番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


イラクで殺害された若者は、無言のままにふるさとへ戻ってきた。
むかえる両親と兄たち。憔悴した姿に、なんとも言いようがない・・・・・。

地元のニュースでは多少大きめな扱いだけれど、
全国レベルではやはりアメリカ大統領選挙と中越地震その後がメイン。
もう、彼は忘却の彼方へ押しやられてしまったのだろうか。
彼を救うために国は国としてなにをどうやったのか? 分からないままに。

悲しみに沈む若者の家族を市の職員がサポートしている。
それに対し「市は誰の許しを得て一家族に協力しているのか」という
クレームが入っているという。税金を勝手に使うなというのだ。
あまりのバカさ加減に言葉を失う。

同様な非難中傷疑問その他は、国にも多数寄せられた。
若者の行動を腹立たしく思う「常識人」なのだろう、そんな人も。
自分では“義憤”と思っているのかもしれない。

--浅薄な行動で自衛隊を危機にさらした若者。これこそ自己責任。
--そんな、放っておいていい人間を、それでも政府はできる限りのことをして救おうとした。
--政府は力の限りを尽くした。政府に責任はないのだ。

そんな論調で語る人も多い。

やっぱり間違っていると思う。

考えてみてもらいたい。
日本国籍を持つ人間を救うのは、国の義務なのだ。
どのような経緯で拘束されようとも、どのような人間であろうとも、
例えば拉致されたのが極悪人であろうとも、その人間が日本国籍をもつ限り、
あらゆる手段をつくして救おうとするのは国の責務だ。

だからこそ政治家にぼくらは国の舵取りをゆだねている。

国があって、ぼくらがあるのではない。ぼくらがいて、国がある。
「どんな手を尽くしても、自分を救って欲しい」
それは、拘束され、命を奪われる危険に陥った若者が当然主張すべき権利なのだ。

イラクに入った動機が観光であろうが、報道であろうが、人道支援であろうが、
その動機で救出活動の是非をはかることは間違っている。

動機と救出活動は同じ文脈で語ることはできないものなのだ。


小泉さんは出来る限りのことはやったと言うけれど、どうしてもそうは思えない。
「自衛隊は撤退しない」という彼の最初のひと言で、若者は切り捨てられたと同じだ。

自衛隊はその派遣予定期限が近づいている。
その後どうするのか? 国民の総意はまだひとつにまとまってはいない。
例えば、撤退の時期を取り引きの手段にはできなかったのか? 大いに疑問は残る。

「テロ組織とは取り引きしない」。小泉さんはそうも言った。
取り引きしないと明言すること。それ自体がテロ組織のプラスになることがわかっているのだろうか?
わかっていて、強弁しているのだろうけれど。

若者の拘束・殺害に関しては、実行した組織に非がある。それは当然だ。
その組織は、日本が高額の身代金を提示したが断ったと発表した。
これはたぶんウソだろう。金には左右されない、意思は強固だということを誇示しているに過ぎない。

しかし、それであっても、なんらかの方策、ぼくら国民にわかる手段を取ることができなかったのか?

若者は、きょう、司法解剖されたあと、荼毘にふされるという。

悔いばかりが残る。






アメリカ大統領選挙はブッシュさんの勝利で終わりを告げた。
しかし、あの大接戦で“勝利”を喜べるのだろうか?
アメリカの人たちが「テロとの闘い」を支持したと言い切れるのだろうか?

そう言い切るブッシュさんは希代の強弁家に違いない。

アメリカという国に対抗する勢力は、ブッシュさんの再選を臨んでいただろう。
強いアメリカを標榜するブッシュさんの政策の方が攻撃対象にすることが容易だ。
アメリカは自らをどんどん追い込んで、どうしようもない袋小路にはまり込んでいるような気がするのだが。

しかし、選挙の様子を見て、ある面、うらやましくも思うし、驚きもした。
あの、投票をしようと何時間も並ぶ人々。中には9時間、並んだ人もいたという。
自分の意思を表すために、たった一票を投じる。それがいかに尊いことか。
自由主義世界の基盤である投票という行為の意味をアメリカの人たちは自然と学んでいるのだろう。

日本で首相が直接選挙で選べるとなったらどうだろう。
小泉さんと岡田さんが立候補したとして、有権者は何時間も並んで投票するだろうか?

たぶん並ぶまい、今の“適度に中流、満遍なく平和”の国民事情では。
それを思うと、辛抱強く待つアメリカの人たちの心情がよくわかる。
きっと、抜き差しならない危機感があるのだろう。

しかし、その危機感・恐怖感は、“アメリカ合衆国”という国が、
先住民たちを駆逐し、アフリカ系市民を虐待し、貧富の差を拡大していく中で、
自分たちで作り出してきたものだろう。
ブッシュさんはその伝統をいっそう煽っているだけなのかもしれない。

接戦ではあったけど、結局、アメリカの人たちは立ち止まるチャンスを逃した。
ケリーさんが大統領になったところで、危機と恐怖を煽る政治が改まるとは思えない。
だが、リーダーをかえて臨む4年間は、立ち止まり、周囲を見回す絶好の機会だったことは間違いない。

その機会を失ったことが、大きなミスにならないことを願うし、
そのある意味“恐怖政治”にいつまでも盲従していくぼくらであってはならないと強く思う。

小泉さんもたまにはビシッとしたことを言って欲しいなぁ・・・・。

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