないふりをして通り過ぎるのを待つわけにはいかないのだ。

自己検閲することで、真実に迫る道を自ら閉ざしたNHK。
今回の出来事で、NHKはその限界を改めて露呈した。


*同訴訟原告
 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク

*同訴訟被害者
 ドキュメンタリー・ジャパン

(上記両HPは幻泉館主人さんより教えていただきました。深謝)



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『期待権』と番組制作との関係についても言いたいことがある。

が、長くなるので、--この項・続く--

♪今日のBGM=Deep Purple 『Deep Purple Mk3 The Final Concerts』

昨日の日記消失事件は痛かった。書き込み送信ボタンをクリックしたとたん、どこかへ消えた。
がぁ~~~~~んっっっっ!
数日かけた原稿が「できたっ」と喜んだ瞬間、コンセントを足で引っ掛け、抜けたことがある。セーブしてなかったので、原稿はパー。アタマ、真っ白。
そのとき以上に、昨日の消失は大ガックリ。

でも、皆さまのあたたかいお言葉で、復活いたしました。
ありがとうございます。


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ある方にご指摘受けた。
「最近のBGM、ディープ・パープルばっかりですね」
そうなんです。ここんとこ、はまっております。

なんでかなぁとつらつら考えるに、最近、沖縄でやった番組がきっかけ、たぶん。
その番組は沖縄のロッカーをとりあげたのだけど、その中にライブハウスでフィリピン人家族らしきミュージシャンが『ハイウェイ・スター』をやっていた。

--お~、フィリピンでも、やっぱ『高速道路の星』かぁ!

ソロをぎんぎんに弾く小柄な女性ギタリスト。そのフレーズはリッチ-・ブラックモアの完コピだ。ぼくは、ものすごく嬉しくなった。で、改めて聞くと、やっぱいいわぁ~となり、連日、聞いている。


そんなにいい?「そんなにいい?」


ぼくは、生まれて初めてナマで見たガイジン・ロックギタリストがリッチ-・ブラックモアということもあるのだろう、今でもフェイバリット・ギタリストの五指には入る(あとの指は、デュアン・オールマン、デイブ・メイソン、ボニー・レイット、エリック・クラプトンかな、今日のところは。あ、ウィルコ・ジョンソンも。六指だ)。
レインボーやブラックモアズ・ナイトもいいけれど、やっぱりぼくにはディープ・パープルのリッチー・ブラックモアだ。

指摘をしてくれた方も高校時代、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」や「バーン」(カタカナで書くとさえんなぁ)をバンドでやっていたそうな。ぼくより20歳ほどは下であろう人がディープ・パープルをやる。あの疾走感が心をつかむのかな。きっとこれからもアマチュアバンドの定番中の定番となり続けるんだろう。

“リッチー”と呼べば“ブラックモア”と答える。それがぼくらの世代。
10年ほど若い世代は“リッチー”というと“サンボラ”だろうか。ボン・ジョビも結構好きだ。
“フューレイ”と返ってくると、ぼくは嬉しい。
バッファロー・スプリングリールドやポコ、サウザー・ヒルマン・フューレイバンドなどでは常に2番手3番手でにこにこしてた人だけど、ぼくはかなり好き。

“リッチー・ヘヴンス”はウッド・ストックで歌っていた。

“リッチー・コッツェン”というギタリストもいた。音はあまり聞いたことがないので何とも言えないけど、早弾き系のギタリストかな?

“リッチー・バイラーク”って、誰だっけ? ジャズ・ピアニストだったかな? 知ってるのは名前だけ。

“リッチー?”と尋ねて、“ライオネル”と返されたら、ちょっとずっこけ。
コモドアーズの頃は好きだった。独立し、優しいメロディを歌うようになってから、ぼくの範疇からはずれた。オリンピックの開会式(?)で歌っていた頃は大人気だったけど、しばらく精神的に落ち込んでいたそう。復活したかしらん?

-“リッチー”?

-“ヴァランス”!

そう答える人は、ロックの草創期を体験した人。
リッチー・ヴァランス。『ラ・バンバ』を歌い、人気絶頂のとき、飛行墜落事故に巻き込まれ、同じく若きロック歌手バディ・ホリーと共に死亡。

ぼくはこの方々と同時代を生きてないので「お気の毒」と言うくらいしかないが、同じく飛行機事故で忘れられないのはレナード・スキナード。チャーター機がガス欠という信じられない原因で墜落。ボーカリストとギタリストなどを失った。
今ではボーカリストの弟が歌い、初代ドラマーでブラックフットにいたおじさんがギタリストとして復帰。いつのまにかアウトローズのギタリストも加入して、おやぢたち怒涛のトリプル・リードギターは健在だ。喜ばしい限り。

ブルーズギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、ヘリコプターの墜落で亡くなった。確か、エリック・クラプトンと同じ野外コンサートに出演し、ヘリで移動する途中だったような記憶がある。同じとき、クラプトンは他のヘリに乗っていた。ふたりが乗るヘリが入れ替わっていたら、クラプトンは本当に神となり、伝説となってしまっただろう。

運命というのは不可思議なもの。
ぼくもどこで脅威をすり抜け、命を永らえているかわからんなぁ。


おっと、出かける時間になってしまった。
今日は隣の県の県庁所在地へ。ナレーションの収録だ。がんばろ。



番組構成師の部屋



“ネコ助-Aoi's Room”



書き終わって送信しようとした日記が、消えた・・・・。

悲しい。
♪今日のBGM=Deep Purple 『Scandinavian Nights』


いい気持ちっ「ぽかぽかいい気もちっ」


昨日とうってかわり、今日はいい天気。
ぽかぽか、ほわぁ~ん。
南向きの部屋、日だまりにいると、このまま ♪up、up and away♪してしまいそう。

あ~? なんだっけ、この歌?
むか~し、シングル、持ってたなぁ。ビューチフル・バルーンがど~したこ~したという歌詞だったような想い出が・・・・。

などとほんわかしていてはいけないのだっ!

取材陣が帰ってくる前に、資料を読んでおかねばならない。
気合いを入れ直して、しっかと文字をにらみつけること、3分。とろ~り、目玉が溶けてくる。
春はどうして眠いかなぁ(春に限らないけど)。
コタツでばたりと後ろに倒れ、う~んと背伸びをしている間に眠り込んでしまう。いかんいかん。再度、文字を見つめると、文字がしだいにぐにゃぐにゃぁん・・・・・・・・!あ、寝てた!

これを何度か繰り返す。

8:2の割合で寝てる。まったく進まん。
あったかい部屋じゃダメ。北向き板張りの部屋へ移動。
よしっ! 今日、何度目かの気合いを入れる。
・・・・・・・・が、やっぱり眠い。

今、読んでいる資料、漢字たくさん、あいだにカタカナ。何が書いてあるのか、1、2度、目を通しただけでは、正直ワカラン。
正気の頭でもワカランのに、春の眠気が加われば鬼に金棒、死んでもワカラン。あ~、おもろない。

なんでもそうだけど「ねばならない」は、おもしろくない。読まねばならない、書かねばならない、急がねばならない・・・・あぁ、いやじゃっ。
「ねばならない」じゃない、どっちでもよか、モラトリアムなものがいい。そんな仕事、あるわけないけど。

ぼくが制作に参加する番組は、“楽しいっ!”と言えるものはほとんどない。どこか暗く、重く、息詰まる、歴史のひずみに忘れ去られている真実を引きずり出すような内容がほとんど。
それはそれで“興味深い”けれども、決して“楽しく”ないし、“うきうき”しない。

うきうきするような、楽しい番組、やってみたいなぁ。

以前、若い女性をターゲットにした休日の情報番組をやらないかと声をかけてもらったことがある。
おっ、ついに来たかっ、うきうき番組っ!
そう思って、企画のお話し合いなんぞに参加していたのだけれど、あっと言う間にリストラされてしまった。いや、リストラというのは働いてお給金をもらっていてのことだからニュアンスが違うな。
要するに、ぼくでは任に不足だ、ということ。

その番組はスタジオで生放送を予定していた。ぼくは、スタジオの仕事も、生放送もやったことがなかったので、プロデューサー&ディレクターはやはり不安だったのだろう。その気持ち、分からなくもない。ぼく自身、どう進めればいいかさっぱりわからなかったから。
で、ぼくは任を解かれ、スタジオバラエティの経験が豊富な構成作家がやってきた。

その番組の第一回目のオンエアを見つつ、思った。

--あ~、楽しそう。うらやましぃぃぃぃ。

しかし、現実はキビシイ。
その番組は視聴率がとれず、あっと言う間に放送終了してしまった。

う~む、やらなくてよかったのかもしれない。
外から見ると楽しそうだけど、ホントはそうじゃないのよね。


でも、資料に目を通しているだけで、うきうきしてくる。
そんな番組に、たまぁ~にでいいから巡り会いたいなぁ。


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臨時ニュースがいかりや長介さんがなくなったことを知らせたとき、ぼくが見ていた番組ではドリフターズの『いい湯だな』が流れていた。
これって、シンクロニシティなんだろうか?
番組にたまたま使われていたBGM、『いい湯だな』。

♪ババンババンバンバン-アビバノンノン♪

その曲にかぶさるように流れた、元ドリフターズのいかりや長介さんの訃報。
不思議な合致に、心の中で手を合わせる。
全員集合でぼくは、きっちり、育ちました。ありがとうございます。

合掌。


番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


ぎゃお~ん「ぎゃぉ~ん、寒かばぃぃ」



寒いな~。

昨日からずーっと雨、あめ、アメ・・・・。
今の時期でも“寒の戻り”って言うんだろうか、ただ雨が降るだけじゃなく、とんでもなく寒い。多少寒いくらいだったらガマンするけど、その限界を越えている。
とてもじゃないけど、北向き板張りの部屋で仕事をする気にはなれん。かと言って、3月下旬に入ってきたのに、エアコンを使うのもなんとなく腹がたつ。

で、お仕事はコタツで丸くなって。ヒザの上にはネコ助。めったにヒザで丸まったりしないこやつがだんご虫状態になるのだから、かなり冷えるのだ、やっぱり。

使い切ってよかったよかったと思っていた灯油も、思わず買ってしまった。
この近辺は、ふたつの業者が曜日替わりで灯油を売りに来る。遠くで耳馴染みの音楽が聞こえてきたら、門の外に灯油のポリタンクを出しておく。すると、勝手に入れてくれて、「こんちはぁ!」と元気なお兄さんが持ってきてくれる。
今年は、ポリタンク一杯(10リットル?)で850円也。安いのか高いのか、前の冬のことはすっかり忘れ去っているのでわからないけど、決して高価ではないような。

「こんにちはぁ!」と玄関の中まで持ってきてはくれるけど、そこまで。ぼくが留守中、お袋が購入した時なぞには、ポリタンクは玄関先に鎮座ましましている。重くて、ひとりで奥まで運べないのだ。
お年寄りだけの家庭なんかは、近くまで売りに来てくれて助かるけど、その先はちょっと困るかも。でも、「こんちはぁ!」の元気なお兄さんが運んでくれるに違いない、きっと。


しかし、この寒さわ・・・コタツで仕事をしていても、背中側が寒いっ! 真冬でもこんな感覚はあまりないのだけど。いったん、あったかい気候になったら、それに慣れきってしまうのかしらん?
2、3日は資料を読むのに費やしそうなので、板張り部屋でパソコンに向かわなくてもいいのはありがたい。が、音楽がないのが寂しい。DVDレコーダーで聞けないことはないのだけれど、真っ暗テレビから音楽が流れてくるというのがイヤだ。でも、音、欲しいな。
はたまた、資料だ、筆記道具だ、なんやかやと、必要なものをいちいち忘れてくるので、何度もコタツと板張りを行ったり来たりで落ち着かん。
7、8往復し、はぁ、これでゆっくりお仕事できる、と思ったら、コタツでこっくりこっくり、居眠りしてた。ネコ助化現象。

しかし、この寒さはどうにかならんかなぁ。
う~、がまんでけん、ストーブ、つけよ。
しっぽでおねむ「おっぽとおねむ」



隣の県に日帰り出張。特急の座席で、ミニチュアダックスフンドに遭遇。
隣の席に座った女性がひざに乗せたバッグで、なにやらもぞもぞ動いている。
おや?と思って見たら、ダックス君がぴょこたんと顔を出した。
黒目がちの瞳をくるくるさせながら、ぼくを見ている。
ひぇ~、かわいかぁ!
ぼくと目が合うとダックス君は、くんくん、首を伸ばしてぼくのにおいをかごうとする。飼い主さんは、ガッシと抱いて自由にくんくんを許さない。

ぼくはダックス君をなで、

--いいんですよ、気にしないで。

と言おうと思った、けど、やめた。
電車の座席で見知らぬ他人によしよしされることにダックス君が慣れてしまうと、飼い主さんにはメイワクかもしれない。

車掌さんが検札にやってきた。飼い主さんはダックス君の切符を見せる。彼(彼女かも)の切符は、小さな荷札。東京から引っ越すとき、今は亡き初代ネコ助と一緒に新幹線に乗った。そのときも同じ荷札をつけてもらったような覚えがある。イヌやネコなどの小動物は、確か小荷物扱いだった。

しかし、おとなしいなぁ。
ときどきもぞもぞ、飼い主さんのひざの上でうごいたり、ぼくをくんくんしたりはするけれど、吠えるどころか、く~んと鳴きもしない。飼い主さんの腕にあごを乗せて、つぶらな瞳でぼくを見ている。
う~ん、かわいかぁ。なでたいっ! 写真、撮りたいっ!

こみ上げる欲望を抑えつつ、ダックス君とにらめっこしていたら、あっと言う間に下車駅到着。
後ろ髪引かれるぅ~、名残惜しいっ!

これまで四回乗り過ごした鬼門の路線も、ダックス君のおかげであっさりクリア。
また出会えるといいなぁ。


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今日から、某局のディレクター氏がタイ、シンガポールへと取材に出たハズ。
取材スタッフは、ディレクター氏とカメラマン氏のふたり。ローカル局では標準の取材人員構成。多くても、この布陣に力仕事兼音声の若い衆を入れた3人編成だ。
ディレクター氏とカメラマン氏、ふたり切りでカメラその他数十キロにもなる機材を運びつつ、10日間をこえる取材を続けるのだからタフである。
今回は、戻ってきてから中三日でイギリスへとご出発の予定。
大丈夫かなぁと思ってしまうけど、それくらい平気で乗り切れるくらい、肉体的にも精神的にもタフじゃないと、ディレクターはじめスタッフはつとまらない。

以前、韓国取材に参加したときのこと。このときは、カメラが2台(1台はディレクターが撮影)、音声、レポーター、プロデューサー、そしてぼく、総勢6名という珍しい大所帯だった。
ぼくは構成担当としてついて行ったのだが、取材現場では“ワシは構成担当でござい”とすましてはいられない。何でも役に早がわり。
カメラは2台。でも、音声さんはひとり。レポーターが街の人に話を聞くとき、ぼくはマイク係。ときどきテレビ画面にも登場する、釣竿の先にぶらさがったアライグマの尻尾のようなマイクを取材中のレポーター&取材対象者の頭上に垂らす。支える両手が数分で震え出し、マイクが徐々に低くなる。カメラマンが、もっと高く上げろと目で叱りつける。
はいっ、すみませんっ! 気分は新入りAD。

数十万人が集まるという祭りの取材では、ずっしり重いカメラの三脚をふたつ抱えて、汗みどろ。ぶつかるおじさんおばさんににらまれ、ハングルで怒鳴られる。ふたりのカメラマンは思い思いの方向に突進して行き、どちらへついて行ったらいいもんか、人ごみにもまれつつはらはらおろおろ。

取材が終わったら、疲労困憊。口さえききたくない。
他のスタッフは、還暦目前のプロデューサーのおじさん含め、すかっとした顔をして、

--さぁ、真露(焼酎)を飲むぞ!

・・・・・・・みんなタフだわぁ、ほんっと。


たったふたりの取材陣の皆さま。ご無事でご帰還されますように。




番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

♪今日のBGM=Deep Purple 『Live At California Jam』


しっぽ「おっぽ」



旅先で、思わず知らず大夜更かし。

飲んでホテルに戻ったのは、予想外に早かった。
のそのそしているうちに午前0時。なんとなく小腹がすいたなぁ・・・・。
自宅だとそのまま寝るのだけれど、旅先だとちょろと外出できてしまうから不思議。特に宮崎には、ホテルから歩いて数分のところにおいしい釜揚げうどんの店がある。でも、ここ3年くらい食べてない。これは行かずばなるまい。

お店はちゃんとあったけど、おやじさんが若い人になっていた。息子さんがあとを継いだ。そんな感じ。目当ての釜揚げうどんのおいしさは同じ。
ここで、やめておけばいいのにビールも頼む。
つい旅先の勢いというものだけど、おかげで腹四分くらいだったのが腹十四分くらいに。ホテルに戻っても、苦しくて寝れん。

う~ん、ぐるじぃぃぃと、テレビのリモコンをもて遊んでいると、かわいい女の子が歌を歌っている。BSの映画だった。

9歳の女の子・エイミーは、話せない、聞こえない。人気ロックミュージシャンだった父親が嵐の野外ステージで感電死するその姿を目にした時からそうなった。3年間、エイミーは一言も話さなかった。
ある日、近くにすむ売れないミュージシャンの歌を耳にしてから、エイミーは歌を歌うようになる。自分の心を歌に託すかのように。
しかし、心は開かない。
ふたりで暮らす母親は、我が子を精神科へ連れて行く。医者は、歌にだけ反応するエイミーに歌いかけながら診療する。

♪これは、なんに見えるか~い?♪

♪お馬さんよ、お馬さん~♪

でも、エイミーの心は閉じたまま。
母子の生活を問題視した保育施設に保護されたエイミーは、ひとりで施設を抜け出す。警察、知り合い、近所の悪童にいじわるおばさん、みんなそろってエイミーを探す。

♪エイミー、どこにいるんだ~い? 出ておいで~♪

結局、エイミーは、公園でやっていたライブステージから流れてきた父親の曲を耳にしたことをきっかけに、トラウマから解放される。彼女は、父親が嵐の雨の中、感電死したのは自分のせいだと思い込んでいたのだ。
自分を取り戻したエイミーは、自宅前で迎えてくれるみんなに、初めて語りかける。

--Thanks for looking for me,everyone.みんな、探してくれてありがとう。


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泣けた。そして、考えた。人の心の不可思議。

エイミーは父親の死を目にして心を閉ざし、父親の歌をきっかけに自らに戻った。
でも、映画だからエイミーは自分に戻れたけれど、戻れないままに漂う人の方が実際には多い。
ぼくらは自分は自分だと思っているけれど、そう思えない人も多い。
自分がひとりではなくて、何人もいる人たちもいる。
いったい、どれが“自分”なのか? 何より、“自分”って、なんなのか?

--今の自分は自分じゃない。自分じゃない自分でいるのが自分なの。

そう言う女の子に会ったことがある。はたちの頃、沖縄で。
ぶらぶら旅行していたぼくと、旅先で知り合った23歳のトラック運転手、そして「自分じゃない」と言う16歳の女の子。
3人で、深夜、ユースホステルを抜け出し、浜辺で話した。いや、話したとは言えないかもしれない。女の子の言うことを、ぼくと運転手のあんちゃんはただただ聞いていた。何を話しているのか、わからない。ただ、苦しんでいることだけは、わかる、なぜだか。

--死ぬことはできないの、自分じゃないから。

--・・・・・・自分だったら、できるんか?

あんちゃんが、よろよろと尋ねた。女の子はきっぱりと、

--あたり前よ、自分だもの。だから、自分になりたいんじゃない!


浜辺での衝撃がようやく薄れ出した頃、ぼくの下宿にその女の子から電話がかかってきた。東京にきた。運転手のあんちゃんとぼくに会いたい、そう言う。
あんちゃんは、あの旅のあと、運転手をやめて南米に行った。
あの時、相手をしたのはあんちゃんとふたり。今度は、ぼくだけ。
彼女と話すと、ぼくの“自分”も、自分ではなくなる。そんな恐怖が四方八方から迫ってきた。
なんだかんだと電話口でごまかし、ぼくは女の子と会うのを避けた。
怖かった、ただひたすら。

女の子の言葉は精神が病んでいることからきたのか、それとも自己へと足を踏み入れようとする自分に気づいた時の逡巡だったのか、わからない。でも、「自分じゃない、あたしは自分じゃない」と繰り返された時、そして「あんたは?」と問われた時、ぼくもあんちゃんも何も言えなかった。

自分とはなにか、なんなのか?
もう十分わかってていいはず(とその頃は思っていた)年令になっても、さっぱりなんにもわかっていない。

自分って、なんなんだろう?
空っぽのよろいに精神を封じ込められた『鋼の錬金術師』のアルは、自分というものが本当に存在したのか、今も存在しているのかという答えの出ない苦悩に責めさいなまれている。

体のない、心だけの自分は、実在すると言えるのか?
キリスト教徒たちは、最後の審判でよみがえる魂が行き場を求めてさまよわないように体をそのままに保とうとする。大リーグ最後の四割打者デッド・ウィリアムスの息子は、近い(または遠い)将来、復活させようと父親の体を冷凍保存してきょうだいたちから訴えられた。
自分の入れ物としての体が、それほど大切なんだろうか?
その息子本人は、30代半ばの若さで白血病に倒れた。


自分って、なんだろう、ほんとに。
エイミーはいいな、自分に戻れて。


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そんなことをぐにぐに考えていたら、5時になっていた。

あぁ、眠い。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

♪今日のBGM=Deep Purple 『Stormbringer』


頭「頭」


きょう、あすと宮崎。宮崎行きは久しぶり。

宮崎には民放がふたつしかない。TBS系列局と、フジ、日テレ、テレビ朝日3局クロスネットの局。数年前まではどちらの局にも今は偉くなられた制作部長さんや局長さんがいて、年に数本、一緒に仕事をさせてもらっていた。
その部長さん、局長さんがもっと偉くなり制作部を出ると、ぼくとの関係もプツリと途絶えてしまった。

フリーの構成屋を入れるには、当然ながら経費がかかる。その経費がかかってもよしとする部長、局長さんならば、社外の人間を制作スタッフに入れることもいとわない。
しかし、社内スタッフだけで番組はできるのに、なぜ金をかけてまで社外の人間を雇わねばならんのか? そう考える部長・局長さんだと、ぼくのようなフリーを番組制作に参加させることはほとんどない。

雇われるフリーの立場だから言うのではないが、「社内の人間だけでできるのに」と考える制作責任者は、もう古いのではないか?
確かに社内の人間だけで番組はできる。そして、無事に流れる。そこに社外の人間を入れる余地はない。彼らはそう考えている。しかし、実際の番組制作は社外の人間に頼り切っているのだ。
ある番組を例にとると、スタッフの中で局の社員はディレクターだけ。カメラマンも音声も、選曲も、そして編集する人間も、すべてが社外の人間。子会社・関連会社に所属しているというだけだ。

先日、やった番組は、ディレクターまでが関連会社所属。制作に関係したスタッフの中で局に所属する人間は、プロデューサーただひとり。そのプロデューサー氏は、制作現場に一度も顔を出したことがない。ゆえに、ぼくも一度もお目にかかったことがない。
オンエアした時に流れるスタッフロールで、

--あぁ、プロデューサーはこんな名前の人なのね。

と初めてわかる程度の存在だ。「社内の人間だけで制作」が聞いてあきれる。

今、大半の局は、経費削減のためにカメラマンや音声担当を子会社化した組織から出向させている。それは社外の人間に頼り切っているということではないのか。
同様に、ディレクターも子会社やフリーの人間が増えている。厳密に言えば、今、社内のスタッフだけで作っている番組など、ないに等しいのだ。要は、「金をかけたくない」ということに過ぎない。

偉い方が制作の現役だった頃と今は違う。経済のあり方も違うが、制作現場の人間が抱える仕事の量が決定的に違う。
どの局でも争うようにやっている情報番組。毎日やるのは、ものすごく大変だ。それを社内スタッフだけでやらそうとする。当然、ムリだから、この番組だけのアシスタント・ディレクターやディレクターを公募して投入する。番組が終わるとサヨナラ。
結局、制作力がつくのは、社外の人間ということになる。
局は経費を削減しながらも、お金を払って社外の人間に制作経験を積ませ、ノウハウを積ませていることになる。

局では制作部のスタッフがどんどん削られている。中には、制作部が存在しない局もある。テレビ局でありながら、テレビ番組を作るセクションがない。不思議なことだ。
しかし、それはそれでいいことだとも言える。働かない社員に番組を任せるのではなく、番組ごとにスタッフを集める方がよりクオリティの高い番組になるのは確実だから。

今後、ディレクターの役割は、どれだけ優れた社外スタッフを集めることができるかという、言ってみればコーディネイターとしての役割が主体になっていく。バラバラの人を集め、それぞれの能力を最大限に発揮できるように、精神的なメンテナンスも含めて全員をチームとして動かしていく。そうした才覚が欠かせなくなっていくだろう。
企画-取材-構成-編集と、ひとりでこなしてきた昔のスタイルは、もうすでに崩れつつある。

「社内の人間でやれる」
そう考えている偉い方々。あなた方は制作現場の現状を見ていない。あなた方の局で制作している番組のほとんどは、すでに社外の人間なしには成立しなくなっている。社内の人間だけで番組を作っているように錯覚しているのは、経済効率だけで考えているからに過ぎない。

ぼくは、ちんたら働く局の人間よりも、限られた時間で精一杯のことをしようとするプロダクションの人間と一緒にやる仕事の方が好きだ。
例えば編集。局の人間(出向している子会社の人間を含む)は、「ムリだ」「できない」「時間がない」という言葉をすぐ口にする。プロダクションの編集マンは、決してそんな言葉を発しない。とにかくやる、トライする。それも編集ルームが押さえられている時間内に。
一緒にやっていて気持ちいいし、結局できなくてもやろうとしたという満足感が残る。

局の人間は、編集機が無限大の時間、使えると思っているフシがある。しかし実際は、数千万の費用がかかっている編集システム、ひとつの番組に使う時間が長くなれば、その番組にかかる経費は増えて行く。使えば使うほど、編集システム導入及びメンテナンスなどでかかる費用を食いつぶしていることになる。
しかし、そんな考えを持つディレクターは、めったにいない。

その点、プロダクションは厳密だ。ある番組用に3日間だけ押さえているとすると、その3日間で番組を完成させなければならない。ほとんどの場合、延長はできない。だから懸命だ。
先日、沖縄で編集を社外のプロダクションでやった時も、朝7時までほとんどノンストップ。その編集ルームで次の仕事が開始するまでに今の番組を仕上げないと、会社が成り立っていかないから。
かと言って、編集クオリティが下がるわけではない。時間がないからといってクオリティを下げると、次の仕事が入らなくなる。
その時は、20代後半らしき編集マンだったが、ひと言もグチをこぼさず、ディレクター氏やぼくの依頼を聞きつつ、番組を仕上げてくれた。

ディレクターの仕事がどんどん増えたり、編集の時間が削られていくのは問題だ。いい意味での余裕がないと、番組の内容を練ることもできない。しかし、それは、文句の多い、のらくら働くことを是とすることを意味しない。
局の人間は、一度はプロダクションに体験入社したらどうか。経済的にも時間的にも機材的にも、どれだけ厳しい条件下で、できうる限りの仕事をしているか。その現場をきっちり経験してみたらどうか。
そして、その現状でよりよいものを目指しているプロダクションのスタッフを見て感銘を受けないようならば、テレビマン、テレビウーマンを廃業した方が視聴者のためだ。

そう、よろしく願いたい。



番組構成師の部屋



“ネコ助-Aoi's Room”

♪今日のBGM=38Special 『 Live At Sturgis 』 


両手「両手」




昼下がり、ふと思いついて地方の都会へ髪を切りに。

いきつけの、と言っても、年に3回くらいしか行かないのだけど、散髪屋さんが都会の地下街にある。
ぼくは、たまにしか来ない、あてにならない客だけど、ここの担当のお兄さんはちゃんと年賀状をくれる。もう10年近くになるだろう。
今日もぼくの顔を見ると、名前を呼んで、

--お久しぶりですね。

と言ってくれた。その言葉だけで、車で1時間の距離を走り髪を切りに行っているようなもの。何気ない、さりげない言葉が大切だと思う瞬間。

他にサービスがあるでなし。寡黙なお兄さんは、ぼくの髪をあたっている間、まったく口をきかない。それがぼくには心地いい。
やたらめったら話しかける、それはサービスでもあるのだろうけど、散髪屋さんに限らずそんなお店は疲れてしまう。
髪をやってもらっている間、ぼくは目をつぶってアタマの中をカラにする。ちょきちょきしゃっしゃ、耳元で音がする。日常にはないその音に、気分がふんにゃり、溶けていく。

いいなぁ、はさみと、くしのおと。

音を聞きながら、ぼくは思い出していた。
東京に住んでいた頃は、家から歩いて3分くらいのところにある散髪屋さんに行っていた。
その散髪屋さんは、店を開いて50年。ご主人は一日と休まず、ずっと店に出続けているというおじいさん。なんだか、奇跡のような店だった。
セメント打ちっ放しの床、足踏みで上下する椅子。頭を洗うための流しは、鏡の下にない。頭を洗うには、シャンプーでアワだらけになったまま、からかさお化けのような格好で、店の片隅にある格子タイル張りの流しまで歩いて行かなくちゃいけない。
ひげを剃る時には、上あご下あご、そして頬にシェービング・クリームを塗りつけて、しゃっしゃっとリズムよくカミソリを革でとぐ。チャップリンの映画、確か『独裁者』に、同じようなシーンがあった。あの散髪屋の親父をもっと年をとらせて東洋風にした、そんなおじいさんだった。

おじいさんは、ぼくのヒゲをそりながら、近頃(と言っても、もう15年以上前だけど)の、この界隈の話を聞かせるともなしに話した。

--近頃ぁ、高級住宅街なんて言ってるが、ちゃんちゃらおかしいね。

ぼくが住んでいたのは、自由ヶ丘と田園調布にはさまれた、エアポケットのように(あえて良く言えば)庶民的なところ。ほんの1、2分歩くと、これぞ豪邸というようなお宅が並んでいるような場所だった。

--昔はね、このへんのお百姓は100坪単位でしか土地を売らなかったんだ。面倒だからね、計算が。それを、浅草とか谷中とか、ハイカラなところに家を建てられない貧乏人が仕方なく買ったんだ。
それが、何が高級住宅街だい。東急電車が通ってくれたから、あとから値が上がっただけじゃないか。ワタクシお金持ちでございって顔して、道歩くんじゃないよ、胸が悪くなる。

頬にカミソリの刃を感じるので、笑えない。ぼくは、心で「ほんとほんと」とうなずきながら、おじいさんの話を聞いていた。

50年間、こうして人の髪を切り、ひげを剃りながら人のいい悪口をはきはき、おじいさんは生きてきた。偉いもんだ。真似できない。
おじいさん、いくつくらいだったんだろう。


今もまだ、あの散発屋さんはあるだろうか?
おいじさんは、店に立ち、カミソリを研いでいるだろうか。

上京するたびに、あのあたりへ行ってみたいと思う。
でも、きっと行かないまま。その方がいいんだ。


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散髪、あっさり終わる予定だったのだけど、染めたりしたので2時間以上もかかってしまった。昨年、「いっちょ染めてみっかな」とやってみたのはいいけれど、伸びるにつれて白髪の根元が見えてくるのがすきっとしない。んで、根元は白く、中程は黒く、先っぽは染めた色という、三色頭になった頃、散発屋さんへ行くこととなる。

染めるといっても、そこはおやぢの社会人。少しだけ赤みがかってるかな?という程度。金髪にでもしようかと思ったけど、お得意先をなくすと困るのでヤメ。おやぢの金髪ってのも、気味が悪いし。

しかし、染めると高い! だから年に3回程度しか行かない。
夏になったら、また後ろで束ねてポニーテールじゃっ!


番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

♪今日のBGM=Allman Brothers Band 『Hittin' The Note』


鼻乗せ「お鼻に時計も乗っけられます」


う~。

今日は久々に朝から机にへばりついて、はや夕方。
メシの準備をせねばいかんのだが、買い物に行きそびれて食うものがない。困ったな~。バンメシ抜きっ!つうわけにはいかんか。

普段は3時頃、鍋にはった水に乾燥シイタケを3、4ケ放り込み、そのまま冷蔵庫に入れてダシをとる。乾燥シイタケは冷水の方がうまみが出やすいんだということをテレビ番組で知ってから、そうしてる。

切るか、焼くか、煮るか、ぼくの料理は3パターンしかないが、みそ汁のダシだけはうるさい(って以前も書いたな)。まず、乾燥シイタケ。そして、乾燥シイタケが柔らかくなってきた頃合いを見計らって、煮干し(ぼくらの方ではイリコと呼ぶ)をひとつかみ入れる。味の深さが変わる。

最近、無念なのは、乾燥シイタケがびっくりするほど高くて手が出ないこと。大分県産の“どんこ”と呼ばれるヤツの乾燥版なぞ、とても冷水にぶち込めないほどの高値。
あれこれ高い時の一番の味方が中国産。ところが丸ごと乾燥シイタケは、中国産でも高いのだ。困った困った困ったぞ。
と思案したあげく、今使っているのは、中国産のスライスした乾燥シイタケ(実際は、生シイタケをスライスして乾燥させたんだろう)。味ががっくんと落ちるけど、仕方ない。名人は筆を選ばんのだ(だったら味を落とすなよ)。

なんてことを書いているヒマを惜しんで買い物に行けばまだ間に合う!
しかし、めんどい、しんどい、うざったい。
“うざい”というのは、どっかの方言だろうか? ぼくの住む近辺では使わない気がする。ちょっと語感がよかったから並べてみた。

語感の良さ。
先日、飛行機内で演歌を聴いていた時のこと。
うとうとしていた耳に、いきなり強烈な言葉が飛び込んできた。

 ♪やぼてん、いかてん、ところてん♪

ものすごく気に入ったんだけど、曲名を忘れてしまった。
なんて歌だっけな~? このフレーズだけ、しっかり覚えているのだが。

 ♪やぼてん、いかてん、ところてん♪

こういうのも韻を踏んでるっていうのかなぁ。意味は、ないけど。
某音楽評論家によると、意味なし歌詞の最初は、サザン・オールスターズの『勝手にシンドバッド』だそうだ。なんか、違う気がするけど、まぁいっか。
ぼくは『勝手に~』を初めて聞いた頃、耳が追いつかず、聞き取れずで、

 ♪砂混じりの茅ヶ崎♪

てところを、

 ♪砂混じり乗せて通勤♪

だと、ずーっと思っていた。

--なんで砂混じりで通勤せないかんのかなぁ?

そう思ったけど、よくわからん歌詞だからそんなもんだろうと決めつけていたので、本当の歌詞を知るのはそれからずーっとあと、4、5年たってからだった。

そう言えば、ぼくの下宿にはテレビがなかったので、ピンク・レディも一世を風靡し始めてしばらくの間、見たことがなかったのだった。

その頃を思えば、テレビってなくても、な~んも困らないんだな。
ヒマがつぶせる効用ってのはあるけど、ヒマじゃない時間もつぶしているかもしれんし。大いなる時間のムダづかいマシーンであることは間違いないかも。

てなこと言って自らをなぐさめても、あしたの締め切りは遅くならんぞ~。

あ~、あかん、本気でおなかがすいてきた。
よしっ、今日は、大奮発してなべ焼きうどんじゃっ!

あ、もう暑いな、やめよ。
ざるソバに変更して、外食へ出発っ!


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予言通り、ざるソバ(大盛り)&おにぎり2個の夕食。
駅に近いこのそば屋さん、おとなしいご夫婦ふたり切りでやっているようで、特にお愛想を言うわけでもなく、ただ実直な感じが心地いい。
ソバは店で打っていて、細くて、かなりおいしい。

すぐ近くにあった大型店舗(ジャスコ)が店を閉めた時、駐車場を持たないこの店がやっていけるかどうか、ちょっと心配した。でも、2年ほどのあいだを置いて、同じ場所に新しいスーパーが開店し、安心する。
と言っても、ぼくが心配するほど客足は落ちなかったみたい。きっと近くの人たちが、ふらりぞろりと食べに来るんだろう。

今日、ソバをすすっていると、幼稚園児くらいの女の子とカゴに入れた赤ん坊を連れた若い夫婦が入ってきた。
だんなさんは、赤ん坊を入れたカゴをコンクリートの床に置こうとして、おかみさんに叱られた。そりゃそうだろう。モノじゃないんだからさぁ。
おっきなだんなさんが、半分くらいしかないちっこいおかみさんに叱られてるのは、見ていておかしかった。

ソバを食べれど、空腹おさまらず。腹八分ならぬ、腹四分くらい。
家に帰って、コーンフレークをミルクもかけずそのままばりばり。ようやくおなかいっぱいに。
しかし・・・・フレークがおなかでふくれたのか、う~、きぼちわりぃぃぃ。

もたれた胃袋をかかえつつ、仕事に復帰。
早くこなれろぉ。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”



♪今日のBGM=Ringo Starr 『Ringo Rama』


久々だなぁ、音楽を聞きながら日記を書くなんて。

あちこち行く日が続き、その合間に日記を書く時は、ノートパソコンを使ってコタツの上でテレビを見つつ、というパターンにはまっていた。
やっぱ音楽流れる中で書いた方が、心地いい。第一、テレビを見ながらだと話がまとまらん。主語と述語が呼応しなかったり、起承転結ならぬ、起承転転転転・・・・、いつまとまるやらというハメになったりしてしまう。

今日のBGMは、リンゴ・スターの(確か)今のところ一番新しいアルバム。
ぼくはビートルズ四人衆の中では彼が一番好き。他の三人に比べると風采あがらない(失礼)し、歌はヘタだし(ドラムは味があるけど)てなことで、中学時代は友人たちから、

--お前、なんでリンゴなんか好きなん? 歌も歌えんとに。

とよく言われたもの。その時は好きな理由が言えず、なんか好きなんやからい~やんか、というのがやっとだった。
でも、好きになるのに理由なんかいらんのだ。波長が合えば、それでOK。心地よければ、すべてOKなのだった。

友人には、リンゴが大嫌いというヤツがいた。その理由は、

--レコードの真ん中に自分の絵を入れとるやん。えらそ~に。

・・・・・・友人ながらアホである。

--りんごは英語で“apple”ちゅうんぞ。リンゴのRingoは、イギリス人の名前、人のナ・マ・エ。富士や国光と違うんぞ。

かなりな説得を試みたのだが、納得してはもらえなかった。
あれから早や30年。伝え聞くところ、某百貨店のマネージャーをつとめているとか。今もワケのわからないことを口にして、部下たちを困らせていないだろうか。
リンゴを聴きつつ、ついつい記憶がさかのぼってしまうのであった。


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記憶をさかのぼると言えば、先日、母校の校庭に立った時、いろんなことがアタマの中を逆流していった。走馬燈っていうのは、こんな状態のことを言うんだろうか。そんな感じ。

たまたま、ここ“楽天”で後輩に邂逅し、走馬燈が復活した。


忘れもしない、入学式の日。
ぼくが高校生活の第一歩を記すクラスは、古い木造の校舎の、一回の一番端。
そこへ足を踏み入れたとたん、教室の異様さに圧倒された。黒いのである、教室内が。真っ黒!
目を凝らしてしげしげ見ると、黒の学生服に身を包んだ男ばかりがどっさり、イスに座ってる。男しかいない、オトコだけ!
楽しかるべき高校生活のスタートを、こんな野郎の集まりの中で切らねばならぬのか。ぼくはアタマがくらくらした。

ぼくらが入学する年から学区がかわり、入学する生徒数がひとクラス分、増えた。45人ずつ11クラス。総勢495人。そのうち、女の子は100人いない。必然的に“オトコだけ”のクラスが出現することとなる。
ぼくはその“オトコだけ”クラスに当たったのだった。

落ち着いたところでもう一度見回すと、何やら髪の毛がもじゃもじゃしとるのが7、8人いる。その頃、ぼくらが住む近辺の中学校は大半が坊主頭。だから、卒業前から春休みにかけて延ばしたとは言え、まだまだざん切り頭のハズなのだ。
しかし、天然パーマか、はたまた人工なのか、髪の毛クルクルねじねじ野郎があちこちにいる。目つきも悪い。

--なんか、こわ~。

入学式当日の教室で、無言のカツアゲをくらっているような気がした。
彼らは浪人をして入ってきた連中だった。当時、中学浪人がはやっていたんだろうか、世間に余裕があったんだろうか、同級生にはかなりの数の浪人生がいた。
中には、2年間の苦闘の日々を経て入学してきたヤツもいて、そいつは高3の時、ハタチになり(ふつうは18歳)、担任相手に手を挙げて、こう言った。

--先生、オレ、今日でハタチなんやけど、タバコ、吸ってもいい?

マジメな担任の先生は、困った顔してしばらく考えたあげく、

--すまん、○○、学校だけではヤメてくれんか。

当たり前である。
しかし、マジメな反応をする担任の先生も、おかしな主張をするハタチの同級生も、ぼくは好きだった。

真っ黒な中で始まったぼくの高校生活は、すぐにメチャメチャ楽しくなった。オトコだけということは、女の子がいないということなので、何の気兼ねもなく自由なのだった。
ぼくらの校舎は、いずれ建て替えるというハナシで、割れた窓ガラスはそのまま修復されず、カーテンもない。夏は暑くてたまらない。
そんな時は、上半身ハダカで授業を受ける。女生徒がいたら、さすがに集団裸体は披露できなかっただろう。

地理の授業中、破れた窓から何やらバサバサと入ってきたことがある。
なんだなんだと、教室中を自由自在に飛び回るヤツに向かって、みんなそろって学生帽を投げつける。そうして仕留めた獲物を見ると、小さな小さなコウモリだった。
地理の先生は、

--ちっこ過ぎて、食べてんうもうなか。捨てんしゃい。

食うつもりだったのか、ちょっとびっくり。
この地理の先生、お寺の息子で、ぼくらが卒業してからお寺を継ぎ住職になったと聞いた。
しかし、その言動は仏の道にもとるもので、何かというと、

--お前たちのキ○タマは汚かろうが。オレのはお姫様のキ○タマのようにきれいかぞ。

という、またまた得体の知れないことを口走るのだった。
でも、おかげで地理は大得意の学科となった。

夏はハダカになればいいが、冬になるとそうもいかない。
一年生の冬になっても、“建つはず”の新校舎はその基礎さえ姿を見せない。
九州とはいえ、北部は雪も降る。窓ガラスは入らないまま、カーテンもないままだから、窓際の席は机の上に雪が積もる。

--せんせ~い、雪が積もって、ノートがとれませ~ん。

--しゃーないな、ちょっと机ごと、横へ寄れ。

窓際の連中は、机を両手で抱え、イスを足で引きずりながら、ずーりずーり、雪が降りかからない場所へと移動するのだった。
雪は降り込む、風は吹き抜ける、当然ストーブなぞない。よくもまぁ、あんな北極のようなところで授業を受けていたものだと感心する。今だと父兄が黙っていないだろう。

授業中、教室の後の羽目板から、もくもく、煙が出てきたことがある。休み時間に吸ったタバコを、誰かがきちんと消さずに板壁の節穴へ放り込んだに違いない。

--先生っ! ケムリが出よる! 火事ばい、火事っ!

--はよ、はよ、消さんか!

無事、鎮火したあと、先生は言った。

--みんな、タバコの火は、ちゃんともみ消せよ。

こら~っ、ちゃんと叱らんかっ!
でも、タバコを20代でやめることができたのは、吸いだめしておいたからかもしれない。


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書き出すときりがない。やめよう。


そんな、はちゃめちゃ楽しい1年間を過ごした木造校舎は、もう跡形もない。
昼休みのチャイムが鳴ると脱兎のごとく駆け込んだ食堂も消えた。
コーラの原液が出てきて、飲んで死ぬ思いをした自動販売機も今はない。

歴史を感じさせる、緑豊かな正門は、その両側をアパートに囲まれ、窮屈そうに開いていた。

今はもうないものばかり。
でも、3年間の楽しい想い出は、今もしっかり、残っている。

どうしてあんなに楽しかったんだろう? ぼくの友人たちにも、学校が嫌いだった、行かなかったというヤツらが結構いるけれど、ぼくは学校が大好きだった。

国鉄(古い!)がストで全面的に列車が止まった時、ぼくは自宅から自転車で学校に行った。授業はやらないとわかっていたけど。
学校に着くと、同じように自転車やバイクでやってきた連中がちゃ~んといる。こんな時だけ、以心伝心。サッカーやバレーボールなんぞをして遊び回った。

学校は遊ぶところだ。学ぶところじゃない。そんな“不文律”がぼくらにはあった。だから、ぜんぜん勉強しない。当然、受験はうち揃って撃沈。浪人生活へと突入する。
ぼくが三年の時のクラスで、現役で大学へ行った男子生徒は1、2人しかいない。当時の担任は校長に呼ばれ、こってりアブラをしぼられたそうだ。

その担任は、大学時代にお宅を同級生たちと訪ねた時、

--おもろかったなぁ、お前らのクラスは。

と言ってくれた。でも、こう、付け加えた。

--はらはら、どきどき、したけどな。

その担任の先生も、今は亡い。


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 ♪ 雨も漏ります 天井から
 ♪ 風も負けずに 破れ窓
 ♪ 天気のいい日にゃ お天道様が
 ♪ カーテンないので まぶしいよ

こんな、学校の名前をとった“某筑節”なる歌もあった。
先輩が作ったとされる名歌。
しかし、ガラス窓がきちんと入った今の母校には、もう伝わってはいないに違いない。





番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚、追加です。



きのう、出張先からの帰り、ちょうど時間が合ったので、
欠席予定だった同窓会の役員会に出席。

懐かしき母校の裏を歩いていると、音楽室からプラスバンドの練習が聞こえてきた。

--お~、結構うまいじゃないの。

と思って耳を傾けていると、なんだかココロ懐かしきメロディ。
ありゃ?、とよく聞くと『北酒場』。

--北の~、酒場通りにはぁ、長い髪の女がにあうぅ~

ついつい口ずさんだけど、この曲を練習してどうするのかしらん?
テンポがいいから応援にはいいのかも。
しかし、ぼくらの頃、プラスバンド部なんて、あったかしらん?

ちょっと校内へ入ってみる。
春休みだから、校舎はがら~ん。校庭にも誰もいない。
一角にある音楽室から演奏が聞こえるだけだ。


ぼくが高校に入った年の夏、野球部が甲子園へ出た。確か16年ぶりだった。
その年は一回戦で負け、応援には行けなかった。残念だった。

大学2年の夏、また出場。ぼくは友人たちと甲子園へ応援に行った。
その時、ブラスバンドはいなかったような・・・・・。
鳴り物は大太鼓くらいしかなかったような気がする。

鳴り物があろうがなかろうが、ぼくらは、炎天下のスタンドで、
後輩たちの一挙手一投足に大騒ぎ。
しかし、なんとも迫力のないチームだった。
大会が終わった後の講評で「代表にしてはあまりに非力」と書かれたくらい。
打った球が外野まで飛ばない。相手の外野手はヒマそうだ。

なのに、勝ってしまうのだから、勝負というのはおもしろい。
甲子園のスタンドで聞く校歌。歌いつつ、やっぱり胸がジーン・・・・・
と感激してたら、あっと言う間にエンドの校歌名リフレインパートに。
校歌の途中部分が省略されている。
母校の校歌はえらく歌詞が長い。勝利校の校歌斉唱は長さが決まっているらしく、
短く編集されていたのだった。

そんなこと、前もって知らないから、当然、甲子園に流れている校歌と
ぼくらが歌う校歌はズレる。
あらら、と思っていたら校歌斉唱終了。せめて一番全部、歌いたかった。

その年、母校は三回戦まで行った。
甲子園のスタンドで過ごせた暑い夏。後輩たちに感謝、感謝。


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“役員会”は会議ではなく、会報の発送作業。
資料をテーブルに並べ、男性陣が横に流れながらセットしていく。
それを女性陣がホッチキスでとめ、ふたつ折に。
封筒に入れ、宛名ラベルをはり、2時間弱で無事終了。

その後は、やっぱりビールで乾杯。
あの頃に比べ、みんな、ふたまわりは太くなった。
60キロなかったぼくも、20キロ近く体重が増えた。
そして、それなりに年をとった。

でも、同級生は、いつまでたっても同級生。
懐かしさはそのままだ。
今日、明日と熊本。
今月20日頃から海外取材が始まるので、ちゃんとした打合せをする予定。
普段は日帰り。でも、それだとどうしても最終電車が気になるので、
今回は泊まりとしてもらった。
これで、時間を気にせず、話せるし、飲める。
シンデレラのごとく、

--あ、あと3分だわ!

と時計を気にする必要もないのはありがたい。
でも、宿泊費が余計にかかると思うと気にかかる。小心者。

泊まるのはたった一晩だけど、打合せに使うかもしれないファイル4冊を持参。
重いのでコロコロバッグで行くことに。
荷物を入れて、部屋でコロコロさせると、なんとなく嬉しい。ラクちん。
コロコロ引っ張る姿がおじん臭くも感じるが、ま、いっか、おじんだから。


来週半ばまでに大ラフをアップしなきゃならない。
開局35周年(だったと思う)の記念番組ということで、キー局から新たに
おいでになった社長さんが進捗状況をいたく心配されているとか。
で、その精神的メンテナンスのために作る。

ドキュメンタリーだから、実際にインタビューなど取材を進めないと
どんな格好になるか、正直言ってわからない。
わからないのだが、偉い方々は、

--台本を早く出せ。

とおっしゃること、多し。

台本のあるドキュメンタリーなぞ、ない(たまにはあるが)。
こんな流れになりますよ、というのを推測憶測で書くことになる。

偉い方々の懸念を和らげるために、その通りには決してならない台本を書く。
ムダな作業と言ってしまえばそれまで。
自分のアタマの整理のつもりで書きますか。資料、読み返さなきゃ。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

東京往復はANA。
機内で、「演歌は、ANA」、その意を強くした。

なぁに?「さいでっかぁ?」


沖縄往復はJALだった。演歌のプログラム、選曲がつまらない。
最近の演歌(というか、歌謡曲)が多かったからだろうか?

ANAの歌謡曲チャンネル。元アナウンサーの鈴木史朗氏がパーソナリティ。
パーソナリティと言っても、ラジオじゃないので、自分の思うまま、
アドリブで話す部分は無いに等しい。きっちりシナリオができている。
それが、結構、ぼくの耳を傾けさせる。

東京往復は同じプログラム。その中に「昭和の歌」というコーナーがあり、
今回は昭和42年-1967年の巻。

まず1曲目・・・・・・・

*『小指の思い出』 伊藤ゆかり

--あなたがかんだ 小指が痛い

「そりゃ~、痛いやろぉ、かまれたんやけん」
小学生のぼくは、可憐に歌うゆかりさんを見ながら、そう思った。

--きのうの夜の 小指が痛い

「まだ、痛いんやね。かわいそか」
あ~、ガキでした。


///////////////////////////////////////////////////////

*『君こそわが命』 水原弘

お~、メチャ久しぶりに聞くと、エエ歌やねぇ。

聞き耳「確かに、聞き耳立てちゃうわん」


水原弘さん、すっかり忘れとったわね。
昭和34年、『黒い花びら』で、第1回目のレコード大賞を受賞したのに、
勝新太郎と飲み歩き、体を壊し、借金の山。
その苦難から再起を賭けたのがこの『君こそわが命』。
で、見事にヒット。レコード大賞歌唱賞まで受賞し、復活したのだった。

--あなたをほんとは さがしてた 汚れ汚れて 傷ついて
--死ぬまで逢えぬと 思っていたが
--けれどもようやく 虹を見た あなたのひとみに 虹を見た
--君こそ命 君こそ命 わが命

ものすごい歌詞やなぁ。“瞳”に“虹”を見ちゃうんだもんなぁ。
そして、“君こそ命、わが命”。く~、きくっ!

しかし、二番まですんなり歌えてしまう自分がコワい。
水原さんがテレビで歌っている姿は全然記憶にないのだが、
つるつる、歌詞が口をついて出る。
ぼく、どんな環境にそだったんだろう?

でも、三番までは知らなかった。
その三番の歌詞に、秘密が隠されていた。

--あなたをほんとは さがしてた その時すでに おそかった
--どんなにどんなに 愛していても あなたをきっと 傷つける
--だからはなれて 行くけれど 君こそ命 君こそ命 わが命

あら、はなれて行っちゃうの? 遅かったの?
“わが命”にめぐり合ってよかったよかったソングだと思っていたのに・・・・・。
実は悲しい別れの歌だったと、『君こそわが命』誕生37年目にして
初めて知った。
う~ん、ムード歌謡の歌詞は深い・・・・・・。

深酒から足を洗えなかった水原さんは、巡業中、北九州で吐血し、亡くなった。
まだ40代前半だったはず。惜しいなぁ・・・・・・合掌。


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*『世界は二人のために』 佐良直美

--愛 あなたと二人 花 あなたと二人
--恋 あなたと二人 夢 あなたと二人
--二人のため 世界はあるの 二人のため 世界はあるの

「な~に勝手なこと言ってんだか、ばっかやどぉ!」
恋を知らないガキんちょは、そう思っていた。う~む、浅薄な子ども。
しかし、究極のわがままソング。個人主義、ここに極まれり!
当時、そんなことを言う人は確かにいたような気がする。

佐良さんは120万枚を売ったこの曲でレコード大賞新人賞に輝いた。
続いて『いいじゃないの幸せならば』という、これまた“自分勝手ソング”で
レコード大賞をも受賞し、スターの座についた佐良さんは、ドラマに出たり、
紅白歌合戦の司会をしたりと、八面六臂の活躍だった。

それが、突然、ブラウン管から姿を消した。
同性愛のウワサがきっかけだった記憶がある。

同性愛がほんとかどうかは知らない。
しかし、ウワサだけで活躍の場を追われるというのはヒドイ話。
テレビ局は、視聴者は、いつの世も冷たいものだ。

今、佐良さんは、家庭犬のしつけ教室を主宰されているとか。
その方面の著作もおありになるという。
お元気なんでしょう、きっと。

がんばって「がんばってください」



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こうした曲がはやった昭和42年-1967年。
平均的なサラリーマンの年収は、28万円台だったという。
はぁ~、今の20分の1以下・・・・・時代を感じる。

ANAの歌謡曲プログラム、役に立つなぁ。あなどれん。


他に「韓国の歌コーナー」があり、『カスマプゲ』、『釜山港へ帰れ』、
『珍島(チンド)物語』などが聞ける。よかね~。

ふとチャンネルをかえると『ハイウェイ・スター』が流れてきた。

次も、ANAにしよう!

日本の空は美しいっ!!


青空&雲


東京出張の際、飛行機の窓から見えた青空&雲。
この写真を撮ってたらスチュワーデス(キャビン・アテンダント?)が飛んできた。

なんの気なしにデジカメのつもりで撮ったんだけど、
その本体は携帯電話。
飛行機の中では電波機器は作動させてはいけないのだった。

私が悪うございました。
ごめんなさ~い、もうしませんっ!



素晴らしき建物(でも、ただの森ビル)


六本木ヒルズ



最近、この最先端スポットの足元にある4階建ての
ちんまりした宿に宿泊すること、多し。
一泊税込み8000円を切るというリーズナブルさ。

泊まった翌朝、そびえ立つ姿に敬意を表し、パシャリ。
観光客がツアーでわんさといる。
この日は、関西からのおばさん団体。ヒルズの中庭を見て、
「これなら偕楽園の方がええわ」
日本三大庭園と比べられては、そりゃかないまへん。

個人的には、一度見上げただけでいい。そんな場所。




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東京から帰り、日曜深夜にオンエアされた番組を録画で見る。
ぼくが構成を担当した、沖縄の伝説的ロックバンド・コンディション・グリーンのボーカル、かっちゃんが登場する番組。

全編ハイビジョン撮影。う~ん、やっぱりきれいだ。海の色や、木々の枝の細かさ、高く生え茂る竹の緑など、これまでの撮影方式では画面に出すのは難しい。

音のバランスがいまいちかな?
素人のかっちゃんに語ってもらったので、彼の声を聞き取れるように、編集マンが気を使ってくれたのだろう。編集室のいい音が出るスピーカーで聞く分には、う~ん、いい音だ、で済んでしまうのだが、それをテレビで見ると全然違うので驚くことがある。

いったん、編集にめどがついたところで、テレビモニターを通して
見るといった工夫が必要だ。これは、以前も思ったことがあるのだが、現場にいるとなかなか言い出せない。編集中はいい音が出ているので、それに酔ってしまうのだ。自宅で見るのは、あくまでテレビモニターを通してから。それが頭にないと、あんなにいい音だったのに、ということになる。


番組自体は、なんだか妙なオヤジの、妙な物語という、狙い通りの
内容になっているので、制作時の目標はクリアと言えるだろう。

ディレクター氏自らも言っていたのだが、おもしろいと思う人と思わない人、ピタッと肌に合う人と、合わない人、面白がる人と何が何だかわからない人、といった、両極にきっと分かれるに違いない。

見てくれる人、みんなに分かって欲しいと思いつつ作る番組。
分かってくれるかなぁと疑心暗鬼で作る番組。
分かってもらえればもうけ物、と半ば趣味に走って作る番組。

番組の性格にもいろいろあるけれど、この番組はディレクター氏の
趣味が強烈に出ていて、これはこれで楽しい。ぼくもやっていておもしろかった。こんな番組、またやりたい。

問題は体力かな。5日間で3日徹夜というのは、かなりこたえた。
朝日を見てから眠る、その訓練をしなければアカンかも。


しかし、コンディション・グリーンは、ほんとにかっこいい。CD、買うかな。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚追加です。

ぶるぶるぶる


沖縄から帰ったら、雪が舞っていた。どうしてっ?
3月なのに、九州なのに。

帰った翌朝、最低気温は零下を記録。最高気温は5度。どうしてっ?

寒くてコタツから出れん。
机の上の、自分のパソコンにたどり着けず、いまだにメールも開けない。
う~、こうなると沖縄の25度が懐かしい。

今、ちょうどお昼の12時。気温3度! なんでやねん。
日本全国、真冬並み。日本海側では雪がたくさん降っているとか。

あした、あさっては東京行き。
東京もこんなに寒いのかしらん? コートをぎっちり、着ていかねば。


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東京に行くのは資料を見るため。
同じ番組で資料調査のため3回も上京するのは、すごく珍しい。

見に行く先は、国立公文書館。

終戦直後、アメリカに接収され、のちにもどってきたたくさんの資料。
それが、少しずつ公開されている。
今では、インターネット上で、見ることができる資料もかなりある。

が、しかし、少し踏み込んだ資料には「要審査」という文字が。
見たい資料は「要審査」ばかり。

--見せてください。

--審査が必要です。

そのたびに“申請→審査→回答”という行程を踏まなければならない。

あまりにめんどうなので、参考になりそうな資料をまとめて申請。
その閲覧OKが出たので、見に行くわけ。

使えるかどうかは、資料を実際に見てみないとわからない。
旅費宿泊費をかけて閲覧して、

--あら、な~んも役立たんじゃん!

ということ、ままある。がっくりくる。
お金と時間がもったいない。今回はどうだろう?
「要審査」なんて言わないで、チラリと見せてくれるとありがたいんだけどなぁ。

「要審査」となっている資料には、個人名が登場することが多いようだ。
やはり、人権に配慮しているということなのだろう。
防衛研究所で見た資料の中には、公開しないページだけ開けないように加工してある文書もあった。
そこには、俘虜虐待に関与した人、当時の軍人の名前が記載されている。

確かに人権に配慮することは大切だ。
でも、“人権”という言葉を隠れみのに、真実を明らかにしないままうやむやに、ということがよくあるのも事実。

どこで線を引くのか。
そのサジ加減を役所側が握っているというのはちょっと問題だと思うのだけど。

上記の防衛研究所の資料。
他の施設ではページが加工されることもなく、そのまま閲覧できる。
軍人個人名もそのままに。

防衛研究所が隠しているのは、同じ軍人としての“情け”だろうか。
沖縄のおみやげ・その1
さんぴん茶限定販売?「さんぴん茶」

沖縄のおみやげ・その2
黒糖プリッツェルこちらも限定販売「黒糖プリッツェル」

おみやげ、以上、ふたつだけ・・・・・。つまんないの~。
しかし、キャスターの女性の差し入れ「黒糖プリッツェル」は、当たり!
次に行った時は、自分で買おう!


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3月4日 AM10:30

洋服や資料を宅配便の箱に詰め込んで、ホテルのフロントへ。
自宅へ送る。残ったのは、ディパックひとつ。あ~、身軽になった。

そのままチェック・アウト。
6泊分の宿泊費を支払い、合計金額をきれいに2分の1にして、
領収証を二枚、A局とB局名で書いてもらう。
これに合わせ、飛行機代など交通費も2分して両局へ請求する。

後日、結構な金額が振り込まれる。嬉しくなって、つい買物。
しかし、それはぼくが立て替えていただけの、自分のお金。
そのことにハッと気づいた時は、そのお金は消えている。
知らない間に無駄遣い。その繰り返し。もったいない。
今回はそうならないように気をつけねば。


編集は12時からの予定なので、A局のディレクター氏と昼食。
彼は熱い。
今後の番組制作はどうあるべきかっ!的な話を拝聴。
彼の熱さに、若い衆はついてこない。
だから、若い衆に番組制作のモチベーションをどう持たせるかに苦労している。
これはどこの局もそうだとか。

それほど多くの視聴者が見るわけでもない、スポンサーもつかない、
そんなジミ~な番組は、“作りたい!”というディレクターの
思いだけが支えていると言っていい。

制作者のモチベーションが下がっていくと、ジミ~な番組はテレビから消えるかも。


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PM5:45

番組の流れは、ほぼできあがり。
あとはディレクター氏に任せて、局をさよなら。
7時の最終便に無事間に合う。


6泊7日、徹夜率50%の仕事週間、ひとまず終了。
深夜モードから元の早朝モードへ戻るのに2、3日かかるかなぁ。


しかし、ほっ。


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<沖縄の思い出>

かっちゃん歌うかっちゃん

かっちゃんバンドギター&ベース「かっちゃんバンド」 うまい! 特にベース。

かっちゃんバンドドラマードラマー これまた、うまい。


夜の観覧車編集プロダクションから見えた観覧車


マックで編集中AM 2:12 マックG4に向かう編集マン
AM10:50 ホテルを出る。

沖縄5日目の昨日PM3:30からB局で仕事。
それまでのA局とは同じビルだから、通うのはラク。
ラクだけど、カラダ&アタマ、共に少しバテ気味。

ぼくは、普通は6時に起き、夜は12時前に寝てしまう朝型。
それが、沖縄に来てから朝近い4時、5時に横になるという生活に。
習慣の哀しさ、4時にベッドに入っても、6時に目が覚めてしまう。
目が覚めると、もう一度寝付くことが難しい。
そのまま昼近くまでベッドでもぞもぞしてしまう。

AM3時半にホテルへ戻った今日も、あんまし眠れず、
ボーゼンとして外へ。

--うっ、寒いっ!

昨日から急に冷えてきた沖縄。
つい二日前までは25度あったのに、今日はフリースを着ても寒い。
真冬並みの寒気到来だとか。あ~、カラダがついて行かん~。


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B局での編集は、パソコン使用。
マックのG4と、編集ソフトの「ファイナル・カット」。

昨日の朝まで使っていたのは、ハイビジョン対応・総額1億円也という
超豪華最先端編集システム。
今日は、編集ソフトこそプロ仕様だけど、店で売ってる普通のパソコン。
どちらでも番組ができる。技術にうといぼくには不可思議。

でも、ディレクターもパソコンを使って簡単な編集くらいは
できないとダメだろう。
実際、15分番組(正味12分前後)の番組を、ディレクターが
ノートパソコンを使って編集している局もある。

映像はデジタル・ビデオ・カメラを使い、自分で撮る。
そして、パソコンを使い、自分で編集・・・・・。
熱心なディレクターほど、忙しくなってしまうなぁ。

まぁ、こだわりのないディレクターにひとつの番組を任されることは
なくなっていくのだろうけど。


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この日、B局へ到着したのはAM11:00。
担当の女性ディレクター氏は、激・お忙しい。
編集室に腰を落ち着ける時間が、15分と続かない。
ひたすら、待機。

で、いざ編集にとりかかれたのは、PM7:00。待ち8時間。
大部屋詰めの役者みたい。
でも、待つのもお仕事のうちだ。


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番組の正味時間は、24分05秒。
AM2:10時点で、24分47秒。
32秒オーバーのところまでこぎつける。

この日の編集は、ここで終了。

前日深夜、ジンマシンが出て救急病院へかけこんだというディレクター氏、
ほうほうの態でご帰宅。

ひな祭りも関係ないなぁ。大変だ。

PM2:30
目が覚める。
眠ったのが多分AM9:00前後。結構、眠った。

今日の那覇は、涼しい風が吹いている。

--きょうは涼しいですね。

と、言ったら、

--え~っ! 寒いですよぉ。

と、返されてしまった。やっぱり南国は違う。
AM8:00
風呂に入る。今回のOKINAWA初風呂。

1、2泊の短期滞在の場合、ほとんど風呂には入らない。
それは、カゼがコワいから。
子どもの頃から耳鼻咽喉系が弱いぼくは、すぐノドにくる。
だから、ビジネスホテルに泊まるとき、お湯に浸したバスタオルを
軽くしぼり、ベッドの横へたらす。
冬の場合は、マスクがGood。

しかし・・・・・、
ノドが弱いのと風呂に入らないのと、どう関係があるのか?
風呂に入った方が適度な湿気を得ていいのではないか?
などと、自分自身でも疑問はあるのだが、経験上、風呂に入ると即ノドへくる。

君子危うきに近寄らず。よって、短期滞在の場合、浴槽は使用しない。

しかし、滞在丸3日。昨日は気温25度。
さすがにペタペタ気持ちが悪い。で、朝のお風呂とあいなった。

気持ちいいね、やっぱり。


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PM4:00
トラブル発生。遂にきたかっ!

問題は文字などのスーパー。
今回はハイビジョンで撮影し、そのサイズのまま、現行のアナログへ変換している(らしい。技術はワカラン??)。
現行のテレビは、ほぼ四角。ハイビジョンは横長。
当然、スーパーの形も違う(らしい。これまたよくわからない)。
じゃぁ、横に伸びる分、縦長に作ればいいんじゃない?


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上記まで書いた時、ディレクター氏に呼ばれ、編集プロダクションへ。
結局、文字スーパーはプロダクションの編集マンがハイビジョン用の編集機で作成することで問題なし。


PM6:00
かっちゃんのナレーションを収録。
初めての体験だということで、ナレーションというよりも、語りに。
ぎくしゃくした感じが、かえっていいかも。

収録したナレーションは、ワンフレーズずつ適当な映像へとあてはめていく。1秒早く出したり遅く出したりすることも軽い。
つい数年前は不可能だったことが、今ではパソコンレベルですいすいできる。
すいすいできるから、諦めが遅くなり、仕事をする時間が長くなる。
なんだか矛盾した気分。

ナレーションをはめ込んでから、文字スーパーを、そのサイズや書体、
色や画面のどこに入れるかなどを決めつつ、挿入。

そして、BGMを入れ、ナレーションとインタビュー、その他生の音のバランスを調整。
BGMは、レオン・ラッセルの『ソング・フォ・ユー』と
CCRの『スージーQ』の2曲だけ。シンプル。

さらに、番組オープニング、タイトル、予告、番組エンディングを差し込み、ひとまず全体の形が整う。

ここでAM4:00 食事をとる。
メニューはリンガー・ハットで買ってきてもらったちゃんぽん。
夜明けのちゃんぽん。結構、うまい。


夕食なのか、夜食なのか、はたまた朝食なのか、よくわからない
食事をとったあと、全体を通して見る。
気になったところを修正し、再度見る。
それを4回、繰り返し、ディレクター氏、よし、OK!

放送用のテープにダビングしつつ、も一度見る。


AM8:10
ホテルに戻り、手を洗い、顔を洗って、おやすみなさい。


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