番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |
北国にお住まいの方には叱られてしまいそうだけど、きょうは寒いっ!

「この冬最大の寒気がやってくるので、九州でもぐっと気温が下がり、雪が積もるおそれも」、という天気予報があまりに的中。ぴったりすぎてハラが立つ。わがままおやぢである。

ストーブをつけず、コタツに入って仕事をしていると、窓に向いた背中がしんしんと冷えてくる。きのうよりセーター1枚多く着込んでいるのに、う~、たまらん。

腹ばいになり、コタツに腰までもぐり込む。あったかいけど、この姿勢では腰と首にヘルニアを持つ身は長持ちしない。あぁ、首が痛か。
で、15分程度のサイクルで、起きあがったり、寝ころんだり。あぁ、めんどい。

まぁ、資料を読んでいる間はいいけれど、デスクトップ相手に仕事をするには板張りの部屋に行かねばならん。冷えるんだなぁ、あそこ。
ストーブをつけるといいのだろうが、少しあったかくなると速効で居眠ってしまう。目をつぶって、あれこれ構想を練っているハズが、はたと気づくと時計が30分も進んでいる。あぁ、またやってしまった。気合いが足らないのであろうか? でも、眠い。

おっ、お昼のニュースで「これから積雪のおそれ」と言っておる。あら、なんと、もう県庁所在地では雪が舞っているではないか!
「あしたの朝までには10センチの程度の雪が積もる」とな。

そんな予報を聞いたら、う~、ますます寒くなってきた。
九州平野部で10センチも積もると交通その他の機能は停止してしまう。

あした、出かけられるかなぁ。






しかし、さびぃなぁ・・・・・ハタと気づいたら、横なぐりの雪!
あらら、本格的になっちゃった。

と、思っていたら、パーッと明るい陽差しでガラスがまぶしく光る。なんとも落ち着きのない天気。強い西風が雪を降らす雲を中国大陸から海を越えて次から次へと運んできているんだなぁ・・・なんて思っているうちに一面かき曇り、また雪が。だいじょうぶかな。

そう言えば、きのう、ネコ助のツメ研ぎ台を買いに行ったDIY店のレジ前には、タイヤチェーンが数種類並べてあったっけ。さすが商売、抜け目がないな。

学生時代、冬の北海道でレンタカーを運転していたら後輪が横滑りし、「あらら」と思う間もなく対向車線で横向きに。運良く止まってくれたけれど、いったん滑り出したら、コントロールは不可能なんだってこと、よっくわかった。

ちょっと楽しかったけど。








Climax Blues Band 『 Gold Plated 』


とけいそう。さんが書き込んでくれて、ふと聞きたくなった一枚。

『くらいまっくす・ぶるぅす・ばんど』という、
おどろおどろし気な名前ほどにはブルース臭くない。
ヒット曲は77年の「 Couldn't Get It Right 」くらいしかないけれど、
じっくり聞けるいい曲がたっくさん。

日本で『クライマックス』と言えば、やっぱり「花嫁」。
作曲した坂庭省悟さんが亡くなったのは、もうおととしかなぁ。
あな、さびし。



スポンサーサイト

PTSDに苦しむイラク戦争帰還兵の番組を見る。

21歳の元アメリカ兵。砲撃でバラバラになった民間人の死体を見て、自分のやっていることが正しいことかどうかわからなくなる。

任務で人の命を奪うことは許されるのか?
その問いを上官に伝えても取り上げてくれない。混乱し、持ち場を離れた彼を待っていたのは軍法会議。罪状は「おくびょう罪」。最高刑は「死刑」。

『ねこじるうどん』の「虫けら罪」を思い出した。猫のにゃー子とにゃっ太の姉弟がカマキリなどの虫たちに対し、裁判を行う。判決は全員「死刑」。その罪状が「虫けら罪」。虫は虫であること自体が罪なのだ。

穏やかな日常をおくれたはずの、普通の人たち。撃ち込まれた砲弾が彼らの命を奪う。残ったものは、引き裂かれ、飛び散った肉体。
その生々しい現場を目にし、「こんなことが許されるのか?」と自問する。それは人間として当然だろう。それが罪なら「虫けら罪」同様、人間は人間であるだけで罪を負うということだ。

PTSDは、記憶を整理する脳の“海馬”が、その機能を発揮できないことから起きるということがわかってきた。この21歳の元アメリカ兵の脳は、戦場となった街で目にした光景をきちんと整理し、過ぎ去ったこととして処理することを拒んでいる。戦争は、脳を分析する領域まで進んでしまった。

PTSDを専門に研究する軍の病院。そこでは、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の帰還兵たちが治療を受けている。帰国38年目にしてようやく治療を受ける気になったベトナム戦争の元兵士。彼の望みは、恐怖と混乱の中で過ぎ去った日々の一部分でも取り戻すこと。しかし、それは今のところ、とても難しい。

派兵されたアメリカ兵たちは、いずれ祖国へと帰る。あたたかいふるさと。家族や友人たちに囲まれた穏やかな日常へと戻る。だが、戦場の記憶から逃れることはできない。

ふるさとが戦場と化した人々。引き裂かれた肉体が飛び散る中にとどまるしかない彼らに、治療を受ける機会はない。

「PTSDの有効な治療法は、残念ながら未だ見つかっていない」

ベトナム戦争時代から研究を続けるアメリカ軍専門家の言葉。でも、唯一無二の予防法は誰もが知っている。“戦争をやめる” それだけだ。


人を殺したくはない。
それが罪なら、おくびょうで結構。人間のままでいたい。








きょうは、雲ひとつない冬の晴れ間。吹く風は冷たく、小春日和とはいかないが、車に乗っていると冬であることを忘れそうになるほどに陽差しが暖かい。

あしたからは九州でも雪が降るらしい。きのうの土曜日からあすの月曜日まで大分県の山あいでロケをしている。こちらが雪となれば山間部は確実に降るだろうなぁ。

雨ならなんとかなるのだが、空からひらひら舞う雪はなんともしようがない。山あいに降る雪。それはそれで絵になるけれど、番組で想定している季節とはちょっとズレがある。

俳優さんに「これまでで一番少ない」と驚かれたスタッフ陣。少人数で大変だろうな。天気が持ってくれるよう、祈ろう。



『 The Live: 40,000 Headmen Tour 』
Dave Mason & Jim Capaldi


ジム・キャパルディが亡くなった。享年60歳。死因は胃ガン。
突然の死に驚いたけれど、朝日新聞に掲載されたことにも驚いた。
大新聞が掲載するタイプのミュージシャンには思えない。
いかにも「英文を訳しました」というような紹介だったけど。

元トラフィックのドラマーは、歌えるし、いい曲も書く。
ソロでもアルバムを何枚も出しているけれど、
追悼は、デイブ・メイソンとの1998年のライブ盤で。
キャパルディの経済的困難をサポートするためのツアーだとか。
でも、とてもリラックスした、「仲良しおやぢ再会の巻」。

タイトルにもなった“40,000 Headmen ”。
トラフィックの 『 Welcome to the Canteen 』 でもやっている。
キャパルディが書いたんじゃなかったかな?

このアルバムを初めて聞いたとき、彼のボーカルが弱々しいなと思ったけれど、
このころから体調が悪かったのかもしれない。
しかし、60歳。いかにも、若い。

でも、浮いたり沈んだりしながらも
一生を音楽で埋めることができた彼は幸福なのかも。

合掌。



きょうは借りた本の返却日。
「地元の図書館にはない本が読みたい」と言う母親も乗せて、車で小一時間の県立図書館へ。

昔はJRで行っていたのだけれど、駅が高架となると同時に数百メートル移動したので、駅から図書館まで、歩くとちょっとしんどい距離になってしまった。

県立図書館は久しぶりだという母親は、到着前から緊張している。小心者なのだ。

彼女が通っていたころからすれば、外観もロビーも変わっているので、知らない場所も同然。入館するときにバッグ類をロッカーに入れるところから初体験。

--変わったねぇ。昔はこうじゃなかったよ。

--そげんね。

--荷物、どうして入れなきゃいけないの?(母親はナゼか標準語に近い言葉をしゃべる)

--本を持って帰る人がおるけんたい。

--持って帰ってどうするの?

--売るとやろ。

--売ってどうするの?

きりがないのでヤメる。

で、ロッカーに荷物を入れさせようとするのだが、ダメ。
100円玉を入れて鍵をかけるだけ。開けるときにお金は戻ってくる。そう説明するのだが、コワくてできない。困ったばぁさまである。

母親は身長が140センチ台なので、高いところは届かない。
下から二番目のロッカーに彼女のバッグを入れるのだが、入れる準備がまた大変。両眼を白内障で手術をしたからなのか光に弱いので、サングラスがかかせない。

78歳という年相応に老眼もあるので、文字を読むためのメガネも必要だ。読みたい本をメモってきた手帳と、筆記用具も持って入らねば。

あれやこれやで頭がいっぱいになり、

--ちょっと待って、ちょっと、ちょっと待ってね!

と、おろおろ。ぼくはロビーで立って待っているのだけれど、消えられそうでこれまたコワい。心配性は一生持ったままで終わりそう。こんなところがぼくはまったく似ているのだから、親子というのは異なものだ。

必要なモノを詰め込んで上着のポケットがふくらんだ母親は、アシモ君のような足取りで館内へ。

--あぁ、前と同じじゃない! あの台(貸し出しカウンターのこと)も前と一緒ぉ!!

ほんにホッとしたように声をあげる。
こらこら、ばぁさん、ご静粛に。

読みたい本を探してもらって借りる手続きをし、借りることのできない本は必要な部分をコピーしてもらった母親は、

--とっても親切なお嬢さんだったよ。

と、図書館の女性に親近感を覚えてにこにこ。
泣いたカラスがもうわろた。気持ちの切り替えが早いヤツである。

母親の用事はものの30分で終わったので、図書館の近くで「韃靼そば」のザルを食べ、移転した駅まで送る。450円なりの切符を手に、彼女は改札の向こうへ消えていった。

さてさて、ようやく自分の資料が探せる。






図書館に4時過ぎまでいて、3冊、本を借りることにして、カウンターで手続き。「返却は12日になります」と共にカウンターの女性が口にした言葉に、ちょっとどぎまぎ。

彼女は、

--ありがとうございましたぁ。

と、言ってくれたのだ。

言ってくれたのだが・・・・・「ありがとう」という言葉が、どうにも座りが悪い。本を借りたのはぼくだから、ぼくの言葉じゃないのかな?

じゃぁ、彼女はどう言えばいいのかしら?

書庫から本を出してきてくれる担当の女性は、帰るぼくが軽く会釈すると、「お疲れさまでした」と声をかけてくれる。ぼくの背中は、その言葉はすんなりと受け止める。

貸し出しカウンターの女性も「お疲れさまでした」ではいかが?

--お疲れさまでしたぁ。

う~ん、なんか違うなぁ。

会社で残業しているとき、帰ろうとする同僚に「お疲れさまでしたぁ」と言われるとムカッとする。そう言った友人がいたっけ。

「本、楽しんでくださいね」・・・・これも、変だなぁ。

まぁ、よけいなお世話なんだろうけど、ぼくがこの図書館に通うようになったころは、こんな柔らかい対応をしてはくれなかった。
どこかお役所然としていて、カウンターでもこちらがお伺いをたてる、そんな感じだった。

あのころから比べると雲泥の差。
図書館はサービス業。そんな意識が生まれたんだろうか。


でも、「ありがとうございました」という言葉をいただいて借りた前回の4冊。実は一字も読んでません。

あ~ん、ごめんなさぁい!


「へっへ~んだ」



きのうの「勝手に会社を辞めた娘にぷんぷんの母」に続くお話。ミスター・ドーナッツでコーヒー飲み飲み語り合っているふたりは、中学か高校の同級生らしかった。

高卒の娘が安定した会社を3年もたたずに辞めた、と半ばあきれているおばさまに対し、おじさんは、結婚したての息子について話し始めた。

--こないだ嫁ばもろうた長男は、もうすっかり尻に敷かれてくさ。

--あんたんとこは4大卒やったけん、もう27、8やろ?

--そう、27。それがたい、あんたんとこの娘んごと、さばけとらんでね。

--なんがね?

--うちん長男は会社に入るとき、なんちゅうたと思う?

--なんち?

--「俺ゃあ、こん会社、つぶれるまで辞めん」ち、こげん言うたとよ。

--どこで働きよんなさると?

--○○たい。

--ほんなこつね? 一流やん、よかやんね! うらやましかぁ。あんた、なんが気にいらんとね?

--大企業ちゅうたって、20年、30年先はわからんとばい。今かて、ばたばた倒れよろうが。

--はぁ、そげんやね。

--そやろ? 30年先ち、そげん先んこと、あてにしてなんになるね、大の男が。

--いいやん、嫁さんも安心しとろ。

--それも気にくわんとたい。もう、退職金の話ばしよるっちゃけん。

--かぁぁ、そりゃ早かねぇ!


このころになると、もう耳がダンボになっていたぼくは、笑いを押しこらえるのに苦労していた。いやはや、子どもが親の希望に沿うのも大変だ。

ぼくが新卒で入った会社の同期に、このおじさんの長男と同じことを主張するヤツがいた。

「オレは、ここで定年までまっとうするぞ」

新入社員だけが集まった、初めての飲み会でそう断言したのだ。ぼくはとても信じられなかった。まだ、働きだしたばかり。半人前にもなっていないどころか、どんな会社なのか実体さえわからない。
わかっているのは企業情報や先輩からの話で仕入れた、外づらだけの情報だ。なのにこう言い切れるとは・・・・こやつ、そうとう変わり者。そう思った。

同期として働きはじめてなじんでくると、そいつはとてもまじめなヤツだとわかった。「定年まで辞めない」という言葉も、酒の勢いにまかせて言ったことではなかった。定年、そしてその先まで、将来の青写真をきちんと描いているのだった。

将来設計。それは、ぼくにはまったくできないことだった。

先がわからないのに、どうして“設計”できるのか?

なぜ、右肩上がりに収入が増えていくと思えるのか?

彼に説明してもらっても、さっぱり腑に落ちなかった。皮肉ではなく、見えない将来を構築できる彼がうらやましかった。それが、おとな、なのだろう、と。

ぼくは置いてきぼりをくってる気がした。

彼は宣言した通り、その会社で仕事をし、きちんと昇進を続けている。もう、勤めてきた期間より、定年までの期間の方がずっと短くなった。きっと、安定した老後の準備も怠りないだろう。


どう生きるか。
それは、生きてみないとわからない。



「うぅ、ぎっしり」



打合せまで少し時間があったので、駅前のミスター・ドーナッツでお茶しつつ本を読んでいた。
となりには50がらみの男女がひと組。その話が聞くとではなしに耳に入ってくる。

--娘がね、会社を知らない間に辞めとったんよ。

--娘さん、大卒やったかね?

--高卒たい。前も辞めたいち言いよったから、3年我慢しなさいち言うてやったとに。

--我慢できんやったとやろか?

--たった3年くらい、ねぇ!

--そのうち慣れるとにね。なんで辞めたんて?

--ほかにしたいことがあるっちゅうんよ。

--したいことちゃ、なんね?

--なんか、わからんとたい! ほんにもったいなか。


「3年我慢しなさい」か・・・・・。

3日、3ヶ月、3年、まず耐えてみろ。仕事に迷いを覚えたときに、必ず言われること。

でもね、お母さん。分別ついた年代には「ほんの3年」かもしれないけど、惑う年代には、ほんの数ヶ月が、かすんで見えないほどはるかな未来に思えるとよ。
高校卒業して就職し、3年たってないちゅうことは、はたち前後。はたちのころは、お母さんもそうやったんやないの?


ぼくも3年持たなかったクチだ。3年どころか、2年間も耐えきれなかった。それはこのお母さんの娘が言うような、ほかにしたいことがあったのではなく、まったくぼく個人の、淡い、しかし確実な疑念がすべてだったのだけど。

「これでいいのか?」 そう思いはじめてから、もうどうにもこうにも止まらない。その問いが自分の中でとめどなく広がって、疑念の中に自分が存在しているように思えてくる。疑念が生まれたきっかけは、あとから思い返せばありきたりでちっぽけなことだったのだけど、そのころはそれを振り払い、仕事に没入することなど到底できることではなかった。

他人にとっては大した問題ではないと感じていた。会社を辞める理由にそれをあげるとあっさり説得されそうだった。だから、誰にも相談しなかった。部長に辞意を表明しただけ。

ぼくが○月○日付けで退職することを部長が部員に伝えると、仲良くしてくれていた先輩が、

「なんで相談してくれなかったんだよぉ。水くさいヤツだなぁ!」

と、本気で怒った。
そして、先輩はじめ同僚は引き留めてくれたけど、上司からの慰留は一切なかった。ぼくは会社を辞める理由を「大学に入学しなおし、学問の道へ進む」と言ったのだ。

実業界で生きるのではなく、生きる場所そのものを変えようとしている人間を止めるわけにもいくまい。

それが上司の考えだった。

でも、その理由はでっちあげ。どんな理由なら引き留められないか、あれこれ考えての、ぼくの結論だった。

当然、会社を辞めても大学なんぞには進まない。それどころか、働こうともせずプー太郎になったから、ぼくは大嘘つき野郎になった。でも、心に生じた疑念をかかえたままで仕事を続け、給金を受け取り続けることはできなかった。

その疑念、今もかかえたままだなぁ。

頭に浮かんできた昔むかしのことに郷愁を感じている間も、お母さんの嘆きは続いていた。

--せっかく安定した仕事についたとに。私より給料、よかつよ。もったいなかぁ、ほんなこつ。

若い決断をもったいないとは思わない、そんな道へと娘さんは歩み始めたんですよ。

お子さんの親離れの方が早かったみたいですね、お母さん。


「がんばれ」



初めて買ったLPがエルヴィス(シングルは『男の世界』by ジェリー・ウォレス)だったぼくは、
ロック小僧を経て今もヘヴィ・メタルを聴きつつ仕事をするロックおやぢなのだが、
実は演歌もかなり好きで着メロが『王将』だったりする(演歌のCDは一枚もないのだけれど)。

で、民放の番組が耳にも目にもやかましく思えるとき、BSで『ニッポンの歌』なぞをやっていると、
そちらへチャンネルを合わせ、ステージに登場するいにしえの歌手に合わせて口ずさんだりする。

生まれる前の歌も唄えるので、どんな育ち方をしたのだろうと首をかしげつつ、
そのころは美少女であったろう年輩の歌い手を見ているのも結構楽しい。

そんな番組を見つつ思うのは、昭和時代、それも30年代以前の歌詞のすごいこと。
今、この現代だったら発禁になってしまいそうなフレーズや内容がぞろりぞろぞろ。
『イムジン河』のように、政治的側面を突かれる曲でなく、ただの流行り歌だから聞き流されたのか、
死ぬの生きるの、哀れみなし児ひとりっ子、こんな女に誰がした・・・・・・。
あぁ、職業詩人のイマジネーションはすごい。

先日もそんな感じでBSを眺めていたら、「あなたのニッポン」と「ニッポンの歌」が立て続けに流れ、
ニッポンで腹がいっぱいになった。

そうそう、最近は「ニッポン」が流行っているのだ。

今年は戦後60年という、人間にすれば還暦、区切りの年。
それをテーマにした番組があまた作られるだろう。
過ぎし日来し方に思いをはせるのはとてもいいことだし、
右肩上がりに戻ろうと、つんのめるように前のめりでかけ続ける足をときには止めて、
しみじみと後ろを振り向くことも大切だ。

しかし、自分や肉親が歩んだ過去のニッポンを振り返ることが、
知らぬ間に「日本」という国家に収斂されはしないか。
「あぁ、あの時代はよかった」という郷愁が、個人と国家の順序を再び入れ替えてしまうのではなかろうか。

そんな不安がちらりと心をよぎる。

ま、杞憂だな。

そう願いつつ、『リンゴの歌』を口ずさむ。
あぁ、なんと良きメロディかな・・・・・・・。


ふぅ。

寝床で特攻隊の本を読んでいる。気がめいる。
憤りを抱きながら、死へ踏み出す青年の、その思いがわからない。

「おいおい、行くのはそっちじゃないだろ」

そう思いながら、オレならどうする?と自問する。

自分の意見を述べることが困難な社会をぼくは知らない。
歩む道が決められている社会に生きたことがない。

歩む道は、ある意図の元に敷かれている。その意図を誰もが疑わず、歓喜する。
そんな社会で、人は敢えて異端たりえるだろうか?

難しい。

でも青年、そっちへ行くのはやっぱりおかしいよ。
どうも風邪っぴき。
ネコ助による寝不足を解消するべくやっていた昼寝がそのまま風邪の床に。
ま、一日、寝てたら快復するだろう。

が、しかし、資料を読むノルマをこなさないと、いつまでたっても終わらない。
で、フトンにもぐり込み、腹ばいになって本を読む。
ふっと気づいたら、開いた本に顔を突っ込んで眠りこけてた。

やっぱ、まずはぐっすり眠ろう!


で、今日もまたフトンの中からメールで更新。

冬。夜は冷える。
ぼくが床に入ってもしばらくはコタツの余熱にすやりすやすやのネコ助も、
2、3時間すると枕もとにやってきて、枕にうずまるぼくの顔や頭を掘り始める。
「ねぇねぇ、入れてよ」
「うるさかね~。自分でもぐりこめよぉ」
でも、ほじほじほじほじ。
「ねぇねぇ、入れてよ、入れてってばぁ」
フトンの肩口を開けてやるまでほじくるのをやめない。
フトンに入りしばらくもぞもぞ。居場所が決まると、ぐー。
それもおとなしいのは小一時間。「ウニャ!」と一声、ダッシュで飛び出す。
それが一晩続くと、わしゃ眠いがね。

で、昼寝中。

一日、特攻隊の本を読む。
いま、進行中の番組のテーマ。読めば読むほど、あぁ、ため息。
どうすれば番組としてまとまるかしらん?


息子を軍人にするのが夢だという父親。
その父親がいだいた夢の通り、息子は軍人への道をひた走り、陸軍士官学校を卒業。見事、陸軍少尉となる。
我が世の春と喜ぶ父親をさらに感動させることが起こる。息子が特攻隊隊長に選ばれたのだ。

我が子は我が子なれども我が子ではない。
神であらせられる天皇の子だと信ずる父親にとって、
天皇をお守りするために命を捧げることは、それにすぐることなどない名誉である。
それが生きて神となり、靖国に奉じられる特攻隊の、それも隊長である。
臣民としてこれ以上の幸せがあろうか。
男子の本懐、ここに極まれり!

しかし、息子が神鷲として鹿児島・知覧飛行場から飛び立ってからわずか3ヶ月。
神州・日本は鬼畜米英を中心とする連合国になすすべもなく無条件降伏する。

お国のためにと、死ぬことが定めの特攻隊に息子を差し出した自分の思いはなんだったのか?

なんのために息子は死ななければならなかったのか?

軍人の道を進ませた、あの熱意は正しいことだったのだろうか?

父親は、帰らぬとわかっている息子を待ち続ける。


とまぁ、こんな感じの父親とその息子が主人公なのだが・・・・。

特攻隊を主人公にした番組や映画というのは、すでに何本も作られていて、それぞれがよく似ている。
同じ状況を描くのだから、どうしても同じようなトーンになるのは避けられない。

特攻隊は勇敢だ、気の毒だ、かわいそう、二度とこうした悲劇を起こさないようにしましょうね。

そんな、分かり切ったことを今さらまた伝えるのは、おもしろくないなぁ。
じゃ、どうしよう?


陸軍士官学校を出るのは、軍人として出世コース。卒業したらもう「少尉」だ。
でも、この息子が卒業した第57期は、特攻隊を率いるために訓練・教育されたようなもの。
わずか数機からなる特攻隊に命令を下す士官が必要だから、「少尉」という位を授けられただけに過ぎない。

その息子が率いた特攻隊員は、全員が学徒出陣。
特攻機をようやく飛ばすことができるようにだけ訓練された素人だ。
軍人となるべく育てられ、教育された息子と、学業半ばにして死ぬためにかり出された学生たち。
違うようだけど、無益な戦いで死を強要されたという点では同じだ。

特攻隊という“戦法”を考え、実行した軍上層部が非難されるべきは当然だけど、
本当に責任を問われなければならないのは、その“戦法”に熱狂した国民じゃないのかな?

教育と法律で「神・天皇」に縛り付けられ、
それを疑問に思うことすら許されなかった状況にあった国民に罪はない。
そう言う人もいるけれど。

敗戦の日を境にコロリと民主主義に寝返って、
戦中は提灯行列までして祝した特攻隊の“死”を「犬死」だと切り捨てた多くの国民たち。
それはあまりにも無責任な姿じゃないかしら。

ぼくは特攻隊を「犬死」だと思っているのだけれど、
手のひらを返したまま知らんぷりをしているぼくら国民の責任は重いと思う。
強制であれ、信仰であれ、国民の総意がないと戦いはできないはずだから。


生きたいと願い続けたある特攻隊員が言ったという一言が胸に残る。

「臆病でいい、卑怯でさえなければ」




きょうは臨県の局で打合せ。ただ今、最終特急の中。
あした、俳優さんが入る。ロケはこの土曜日から3日間づつ、3週間。
その間、俳優さんはずっとホテルに滞在。「ロケのない日はどうするんだろう」とディレクター。確かに。
放っておくわけにもいかないだろうから、朝・昼・晩とご機嫌伺いの電話くらい差し上げなければいかんなも。
毎日、夕食を共にするとなったら大変だ。
今年、80歳になられるそうなその俳優さん、ぼくは電話で一度お話ししただけだけど、とても感じのいい方だった。
ロケ、うまく乗りきれますように。






夜汽車の車窓は、フレームパックを背負い、うろうろした頃と変わらない。
もう、四半世紀が過ぎてしまった。25年前の今ごろ、ぼくは北海道を歩いていた。
青森までの夜行急行は満員で、床に新聞紙を敷いて寝た。トイレに立つ乗客が、列車の揺れに任せて踏んで行く。
寝不足で着いた青森駅は、ホームがそのまま青函連絡船へとつながっていた。
細かい雪が横殴りに降る中、港を出た船のデッキに、ぼくは立ち続けた。
初めての海峡。本州はゆっくりと波間に広がる黒い影となり、いつしか波間に消えて行った。
北海道は、まだ影も形も見えなかった。






周囲まるまる、海だった。透明感のない、冷たい液体が船に打ちつけ、しぶきをぼくに振りかける。
底の知れない海水に、ぼつねんと浮かんでる点のような船。その手すりにしがみつくぼくは、点を構成するツブだ。
そのツブは、砕ける波に脅えながら感じていた。
普段、のほほんと暮らしている部屋も街も大地も、今、ツブと化しているぼくと同じなんだ。気づかないだけなんだ。
真理をひとつ手にしたぼくは、雪と波しぶきの中でわくわくしながら函館に着いた。
風邪の悪寒とともに始まったぼくの初北海道は、その日から40日間、続く。






あのときの脅えを今も感じるのはなぜだろう。
わくわく感だけが失われた。


闇の中にあらわれては遠ざかる明かり。
家族ひとりひとりの希望と欲望が、過去と未来と将来で肥大し、はち切れんばかりだ。

幸せのかたち。


車窓はあの頃と少しも変わらない。




「番組の放送前、その内容に介入し、改編させた」

「内容が偏っている。公平中立にと、私的な意見を言ったまでだ」

2001年1月にNHKが放送した旧日本軍の慰安婦問題を取り上げた番組・『戦争をどう裁くか~問われる戦時性暴力』をめぐり、朝日新聞と政治家、そしてNHKの攻防が続く。

同番組の放送前、中川昭一・現経産相と安部晋三・現自民党幹事長代理がNHK幹部を呼び「偏った内容だ」と指摘。NHKはその指摘を入れ、再編集を重ね、40分という短縮版として放送した。

同番組の制作に携わり、内部告発したNHK職員が実名でコメントを発表するという異例の事態の中、NHK側は「そのような事実はない」との内部調査結果を発表。朝日新聞へ謝罪を求めた。番組内容に介入したとされる中川、安部の両氏も同様の主張をし、朝日新聞への反撃を開始した。

一方、朝日新聞はきょうの紙面ほぼ1ページを割き、これまでの経緯を述べ、取材に対する自信をのぞかせている。

NHKの幹部と中川氏・安部氏が会ったのは放送前なのか、放送後なのか?
その点は、法律上、確かに大きなポイント。これから「会った」「会わない」の議論が展開していくだろうし、政治家側はコメントの内容を次々と変えていくだろう(もう中川氏は、「会ったのは放送後」だと前言を翻した)。

だが、不毛の水掛け論に終わって欲しくない。

興味深いのは、政治的な圧力を受けた(と感じた)点では「被害者」であり、政治的圧力に屈した内容の番組を放送したという点では視聴者に対する「加害者」でもあるNHKが、政治家側と歩を合わせたようなコメントを発表しているということ。問題が大きくなるにつれ、NHK側に自己保身に入ってきたように思える。

だが、「問題は何もない」とするならば、内部告発者の、あの涙は何に対して流されたのか?
朝日新聞の記事や内部告発者のコメントに対し、制作現場は「そんなことはあり得ない」と言い切れるのか?
それは限りなく疑わしい。


おととし、ぼくは、沖縄返還をめぐる日米間の密約に関する「権力 vs メディア」を描いた『メディアの敗北』という番組に携わり、その制作過程で、テレビに対する政治的介入の多さを知って愕然とした経験がある。
その例をいくつかをあげると・・・・・・・・・・、


●『ベトナム海兵大隊戦記』-日本テレビ(1965年5月13日)

戦火が続くベトナムを2ヶ月半にわたり取材した、三部からなる番組。その第一部が放送された翌日、橋本登美三郎内閣官房長官が電話で日本テレビの社長へ抗議。海兵隊員に捕らえられた少年が射殺され、切り落とされたその首がカメラの前に放り出されるシーンが「残酷だ」というのが抗議の表向きの理由だった。
再放送の予定だった第一部は放送中止。さらに、第二部、第三部は編集し直し、短縮して放送することも検討されたが、結局放送中止となった。
当時、日本テレビの社内では、「社長が、わが社は『歌って踊って大合戦』のようなものをやっておればよいと言った」という噂が広がったという。
ちなみに、生首のシーンには視聴者からも大きな反響があったが、日本テレビに寄せられた電話や各新聞への投書などのほとんどは「戦争の醜さがわかった」といった肯定的な意見だった。


●『判決』-NETテレビ(現・テレビ朝日/1966年8月10日)

一話完結の社会派ドラマ。63年11月、日本民間放送連盟主催のテレビ番組懇談会で、こちらも橋本登美三郎内閣官房長官が「反社会性・階級闘争に結びつき危険だ」と『判決』を名指しで批判。番組のチェックが強化され、上記の年月日で放送終了。これに対し、家永三郎や手塚治虫などの文化人が「ドラマ『判決』の継続を望む会」を結成し、NETテレビに働きかけた。
同番組は、最高時には30%をこす視聴率を記録したNETテレビの看板番組だった。


●『カメラルポルタージュ~成田24時』-TBS(1968年3月12日)

68年3月10日。成田空港開港の土地収容をめぐる農民と機動隊とが対立していた現場でTBS報道部スタッフが乗るマイクロバスが警察の検問に。バスには反対同盟の依頼で七名の婦人がプラカード18本と共に同乗していた。翌3月11日の閣議でこの事件が話題となり、閣議後、郵政大臣がTBS社長に「社長を辞めろ」と電話。12日には郵政省(当時)電波監理局が調査という名目でTBSに警告を発した。
3月24日、TBSは関係者を処分。同月27日、『ニュースコープ』の田英夫キャスターも降板させられた。田キャスターはこの前年10月30日、北爆下のハノイに取材した『ハノイ-田英夫の証言』を放送。この時も自民党幹部はTBS社長を「ああいう共産主義の宣伝的なものを放送しては困る」 「田をハノイに行かせれば、ああいう結果になるのはわかっていたはずだ」と非難していた。田英夫降板に対し、報道局員は「報道の自由は死んだ」と喪章を付けて抗議。
68年9月1日。TBSはテレビ報道部を解体、機構改革と243人にのぼる大人事異動を発令した。
オウム信者に対し取材テープを見せ、筑紫哲也が「TBSは死んだ」と語る事件が起こるまで、『TBS事件』と言えば68年のこの出来事だった。


きりがないので60年代のみっつだけ。
興味のある方は、『放送レポート』1993年3月号、4月号の「テレビは何を伝えることを拒んだか」と題する特集をどうぞ。「こんなにあるの?!」と思えるほどの数の番組が並んでいる。上記の3番組も同誌より抜粋した。『岩波ブックレット』にも、放送されなかった番組に関するものがある(『戦後史にみるテレビ放送中止事件』)。


政治権力、スポンサー、視聴者・・・・・・・・。

テレビにはコワい相手が多い。そして、その相手に対して非常にもろい。とかく弱腰、および腰になりがちだ。クレームに対する恐怖は、自己規制となってあらわれる。今回の問題でNHKは「予算編成時に政治家を刺激するのもいかがなものかという配慮もあった」といったコメントも出している。

「皆様の受信料で成り立っています」と言いながら、実はどこを向いて番組を流しているのかがよくわかる。

制作現場の顔は視聴者を向いている(はず)。現場では、可能な限り、切っ先鋭い番組を作ろうとする。その鋭い切れ味が、どんどん“なまくら”にされていく。その過程をNHKは見せてくれた。

どのような形にしろ、制作現場に政治権力が介入することは、やはり、見過ごすことはできない。

安部氏は「(公共放送のNHKは)中立的な立場で報道せねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だ」と語っている。至極当然のように思えるコメントだが、間違っている。

公平中立な番組など、ない。

番組は常に制作者側に傾いている。企画し、取材をする段階から、制作者は“自分の側”に立っている。でないとメッセージを持つ番組は作れない。だから、「反対側の意見も紹介する」かどうかは制作者の判断だ。そうした意見を入れることで伝えたいメッセージがより鮮明になる場合には入れるだろうし、効果的ではないと思えばはずされる。
制作者は伝えたいことがあるから番組を作るのだ。与えられた時間は、1時間番組ならば46、7分。必要ないものを紹介する余裕はない。

こうしてできあがった、安部氏などが言う“偏った内容”の番組をどう見るかは、視聴者の眼にゆだねられる。人の感覚は個々人で違うから、番組から得る印象も視聴者個人個人で違うだろう。公平中立、不偏不党で、あまねく「良い」と言われる番組などはあり得ない。
誰からも誉められる番組は、無個性の八頭身美人のように魅力ないものでしかない。

問題となっている番組・『戦争をどう裁くか~問われる戦時性暴力』をぼくは見ていないので内容に関してはとやかく言う立場にないが、たとえその内容が慰安婦側の主張のみであったとしても、その善し悪しを決めるのは視聴者であり、ほかの何者でもあってはならない。

それが「放送の中立」の大原則だ。


今回の政治権力介入問題がどう進むのか。

--内部告発者の“スタンド・プレー”。朝日新聞の“ひとり相撲”でした。

そんな結論が、もう、すぐそこに待っているような気がする。おそろしい。


同時に、別の疑問がもやもやとぼくの胸に広がっていく。

ベトナムをテーマとした番組がやり玉にあがったとき、日本テレビの社長が言ったと噂される「わが社は『歌って踊って大合戦』のようなものをやっていればいい」という言葉。
40年前のこの言葉は、今、現在のテレビにそのままあてはまるのではないか。
楽しく、おかしく、時に視聴者の涙を絞ればいい。この40年間、テレビはそう考えてきたのではないだろうか?

そんな思いが消えないのだ。






最近出版された『検証 日本の組織ジャーナリズム NHKと朝日新聞』(川崎泰資・柴田鉄治著 岩波書店刊)に『メディアの敗北~沖縄返還をめぐる密約と12日間の闘い』が取り上げられている。
ドラマやアニメと違い、ドキュメンタリー番組は再放送(または他局での放送)ということがほとんどないので、こうして取り上げられることは制作者側の一員として嬉しいことだ。

この本には、今回、問題になっている番組・『戦争をどう裁くか~問われる戦時性暴力』も取り上げられている。それは「権力介入」の例としてではなく、「取材申し込み時と内容が大幅に変更している」として取材対象者から訴えられ、裁判に持ち込まれた件としてだ。

東京地裁の判決は驚くべきもので、NHKはおとがめなし。責任は、NHKが番組制作を発注したNHKの子会社をも通り越し、実際に番組を取材制作した孫請けの制作会社が負うことになった。

 → 番組構成師『 izumatsu 』 2004年3月26日の日記


また、このときの判決は『期待権』という、番組の制作を阻害しかねない考え方を採用。注目された。

 → 番組構成師『 izumatsu 』 2004年3月27日の日記


いろいろな問題を提示するNHKのこの番組。「従軍慰安婦」を扱っているからに違いない。なぜ、一部の人たちはいつまでも「従軍慰安婦」に意識過剰となるのだろう。日本は国として「従軍慰安婦」の存在をすでに認めている。
もう従軍慰安婦が「いた」「いない」を争うレベルではないのだ。戦争を知らないぼくら以降の世代が、人権を蹂躙する戦争というものをどのように受け止めるかという点にかかっている。

自分の足あとをきちんと振り返ることなく、前だけ見て歩く人間は、足もとをすくわれる。「間違ったことをした」という認識なしに歴史を次の世代にゆだねることはもう止めにしたい。


「NHK」と「朝日新聞」、テレビと新聞を代表する両雄が争う今回の問題は、個々人が視点をどこに置くかというスタンスが問われる問題でもある。

自分の側に引き寄せつつ、注視していこう。




PM4:03

あぁ、胃が痛い・・・・・って、きのうのまんま、きょうのこの時間になっておる。

あした、締め切りだぞぉ。


生涯をさすらいの旅に終えた(ご本人は安住したかったようだけど)俳人のお話なのだけど、
どうすればおもしろくなるのか、わからんわからん。

俳人がさすらったあとを地図で追い、旅のつれづれを記した日記を読み、
その日記に詠まれた俳句(これまた、よ~わからん)をひねくりまわし、
俳人について書かれた本のページをめくり・・・・・・。

テレビがつらいのは、映像がないとダメだということ、これにつきる。
文章ならば本を参照し、自分の考えも挿入しつつ言葉をつなぐとなんとか形は整う。
内容は別にして。

そうはいかないのがテレビの泣き所。
どんなにいい文章があっても、映像がないと体をなさない。

ここに心情を吐露する言葉がある。いい言葉だ。
が、これを紹介するには映像をつけなければならない。
カラーバーにナレーションはかけられない。

あぁ、困る。もぉぉ~、青空に文字だけのっけようかしら!

などと思ったりもするが、「それをやっちゃぁ、おしまいよ」という声が後ろ頭で響く。
おしまいをやったこと、何度もあるんだけど。

先日、構成台本を持って営業に行くという話をチラリと聞いたような・・・・・。
内容もだけど、体裁もキチンとしてないと、営業さんも大変だよね。
長い資料はスポンサーさん、ちゃんと読むことはほとんどないんだけどさ。
形っていうのは大切だし。


あした、あしたね、あした中。

パソコンに向かい、さすらいの大波でビッグ・ウェンズデー状態だぁっ!
あぁ、なにを言っているのか、わけわからんぞ。






「知らない間にクレジット・カードが使われてた!」事件(表記が違うかも)その後。

きょう、○○信販から封書が届く。
封入されていたのは、

1.国際カード異議申請書

2.書類送付のご案内

3.返送用封筒

---以上。


「書類送付のご案内」も、そこに記された担当者の名前もすべてワープロ打ち出し。
気持ちがいいほどに事務的。そうじゃないとやってられないんだろう。

「書類送付のご案内」の内容は、

「(カード会社を通じて)現地の加盟店取扱銀行に対し異議申し立ての手続きをさせていただきます。
つきましては、手続き上お客様直筆の書面(申立書)が必要となりますので、ご送付申し上げます。
誠にお手数とは存じますが、ご記入の上、1月20日までにご返送くださいますようお願い申し上げます。
期日までに弊社に到着しない場合、申立期限切れとなり手続きができなくなる場合がございますのでお早めにお送りください。
尚、回答を得るまでに多少日数を要しますので、予めご了承いただきたく重ねてお願い申し上げます。」

う~む、事務的。
しかし、「1月20日までに返送しないと手続きができなくなる場合がある」というのは納得いかないなぁ。
期日はどこが決めるのかしらん?

案内書の送付日付は今月の6日になっているが、届いたのはきょう、11日。
到着まで6日間かかっている。どこで留まっていたのやら。
返送に同じ時間かかるとしたら、2、3日留守にしていると
あっさり期限切れになってしまうじゃないの。

それで未来永劫、毎月きちんと○万円も引き落とされちゃ、たまらんぞ。


で、肝心の「国際カード異議申立書」。提出先は「○○信販株式会社御中」となっている。

*ぼくが○○信販に異議を申し立てる。

*ぼくが利用したことになっているカリフォルニアにあるA社の取引銀行に、○○信販が異議申立をする。

*A社の取引銀行が調査すると同時に、A社に詳細を通知。調査を依頼する。

*A社およびその取引銀行は調査の上、○○信販の異議申立を受け入れるかどうかを決める。

*受け入れる場合は、丸くおさまる。受け入れない場合は、訴訟に。

というような流れかなぁ。あぁ、めんどい(ぼくは申立書を書くだけだけど)。
でも、訴訟になった場合は、「××さま(ぼくのこと)のご協力が必要です」と先日言われた。

カードナンバーの管理は大切だと常々思っているし、
インターネット上でカードナンバーを打ち込んだことは数回しかない。
で、安楽に買い物を楽しんでいた。

しかし、打ち込んだ先の顧客管理がずさんだったり、サーバーがハッカーにやられたり、
カードナンバーを打ち込むそのときにネット上で盗み見られたりしていたら、ぼくの側ではどうしようもない。
ネット上でカードは使うなということなのか、結局は。

いやいや、明細書をきちんと確認していればよかったのだ。反省、大反省。


ぼくが一番あやしいと感じているのは、ネット上ではなく、ロケ先で使ったとき。
10月、ニューカレドニアで2度、カードを使った。帰国前日の19日と帰国した20日。
見知らぬA社と契約した(ことになっている)のが10月25日。

う~ん、この微妙な日付のズレがやっぱりなんか変じゃ。

成田に戻った日に台風が直撃し、ぼくは東京に足止め。
自宅に戻ったのは21日で、その後1週間ほどは留守の間の雑務などに追われてインターネットで遊ぶ暇はなかった。

月々100ドル以上の契約をするような精神的&経済的余裕なぞあるはずがないのだ。

それとも、すでにネット上で盗まれていて、時を置いてから使い出したのかしら?
う~ん、やっぱりわからん。五里霧中。


ところで、異議申立書が着いたのはきょうだけど、新しいナンバーのカードはすでに届いている。
顧客を減らしたくないからだろう、こちらの対応は素早いな、やっぱり。


・・・・・・・・痛かぁ。

締め切り、もうすぐ。間に合うだろうか?

しかし、どうすればおもしろい内容になるんだろぉ?
昼間、ずっと机に向かってはいたのだが、妙案が浮かばない。
読んだはずの資料に戻っては、あ~でもないこ~でもないとこねくり回す。

果ては、ずぶずぶ不毛の深みにはまり込み、身動きできない状態に。

あ~、もう、やめたっ!

コタツに入り、きょうからスタートした『水戸黄門』を見る。
第何部になるんだろう? マンネリをはるかに超越したこの安定感はスバラシイ。
でも、カメラアングルなど、ちらほら斬新さも。


--直訴はご法度!!!

お、なにやら斬り合いが始まった。
不正をあばくために立ち上がった善人たちに悪人どもが奇襲をかけたのだな!

日記を書きながらでもストーリーを見失わない明解さ。
見習わなくちゃな・・・・・・・・。


--この印籠が目に入らぬか!

との言葉と共にあの印籠が。
おや? 印籠は黄門さま自らが見せている。これも斬新さのひとつかな。


さてさて、いつもの仲間を引き連れて、黄門さまは世直しの旅に出た。
ぼくも仕事に復帰しよう。



部屋に入るなり、ぼくの足に、



「わぁ、お帰りぃ~、バリバリ」



「ん? お前か」



「じゃ。」



もの哀し・・・・・・。







夕餉の買い物と共に、「やぶれ饅頭」(「ふぶき饅頭」などとも呼ぶらしい)を3個、購入。
スーパーの袋に突っ込んで、車で帰宅。

キッチンで食材をひろげると、ダイコンにつぶされた「やぶれ饅頭」がコロリ・・・・・。

懸命に復旧を試みたものの・・・・・挫折。


破れちまった「やぶれ饅頭」。


いと悲し・・・・・・。






饅頭食べつつ、ふと思う。

「天道よしみの白目、見たことないなぁ」







PM 9:33

ただ今、特急電車の中。
本日、午前中より臨県県庁所在地で打合せ。
しゃべりっぱなしで舌が疲れた。

車内はガラガラ。
車窓は真っ暗。もの寂し。

家に着くのは11時半過ぎかなぁ。

きょうは朝から図書館で調べもの。9時から4時まで、昼メシ抜きで猪突猛進。
図書館を出て、遅い昼食をマクドナルドでとりながら、本日の収穫を改める。
で、脱力。

「これだけ???」

てな感じ。50冊くらい本をめくったのにな~。
めくって目を通さないと役に立つかどうかわからないってのはあたり前だけど、
その“あたり前”がたまに気力をなえさせる。

でも、きょうはまだまだ初日だし、気力は十二分にありまっせ!





資料を探しているときに、クレジットカード会社から携帯へTELあり。

「○○信販・国際カードチームの××です」

とお名乗りに。お~、“国際カードチーム”かぁ。あるのね、やっぱりそういうセクションが。

心当たりのない支払い先のことや、家族が使った形跡はないかなど、
あれやこれやと話して、わかったことは・・・・・・、

1.心当たりのない相手への支払いは停止する。

2.振込み済みの金銭は、こちらが指定した口座に返金する。

3.相手先へ支払い差し止め及び調査依頼をするための書類を作成。用紙をぼくの自宅へ郵送する。

4.相手先が支払い差し止めを容認すればそれで丸くおさまるが、異議申し立てされる可能性あり。

5.異議申し立てされた場合は訴訟になる可能性があるので、その際は要相談。

6.新たなカードは、明日郵送。

7.今月、支払い予定の正規取引先には、新たなカードナンバーの変更は必要なし。

といったところ。
クレジット・カードが怪しい使われ方をされているなと感じたときに最も大切だと思ったのは、
とにかくまずそのカードを使用不能にすること。

ネット上ではサインもなしに、カードナンバーだけで買い物ができる。
数百万単位のモノを購入されていて、クレジットカード会社の補償に入っていなければ、ただ泣きをみるのみ。
ふつうは補償されているハズだけど。

そしてもうひとつ。
クレジット・カードを使用不能にするだけではダメだということ。

カードを使用不能にすると同時に、クレジット・カード会社の、カード不正使用を専門に調査するセクションにTELし、即座に調査を始めてもらわないといけない。
そうしないと、カードを使用不能にしても、支払いリストに載った相手先にはそのまま支払われてしまうのだそうだ。

ちなみに、上記“国際カードチーム”の担当者が最初に言った言葉が、

「カードを使用不能にさせていただきます」

ということだった。ぼくが、

「3日に手続きしましたよ」

と言うと、

「あ、そうですか? (チャカチャカとパソコンを打つ音) あ、確かに使用不能にしていただいてますね」

と、ご納得していただいた。
カードを使用不能にすることなく、相談のTELをする人が多いのだそうだ。


とにかく、

“おや?”と思ったら、即“カードを使用不能に!”

そして

カード会社へ“駆け込み電話”

このダブルで対抗する。これしかないっ!


しかし、電話口の向こうは、たくさんの担当者がワイワイと話をしている声で満ちていた。

「あやしい人に使われてるかも?」ケース、多いんだろうなぁ。




先日から、ワイワイおろおろしているクレジット・カード「知らない人に使われた」事件。

-- その後 --

カードナンバーが漏れているのは確実なので、きのう、そのカードを使用停止に。
しかし、「月々、クレジットで引き落とし契約」になっている場合は、その契約は持続するので、そのカード会社で再発行されるクレジットカードのナンバーで支払いは続くとのこと。

そりゃ、まずい。

不正使用まで継続されちゃ迷惑千万。
きょう、カード会社のコールセンターにTELし、詳細を伝える。コールセンターのオペレーターは、

「担当の者が調査し、後日、21日前後にお知らせいたします」

との返事。

調査して、不正使用が明確になったあかつきには、支払われたお金は戻ってくる“かも”しれないとのこと。
全額戻るかどうかは、調査しないとわからないそうな。

どういういきさつになっているのか、どこの誰がぼくのカードナンバーを使っているのか。
そうしたことは、オペレーターさんではわからないだろうし、調査をお願いして本日の行動は終了とあいなった。

あとは連絡を待つしかないのか・・・・・・。う~ん、落ち着かん。


ところで、お店側の立場でクレジットカードのシステムを活用している方から書き込みがあった。
ニューカレドニアでTシャツその他のお店を開かれている日本人の方だが、とても参考になるので、下記にコピーさせていただく。



カードナンバーの流出と言うことですが、カードナンバー自体はもともといっさい保護されていない情報です。私の店でもカード決済をしていますが、ご利用いただいたお客様のカードナンバーは全てストックされています。また、インターネットショップも設置しているので、カード自体が無くてもカードナンバーと有効期限が分かれば簡単に架空請求をすることが出来ます。

カードとはそんな危ないものなのか!と驚かれるかもしれませんが、実は滅多に悪用できるものではないんです。引き落としの出来る端末所有者の審査が徹底しているので、簡単に悪用できるけど、確実に悪用したことがばれると言うのが、カードシステムの保証になっているのです。

izumatsuさんの場合もカード会社に対して不正使用の申告と返済申請をすれば、不正利用された金額はカード会社から返済され、カード会社は不正利用者に対して刑事訴追をすることになるはずです、どこの国であろうとも。

そういう仕組みですので、カードナンバーの保護に気をもむよりも、毎月不正請求が無いかチェックするのがカード利用者の責務とも言えるでしょう。それを怠る利用者がいるから不正利用業者が成り立つわけですしね。



とても参考になるお話だし、ぼくにとっては、非常に耳に痛いご指摘。

ぼくも、毎月届く明細書には目を通している。
見知らぬ利用先に関しては、前回の明細が来たときに“おや?”とは思った。
思ったけど、あっちこっちに出かけて忙しいやらで、放っているうちに忘れてしまっていた。

おととい、税金の申告をするために領収証その他の整理をしていて、改めて気づいたのだった。
領収証の整理なぞをしなければ、税金申告の期日3月末までそのままになっていたに違いない。

コワか~。

明細、次回から穴が開くほど見つめることにしよう!

ニューカレドニア、「AQUA」のご主人さま。的確なご指摘、ありがとうございました。




きのうに引き続き、クレジットカードナンバーの流出のお話。

けさ、改めてサービスセンターに電話をして、クレジットカードの使用を停止してもらう。カードそのものは紛失&盗難にあったわけではないけれど、ナンバーが盗まれたのは確実だ。
これ以上、使われるのはやっぱり阻止せねば。

いきなり「ドカン!」と使われても、カード会社にその旨通知すれば、120日間にさかのぼって補償してくれるらしいから、そんなに急ぐ必要はないかなとも思ったのだが、見知らぬ他人がぼくのカードナンバーを握っていると考えると、放っておくのもハラが立つ。

しかし、きのうの夜、サービスセンターに電話したときと対応の違うこと。夜は男性だったけど、言うことに自信がなさげだった。深夜勤務用のバイトか新人だったのかもしれない。

きょう、対応してくれた女性はテキパキと処理してくれた。

だが、やはり詳細は「日中のコールセンターで」とのこと。
そのセンター、今日まで休みなんだなぁ。年末年始、企業としては社員を休ませねばならなないのだろうけど、“急患”みたいなもんだから、丁寧な応対をして欲しいな。

カードの使用を停止したから、このカードで取り引きしていたいくつかの会社に使用カード変更の通知をしなければならない。だが、カードの再発行は最低2週間かかる。

あぁ、めんどくさい。どこのどやつがワシのカードナンバーを勝手に使ってるんだっ!! ハラ立つぅ!!





PM4:31

あっと言う間に三が日ももうすぐ終わり。
きょうは、これから高校時代の友人たちと飲み会。

大晦日に雪の中を丸一日かけて埼玉から車で帰ってきたご苦労なやつもいる。
彼はきょう、深酒することを前提に、飲む町のホテルをリザーブしているとか。
気合い、入ってるなぁ。コワか。

電車がある時間に帰れれば御の字かな?






飲んだぁ。
でも、最終電車には間に合った。“節度ある大人の飲み方”かしら?



年末調整のために領収証を整理していたら、某クレジットカードの引き落としで見知らぬ相手が・・・・。

ん? なんじゃ、これ?

カリフォルニアのサーバー・サービス会社?
「$99.95+more」のコースを契約したことになっとるみたい。
え~っ、そんなの、知らんぞぉ!

カード会社からの請求明細を改めて見てみたら、
10月から、すでに2回、引き落とされているではないかっ!!!
今月の請求分にもすでに載ってるっ!!!

クレジットカードの番号を見知らぬところで打ち込んだ記憶はない。
引き落とされていることに気がつかなかったのはぼくがアホだけど。

カードを止めてもらおうかとカード会社のセンターに電話したら、

「すぐにお止めできますが、月々の支払い確定している分は支払われます」

とのこと。今月使用した分(使用してないけど!)は、引き落とされるのかぁ。
カードを止めるのは、“これから使われる”ことを防ぐことらしい。

「通常のコールサービスに電話された方がよろしいかと・・・・」

と言われてしまった。
しかし、カード会社は3日までお休みじゃないかっ。

あぁ、ハラが立つ。どこかでカードナンバー、盗まれたのかなぁ。

どうすればいいのかな。
カード会社に改めて電話するとして、そのあとは、消費者サービスかなにかに相談すればいいのかしら?

おろおろ。


新年早々、なんたるちゃ・・・・・・・。


2005年は雪で明けた。

AM8:55

新聞をとりに出たら、郵便受けにはもう年賀状が届いていた。
早いなぁ。いったい何時から配達をスタートしたのだろう。ありがたいやら、申しわけないやら。

雑煮で朝食。そして、年賀状書き。せっせ、せっせ・・・・・・。あぁ、もうお昼過ぎ。

ん? 朝食のメニュー以外は、きのうと同じやぞ?
いかん、リセットリセット、リセットしよう。

口直しに “あわびの煮貝”




PM11:18

新年初日も夜がふけた。

う~んと悩んで、今年、毎日やること決定。

1.朝と夜の歯磨き、15分づつ --80歳を過ぎても自分の歯で食事ができますように・・・・。

2.夜の歯磨きあとにデンタルフロス --同上。

3.夜、寝床での顔面体操 --顔の筋肉があまり下がりませんように。

4.仕事以外の読書、30分&more --引き出しの中が空になりませんように。

5.ごはんをゆっくり噛んで食べること --早メシは武士のたしなみ。でも、胃腸の方が大事だし。


ムリは禁物。できることから始めよう!

しかし、前向き目標がないような・・・・・。ま、いっか。あした、考えよ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。