番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

朝、寝て、12時を回った頃に起きる。   ふぁ・・・・眠い。

やっぱり夜は寝るためにある。

しかし、おかげでめったに見ない、きれいな朝焼けを見ることができた。

ラッキー。

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♪今日のBGM=Rod Stewart 『The Great American Songbook』


テレビは、「帰国」「帰国」と、かしましい。
拉致被害者の家族、特に拉致され、今回、ようやく子どもと会えた
ふた家族はホッとされていることだろう。

しかし、どうも「帰国」という表現がひっかかる。
子どもたちにとっては、日本は未だ自分の国ではないだろう。

日本から拉致された両親にとっては、
懐かしい祖国であることには違いない。
だが、やってきた5人の子どもたちにとっては、見知らぬ異国だ。
自分たちは異邦人だという思いが、きっとあるだろう。
まして、北朝鮮の反日教育を受けている。
警戒すべき国なのだ、日本は。

そこに出かけた両親が、なぜ1年半以上も帰ってこないのか?
なぜ、自分たちが、足を踏み入れるべきではないと教えられた国へ
出かけて行かねばならないのか?

疑問だらけ。

両親が日本から拉致されてきた、日本人だということも知らない。
ニコニコと出迎えてくれる異人のおじさん、おばさんが誰だかも
わからない。敵なのか、味方なのかも。
そんな子どもたちが「お帰りなさい」と言われて
戸惑わないはずもない。

不安だらけ。

人は文化の中で生まれ、文化の中で育つ。
5人の子どもたちは、たとえ両親が日本で生まれ育った日本人でも、
朝鮮民主主義人民共和国に生きる一人として育ってきた、
身も心も北朝鮮人であることは間違いない。

それが、いきなり市役所の壁に「お帰りなさい」と
日本名入りの大きな垂れ幕を下げられても、
何が何だかわかるまい。
いきなり、「あなたは日本人ですよ」、と言われても、
何が何だかわかるまい。


日本人であるぼくが、母親から、

--お前は、本当は北朝鮮人だったんだよ。

と言われたら?
即答できまい。なんと答えていいか、わからない。

--あ・・・そ。

言えるのは、そのくらい。
きっと、5人の子どもたちも、そんな反応だろう。


「お帰り」「お帰り」と、やっている方は善意なのだ。
善意なのだが、子どもたちにとってプラスにはならない。
今のところは。
拉致被害者たる両親は、周囲の“歓迎”をはらはらしながら
受けていることだろう。

「いらっしゃい」と言うのも、かなり奇妙だが。

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5人の子どもたちが、今回、どんな思いでやってきたのか。
それは本人たちにしかわからない。
ちょっと海外旅行と思っている人もいるだろうし、
長い間、会えなかった両親に会う、それだけと思っている人も
いるだろう。
5人のうち、何人が、日本に住み続けると思っているだろう?
この、異国の地に。

いずれ頃合いを見て、子どもたちに日本で暮らそうと
提案するのだろう。
子どもたちは、決断が下せるだろうか?

かの地には、友だちもいる、恋人がいる、自分自身の生活がある。
それをすべて置いたまま、両親以外には知る人もいない、
言葉さえ通じない、この異国に住むという決断ができるのだろうか。

スーツケースひとつだけをころころ引っ張ってきた、
この異国に、異邦人として住み続ける。
その選択をするのだろうか。

そんな二者択一、試行不可の選択をしなければいけないのだろうか?

現実的な問題として、国交のない北朝鮮とは
自由に行き来することはできない。
日本に住むことを決めたその日から、もう友だちや恋人と
自由に会うことはかなわなくなる。
置き去りにされた友だちや恋人の思いまで、
子どもたちは受け止めなくてはならない。
きついだろう、相当に。

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しかし、「お帰りなさい」攻撃は、どうにかならないのだろうか?
横断幕を張ったり、花束を渡したり、
ああいう形で“歓迎”しなければいけない事態なのだろうか?

--おめでとう、ひとまずはよかったね。

それで済ませるべきことなのではないのだろうか?
あとは当人たちにまかせて。


あ~もう「あ~もうっ!」


放っておけないのだ、ぼくらは。
抑制できないのだ、好奇心を。
好奇心を善意に置き換えて、自分に安心しつつ、
目を見開き、聞き耳を立てている。

--どんな子どもたちなの? どんな容姿? 何語をしゃべるの?

--え、北朝鮮って、お米、食べるの? あら、スカートもはくのね!

そんな無責任一色の好奇心に満ちた中で、生きていく。
ぼくならその道を選択するだろうか?

わからない。あまりに特異な「if」だから。

今、テレビに子どもたちの映像が登場すると、
ぼくはチャンネルをかえる。
見られているのが自分だとしたら・・・・・。
その「if」に耐えられない。

5人の子どもたちの何人かは、どのチャンネルにも映し出される
自分たちの姿に、うんざりしているという。

それが、普通の反応だろう。

残された安否不明の人たちの、一刻も早い帰国を祈りたい。



◆PM6:32 =============================


♪今のBGM=Jorma Kaukonen 『Blue Country Heart』


拉致被害者の家族会に、批判メールが多数送られているという。
小泉さんに面会した際の、家族の人たちの言動に怒り、憤った人たちが
腹立ちまぎれに、または、諭してやらねばとの親心からか、
家族会へ批判を寄せる。

どうしてこうなるのやら・・・・理解できない。
人質事件のときの「自己責任」論者たちがまた活躍し始めたのかと
思った。

誰かの言動を受け入れられないことは多々ある。
どうしても納得できない意見も世間には多い。
だからといって、当事者の間に強引に割り込んで声を荒げると、
それはただのチンピラである。
単なる自慰行為にすぎない。

家族会の人たちの会見は、ぼくもテレビで見た。
激しい言葉に違和感を感じた。
国同士の交渉事を、ちょっと勘違いしてるんじゃないかとも思った。
しかし、それは当然だとも思った。
その思いの表現に、計り知れない怒りと悲しみがあったから。

ぼくらは第三者に過ぎない。
気の毒だな、がんばって欲しいな、そう思うしかない。
激しい言葉を吐く家族の気持ちには、絶対になれない。

批判のメールは、小泉首相に対する感謝の言葉がないとか、
子どもたちが帰ってきて嬉しくないのか、とか、そんなもの。

ふぅ・・・・あまりにレベル、低すぎ。

小泉さんは一国の首相として国民を守る義務がある。
その義務を果たしただけに過ぎない。
会社で普通に仕事をしていて、「えらい!えらいぞっ!」と
激賞されたら違和感を感じないだろうか。
小泉さんは、自らの仕事を普通にこなしたのだ。
それ以上でも、以下でもない。

首相としての仕事は、大変だと思う。
しかし、それとて、泣いてありがたがる筋合いのものではない。
その義務を果たさなかったから、人質事件の時は非難の的となった。


家族会の人たちの発言に寄せられる批判のメール・・・・。
やはりテレビの功罪を思う。

家族会の会見は、丸々全部放映されてはいない。
テレビに登場したのは、全体の、ほんの、ごくほんの一部に過ぎない。

家族会は、数多く寄せられた批判に対し「見解案」を出したが
(なんでこんなものまで出さにゃいかんのだ?)、その中で、
「テレビでは報じられていないが、発言者は首相に敬意を示し
5人の帰国への喜びを述べた」としている。

あたり前のことを、仰々しく発表しなければいけないこのバカバカしさ。
さぞや、テレビ報道のあり方にお怒りのことと思う。

報道記者が、そして報道のデスクが、
「これで視聴者は食いつく!(または、現状を端的に表している)」
と判断したそのカット、それがオンエアに使われる。

勢い、インパクトのある、感情過剰な部分が、
あっちの局でもこっちの局でも、繰り返しオンエアされることになる。

テレビ(だけではないが)のニュースは、
事実・事件の、ほんのひとかけらだけを、時には針小棒大に取り上げる。

--街の人たちの意見を聞いてみましょう。

などと言いつつ、意見を述べるのは通りがかりのおばさんひとりだったり。
そのおばさんは、街の意見の集大成なのか!と言いたくなる。
が、それがテレビというメディアの性格なのだ。

事実のかけらだけを見て、むか、とするのはどうかと思う。

それよりも、ぼくらと家族会の人たちの感覚の違いに、
当事者と第三者との埋めがたい溝を見た方がいい。
それがどうすれば少しでも浅くなるか、
そのヒントが得られる気がする。


番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

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