番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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♪今日のBGM=Blind Faith 『 BLIND FAITH deluxe edition 』





『ハリ・ポタ』は、まだ見たことがない。
が、出演している少年、少女ふたりが来日し、
主役の男の子が衛星生中継で参加している記者会見を見た。

衛星生中継といえば、ビートルズの『 All You Need Is Love 』。
1967年。
「私は、見た!」
・・・・・・と言い切りたいのだが、後追いの記憶かもしれない。

ケネディ大統領の暗殺が伝えられたのも、衛星生中継。
こちらは1963年。日米間初のテレビ衛星生中継だったそう。

アポロ11号の月面着陸は、生中継だったんだろうか?
あれは「通信衛星」で、「放送衛星」でないのかな?
その違いは、さっぱりわからないのだけれど。

その衛星生中継『ハリ・ポタ』会見の様子は中継録画だったので(ややこしい)、
少年たちの言葉にはスーパーが打ってあった。

そのスーパーを見て、変だなぁと思った。
主役の少年は「ぼく」なのに、もうひとりの少年Aは「オレ」なのだ。

『ハリ・ポタ』を見ていないのでよくわからないけれど、
たぶん少年Aはいたずら小僧役なのだろう。
だから、翻訳するときに、一人称を「オレ」にしたのだと思う。

主語が「オレ」だから、受ける動詞もそれに合わせた語調になる。

「オレがかわいがってやったのさ」

みたいな感じ。
同じことを主人公の少年が言えば、

「ぼくがかわいがってあげたんですよ」

となるのだろうか。

先日、終了したアメリカのプロバスケットリーグ、NBA。
優勝は、デトロイトにフランチャイズを置くピストンズ。
その選手たちの“優勝談”を雑誌で読んだ。

ベンチメンバーを含めて選手は12人。
その中でただひとりだけ、「オレ」で語っている選手がいた。

シーズン途中に移籍してきたラシード・ウォレス。
その運動能力は誰もが認めながら、
審判に暴言を吐くなどの行為に対してとられるテクニカル・ファウルの多さで、
「瞬間湯沸かし器」とか「悪童」呼ばわりをされてきた。

彼をチームに入れるのは、カケだと言われたが、
ファイナルでの活躍は、自己を抑制した素晴らしいものだった。

だがしかし、チームメイトは「私」「ぼく」で話しているのに、
彼だけが「オレ」。

「オレのチームは、みんないいヤツらさ!」

といった、言い回し。
もちろん、これは翻訳した側の問題だ。
「悪童」というウォーレスの持つイメージに合う言葉にしただけなのだろう。

「I」、「My」、「Me」。
英語の一人称は、これだけしかないらしい(プラス複数形?)。
英語を翻訳する人は、どうやって違いを感じとるのだろう?
しゃべり方に、「あ、これは『オレ』だな」というような、
ニュアンスの違いがあるのだろうか?

同様に「わし」とか「あたし」、「あたい」とか、
普通の「ぼく」「わたし」とは違う雰囲気を持ついい方があるのかな?

ぼくが「I AM A JAPANESE.」としゃべると、
英米人にはどんな風に聞こえるのだろう。

「わたくしは、日本人です」

かな? それとも、

「オレは、日本人だよ」

だろうか? わからん・・・・・。





英語の取材テープを見ることもたまにある。
99%、いや、もっとわからない。

翻訳してもらって、そちらを読むことになる。
翻訳してもらった文章から、スーパーを作る。
「俺」が「私」に変わりはしないか、気がかりだ。


あぁ、ちゃんと英語の勉強をしておけばよかった。


  • 「後悔は先に立たたんでぇ」




  • 番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”

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    昼食時。
    録画していたテレビ東京制作の『70年代青春フォーク大全集』なる番組を見る。






    オープニングはやっぱりこの曲。

  • 『結婚しようよ』
  • -よしだたくろう(1972)

    「軟弱だ!」などと罵声を浴びていたのは過去のこと。
    もうすっかり“70年代フォークの代名詞”と化している。

    流れる映像は『ライブツアー in 篠島』。
    この曲は、この映像しかないんだろうか?
    他にあまり見ないなぁ。

    赤いはちまきの拓郎さんは、まだ髪がふわふわ。
    今の髪型では、この歌詞は歌えまい。

    間奏のアコーディオンがいい感じ。


  • 『神田川』
  • -南こうせつとかぐや姫(1973)

    お次は、“四畳半フォーク”の代名詞。
    バイオリンのイントロ、懐かしい。

    学生時代、ぼくの下宿は、神田川にほど近い四畳半。

    ♪面影橋から 天満橋♪(by 及川恒平)

    の、「面影橋」までも歩いて3分。銭湯は二軒隣り。
    場所はとってもいいところ。
    坂の上には、田中角栄さんが住んでいた。

    部屋は、流し付き、トイレ共同。あのころはそれが普通。
    6畳は贅沢、トイレ付きは大贅沢、
    風呂でも付こうものなら別世界の住人だ。

    神田川は、洗剤の泡が消えず流れる、とても汚い川だった。
    寒い季節。ある夜。
    心を寄せる女の子と、暗い川面をずっと見つめていたことがある。
    はたちのころ。


  • 『戦争を知らない子供たち』
  • -ジローズ(1971)

    大阪万博のテーマソング。
    ギターを弾き始めたころの練習曲。今でもコードは覚えてる。

    戦争を知る子供たちが生まれそうな今の時代に聞くのは、ちとつらい。
    惑いの歌。
    惑えるだけの余裕があった、あの時代。


  • 『赤ちょうちん』
  • -かぐや姫(1974)

    74年になるとグループ名からこうせつさんの名前がはずれてる。
    スリーフィンガー練習曲。

    ♪雨が続くと 仕事もせずに キャベツばかりを かじってた♪

    ぼくは高校時代の友人Tと、ダイコンかじって空腹をしのいだことがある。
    そのころ、合計4浪目だったTは、志望を貫徹し、中学の教師となった。
    今では、子供たち、そして親たちまでもを指導することの難しさに青息吐息。
    アタマもかなりさびしくなった。

    かぐや姫では、山田パンダさんの曲が好き。
    『ぼくの胸でおやすみ』よりも、『黄色い船』。それよりも、

    ♪あなたが首を かしげて見ていた あの銀杏はもう すっかり黄色♪

    『眼をとじて』だったかしら?


  • 『母に捧げるバラード』
  • -海援隊(1973)

    この歌はあまり好きじゃない。
    「海援隊」は、『あんたが大将』や『思えば遠くへ来たもんだ』。
    中でも、『恋挽歌』。

    修学旅行のとき、

    ♪さの こ~いばんかぁ~♪

    と歌いつつ、信州・大正池へのトンネルを歩いて通った。
    落石かなにかで、バスが止まってしまったのだった。


  • 『風』
  • -はしだのりひことシューベルツ(1969)

    フォークルのチビッ子・はしださんが、こんないい曲を作るなんて・・・。
    初めて聞いたときは、失礼ながらびっくりした。
    昔は歌えたこのキーも、今はもう出せないな。

    当時の映像、杉田二郎さんがめちゃめちゃ若い。


  • 『旅の宿』
  • -よしだたくろう(1972)

    ヒット曲を連発していた拓郎さん。
    岡本おさみさんの詞がいいな、やっぱ。
    また篠島の映像だ。

    これもスリーフィンガーの練習曲。


  • 『心もよう』
  • -井上陽水(1973)

    声の粒立ちが際立っている陽水さん。
    歌詞がきちんと聞き取れるのは、清志郎さんと双璧だ。

    陽水さんが浪人時代、
    地元のラジオ局に「アンドレ・カンドレ」の名で持ち込んだのが
    『カンドレ・マンドレ』。
    これもいい曲。
    だけど、めったに聞けない。残念なり。





    「たいくつじゃ」





    スタジオでは、武田鉄矢、山田パンダ、杉田二郎、
    そしてなぜか嘉門達夫の4氏が、
    『今日までそして明日から』(by 吉田拓郎)を歌っている。

    中学時代、杉田二郎さんのファンクラブに入っていた嘉門さんは、
    どこかの楽屋で撮った杉田さんの写真を見せて嬉しそう。
    その楽屋には「オフコース」の小田さんと鈴木さんがいたそうな。

    同時代というのはいいな、やっぱり。





  • 『時代』
  • -中島みゆき(1975)

    今や、フォーク界の“あねご”と化しているみゆきさん。
    あ、久しぶりに見たら、デビュー当時からあねごだわ。

    『研なおこ、中島みゆきを歌う』的なアルバムを持っていたのだけれど、
    学生時代、友人に貸したまま戻ってこない。
    あいつは、今、どこで、なにをやっているのやら。


  • 『池上線』
  • -西島三重子(1976)

    うわぁ、懐かしい! 好きな曲。
    しかし、これも当時はフォークだったんだろうか?
    メロディーも、歌詞も、これは演歌だ。
    子育てを終えた西島さんが、音程を外しつつも丁寧に歌ってる。

    池上線。
    板張りの車両は、もうなくなったかな。


  • 『翼をください』
  • -赤い鳥(1972)

    日本サッカー協会公認日本代表オフィシャル応援歌。

    「赤い鳥」、60年代だと思ってた。
    拓郎さんたちよりずっと前のようなイメージがある。
    なぜだろう?
    メンバーが大人びて見えたからだろうか。

    今、歌っているのは「紙ふうせん」のふたり。
    ぼくがこの曲にいだくイメージと、かなり違うなぁ。


  • 『守ってあげたい』
  • -松任谷由美

    この当時のユーミンは、フォークなのかな?

    「荒井由美の曲には色彩がある! なんせ美大だから!!」

    大ファンの友人は、こう主張してきかなかった。
    その友人も、今や立派な父親となる。
    時の力というのは、恐ろしい。

    ぼくは、ユーミンの声が苦手。
    「ハイファイセットが歌うユーミン」的アルバムを愛聴していたけど、
    これも友人にとられてしまった。
    おいっ、返してくれっ!!


  • 『なごり雪』
  • -イルカ(1975)

    ぼくには、「かぐや姫」のイメージが強いこの曲。
    アルバムは、『三階建の詩』だったかな。

    イルカさんは変わらないなぁ、見かけが。
    紹介コメントは「フォークの母」。今は、そうなのか?


  • 『ケンとメリー』
  • -バズ(1972)

    意外な曲が登場。
    思い出すのは、スカイラインのCM。
    CMのケンは、若くして亡くなったんじゃなかったろうか?


  • 『精霊流し』
  • -グレープ(1974)

    高校時代、同級生のふたり組がステージで演奏。
    バイオリンのイントロもばっちり決まり、「おぉ!」と思っていたら、
    歌い出しでいきなり音程をはずし、ずっこけたことあり。


  • 『白い冬』
  • -ふきのとう(1974)

    山本康世さんひとりで歌う『白い冬』。
    グループは、全員そろわないとさびしいな。
    特にふたり組は。
    「もうひとりはなにをやってるんだろう」って、
    そっちの方が気にかかる。


  • 『「いちご白書」をもう一度』
  • -バン・バン(1975)

    荒井由美時代のユーミン作。
    歌うのは、ばんばさんひとり。

    「いちご白書」というと映画の主題曲(かな?)『サークルゲーム』を思い出す。
    バフィ・セントメリーの歌はよかったなぁ。





    「ふぁぁ、ヒマぁ」






  • 『妹』
  • -かぐや姫(1974)

    「かぐや姫」は、これで3曲目。
    人気あったんだなぁと、改めて感心。
    流れているのはライブ映像。

    父なく、母なく、ふたり切りで育った妹。
    その妹が嫁いでいく。

    「せめて味噌汁の作り方を置いていけ」

    と、歌うこうせつさんに合わせて合唱する客席の若者たち。
    今見ると、ちょっと不気味。


  • 『22才の別れ』
  • -風(1975)

    デュオ「風」。
    しかし、今流れている映像は、かぐや姫のライブ。
    そうか、そうだなぁ、この歌はかぐや姫のアルバムに入っている。
    「風」の、もうひとりのお兄さん、ちょっと気の毒。


  • 『贈る言葉』
  • -海援隊(1979)

    年代的には70年代ぎりぎり。
    ぼくは、まだ学生。
    でも、ちっとも懐かしくないのはなぜ?

    もう、“フォーク”の時代ではなくなっていたのかな?


  • 『春夏秋冬』
  • -泉谷しげる(1972)

    大好き!
    映像、モノクロ。
    校長先生が乗るような自転車にまたがる若き泉谷さん。
    あぁ、まだ髪がある・・・・・・。

    『黒いカバン』を歌っている当時の映像というのはないのかな?


  • 『季節の中で』
  • -松山千春(1978)

    学生時代、ぼくは千春さんが好きでアルバムも何枚か持っていた。

    「そんな女々しいヤツ」

    と、言い捨てる友人が多かったけれど、
    ぼくは千春さんに男っぽさを感じていた。

    最近は、妙な方向に男っぽさを発揮しているようだけど。
    しかし、あんなに見事な頭になるとは予想だにしなかったな。


  • 『さよなら』
  • -オフコース(1979)

    う~ん、この年代になると心をそそらない。

    「オフコース」といえば、『でももう花はいらない』。
    フィンガーピッキングの練習をしたっけ。
    ファーストアルバムたったかな?
    まだデュオだったころの「オフコース」。


  • 『虹とスニーカーの頃』
  • -チューリップ(1979)

    『さよなら』と同じ年なのに、こちらは少し懐かしい。
    単なる好みの問題かな。
    姉貴の中古車で、ひとりドライブしながらよく聴いたっけ。


  • 『帰らざる日々』
  • -アリス(1976)

    「アリス」の面々、変わった・・・・。
    特に堀内さん。こけたほおに長髪、奇妙なメガネ。
    これじゃ、危ないお兄ちゃん。それが今や演歌の大御所。
    谷村さんは、中国の大学で教えているというし。
    キンちゃんは、今も音楽業界にいるのかしらん。


  • 『今はもうだれも』
  • -アリス(1975)

    学生時代、旅の宿はユースホステルだった。
    そこで『落陽』とともにギターを弾きつつよく歌ったこの曲。
    今も、カラオケでど~しても歌わなければならなくなったときには、
    この曲を歌う。

    しかし、この間、久々に歌ったら、高いキーが出なかった。
    ショック!






    ZZZZ・・・・・





    エンディングは、ゲスト皆さんで『あの素晴らしい愛をもう一度』。

    おやくそくのような終わり方だけど、絞めとしてはこれが一番いいのかも。


    ぼくが70年代に郷愁を覚えるように、90年代、2000年代と、
    それぞれ思いに浸る曲があるのだろう、きっと。

    四半世紀後、どんな『青春のメロディ』が流れるのやら。
    やはり、年齢を経た今現在のアーティストが登場するのか?

    ラップなんぞをやるのは、ちょっとムリかも。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    ♪今日のBGM=Black Crowes 『 The Southern Harmony and Musical Companion 』





    テープのプレビュー、14本終了。
    あ~、音楽が聞けるのは嬉しいっ。
    プレビューは、目玉だけじゃなく、耳も占有されるのがツライ。

    今、プレビューしているのは、
    沖縄のおばあさん(沖縄チックに言うと“おばあ”)のお話。
    お年寄りのお話は、大抵の場合、おもしろい。
    やっぱり、年齢を経るというのは偉大なことだなぁ、と、無条件に感心。

    いい年のとり方できるなら、早く“おじん”から“おじい”になりたいなぁ。

    感心といえば、ディレクター嬢のド根性。
    街行く人に、どかどかクエッション。
    カメラに納まっているだけで30人を超えるから、
    声をかけたのはもっともっと多いだろう。

    かなり市民権は得たようだけど、やはり今でもテレビカメラは怖がられる。
    そして、大抵の場合、カメラマンはでっかい男。

    バズーカもどきの黒い箱を肩に担ぐおっきいお兄さんが迫り来る。
    これは、結構コワい。
    道行く人をつかまえてお話聞くには、非常に非効率なメディアである。

    しかし、ディレクター嬢はめげない。
    もう真夏の陽差しの南の島、ギラギラ太陽に照らされながら、
    ハンカチ片手に答えてくれそうなヒトを物色。

    これは、大変だぁ、しんどそう。
    とても、ぼくにはできません。

    幼いお子さまがいらっしゃるようだが(実はまだ面識がない)、
    坊や!(嬢や!かな?)、お母さんはがんばってますよぉ!

    ついでに、カメラのお兄さんと音声の(たぶん)お兄さんも
    がんばってくれ~っ!

    番組は素材が命だぁっ!!!!(と、逃げを打つ)。

    わてもがんばらにゃ。


    「ま、がんばれや」

    ♪今日のBGM=Boston 『 Don't Look Back 』





    もんのすごいどしゃ降りだった土曜日、
    対向車のはね飛ばす雨水で消える視界におびえながら都会の電器店へ。


    ★★★iBook G4★★★ 購入!!!!!


     ★見せびらかしっ!
    新顔iBook


     ★驚くネコ助。
    「なんじゃ、あやつ?」


    昔々の、そのむかぁぁぁし、
    Macが四角く、ちっちゃい頃から欲しいと思ってた、あこがれてた。

    そのころ、ぼくは会社勤めで、IBMの「5550」なる、
    味も色気もないパソコンを使ってた。
    ワープロも、リターンキーを押してからしばらく考えて変換する。
    のんびりしたものだった。

    ぼくの会社の中には、個人デザイン事務所があり、
    (わかりにくい会社なので説明は省略)
    そこのデスクに鎮座ましましていたのが、四角く小さい初代Mac。

    そのMacから姿形は変わったけれど、ついに手元にやってきた。
    うれしか~!!!

    と、喜びいさんで帰宅すると、
    取材テープをダビングした2時間VHSが、23本届いていた。

    ガビ~~~~~~~~~~~~ン





    以来、モニターをにらみ、キーボードを打ち続け、
    両手感覚マヒ状態。メダマとアタマ、ずっきん痛し。

    現時点で、プレビュー8本終了。ゴールは遠し。
    まだ、iBook、ほとんど触れないっ。


    本格的に遊べるのは、一段落着く9月に入ってからかなあ・・・・・・。
    さびし。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚追加。


  • 沖縄県の「平和行政」は“かけ声”だけなのか


  • 『平和の礎(いしじ)』
    沖縄戦で亡くなった人の名前をその国、性別、民間人、軍人にかかわらず刻むモニュメント。

    6月23日は、沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」。
    『平和の礎』では、追悼の式が毎年行われている。

    この『平和の礎』を、沖縄県は「平和を希求する沖縄県民の心のシンボル」とし、
    県の平和政策の中心に位置づけている。
    だからこそ、「礎」という文字を“いしずえ”と呼ばず、
    沖縄の言葉で“いしじ”と敢えて呼んでいる。

    この『平和の礎』に朝鮮半島出身者の名前を刻むことを、沖縄県は中断した。
    そして、そのまま中止するかもしれないという。


  • 琉球新報 『平和の礎 韓国人教授、委託終了に不満』


  • 沖縄タイムス 『韓国戦没者の追跡中断/礎刻銘県調査 洪教授「早期再開を」』


  • 共同通信社 『韓国出身戦没者の調査中止 「平和の礎」で沖縄県』


  • 朝日新聞 『平和の礎追加刻銘/朝鮮半島出身者調査中断』



  • 沖縄戦で亡くなったすべての人を刻銘するはずの『平和の礎』。
    そこから朝鮮半島出身者を除外することは、
    『平和の礎』の基本理念に反するのではないか?

    沖縄戦で亡くなったすべての人を『平和の礎』に刻銘することで、
    地上戦を体験した沖縄から平和を希求する沖縄県民のメッセージを全世界に発信する。
    それが沖縄県の方針。

    朝鮮半島出身者の刻銘を中断することは、
    沖縄県の平和行政は、結局“かけ声”に過ぎないことを意味している。


  • 朝鮮半島出身者の調査は、たったひとりに任せきり


  • 沖縄戦で死亡した朝鮮半島出身者は1万人とも言われている。
    それに対し、現在『平和の礎』に刻銘されているのは、
    423人に過ぎない。

    朝鮮半島出身者の身元確認は困難を極める。
    そのほとんどが強制連行で日本へ連れてこられ、名簿その他の資料が残っていない。
    さらには、民族固有の名前を強制的に日本式へ変更させた「創氏改名」のため、
    日本名が判明してもそこから先をたどることが難しい。

    また、たとえ身元がわかったとしても、
    日本への反感や憎悪から刻銘に同意しない遺族も多い。

    沖縄県は、その困難な調査をたったひとりの韓国人にすべてゆだねてきた。
    歴史学者のホン・ジョンピルさんである。


  • 琉球朝日放送 『平和の礎 韓国出身戦没者の調査中断』
  • (ホンさん写真)


    現在、『平和の礎』に刻銘されている韓国出身者341名の大半は、
    ホンさんが韓国全土そして日本各地を訪ね歩いて身元を調査し、
    反日感情を抱く遺族の元へ何度も足を運んで刻銘の同意を得た人たちだ。





  • わずか419人だけの「調査名簿」



  • ぼくは今年、ある局で『平和の礎』の朝鮮半島出身者の刻銘問題を
    テーマにした番組の制作に携わった。
    その番組の中心人物のひとりがホンさんだった。

    ホンさんは沖縄県の依頼を受け、
    沖縄戦で死亡した韓国出身者の身元調査を8年間続けてきた。
    その唯一の手がかり、それは朝鮮半島出身者の名簿だ。

    その名簿は、沖縄県の平和推進課が旧厚生省に残る日本軍の名簿を
    『朝鮮半島出身者で沖縄戦に関連して死亡したと思われる人』
    という条件でふるいにかけて抜粋したもので、419人しか掲載されていない。

    1万人にのぼるとされる、沖縄戦で亡くなった朝鮮半島出身者。
    その人たちを『平和の礎』に刻銘するため、
    沖縄県が基礎資料として作った名簿はこれしかない。
    日本軍の名簿から419人の名前や戦没地などを写したこの名簿しかないのだ。


  • 女性の名前がない朝鮮半島出身者の刻銘板



  • 国別に戦没者の名前が刻まれている『平和の礎』。
    韓国出身者の刻銘板には奇妙な事実がある。
    刻銘されている341人全員が“男性”なのだ。
    “女性”はひとりも刻銘されてはいない。

    なぜなのか?

    戦没者の身元調査をしているホンさんはずっと疑問に思い、
    沖縄県にもその疑問を投げかけている。
    しかし、未だ明快な回答を得てはいない。

    こんな事実がある。
    1997年、ホンさんが遺族に刻銘の同意を得た韓国出身者は44名。
    そのうちただひとり、その名を刻まれない人がいた。女性だった。

    ホンさんが調査し、遺族が同意したにもかかわらず、刻銘されなかったのは、
    8年間の調査の中で、この女性ただひとりだ。

    『平和の礎』に刻銘することに同意した遺族は、
    既に刻銘されたものと思っていた。
    それが刻銘されていないことを取材陣から知らされたとき、
    遺族の女性は怒りを込めた疑問をぶつけた。

    --男性だけを刻銘するんですか?
    --慰安婦だった女性たちはどうなるんですか?

    慰安婦として働かされていた朝鮮半島出身の女性たちが沖縄にもいたことは、
    日本軍の残した資料でも明らかになっている。
    『平和の礎』に刻銘されなかった女性の遺族は、
    慰安婦として亡くなったのかもしれないと考えている。

    その上で、次のようにはっきりと主張した。

    --韓国の女性たちが日本に連行され、亡くなったのは日本人のせいでしょう。
    --自分が望んだわけじゃない、強制されたからでしょう。
    --恥ではない、自発的な行動ではないから恥だとは思わない。





  • 身元調査に見る平和行政のずさんさ



  • 結局、この女性は、死亡した日時や場所を定めた『平和の礎』の刻銘条件に
    合致しなかったため、刻銘されることはなかった。

    しかし、ここで奇妙なことが判明した。
    死亡年月日などが刻銘条件からはずれていながら、
    その名を刻まれている朝鮮半島出身者が多数いるのだ。

    例えば、上記の女性が刻銘されなかった1997年にその名を刻まれたのは43人。
    そのうち10数名は刻銘条件からはずれていた。
    本来は、刻銘対象外となるべき人たちだったのである。

    なぜこのようなことが起こったのか?

    沖縄県平和推進課は「単純なチェックミス」と回答した。

    しかし、沖縄県が身元調査用に作成した419人の名簿には、
    ひとりひとり、死亡年月日が記載されている。
    つまり、ホンさんに名簿が渡された時点で、
    419人の中に刻銘対象外の人たちが数多く含まれていたのだ。

    ホンさんは8年間に渡り、刻銘されることがない人たちの身元をも尋ね歩いていた。

    『平和の礎』を軸とする沖縄県の平和行政は、その出発点、
    こと朝鮮半島出身者の調査に関する限り、まったくずさんだった。


  • 『慰安婦』とされた女性の“人権”とは。



  • 『平和の礎』。
    その朝鮮半島出身者の刻銘板には、なぜ男性しか刻銘されていないのか?
    その疑問に対しては、沖縄県からは明快な回答が得られなかった。

    問題は、名簿の作り方にある。

    沖縄県が身元調査用の名簿を作成する際に参考にした日本軍の名簿。
    この名簿には性別の記載がないが、掲載されている朝鮮半島出身者は、
    軍属など軍部の一員として働いた人たちだ。
    その大半が男性であり、従軍慰安婦とされた女性たちは含まれていないと推測される。

    そこから抜粋して作った419人の調査用名簿。
    それが男性ばかりとなっても不思議ではない。
    沖縄県も「そのほとんどは男性だっただろう」と認めている。

    こうした沖縄県の姿勢に対し、ホンさんはこう疑問を述べた。

    --沖縄の人たちは女子ども、みんな名前を刻んでいるのに、
    --どうして韓国の人間に関してはこんな名簿をくれるのか、今でも疑問です。
    --他にもあるはずです、他にも名簿はあるはずです。

    しかし、沖縄県は、女性を含めた新たな朝鮮半島出身者の名簿を作ることには
    消極的な態度を崩さない。

    なぜなのか?

    沖縄県平和推進課は、こう主張する。

    「戦没者や遺族の人権やプライバシーの観点から、女性の調査は難しい」

    例えば、朝鮮半島出身の女性の調査を続け、身元が判明したとする。
    戦時中の状況からして、その女性は慰安婦として働かされていた可能性が強い。
    それが明らかになることは、その女性の人権に反する。


    しかし、『平和の礎』には、性別も、職業も刻まれはしない。
    「刻まれるのは名前だけ。亡くなった時の状況は問わない」
    それが『平和の礎』の理念のはず。

    その人が沖縄戦のさなか、どのような境遇にあったのか、
    民間人なのか、軍人なのかを特定することはしない。
    だからこそ、刻銘するのは名前だけにしたはずなのだ。

    また、戦後60年近くを経た現在、刻銘されなかった女性の遺族のように、
    たとえ慰安婦とされていたとしても刻銘して欲しいという考えを持つ人たちが
    多くなってきている。

    その問いかけに、沖縄県は明快な回答を示さなかった。


    『平和の礎』を訪ねた韓国人女性は、取材陣の問いにこう答えた。

    --女性が性を蹂躙されるということを恥と思う考えから
    --「人権を害する」というように言うと思うんですけど、
    --その考え方こそ、人権侵害だと思います。





  • 「申請すれば刻銘する」



  • 今年も『平和の礎』には、沖縄戦の犠牲者が新たに刻銘された。
    ハンセン病療養所にいた人たちや、戦艦大和の乗組員に混じって、
    ホンさんが身元を調査した15人の韓国出身者も含まれている。

    しかし、韓国出身者の調査を中断した今、
    今後、刻銘される人が増える可能性は限りなく低い。

    沖縄県は「申請があれば、当然刻銘する」と言う。
    刻銘を申請するには、刻銘条件に合致するかを確認するために、
    その人が死亡した日時と場所を明らかにしなければならない。

    だが、朝鮮半島出身者は、日本によって強制連行され、
    いつ、どこで命を落としたかさえわからないのだ。
    その遺族が、肉親の死亡した日時と場所を特定することができるはずがない。

    たとえ遺族が刻銘して欲しいと願っても、不可能なのが現実なのだ。

    今年、ハンセン病療養所の患者や戦艦大和の乗組員が刻銘されたのも、
    申請書を書くことができる人がいたからなのだ。

    申請されることがなければ、国籍にかかわらず、民間人か軍人であるかにかかわらず、
    『平和の礎』にその名を刻まれることもない。


    「申請があれば、当然刻銘します。それが『平和の礎』の理念です」

    刻銘条件を提示し、あとは遺族からの申請まかせ。
    それが沖縄県の「平和行政」。
    朝鮮半島出身者は、その枠からさえ、はずされようとしている。




    稲嶺沖縄県知事は、新たな名簿を制作することを示唆している。
    しかし、誰が、どのようにして朝鮮半島出身者の身元調査をするのか、
    具体的なことは決まっていない。

  • 沖縄テレビ『韓国人刻銘新たな名簿』


  • この3月で沖縄県との契約が切れたホンさんは、独自に調査を続けるという。
    日本という異国で命を落とした同胞への思いを断ち切ることができないのだ。

    --韓国では、日本の植民地時代の人間だと言われて、
    --どこにも行き場のない、悲しい人たちです。
    --沖縄は、私たちと同じように戦争の被害者です。
    --日本は戦時中に100万人もの人たちを連行して行きました。
    --それでも、慰霊碑を建ててくれようとしているのは、沖縄だけなのです。

    この言葉を、沖縄県は、日本という国は、どのように聞くのだろうか?

    ♪今日のBGM=John Mayall & The Bluesbreakers 『 Primal Solos 』





    先週の金曜日(6月18日)全国の民間放送が加盟する
    日本民間放送連盟(民放連)が、
    『青少年に見てもらいたい番組』なるものを発表した。

    きょう、その一覧を初めて見た。驚いた。

    北から南まで、衛星放送も含めて、
    民間放送局全局の「見てもらいたい番組」が局別にずらりと並んでいる。


    「日本民間放送連盟『青少年に見てもらいたい番組』一覧 (2004年春)」


    この「見てもらいたい番組」は各放送局が独自に選んだもので、
    選定委員のような人がいるわけではないらしい。

    ぼくは今日まで知らなかったのだけど、民放連は、

    『青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組を
    各放送事業者は少なくとも週3時間放送する』

    という取り組みをしているという。
    この取り組みに基づいて各放送局が指定したのが、
    『青少年に見てもらいたい番組』というわけだ。

    しかし・・・・・・「少なくとも週3時間放送する」とな?
    1週7日間、168時間ある中の、「少なくとも3時間」。
    あまりに短い気もするのだが、この基準、なにを根拠にはじき出したのだろう?

    「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組」というのも、
    わかるようで、よくわからない。
    “見てタメになると思われる”くらいの表現にしておけばいいのに、
    「知識」とか「理解力」とか「情操」とか、定義が難解な言葉に頼るから、
    深い意味があるようで、実はなんだかさっぱり把握できない、
    あいまいな基準となってしまう。

    しかし、この、各民放が自選した、
    「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組」を
    北から南へ順に見ていくと、その局の番組に対する姿勢が見えるようで、
    結構興味深い。


    各局が選定した「見てもらいたい」番組の数には、大きなばらつきがある。
    例えば、TBC東北放送が「青少年に見てもらいたい」としてあげたのは、
    わずかに4番組。
    上記の「少なくとも週3時間」というノルマ達成のため、ムリヤリ選んだ感じ。

    逆にYBS山梨放送は、17番組をあげている。
    キー局が「見てもらいたい」番組に選定した番組は、
    それを放送するローカル局も選んでいる。
    だから、複数のキー局の番組を流すYBSのような局は、
    「見てもらいたい」番組が多くなるのも当然だ。

    キー局の意向は、ローカル局にも無条件に反映されるということか。

    キー局の番組は、各系列局では流されるが、独立U局はその恩恵を受けない。
    しかし、例えばTVKテレビ神奈川などは、自主選定だけで10番組をあげている。
    TVKのサービスエリアでは、キー局の番組も見ることができる。
    競合は厳しい。
    その中で、「見てもらいたい」番組を自社だけで10番組もあげているのは、
    自社制作に力を入れているという自信と主張だろうか。


    キー局5局が自ら選定した『青少年に見てもらいたい番組』は、次の通り。

    ◆東京放送(TBS)
    • 『関口宏の東京フレンドパークII』

    • 『探検!ホムンクルス~脳と体のミステリー~』

    • 『世界・ふしぎ発見!』

    • 『ZONE』

    • 『どうぶつ奇想天外!』


    ◆日本テレビ
    • 『伊東家の食卓』

    • 『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』

    • 『冒険!CHEERS!!』

    • 『所さんの目がテン!』

    • 『ザ!鉄腕!DASH!!』


    ◆テレビ朝日
    • 『ドラえもん』

    • 『人生の楽園』

    • 『ポカポカ地球家族』

    • 『題名のない音楽会21』

    • 『いまどき!ごはん』

    • 『グレートマザー物語』

    • 『大改造!!劇的ビフォーアフター』

    • 『素敵な宇宙船地球号』


    ◆フジテレビジョン
    • 『ポンキッキーズ21』

    • 『脳内エステ IQサプリ』

    • 『晴れたらイイねッ!』

    • 『ちびまる子ちゃん』

    • 『サザエさん』

    • 『発掘!あるある大事典II』


    ◆テレビ東京
    • 『ガイアの夜明け』

    • 『ペット大集合!ポチたま』

    • 『所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝』

    • 『美の巨人たち』

    • 『なぜ?謎!ごはん』


    アニメが3本、ドラマはゼロ。
    クイズものはじめ「見てためになる」番組か、
    親子で見ても安心な、よくも悪くも、トゲなし毒なしの番組が並ぶ。

    これら「見てもらいたい」番組の中で、ぼくがよく見ているのは、
    テレビ東京の『ペット大集合!ポチたま』、
    フジテレビの『ちびまる子ちゃん』ぐらいだ。

    ま、ぼくは「青少年」ではないけれど。
    この「青少年」というカテゴリー、何歳から何歳くらいまでを想定しているのだろう?

    「少年」と言えば、小学校の高学年から高校生ぐらいまで。
    「青年」は、高校生から25歳くらいまでという感じがする。

    少年法など、法律の面から言えばまた違うのだろうが、
    各局が「見てもらいたい」番組にあげた番組を見ると、
    “青少年”というより、“子ども”を対象にしているように思える。
    ずいぶん幼い感じがする。

    きのう、日記にPTAのお父さん、お母さん方があげた、
    「子どもに見せたくない番組」「子どもに見せたい番組」を書いた。

    キー局が自分たちで選定した『青少年に見てもらいたい番組』には、
    「子どもに見せたくない番組」はひとつも入っていない。
    それだけ、制作者側も自覚しているということか。

    逆に、お父さん、お母さんたちが「子どもに見せたい番組」にあげた
    『世界ウルルン滞在記』(TBS) と『トリビアの泉』(フジテレビ)は、
    自社選定の中にあがってはいない。
    父母と局との感覚が違うということなのだろうか?

    なんにしろ、「ためになりそうな」番組を父母は好むし、
    局が「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする」ために
    「見てもらいたい」とする番組も、父母の意向にそうものということ。

    めでたしめでたし、か?





    しかし、民放全局の「見てもらいたい」番組に、
    ドキュメンタリー系の番組がほとんどないのは寂しい限りだ。

    ぼくの住む九州には、九州の系列局を結ぶブロックネットのドキュメンタリー系番組がいくつかある。
    例えば、『ムーブ2004』
    キー局の系列で言えばTBS系列にあたる九州・山口・沖縄の8局が
    持ち回りで作る30分のドキュメンタリー番組。

    これを「見てもらいたい」番組にあげているのは、RKB毎日放送だけだ。

    う~ん、足並みが乱れとるなぁ。あとの7局はどうしたの?

    フジ系列にあたる九州・沖縄各局が同様に持ち回りで制作している
    同様のドキュメンタリー『ヒューマン九州21』は、5局があげているというのに。

    スポンサーもつかず、少ない予算でがんばっている。
    なのに、局として「見てもらいたい」と思ってはいないのだろうか?

    寂しい。

    悲しい。

    情けない。


    これも、全国ネットで放送しているドキュメンタリー系の番組の
    全滅ぶりを見れば納得もいく。

    全国24局でオンエアしている『テレメンタリー2004』を「見てもらいたい」番組にあげているのは、ただ1局。

    33局でやっている『生きる×2』もわずかに2局。

    同じく33局で流れる『いきいき! 夢キラリ』は13局があげているが、これは4月に始まったばかりだ。

    30局をネットする『NNNドキュメント04』にいたっては、「見てもらいたい」という局はゼロである。

    こういう全国ネットのドキュメンタリー系番組を作っているローカル局は、
    “この番組は自社制作”だ、という意識がないのだろう。

    空しい。

    何よりしかし、ネットの中心であるキー局が、
    これらの番組を「見てもらいたい」番組に選んでないのがそもそも情けない。


    ぼくは今、上記のドキュメンタリー系番組のひとつに携わっている。
    ディレクターは、よりよい番組にしようと懸命に取材中。
    短い制作期間の中、休日を返上し、夜を徹するディレクターはじめスタッフの熱意も、
    番組宣伝など局の後押しがなければ視聴者へは届かない。

    完成した番組は、深夜または早朝、人知れずサッと流れて、はい、終わり。
    未来永劫、もう二度と、視聴者の目に触れることはない。

    結局、やる気があるのは現場だけ、ということなのか。


    「しっかりしてよ」


    しかし、民放の総元締めである日本民間放送連盟が、
    自ら音頭をとって、『青少年に見てもらいたい番組』を発表する。
    それも、『青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組』として。

    どうも、なんとなくすっきりしない。
    あまたある他の番組は、どんな思いで作っているのか?
    そんな疑問が湧くのだが・・・・・。





    ♪BGM=Derek and Dominos 『 Live At The Fillmore 』


    韓国の男性がアルカイダに関係すると思われる一団に惨殺された衝撃は大きい。
    日本のマスコミでもその扱いは大きく、
    身を投げ出して嘆き悲しむ家族の姿が頻繁に流されている。

    こんな記事を見つけた。

    「<金鮮一さん殺害>日本人拉致との違い」(韓国・中央日報)

    日本人の人質は解放されたのに、なぜ金さんは殺害されたのか。
    それを簡単に分析しているのだが、記事の最後に次のような一文がある。

    「日本は自衛隊の派遣以前から、大規模な対中東広報作業を行ってきた。
    アルジャジーラやアルアラビアなどの放送には、サッカースターの中田まで登場し、
    派遣に関する広報が定期的に行われた」

    そうだったのか?!
    中田選手は、自衛隊派兵の広報活動に協力していたのか?!

    知らなかった。

    その映像を見たわけではないのでなんとも言えないが、

    「自衛隊は、イラクの皆さんの復興のため、持てる力をすべてお貸しします」

    とか、

    「自衛隊は軍隊ではありません。ですから、武器は使用しません」

    といったことをあの口べたな中田選手がドリブルしながら言ったとは思えない。

    広報用の映像を制作したのは、日本国だろう。
    こうした広報活動を日本が国としてイラク及びイスラム世界に向けて行っているということ。
    それを、ぼくは寡聞にして知らなかった。

    どのような内容で、どのような形で、イラクの人たちへと伝えられたのか。
    その内容は、ぼくら日本国民の意思として受け止められたはず。

    知りたい。

    ♪今日のBGM= Ray Charles 『 Anthology 』





    ペ・ヨンジュンさんが来日し、ファンを熱狂させ、帰っていった。
    入れ替わるように、次なる韓国男優が来日。
    なんだかよくわからないけど、泣きながら歌を歌っていた。

    あ、『冬のソナタ』の音楽を担当しているという男性音楽家も
    インタビューで「日本へ進出します」と語っていた。

    すさまじきかな、韓国ブーム。
    韓国の“固有の芸能”と言えないところが、ちょっと残念だけれど、
    隣国に興味を持つのはいいことだ。

    ぼくは『冬ソナ』を1秒も見たことがない。
    だから、番組の感想は言えないのだが、ぺ・ヨンジュンさんは結構好きである。
    メガネがよくお似合いだし、穏やかな笑顔にのぞく白い歯。
    確かに爽やかだ。

    だが、しかし、

    --あんなの、男じゃないよ、男の風上にも置けないよ!

    そう一刀のもとに切って捨てたのは、70代の韓国人男性。
    韓国取材のテープの翻訳をお願いしたときのこと。

    雑談中に話題が『冬ソナ』に流れ、主人公の男優に触れたとき、
    いきなり、上記の言葉を発された。
    断固とした調子で、絶対容認できないという気迫にあふれていた。

    --どうしてですか? 爽やかな好青年じゃないですか。

    --なにが好青年ですかっ! 男は笑うもんじゃないんです!!

    お~こわ。
    自分のえへら顔が急に気になった。

    --韓国ではね、男は歯を見せてはいけないんです。
    --人前で、それも歯を見せて笑うなんて、だらしなさの極地ですっ!
    --恥さらしなっ!!

    はい、すみません(なんでオレが叱られるの?)。

    男は歯を見せて笑わない。
    それは、日本でも同じだったはず。
    遠い子どものころ、そんなことを言われたような記憶がかすかにある。
    それがいつの間にか、笑顔が売り物となるようになった。

    韓国でも同じなのだろう。

    儒教の影響で、日本よりもはるかに上下関係が厳しい韓国。
    目上の人の前では、タバコもダメ、お酒もダメ。
    お酌をしてもらうときには顔を横に向け、目をそらす。
    若い男が、目上の人の目を見ながら、歯をむき出して笑おうものなら、
    こてんぱんに叱られる。

    そんな伝統も、急速に変わりつつあるということなのか。

    以前、韓国からの留学生(男性)とお酒の席で同席したとき。
    ぼくがビールをつぐと普通に片手でグラスを持って受けるのだけれど、
    60代の男性がつごうとすると、膝を合わせ、グラスを両手で持ち、
    顔をそっと横へ向けた。

    「おぉ、礼儀正しい!」

    そう思った。同時に、

    「ん? オレは同輩か?」

    そうも思った。
    ぼくの方が15、6歳年上なのだが、お友だちということなのだろう。

    伝統の中には、時と共にすたれていくものもある。
    白い歯がまぶしい笑顔の男性が人の心をうつのなら、それもまたよし。
    その風潮をにがにがしく思うオトナも多いのだろうが、
    オトナに受け入れられる若者文化なんか、あったためしがないのだ。

    しかし、韓国の年輩の方には、ヨン様を話題にするのはもうよそう。
    こちらが叱られるハメになる。

    「ヨン様? 食える?」






    ♪BGM=Fleetwood Mac 『 Tango In The Night 』


    少し前(6月16日)に、日本PTA全国協議会が
    「子どもに見せたくない番組、見せたい番組」を発表した。
    (数字と一覧表はasahi.comから引用)

    昨年11~12月に全国から会員を抽出して調査を実施。
    調査に応じた5011人のうち、「見せたくない番組がある」と答えた父母1296人に
    番組名をふたつまで記入するよう求めてできあがったのが、
    この「子どもに見せたくない番組」ベスト10。


    ◆子どもに見せたくない番組(「※」は番組名の特定なし)

    (1)ロンドンハーツ(テレビ朝日系)
    (2)水10!(フジテレビ系)
    (3)クレヨンしんちゃん(テレビ朝日系)
    (4)志村けんのバカ殿様(フジテレビ系)
    (5)笑う犬の太陽(フジテレビ系)
    (6)※サスペンス番組
    (7)めちゃ×2イケてるッ!(フジテレビ系)
    (8)※バラエティー番組
    (9)うたばん(TBS系)
    (10)学校へ行こう!(TBS系)
    (10)ボボボーボ・ボーボボ(テレビ朝日系)
    (10)※殺人シーンのあるドラマ


    このうち、ぼくが見たことのあるのは『クレヨンしんちゃん』だけだ。
    他の番組はどのような内容なのか知らないが、
    父母がこれらの番組を子どもたちに見せたくないとする理由は、

    1.「ばかばかしい」--------62%

    2.「常識やモラルを極端に逸脱」--41%

    3.「言葉が乱暴」---------39%  (複数回答)


    どの理由も主観的なものだから、それはそれでいいのだけれど、
    「ばかばかしい」番組の効用というのがあることも忘れていけないと思う。
    「ばかばかしい」ものばかり見ている子どもが、将来、ばかばかしい人間になるのならば、
    テレビ世代の親たちは、みんな「ばかばかしい」オトナであるはずだ。

    幼稚園のとき、自宅にテレビがやってきたぼくなぞ、完璧なテレビっ子。
    「ばかばかしい」番組の代表だった『8時だヨ! 全員集合』を始め、
    「ばかばかしく、“無”常識で、言葉遣いのめちゃくちゃな」番組ばかりを見て育った。

    きっと今、「ばかばかしい」オトナの最前列に並ぶだろう。
    親にならなくてよかったと思うばかりだ。





    父母が選んだ「子どもに見せたい番組」ベスト10は、こちら。


    ◆子どもに見せたい番組 (「※」は番組名の特定なし)

    (1)プロジェクトX(NHK)
    (2)どうぶつ奇想天外!(TBS系)
    (2)その時歴史が動いた(NHK)
    (4)週刊こどもニュース(NHK)
    (5)※ニュース番組
    (6)伊東家の食卓(日本テレビ系)
    (7)地球!ふしぎ大自然(NHK)
    (8)世界ふしぎ発見!(TBS系)
    (9)世界ウルルン滞在記(TBS系)
    (10)トリビアの泉(フジテレビ系)


    『プロジェクトX』は、2位『どうぶつ奇想天外』の3倍の票を集め、
    ダントツの首位。
    見せたい理由のトップは、「将来の夢や目標とする人物像を育める」。

    ホント?

    同番組は、ぼくもたまに見る。
    オープニング&エンディングを飾る中島みゆきの圧倒的な歌といい、
    田口トモロヲの独特なナレーションといい、とてもよくできていると思う。
    たまにはハズレのときもあるが、それは仕方ないだろう。

    あのボリュームの番組を毎週やれる。
    やはり、スポンサーが国と国民であるNHKにしかできないことだ。

    しかし、『プロジェクトX』を見せることで子どもたちの心に
    「将来の夢や目標とする人物像を育める」というのはホントかなぁ??
    お父さん、お母さんたちは、ホントにそういう効果を期待しているのだろうか?
    子どもがいないので実感としてはわからないのだけれど。

    困難を乗り切るサクセスストーリー、ドラマチックな構成・・・・・、
    あの作り方は、家族をかかえ、責任を背負い込んで社会の荒波を乗り切ろうとしている
    おじさんをターゲットにしている。

    この番組が見る側に提示しているのは“将来の夢”ではなく、
    疲れ切ったおじさんへたちの“癒しとエール”。
    だからこそ、書籍となり、ビデオとなっても、売れ続ける。

    疲れたおじさん(おばさんでも同じ)たちが感動するからといって、
    大人とは違う感性の世界を生きている子どもたちの心に響くとは思えない。
    子どもたちには子どもたち自身が作り出す世界があり、子どもたちの価値観がある。
    自分自身を思ってもそうだったし、子どもはそうやって自分を育んでいくはずだ。

    もし、小学生、中学生、高校生のわが子がいたとして、アニメよりも『プロジェクトX』始め、
    ベスト10にあげられた番組ばかりを見ているとしたら、ぼくはすごく心配するだろう。
    すべての番組に“解答”が用意されている、そんな気がするから。





    「見せたい番組」はもちろん、
    「見せたくない番組」ベスト10の制作側も、やはり喜んでいるんだろう。
    スポンサーが喜ぶ限りは。

    しかし、番組の性格も変わるものだ。
    「見せたくない番組」の10位に滑り込んだ『学校へ行こう!』が始まったころ、
    ぼくは子どもの人権に関する番組に関わっていた。

    学校に行くことを心や体が拒否する子どもたちが集まるフリースクールが舞台。
    そこでは日を決めて思ったこと、感じたことを語り合っていた。
    その中で出てきたのがこの番組に対する拒否反応だった。

    『学校に行こう!』という番組タイトル、
    学校に行きたがらない子どもたちを行かせようとするその内容、
    学校に行くことを「正」とするその姿勢・・・・・、
    子どもたちは「おかしい」と思い、「これでいいのか?」と考え、悩んだ。

    学校は行かなくてもいいところじゃないのか?
    行こう行こうとまわりが言えば言うほど、自分たちの居場所がなくなる。
    そんな追い詰められるような思いが彼らにはあった。

    その番組が、今や父母が子どもたちに「見せたくない番組」の
    ベスト10に入っているとは・・・・・・・・。

    あのフリースクールの子どもたちは、どう思うだろうか。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”

    ♪今日のBGM=Kool & The Gang 『 Ladies Night 』






    朝8時前から、いま、午後の2時14分まで、ず~っと机に座っているのだが、
    な~んにもしてない。

    思考停止。
    ときどき、情報伝達物質が脳を流れる。
    「お」と思うけど、再び停止。

    蒸し暑い。
    イスに座って、キーボードをたたいているだけなのに、
    首すじに汗が流れる。

    部屋にエアコンもあるけど、今年はまだ運休中。
    人工冷気がどうもだめ。
    扇風機の風も、よほどのとき以外は遠慮する。

    じゃぁ、暑いのは自分でなんとかせんとねぇ。
    Tシャツのそでをまくしあげ、短パンのすそをまくりあげ。
    効果なし。
    窓を全開。しかし、風はなし。

    ネコ助は、押し入れの中で昼寝。
    涼しいところを見つける名手だから、きっとあそこが心地いいんだろう。

    読まねばならない資料を一応広げたのだが。
    広げてから6時間あまり。
    1行も読んでない。

    いっか、今日中の、いつか読めば。
    あかん、こんな日は。

    「寝るが一番」







    ♪BGM=Tower Of Power 『 Bump City 』


    15分間くらい、ページの一番上の「ランダム」を押して遊んだ。
    楽天HPランダム飛び遊び、HPを開いて以来、2度目。

    目にしたことのあるページがぽんぽんと登場することにふと気づく。
    たぶん、前回、遊んだときにおじゃましたページ。

    これ、ほんとに「ランダム」なの?

    あら? さっきおじゃましたページがまた出てきた。
    ほんとの意味で、ランダムじゃないんだな、きっと。
    そうだよな、プログラミングされてるんだから。
    意味不明、手当たり次第に飛んでいくわけじゃないんだ。

    その昔、会社勤めをしているときは、
    「ランダムサンプリング」なんてことを勉強した気がする。

    -母集団から標本を選択する際、乱数表などを使い
    -機械的に抽出することを「ランダムサンプリング」、
    -「無作為抽出法」と言う。

    だったかな。
    あのころは、有効標本数は母数に対して80%以上じゃないと叱られていた。
    最近の電話調査なんかをみると、6割を切っていることもある。

    そうだよな。
    10人のうち8人もちゃんと答えてくれると期待する方が間違ってる。
    対象者の善意で調査は成り立つ。
    意地の悪い人は回答してくれないだろうから、
    意地の悪い人の意見は、結果には反映しないのだな。

    世論調査と現実との食い違いは、
    意地の悪い人の分が入ってないからなんだ、きっと。


    3時を過ぎた。あ~、蒸し暑い。

    お? 風が、そよと吹いてきた。

    晩ごはんのおかず、買いに行こ。






    車で17、8分のところにある大きなスーパーへ買い出し。

    車内BGMは、自選のMD「My Favorite Songs No.1」。
    って、今、ネーミングしただけだけど、好きな曲をタイトル順に並べ、
    4枚のMDに入れているうちの「A→D」のヤツ。

    1曲目は、ドン・マクリーンの「AMERICAN PIE」だった。
    おぉ、懐かしや!
    自分で作ったMDなのに、順序なぞすっかり忘れてた。

    けっこう地味なこの方の、でも大ヒットしたこの曲、ぼくは好き。
    マドンナがカバーしたバージョンは、あまり気に入らなかったけど。

    バディ・ホリーの死と共にロックも死んだという内容(だっけな?)。
    ディオンヌ・ワーウィックの「Killing Me Softly With His Song/やさしく歌って」は、
    この曲にイスパイアされた作家が作ったとか。
    いい曲だ。

    車の窓を全開にし、ボリュームをあげて、大声で歌う。
    歌詞は知らない。知っているのは、サビの、

    ♪ Bye bye Miss American Pie ~ ♪

    のところだけ。でも、いいのだ。
    大音響で、かつ、大声で歌っても、
    走っているのは田んぼの真ん中、農道だから周囲に気兼ねはいらないし。

    メチャメチャ歌詞で歌っていると、
    だんだんテンポアップしていくこの曲に乗って元気が出てきた。

    次は「Alive Again」。シカゴの曲。
    ギタリストのテリー・キャスが、実弾入りの銃でロシアン・ルーレット中、
    銃が暴発して死亡してから最初にリリースしたアルバム収録曲。
    これも、元気が出る曲だ。

    スーパーに着くころには、元気が出てきた。
    夕食のネタを仕入れる。

    きのうは肉類だったから、きょうは野菜いっぱい食わねば。
    ゴーヤを炒めて、野菜をさっと湯通し。
    あとは新鮮な青アジの刺身と、そうめんということで決まり。

    そうめんはやっぱり「揖保の糸」。
    他のものより値が張るが、食べ比べるとやっぱり違う。

    買い物を終え、車に戻り、自宅へ向けていざ発進。
    流れ出した音楽は、「Alone Again」。ギルバート・オサリバン。
    あちゃ~、気分が高揚してきたのにぃ。少しダウナー方向へ。

    学生時代、四畳半の下宿で電気もつけずに聞いていたころを思い出す。
    若いころは、またひとりになった、なんてよく思うもの。
    想っていた人が去るということは、悲しいことだ、やっぱり。
    それは、異性だとは限らない。
    同性だからこその哀しみもある。

    続いて流れ出したのが「Boat On The River」、スティックスだ。
    哀愁漂うマンドリンの音。
    大好きだけど、気分はさらに沈下。

    家に近い田んぼの横を走っているとき、
    エルトン・ジョンが「Border Song」を歌い出した。
    彼のヒットナンバーの中では、あまり目立たないけど、とてもいい曲。
    いまのぼくには、少し哀しいか。

    そんなこんなで、
    買い物に出かけるときと戻ってきたとき、
    気分は変化なし。

    こんなもんなのかな、今日って一日は。






    夜。

    BSで『東京キッド』を見る。
    1950年、終戦からわずか5年目の映画。
    戦後の風俗が垣間見れて興味深い。

    が、それよりも、美空ひばりの“超ど級子供離れ”ぶりに、
    点となった目が画面から離れない。

    ひばりさんを“発見した”ことで名高い川田晴久(初代あきれたボーイズ)、
    元スパイダース・堺正章のお父さんである堺駿二、
    横山エンタツとコンビを組み、一世を風靡した漫才師・花菱アチャコ、
    そして、昭和初期の喜劇王・榎本健一。

    こうした実力派コメディアンを向こうに回し、一歩も引かないどころか、
    完璧に周囲を食いつくすひばりさんの演技と歌。

    「ひばりありき」で作られた映画だから、ストーリーはあまりに強引、支離滅裂。

    母親が病死し、流しの演歌師(川田晴久)と暮らしていたひばりさんのところへ、
    アメリカでひと山あてた父親(花菱アチャコ)が帰ってきて、
    「お父さんのところへ帰ってきてんか、お願いやさかい」
    (アメリカ帰りが関西弁で話さないで欲しい・・・・)と迫る。
    で、てんやわんやがあって、結局、あっさりアメリカへ行ってしまうのだった。

    漫才とコントのネタがつながっただけのような映画に、
    おもしろいやら、あきれるやら、引き込まれるやら。

    歌はうまい、べらぼ~に。子供のニュアンスがどこにもない。

    しかし、ひばりさんの、この演技は・・・・。
    天性の流し目。
    「おじちゃん!」と泣きすがる幸薄い少女・・・・であるはずが、
    自然とシナを作っている足先と手先。
    相手を惑わせ、いざなうような、ねまる言葉尻。

    確かに、天才。だが、不気味。
    見ていると、もう、脳みそが溶けそう。

    デビューしたとき、「なんだ、この子は???」という反応があったという。
    うん、うん、そうだろう。

    「末恐ろしい」という声も多々あがった。
    そして、実際、末恐ろしくなった。不世出の大歌手として人生を閉じる。
    個人的には、ジャズをどんどん歌って欲しかった。それが残念。

    もし、子供のころのひばりさん、この才能が、この現代に現れたとしたら・・・?

    テレビには、出ることができないかもしれない。
    生まれながらのR指定か?(失礼)

    確かこのころ、まだ12歳くらい。
    その猛烈な才能に誰もが圧倒されたことは、きっと間違いない。


    あ! 老夫婦ふたり暮しのお隣りさんから、
    ハーモニカで「川の流れのように」のメロディが聞こえる!!
    きっと『東京キッド』を見て、昔を思い出したに違いない。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    ♪今日のBGM=Albert Collins 『 Rockin' with the Iceman 』






    --「この国を想い、この国を創る」。

    --自民党の目指すもの、それは誰もがこの国生まれてよかった、

    --そう思える国づくりです。

    --テーマは「日本」。自民党!


    お昼を食べつつテレビを見ていたら、小泉さんが登場して、
    元気にこうしゃべって、消えていった。

    参議院選挙に向けての、政党コマーシャル。
    自民党の総裁である小泉さんが、自民党CMに登場するのは当たり前。
    でも、なんとなく奇妙な感じ。

    自民党の主流派ではない小泉さんが首相であることからして、
    ほんとうは奇妙なのかもしれない。
    しかし「テーマは『日本』」とは、これまた大きく、かつ、あいまいに出たな。

    党としての公約などないも同然の、このコピー。
    具体的なことがなにもない。
    具体的なことを口走るとその揚げ足をとられかねないし。

    耳ざわりのいい言葉で広く有権者にアピールする。そんなところか。
    “想い”とか“創る”という言葉はわざわざ文字で見せている。
    どちらの漢字も、実体がないものを述べるときや、体裁を整えるときに
    使われやすい文字だということを本で読んだことがある。
    また、なにかを夢想するときにも頻用される漢字だとか。

    --あ~ら、ピッタシ。

    そう思ってしまった。


    「この国に生まれてよかった」

    胸を張って、そう言いたいです、ほんと。
    しかし、過去の行為は解決済みと切り捨てている今の母国。
    生まれてよかったと言うにはあまりにも腰がすわってなさ過ぎだ。

    その腰のすわらなさをリードしてきたのは、自民党。
    その自民党に舵取り役を任せてきたのはぼくら国民だから、
    胸を張れない国を“創って”きたのは、やはりぼくらということになるだろう。

    “国際貢献”のためにイラクへ行ったはずの自衛隊。
    それが、あららの間に“多国籍軍”へ参加することとなった。
    ますます、「この国に生まれてよかった」とは思えない。

    --多国籍軍には参加する。だが、指揮権は日本が保持する。

    そんな小理屈で乗り切れてしまう国民。
    ほんとに扱いやすいんだろうなぁ、ぼくらは。

    多国籍軍に参加するというこの事実に、
    ぼくら国民のどのくらいの人たちが関心を持っているのだろう。
    関心を持たないのは受け入れたと同じこと。
    将来、紛争地帯へわが子がかり出されても、
    母も父も、国に非を負わせることはできない。

    もう、OKを出してしまったのだから、“無関心”という自己表現で。

    多国籍軍に参加することにしました。
    各国の軍隊が集結した中で自衛隊もその役目を果たします。
    でも、自衛隊は軍隊じゃないよ。
    “自衛”のためにしか、武力は使わないんだからさ。
    命令はぼくらがするって言ったらいいよってさ。
    だから、心配ないよ。ぜんぜんだいじょうぶだぁ。

    そんな収め方で、殺し殺される場所へと出かけることがあっさり
    決まった。


    「やっとれん」


    小泉さんが、

    --自衛隊は「軍隊」だ。

    そう断言したのは、もう一昨年のことだろうか?
    ほとんどニュースにもならず、批判の対象にはならなかった。
    それどころか、話題にさえのぼらず、記憶への片隅へと押しやられた。

    結局、痛い目を見るのはぼくらなのに。






    小泉さんの政治手腕は、最近の「コイズミ流テレポリティクス(テレビ政治)」で
    十二分に発揮されてきているのではないだろうか。

    拉致事件での、家族会の憤怒に反論せずに耐えるコイズミ。
    それだけで、小泉内閣の支持率はぴょんとあがった。
    メディアによっては、北朝鮮を訪ねる前よりも10ポイント以上も伸びた。

    そして、小泉さんに怒りをぶつけた家族会のもとへは、
    1000を越える批判のメールと、「感謝もしないのか」という罵倒の声が寄せられた。


    なぜかテレビで中継された小泉さんと家族会との会談。
    それまで、あんな位置関係の映像を見た記憶はない。

    映像に弱いぼくら。あっさり、小泉さんの手にハマった。
    テレビがどう映し、それを見た国民がどう反応するか、
    緻密に計算されているのに。

    大体、拉致被害者の子どもたち5人は、
    小泉さんが行かなくとも帰ってきたとされている。
    あわよくば、プラス3人の家族8人、全員帰国。
    それが演出できれば大成功。しかし、5人でもコイズミ人気はアップする。

    小泉政権にはマスメディア対策を専門に行う人たちがいる。
    北朝鮮を訪問する前、専門家はこんな風に分析したという。

    「もし帰ってくる子どもたちが5人に留まっても、
    子どもたちが両親と会う映像などの効果を考えれば、
    国民は首相についてくる」

    そして、その通りになった。
    帰ってきた子どもたちは、どこか純朴そうで、控え目で、はにかんでいて。
    コイズミ流テレポリティクスの脇役として、どんぴしゃだった。

    両親との再会劇、そしてそれに続くあふれんばかりの「今日の子どもたち」報道。
    テレビは視聴者のニーズに合う情報を流す、だからこそのマスコミ。
    小泉さんは、行く必要のない北朝鮮へ出かけ、家族会の非難を敢えて浴び、
    その姿をテレビカメラにさらすことで、国民の人気を取り戻した。

    子どもたちが「少しずつ日本の生活に慣れてきてます」、
    そんな映像に、拉致被害者の苦しみは、あっさり覆われてしまう。

    危ない。
    テレビは、事実のごく一部しか見せてはいない。
    今、映し出されている映像は、現実のほんの一部でしかない。

    にっこり話す拉致被害者から少しカメラを横に振れば、
    混乱して涙を流す子どもたちがいるかもしれないのだ。

    想像力までテレビに預けてはダメだ、絶対に。


    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    ♪今日のBGM=Jethro Tull 『 The Best Of - The Anniversary Collection 』


    ◆ AM9:44 ====================


    暑い・・・・・。
    北向きの部屋、風はそこそこ入る。
    しかし、パソコンに向かっているだけで吹き出す汗。
    台風がくるハズじゃないのか?

    WEBで台風情報を見る。
    ちゃんとこちらへ向かって進んでいる。「台風予想進路図(気象庁発表)」
    九州の東海岸には、波高しの警報が出された。

    なのに、なんなの、この空の青さ?

    空はぴーかん。


    台風がくるからこその、この暑さなの?

    太陽灼熱。


    早くもグロッキー状態。
    脳みそ、脱落。
    な~んも考えられまっしぇん・・・・・・・・・・。



    ◆ PM2:14 ==================== 


    暑い・・・って、朝と同じ始まりだけど、この暑さはなんなの、ほんに。

    エアロスミスで気合いを一発。


    ♪今のBGM=Aerosmith 『 Get A Grip 』



    今日、飲むことになっている級友は、正午、こちらの空港から電話をかけてきた。
    開口一番、

    --なんや、この暑さは!!!

    なんやと叱られても困るが、確かに誰かのせいにしたいくらい暑い。

    そんなワケで、な~んもしたくないのでWEBをウロウロ。
    おもしろい記事に遭遇。

    「サマワの陸自隊員が出演 札幌のFM局が新番組」(共同通信)

    札幌市のFM局がサマワの陸上自衛隊宿営地とスタジオを衛星電話で結び、
    隊員の声を届ける番組を今日から始めたそうな。

    題して「サマワからこんにちは」。

    あまりのベタなネーミングに感心。分かりやすくてメチャいいかも。
    毎週土曜日の午後3時から4時の間のおよそ10分間、
    サマワの様子を聞きつつ、現場の声を聞かせる。
    パーソナリティが防衛大中退というのもおもしろい。

    初回の今日は、
    「日中の風はドライヤーのよう」
    とか、
    「部族長に『日本人は友だちだ』と言われた」
    とか、
    そんな話が流されたようだ。

    当然、防衛庁の許可をとっているだろうし、
    「なぜ、武器を持って他国へ行かねばならないんですか?」
    などといった、普通の疑問にもこたえてもらえはしないだろう。

    なにより、この技術発展にぎにぎしき折り、ナマ放送ではない。
    “録音”放送なのだ。

    「その理由は?」 → 「日本との時差」、なのだろう、きっと。

    しかし、国として歩む方向に疑心暗鬼となり切ってしまい、
    イラクから吹くサワヤカな風にさえ生臭さを感じてしまうおやぢは、
    それだけが理由とは到底思えないのだ。

    一般市民の善意に満ちた、プロパガンダ。
    人間の情感や共感をナマのまま活用した、懐柔政策。

    ライブならそれなりに突っ込むことも(その気があれば)できるだろうが、
    事前に録音したものを放送するのだから、そんな面白みもない。
    防衛庁の検閲があるのではないか、とぼくはかんぐる。

    まぁ、最近のメディアはとても行儀よく、自主規制もとても行き届いているから、
    おとがめを受けるようなモノを電波に乗せることはまず考えられない。

    サマワの自衛隊員は職務を果たすべく、懸命にがんばっているだろうし、
    その声を録音であれ聞けるというのは、家族にとっては嬉しいことだろう。
    家族はときに電話もかかってくるのだろうから、友人知人の方か、ほっとするのは。

    国際貢献の名で戦いのさなかに送り出された自衛隊員の皆さんには、
    何事もなく、無事に帰ってきて欲しい。

    「行ったからには、死んでこい」

    そんなことを思うヒトは、そうそういないハズである。
    命をお国に預けたと思う親御さんもいるようだが。


    しかし、日中は50度になろうかという灼熱のサマワで、
    国際貢献のため、危険を顧みず汗を流す自衛隊隊員の声。
    それが果たす役割は、きわめて大きい。

    サマワには、もう日本の大メディアはいないはず。
    取材をしているのは、フリーのジャーナリストだけ。
    そんな現地の状態はそのままに、衛星から降る自衛隊員の明朗快活な声。

    あぁ、平和に殉じようとする、爽やかな若者たちよ・・・・・・。


    こうした事実を積み重ねて、
    着実に、ある方向へとぼくらは歩き出している。


    数日前に引用した、ある研究者の言葉、もう一度引用しておこう。


    「今の状況を見ていると満州事変以降30年代と非常に似ている。
    満州事変から日本の戦争は、既成事実を作っていくわけですね。
    そうすると最初はおかしいと思っていても、いったん満州を取ってしまえば
    『それはそれでいいじゃないか』と。
    更に次の段階に現状追認で、
    起こってしまったものは仕方がないんじゃないかという形で追認していくという。
    本当は元々そこの出発点がおかしいのであって、
    元から考え直す必要があるんだというのを考えないで、
    既成事実をどんどん追認していくんだというそのパターンを、
    また今も繰り返してしまっているんじゃないかという風に感じてます」





    ◆ PM5:23 ====================

    ますます、あぢ・・・・・・。
    「へば・・・・」


    取材テープ、日曜にもかかわらず到着。
    宅配便のお兄さんは、働き者だ。

    モニターと、ビデオデッキ、コントローラーのスイッチをオン。
    テープをデッキにセット・・・・・・したけど、見る気力が出~ん。

    あ~、低気圧に脳みそが負ける。

    天気予報で、

    --今日の温度は、37.3度まで達しました。

    その言葉に、くらくらくららら。。。。。。

    空は、いまだに青空。
    しかし、台風は時速25キロで近づいている。
    進路は、少し東へ傾いた。

    今日の飲み会も、あしたに延期。
    夜になったら雨戸を閉めて、おとなしくしておこう。



    ◆ PM8:45 ====================


    PM8:03の西の空。まだ明るい。
    雲があやしい・・・。



    風が強くなってきた。雨戸を閉める。
    37度を超えた昼間の余韻が残る部屋、とたんにますます暑くなる。
    今年初めて、クーラー始動。
    へばっていたネコ助、冷気が落ちてくるところへ移動し、ごろんねじねじ。
    嬉しそう。

    風の音がうるさくて、テレビの音が聞こえない。
    家は揺れるし、風台風はこれだからイヤだ。

    しかし、去年の台風のときのことをすっかり忘れてしまっているネコ助は、
    強風にきしむ雨戸にびくびくしながら興味津々。
    目玉をまん丸にして見つめている。

    このまま進むと台風は、四国の高知あたりに上陸しそうだ。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    ♪今日のBGM=『 Absolutely The Best Of Gospel 』


    -------------------------------


    朝起きる。

    机について、パソコンをON。
    Windows Me は、相も変わらず立ち上がりが遅い。

    階段を降りて、トイレに行き、戻ってきても、
    まだ「よいこらせ」と立ち上がり中。
    素早いアクション、期待してないから、ま、がんばれや。


    最初にメールをチェック。
    仕事先からの連絡や、いろんな通知その他にまじって、
    必ず2、3通届いているのが、こんなメール。


    --------------------**********--------------------
    『自由恋愛を楽しみませんか』

    --あなたのお近くの女性・男性を紹介いたします
    --秘密を守れる方に限らせていただきます
    --年上女性が多いため若い男性はお小遣いを貰っちゃおう
    --------------------**********--------------------


    てな文章に、アドレスがプラス。
    携帯に1日30通くらい、どかどかと届いていた時期があったのだが、
    最近はなぜか携帯には音沙汰なし。
    で、増えてきたのが、パソコンのアドレスへの「いかが?」メール。

    こうしたたぐいのメールが気にかかる人、嫌な方は、多々いらっしゃるだろうが、
    ぼくは平気。
    その文章を読んで、へぇぇぇぇほぉぉぉと、結構楽しんでいる。

    着信メールに課金される携帯に20~40通来ていたときは、
    「Docomoは、なにをしとるんじゃぁ!」と、
    メールの内容よりも料金のかかること自体に腹が立った。
    迷惑メールと呼ぶけれど、届くのがメイワクなのじゃなく、
    Docomoがなんじゃらかんじゃらと意味不明の論理を並べ立て、
    着信メールを無料にしないことが大メイワクなのだ。


    しかしっ!
    最近のメールは、内容が貧困だっ!

    こら、業者っ!
    アクセスさせたいから、メールを送りつけるんだろうがっ!
    その気にさせるよう、もっと表現の勉強をせんかいっ!


    携帯にこうしたメールが届きだしたころ、その内容は、
    なんとかして電話をかけさせよう、アクセスさせようという創意工夫に満ちていた。
    文章の表現も練ってあるし、視覚的にも凝っていた。
    読んで思わず笑ってしまうような、秀逸なユーモアメールもあった。
    要するに、短い文章でこっちを向かせようという熱意が感じられたのだ。

    それに比べ、最近のなんと貧困、貧相なこと。
    そのものズバリの言葉を並べたり、
    主語と述語がシンクロしてなかったり。
    いかにもアタマ、悪そ~な文章ばかり。


    カネ、使ってもらいたかったら、勉強せいよ!
    ヘタな鉄砲も数撃ちゃあたると思ってやったって儲かりゃせんぞ!


    しかし・・・・・・・・、
    あたる人が多いから、こんな内容のないメールが
    ばかすか出されているのだろう。
    う~ん、なめられたものだ。


    上にあげたのは、今朝、来ていたメール。

    --年上女性が多いため若い男性はお小遣いを貰っちゃおう

    ここのところが、ちょっとおかしかった。
    文章は変だけど。句読点ぐらい、ちゃんと打って欲しいもの。

    「貰っちゃおう」と思ってアクセスする若者、どのくらいいるのだろうか?
    そんなお金持ちの「年上女性」ばかりとも思えないのだが。

    若者よ。
    あとで泣きをみることのないように、心してアクセスなさいませ。

    メールの送信時間に「AM8:20」とある。
    業者のパソコンさんは、朝からきっちり働いているのだ。
    大変だな~。


    ◆ PM5:22 ====================

    ♪BGM=Fleetwood Mac 『Mr.Wonderful』


      わが家からちょいと走ると田園風景。やっぱりいなか。



    朝から太陽じりじり。
    お昼、買い物に行くときは、雲こそ多いものの青空がのぞいていたのに、
    いきなり暗くなってきた。

    WEBで台風情報を見る。
    お~、しっかりとこちらをめざして歩んでいるではないか。

    九州西岸をなめるようにして上陸すると最悪なのだが、
    それよりも少し東へずれている。
    しかし、進路の先にわが家があるのは間違いない。

    --ねぇ、台風、直撃やて。

    隣のおばさんが旦那さんにそう言う声が聞こえた。

    --庭の植木鉢なんか、ちゃんとしとかなアカンよ!

    はっきり言っておばさんの方が強い。
    旦那さんは庭の片づけを始めたらしい。音が聞こえる。

    数年前、ぼくが住む地方を台風が直撃した。
    家のまわりを片づけて、雨戸も閉め、準備万端、なんでも来い!
    安穏としていたら、突然、どっがしゃ~んっ!!とガラスの割れる音。
    なんだなんだと駆けつけたら、玄関のガラスが木っ端みじんに!

    激しい雨が降り込む中、木製のふすまをはずして五寸釘で打ち付けたり、
    針金でビニールを張ったり、濡れねずみとなりあばちゃばやってるその間に、
    台風一過、青空が見えてきた。

    玄関のガラスがなぜ割れたのか?
    風圧に耐えかねたのか、小石でも飛んできたのか、わからない。
    以来、ぼくは風台風が恐いのだ。

    あしたは、大阪に住む中学時代の級友と久しぶりに会う予定。
    台風直撃、暴風暴雨の中、飲みに行くべきか?

    むむむ・・・・・・・・友情をハカリにかけるようである。

    あした、決めよう。


    ◆ PM9:22 ====================


    7時半過ぎ、あした、会う予定の友人からTel。

    --天気予報見た。で、何時にする?

    その天気予報、ぼくも見ていた。
    天気予報で言うところの“大型で非常に強い”台風は、
    ぼくの住む地域を通り、彼が住む町の方へと進むコースをとっている。

    あしたはムリかなぁ。
    そう思ったばかりだった。

    --飛行機、飛ぶんか?

    --だいじょぶ、台風はまだ沖縄だから、明日の午前中は飛ぶ。
    --で、日曜でも飲み屋、開いてるかな?

    妙に旅慣れたおやぢは、あっけらかんと言い放つ。

    --そっか日曜やな。開いとるかなぁ。

    --よかよか、おいさんに探させとこ。

    “おいさん”とは、あした会う予定の、もうひとりの友人のこと。
    こちらは高校・大学と同じ学校で、今は自宅で塾を開いている。
    彼の家は広いので、街で飲んだあと、大抵そこへ流れるのだ。

    --4時ごろ会おか。んじゃ、そん時に。

    あっけらかんと電話をかけてきたお気楽おやぢは、
    そういい残して、いともあっさり電話を切った。


    9時過ぎの台風情報では、集中豪雨に注意するよう促していた。
    風も着々と強くなってきている。

    さぁ、あした、どうなることやら。


    -------------------------------

      近くのペットショップで、こんなヤツに遭遇。
      眠りこけるアメリカン。かわいかね~。
    「ぶみゅzzzz」


    わが家のネコ助も、
    「ぐにゃzzz」

    ♪BGM=James Taylor 『Gorilla』


    先日、もんのすごく久しぶりに書店へ行った。

    もんのすごく久しぶりだったので、6時間、いた。

    以前から、読みたいと思っていた本も何冊か見つけた。
    手にとって、お、面白そうと思った本も何冊かあった。

    でも、一冊も買わずに、帰った。

    どうも定価で買う気になれない。
    ぼくが最近購入した本は、すべてオークションだ。


    ----------------------


    昔から読みたい読みたいと思っていたが、
    上巻下巻合わせて¥6,000という額に躊躇したままときが過ぎていた本。
    それがYahooオークションに¥2,000で入札に。

    「¥6,000 → ¥2,000、安いっ!!!」

    この上下巻からなる本を、この価格で落札したのが3ヵ月ほど前。
    それ以来、欲しいと思う本が出ると、まずオークションを覗くようになり、
    購入した本はおよそ30冊。送料を除くと、使った金額は1万強。
    定価の5分の1だ。

    特に安いモノを物色しているわけでもないのだが、
    ぼくが欲しいと思う本は、入札されることが少ないようだ。

    たとえば、昨年、出版された¥2,500の本。
    入札者はぼくだけで、その金額は¥200。
    送られてきたその本は、書店で並んでいてもおかしくないほどに新しかった。
    その本を出品した人は、一度読んで「もう、いらない」と思ったのだろうか。


    ----------------------


    先日は、¥1,200の本を¥11で入手。
    落札してからは出品者とはメールでやりとりをするのだが、
    届いたメールには、こうあった。

    「送料合わせて¥301ですが、¥300でいいです」。

    ¥1、まけてもらった。
    ありがたいやら、申し訳ないやら、情けないやら、奇妙な感じ。

    どんな本が届くかと思っていたら、古本屋にある程度の普通の古本。
    読むのにはまったく支障がない。
    そのこん包や宛名書きがまた丁寧で、なおかつ短い挨拶メモが入っている。

    ¥11で入手し、なおかつ¥1値引いてもらった方が言うのもなんだが、
    この方は、なにが楽しくてこんなことをやっているのだろう?
    もし、ぼくなら決してやらない。

    本の写真を撮り、ネットに乗せ、落札者とメールでやりとりをし、
    本をプチプチ材でこん包し、封筒に入れ、宛名を書き、
    郵便局まで足を運び、窓口で冊子小包郵便代の切手を買って貼る。

    その行程を考えただけでゾッとする。
    それで手にする利益は「¥10」なのだ。
    頼まれてもやりたくない。

    こういう人たちは、きっとオークション自体が趣味なのだろう。
    ぼくが今までに本を購入した相手は、本だけではなく、衣類や家電など、
    いろんなものをオークションにかけている人が多い。
    「はぎれ2キロ」とか、「バッグの持ち手だけ」とか、わけのわからないものを出品。
    売れるの?と思うのだが、しっかり、落札者がいる。

    供給と需要、不可思議かつ絶妙なバランス。
    お互い、満足しているのであれば、それはそれでいいのだろう。


    ----------------------


    しかし、こと本に関しては、これでいいのか?!とも思う。
    実行動と矛盾しているが。

    文章を書いて生活している人間が身近にいる。
    印税生活者は決してラクではない。コツコツと調べ、書き、出版。
    完売しても、手元にはいくらも残らない。

    ぼくのように、二次使用三次使用を待つ人間が増えると、
    文筆業は成り立たなくなる。
    多くの人に読まれることをまず意識して書かれた本ばかりが増えていく。
    接する人は少なくても、存在しなければならない本もある。
    そんな本が、もはや生きていけなくなる。

    そう考えると、

    「文化を守るためにも定価で買うべきだ!!!!」

    と、強く思う。

    ・・・・・・・・こともあるのだが、欲しい本を手に取り、その価格を目にすると、
    「やっぱりオークション」、と思ってしまう自分がちょっと情けない。


    ----------------------


    先日、6時間、書店にいた間に「欲しい、読みたい」と思った本は10冊。
    タイトルを携帯にメモって帰ってきた。
    その10冊のうち、オークションに出品されていたのは2冊。
    どちらも定価の半額だ。

    「う~ん、高いな・・・・もう少し下がるまで待とう」

    これでいいのか、ほんとに?!?!


    「使い道を考えにゃ」


    ----------------------


    などと書いていたら、
    夜、落札した本の出品者から取引開始のメール到着。
    指定された金融機関へ、さっさとネット経由で入金。

    これにて手続き終了。あとは本の到着を待つばかり。

    あ~、簡単、ちょ~便利。


    これでいいのかぁ?!?!?!?????


    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    しかしまぁ、よくも果てしなく出て来るものだ。
    三菱の欠陥隠し。もうもう、呆れ果てた。

    自治体も三菱車購入を控え始めたし、
    海の向こう、ニュージーランドでは、三菱車を運転すること自体を禁止したとか。

    よくそんなお触れが出せるなぁ、とびっくり。
    日本で「フォード車を運転すること、まかりならぬ!」
    などということがあり得るだろうか?
    それだけニュージーランド政府は安全性を重視しており、
    三菱車には問題があると判断したということなのだろう。

    三菱に与える影響は計り知れない。
    その発端が、欠陥隠しというのだから、自業自得としか言えないが。
    人の命が失われる危険性がありながら、長期に渡ってそれを放置した。

    なぜか?

    その問いに、三菱自動車に勤務していた人が話していた。

    --発覚したら、出世できなくなる。

    あまりに明快なお答えで、立派な企業人としか言いようがない。
    自らの出世のためならば、他人の命を犠牲にしても構わないということだ。

    経営トップの責任はまぬがれないのは明白。
    しかし、欠陥隠しのマニュアルまで作り、
    それを関係各所に配布していたというのだから、
    悪質極まりないし、一般社員も「知りません」じゃ済むまい。

    実際、欠陥隠しの事実は社内でとうの昔から周知の事実だったらしい。
    わかっていながら、社員たちは「自分には関係ない。上部の責任」と、
    たかをくくっていたとしか思えない。

    その事実をまったく知らなかった社員はさておき、
    知っていながら知らないそぶりをしていた社員は、
    経営トップ同様、人の命が失われたことに対する責任の一端は確実にある。

    今や「申しわけありません」と口にする社員たちだが、
    最初の欠陥隠しが発覚する元となった内部告発がなければ、
    世界に冠たる三菱の社員でございと、
    今でものうのうとして働いていたはずである。

    この“内部告発者”がいたという事実は、
    他の社員もやろうと思えばできたということを物語る。
    しかし、大半の社員は、告発しなかった。
    見て見ぬ振りをしてきたのだ、ずっとずっと、長い期間。
    命を乗せる自社製品が欠陥であることを知りながら、
    売り続けてきた。

    殺人行為だ。
    欠陥を知る社員は、殺人の片棒を積極的ではなかったにしろ、
    結果として担いだのである。
    そのツケが自らにふりかかることに異を唱えることはできない。

    ----------------------

    しかし、“命を乗せて走る欠陥車”を、どんな思いで販売していたのだろう?

    ぼくは10年間、会社勤めをしていたので、
    内側に向かって凝縮するような、カイシャという組織の窮屈さは、
    ある程度知っている。

    だが、自らが扱う商品が不良品、それも“出来が悪い”というレベルではなく、
    購入してくれた客を死傷させる可能性があるような粗悪品を、
    わかっていながら平気で売るという、そんな感覚は理解できない。

    そこまで「組織が大事、自分が一番大事」と思えるものなのか。
    組織に属すと、人の命よりも組織の安泰、自らの地位の平安の方が
    大切になるのか。
    ヒトというのは、恐ろしいものだ。


    「人間にはあきれま」


    こんな風に語る三菱関係者がいた。

    --日本人の10人にひとりは、「三菱」に関わっている。
    --その会社がつぶれるはずがない。

    アホである。こんな考え方ができるとは・・・信じがたい。

    確かに、昔の三菱財閥仲間は手を差し伸べはするだろうし、
    政府もつぶさないための方策をとるにちがいない。
    しかしそれは、“ミツビシ”の紋章を守るためではなく、
    関わる数多くの人たちへの影響を最小限にするためにすぎない。

    人の命よりも体面を重んじる、
    そんな倫理観しか持てない一企業としての“ミツビシ”なぞ、
    消え去った方がいいのだ。

    ----------------------

    きのう、三菱は二度目の再建策を発表。
    決定版だったはずの再建策は、一ヶ月もたたないうちに修正された。
    その内容は、当たり前だけど、まずコスト削減。
    ボーナスは全員カット、社員の給与も5%カット。役員報酬はゼロ。
    そして、お決まりのリストラ。

    リストラという言葉が登場してから、
    ニュースでも新聞紙面でも“リストラ”の文字があふれているが、
    要するに“クビ”である。

    300人リストラするということは、300人をクビにするということ。
    「クビにされた」と言うより、
    「リストラされた」と言う方がやわらぐ印象があるが、
    結局は同じこと。用語でごまかしているに過ぎない。

    経営トップの信じがたい、悪意あるとしか思えない判断の影響で、
    社員の収入は減り、クビに戦々恐々とする。

    「世間の風当たりも強いし、満々が一、倒産したら危ないし、
    この際、とっとと早期退社に踏み切るか」

    そう考える社員もいるだろう。

    しかし、ボーナスカット、給料減少でも、
    月給をきちんともらえる社員はいい。
    より気を回さなくてはならないのは販売店に対して。
    三菱車の売上は6割近く落ち込んでいるという。

    それはそうだろう。
    あれほど続々と欠陥が出てくる会社の車に乗りたがるのは、
    三菱マークが好きでたまらない人くらいしか考えられない。

    欠陥だけではなく、それが原因で人が死に、なおかつそれを隠蔽した。
    信じがたい無責任さ。
    その、背負いきれない負い目を、それでも負いながら、
    販売店の社員たちは店頭に立たねばならない。

    三菱系列の整備工場も、心配だ。経営状態は悪化するばかり。
    強制的にヤミ改修もやらされていた。
    こちらも、客が離れていくだろう。

    また、部品メーカーも減産は避けられない。
    こうした下請け会社の経営は、今後、成り立っていくのだろうか?

    そんな配慮は、欠陥隠しを決めた経営陣や、
    知っていながら知らないそぶりをしていた社員たちの頭には、
    ちらりとかすめさえもしなかったのだろう。

    その結果、世界に冠たる“日本車”への信頼も損なわれる。
    イメージダウンも避けられない。同業他社には、いい迷惑だ。

    ----------------------

    社内でも早くから欠陥に気づき、
    社外からも非を指摘されながら、しかし、放置してきた。
    もう企業体質としか言いようがないが、
    どうしてこんな企業体質であり続けることが可能なのか?

    自分たちにまずい事実はもみ消そうとする“ニッポン”、
    この国そのものの性質なのだろうか?

    昭和20年8月15日、日本は戦争に敗れた。
    その翌日、8月16日。
    国内外に設置されていた捕虜収容所に陸軍命令が打電された。

    「関係書類を徹底的に焼却するように」

    日本の捕虜収容所は、国際法に則った捕虜管理をしていなかった。
    その事実が明るみに出ると陸軍などの関係者は処罰をまぬがれない。
    だから、“証拠を始末しろ”というわけだ。

    現人神・天皇のもと、大東亜共栄圏を築くために皇軍を率い、
    聖戦を闘っていたはずのニッポン軍部首脳にしてこの往生際の悪さ、姑息さ。
    三菱の隠蔽工作は、終戦直後の軍部首脳と同じ発想だ。
    これが、日本人、なのか。

    戦後、GHQの命令により解体した四大財閥のひとつ、三菱。
    しかし、呼称が“財閥”から“グループ”に変わっただけ。
    親方日の丸ならぬ、親方三菱。
    現在の“危機”も、グループと政府との支援を受け、
    結局末端を切り捨てただけで生き抜いていくのだろう。

    その影響の大きさゆえに生き残る。
    やはり、“寄らば大樹の陰”なのか。
    鳥インフルエンザ事件を起こした浅田農産は、経営持続を断念し、
    社員は全員解雇された。

    どこからか舞い降りたウィルスによってニワトリたちが次々と死ぬ。
    倒産を恐れてその事実を公表しなかった経営者とその息子。

    彼らと、人の命にかかわることがわかっていながら、
    そ知らぬ振りをして車を売り続けていた自動車会社の経営者と社員たち。
    どちらの行為が悪質で、より重い罰に問われるべきだろうか?

    鳥インフルエンザに苦しんだ経営者は、自ら命を絶つ道を選んだ。

    リコール隠しが発覚したとき、
    徹底的に調査し、欠陥をすべて公表すると断言した三菱自動車の元社長は、
    逮捕前、報道陣に「知らないよ、オレには関係ないよ!」と言い捨てた。

    名門財閥グループの一翼を担う大企業。
    その元トップの認識は、この程度なのだ。


    ----------------------


    しかしお気の毒は、ダイムラークライスラーから派遣された
    三菱ふそうのポート社長。
    日産のゴーンさんのように、倒れかかった企業を再生し、
    あわよくば本社でもトップへ上り詰めようという野望を抱いて来日しただろうに、
    社長となってからの役目といえば、ただひたすら謝罪すること。

    記者会見で謝罪し、欠陥が元で死亡した人の遺族に謝罪し、
    遺族からはつらい言葉を投げかけられる。

    「まだ、あるのか?!」

    ポートさんは、あまりに次々と出てくる欠陥隠しに絶句したという。
    ダイムラークライスラーではとうてい考えられないことだろうし、
    腹に据えかねているに違いない。

    異国から非難の矢面に立つためにやってきた社長。
    ちょっと哀れではある。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    NBAのファイナルを見た。
    「National Basketball Association」、
    アメリカのプロ・バスケットリーグ。

    5人のスターターのうち、
    4人をNBA屈指のスーパースターで固めるロサンゼルス・レイカーズ。
    華やかな攻撃、魅せるチーム。

    対するデトロイト・ピストンズ。
    かろうじてスターと呼べる選手はいるものの、
    その中心がドラフトにもひっかからず、
    下のリーグからはい上がってきた苦労人ベン・ウォレスであることが象徴する地味なチーム。
    鉄壁のディフェンスが持ち味。

    一昨年まで3連覇をしていたレイカーズ。
    あっさり一蹴するものと思われたこのファイナル。
    意外や意外、ピストンズが4勝1敗で頂点に立った。

    5戦目の今日は、最大28点の差をつけ、最終スコアは100-87の圧勝だった。


    「おもろいか?」


    フランチャイズが、デトロイトとロサンゼルス。
    ぼくの貧困なイメージは、
    自動車城下町・デトロイトに圧倒的なブルーカラー度を感じ、
    そこに親近感を覚え、
    明るい太陽と開放的なLAに対するほとんど意味をなさない反発心から、
    心情的にはピストンズに傾いていた。

    そんなぼくにも、あれれおやおやどうなってるの?的結末。

    ま、そんなことはどうでもいいのだ。
    今日の本題は、別なところにある。


    ----------------------


    で、本題。

    ぼくは、アメリカ国歌が好き。

    歌詞ではない。
    行進曲調でもバラード化してもどんな編曲にも堪えそうな、
    あのメロディーが好きなのだ。

    NBAファイナルでも、試合に先立ち、国歌斉唱が行われた。
    歌うのは、大御所アレサ・フランクリン。

    アレサは、たっぷり太り切り(ハーフタイムショーに登場し、
    「Papa Was A Rolling Stone」を歌ったテンプテーションズの
    面々もお団子状態。アメリカの肥満は深刻だ)、二重になったアゴを
    大きく上下左右にうごめかせ、衰えのない歌唱を聴かせた。

    うん、やっぱりいい曲。

    ぼくがアメリカ国歌を、曲として意識して聴いたのは、
    たぶん、ジミ・ヘンドリックスの演奏だ。

    どのアルバムだかは忘れた、多分『Woodstock』じゃないかと思うけど、
    彼のライブ演奏でアメリカ国歌がこんな曲で、
    『The Star-Spangled Banner』という曲名だということを知った。

    その時は、歌詞があることすら知らなかった。
    Woodstock、ちょっと聴いてみよ。


    ----------------------


    ♪ここからBGM=Jimi Hendrix 『Live At Woodstock』


    ジミヘンドリックス、ウッドストックの「Star Spangled Banner」。
    これだったかなぁ・・・・・・? でも、きっとこれだ。

    改めて聴くと、ものすごい演奏。
    こんな破壊的な国歌なのかなと思ったことを、今、思い出した。
    これじゃ、歌詞なぞあるとは思わんな。

    でも、アメリカ国歌は、そのずっと前から耳にしてはいたはずだ。

    ジミ・ヘンドリックスの演奏で、
    ぼくがアメリカ国歌を曲として意識するそれよりも前、
    1968年のメキシコオリンピック。

    男子200メートルの表彰式で、1位と3位の黒人選手が、
    表彰台で流れたアメリカ国歌に対して黒い手袋をした拳を揚げて、
    アメリカという国に抗議した。

    表彰台の最も高い中央と、その後ろ3位の位置に立ち、
    国歌が流れ出すとふたりは拳を高々と突き上げた。
    小学生だったぼくはその姿をテレビで見て、
    異様な感じがしたことを覚えている。

    --この兄ちゃんたちは、なにを怒っているんだろう?

    公民権運動やブラック・パワーのことを知ったのは、ずっとずっとあとのこと。

    国歌は、国権の象徴でもある。
    NBAファイナルでも、アメリカ国旗が掲げられたその隣には、
    銃を持つ衛兵が立っていた。


    ----------------------


    アメリカ国歌の歌詞は、今も知らない。
    しかし、聞くたびにいつも心に残る一節がある。

    一番最後、最も盛り上がるところ。
    今日も、NBAの試合が行われる会場は、
    ここで割れんばかりの歓声があがった。

    ♪ the land of the free ♪

    「the land of the free」、自由の国。
    誇らかに歌いあげる自国の理想。アメリカこそが、自由の国だ。

    そこにウソがあることを、メキシコオリンピックの2選手は
    世界中に知らしめようとした。
    今もこの旗と歌のもと、自由を奪われている人や国がどのくらいあるだろうか?


    アメリカ国歌は、米英戦争のときの体験がその詞の元になっているとか。

    --ひと晩中、英軍のすさまじい攻撃が続いた。
    --次の朝、米軍の星条旗は砦の上にはためいていた。
    --キー氏(Francis Scott Key:1779-1843/弁護士)は
    --その旗に感激して一気にこの詞を書き上げた。

    というアメリカ国歌誕生譚は、学校で学ぶし、
    独立記念日には、テレビで特番が組まれるらしい。

    しかし、結局、戦いから生まれた歌詞であり、曲なのだ。
    (曲は以前からあったもので、それに詞をつけた格好になっている)

    戦争の中から生まれた国歌。
    だから、人の心を鼓舞しするような、ドラマチックな構成なのか。


    こなた、我が国の国歌は、ひたすら静か。
    『君が代』は、天皇の世を歌っている。それが素直な受け止め方。

    --“君が代”の“君”は、日本に暮らす人一般のことです。

    などと一時言っていたが、そんな風にねじくれて考える方が不自然だろう。

    「天皇の御代は岩に苔がむすまで、
    いや、それ以上、永久に繁栄を続けるであろう」

    そんな意味の歌詞だから、メロディーもそれに見合うように、
    高貴に、荘重にしようとしているようなイヤミを感じる。
    世界で一番短い国歌らしい。その短さは勲章ものだ。


    最近、どこかの学校でPTAの会長が会合で、

    --国旗、国歌を強制するのは、教育現場にふさわしくない。

    という旨のスピーチをしたら、会長を解任されたそうだ。

    その会長は、「子どもに考えさせる必要がある」とも言ったらしい。
    実にまっとうな意見だと思うのだけど、学校側からは言わずもがな、
    父母たちからものすごい反発があったとのこと。

    反発した父母たちは、「日の丸」、「君が代」を
    ほんとうに国旗・国歌として崇めねばならないと思っているのか?

    それとも、子どもが人質にとられているから、
    学校側の言うことをきかねばならぬのか?

    30代半ばの思考はワカラン。

    国旗にしろ、国歌にしろ、共に暮らす人への敬意があり、
    その敬意の集合体として国が存在していれば、
    自然に好ましいものになるはず。
    強制するモノではないだろう。

    「日の丸」という国旗・「君が代」という国歌に、どこかおぞましさを感じるのは、
    その背景に、虚構に塗り固められたものがあるから。
    『君が代』の歌詞解釈の強引さもそのひとつだ。

    「まず、国ありき」という考え方が、
    「国旗・国歌をありがたく思わねば」という思考へ導く。

    おかしい。
    小さな細胞が60兆個集まって人の体となるように、
    ひとりひとりが機能する個人の集合体としてだけ、国は成り立つ。

    お国のため、とか、御旗の元に、とか、ご免こうむる。


    そんなことを思いながら、
    エンターテインメントとして成熟しきったアメリカ生まれのスポーツを、
    異国日本で見る。

    奇妙な一日。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”



    ◆ AM10:20 ====================

    丸一日遅れたノルマをあとひと息で果たす!というときに、
    ピンポーン。宅配便のおじさんが。

    2時間VHSテープが6本、届いた・・・・・。

    あ"ぁ"~、どうにかしちくりぃ!

    ----------------------

    と、いっとき混乱。
    今は落ち着き、机にへばりつき虫と化す。

    取材テープを見なければ、仕事本番に取りかかれない。
    目も、耳も、手も占有され、
    音楽聴きながらできないのがつらか~。

    泣き言は言うまい。しかし、お尻がちと痛いぞな。


    ◆ PM6:02 ====================


    おっと、もうこんな時間。
    洗濯物を取り込む。

    今日は梅雨の晴れ間。と言っても、ずっと晴れ間なのだけど。
    太陽びかびか、ジーパン類など厚手のものもすっかり乾き切り。
    洗濯物の匂いは、ふっとこころを落ち着かせる。

    ベランダで洗濯物を取り込んでいると、
    どこからか、エルトン・ジョンの『Your Song』が流れてきた。
    まだ子どもたちが帰宅して、CDを聞く時間帯でもない。

    どんな人かな、聴いてるのは?

    ぼくの家の周辺は、定年退職した夫婦とその子どもといった世帯が多い。
    どこかの家で長男の嫁が、夕餉の支度をしながら聞いているのだろうか。
    別に、長男の嫁じゃなくても、退職したおやじの妻が聞いていてもいいのだけれど。

    夕焼け近い陽差しに染まりだした稜線に、静かに響く曲。

    ♪ And you can tell everybody, this is your song.
    ♪ It may be quite simple but now that it's done.

    めまいがするほど、のどかだ。


    『Your Song』は、アルバム『ELTON JOHN』のトップ。
    部屋で、改めて聴いてみる。

    ♪ It's a little bit funny, this feeling inside.

    と歌い出し。
    あってるかどうかわからないけど、こう聞こえる。
    イギリス版字余りソング。コブシを回して、間をとってる。

    なにかインタビューで、
    「この歌だけは、歌いたくないと思ったことがない」
    旨の話をエルトン・ジョンがしていたけど、
    いいな、こんな歌を作ることができるなんて。

    ♪ I hope you don't mind,I hope you don't mind,
    ♪ That I put down in words.
    ♪ How wonderful life is while you're in the world.

    “How wonderful life is ・・・・・・”

    こんな風に言える人の方が、世界では少ないのだろう、きっと。

    切なくなってきた。

    晩メシ、作ろ。
    今日は、ゴーヤ炒めだ。


    ◆ PM10:05 ====================


    テープを見ていると、目玉がかすむ。
    もはや老眼の色濃し。
    メガネを替えねば目玉がもたん。

    しかし、目玉よりもアタマが痛い。
    う~ん、なにを、どうすればいいのだろうか???????
    わっから~んっ!

    「気楽に行こうよ」


    ◆ 6/16 AM7:59 ====================


    ネコ助の助言で、わけのわからんまんま、昨夜はふて寝。

    さて、緑茶でも飲んで、再び、ヘバリ虫と化すか。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    取材テープがどぉぉぉんと送られてきているというのに、
    御大に呼び出され、あたら半日、都会でえへらと過ごしてしまった。

    その余波で、今からノルマをこなさにゃいかん。
    ノルマ、2時間テープ1本分、書き起こしっ!

    見込みは暗い、早くもやけくそ。

    レッツ、スタートぉぉぉっ!


    ==============================


    ノルマ、達成できず撃沈。
    望みは明日に託すべし。


    ==============================


    で、きのうは“明日”だった今朝。

    メシを食い、洗濯物を洗濯機にぶち込んで、
    日本茶をがばと3杯ばかり飲んみ、再スタートぉ。

    今日は母校・某筑高校の同窓会。
    それも、同級生の集まりではなく、
    高校の全卒業生を対象とした、年一回の同窓会。

    ぼくの卒業した高校は歴史だけは古いので、
    この同窓会には、足元おぼつかない超々大先輩たちもやってくる。
    昨年はぼくらの代が幹事年度にあたり、役員たちは大変だったらしい。
    ぼくは当日、受付を担当だけ。
    次々とやってくる卒業生たちの多さにびっくりした。

    大きな声で校歌を歌う90歳過ぎのOB、OGたち。元気である。
    千数百人が集まったとか。

    ぼくはこういう集まりは苦手で、昨年までは一度も出席したことがない。
    今年から、ぼくの卒業年度の事務局員になったから、出席せねば。
    人が集まるところに出かけるのは、ちと、しんどい。

    まず、着ていく服がない。
    会社員であることをやめたとき、持っていたスーツ類は全部処分した。
    それ以来、スーツを着たのは、冠婚葬祭の時の礼服2回だけ。

    社会人として、それではアカンやろ!とも思うのだが、
    スーツを買うと、それに付随するすべてのもの、ネクタイ、Yシャツ、
    革靴、靴下、ハンカチなどを揃えなければならない。
    めんどくさいは、金はかかるはで、踏ん切りがつかず、
    買おうと思いつつ歳月は流れた。

    もう今からだと、礼服だけあればいいかな?

    と、心の中で言い訳しつつ、今日もジーパン&シャツで出かけよう!


    ======================


    午前0時少し過ぎ、帰宅。
    大同窓会は、今年も盛況のうちに終了した。
    冬場はスケートリンクとなる(はず)の大きなフロアに集まったのは、千数百人。
    ぼくらの同期は、昨年が幹事年度で盛り上がった反動か、参加者が少ない。

    式場の前の方には、ぼくらより20年ほど先輩方のテーブルとイスが、
    その後ろに、ぼくらのテーブルがある。
    どうも、会社をリタイアしてから数年経たないと、イスには座れないようだ。

           今年のテーマ。ちょっと安直?

           ぼくは「こころはいつも天然色」だ。しかし、日の丸・・・・


    早めに会場に着いたぼくは、
    この大会に先立って行われた同窓会の総会にも出席してみた。
    そこで、今まで知らなかったことを、いくつか知った。

    まず、卒業生が手にする卒業証書を入れるまるい筒。
    あれの製作費用が、同窓会たる「某筑会」から出ているということ。
    知らなかったな~。あの筒、どこにいったやら?

    そして、学校のモットーが
    “文武両道 質実剛健”だということも初めて知った。
    生徒手帳なぞに書いてあったに違いないが、
    在学中はまったく気がつかなかった。

    そっか、そんなに高く掲げた、立派なモットーがあったのね。

    文も武もあかん、質実でもなく、剛健でもなかった、
    虚弱卒業生のぼくは感心。でも、ありがちな言葉かな。

    そして、母校にはいまだに空調施設がついていないことも知る。
    ぼくらの頃は、破れた窓ガラスを入れることもほとんどなかったので、
    冬は教室に雪が舞っていた。

    「他校には次々と設置されているので、新入生がそちらに流れるかも・・・・」

    と、担当役員は冗談半分に心配する。
    そりゃ、快適な方がいいにきまってる。ぼくなら、流れる。
    空調施設を設置する費用は県から出ないので、同窓会から1千万寄付するとか。
    う~む、太っ腹。この事実を知る在校生はいるのかな?

    4月に赴任した某筑高校OBの新校長が、
    ぼくと五つしか歳が変わらないことにもびっくり。
    一般企業も然りだけど、偉くなる人は偉くなるものだ。

    フリーでぽちぽちと仕事をしていると、
    昇進降格左遷、悲喜こもごもを体験しないので、
    いつまでも若いままのような錯覚を覚えるが、
    周囲は着実に変化している。

    おとなにならんといかんなぁ。

    総会では、先輩連が若い卒業生の参加が少ないことを憂いていた。
    しかし、こうした会合は、年輩者のためにあるもの。
    こんな機会でもなければ、会社をリタイアした年代以上の人たちは、
    友人と集まる機会を持つことが難しい。

    若い衆がこうした会に出ても楽しいはずはない。
    長い年月音信不通だった旧友と巡り会えるから、
    この会は存在する。
    今は若い人たちもイスに座れる年代になれば、
    自然と集まるようになるだろう。

    大会出席者にはパンフレットが渡される。
    その中に、ここ数年間の大学進学状況一覧などが入っていて、
    いかに高き進学率であるかを誇っていた。
    役員のスピーチでも、同県内の○倉高校、修△館高校、×岡高校などに
    勝った負けたと言っていた。
    今年度から、学業優秀者は表彰するそうである。

    あほくさ、と思う。
    相対評価は、社会に出てからで十分だ。
    高校時代の絶対的な経験は、自分だけの、唯一無二のもの。

    在校生、そして毎年生まれる後輩たちが、
    一度しかない高校生活を楽しく、悔いなく送れるように祈りたい。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚追加。

    日記、あとで読み返すと、誤字脱字奇妙な変換だらけだなぁ。
    書きっぱなしで送るからいかんのだ。
    ちゃんと読み直してから書き込むようにせんとアカンな。
    少し、反省(記6月13日)。

    他の日記を見たら、やっぱ誤字脱字奇妙変換だらけだぁ!
    もっと、反省。(記6月14日)


    ♪今日のBGM=Spyro Gyra 『Morning Dance』


    「見えないよ」


    -------------------------------


    先日、テレビの取材に同行した。
    久しぶりのこと。

    普通、ぼくは取材に同行しないことにしている。
    それは、別に移動その他が面倒くさいからではなく、
    ディレクターと同じ感覚になることを避けるため。

    苦労を共にすると、

    「あぁ、このときは大変だったよね」

    そんな、戦友のような感情にとらわれることがある。
    そして、

    「大変だったから、使おうか」

    と、インタビューや映像などを採用することになりかねない。
    それは、仕事仲間としては心地よいことかもしれないけれど、
    番組作りの上ではマイナスだとぼくは思っている。

    「取材にどれほど苦労しようとも、どんなに金をかけようとも、
    必要ないものは使わない」

    それがぼくの(立ちたいと思っている)スタンス。
    「要らない」と言うこと、それだけがぼくの存在意義。
    ディレクターと同じ感覚になってしまったら、存在する意味がない。

    だからと言って「取材には絶対同行しない主義」を貫いているわけでもない。
    好き嫌いで言えば、現場で話を聞く方が変化もあるし楽しいし、
    部屋で取材テープとにらめっこしているよりも好きではある。

    だから、たまに同行できると嬉しい。
    言行不一致、優柔不断。
    まぁ、たまにはこんなことでもないと、部屋にこもってばかりはいられない。

    その先日の取材で、印象に残る話をふたつ、ふたりの方から聞いた。
    そのひとつは、某研究者のお話。
    戦争論や戦争責任を研究のテーマとしているその方は、
    今という時代について、こんな話をしてくれた。

    --------------------********************--------------------
    「今の状況を見ていると満州事変以降30年代と非常に似ている。
    満州事変から日本の戦争は、既成事実を作っていくわけですね。そうすると最初はおかしいと思っていても、いったん満州を取ってしまえば『それはそれでいいじゃないか』と。
    更に次の段階に現状追認で、起こってしまったものは仕方がないんじゃないかという形で追認していくという。
    本当は元々そこの出発点がおかしいのであって、元から考え直す必要があるんだというのを考えないで、既成事実をどんどん追認していくんだというそのパターンを、また今も繰り返してしまっているんじゃないかという風に感じてます」
    --------------------********************--------------------


    話を聞きながら、“現状追認”、その通りだと思った。
    イラクに自衛隊が派兵されて以降、ぼくらの多くは、
    かの国で日の丸つけた車両が走っていることを当然のように感じている。

    派兵後、ある新聞社による世論調査では、派兵賛成が5割をこえた。
    それまで一度も半数をこえたことがなかったのに、
    行ってしまうと、「反対してもしょうがないや」ということなのだ。

    優柔不断、出たとこ勝負。
    建て前と本音、人生いろいろ。

    その意図するところ、水の如し。どんな形にも変われます。
    世界に冠たる経済大国を生んだ日本人の柔軟性。

    それは、異国の人には奇妙に見えるところでもあるらしい。

    「既成事実を追認していくパターン」
    戦争への道は、国の動きを傍観している間に、着実に敷かれていく。
    気づいたときには、自衛隊員と共に砂漠を走っているかもしれない。
    そのときのぼくは兵隊と化し、自衛隊は正規の軍隊となっているだろうけど。


    ====================


    取材で心に残ったふたつ目のお話は、
    某研究者のこの言葉と呼応する、示し合わせたかのような内容だった。

    ふたつ目の言葉は、某研究者、って前の言葉を発した方と同じ表記じゃわからない。
    こちらは女性の方なので“某女史”と呼ばせていただこう。
    某女史は、戦争への道についてこんな風に語ってくれた。

    --------------------********************--------------------

    「戦争はね、ある日突然はじまるわけじゃないんですよね。
    戦争へのプロセスがあって、ひとつひとつが決定されて行くその時に、私たちがどう意見をいって、それに対して政府と違う、やはり戦争を阻止するために『私たちはその意見は反対です』、例えば『イラク派遣は反対です』と言えるのか? 言って行くのか。これが、私たちが責任を取って行くことだと思うんですね。
    だから、何も行動しない、何も発言しないということは、最終的にはその結果の責任を問われてもそれは引き受けざるをえないんじゃないか、というのが私の考えなんです」
    --------------------********************--------------------


    どの道を行こうと、それはぼくらの責任ということ。明快だ。

    何も語らない、沈黙するということは、賛同すること以上に権力者を喜ばせる。
    消極的であろうが、積極的であろうが、
    議会制民主主義唯一の義務であり権利たる投票行動を行わないことは、
    権力側の皆さんに力を与えることになる。

    先の選挙で、ぼくは久しぶりに投票に行かなかった。
    なんじゃかんじゃと忙しかったこともあるけど、
    一番の理由は、当選する人物が事実上決まっていたということ。
    実際、開票速報では、開票率1%未満にもかかわらず、『当確』が打たれていた。

    これじゃなぁ・・・・・と思うことが間違っとるっ!!

    「あんたやあんたの仲間の政策に、ワシは反対でっせ」

    その意見表示として、対抗候補にぼくの一票を投じるべきだった。
    それが一番簡単な、ぼくの思表明方法だったのに。
    もったいないことをしたなぁ。

    次の参院選が楽しみだっ。

    しかし、テレビ局同士、スピードを競っているのはわかるけど、
    開票率1%未満で『当確』はないだろう。
    候補者にも、有権者にも、失礼だと思うのだけど。


    ====================


    『20世紀は戦争の時代』

    いつの間にか、こんな呼び方が通用するようになった。
    歴史を残すようになってから、そうじゃなかった世紀があるのか疑わしいが、
    21世紀は平和な時代になって欲しいという願いの裏返しのような切なる言葉。

    しかし、イラクへの派兵に引き続き、
    「多国籍軍に参加します」と世界に向かって宣言した日本。

    「あれは目立ちたがりのおやじの戯言だ」

    そう言えないところがつらい。
    あのおやじは、ぼくらの代表なのだから・・・・・・ほんと、つらかね~。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”

    誤字脱字奇妙な変換をようやく修正。まだあるかも。
    これからは書き込む前に見直そう。かなり反省。


    朝、6時。起きる。
    すでに走り回っているネコ助。元気やなぁ。

    食事をとって、しゃこしゃこ歯を磨き、ニュースを眺めつつ、しばしボーゼン。

    8時少し前、デスクに向かい、仕事を始める準備をする。
    パソコンをON、メールをチェック。
    仕事を始めるのは、いつになるかわからない。
    やる気になったときが、始めるとき。とにかく、準備をする。

    この順番で、始まる一日。

    しかし、準備をする気にもならない日もある。
    ボーゼンとして、テレビを眺め続ける。
    朝のワイドショーが始まる。

    きのう、きょうと、この流れ。ツユの晴れ間は、脳みそに悪い。

    きのうは、雅子さん一色だった。
    きょうは、まず、佐世保の小学生殺害事件続報。

    ・担任の先生は、事件以来、入院して学校へ出てこれない。

    ・浮き足立つ子どもたちを制したのは、同じクラスの女子生徒。
    彼女はこう言った。「ちゃんと、給食、食べようよ!」

    その一言が、子どもたちが級友の遺体に接することをはばんだ。

    --落ち着いた子もいるんだねぇ。
    --もし、子どもたちが血だらけで倒れている友だちを目にしてたら、
    --精神状態はどうなっちゃったんだろうねぇ?

    ことさら、重々しく語る司会者。
    それを受けて、隣りの女子アナが、

    --次は、サッカー。日本、大勝です!

    --そうそう、7点、とったんだよね!

    画面は、喚起に沸くスタンドに。

    おいおい、ちょっと待ってよ。
    そんな急激ギアチェンジ、こちとら、ついて行けんぞ。
    アタマはまだ佐世保だがね。

    ぼくはついていけないこの展開の速さに、
    普通の視聴者は、ついていくのだろうか、「殺人 → サッカー」に。

    とにかく情報を吐き出すのが役割と化したテレビ。
    小学生が小学生を殺害した事件の次に、喚起に沸くサポーターを
    持ってくるしかないのだろう。
    ぼくがワイドショーのデスクだとしても、こういう順番にするだろうし、
    視聴者の興味の順番を想像すると、そうせざるを得ないだろう。

    しかし、やっぱり妙だ。
    腑に落ちるまでの空白、頭で整理する時間。それが、ぼくらには必要だ。
    その間も与えず、連射されてくる情報。

    嘆き、歓喜、疑惑、失望。そして、CMでにっこり。
    念入りに考えたであろうプログラムが、一瞬の間もなく飛び出てくる。。
    こちらはもう、ただひたすら受けるしかない。
    その情報も、映像+音だから、目と耳専有、脳みそ直撃。

    そっちがそうくるなら、こっちも自己防衛の手段をとります。

    ぷっちん、しーん。
    テレビさん、さようなら。

    新聞の投稿欄は、情報過多の世界におぼれる子どもたちの姿や、
    命が簡単に消えうせるテレビやゲームの危険性を訴える声に満ちている。
    それは、今に始まったことではなく、
    なにか事が起こるたびに繰り返されてきたこと。
    しかし、どこかが、なにかが、改善されたということを聞いたことがない。

    もしかすると、こうした声が高まるほど、
    情報発信基地は「注目されている」と曲解しているのかも。

    --大切なのは数字だ。評価はその次!

    そんな言葉を、実際に耳にしたことがある。
    数年前、某局の制作局長は、

    --数字の取れないドキュメンタリーは、もういらん。

    と、言い切った。・・・・・・・・・・・・哀しいね。


    「ちと、はぎしり」


    テレビの役割って、ぼくらの役目って、なんなんだろ?

    仕事、しよ。


    ◆ PM9:12====================


    ♪BGM=Paul Simon 『Graceland』


    イラクから目の治療にやってきた男の子。
    視力がわずかに残っていて、手術をすると回復の見込みがあるとのこと。
    静岡・沼津の病院で手術を受けるとか。

    受けなくてもいい傷を受け、尋ねる必要もない極東の国へやってきた。
    一緒にやってきたお父さんも心配だろう。

    いい結果が出ることを祈りたい。

    しかし、いろいろな意見があるものだ。
    このイラクの少年を巡り、亡くなった橋田さんがとった行動について、
    「ジャーナリストが、ひとりの被災者に手を尽くすのはいかがなものか」
    という論調。
    やはり出たか。
    予測はしていたものの、やはり驚く。

    戦場・戦地を取材対象に選んだジャーナリストの仕事、
    それが戦争の現実を伝えることに心を砕くことであるのは当然だ。
    砲弾が撃ち込まれ、多数の死傷者うごめく様子を写真や映像、文字におさめつつ、
    次の瞬間へと心を移していかなければならない。
    被災者に心を残しながらも、戦場の現実は移動していく。

    しかし、ジャーナリストも、目が覚めてから再び眠りにつくまで、
    一瞬の隙間もなく連続して“ジャーナリスト”であるわけじゃない。
    ふとした瞬間に、たとえば、砲撃に傷ついた少年の瞳を覗き込んだときに、
    心優しいおじさんが顔を出す。
    そこになんの不思議があるだろう。
    どこに、ジャーナリストとしての非があるのだろう。

    国家、経済、民族、宗教・・・・
    醜い欲望の交錯に巻き込まれ、傷ついたひとりの少年。

    「なんとかしてあげたいな」

    カメラを抱えたジャーナリストの胸に広がった思い。
    それを実現しようとする努力。
    そして、現実のものとなる直前で、そのおじさんは世を去った。

    このおじさんの、どこが「いかがなものか」なのだろう。

    --戦場で、ケガ人ひとりひとりに気を注いでいてはキリがない。

    --ひとりだけ救うことは、被災者への差別につながる。

    --戦場に私情を持ち込んではいけない。ジャーナリストの鉄則だ。

    そんな鉄則、捨てちまえ。

    そんなことを言うあなた。
    あなたは、「ハゲタカに狙われる瀕死の少女」を撮ったカメラマンには、

    --どうして助けないのだ!

    と言うクチではないのか?

    異国の戦場で、自らができることを精一杯やった人がいる。
    その思いは、今、確かにつながっている。
    その事実の大きさに、チンケなジャーナリズム論なぞ砂上の楼閣だ。

    イラクの少年の視力が、少しでも回復して欲しい。
    母国へ帰ったときに、周囲の人たちへ日本と日本人の印象を語って
    欲しい。

    そして、願わくば、互いの理解が子どもたちの間に、
    少しずつ少しずつ広まっていかんことを。

    おとなの小理屈は、もういいよ。
    自戒。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    ♪BGM=Eric Clapton 『Me and Mr Johnson』


    ◆ AM9:20-------------------------------


    皇太子さんが、きのう、出した説明文。

    読んで、

    「言いたいことが言い切れない」立場ってつらいねぇと、しみじみ。

    「おめ~がわりぃっ!」てなことを、例えば宮内庁の某相手に対して
    言ってみたくもなるだろうに。

    民間放送はもちろんのこと、国営放送も全文を放送した。
    で、今朝のワイドショーは、この話題で一色。
    チャンネル2周して、スイッチを消した。

    はぁ・・・・・・・大変。

    天皇が人間宣言してそろそろ60年。
    そのとき、昭和天皇が人間になりたかったかどうかは知らないが、
    二代くだって、ようやく人間化しつつある感じがする。

    しかし、そう思わせてくれたのが、
    平民からお輿入れしたお姫さまの体調異変だったというのが悲しい。

    天に飛翔した俳優の件に見るように、「大したことありません」というのが
    おおやけに対する普通の対応だろう。
    しかし、皇太子さん(が自分で打ったのかどうかは確証ないけど)の文章は、
    雅子さんの体調が「決してかんばしくない」ということを明らかにしている。

    とても珍しいことだけど、そう言わざるを得ない状態なのだろう。

    --回復には静かな環境が何よりも大切。

    そんな風に、発表された文章で皇太子さんは言っている。

    確かにそうだろう。
    しかし、おおやけであることだけが役割のようなその立場。
    静けさに包まれることが可能なのだろうか。

    心配心配、がんばれがんばれなど言わず、とにかく、放っておくことだ。
    心配されることも負担になる。それが、ウツの症状だから。


    「知ら~んぷりしよ」



    ◆ PM12:20-------------------------------


    ♪BGM=Randy Newman 『Guilty:30 Years of Randy Newman』


    Yahooオークションで入手したEIZOのモニターが到着。
    さっそくこん包から出す。どんなかな、どきどき。

    お~、結構、きれいではないかっ!
    しかし、コード類は経た年月をそれなりに感じさせる。
    きっと、本体はきれいにしてくれたのね。
    商品番号その他、エコマークまでシール類もきれいにそのまま。
    前の持ち主の方、いつか売ろうと思いつつ使ってたのかしらん?

    パソコンにつなぐ。
    映るかな~、わくわくどきどき。

    お~、出た出た、ちゃんと出たっ!
    うんうん、きれいきれい。

    あっかるいなぁ。目がちょっとしばしばするくらい。
    今までのモニターが暗かったのだろうけど、こりゃまぶしい。
    ちょっと調整。

    お、「graphic」だの「movie」だの「text」だの「browser」だのと
    明るさが変わるではないの!
    時代は進んじょるなぁ。おととしバージョンだけど。

    明るさを「graphic」にして、うん、ちょうどいい。

    ときどきゆがんだり、突然プッツンしたりしていたモニター、
    念願の取り替え、ようやく完了。
    予算をほんのちょっとオーバーしたけど、定価の半額以下で済んだ。

    こりゃ、いい買い物。ありがたや、ありがたや。


    ◆ PM9:45-------------------------------


    さくらんぼをいただく。
    山形産の大きなさくらんぼ。それをネコ助は見逃さず・・・・・・、


    「おりょ?」




    「こりゃ、なんじゃ?」




    「ふみゅ、うまいかな?」




    「しゅぴっ!」




    「やりぃ」




    「もぐもぐ」




    「うへ、うまかった」


    ♪今日のBGM=Jeff Beck 『Who Else!』

    -------------------------------

    小学6年生が、同級生の命を奪った事件。毎日、続報がある。

    今日は、被害者の父親の手記が公表された。
    ざっと目を通して・・・・・・それ以上は読めないな、やっぱり。

    報道が続くのは、事件の重大さを思えば当然だろう。
    しかし、ニュースを見るたびに、なんとも哀しくなるときがある。
    それは番組の最後。

    番組の最後に、スポンサーの名前が羅列される。民間放送は当然だ。
    提供ベースと呼ばれる、10秒から20秒のこのわずかなスペースに、
    被害者の女の子の写真を入れているニュースのなんと多いことか。

    両手でVサインをして、にっこり笑った女の子の明るい顔。
    その上に、次々とのせられるスポンサーの名前。

    それを最初に見たのは、事件当夜だっただろうか、夜11時過ぎのニュース。
    わが目を疑った。
    信じられなかったのだ、スポンサー名を流すだけのところに、
    被害者の笑顔を入れるというテレビ局の感覚が。

    もう二度ともどってはこない、はちきれそうな女の子の笑顔。
    その上に、次々と土足で踏み込むスポンサーたち。

    ものすごい違和感を感じる。

    番組を作るとき、提供ベースをどんな映像にするか、結構気をつかう。
    スポンサーの名前を流すだけの、短い時間。
    黒のバックでもいいのだが、あまり粗雑な扱いもできない。
    結局、番組の内容を想起してもらう映像を入れることが多い。

    ニュース番組の場合は、よく知らない。
    最も注目を集めるであろう事件の映像を入れるのが普通なのかもしれない。
    しかし、その映像の上にスポンサーの名前がのることは、当然意識しているはずだ。
    そこに、被害者の笑顔を入れる・・・・・。
    女の子のお父さんは、兄弟たちは、どう感じるだろうか。

    制作者側の感覚がおかしくなってるとしか思えない。

    錯綜する情報を取捨選択して、ぼくたちに知らされるニュース。
    それを作る人たちの感覚は、こんなものなのか。

    これが、テレビ局が考えている“世間の常識”なのか?

    違和感が消えない。


    ◆ PM9:01=======================


    ♪今のBGM=String Cheese Incident 『Untying the Not』


    食事のあと、ごろごろしながら『ねこぢる食堂』を読んでいたら、
    いきなり着メロ“メリッサ”が流れた。
    いい曲なのだが、すこーんと突然スタート、そのたびにドキッ。
    着メロ、変えるかなぁ。

    などと思いつつ、見ると友人。
    よっこらせ、出る。

    --こんばんは~。なぁに?

    --今、そっちから電話、あったけど。

    --へ?

    なんのこと?
    よくわからないけど、どうもぼくがかけたことになってるらしい。

    --かけてない?

    --かけないよ、オレ。

    --そ? 変だな・・・・ま、いいや。

    と、切れた携帯。
    気になって履歴を見ると・・・・・・あら! かけてる、確かに!
    友人からの電話1分前の時間が、履歴にちゃ~んと残っていた。
    動かぬ証拠か。

    ロックを忘れたままポケットに入れ、ゴロゴロしてたので、
    ボタンがあれこれ押され、勝手に発信してしまったようだ。


    「あほちゃう?」


    しかし、よかった、友人で。
    仕事先だったりしたら、「なんですか?」とも言いにくい。
    この携帯、操作しやすいのがウリだけど、
    あまりに反応がいいのも考えモノだ。

    いや、ポケットに入れたまま、ゴロゴロしたぼくの落ち度かな、やっぱり。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”



    ♪今日のBGM=Doobie Brothers 『The Captain And Me』


    ------------------------------------------------

    昼食後、ごろんとしてたら寝込んでしまった。

    30分ほどして目が覚めたら、雨がどしゃどしゃ。
    きのうまでの真っ青な空はどこへやら。
    本来の季節に戻ったのかな。

    雨音の中、目覚めてボーゼンとしている昼下がり、
    悪ガキになりたかった余韻が、今日も残る。
    きのうの日記に、今朝、くっつけたヤツをこっちへ移動させて、
    悪ガキへのあこがれ、その続き。

    ----------------------

    しかし、悪ガキになりたかったなぁ。

    わが子が悪ガキの親は心配なんだろうが、
    悪ガキのままおとなになる人間なんてほとんどいない。
    ほとんどが、まっとうな道を歩むのだから、奇妙なものだ。

    不良のまま、そちらの道を進み、カタギではなくなった級友もいるが。

    同窓会で、悪ガキではなく“ワル”だった同級生の話題となった。

    --そう言えば、あいつ、死んだらしいぞ。

    誰かがそう言うと、数人が異口同音に、

    --撃たれたのか?

    思わずみんな吹き出したけど、こんな反応されるとはちょっと気の毒。
    実際は病気で亡くなったのだけど・・・。

    いやいや、本人は「撃たれたのか?」の方が本望だったのかもしれない。


    でも、今の時代、悪ガキにはなりにくいんだろう、きっと。

    高校時代の友人には、小中学校の教師になった連中がたくさんいるが、
    その話を聞くにつけ、教師の大変さを思うと同時に、
    どうして、悪ガキ(ガキ大将でもいい)がいなくなり、
    ほんとの“ワル”か、内向した“扱いにくい子”(オトナから見て)ばかりに
    なったのかなぁと不思議に思う。

    よく、おとなが「おとなのせいだ」と言うけれど、
    それって本当かなぁとも思う。
    「おとなのせいだ」
    そう言っていたら、問題の発端がさかのぼっていくだけじゃないんだろうか?

    今の子どもたちを育てている親たちも、子どものころは、
    おとなたちが準備した(今の子どものあり方が「おとなのせい」だとすると、
    そういう論理になる)環境で育った。
    しかし、おとなが準備したその環境が、
    子どもの成長にとってすごく良かった時代って、あるのだろうか?

    ヒトって、ポンと生まれ出た時代の中でしか生きられない。
    子どもは、その時代の主たる構成要素。
    その時代を形成している責任は、おとな同様、子どもにもあるんじゃないのかな?

    「生まれいずる責任」・・・・・自分では取りきれないのが難点だけど。

    ただし、雑多な情報から自分に必要なモノを取捨選択するその方法と使い方、
    それは、おとなが糸口を教えてあげなければダメだろう。

    パソコンやインターネットは、道具であって、それ以上のモノじゃない。
    道具を道具として使う。
    それは、箸の持ち方みたいに自然に身に付くように見えるとしても、
    おとなが意識してサポートしないと、うまく使えるようにはならない。

    でも、パソコンやインターネットという道具、おとなにサポートできるのか?
    日進月歩のスピードに、へぃこらついていくのもやっとだ。

    そして、単なる道具じゃなくなる性質をも併せ持つ。

    道具が道具じゃなくなったとき。
    社会に開かれた窓的なこの道具が、閉ざされた世界を形成する手段となったとき。
    新たな道具は、それ自体が目的となってしまう。

    ネットで出合った人たちを、ぼくは“仲のいいお知り合い”とは思うが、
    “お友だち”とはとらえられない。
    “お友だち”へのステップにはなるだろうけど。
    文字だけで互いがわかるほど、
    コミュニケーションって簡単なものじゃないと思うから。

    それは、電話が苦手なのと同じ感覚。相手の表情がわからない。
    ぼくがどんな顔をしてこの文章を書いているか、誰にもわからない。
    ヒトは言葉や文字だけでコミュニケーションできる動物じゃない。
    身振り、手振り、表情、口調・・・・全身を使わないとダメなんだ。

    ぼくは、時にシッポが欲しいと思う。
    音として発する言葉じゃなくて、目と目を合わせる恐さもなくて、
    自分の意思を伝えるシッポ。
    くりんと動かしたら、気持ちがわかってもらえるシッポ。

    ネコ助は、名前を呼ぶと振り返りもせず、シッポをくりんくりん。

    --はいはい、聞こえてるよ。

    便利だ。
    うつらうつらしたまま、目も口も開けずに返事が出来る。


    だらりんシッポ


    あぁ、どうしてヒトはシッポを放棄してしまったんだろう。

    生えてこないかな。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”



    ♪今日のBGM=Clash 『Clash On Broadway』

    -------------------------------

    「タイムスリップ・グリコ」なるチョコを買った。
    商品のサブタイトル(?)は、

    “青春のメロディーチョコレート 第2弾”

    2個しか入っていないチョコレートが音楽をかなでるわけでなし、
    昔のヒット曲が1曲入ったCDが売り。
    第1弾は、あっと言う間に売り切れ、
    このCDを集めるマニアも出現したらしい。

    何気なく買って、出てきたCDが、これ。

    「ギザギザハートの子守唄」


    チェッカーズ。
    九州 > 福岡県 > 久留米市出身の7人組。
    この曲でデビューしたのが83年だから、
    ぼくにとっての「青春のメロディー」では、もはやない。

    しかし、80年代前半はときどき行っていたカラオケで、

    ♪ちっちゃな頃から悪ガキで~♪

    と、歌っていた覚えはある。

    ---------------------

    ぼくは、悪ガキではなかった。
    ひ弱な、母親の姿が見えないとすぐ泣き出すような、情けない子どもだった。

    中勘助という作家に『銀の匙』という作品がある。
    それに出てくる主人公のような、引っ込み思案の、
    おんば日傘の似合う(してもらったことないけど)子ども。

    『銀の匙』と言えば、会社員時代に女性から
    「なにか、おもしろい本、ない?」
    と尋ねられ、すすめたことがある。
    その後、なんの反応もないから、

    --あの本、読んだ?

    ときいたら、

    --あ、途中でやめた。つまんないんだもん。

    あっさり言われた。

    あぁ、かわいいお顔をしていても、ぼくとは感性が合わないのね・・・。
    ちょっと悲しかった。

    話がそれた。
    もとへ戻そう。

    ----------------------

    ぼくは、小学校6年間の真ん中3年間ちょい、親戚に預けられていて、
    夏や冬の休みの間だけ、母親の元に戻っていた。
    新学期が近づくと、預けられていた親戚の家に戻るのだけど、
    まぁ、そんなもんだと思っていたから、別段つらくはなかった。

    しかし、親戚の家ではやはり借りてきたネコ助状態で、
    ただでさえ情けない泣き虫が、もっと内に凝り固まったガキとなる。
    別に親戚の家でギャクタイを受けたからでもなんでもない。
    それよりも、本当は預かりたくもないだろう泣き虫小僧に
    よくもあたたかく接してくれたと、
    今になってびっくりするほどよくしてくれた。

    要は、自分の受け止め方なのだな・・・・・・。

    自分がおとなしいからだろうか、活発な子どもがうらやましい。
    勉強はできたのだけど、そんなもの、ちっとも嬉しくない。

    授業中は、いるかいないかわからないような、
    それでいて、休み時間になると雨が降ろうが、雪が積もろうが、
    校庭へ走り出ていく、そんな級友が、心底うらやましかった。

    ぼくは、ことあるごとにカゼをひき、かかりつけのお医者さんが
    大きなバッグに「○○ちゃん用」と書いた薬袋を入れてやってきた。
    胸に聴診器をあて、呼吸の音を聞き、

    --はい、いつもの通り。

    と言って、薬袋を置いて帰っていった。

    そうだ、ぼくはカゼっぴきで、小学校の入学式の日も
    布団の中で寝ていたのだ。
    晴れの式典に出られない息子に代わり出かけていった父親は、
    なぜかリンゴを持って帰ってきた。

    小学校5年生になるとき、入学した学校へ戻った。出戻りだ。

    教室で転入の挨拶をしたとき、見知った顔がパラパラいる。
    幼稚園、そして、小学校1年生のときに同じクラスだった連中だった。
    みんな、「どこかで見た顔だ」という目で射すくめる。

    異邦人を見る子どもの目は、おそろしい。
    ぼくは、本気で恐かった。

    ----------------------

    学校を出戻ったぼくは、それをきっかけに悪ガキになりたかった。
    でも、なれなかった。成績のいい、“よゐこ”のまんまだった。

    「結局、自分は自分のままなんだ」

    10歳で自分の限界を知った気がした。

    数年前、小学校の同窓会が30数年ぶりにあった。
    出席したぼくを見た当時の担任の先生は、ひと言、

    --大きくなったわねぇ!

    ・・・・それから言葉が続かない。言うべき事柄が見つからないのだ。

    それは、級友たちも同じで、誰もが「大きくなったなぁ」とは
    言ってくれるものの、反応はそこ止まり。

    彼らと同級生だったころ、ぼくは身長150センチを切っていたし、
    体重も30キロなかった。やせっぽちで、確かに、ちっこい。

    それから30センチ伸び、50キロ太れば、その感想は、
    「大きくなったなぁ!」となるだろう。

    そりゃそうだなぁ・・・・。

    しかし、会話が続かないのが、ちょっと悲しい。
    ぼくは、中学を卒業するころから“成績のいいよゐこ”ではなくなった。
    それを彼らは知らない。
    あの頃の印象のまま、ぼくに接する。

    「違うんだよ、オレは変わったんだよぉ」

    と、おやぢになった今、改めて言うのもまた変で、
    みんなの抱く“あのころのこいつ”を演じるハメとなる。

    えらく奇妙だけど、彼らが持つその印象に合わせないと、
    逆に居場所がなくなる、そんな感じ。

    あのころ、悪ガキだった級友は、スーツなぞ着て落ち着いている。
    アタマも薄くなりかけて、社会を担う立派なオトナだ。
    が、分別顔も最初だけ。
    みんながやいのやいのと話しかけ、あのころのままに悪ガキと化す。

    ぼくは、幼い頃の記憶が薄い。
    「ほんとに小学校、行ったんだろうか?」
    そう思うくらい、断片的なものしかない。楽しい想い出は皆無だ。

    自分にさえ印象が残ってない時代、他人が覚えているわけもない。

    やっぱり子どものころは悪ガキに限る!
    15で不良と呼ばれてもいいじゃないか。
    成績優秀な子どもには、想い出なんて残ってないぜ!

    ----------------------

    と、思いながら、聞こうと思ったチェッカーズ。
    しかし、うちのCDプレイヤーは、アダプターがないと
    シングルCDは聞けないのだった!


    そんなわけで、悪ガキ話を書きながら、
    聞いているのはイギリスの悪ガキ、The Clash。
    リーダーのジョー・ストラマーは、50歳で世を去った。

    その年齢に、ぼくも確実に近づいている。

    あたり前だけど。

    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room"←写真&プロフィール追加。


    おととい、昨日と、友人と温泉で名高い大分・湯布院へ。
    タレント養成所を経営するその友人とは、年に一度程度、
    勉強会という名目で一泊の旅に出る。

    「さぁ、どこにいこうか?」

    そこで唐突に決めたのが、湯布院。

    通常ならば友人が運転する車で動くのだけど、
    マジメな打ち合わせあけで彼はバテていたので、電車で行くことに。

    で、乗ったのがこれ、「湯布院の森」号。
    ディーゼル機関車(湯布院へ向かう路線はいまだ電化されていない)を
    改造したもので、座席が高くなっていて眺めバツグン。


    湯布院の森号




    車体のエンブレム



    駅まで迎えに来るという宿のありがたき申し出をことわり、
    ちんたらぶらぶら、歩いて行く。

    日が暮れきって宿へ到着。
    「末広」(あまりにありがちな名前)と名付けられた部屋では、
    きれいな花がぼくらを待っていた。

    宿で待っていた花



    夜なのに、さかんにウグイスの鳴き声が。
    今日は一日、晴れていた。
    ウグイスもツユの晴れ間はうれしいのかな。

    ひと休みして、温泉へ。
    湯布院のお湯は、無色透明。口に含んでも、塩味がしたりはしない。
    あまりに透明。いい心持ち。

    風呂からあがり、さぁ食事。
    特に豪華ではないけれど、とてもおいしい。

    「この旅館は、あたり!」

    友人、格別にご機嫌。

    ビールと焼酎で酔っ払った友人は、イビキをかいて寝込む。
    ぼくはぼくで、ごろごろ。

    宿の中庭には、近くの小川から採取してきたというホタルが飛び交い、
    静かに体を光らせる。
    ふーっふーっと点滅する明かり。
    少し切ない。

    淡い光



    夜11時過ぎ、起き出した友人と、少しマジメな話。
    たまに一緒に仕事をする仲。歳もほとんど変わらなければ、
    それぞれが今の仕事を始めた時期も同じころ。

    タレント養成所の経営者と、フリーの構成屋。

    --これからなにを、どのようにやっていけばいいのか?

    なにか社会に還元したい、生きた足跡を残したい。
    彼はそう言う。偉いなぁ。
    ぼくにはそういう使命感なぞ、まるでない。
    生きた証なぞ、残したいと思ったことも、まったくないのだ。

    なんにしろ、面白いことがやりたいな。

    朝の金鱗湖


    翌朝、早めにチェックアウト。
    ぼくは温泉に1回しか入らなかったのだが、
    友人は、宿に着いて1回目、就寝前に2回目、起床後に3回目、
    さらにはチェックアウト前にもう一度と、計4回もご入浴。
    「元は、とった」とご満悦。

    外に出ると、空は信じられないほど青い。
    これが梅雨の空なの?

    真っ青な空、白い雲
    ジョン・レノンのアルバムに、こんなジャケットがあったような・・・・。


    空気は心地よいのだが、歩くと暑い。15分も歩くと汗びっしょり。
    目に入ったお茶屋さんで早くもひと休み。

    お茶屋さんの窓から



    ここで、玉露をいただく。
    「かぶせ茶」(だったかしらん?)という、中国の、伝統的な飲み方だとか。

    特注お茶セット



    冷ました湯で3回、ゆっくり味わう。

    ふた付きの湯飲みの中に玉露の葉がすでに入っていて、
    写真の左上に写っている砂時計がさらさらと落ちきるまで、
    お茶の風味が出るのを待つ。
    この待つ時間が、なんとも言えずいい。

    お茶は、ふたを少しだけずらし、
    お茶の葉が口に入らないようにしつつ、飲む。
    いい味。

    最後に90度のお湯で味わったあとの茶がらには、
    ポン酢をかけていただく。
    これがおいしい!

    飲んだあとにポン酢



    質のいい茶葉だと、出がらしもこんなにおいしいのか。
    目からウロコ的新発見。

    800円という値段、注文するときは「高いな」と思ったが、
    味わってみて、「あ、これなら」と納得。


    お茶屋さんには看板ネコがいた。
    呼ぶと走ってきて、すりすり&手をペロペロ。
    こんなに人懐っこいネコは珍しい。

    看板ネコが毛づくろい



    しかし、いい天気。ほんとにツユ?
    由布岳もはっきり見える。

    ツユの晴れ間の由布岳



    湯布院は、地名は「湯布院」だけど、山は「由布岳」、駅も「由布院駅」。
    使い分ける理由を聞いた気がするが、忘れてしまった。


    梅雨の晴れ間の太陽を浴びて、
    鼻のアタマを真っ赤にして自宅へ帰る。少しヒリヒリ。

    結構歩いた。
    友人は、常に万歩計を腰にぶらさげている。
    それによると、この日、湯布院をぶらついている間に、
    10000歩を越えていた。
    日常、部屋にこもっているぼくにとっては、3ヵ月分、歩いた気がする。


    -------------------------------


    「はぁ、バテた・・・・・」

    家に到着。

    と、ネコ助は・・・・・、

    日々是好日



    ええなぁ、お前は。



    番組構成師の部屋


    “ネコ助-Aoi's Room”


    事件が起きると、おとなたちは「なぜだ?」と戸惑う。
    その繰り返し。
    ぼくが子どものころもそうだったのだろうか?
    おとなになった今、混乱する。

    小学生が同級生の命を奪う。
    想像し難いことが、現実となって目の前に現れる。
    おとなたちは、取り乱し、頭をかかえる。

    --生命を奪うということはどういうことなのか、
    --学校はきちんと教えてきたのか?!

    そんな意見が声高に叫ばれ始める。
    なんどもなんども経験してきたはずのプロセス。
    その繰り返し。

    このむなしさは、なんなんだろう。なぜなんだろう。

    「命はかけがえのないものだ」

    そう、誰もが言うし、教育の現場でも、そう教えているはずだ。
    子どもたちも「命はかけがえのないもの」と知ってはいるだろう。
    尋ねればそう答えるだろうし、
    他の命を奪うことは許されざることだと思っているだろう。

    しかし、そこに実感、体感はあるのだろうか?

    --命を奪うということはどういうことか、想像力に乏しい。

    口々に識者はそう言う。むなしいコメントだ。
    それも、誰もが感じている。
    日常生活現場での想像力不足は、子どもに限らない。おとなでも同じ。

    では、どうすれば「想像力が豊か」になるのか?

    “わからない”が続く。


    -------------------------------


    想像力が乏しい・・・・・・。

    想像力があっては生きにくい。現代はそんな時代なんだろうか。

    すべてのことに先回り先回りで情報が用意されている。
    それは“解答”ではない。
    しかし、その情報に接すると「そうなのだ」と、そのまま納得してしまう。

    戦争の現場では、建物にミサイルが突っ込む瞬間から、
    爆発する様子まで、映像がリアルに“解説”してくれる。
    それが何度も何度も繰り返される。

    ミサイルが飛び込んだ先には人間がいる、そこで今、生きている。
    そこまで、想像力が及ばなくなる。
    想像力があったら、そんな映像を見つめてはいられまい。

    「飛び出す絵本」というのがある。
    ページを開くと、そこに記された物語が立体となって現れる。
    情報が先回りしている現代は、その「飛び出す絵本」のようなもの。

    絵本から物語を飛び出させるのは、子どもたちの想像力のはず。
    なのに、それが前もって準備されている。
    子どもは、何を“想像”すればいいのだろう?

    準備された想像の世界。
    これほどの矛盾はない。


    -------------------------------


    テレビもそのほとんどが準備された想像の世界。

    古代の恐竜が、リアルにのし歩く。
    絢爛豪華な貴族の館。その中をぼくらは見て回る。

    それらはすべて、CGによって作られたもの。
    リアルに見えても、それらはすべてイミテーション。
    情報が集められ、データ化され、コンピュータによって計算され、描かれた。

    準備された想像の世界。

    ぼくが子どものころ、と昔を引っ張り出すのもむなしいが、
    恐竜を歩かせるのは、ぼくの想像力だった。
    紫式部の装束をきらびやかに仕立て上げるのは、ぼくの想像力だった。
    想像することが楽しみだったし、夢を作り上げることでもあった。

    その楽しみが準備されている今、想像力をどう羽ばたかせればいいのだろう?


    -------------------------------


    子どもたちが当事者となった事件があるたびに、
    必ず引き合いに出されるゲームの世界。

    --人間同士の触れ合いが育まれない。

    そんな意見が必ず飛び交う。

    ぼくはコンピュータを使ったゲームは、ほとんどしたことがない。
    それには理由がある。

    以前、ある人気ゲームをプログラミングした人に話を聞いたことがある。
    まだ大学生だったそのプログラマーは、
    ゲームの楽しさやプログラミングの難しさを語ってくれた。

    その話を聞きながら、
    「あぁ、ゲームも飛び出す絵本なんだなぁ」
    そう、ぼくは感じていた。

    数百万個を売り上げたこのゲーム。
    それがどれほど奇想天外に展開しても、
    それは彼がプログラミングした通りにパソコンが動いているということ。
    準備された映像、ストーリーが次々と登場しているということだ。
    プログラミングされていない出来事が画面上に登場することはない。

    そこにゲームをする人の想像力が広がる余地や時間があるのだろうか?

    マンガも小説も、ストーリーは書き手が作る。
    しかし、目を止め、空想の世界に浸るのは読み手に任される。
    主導権は、こちらにある。

    ゲームを楽しむ人は、「同じことだ」と言うかもしれない。
    しかし、喜怒哀楽が準備されているとぼくには思えるゲームの世界。
    遊びの世界でも、想像力不要になっているのだろうか?


    -------------------------------


    ジョン・レノンが『イマジン』を歌ったとき、
    中学生だったぼくは、すぐに好きになった。
    でも、その詞には特に心ひかれなかった。

    「想像力で世界をかえることができる」

    その主張が、あまりにあたり前のことに思えたから。

    それが、どんどんどんどん“あたり前”ではなくなって行った。
    9.11のときには、放送自粛の対象となった。

    ぼくの想像力では、とても及ばない現実の世界。
    そんな世界で、想像力を育むには、どうすればいいのだろう?

    わからない。

    わからないが、これだけは言い続けなければならないだろう。
    たとえ、むなしくとも。

    --殺すな!


    -------------------------------


    大きな記事のとなりに、そっと、小さなベタ記事が。

    「小5女児、飛び降り自殺?」

    悲しみと混乱だらけだ。

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