番組構成師 [ izumatsu ] の部屋





*ロケ6日目 10月16日(土)



朝から快晴。朝日に照らされ、波うちぎわに落ちるヤシの影もくっきりだ。

午前中の便で、泉谷さんとマネージャ氏は成田目指して帰国。到着は午後8時過ぎ。スタッフ一同、空港で見送り。

--おもしろい番組にしねぇと、承知しねぇぞ!

と笑いつつ、泉谷さんは機上の人へ。きょうは撮影がないので、ほんとに久しぶりに午前様にならずにすむとお喜びのご様子。でも、翌日は朝から仕事がギッシリだとか。




見送りのあと、ぼくらは大規模農園を営む日系二世の方の取材へ。
目指すは島の中部に近いラフォア市。まっすぐ伸びる道を走るロケ車は、泉谷さんたちが抜けてずいぶん寂しくなった。



一路、北へ向かう。




9人乗りの車内はガラン。



カメラマンのH君も、ディレクターのT氏も、緊張から解放されたかのようにグースカ。もちろん、ぼくも。起きているのは、運転も担当するコーディネイターのY氏のみ。

大変だなぁ~、すみません・・・・・ZZZZZ・・・・






取材をさせていただくA氏のお宅には昼過ぎに到着。ちぃっこいチワワ君が出迎えてくれた。



「ん? あんたら、だれ?」



お話を聞く前にオレンジ畑を案内してもらう。人手が足りず、今は規模を縮小しているというが、それでも畑にはおよそ1万2,000本のオレンジが。この畑を息子さんとふたりで管理しているとか。

丹精のオレンジを「持っていきなさい」と収穫し始めたA氏。ありがたいなぁと思っていると、どんどんどんどんオレンジをちぎっていって止まらない。あの~、そんなに食べられませんけど・・・・・・。



ずーっと、ずーっと、オレンジの木。




オレンジ収穫中のA氏に迫るH君。




収穫したオレンジ。うまい!



お話は、今、収穫最盛期のカボチャ畑でうかがうことになり、A氏が運転する車で先導してもらう。5、6分走ると、視界がパーッと広がる。そこがA氏ご自慢のカボチャ畑。まぁ、広いこと広いこと。ここ以外にも畑をもつA氏、すべて合わせた広さはおよそ800ヘクタールだとか。

800ヘクタールって??・・・・・・全然、想像がつかない。その想像を超えた広い畑をA氏は一代で築き上げた。



あきれるほど広い・・・・。




大きく育ったカボチャ。



収穫したカボチャの大半は日本に輸出する。A氏いわく、ニューカレドニアのカボチャは味がよく、日本では他の国のものより喜ばれているのだそうだ。

帰国して近くのスーパーに行ったら、確かに「ニューカレドニア産」と表示されたカボチャが販売されていた。知らない間にA氏が育てたカボチャをぼくも食べていたのかもしれない。



A氏と孫の男の子。



今年66歳になるA氏。父親は、ニッケル鉱山で働いた日本人移民の中でも最も遅くニューカレドニアにやってきた一団のひとりと考えられる。その父親は、他の日本人移民同様、戦争の勃発で強制収容され、日本へと送還された。

--日本人の子どもだといって、いじめられたよ。上の学校にも行けなかった。

淡々と体験を語るA氏。父親は鉱山で働いて貯めた資金を元に、商売をやっていた。また、3箇所にかなりな広さの農地も保有していたと言う。しかし、戦争で店も、農地も、すべて接収され、A氏とその母は路頭に迷うことになる。

農園に働き口を見つけたA氏は、必死に働いた。誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで畑の面倒をみた。そんなA氏の姿を見た雇い主は、「収穫高の何パーセントをA氏の取り分とする」という、有利な契約をしてくれた。

--お金を貯めて、オヤジの土地を買い戻そうと思ったんだよ。

しかし、日本国籍だったA氏に土地を買う権利はなかった。そのためA氏はフランス国籍を取得、父親が残し、戦争で接収された3箇所の農地のうち、2箇所を買い戻したという。

強制収容されたあと、父親は手紙をなんどもくれた。しかし、A氏は戦後、父親に会ってはいない。

--余裕が全くなかったからね。オヤジも日本で大変だったらしいし・・・・・。

A氏の父親は、ニューカレドニアの家族が自分を呼び戻してくれると思っていたらしい。そう思うのが当然かもしれない。店も、農地も残してきたのだから。

--財産を全部接収されたことを、オヤジは知らなかったんだよ。

日本語を解さないA氏。しかし、日本人の血が流れていることに、今は誇りを持っていると答えてくれた。



収穫中の畑におじゃま。




フォークリフトをクレーン代わりに撮影中。







とにかく広いA氏の農地。

--あの山からこっち、まぁ、見えるところはワシの土地だな。

その山には野生の鹿が住んでいる。A氏は時々、鹿撃ちを楽しむとか。

--近いうちに撃ちに行くつもりなんだ。撃ったら肉を届けてあげるよ。

そう言われ、「まるまる一頭、届けられたらどうしよう」と尻込みしていたコーディネイターのY氏。ぼくらが帰国する前日、約束どおり、鹿がY氏の自宅へ届けられた。一頭ではなく、太もも一本だったそうだけど。



どこまでが「わしの土地」?




軒先には“獲物”が・・・・。







A氏が撃ち、Y氏の自宅へ届けられた鹿の太もも。その一部が、帰国する当日の朝、Y氏の手で刺身となってぼくらの前にあらわれた。赤身の、きれいな肉。わさび醤油でいただくと・・・・・・あら、おいしっ! 野生だからだろうか、しつこくなく、馬刺しよりもさっぱりしている。

「いえ、私は・・・・・」と遠慮するディレクターのT氏を尻目に、カメラマンのH君とぼくとで全部食べてしまった。



Y氏お手製の「鹿刺し」。



太ももを見事な刺身にしたコーディネイターのY氏は、元漁師という面白い履歴の持ち主だ。南太平洋にマグロを追っていたという。

ぼくの勝手な推測だけど、そのマグロを水揚げするためにニューカレドニアに寄港。その際、既に島に住んでいた日本人の女性と知り合い、結婚。そのまま、ニューカレドニアの住人になったのではなかろうか。

--子どもを育てるのには、日本よりこっちの方がいいですからね。

と、Y氏。確かにすべてがゆったりゆっくり流れているように感じるこの島。昼休みには公園で食事をしたり、昼寝をしたり。ものの3分でソバを吸い込み飛び出していくサラリーマンといった姿は目にしかなった。子どもたちも時間に追われることなく、のびのびと育つことができるのかもしれない。

しかし、ゆったりしていてよさそうなこの島にはこの島なりに、
異邦人が生活するにはクリアしなければならないハードルがいくつもあるに違いない。忙しさに慣れているぼくらがこの島で生きていけるかどうか、ちょっと疑問。うらやましく思えるのも、やっぱり、「隣りの芝生」なのかも。






重い体験を淡々と話してくれたA氏。お宅を失礼するとき、愛犬のチワワ君も見送ってくれた。



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