番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

♪今日のBGM=Ringo Starr 『Ringo Rama』


久々だなぁ、音楽を聞きながら日記を書くなんて。

あちこち行く日が続き、その合間に日記を書く時は、ノートパソコンを使ってコタツの上でテレビを見つつ、というパターンにはまっていた。
やっぱ音楽流れる中で書いた方が、心地いい。第一、テレビを見ながらだと話がまとまらん。主語と述語が呼応しなかったり、起承転結ならぬ、起承転転転転・・・・、いつまとまるやらというハメになったりしてしまう。

今日のBGMは、リンゴ・スターの(確か)今のところ一番新しいアルバム。
ぼくはビートルズ四人衆の中では彼が一番好き。他の三人に比べると風采あがらない(失礼)し、歌はヘタだし(ドラムは味があるけど)てなことで、中学時代は友人たちから、

--お前、なんでリンゴなんか好きなん? 歌も歌えんとに。

とよく言われたもの。その時は好きな理由が言えず、なんか好きなんやからい~やんか、というのがやっとだった。
でも、好きになるのに理由なんかいらんのだ。波長が合えば、それでOK。心地よければ、すべてOKなのだった。

友人には、リンゴが大嫌いというヤツがいた。その理由は、

--レコードの真ん中に自分の絵を入れとるやん。えらそ~に。

・・・・・・友人ながらアホである。

--りんごは英語で“apple”ちゅうんぞ。リンゴのRingoは、イギリス人の名前、人のナ・マ・エ。富士や国光と違うんぞ。

かなりな説得を試みたのだが、納得してはもらえなかった。
あれから早や30年。伝え聞くところ、某百貨店のマネージャーをつとめているとか。今もワケのわからないことを口にして、部下たちを困らせていないだろうか。
リンゴを聴きつつ、ついつい記憶がさかのぼってしまうのであった。


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記憶をさかのぼると言えば、先日、母校の校庭に立った時、いろんなことがアタマの中を逆流していった。走馬燈っていうのは、こんな状態のことを言うんだろうか。そんな感じ。

たまたま、ここ“楽天”で後輩に邂逅し、走馬燈が復活した。


忘れもしない、入学式の日。
ぼくが高校生活の第一歩を記すクラスは、古い木造の校舎の、一回の一番端。
そこへ足を踏み入れたとたん、教室の異様さに圧倒された。黒いのである、教室内が。真っ黒!
目を凝らしてしげしげ見ると、黒の学生服に身を包んだ男ばかりがどっさり、イスに座ってる。男しかいない、オトコだけ!
楽しかるべき高校生活のスタートを、こんな野郎の集まりの中で切らねばならぬのか。ぼくはアタマがくらくらした。

ぼくらが入学する年から学区がかわり、入学する生徒数がひとクラス分、増えた。45人ずつ11クラス。総勢495人。そのうち、女の子は100人いない。必然的に“オトコだけ”のクラスが出現することとなる。
ぼくはその“オトコだけ”クラスに当たったのだった。

落ち着いたところでもう一度見回すと、何やら髪の毛がもじゃもじゃしとるのが7、8人いる。その頃、ぼくらが住む近辺の中学校は大半が坊主頭。だから、卒業前から春休みにかけて延ばしたとは言え、まだまだざん切り頭のハズなのだ。
しかし、天然パーマか、はたまた人工なのか、髪の毛クルクルねじねじ野郎があちこちにいる。目つきも悪い。

--なんか、こわ~。

入学式当日の教室で、無言のカツアゲをくらっているような気がした。
彼らは浪人をして入ってきた連中だった。当時、中学浪人がはやっていたんだろうか、世間に余裕があったんだろうか、同級生にはかなりの数の浪人生がいた。
中には、2年間の苦闘の日々を経て入学してきたヤツもいて、そいつは高3の時、ハタチになり(ふつうは18歳)、担任相手に手を挙げて、こう言った。

--先生、オレ、今日でハタチなんやけど、タバコ、吸ってもいい?

マジメな担任の先生は、困った顔してしばらく考えたあげく、

--すまん、○○、学校だけではヤメてくれんか。

当たり前である。
しかし、マジメな反応をする担任の先生も、おかしな主張をするハタチの同級生も、ぼくは好きだった。

真っ黒な中で始まったぼくの高校生活は、すぐにメチャメチャ楽しくなった。オトコだけということは、女の子がいないということなので、何の気兼ねもなく自由なのだった。
ぼくらの校舎は、いずれ建て替えるというハナシで、割れた窓ガラスはそのまま修復されず、カーテンもない。夏は暑くてたまらない。
そんな時は、上半身ハダカで授業を受ける。女生徒がいたら、さすがに集団裸体は披露できなかっただろう。

地理の授業中、破れた窓から何やらバサバサと入ってきたことがある。
なんだなんだと、教室中を自由自在に飛び回るヤツに向かって、みんなそろって学生帽を投げつける。そうして仕留めた獲物を見ると、小さな小さなコウモリだった。
地理の先生は、

--ちっこ過ぎて、食べてんうもうなか。捨てんしゃい。

食うつもりだったのか、ちょっとびっくり。
この地理の先生、お寺の息子で、ぼくらが卒業してからお寺を継ぎ住職になったと聞いた。
しかし、その言動は仏の道にもとるもので、何かというと、

--お前たちのキ○タマは汚かろうが。オレのはお姫様のキ○タマのようにきれいかぞ。

という、またまた得体の知れないことを口走るのだった。
でも、おかげで地理は大得意の学科となった。

夏はハダカになればいいが、冬になるとそうもいかない。
一年生の冬になっても、“建つはず”の新校舎はその基礎さえ姿を見せない。
九州とはいえ、北部は雪も降る。窓ガラスは入らないまま、カーテンもないままだから、窓際の席は机の上に雪が積もる。

--せんせ~い、雪が積もって、ノートがとれませ~ん。

--しゃーないな、ちょっと机ごと、横へ寄れ。

窓際の連中は、机を両手で抱え、イスを足で引きずりながら、ずーりずーり、雪が降りかからない場所へと移動するのだった。
雪は降り込む、風は吹き抜ける、当然ストーブなぞない。よくもまぁ、あんな北極のようなところで授業を受けていたものだと感心する。今だと父兄が黙っていないだろう。

授業中、教室の後の羽目板から、もくもく、煙が出てきたことがある。休み時間に吸ったタバコを、誰かがきちんと消さずに板壁の節穴へ放り込んだに違いない。

--先生っ! ケムリが出よる! 火事ばい、火事っ!

--はよ、はよ、消さんか!

無事、鎮火したあと、先生は言った。

--みんな、タバコの火は、ちゃんともみ消せよ。

こら~っ、ちゃんと叱らんかっ!
でも、タバコを20代でやめることができたのは、吸いだめしておいたからかもしれない。


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書き出すときりがない。やめよう。


そんな、はちゃめちゃ楽しい1年間を過ごした木造校舎は、もう跡形もない。
昼休みのチャイムが鳴ると脱兎のごとく駆け込んだ食堂も消えた。
コーラの原液が出てきて、飲んで死ぬ思いをした自動販売機も今はない。

歴史を感じさせる、緑豊かな正門は、その両側をアパートに囲まれ、窮屈そうに開いていた。

今はもうないものばかり。
でも、3年間の楽しい想い出は、今もしっかり、残っている。

どうしてあんなに楽しかったんだろう? ぼくの友人たちにも、学校が嫌いだった、行かなかったというヤツらが結構いるけれど、ぼくは学校が大好きだった。

国鉄(古い!)がストで全面的に列車が止まった時、ぼくは自宅から自転車で学校に行った。授業はやらないとわかっていたけど。
学校に着くと、同じように自転車やバイクでやってきた連中がちゃ~んといる。こんな時だけ、以心伝心。サッカーやバレーボールなんぞをして遊び回った。

学校は遊ぶところだ。学ぶところじゃない。そんな“不文律”がぼくらにはあった。だから、ぜんぜん勉強しない。当然、受験はうち揃って撃沈。浪人生活へと突入する。
ぼくが三年の時のクラスで、現役で大学へ行った男子生徒は1、2人しかいない。当時の担任は校長に呼ばれ、こってりアブラをしぼられたそうだ。

その担任は、大学時代にお宅を同級生たちと訪ねた時、

--おもろかったなぁ、お前らのクラスは。

と言ってくれた。でも、こう、付け加えた。

--はらはら、どきどき、したけどな。

その担任の先生も、今は亡い。


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 ♪ 雨も漏ります 天井から
 ♪ 風も負けずに 破れ窓
 ♪ 天気のいい日にゃ お天道様が
 ♪ カーテンないので まぶしいよ

こんな、学校の名前をとった“某筑節”なる歌もあった。
先輩が作ったとされる名歌。
しかし、ガラス窓がきちんと入った今の母校には、もう伝わってはいないに違いない。





番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚、追加です。



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