番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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きのう、金曜日の夕方、沖縄入り。

那覇の小料理屋で打ち合わせ。
そのまま流れて、午前0時過ぎ、部長のお宅へなだれ込み。
お休み中の奥さまを起こしてしまった。

お初にお目にかかります。
こんな時間にすみません。

などと思いつつ、そのままお宅のリビングで泡盛グビグビ。
ゴーヤの蜂蜜漬け(? もう忘れた・・・・・)、おいしかったです。

ホテルに戻ったのが午前4時過ぎ。

その間に、台風、のろのろと到来。
2度3度と台風で足止めを食ったことがあるので、
きょうの午前中、そそくさとサヨナラ。

今回も、沖縄の海には触れられず。

後ろ髪引く、美しき海・・・・・・。




また来るよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。









んで、帰宅。

「もう帰ったん?」


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今日のBGM= Marvin Gaye 『 What's Going On 』





太陽ぎらぎら、セミはワシワシ。毎日、変わらず。
でも、のろのろと台風が近づいてるせいか、きょうは風がよく入る。
洗濯物を干して、へぁ、とひと息。
窓からの風が心地よかぁ。


新聞を見ると、アホな教育委員会のお話が。

福岡県久留米市の教育委員会は、
卒業式&入学式で子どもたちが歌う「君が代」の声量を調査していたという、
信じがたい愚弄な衆。

今回は、市立の小・中・養護学校の卒業式&入学式に関し、
下記のような「事務連絡」を各学校長あてに送っていた。

------------------------------------------------
・ 久留米市教育委員会が出した文書の主な内容(朝日新聞より)

1.国旗掲揚及び国歌斉唱は、学習指導要領に基づき適切に行ってください。

2.市長及び議長の祝辞は、式の中で必ず読み上げて紹介してください。

3.来賓として出席されている方々、特に市議の皆さんは、ぜひ紹介してください。

4.席順は下記のようにお願いします。
    (市議会議長)、教育委員会、PTA会長、市議の順。

項目4の席順は、市議の中での席順も当選の期別順、年齢順と細かく定めている。
------------------------------------------------

市長と議長の祝辞は必ず読み上げ、来賓の市議は必ず紹介しろという、この指示書のなんと低次元なこと。

この低次元さに、同市教育委員会の担当者が追い打ちをかける。

--子供の節目めの行事で、お祝いの言葉を知らせることは大切

--市議は市民の代表で忙しい中を来て頂いており、紹介するのが礼儀

--学校によってまちまちにならないほうがよいので、念のため文書を出した。

久留米市教育委員会学校教育担当次長のお言葉である。

こんな思考しかできない人間が教育委員会の要職に着いているとは。
久留米市では、さぞかし立派な子どもが育っていることだろう。

しかし、久留米市は、ぼくの生まれ故郷だ。
こんなアホなヤカラが子どもたちの教育を指導しているのかと思うと泣けてくる。

まず、卒業式&入学式とは誰のために行われるのか、その視点が完全に間違っている。
主役は子どもであり、それを見守るのが両親であり、それ以外はサポート役、脇役だ。

市長や市議がこうした式に列席するのは、子どもたちのためではない。
自分たちのためである。
見方によっては、政治行為とさえ言える。
教育の現場で政治行為を行ってはいけないはずであり、列席すること自体が本来はおかしなことだ。

「出席はご遠慮願います」

そう言うのが、教育委員会の本来の役目のはずである。

それでも、市議を「紹介するのが礼儀」と思うのは、
教育委員会が出席を依頼したからではないのか?
子どもたちはそんな人間たちに列席して欲しいと思ってはいない。
「来賓」というのは、教育委員会にとっての「来賓」なのだ。
ならば、出席した市議の名前は、子どもたちや両親たちにではなく、
自分たち教育委員会の人間たちだけに知らせればいいことだ。

担当者は、子どもたちにお祝いの言葉を知らせることが大切だという。
市長や議長の、つまらない、あくびをかみ殺すために必死とならねばならない、
あの“お言葉”は、本当に“お祝いの言葉”なのか?
あの“お言葉”を、自らの旅立ちや進歩を祝ってくれる言葉として
のちのち思い出す子どもがいるだろうか?

あれは、子どもたちを祝したものではない。
式典の、単なる儀礼に過ぎない。
あってもなくても、子どもたちにとっては関係ないものだ。

自分の人生の節目として、子どもの心に残ること。
卒業式や入学式は、それだけが唯一の目的だ。
誰が列席しようが、お偉いさんのお言葉があろうが、
子どもたちの思い出とならなければ、開催されるその意味はない。


この教育委員会は、卒業式&入学式の持つ意味を全く理解していない。
「教育“管理”委員会」とネーミングを変えたらいかが?





♪今日のBGM= Four Tops 『 Their Greatest Love Songs 』





ただいま、PM5:13。
夕餉の買い出しから帰ってきて、着替えて、ホッと息をつく。

買い出しは車で片道12、3分の郊外型大型店舗(と、言うのかな?)へ。
東京から越してきたころには、歩いて行けるところにダイエーとジャスコがあり、
買い物にはとても便利だった。
ところが、ダイエー、ジャスコと相次いで閉店。

ダイエーなぞは、元社長・中内功氏が直々に検分に来て、
レイアウトや品揃えなど、あれこれてこ入れしたにもかかわらず、
それから1年もたたないうちにあっさり倒産した。

ふたつの大手スーパーが消えて、とたんに買い物が不便になった。
ぼくの住む地域は「昔は街の中心地」近辺。
今や、となり駅周辺が開け、大きな店が相次いで出店している。

そこまでは、歩いて行くと2時間くらいはかかるかも。
かと言って、電車に乗って買い物に行くのも面倒だ。
自宅→駅、駅→店、どちらも歩いて15分かかる。

そんなこんなで、買う予定がまるでなかった自家用車の導入とあいなったのだった。
だが、車を買ったら、とたんに元ジャスコだった建物に地元のスーパーが入った。
まぁ、こんなもんである。





きょうのメニューは、アジの一夜干しにゴーヤ・チャンプルー。
それに生野菜と冷や奴といこうかな。

きのう、きょうと、やたらに魚が安い。めちゃ、大漁だったのだろうか?
目の下1尺ほどのサバが3匹で380円。
20センチ前後のアジ、6匹で380円。

「おぉ、安い!」

とは思ったものの、こんなにはとても食べきれない。
で、結局きのうは、鶏肉へと主菜をかえたのだった。

きょう、購入したアジの一夜干しは、2匹で380円。
どうも、きのう、「刺身用」として店頭に並んでいたヤツのような気がする。
顔に見覚えがあるもの。

ゴーヤは、1本78円。
ゴーヤはこのあたりでも、ぼこぼこ、できるらしく、いつも非常に安い。
自宅で栽培している人は、「できて、できて、困るほど」と言っていた。

そう言えば、ゴーヤの本家本元である沖縄では、
宮崎や鹿児島にそのマーケットを奪われっぱなしなので、
「なんとかならんか??」と考えているという話を聞いたことがある。
海を隔てているというのが、やっぱりネックなのだろう。

宮崎産や鹿児島産は沖縄産に敬意を表してか、
「にがうり」と表記していることが多かったように思うのだけど、
最近はデカデカ「ゴーヤ」と称して売っている。
きょう、買ったのも、確か宮崎産の「ゴーヤ」

「ゴーヤ」と「にがうり」。
同じものなのか違うのかは知らないけれど、おいしくて安ければ、OKだ。

先日、那覇の空港のみやげ屋で、1本600円のゴーヤを見た。
立派できれいだったけど、この値段ではちょっと・・・・ね。

ぼくが住むこの近辺では「ゴーヤ・チャンプル-」と言うけど、
「チャンプール」という表記も見る。
どちらが正しいのだろう?

『男はつらいよ』の中で、浅丘ルり子扮するリリーは、「ゴーヤ・チャンプール」と言っていた。
その「プ」に力を入れるようなアクセントに、「あれ?」と思った。

寅さんは沖縄でリリーが作ってくれたその味を思い出しながら、

「リリー、俺と所帯、持つか・・・」

そう、夢心地に言うのだったなぁ・・・・。

とうとう、おいちゃんも逝ってしまった。
寅さん、御前様、タコ社長・・・・みんなのそばへと旅立った。

ここんとこ、合掌ばかりだ。


「いい人生やったやん」

♪今日のBGM= Rolling Stones 『 Some Girls 』





毎日のように、自ら命を断つ人の記事が新聞の社会面に掲載される。
きょうの夕刊にも・・・・。

ぼくが利用する駅から東京方面へ四つ目の駅。
その駅近くの踏み切りで、きのうの午後7時50分ころ。
高校3年、17才の少年が普通電車にはねられ、死亡した。

記事によれば、自殺とは断定できない。
しかし、見出しを除いて全22行の、この小さな記事。
その中で、少年が命を失うことになったその原因をほのめかす言葉は、
「自殺と事故の両面」の8文字だけ。
それに、「警察が調べている」と、当然の言葉が添えられているだけ。

この、少年の死の扱い方に比べ、列車ダイヤの乱れを知らせる言葉はこと細かい。

・ 「午後9時20分運転を再開」 したが、
・ 「上下10本が運休」 し、
・ 「50本に最大約2時間半の遅れ」 が出て、
・ 「九州新幹線“つばめ65号”が約30分」 遅れ、
・ 「乗客約1万5千人」 が影響を受けた。

この、列車ダイヤの乱れに関する部分は、22行の記事、その5割以上を占めている。

ぼくら読者は、こんな“情報”が欲しいのだろうか?

昨夜8時ころの事故。そして、既に復旧した列車ダイヤの乱れ。
そんな“情報”を今ごろ知らされてもなんの役にも立たないし、
限られた新聞紙面を削って掲載すべき影響を読者に与えることでもない。

奇妙なのは、起きたのは昨夜、それも、午後10時前には復旧している。
そんな事故を、翌日の夕刊に掲載するという、この情報伝達の遅さだ。

新米記者が、警察の発表をそのまま丸写しで記事にした。
今朝の朝刊は載せるべき記事で満杯だったので、デスクが夕刊にまわした。
そんな感じか。

この、なんのへんてつもない記事に、
「亡くなった少年は進学問題で悩んでいた」といった、
警察発表にない、独自の情報が加味されていたらどうだろう。

メディア仲間からは、“抜け駆け”を指摘されるかもしれないし、
少年の家族には、さらなる悲しみと苦痛を与え、
世論からは、メディアの圧力を非難されるかもしれない。

それでも、事件・事故を記事として掲載する限りは、
そのメディア独自の取材および視点がなければ意味がないんじゃないか?

現代の情報伝達システムにあって、異常なほどに遅れて届けられた少年の死は、
発表されたコメントのまま、冷たく、静かに紙面を埋めただけに終わった。

発表されたことをそのまま掲載する。
新聞は、回覧板ではないはずだ。





「警察その他お上組織の記者発表を、そのまま報道」

こんな流れに関連して、最近、テレビのニュースで気になる表現がある。

--○×容疑者が「△△」と言っていることがわかりました

なるモノ。

堂々と「わかりました」と言ってはいるが、これはどういう意味なのか?
局の記者が独自に取材をしたから、明らかになったわけじゃないだろう。
警察の記者クラブで発表された、それをそのまま流しているだけじゃないのか?

それならばはっきりと「警察の発表によれば」と言うべきだ。

この奇妙な表現に限らず、テレビのニュースには、映像も、コメントも、
その出所が明らかでないモノが多すぎる。
警察や役所関係、裁判所その他、記者クラブでの発表を基にしたニュースは、
その事実をきちんとぼくら視聴者に知らせるべきだ。

記者クラブで発表されたというその事実だけで、
その内容がどのような性格のものかを判断する材料にもなる。
情報の出所はどこなのか?
それを知ることは、情報の受け手であるぼくら視聴者が持つ権利だと思うのだけど。

海外からのニュースでも同じ。
特派員がいないところから、その局が独自に取材したニュースが届くはずがない。
だが、「私どもは現地に記者やカメラマンを派遣していません」的な、
正直な、しかし、当然のお知らせを聞いたことがない。

たとえ流すニュースが提携している海外メディアの映像やコメントであり、
それを自局のものとして利用することになんら問題はなくても、
視聴者は“提携”などという企業活動は知る由もないのだから、
その旨を明確にすることは不可欠だと思う。

新聞であれ、テレビであれ、その情報が受け手の元に届くまでには、
既に何回もふるいにかけられている。

どんな関所を通ってきたのか。
情報の出所とその流れを知れば、より真実に近づける。

そんな気がする。


「ホンマは遠か」


♪今日のBGM= Aerosmith 『 Live! Bootleg 』





言いたくないが、暑いっ!

天気予報によれば、最高気温も最低気温も、沖縄より高い。
こんなことがあっていいのか?
本来、日本海側気候であるはずの、この地方で。

沖縄以上の気温ならば、風の爽やかさも、海の美しさも沖縄以上にしてくれ。
そしたら、この暑さも許す。


「確かに暑か」


部屋の窓もドアも開け放しているのだが、とにかく、空気が動かない。
もわ~ん、息苦しい。
そこにパソコンとオーディオが常時ON。熱気に拍車をかける。
キーボードを打っていると、手首に、肘に、汗が流れる。
手首の下に置いておいたタオルが濡れていく。

ハダカで仕事をしたいのだが、宅配便のお兄さんなどがたまに来るので、
すっぽんぽんでいるわけにもいかない。
汗を吸ったTシャツを替える。朝から4度目。
あ"~、そろそろ洗濯せねばぁ。

洗濯物がバリバリかわく。嬉しい、これだけは。





さてさて、昼下がり。
そよそよ、風が入るようになってきた。怒ったかいがあったかな。

暑い暑いと言ってはいるが、
ぼくはホントに暑いか、メッキリ寒いか、どちらかが好き。
好きと言うより、体にあう。

その途中、のどけき春や、アンニュイな秋は、からっきしダメ、ダメ。
脳みそが渋皮張り付く栗状態となり(見たことないけど、そんな感じ)、
アタマが重うてしょうがない。

長年の経験から、どうも気圧に関係があるようで、
その変化、例えば、台風が「お、来る、来る」というのがわかるのだ。
そして、台風が去っていくまで、ぼくは使い物にならない。

--あぁ、カラダがだりぃ、アタマが重いぃ。

と、ごろごろとすることとなる。

こんな低気圧アタマ、どうにかならんのか。
病院に通うようになって、はや16、7年たつ。

--奇妙なモンに取り憑かれましたねぇ。

最初、担当医は、医学を極めた者とは思えないことを言った。

はっきりウツとかブンレツとか言えれば医者も活躍のしようがあるのだろうけど、
ぼくのように“そこはかとなく調子が悪い”程度の人間だとかえって困るらしい。
そして、そんな、むりやりカテゴライズすれば「自律神経失調症」の患者が
ここ数年でごっそり増えたそうな。

そうだろうそうだろう。
地球の気候も変だ変だと言われているのだし、
その表面にへばりついて暮らす人間が変調をきたさないはずがない。
ときおり変になるのは、正常な証拠なのだ。

まぁ、こんな自分に慣れない当初は、しんどくてかなわなかったのだけど、
慣れというのは恐ろしいもんで、カラダが地面にめり込むように重くても、
「ほっときゃ、治る」と思えるようになったから不思議。

そんな患者が増えたおかげでもないだろうが、
最近、ぼくの主治医は国立大学病院を辞め、都心に自ら開業した。
めでたし、めでたし。

先日、初めて、主治医が開業したその病院へ行った。
2ヵ月ぶりくらいに会った先生は、

--いらっしゃい。暑くなってきましたね。調子、よくなってきましたか?

と聞いた。

【ぼく】 はい、おかげさまで。でも、この間の台風のときはまいりました。

【先生】 そうですか。不思議ですねぇ。やっぱり、気圧ですかね。

【ぼく】 やっぱりそうなんでしょうか? 不思議ですね。

【先生】 そうですね、不思議ですよねぇ~。

医師と患者の会話とは思えないやりとりが5分ほど。
で、クスリの処方箋を書いていただいてさようなら。

先生のお見立てによると、
「体質が変わるであろう60歳か70歳くらいになれば自然となおるかも」、
とのこと。

“かも”というのが、ちょっとひっかかるけど、ま、気長に待つしかないらしい。

それまで、春のあけぼのも、秋の紅葉も、愛でることはできないわけだ。
はぁぁ、先は長かね~。





中島らもさんが亡くなった。驚いた。

先日、新聞のすみに「階段から落ちて頭を負傷」と出ていて、
酔っ払って踏みはずしたのかなぁ、しょうがないなぁと思っていた。
まさか、葉っぱ方面のせいではないだろうなぁなどと、余計な気をまわしたり。

でも、ニュースでは「仕事をキャンセルして静養」的な書き方だったし、
HPでも同様だったので、致命傷となるほどのケガだとは思わなかった。

享年52歳。若いなぁ・・・・・・合掌。

しかし、階段から落ちて、命も落とすとは・・・・・。
できれば避けたい世の去り方だ。

萩焼き作家の方も、酔って二階から落ち、脳挫傷で死亡した。
この方もまだ50代。
これから作風を確立して行くところだっただろうに。

お酒と足元には気をつけよう。


「驚いた」


♪BGM=Danny Gatton 『 Crusin' Deuces 』





あぁ、きょうはきょうとて、いい天気。




「あの向こうには何がある・・・・」


朝っぱらから30℃をクリア。
毎日、洗濯物がばりばり乾くのは嬉しいが、ヒトもかさこそ、乾き切りそう。





フィリピンはイラクから軍を撤退させ、人質は解放された。

人質となった男性の家族は、「軍を撤退させて」と涙ながらに訴え、
その心情に共感した人たちが各地で政府に軍の撤退を迫るデモを起こした。

同じように、自衛隊を撤退させるよう訴えたぼくらの国の家族たちには、
あまたの非難・中傷の言葉が浴びせられた。

なぜ、こうも違うのだろう。

解放されたフィリピンの男性は、空港で大歓迎を受けた。

同じく解放されたぼくらの国の5人を待っていたのは、
『自己責任』を迫る国、マスコミ、そして国民の非難。
解放されたある人の母親は、帰国したわが子に向かい、空港で、
「お願いだから、謝ってちょうだい」
と、涙ながらに訴えた。

どうして、こうも違うのだろう。

もしかしたら、生きては二度と会えなかったかも知れないわが子。
身も心も消耗し切りながらも命ながらえて母国の土を踏んだわが子を迎える母親に、
ねぎらいの言葉ではなく、「謝って」と言わせたものはなんなのだろう。

国情の違いはあるだろう。
フィリピンは、800万人にのぼる人たちが中東に出稼ぎに行っているという。
この出稼ぎへの道が閉ざされたら、即、生活が立ち行かなくなる。
それが軍隊の撤退を求める声に収束されたのかもしれない。

それにしても・・・・・。

ここぞとばかりに『自己責任論』を持ち出し、
非は拘束された側にあるという方向に持って行こうとした日本政府。
それは、国民の管理を強化しようとする権力側の意思の表れだ。

その政府の思惑に疑問や不信感を持つことなく、
「そうだそうだ!」と声高に言う人の多いこと、多いこと。
ぼくらは、国の思惑にあっさりとはまったのだ。
なんとまぁ御し易い国民かと、改めて政府側はほくそえんだに違いない。

周囲の眼に射すくめられ、世間体に押しつぶされて、わが子に謝罪を迫った母親。
謝る必要など、まったくないのに。


「自民党大敗」と喧伝された先の参院選挙。
しかし、総投票数の内訳は、自民党に投票した人の方が、それ以外に投票した人よりも多かった。

投票されなかった票は“死に票”ではなく、為政者側に対する信認と同じ。
なんのことはない、国民の多くは現政権を支持し、その目指す方向を認めているのだ。

“自衛隊”から多国籍“軍”へと姿を変える日本の軍隊。
それも、ぼくら国民が「よし」としたから。
他の国から見たら、そうでしかない。

「違うよ!」とは、決して言えない。





「フィリピン政府がイラクから軍を撤退させたことは、抵抗勢力を勢いづかせるに違いない。
それが早くも現実となったもの。それがエジプト外交官の拉致である」

こうした論調の記事が新聞の一面を飾っている。
この記事を読み、「そうだそうだ」と思う人がまた増える。

政府の意向に沿い、その政策を浸透させていくマスメディア。

新聞にだって、思惑がある。
テレビのニュースだって、編集されてる。
そこには、ある出来事の「事実」はあるけれど、真相・真実があるとは限らない。

あらゆることを、まず疑うこと。
自己防衛には、それしかないな、やっぱり。





「遊べよぉ」





♪BGM= Lee Oskar 『 Lee Oskar 』


「テレビで見るのと、来て見るのとじゃ、ひどさが全然違いますね」

昼食をとりながら、昼のワイドショーを見ていたら、
大水害にあった福井の街の復旧に参加しているボランティアの若者がこう言った。

そうなのだ。
実際に目で見てみないと、その状況は実感として分からない。

ふと、思う。
イラクの戦場、例えば米軍の空襲を受けているファルージャには、
今、日本のメディアはいるのだろうか?
ぼくらのところへ届くレポートは、
現場を実際に自分の目で見た記者やカメラマンのものなのだろうか?

誰かが撮った写真や映像を元に、記事にし、テレビのニュースにする。
そうした報道が、普通に行われている。

自ら現場に接していない人たちによって作られるレポート。
それを読み、目にして、あぁこんな風なんだ、と呑み込んでしまうぼくたち。
肌触りが遠い。

状況が記録されるていくこと。まず、それが大切。
その記録する役割は、今、誰が担っているのだろう?

すべてを人任せにしているようで、自分自身の座りが悪い。
しかし、そう思わずにはいられない。

ただでさえ遠い国。
ぼくたちがその情報に接するまでに、いくつのフィルターを経ているのだろうか。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


♪今日のBGM= Scorpions 『 Taken By Force 』





  とってもとてもいい天気。太陽さんさん、稲も青々。



  しかし、ヒトが生息するには、暑すぎる・・・。





  暑くても、ネコ助だけは、どこ吹く風。

「ん?」


「なんや?」


“すぽ”


「ちぇ、水やん」





♪今日のGBM= Temptations 『 Cloud Nine 』





ただひたすら、呆れるばかり。
NHKプロデューサーの番組制作費不正使用。

ぼくと同世代のおじさん。
いい歳しながら、やっていいことと悪いこと、その区別もつかない情けなさ。
キックバックした金で飲み食いしていた、そのあさましさ。
家庭に置かれた一台一台のテレビから(「視聴者」から、ではない。NHKを見ていなくても金は取る)徴収した“受信料”と、国から支出される予算とを、自分のモノと考え得る、その思考のおぞましさ、傲慢さ。

さすがに『“日本”放送協会』を名乗る組織の一員だけのことはある。

ひとつカチンと来たのは、不正使用が『番組構成料』の名のもとに行われていること。

局の仕事をして請求書を出すとき、ぼくは項目欄にこう書く。
確定申告をするとき、主な収入の欄にもこう書く。

--番組構成料って、こんなに高額なのかぁ。

新聞記事を読んだ方々がそう思われるとしたら、とても、とても、不本意だ。

新聞の一面に大書された金額ほどにいただければ、さぞかし華麗な生活ができるだろう。
紙上では不正使用は4800万となっているが、8000万を超えるという話もある。
これほどの額の『番組構成料』が支払われていることになっていても奇妙と思われないほどに日本放送協会の制作予算は巨大なのか。


「すごか~っ!」


ぜひとも一度、お仕事、させていただきたいものである。





それに引き替え、ローカル局は・・・・・。

ぼくが知る限り、今、ローカル局の制作現場は必死だ。
制作費がガリガリ削られている。
それでいて「視聴率をあげろ!」「賞を獲れ!」と叱咤される現場の人間たち。

デイリーの番組をこなすだけで、ほとんどヘロヘロ。
人物や出来事をじっくり時間をかけて追う、
そんな悠長な取材ができる状況には、金力的にも人力的にも、ないのが現状だ。

数年前、ある講演で、NHKのプロデューサーが、
「NHKと言っても予算はそんなにありません。45分のドキュメンタリーで700万から800万というところです」
と言い放ち、会場の民放マン&ウーマンから羨望と嫉妬の声があがったことがある。

その45分(民放での1時間)のドキュメンタリーは、週一のレギュラー。
年間に50本前後、制作していた。
民放、特にローカル局には、そんな芸当、とてもじゃないができはしない。
特に、今現在、スポンサーがつくことは限りなくゼロに近いドキュメンタリーは、
1本の制作予算が100万の単位に乗ることすら珍しい。

その少ない予算で、なおかつ外部に発注する。
泣きをみるのは受注したプロダクション。
まさに、身を粉にして働いている。

世界の子供たちを紹介する5分間の番組をかかえるプロダクションのディレクターは、
1回の海外取材で7~8本分の取材をしてくる。そうしないとペイしないのだ。
そして、取材から帰ったその足で編集室へ。
会社に泊まり込み、編集に明け暮れる。

その献身的な働きに、そばで見てると涙が出そうになるよ、ホントの話。

講演の「7、800万程度」発言でぼくらを驚かせたNHKのプロデューサーは、こうも言った。
「45分のドキュメンタリーの制作費から、1回ごとに100万ずつプールする。すると1年間で5000万ほどになる。それを使って、やりたいと思っている大きな番組を作ります」

聞いていて、アタマくらくら、住む世界がまったく違うわぁ、と実感した。

このプロデューサーのやり方は、別に不正ではない。
それどころか、とても賢い方法だと思う。

ひとつひとつの番組で削れる部分は細かく削り、
ある程度金額がまとまったところで、手間暇かかる番組をきちんと作る。
これはローカル局でもできることだし、実際にやっているところもある。

が、しかし、その額の違いは決定的だ。
あるローカル局の制作部。元々少ない予算をさらにちょっとずつ倹約し、
1年間でプールした金額が300万。
上記のNHKプロデューサーの場合と、ケタがひとケタ、丸々違う。

だが、これに心意気をプラスすれば、いい番組が必ずできる。
その肝心の“心意気”を感じさせる若人がなかなかいないってのは、ちょっと考えもんかも知れないが。


「なせばなる」





NHKには“赤字”は基本的にあり得ない。スポンサーの顔色をうかがう必要もない。

その、予算的に恵まれた環境に安住することなく、恵まれていることを自覚して、
民放には、ローカル局には手を出せない、力のこもった番組を作って欲しい。
それだけが、テレビ1台から“受信料”を取り上げる唯一の“言い訳”であるはずだ。


しかしなぁ・・・・・、
80回で4800万、支払われたことになっている『番組構成料』。
単純計算で、1回あたり60万。
実際の不正使用額は、もっともっと多いという。あぁ、すばらしい。

番組構成屋がこれほどの収入があると錯覚されたら、
来年の確定申告は修羅場と化すだろう。

この仕事を始めたころ、確定申告に行った時のこと。
100万に満たない年収に、税務署のお兄さんが声をひそめて言った。

--この金額で、どうして生活してるんですか?

--はい、ツメに火を灯しまして・・・・。

この返事で納得したお兄さんも偉いと思う。

来年は、こう言って欲しい。

--こんな額のはずがないでしょう!
--NHKは、何千万も払ってるそうじゃないですか!

そのつっこみをかわす言葉を今から考えておかなければ。
なんだか、ワクワク。


それにしても、今回の事件や、視聴率を金で買おうとしたプロでキューサーなど、
テレビ業界で働く人間の、ヒトとしての底の浅さが露呈される事件の多いこと。

--その程度の世界なんだよね。

そんな認識が視聴者の意識に根付くことが一番コワい。
その認識、もうとっくに生まれていることではあるけれど。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


♪今日のBGM= Marshall Tucker Band 『 Stompin! Room Only 』





きのうもテロ、きょうもテロ・・・・・・。
イラクでは、毎日毎日、テロがある。

今朝のニュースでは、イラクに展開するアメリカ軍の新たな指揮官○○(もう忘れた)准将が、
「1日に30件から40件の攻撃がある」
と明らかにしていた。

止まないテロ。
しかし、毎日30~40件あるというアメリカ軍&同盟軍への攻撃、
これはすべて「テロ」なのか?

ニュースでは(新聞記事でも)なんの疑問の余地もなきかのように
「テロ」「テロ」と連呼している。
しかし、イラクの人たちのアメリカ&同盟軍への攻撃のすべてが、
「誰が命を落とそうとかまわない、自分たちの力が示威できればいいのだ」
という目的のために行なわれているとは思えない。

イラクで人質(ご本人はこういう表現をしてはいないが)となった安田さんの経験では、
拘束されていたのは農村の一角のようなところで、
そこへ出入りする人間も、戦いの姿をとらなければ普通の農民と思われるような人たちだったという。

ときに10歳くらいの男の子もやってきて、居並ぶ男たちと握手をし、
とても嬉しそうにしていたそうだ。

「部族のひとりとして認められたんだな」

安田さんはそう思ったという。

こうした普通の人たちも、自らと家族を守るためにあえて銃を取る。
そんな状態にまでイラクの人々は追い詰められていることが安田さんの話からはよくわかる。

マスメディアが言う「テロ」とは、
自己保存のための、やむにやまれない、自然発生的な反発をも
ごちゃまぜにしているのではないか?

そう思えてならない。


「がんばれ・・・・」


昔、「レジスタンス」という言葉があった。
しいたげられ、追い詰められた人たちの、決死の反撃。
権力者や侵略者への、窮鼠猫を噛む的な、捨て身の保身攻撃。
身を守るために身を捨てる、そんな矛盾の響きが「レジスタンス」にはある。

今、「テロ」と呼ばれている事件の中には、「テロ」ではなく、
「レジスタンス」=「抵抗運動」と呼ぶべきものが含まれているのではないのか?
マスメディアはそれを自ら調査し、自らの責任できちんと使い分けるべきだろう。

現在の日本のマスメディアは、単純にか、意図的にか、
アメリカとその同盟軍への攻撃は、すべて「テロ」として処理しているようだ。
それでは、メディアとしての役目を果たしているとは到底言えない。

イラクの人たちによるやむにやまれない反発をも「テロ」と呼ぶのならば、
アメリカによる空爆などの攻撃は、組織的な「テロ」と呼ばねば公平ではない。

しかし・・・・・・、
マスメディアの中で、「レジスタンス」は、どこへ行ったのか?
現状を表現しきれない、もう過去の言葉として葬り去られたのか?

そうではないだろう。
単に、きめの細かい取材をしていないだけ。

今現在、イラクには、マスメディアの記者・カメラマンはいるのだろうか?

危険な“戦場”に、記者を派遣することは、企業倫理としては(日本では)許されない。
しかし、記者たちがいなくても、日々のTVニュースや新聞記事はちゃんとできあがる。

今、ぼくらが目にしている映像・写真、そして記事まで、
フリーランスの人たちや日本以外の記者たちの手によるものが大半だ。
自らの手による取材を放棄し、情報を“買う”マスメディア。
そこにきめ細かさを望む方がムリなのかもしれない。

そんなこんなをあれこれ考えると、
今、流れているニュースは、アメリカ側の「発表」に追随しているだけ。

悲しいかな、やはり、そう思えてしまうのだ。





♪BGM= Fleetwood Mac 『 Tusk 』


いやはや、なんともあぢぢである。

パソコンにオーディオ&ビデオデッキにモニターと、
机のまわりは熱を出すものばかり。
昼下がり。
部屋の温度は32℃を超えんとし、ついにエアコンのお世話と相成る。

窓を閉める。
しかし、冷気にはからきし弱いので、ドアは開けたままでスイッチON。

--あ~、涼しかぁ・・・・・。

至極極楽。

エアコンをつけていない部屋は、風は入れど陽差しもさんさん、ほどんどサウナ。
しかし、ネコ助は涼しいところを探す名人だ。


「よっこらしょ」


押し入れを自分で開けて入り込む。結構な力持ち。

「見んといて」


居場所を見つけたネコ助。このあと、ぐっすりお休みに。
よかねぇ、どこでも眠れるヤツは。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


♪今日のBGM= Free 『 Tons Of Sobs 』





プロ野球のごたごたに関して、スポーツ・ジャーナリストがこう言った。

「日本のプロ・スポーツ文化を深めなければ」。

日本に「プロ・スポーツ文化」って根付いているのだろうか?
いやいや、そんな文化、この国にあるのだろうか?


--合併の理由? 赤字だからだよ。

なんとも、分かりやすい。

--ちゃんと“経営努力”をしたの?

という、至極当然の疑問はひとまず置いて。

1リーグ制へ移行するという話。

五つという奇数のチームだと試合の組み方に無理が出る、
だからもう2チームが合併し、偶数にした上でセリーグにお願いして1リーグへ。
10チームだと試合がないチームが出ないから、スムーズに運用できる。

ほんとにそうなのか? チーム数が奇数だと、ムリなのか?
この論法、どうも納得いかない。


「集中集中」



NBA、アメリカのプロバスケットリーグは全部で29チーム。
奇数だ。それでもシーズンを通し、順調に試合を消化している。
(次のシーズンからは1チーム増えて30チームになる)
NBAにはイースタンとウエスタン、ふたつのカンファランスがある。
14チームのウエスタンに対し、イースタンは15チーム。
イースタンは、当然、試合が行なえないチームが出る。
それでも、プレイヤーやファンが不満たらたら、ということはない。

こうした、ぼくら日本人の“公平の原則”から見れば、
奇妙なことがアメリカのプロ・リーグには多くある。

MLB、大リーグ。
イチローがいるマリナーズが属するアメリカン・リーグ西地区は4チームで構成されている。
一方、ナショナル・リーグの中地区は6チームだ(他の地区は5チーム)。

ア・リーグ西地区は4チームに対し、ナ・リーグ中地区は6チーム。
そこでそれぞれ首位を争い、トップのチームがプレイオフへと進む。
1/4と1/6では確率がかなり違うと思うのだが、
総試合数は同じせいか、「不公平だ」という声はあまり出ないらしい。

こうしたある意味いい加減さが通用するのは、
スポーツを楽しむ側にそれを許容するふところの深さがあるからだ。
それは4大スポーツと呼ばれるプロ・リーグの規模にも見て取れる。

バスケットのNBAは今年から30チーム。
野球のMLBも30チーム。
NHL、アイスホッケーも30チーム。
NFL、フットボール・リーグは32チームある。

この、単純計算122のプロ・チームがひしめき合っていながらも興行として成り立つ。
これはすごいことだ。
スポーツを見て楽しむ側に、それだけ経済的、精神的な余裕があるということだから。

この122チームの中には、経営が苦しいチームも多い。
だが、それぞれのリーグは、まずリーグを構成するチームの維持を図っている。
テレビの放映料をリーグがプールし、各チームに分配したり、
チームや選手のグッズの売上も同様にリーグ経由でチームへ還流する。

また、それぞれのリーグは、“スポーツ”としての振興をも担っている。
野球、バスケット、アイスホッケー、フットボール、それぞれのスポーツ、
その裾野を含め広げていこうということだ。

リーグ側にその姿勢があり、観戦する側がリーグの運営に満足していれば、
プロ・スポーツは大きな利益を生み出す。その利益の巨大さが、
例えば大リーグ、ヤンキースのアレックス・ロドリゲスの年棒25億円(30億とも)、
バスケット、コービ・ブライアントの7年契約1億3600万ドル(約149億円)というような、
目もくらまんばかりの年棒を可能にする。

そして、今もプロ・スポーツの選手になることが子供たちの“夢”たりえる。





一方、日本はどうだろう。
サッカーの選手になることが、男の子たちの一番の夢だそうだけど。

プロ野球の体たらくを見るにつけ、
100チーム以上のプロ・チームを維持できるだけの余裕が
ぼくら消費者にあるとはとても思えない。

世界第2位の経済大国とはいうものの、それは数字のマジックで、
国民ひとりひとり、一家一家は、経済的にも精神的にも富裕ではないのだ。

たった12球団のプロ野球チームが維持できない。
見せる側は、スリリングな試合を見せることができないのだろうし、
見る側は、応援することで少しずつ育てていこうという気もない。
スポーツニュースに映し出されるガラガラの観客席を見ると、
あぁ、儲かってはいないなぁと実感できる。

利益もあがらない企業に、ひとりで立てと言ってもムリなこと。
でも、球界全体で潤えばいいのだ。
要はエゴを少し引っ込めればいいだけのこと。
オーナー側も、選手側も、そして、観戦するぼくらも。


「いよっ!」



プロ野球のごたごたで、ナベツネさんの言動があれこれ取りざたされている。
このおやぢの悪口雑言は今に始まったことではないし、
(「たかが選手が」は、ご本人の思考感覚を見事に表す名言だった)
自らの品のなさを垂れ流しているだけだから放っておけばいい。

問題は、ぼくらはスポーツを真に楽しむということを
文化とすることができるのか、ということだと思う。

それは、チーム経営のあり方や、プロ・リーグの運営方法にも左右される。
が、本質は、スポーツを“エンターテインメント”のひとつとして、
心豊かに楽しむことがぼくらにできるのか、それにかかっている。

「経営難により、近鉄とオリックスは合併する」

そう発表されてから、球場へ足を運ぶファンが増えたという。
おかしな話だ。
経営が危ないという話は、ずっと前から知られている。

選手は精一杯にプレーをしていたと言い切れるのか?
ファンを自認する人たちは、今さらなにをおろおろしてるのだろう?

だったら、もっともっと見に行っときゃいいじゃん。

そう思う。

今年の2月、地元の老舗百貨店が経営不振で長い歴史を閉じた。
閉店セールに買い物客があまたつめかけ、店内は異様にごった返した。
最後のシャッターが閉まるとき、「悲しいですね」と涙を浮かべるおばさんもいた。

今、球団の合併に反発している人の多くは、このおばさんといっしょ。
いっときの感傷に浸る名人なのだ、ぼくたちは。

--心底、悲しいと思うなら、毎日買物に行っとけよ!

なくなることが決まってからあばちゃばしても、嘆いても、
ときはすでにもう遅い。

だがしかし、なくなっても格段に困りはしないから、
ちょろと感慨にふけり、さらりと忘れる。

球団が減り、1リーグとなっても、
それはそれでファンにあっさり受け入れられるだろう。

日本のプロ・スポーツ文化指数、あまり高くなさそうだ。


「バテたぁ」


番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


♪今日のBGM=Rod Stewart 『 The Great American Songbook Vol.II』





遅ればせながら、大リーグのオールスターを見た。

始球式にモハメド・アリが登場し、びっくり。
アトランタオリンピックの開会式で姿を見て以来だろうか。

パーキンソン病で小刻みに揺れる体。
手にした球は投げることなく、マウンドで他の人に渡した。

しかし、ヤンキースのジーター選手を相手にシャドー・ボクシングを
披露したのには驚いた。
病で表情は乏しくなっているが、この人、根っからのショーマンなのだ。

「なんや?」


しかし、イラクでの戦闘が泥沼化しているこの時期のアリ起用。
大リーグ機構も思い切った人選をしたものだと思う。

オリンピック・ヘビー級の金メダリスト、カシアス・クレイ。
レストランで黒人であることを理由に食事を拒否されたクレイは、
金メダルを川へ投げ捨てたと言われる。
そして、教えに人種偏見がないとして、キリスト教からイスラム教へと改宗。
名前もイスラム的にモハメド・アリとした。

ベトナム戦争への徴兵も拒否した、そんなアリを、
国技・野球の、それも年に1試合しかないオールスター戦の始球式に呼ぶ。
そのある意味大胆さに、ちょっと感心。



後日、やはり出た、アリ起用への非難。
ぼくが目にしたのは、“火の玉投手”と呼ばれたボブ・フェラーの言葉。
フェラーは、イスラム教への改宗や徴兵拒否をあげ、
祖国に忠誠を尽くさなかったアリを始球式に起用することの非をとなえていた。

彼のようなとらえ方をするアメリカ人も多いことだろう。

プロのスポーツ選手であろうとなかろうと、
アメリカは条件を満たす若者をピックアップし、戦争へ送り出した。
大リーグの先達には、選手としてのピークを戦場でおくった人も少なくない。

一昨年亡くなった“最後の四割打者”テッド・ウィリアムスは、
42年、三冠王を獲得するも、翌年、第二次世界大戦へと駆り出された。
46年の夏、大リーグに復帰した彼は、翌47年、二度目の三冠王に輝く。
しかし、52年、再び徴兵。今度は朝鮮戦争へと送られる。
軍隊では海兵隊に所属、戦闘機で数十回の出撃を経験した。
その後、大リーグ復帰を果たしたウィリアムスは、57、58年と連続して首位打者に。
39歳、40歳のときだった。

足かけ5年間ほどの戦争によるブランクがなければ、
ホームランではベーブ・ルースを抜き、
通算打点でも歴代トップになっていただろうと言われるウィリアムス。
アメリカ国民としての義務を果たしたこうした選手たちから見れば、
徴兵を拒否するというアリの行動は許せないものなのだろう。
そのうえ、キリスト教を捨ててイスラム教へと改宗した。

しかし、ぼくはアリの行動に共感する。
たとえ国民の義務であっても、間違っていることは間違っている。
それを自由に言えなくなり、行動できなくなったころが日本にはあった。
その時代がまた訪れる。そんな危うさを感じる。



大リーグのオールスター戦は、淡々と進んだ。
観客も、プレーに合わせて盛り上がるときは盛り上がり、
そうでないときは淡々と試合を見ている。

この“淡々さ”が、ぼくは好き。
日本のプロ野球のカネと太鼓にトランペット。どうにかならんもんかと思う。

学生時代は、神宮球場や、今はなき後楽園球場へと結構足を運んだ。
ヤクルトが傘の応援を始めたころだろうか。
名物・岡田さんが応援団長。まだまだかわいらしく、ほほえましい応援だった。

それがいつのころからか、ゆっくり観戦したい観客にも応援を強要するようになる。

わからない。

みんな一斉に嬌声をあげ、カネや太鼓を打ち鳴らすのが応援なのか?
ヘタクソなトランペットで周囲を難聴化するのが応援か?

こんな応援を“一糸乱れぬ”と表現したアナウンサーがいた。
アホかと思う。スポーツ観戦にのめりこんだことがないのだろう。

いつのまにかプレーに引き込まれ、思わず体が動き、声が出る。
プレーで気持ちが高揚し、その“熱さ”が選手たちに向けられる。
それが応援だろう。
そんな自然発生的な心と体の動きが一糸乱れないはずがない。

一糸乱れぬことが応援の優れた形なら、
世界の国々で応援合戦をやれば北朝鮮がダントツにトップ。
追随できる国はない。
だが、あの“一糸乱れなさ”を応援ととらえる人は少ないだろう。

カネや太鼓にトランペット。あれも応援ではない。

「好きなチームを、好きに応援して、どこが悪い!」

などと言う“自称”応援団を見たことがある。 論外。
楽しみ方を知らないとしか言いようがない。

自分と、その仲間だけが楽しめればいいのではない。
球場に来た人すべてが、自由に楽しめなければいけない。
他の人の楽しみをじゃまする行為は、排除されるべきだろう。

静かに観戦したい客も多い。
むやみな音を出さなければ応援できない人たちは、
閉ざされた部屋のプロジェクターの前で、思う存分にやっていただきたい。

自らの自慰的行為を他者に強制的に見せ、聞かせている点では、
北朝鮮の“応援”となんら変わらない“自称”応援団。
あの応援団がスタンドに陣取る限り、ぼくが球場へ足を運ぶことはない。





大リーグのオールスターを見ながら思う。
やっぱり“選ばれた人たち”。この場にいるべきしている選手たち。
そんな感じ。


「しゅぱっ! キャッチ」


日本プロ野球のオールスター戦も見たけれど、粒が小さい小さい。
それは、すそ野の広がり方のせいだろうか。

大リーグは30チーム。
単純に言うと、15チームから投手以外の8人がファン投票で選ばれる。
例えば、一塁手は15人いる各チームのレギュラーの中からただひとりだけ。
誰も選ばれないチームも多いのだ。
(実は、アメリカン・リーグが14チーム、ナショナル・リーグは16チームと、球団の数は微妙に違うのだが)

監督推薦を入れても、オールスターに選ばれる確率はごく少ない。
多くの中から選ばれるから、粒よりだし、選手のモチベーションも違う。
まして1年に1試合だけ。
その球場で再びオールスター戦が行なわれるのはずっとずっと先なのだ。

かたや、日本のプロ野球は、投手を除いて6チームから8人。
1チーム、ひとり以上が選ばれることになる。計算上は。
ポジション別で見れば、6人のレギュラーの中からひとり。

これに監督推薦がプラスされ、
結果として「この人、スターなの?」という選手も並ぶことになる。小粒だ。

小粒でもぴりりと辛ければいいが、プレーの力強さもスピードも、
さらには試合の進行も、大リーグに遅れをとっている。

TV中継も同様で、アナウンサーは、盛り上げようとして墓穴を掘り、
なぜここにいるのかわからないゲストがそれに拍車をかける。
話す内容も、アホらしくて聞いていられない。

これでは客も視聴者も離れていって当然だろう。

今年はパリーグ存続の危機!だったので、
例年になく力がこもった試合だったとは思う。
新庄が走り回って、楽しさをかもし出した。

しかし、それはパフォーマンスとしての楽しさで、
バットスイングの鋭さや、投げる球の重さや速度、足の速さ、肩の強さなど、
プレーそのものの凄みではない。

この小粒なままで、来年からは「東西対抗」になるのだろうか?

「お高いですもん」



♪今日のBGM=Avril Lavigne 『 Under My Skin 』



アヴリルの新譜(もうリリースしてからかなりたつが)、ようやく到着。

アメリカの中古CDショップで $8.99 也。
購入してから届くまで1か月近くかかるのが難点だが、安いにまさるものはなし。

改めて、アヴリルは、よか。

デビューアルバムが、あまりの出来の良さ、ピカイチだったので、おぢさんは少々心配していたのだけれど、二作目のジンクスはあっさり跳び越えた。


一作目より、少し大人になっている。
「今の自分も手に余る。なのに、顔が、姿が、勝手に大人びていく。止めたい、でも、止まらない」
あの頃の、あの違和感、焦燥感を思い出す。

多くの10代が、10代の哀しみを抱いたままに20代へと足を踏み入れる。
彼女はまだその一歩手前だろうか。





さぼりにさぼり切っていたので、気分転換に表紙のネコ助写真を刷新。
新たに導入した Sony のデジカメ DSC-U40 で撮った記念すべきphoto。

Yahooオークションで落札したこのデジカメ、
ネコ助のデカい顔にずずいと近寄っても、そのまま写るので、ごく満足。

これまで撮っていた携帯のカメラは、シャッターを押すとでっかい音がする。
この音、見事に無粋、かつ、消すことができない。

たぶん、女子高生のスカートの中なぞ(そんなもん見て何が楽しいのだ!)
を写す不届きなヤカラがいるから、強制的に音を出すようにしてあるのだろう。

シャッター音は「しゃらりん」と優しげな音に変えることはできるのだが、
優しげな音になっても、機能が機能ゆえにやたらとデカい。

ネコ助はこの音が嫌い。
携帯を持ってかまえると、実にイヤぁ~な顔をして居場所を変える。
新入りのデジカメはそんな無粋な音は出さない。
被写体を静かにすっと撮り納める。実によかぁ。

しかし、よからぬことに使うには、ごくごく便利な超小型。
携帯だけにデカい音を出させても、問題はなんも解決せんだろうに。
変なの。

だがだが、ネコ助は、今まで以上ににじり寄る同居人が煩わしいらしく、
新参デジカメを手にすると、そそくさと消え去る。

悔しかぁっ!!


いい天気。稲もすくすく。


ほうじ茶ソフト。うまい。


「新聞紙は涼しかよ」


「なんか来んかなぁ」







番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”←写真2枚追加。


♪今日のBGM=Free 『 Song of Yesterday - Disc4 』





いやはや、あっさりツユはあけ、暑い暑い。


「寝るが一番。すやすや」


沖縄よりずっと暑いというのはまいるな。
戻って2日間ほど茫然自失。身体というより、脳みそが疲弊した。

編集に入ると、短い時間でとっとと考えなければならない場面によく出くわす。
ぼくは、例えばパソコンの前で、ボ~。。。としているときに、

「あ、これはいいかもしれないかもぉ・・・」

と、ふと頭に浮かぶ方。
作業が進行しながら考えるというのは不得手なのだ、本当は。
しかし、現場ではそうも言っていられない。
誰よりも中味が分かっているような顔をしつつ、

「これとこれを合わせてこうしたらああなるからこうつながって
いい具合になるんでないの」

てなことを、ホントにそうなるか想像しつつ、確証無きまま口にせねばならぬ。
脳みそがバテる。

脳みそがバテるとアタマの中が痺れ出し、徐々に脳みそのシワが無くなり、
つるりん、4つ玉ビリヤードの白玉のようになっていくのがわかる。
神経伝達物質がシナプス間隙を跳び越えなくなり、脳の反応が遅くなる。
口が開かなくなり、言葉がめっきり少なくなっていく。

その状態は、外から見れば、思慮にふけっているように見せるかもしれない。
が、本人は、あぁもうダメかもぉ・・・ぎりぎり、on the Edge なのだ。

仕事は、その繰り返し。

「オレが一番分かってる」
「なにが起こっても大丈夫、関係ねぇよ」
「言いたいヤツには言わせとけ」

本当にそう思えていればいいのだが、そんなことはごくごく希で、
こうした営業用の顔と脳みそを維持するのは辛い。

たまに、脳みそがぐうの音も出ないほどにうちのめされることがある。
そんなときは、ただごろごろするしかない。


「そうそう、ダレ~ん」





今回の疲労は、「ぐう」くらいは言えるのだが、
疲労した脳みそは、そのままスランプ状態へ。
3日間の休養を要す、との診断がくだる(くだしたのはぼくだけど)。

で、ひたすらごろごろ。

きのうの月曜日。
朝、7時前にテレビをON。
そのまま、フトンに入る直前の午後11時30分まで、つけっぱなし。
そして、その前にごろりと横たわり、ずっと画面を見つめてみた。


◆結論その1--テレビを目を凝らして見続けると、違う世界のヒトになる。


目玉は画面に向けられている。
なにかの拍子で、ときに、ふっとわれにかえる。
なにも考えていない自分に気づく。

ふと気づくまでの空白の時間、ぼくはどこにいたのだろう?
眠っていたわけではない。でも、脳みそは停止していた。
その間、ぼくは死んでいたも同然。

別の世界へと足を踏み入れていた。
そのまま戻って来れないこともあるかもしれない。

テレビを見ている間、きっと、ヒトは何度も死んでいる。


CMを見る。カットがいくつもいくつも積まれている。
15秒のCMに20も30も細切れカットがつながっている。
カットが30あれば、ひとつのカットは0.5秒平均。
すごい速さで、しゅぱしゅぱしゅぱ、切り替わる。

この切り替えの早さに脳みそはついて行けない。
だから、ついて行かない。
だから一層、空白の時間ばかりが積み重なって増えていく。





ワイドショーは、推測憶測ほとんどでっち上げのこねくり回し。
ことさら異常性を誇張するも、そこはかとなくウソ臭さが画面に漂う。
これは、どう見ればいいのだろう。
気の毒だったり、許し難かったり、怒りに震えたり、
そんな反応をしつつ見るのが、理にかなった見方なのだろう。

だがしかし、あかん。
根が疑い深いものだから、素直に感動感激なみだちょちょ切ることができん。


情報番組は、なぜこんなにやかましいのだ?
そういう時間帯なのだ、だからそういう作りをしているのだ。
そう言われればそれまでだけど。

この時間帯、視聴者は“音”でテレビを“見る”という。
耳だけに注意を払わせて、目玉と体は本を読んだり、家事をしたり。
興味深い“音”のときだけ、視聴者は画面を見るのだ。

確かに。
目を凝らしてじっくり見るのは、ちょっと辛い。


そんなこんなで朝から昼をまわり、おやつの時間を経て夕方まで行くと、
脳みそが、ますます疲弊していくのがよくわかる。


◆結論その2--テレビでは、疲れた脳みそを癒すことは叶わない。


少し癒されたのは、夜に入っての『水戸黄門』。
これは、なにも考えなくとも、置いてけぼりになることはない。
印籠登場のそのときに、意識が画面へと戻れば、それでまぁるくおさまるのだ。


16時間と30分、テレビを見続けて、夜はさっぱり眠れなかった。

かくて、脳みその疲労は、今日に持ち越しとなったのだった。


「ぐにんと伸びて寝んからよん」



きのう(6日)の午後4時、那覇空港へ。
着いたとたんにかみなりが鳴り出し、どしゃぶりに。
タクシーを降りて、ビルに入るまでのわずか5秒程の間に、
ゴロゴロバックがびしょぬれ。南国の雨はコワい。

警備室で「GUEST」の札をもらい、編集室へ。
そのままお仕事突入。

今回は30分番組。CMなどを除いた正味時間は24分45秒。
ディレクター嬢自らつないだ粗編は倍以上の長さ。
このくらいたっぷり素材があった方がいい。
これからシェイプアップしてスリムにしていけば、楽しい番組になると思う。

と、思いつつ、初日のお仕事終了は午前3時近く。
それからホテルにチェックイン。
部屋でうだうだしていたら、あっと言う間に5時になってしまった。
あわててベッドへもぐりこむ。





7日。たなばた。

朝、6時に目がさめる。
「5時に寝たのに、なんでじゃぁ!」と思うのだが、習性なのか、年齢なのか。
8時頃、朝食をとり、ベッドに寝転んでいたら、そのまま12時まで寝込む。

時間に気づき、あわてて起きて、ホテルを飛び出す。
沖縄に来ると昼夜逆転してしまう。あぁ、ねむい・・・・・。

むっとする空気。じりじり太陽。
きのうとうってかわっていい天気。

「あぁ、海が見たい」と思いつつ、仕事先へ。
今回も“ナマ海”を見ることは叶わぬかな。

♪BGM=Cecilio & Kapono 『 Elua 』





朝から太陽さん、大元気。
天気予報を見ていたら、沖縄よりこっちの方がずっと気温が高い。
ちょっと変じゃないのかぁ?

着替えその他は、きのう、ホテルへ送ったので、きょう、持っていくのは、

・タオル&Tシャツ(汗をかいちゃノドに来る体質なので不可欠)、

・ジージャン(冷房びんびんの編集室にこもるので不可欠)、

・ノートパソコン(忘れると仕事にならない。もちろん不可欠)、

・ひげ剃り器(家にいるときは剃らないけど人前に出るので。めんどい)、

・カサ(きのうまではどしゃぶりだったそう。降りませんように)、

そして、資料。
これらをころころバッグに入れて、準備完了。
チケットは予約済み。空港のカウンターで受け取ればよし。
お金は、適度にあればよし。

あとは飛行機が落ちないことを祈るだけ。

しかし、暑いっ!
家を出るまでごろごろしようと思ってたのに、
じっとしているだけで汗がじんわり。
ネコ助はひんやりボードの上で、ぴったり腹ばい。


「気持ちよか~」



こんなにあぢぢの地域から、より南の島へ。

あぁ、木陰でビール、飲みたいなぁ。

♪今日のBGM=Cowboy 『 Reach For The Sky 』





飛行機にするか、はたまた新幹線にするか?
7月4日、名古屋日帰り。交通手段をしばし悩んだ。

わが家から飛行場まで地下鉄乗り換えなどを含めて小1時間。
飛行機はギリギリに駆け込むことはできないから、
空港には少し早めに着いておかねばならない。
そして、名古屋空港から名古屋の街の中心までは、
バスで30分ほどかかるらしい。

新幹線は乗り換え1回。
ホームを移動するだけだから、その時間は2分ほど。
名古屋駅に着くから、仕事先へ行くのもラク。

自宅から名古屋駅まで、肝心の所要時間は、飛行機は3時間半ほど。
新幹線は4時間ちょい。30分くらいしか変わらない。

となると乗り換えも少なく、
ということは荷物をかかえての移動も少ない新幹線に決定!

新幹線は久しぶり。
東京から引っ越すときに乗って以来だから、10数年ぶりだ。
楽しみ、わくわく。





行きは、アヒルのような顔をした新幹線。
帰りは、ロケットの先端風な新幹線で、どちらも快適。

名古屋まで3時間くらいしかかからない。

「ただいま、300キロで走行中です」

という車掌さんのアナウンスが。飛行機みたい。

3時間のうち、2時間くらいはうとうと眠っていたし、
残りの時間は駅弁を食べつつ、景色を眺めてぼんやりのんびり。
飛行機みたいにあわただしくないのがいい。





昨夜は、午前0時過ぎに帰宅。

名古屋は、やっぱり暑かった。
熱い空気がねっとり肌にからみつく、そんな感じ。
だからだろうか、若い女性の肌の露出度が高い。

その印象を以前、沖縄の局にいて、今は名古屋にいる女性にしたら、
名古屋の若い女性たちは、沖縄以上に肌を見せる傾向にあるんだそうな。

名古屋は今、日本で最も景気のいい街らしい。
その元気さが、女性のファッションにも表われるのか。
名古屋は若い女性をターゲットとした新製品その他のマーケティング調査もよく行なわれているとか。

「どうよ!」と肌を露出できるのも若いうちしかないからいいけれど、

「あんた、上着が小さいんじゃない? おなかがはみ出してるぞ」

思わずそう言いたくなるような格好はやめた方がいいと思う。
おへそがちらりと見えるかわいい姿をしているつもりなのだろうけど、
露出するなら、見られてもいいようにシェイプアップもした方がいいのでは?

よけいなお世話か。





名古屋市の中心街・栄の大通りでは、
参院選の候補を乗せた御輿が練り歩いていた。
御輿のあとからは選挙カーが、
候補者の名前を大声で連呼しながらついて行く。

御輿の上から笑顔いっぱい、手を振る候補者。
歓声を上げ、拍手をする、練り歩く支援者。

あぁ、一層暑さがつのる・・・・。





きしめん、味噌カツ、ひつまぶし、エビフライ、ういろう・・・・・。
名古屋名物いろいろあれど、なにも食することできず。


「しゃちほこ、うまいらしいで」


学生時代や会社勤めのころにウロウロしたあたりも訪ねてみたかったけど、
どこにも行けず。
仕事での日帰りだから仕方ないけど、ちょっと残念。

夏の夜、野宿した公園。
今もそのままにあるのだろうか。





♪BGM=The Cars 『 Heartbeat City 』


あしたは午後2時の飛行機で那覇へ。

もうすっかり梅雨があけて、太陽ぎらぎら、海辺が呼んでる!
という感じなのだろうけど、海に触れることはまたまたできないだろうなぁ。

国際通りに面しているホテルに宿泊しながら、
いまだ一度も国際通りを歩いたことがない。
国際通りを歩いたのは、今からもう四半世紀前の学生時代が最後。
あぁ、どのように変わっているのやら。

番組は、沖縄ソバを作るおばあのお話。
「ソバ」とは言えど沖縄ソバは、そば粉がチラとも入っていない。

そば粉が入っていない麺を「ソバ」と呼んではいけないという決まりがある(らしい)。
だが、沖縄ソバは、その歴史と定着度を鑑み、「ソバ」と名乗っていい(らしい)。

ぼくは麺類が大好きなので、毎日沖縄ソバでもOKだ。
だが、時間がおしてくると、てんや物が多くなる。
沖縄に行って、しょうが焼き定食というのもなんだから、
せめて、ゴーヤチャンブルー定食にしようかな。


番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”


朝から太陽ぎらぎら。ツユはどこへ行ってしまったんだろう?
雨が降らないままに夏になると、水不足が気にかかる。
しかし、洗濯物はよく乾く。

10時過ぎ、ネコ助を予防接種に連れて行く。
運搬用のカゴに入れると、ネコ助はおろおろ、落ち着かない。


「なんか、やば・・」


うずくまるとカゴいっぱいに。
こんなにちっこかったのに。


「えへ」


近くの動物病院へ。

診察室からきゃんきゃん鳴き声が。
その声を耳に入ったのか、カゴのネコ助、ぼくのひざの上でごそごそ。
カゴの網目から覗くと・・・・・・、


「なんだ?」


中年の女性がカウンターで、

--あの、フィラリアのお薬、ください。

--6月分は、飲ませましたか?

--はい、ちゃんと。

へぇ、毎月、薬を飲ませてやってるんだぁ。
気遣ってあげてるのね。

--じゃ、これ、7月分のお薬ですね。1万1、000円になります。

高!!
フィラリアの薬だけで、1年間に13万円以上。
愛犬の健康を気遣う飼い主も大変だ。
ネコ助の予防接種は年に1回。なんとなく、ほっ。

きゃんきゃん鳴き声の主が診察室から出てきた。
ゴールデンリトリーバーの仔犬。
こわかったのか、ぼくの顔を見て、わんきゃん、訴える。
飼い主らしきおじさんが、おいおいこらこら。

おじさんは「パピーウォーカーの手引き」というファイルを手にしてる。
この仔犬、盲導犬のたまごなんだ。
こんな、ぼくとつな顔をした仔犬が、人の目となる盲導犬に育つのか。
まん丸目玉で長い舌をべろんとたらし、横座りをしているこいつが。

人の役に立つ一生がこいつにとって幸せなのかはわからないけれど、がんばれや。


つつがなく予防接種を終える。
ネコ助は内弁慶で、診察台の上では先生のなすがまま。楽だ。
先代は怒りんぼで、注射の針が刺さったとたん、
「ジャァッ!!」っと体を振り回し、注射器をふっとばした。

待合室でカゴを覗いたら、目が合った。


「うらむで・・・」





うらみ骨髄のネコ助を家に置いて、参院選の投票へ。
11日の投票日、自宅にいない可能性があるので、期日前投票をしようという寸法。

市役所の脇に設けてある期日前投票所で、並ぶ候補者たちの名前を見てしばし考える。
誰も知らない。その訴える政策も皆目わからない。
しかし、小泉さんに賛成する票を投じるつもりはない。
ぼくが投票する候補者がたとえ当選しなくとも、
今の政治の流れに反対するぼくの意思を示す一票だ。

投票を終えて外に出ると、太陽はますますじりじり。
30度を軽く超えているに違いない。


雲は、もう夏。


お次は、分別ゴミを捨てるため、市のごみ収集所へ。

収集所の前の道路は、家庭のゴミを持ってきた車でいっぱい。
警備員が数人出て、交通整理をしている。
市民の省資源、リサイクルに対する意識が高まってきている。
それだけ、回収に経費がかかるという矛盾をどうするか?
市政がかかえる大きな問題だ。


プリンタのインクが切れたので、大手家電店へ。
キーボードで「さぼてんの花」なぞを弾きつつ遊んでいたら、
そばのCDプレイヤーから、どこか懐かしいギターの音色が。

「 Cause We've Ended As Lovers 」

おぉ、ジェフ・ベック! 『 Blow By Blow 』におさめられた名曲。
思わずボリュームをあげ、堪能。やっぱよかぁぁぁ。

しかし、こんな辺鄙な店で、なぜにかような曲が客寄せにかかっているのか?
こんな曲で足を止めるのは、けっこうなロックおやぢに違いない。
あ、だからワシはひっかかったのか。


家電店をあとにして、大型スーパーマーケットへ。
あまりに暑くて、ついふらふらと、ソフトクリーム。


抹茶味。うまい。


食料品を買い込んで、ようやく家路へ。

家に戻ると、ネコ助がぼくのジーパンでつめをとぐ。
これが最近の、お帰りのあいさつ。


「お帰りぃ」





あちこちで道草食ったから、あらあら、もう2時を過ぎている。

あした、名古屋日帰りの準備をせねば。
でも、4時までは休憩だ。
途中で見るのを中断していた『ハリ・ポタ』一作目、
頭にかぶせられた帽子が寮を選ぶあたりから再開。

ハリーとロンは覚えていたけど、女の子の名前を忘れてしまっていた。
ハーモニカ・・・・ハーモナイズ・・・・う~ん、違うなぁ。

おっと、ネコ助は?


「あぢ・・・」




今日のBGM=Bruce Springsteen 『 Greetings From Asbury Park, N.J.』




午前中、ばたばたとラフ構成をあげ、FAXとメールで送る。
「ほんとにラフですみませ~ん」と思いつつ、車で都会へ。
買い物、病院、その他、用事を済ます。

さっき帰ってきて、ほっとひと息。
巡業の準備もせねば。

日曜日は、名古屋日帰り。
火曜日から、たぶん週いっぱいは沖縄へ。

出先で仕事をするのは全然苦にはならないのだけど、
その間、他の仕事が滞る。

滞るということは、仕事があるということで、
フリーの身にとっては、とてもありがたいこと。
しかし、ひとつの番組に没頭できないもどかしさがある。
他の仕事を後回しにせざるを得ないうしろめたさも。

他の仕事も、旅先でやればいいことなのだ。
仕事をたくさん抱えている人は、
乗り物の中や旅先のホテルできちっとやっている。
それでこそプロ。

ぼくは、それがいまだにできない。
この仕事を始めて15年目。
会社で言えば、もう中堅、主力どころだ。
しかし、頭がマルチで働かない。

ホテルの部屋でやろうと、
他の仕事の資料を持っていくこともあるけれど、
それを開いたことはほとんどない。
資料が身近にある。その安心感を得るだけだ。

まぁ、編集に入ると他の仕事どころじゃない。
それが現実なのだけれど。

テレビは放送日時がきっちり決まっている。
変更は不可。
会心の出来だろうが、心残りが多々あろうが、
その時間が来たら、流される。

「もうちょっと、もうちょっと待ってよぉ・・・・・」

そう思うことのないように、
納品までの限られた時間の中で、
あ~だこ~だと、みんなで智恵をひねることになる。

その間、かえりみられない他の仕事、
少し先回りして、今のうちにやっておこう!

しかし・・・・・・今日はやめとこ。
バテたもん。

フロでも入って、ゆっくりしよ。





あっ!
FAXでラフ構成が返ってきてるっ!

お仕事、再開じゃぁ。


「働かんかい」



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

♪今日のBGM=Linda Ronstadt 『 Simple Dreams 』





夜も1時をまわり、窓の外から聞こえるのは虫の声だけ。

りりりりり・・・・・・りーりーりーりー・・・・・・りりりりり

虫が鳴くのは、秋口からだと思っていたことがあった。
でも、実際は、梅雨のうちからこんなに鳴いている。
秋の虫の音が心にしみるのは、聴く方の心の持ちようによるんだろう。

子供の頃、炭坑街の石炭列車が通る線路の脇に住んでいた。
今ごろの季節、夜になると、虫の鳴く声が聞こえてきた。
子供が起きている時間だから、今日のように深夜ということはない。
きっと、10時かそのくらい。

なんで今ごろ鳴いてるのかなぁ?

そんなことを思いながら、眠りについていた。

あるとき、ぎーぎーぎぃ、という、妙な鳴き声が聞こえた。
線路の脇の土手のあたり。
まだ眠たくなかったぼくは、そろり、家を抜け出し、鳴き声のする方へ。
斜めになった土手に生えている草、その根元あたりで、
ぎーぎーぎぃ、ぼくが近づいてもまだ鳴いている。

と、ふっと鳴きやんだ。

えやっ!

ぼくは、声がしていたあたりの土にがばと両手をふせた。
なにかが手のひらの下で動いている。

やた!

獲物を右手につかんでぼくは、明かりの灯った電信柱の下へ駆けていった。
そして握った手を開くと、そこにはツメをかざした、
小さな、でも奇妙で不気味な姿をした虫がいた。
思わずぼくはそいつを電信柱へ投げつけた。

そいつは、ぽとんと地面に落ちると、しばらく動かなかった。
しばらく動かなかったけど、ぼくが遠目に見ているうちに、
かさかさ、どこかへ去っていった。

今のは、おけらかな?

まだ少しどきどきしながら、ぼくは思った。
おけらが鳴く。そんな話を聞いたことがあったから。

家に戻ったぼくは、寝床で少し後悔していた。
おけららしき虫を放り出したこと。
あれがコオロギやスズムシだったら、そのまま持って帰ってきただろう。

おけらが奇妙な格好だったから、ぼくは放り出したのかな。
せっかく鳴いていたのに。悪いこと、したな。

なかなか寝つけなかった。
窓の外からは、虫の声が聞こえていた。
そこには、もう、ぎーぎーぎぃ、という声はなかったけ。




「虫? うまいよ」





同じようなことを、はたち過ぎてからもやってしまった。

初めて夏の沖縄に行ったとき。
竹富島で、夜、知り合った連中2、3人と散歩をしていた。
外灯はなかったけれど、月明かりで歩く道はほんのり見えた。

その道の脇で、ふーっふーっ、と光るものがいる。

あ、ほたるだ!

ぼくは、そいつをつかまえた。
そいつは、予想していたよりも大きく、ぐにゃり、した。

ん?

目を凝らして、ぼくの手に乗るそいつをみんなして見た。
いもむしみたいに、ねじねじしていた。

わぁ!

ぼくは、そいつを草むらへ投げ捨てた。
わぁ、と言ったのは、連れの連中だったけど。

泊まっていた民宿に帰り、宿のお兄さんにその話をすると、

それは、地ぼたるやな。

地ぼたる? そんなものがいようとは思わなかった。
でも、子供の頃と同じように、後悔した。
あいつがほたるだったら、ぼくはそっと離しただろう、と。



番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

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