番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


♪BGM= Peter Green's Fleetwood Mac 『 Live At The BBC 』





きょうは、自宅で仕事の打合せ。
自宅に相手先の人が来て、仕事の話をしたのはこれが初めてだ。

仕事の話に関しては、ぼくは100%、自分が出向くようにしている。
毎日、自宅で仕事をしているその上に、打合せに人がやってくるようになったら、
そのけじめのつかなさは目も当てられない。
仕事は、自分の部屋に存在しているヤツだけで十分だ。

それがどこでどうなったのか忘れたが、相手がわが家へ打合せにおいでになることに。

--午後3時ころに参ります。

朝から全然落ち着かない。仕事が手につかん。
オリンピックでも見ようとテレビの前に寝ころんでも、画面に集中できん。

あぁ、自分の小心さを再確認。

3時が近づく。ハラハラどきどき。
が、しかし、3時を過ぎてもお見えにならない。

その方、ぼくの家に来られるのはもちろん初めて。住所しかご存じない。
車の通りも少ない田舎でこの炎天下、迷子になると大変である。

どこかで行き倒れになっとるんじゃなかろうか?
あぁ、余計な心配が胸に湧き起こる。

3時半近く、菓子折持って、おいでになった。
それからおよそ2時間ほど、話をして、夕方、お帰りに。

あぁ、脳みそがしびれるほどに疲れたぁぁぁ。
しかし、打ち合わせたハズのこと、ほとんど記憶に残ってないんだけど。

こら、アカン。
アタマになんにも残らないんじゃ、時間のムダ。
それよりなにより、自宅で打合せをするたびに、こんなにどぎまぎするんじゃ、心臓が持たん。

次回は、ぼくが相手側へおじゃまをすることに。

あぁ、よかったぁ。
やっぱり、自分が出かけていった方が1000%以上ラクである。






「お、アイス!」


「く・・・くれくれ」






♪BGM= Peter Green's Fleetwood Mac 『 Live At The Marquee 』






きょうは、敗戦の日。

今年は59回目。来年で60年。
区切りがいいので、来年、戦争特番を作ろうと考えている番組制作者はきっと多いだろう。

敗戦から60年。その区切りの年に作る番組のテーマをなににするのか?
戦争当時の話にするのか、戦後60年間の流れの中からテーマを探すのか。
あ~だこ~だと、頭を痛めているに違いない。

ドキュメンタリー番組を作るときに必ず言われるのが、「なぜ、今、この番組を作るのか?」ということ。
「面白そうだから」という答えは通らない。

ぼくはそれでいいんじゃないかと思うのだけど、ダメ。「なぜ、今?」は常に問われる。

敗戦から60年の特別番組は、その「なぜ、今?」をイラク戦争と自衛隊の派兵にからめて作る局が多いに違いない。

戦後60年経たないうちに、ぼくらはまたも戦争当事国になった。
ひとりひとりが戦争当事者になったのだ。
しかし、イラクの戦争を、遠い彼方で行われているドンパチだとしかとらえていない人は数多い。


「日本は59年間、戦争をすることなく発展してきた」旨の文章をなにかで読んだ。

それは間違っている。

国民が戦闘に直接参加することは、確かになかった。
しかし、日本の企業が開発し、製作したミサイルなどの兵器は、世界の戦場で使用されている。
兵器産業は、ぼくらの裕福さの一端を担ってきた。

戦後59年間、戦争を“すること”はなかった。戦争を“させてきた”のだ。

そして、去年、ぼくらは戦争当事国となった。
対峙する勢力の片方に国として兵を投入したぼくらは、その時点で戦争に参加した。
世界の多くの国の人々は、日本がイラクの戦争に参戦したと考えている。
当事国の日本に暮らすぼくたちだけが、それを自覚していない。

自分の代わりに、誰かがあの戦場に立っている。
そのことに気づかないぼくらは、自分が参加している戦争を安全な場所から、他人事のように見やっているだけなのだ。


ぼくらが新たにかかえた“戦争責任”。
それを番組の中でどのように問うのか? どう表現すれば、見ている人の心へと届くのか?

難しい。

でも、ぼくもそうした番組の制作に参加したいと願っている。

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