番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


楽天さんもよかれと思って“バージョンアップ”してくれたんだろうけど、
文字が読みづらいのはなんとかならんかなぁ。





きのうは混雑していてまったくログインできなかったので、
けさ、ちょこちょこいじってみた。

たくさん用意していただいたページデザイン。
あれこれ試したけど、しっくりいかない。
デザインより何より、文字が小さくてうっとぉしいよ。

左に並ぶプロフィールなどを上にもって行けるのはいいけど、
その分、日記スペースが広くなり、かつ、文字も大きくなったりすればありがたいけど。
文字サイズは固定なのかしらん。

他の皆さんのページも拝見してみたけれど、ちっこく、薄い文字は読みづらいわぁ。
慣れなのかなぁ。

で、結局、デザインは元通り。
しばらくは、このままで行こうっと。





写真はちゃんと表示されるのかな?   あら、よっと。

「なんかね~かな」



「あぢいどぉ」



「なにさ」




ふむ、写真はこれまで通り、OKなのね。
よきかな、よきかな。





♪今日のBGM= Fleetwood Mac 『 The Dance 』


昼下がり。高校時代の同級生からTEL。
家庭の用事などもあり、早めの夏休みをとって帰省しているという。
一家そろってではなく、大学生の長男とふたり。

--ほぉ、よ~、長男坊が親父の言うことを聞いたなぁ。

電話口でそう言ったら、「いやぁ」と、まんざらでもない声が返ってきた。

この友人とは高校、そして大学、さらには学部も同じ。
学生時代の下宿は歩いて10数分という、腐れ縁を絵に描いたような付き合いだ。

そヤツはぼくに輪をかけて授業なぞには出ず、
4年のときには金がもったいないと下宿を引き払い、実家に戻った変わり者。
だから、大学4年時、そヤツの連絡先はぼくの下宿になっていて、
学部から呼び出しをくらい、ぼくは身代わりに学生課へ行ったこともある。

前期と後期の試験だけ、飛行機に乗って受けに来て、
それで卒業できたのだから、いい学校だった。

そヤツの逸話は山のようにある。

160センチ前後の小柄な体は全身バネのよう。
走り高跳びでは、自分より高い175センチを跳んだ。全校一だった。

--なんで、お前、そげん跳ぶんか?

そう言った体育の教師が職員室で話したのだろう、
廊下で出会う教師たちはみな異口同音に、

--お前、175、跳んだんやて? すげぇなぁ。

と驚いた。

とにかくその跳躍は常識はずれで、頭より足の方が高くあがる。
頭を下に、足を上に、一本の棒のように固まって跳んでいく。
バーを落とすのも足ではなく、頭。
「ガツン」と頭でバーをひっかけ、空中で「いてぇ」と頭に手をやる。
それだけの時間の余裕もある跳躍なのだった。

ぼくらは、冬は毎日、サッカーをやっていた。
そヤツはなぜかいつもハダシ。
真冬に素足で皮のサッカーボールを蹴りまくる。
蹴られたボールの威力がまた尋常でなく、誰もパスさえ受けたがらない。
そヤツのそんなシュートを、ゴールキーパーをやっていたぼくは顔面で受けたことがある。

頭がなくなったかと思った衝撃の一瞬からふっと自分に気づいても、
顔面の感覚はもどらぬまま。触っても、痛くもなんともない。
鏡を見たら、サッカーボールの五角形の皮のあとが、顔面全体にくっきり、ついていた。

そんなそヤツは、大学卒業時、某一流企業に就職が決まっていた。
しかし、「ふるさとに戻って公務員になってくれ」という、
両親のたっての願いで留年の道を選んだ。

そして、翌年、そヤツは某テレビ局に就職した。
大学5年目のその意味が、ぼくには分からなかった。

そヤツは、番組制作に魅力を感じてテレビ局を志望したわけではなかった。
その証拠には、最終面接の時、そヤツは面接官にこう言った。

--会社に入ったら、ぼくは経理をやりたいんです。

面接官は面食らう。
テレビ局には番組作りをしたい人間がくるハズだ。

--経理だったら、テレビ局じゃなくて普通の会社でも同じでしょ?

--同じじゃありません。ぼくは“テレビ局の経理”がやりたいんです!

そヤツは願った通り、テレビ局の経理部員となった。

わけ、わからん・・・・。

まだまだ信じられないような話はあるが、
とにかく、そヤツはぼくらの常識とは違う世界を生きていた。

そんなそヤツが、働き始めてしばらくたったある夜遅く、酔って電話をかけてきた。

--出世だけが人生やないよなぁ、そうやろ?

ぼくは耳を疑った。
他の誰がこう言っても驚かない。
しかし、この言葉に一番遠いヤツ、それがそヤツだったはずなのだ。

そヤツは電話口でグダを巻き、静かになったら誰かが電話をかわった。
奥さんだった。

--いろいろあるらしくて・・・。ときどき、話を聞いてやってください。

返事のしようがなかった。
ぼくは奥さんと結婚式の時にちらりと顔を合わせただけ。
相手はぼくの顔も覚えていないだろう。

電話を切って、ぼくは混乱した。
常識とはかけ離れたところで生きていたそヤツ。
そんなそヤツは、ぼくらの、言ってみれば「憧れ」だった。

そんなそヤツに、そんな言葉を吐かせた世間とはなんなのか?
社会生活を営む、社会の一員になるということは、フツーになっていくことなのか?

その夜、電話を切って、ぼくは泣いた。少しだけ。
そして、ほんのちょっと落胆した。
それは、そヤツには失礼極まりないことだとはわかっていたけれど。
そして、それは自分自身に対する自信のなさのあらわれだともわかっていたけれど。


ぼくが二本の腕を使っても勝てなかった腕相撲。

50キロのバーベルを片手でひょいとあげる底なしの力。

電信柱のカゲで拾った「青い色しか出ないカラーテレビ」を
学生時代、ずっと見続けたその色彩感覚。

風疹にかかったと飛行機で帰省し、実家近くの病院へ行き、
その足で草野球にいそしんだ、その行動力とその根性。

渡辺和博氏のエッセイ『金魂巻』を読んで、
「こんな不真面目な、面白くない本が、なぜ売れるんだ!」
と真剣に怒っていたそのセンス。

そヤツがそヤツであり得たころのそヤツの姿は、
会社の一員として、社会に貢献していく中で、少しずつ消えていった。

それは、あたり前のことなんだ。
それが、生活するということなんだ。

でも、社会に出て四半世紀経っても、それがいまだわからない。



--兄さんのような人には、社会を生き抜く力がないんですよ!

『男はつらいよ』で、博は義理の兄をこう評した。

そう、そんな生き方が夢だった時代が確かにあった。



そヤツの長男は、今、T大法学部の2年生だという。
賢いところはそヤツの血を引いたのだろう。
しかし、きちんとした、真面目ないい子らしい。
そして、何より、常識人。

トンビが鷹を生んだのか・・・・。

ぼくは、破天荒なトンビが大好きだった。




番組構成師の部屋


“ネコ助-Aoi's Room”

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