番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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下記の番組、

どうやら放送事故もなく、無事オンエア終了したようです。

ご覧いただきました皆さま、ありがとうございました


*番組名*

『南の島の漁(すなど)り伝説
~幕末の投網師 細川の政とニューカレドニア~』

日 時:2月27日(日) 14:00から1時間
放映局:BSフジ(制作=テレビ熊本)




泉谷しげるさんと、「伝説の投網師・細川の政」が、

肥後熊本に生まれた投網のワザを、

東京湾間近の江戸川に、

そして“天国にいちばん近い島”ニューカレドニアに追います。



伝説の投網師“細川の政”に扮した泉谷さん撮影風景





よろしければ、ロケ紀行もどうぞ。


*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その1』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その2』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その3』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その4』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その5』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その6』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その7』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その8』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その9』







どうしてこんなに急がせるのだろう。銀行、郵便局のATM。次の操作を、女性の異様に丁寧かつ無表情な言葉がせき立てる。杖をついたおじいさん、右手を宙に浮かせて戸惑っている。と、操作を間違えたのか、時間がかかり過ぎたのか、「操作を始めからやり直してください」と女性の言葉。おじいさんは、あせる。

日曜日のお昼どき。大型スーパーのATMコーナーは、利用者がずらりと並んでいる。おじいさんのふたり後ろにいたぼくは、並んでいるぼくたちをちらりと見やるおじいさんの目を見た。恐縮し、おびえているように見えた。

「操作を始めからやり直してください」

機械の女性が、またおじいさんを突き放した。あぁ、ハラハラどきどき。

おじいさんがお金をおろすことができたのは、「やり直せ」と三回言われたあと。お金を右手に握ったまま、左手で杖をつき、おじいさんは少し足をひきずりながら、そそくさと去っていった。

ATMのご案内、あのスピードはどのようにして決められたのだろう? 使うたびに、せかされているようで心穏やかでいられないのだが。



信号のある交差点。青になって歩き出す。向こう側に着く前に、信号が点滅しはじめる。横断歩道のラインの上で左折、右折の自動車が「さっさと行かんかい」とエンジンの回転をあげる。さらに、「信号がかわります」と、ご丁寧な追い打ちが。あぁ、ありがたい。

ほぼ健康なおとなの男性であるぼくが、普通に歩いて渡りきれないこの信号。身長150センチを切る、78歳になるぼくの母は、到底向こう側までたどり着けない。クラクションに追い立てながら、頭を下げつつ小走りになる。


年寄りが渡りきるのを待てないほどに、そんなに時間は大切なのかな?


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「ぼったくりですよ!」

憤慨メールがディレクター氏から届いた。資料映像の使用料のこと。

戦争中など過去の映像は、NHKをはじめ、所蔵している会社が限られている。例えば、真珠湾で日本軍の攻撃を受け、はげしく黒煙をあげながら傾いていくアメリカ艦船の姿をよく見る。あの映像は(確か)NHKが所有していて、使うにはかなりな使用料を払わねばならない。それが躊躇するほどの額なのだ。

あほくさと思っても、『真珠湾攻撃』の動画はあれしかないので、絵的に充実したモノを作りたいときは、少ない制作費を削り、あの映像(の使用権)を買わねばならない。ローカルの、ドキュメンタリー番組の制作にとってはものすごく痛い出費。たとえば、某局で作っているあるドキュメンタリー(30分番組)の制作費は20万。資料映像などを使う余裕はゼロだ。

上記のディレクター氏が怒っている対象はNHKではない。他の映像管理会社なのだが、戦時中のある映像の使用を申請したところ、使用料についてこう言われたのである。

*資料の検索料金  5,000円

*資料の試写料金 15,000円(+ダビング代)

*資料の使用料金 10秒で50,000円

10秒使うだけで、最低7万円(+ダビング代)が必要となる。10秒間では満足なナレーションも流せない。20秒は欲しいのだが、そのためには12万円(+ダビング代)を出さねばならない。経済的な体力のないローカル局にとっては、よほど思い切らないと出せない金額だ。


「NHKみたいな、しっかりしたヤツを作れよ」

友人・知人によくこういう内容のことを言われる。企画の浅さ、構成の稚拙さと甘さは甘んじて受ける。が、「戦争中の映像を出さなきゃ悲惨さが伝わってこない」といった批評に応えることはごく難しい。過去の、民放が誕生する前の映像は、民放は保有していない。ないものは使えない。

「NHKの歴史物は映像がよくできている」

それに比べて・・・とも言われたことがある。その「よくできている」番組はぼくも見たのだが、太平洋戦争前後の映像を主体に構成されていた。こうした内容の番組を民放で作ることは、制作予算的に言ってまずムリだ。ついでに、「CG使って分かりやすくしろよ」という要望にも、同じ理由で応えることができない。

貴重な映像をきちんと管理するのはそれなりの費用がかかるのだろう。しかし、過去の出来事を記録した映像・音声は、それこそ「公共財」、ぼくら国民の財産だと思う。テレビ局はぼくらのかわりにその映像を探し、番組上で提供するに過ぎない。

番組内容にあった映像をできる限り使いたい。戦時の矛盾を映像でも表現したい。そう思うと、そうした映像を管理する会社にお願いするしかない。その結果が、「1秒毎に5,000円です」。

「金のない局は、そんな番組を作るな」と言ってるのと同じだな。

でも、そんな映像なくても、作るけどね。






◆番組の宣伝です◆


昨年の10月にニューカレドニアでロケをし、
12月に地上波で放送された番組が、
BSフジでオンエアされることになりました。




*番組名*

『南の島の漁(すなど)り伝説
~幕末の投網師 細川の政とニューカレドニア~』

日 時:2月27日(日) 14:00から1時間
放映局:BSフジ(制作=テレビ熊本)




泉谷しげるさんと、「伝説の投網師・細川の政」が、

肥後熊本に生まれた投網のワザを、

東京湾間近の江戸川に、

そして“天国にいちばん近い島”ニューカレドニアに追います。



ニューカレドニアの先住民カナックの舟「ピローグ」。





よろしければ、ロケ紀行もどうぞ。


*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その1』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その2』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その3』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その4』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その5』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その6』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その7』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その8』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その9』







♪BGM= Sadao Watanabe 「 California Shower 」

ナベサダさんのトロピカル大ヒットアルバム。
10℃に達しない部屋で聞くのもまたオツなもの。
でも、さぶっ。

ネット経由でアメリカの中古CDショップから購入。
日本で買うよりう~んと安いのはなぜ?
経済はわからん・・・・・・。



わからんと言えば、「ライブドア vs フジテレビ」。やっぱりトップになるほどの大ニュースなのだろう、毎日、どの局のニュースを見ても必ず登場する。ここ数日は、昔懐かしい「カメ&アンコー」の亀渕さんのお顔を拝見できて個人的には嬉しいのだが。



下段、真ん中がパーソナリティ時代の亀渕さん。やせていらっしゃる。



カメさんの顔を見ると『僕を呼ぶふるさと』のメロディが頭の中を流れる。上のアルバムにもおさめてあるが、「作詞=北山修、作曲=加藤和彦」のコンビによるこの曲は名曲(と言うより佳曲かな?)だ。

そのカメさんが当時よりふっくらしたお顔で「フジ・サンケイグループに所属する方が、わが社のために、ひいては株主のためになる」とマイクを持っておっしゃる。マスメディアで一番多くやっているであろうイベントも主催・協賛がフジ・サンケイグループであればこそ開催できるとも言い切られていた。ライブドアじゃ相手にとって不足ありありということだ。

外資のマスコミ参入だとか、マネーゲームにマスコミは馴染まないとかいう話も出ているが、戦々恐々としているであろう株主さんの胸の内も無視し、まったく無責任なイチ視聴者・聴取者・消費者として言わせてもらえば、ニッポン放送を媒介としたライブドアとフジテレビが、もう垣根がないに等しい通信と放送を融合することで、なにをどのように生み出すのか見てみたいというのが本音。ライブドア側がそうしたことを意図しているかどうかはわからないけれど。

その意味では、カメさんのコメントは、ぼく的にはかなりガッカリなのである。あぁ、代表取締役になられたなぁと思わずにはいられない。

流れるニュースで気になるのは、フジの日枝さんの発言。「(ニッポン放送の大量な株の発行は)フジテレビにムリヤリやらされているような」という堀江さんの言葉をつかまえて、「そんなことを言っちゃいけませんねぇ」と語っていた。この発言だけでなく、堀江さんを語る日枝さんのその言葉に、事業の本質を知らない若輩者に対する見下したような響きを感じてしまうのだが・・・・・。気のせいだろうか?

日枝さんだけでなく、このニュースに登場する文化人の方々、そして各局の記者・解説者・論説委員なども、「マスコミだから」というコメントを頻繁に繰り返す。マスコミだから金による支配は許されないという論理。それは、一般視聴者・聴取者・読者・消費者にとってはもう空々しくも白々しい空虚な幻想としか思えない。

フジテレビの村上社長は、民放他局のこのニュースの取り上げ方について「ニュースはただおもしろおかしくやればいいのではない」とおっしゃったとか。それも「自省を込めて」という前置き付きで。

笑える。


もうひとつ、笑えることがあった。

ニッポン放送株を電撃購入したという記者発表のとき、ひな壇に並んだライブドアの首脳陣の姿。いつもの通りの格好をしている堀江さん以外は、皆さんスーツをビシッと着ておられた。そのラフな姿で、時代の先端を行くIT企業の雄というイメージを印象づけたライブドア。しかし、実務を担当する方々は、旧態依然とした格好じゃなきゃダメなのね、やっぱり。

象徴または記号としての、カジュアルな姿の堀江さん。底が浅くないことを祈りたい。






◆番組の宣伝です◆


昨年の10月にニューカレドニアでロケをし、
12月に地上波で放送された番組が、
BSフジでオンエアされることになりました。




*番組名*

『南の島の漁(すなど)り伝説
~幕末の投網師 細川の政とニューカレドニア~』

日 時:2月27日(日) 14:00から1時間
放映局:BSフジ(制作=テレビ熊本)




泉谷しげるさんと、「伝説の投網師・細川の政」が、

肥後熊本に生まれた投網のワザを、

東京湾間近の江戸川に、

そして“天国にいちばん近い島”ニューカレドニアに追います。



泉谷しげるさん、イル・デ・パンの漁師と即興LIVE。




よろしければ、ロケ紀行もどうぞ。


*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その1』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その2』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その3』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その4』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その5』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その6』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その7』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その8』

*『ニューカレドニア・ロケ紀行-その9』




アタマ、イタイ・・・・。

確定申告の書類作り。午前中から取り組んでいるのだが、進んでいるのやら、いないのやら。三歩進んでも五、六歩下がっているような気がするのだが・・・・。

計算は決して難しくないハズ。ぼくの場合、局から支払われるギャラは、振り込まれる際、無条件に10%差し引かれているし、売掛金や支払いその他、面倒なお金の出入りはない。不動産収入もなければ、事業で金を稼いでいるわけでもない。ごくごくシンプルなのだ。

でも、計算が合わないのだなぁ・・・・・。

これはもう遺伝としか言いようがない。ぼくの母は数字にからっきし弱い。ぼくが子どものころ、母が家計簿をつけていたことがあるのだが、毎月末「う~ん」とうなっていた。

「お金が1万円、あまってる・・・」

足りないというのならまだわかるのだが、余るというのはどういうコト? それも、万単位。給与所得ではない、経済的には非常に不安定な家庭にもかかわらず、このザルさ加減。子ども心に「こりゃ、アカン」と思ったものだ。

こりゃアカンのは確実に息子に受け継がれた。マーケティング・リサーチの会社にいたころ、ぼくについていたアルバイトの女の子が切れてこう言い放ったことがある。

「○○さんは電卓も使えないんだから、計算はしないでくださいっ!」

はい、スミマセン・・・・。

タテヨコ計算が、電卓を使っても、何度やっても、合わない。同じ結果にならないのだ。そんなわきゃね~だろ、と同僚たちも最初はそう言っていたのだが、電卓をたたき続けるぼくの姿に、次第にあきれた目となっていったのを思い出す。そしてついに上記のアルバイト嬢の言葉となったのだった。

きょうも、合わないんだよなぁ。

休憩しよ。






うぅぅ・・・・・・合わん。気持ちが悪くなってきた。情けなか・・・。

再び休憩。へろへろ。




もんのすご~く久々、20年ぶりくらいに『 Guitar Magazine 』なんぞを買った。那覇の書店でふと目にして購入。特集の「オールマン・ブラザーズ・バンドとサザン・ロック」に気をひかれた。

高校のころ、アルバム『ブラザーズ・アンド・シスターズ』をジャケ買いしてから、オールマンはぼくのフェイバリット・バンドなのだ。




『 Brothers and Sisters 』/表は弟、裏は妹。愛らしい。



高校時代。朝、「ジエシカ」を大音量で聞き終わってから、「さぁ、行くか」と学校へ向かったものだった。

いまや死語となった「サザン・ロック」と呼ばれた音楽が妙に耳に、肌に合い、クラプトンやディブ・メイソンなどを聞き始めたのも、デラニー・アンド・ボニー経由。そのルートとは別に、ビートルズを経てハードロックの正道(か?)を歩み、ディープ・パープルや高1のときにデビューしたクィーンなんぞのヘビー・リスナーでもあったから、ぼくの中ではアメリカ南部の粘り気味な音楽とイギリスの疾走チューンが奇妙にこんがらがって、でもきちんと住みわけていたのだった。



Yahooオークションで落札したオールマンの『インスタント・ライブ』がさっき届いた。ワン・ステージをそのままCD-Rに焼いたもので、ライブが始まる前に予約をとり、終わってオーディエンスが帰途に着くときに渡すという、ほんとにインスタント。でも、オフィシャルだし、音もいい。




『Jones Beach Wantagh, NY 8/24/04 』



アンコールで「 Layla 」をやっている。デュアンがいたらなぁ。
ディッキー・ベッツが好きなぼくとしては、彼もいないのがまたまた残念だけど。しかし、なかなか、力の入った演奏だ。

基本的に、ライブに足を運んだ人へのサービスみたいなもんだから、ショップに流通することがあまりない。ぼくも入手したのはこれが初めて。オールマンのHPでは2 or 3枚組が20ドルから25ドルで販売している。演奏と音、このクオリティなら、数枚まとめてHPで購入してもいいなぁ。その方が輸送費を入れても安くつくし。

しかし、「知らない人にCredit Cardを使われた」体験者のぼくとしては、ネット上でカードナンバーを打ち込むことに(今のところ)多少の拒絶反応が。う~ん、欲しいし、コワいし・・・・悩むなぁ。




夜。打合せを終えたあと、某局某部長宅に押しかける。



迎えてくれたワン君。実物はもっとかわいい。


こちらのお宅におじゃまするのは、実は二回目。最初は一緒に飲んでいた某部長のお誘いに乗って、深夜0時ころに寝静まったお宅へこっそり伺った。しかし、ほろ酔いかげんの某部長、玄関前でしらふに戻る。自宅のカギを持って出るのを忘れたのに気づいたのだ。結局、既にお休み中だった奥さんを起こしてドアを開けてもらうハメに。

申しわけありません。

昨夜は早め、9時過ぎにおじゃま。庭先で12時くらいまでバーベキューに興じたあと、某部長と3時過ぎまで泡盛を飲みながら真面目な話やバカ話。同じ歳ということもあるのだろう、共感する点も多々あり。

これからテレビの制作現場はどうなるのか?というのが、真面目な話の主なもの。スタッフは足りない、予算も少ない。番組作りを体感するには日々の積み重ねが欠かせない。が、経験を積み重ねていける人、自ら育とうとする人がなかなかいない。

テレビがハイハイからようやく立ち上がり、よちよち歩きを始めたころ、この世界へ入ってくる人たちは「番組を作りたい」人たちだったはず。映画の世界への憧憬を断念し、映像への情熱を番組作りにかけた人たちも多い。制作の場には“熱”があった(らしい。ぼくもその時代を知ってはいないが、生き抜いてきた人から話はイヤと言うほど聞いている)。

今はどうも違う。「番組が作りたくてたまらない」、「創造の世界で生きていきたい」という人たちばかりが制作の場に集うわけではなくなってきている。秀でた就職先、一流企業としてのテレビ局を選ぶ人が多くなっているのは確かだ。

厳しいセレクトを突破してきた人たちだ。みんな能力としては優れているのだろう。しかし、“熱”を感じることは、誠に残念ながら、ほとんどない。だが、時代は変わる。集う人間たちも変わるのは当然で、それはそれでいいのかもしれない。きちんとした番組を提供することができるなら、“熱”があろうがなかろうが、視聴者にはどうでもいいことだ。

しかし、制作現場には“熱”が欲しいな、やっぱりね。


なんて話をし、ホテルに戻ると午前3時半。寝たのは4時で、起きたのは6時。打合せ中も、あぁ、眠い・・・・・早起き体質がうらめしい。



今年初めての沖縄行き。九州上空、鹿児島を過ぎるまでは真っ青な空だったのに、突然真っ白な雲に突入。



こんなに晴れていたのが・・・



あっという間に雲の中。



雲に入ってから、上に下に右に左に揺れる揺れる。さらに、よりによって空港が混んでいて那覇空港の上をヨタヨタぐるぐる。着陸したときは脳みそがグラグラ。いや~、こんな揺れは5年ほど前、宮崎→沖縄便に乗ったとき以来。沖縄は鬼門だろうか。

学生時代、東京から帰省したとき、エアポケットに入って体が宙に浮いたことがあった。そのときを最後に、仕事で初めて沖縄に行くまで、飛行機に乗るのは極力避けたんだった。

やっぱり沖縄は鬼門?


琉球新報の「金口木舌」(朝日新聞で言えば…… (AM 10:49)

琉球新報の「金口木舌」(朝日新聞で言えば「天声人語」)が、飲酒運転で現行犯逮捕された「DA PUMP」のメンバーに苦言を呈している。紅白にも出場、レコード大賞では金賞を受賞した。若者たちの憧れであり目標でもある立場にありながら、なんという失態か!という論調。最後は「猛省し、踏みとどまって欲しい。そして切望する。再起を」と、優しく諭しているのだが、軽いショックを覚えた。

新聞の一面の、新聞社の意見や姿勢を表明する場であろうと思われる欄に、地元沖縄出身とは言え、一芸能人の犯罪を取りあげる。


 (AM 11:02)

・・・・続き。

沖縄は、なんとまあ温かい社会かと、改めて感じた。決して皮肉ではなく。これが、ぼくが住む県だったらどうか? 氷川きよしが飲んで暴れても、地元紙がこんな形で取り上げるとはとても思えない。

この温かさがぼくら他県の人間をひきつけてやまない。

しかし、この温かさは、社会全体の自己陶酔と紙一重だとも思う。みんな「沖縄であること」に酔っているんじゃないか。そう感じるときがたまにあるのも事実。それを口にすると「ヤマトンチューにはわからない」と言われたりする。議論にならずに終わるのだ。


(AM 11:14)

・・・・続き。

沖縄の人たちが、自らを分からせる努力をしてこなかったとは思わない。いや、重ねてきた努力がむくわれていないからこそ「ヤマトンチューには・・」という言葉になるのだろう。それはぼくら受ける側の問題でもある。

自己陶酔は、自己れんびん(SO505iでは変換できん!)に姿を変えやすい。それこそ琉球新報が書くように「踏みとどまら」ないと、それはとても不幸なことだと思う。


んげ! (AM 11:42)

んげ!

那覇、RYUBOのCDショップ。Guns N' Roses のコーナーがない!

と思ったら、Velvet Revolver のコーナーにまとめられているではないかっ!

ちょっとショックかも・・・・。


夕方のニュース、そのトップに載せるべき問題なのだろうか? ライブドアとフジテレビの株式取得合戦。

ぼくは株関係はダメ、と言うより経済関係はまったくダメで、株を何パーセント確保したら、なにがどうなるのかはさっぱりわからないし、それが経営やその商品・サービスのどのような形で影響を与えるかどうかも想像さえできない。放送と通信との境目がなくなってきていることは感じるけれど、テレビとインターネットが相乗効果により、利用者に一層身近なものになるのかどうかもよくわからない。

しかし、「ライブドア vs フジテレビ」という見出しを掲げるマスコミ、特にテレビははしゃぎ過ぎじゃないか? 同業他社の出来事で、企業としてのテレビ局にとっては興味津々、楽しいことなのかもしれないが、資本主義の社会では通常の、よくあるできごとなんじゃないかと思えてしようがない。

おかしかったのは、ライブドアのニッポン放送株取得に対し、フジテレビの日枝さんが言った「テレビは公共財ですから」という言葉。自ら口にすることなのかと、思わず吹き出してしまった。

「私どもは公共の財としてふさわしい番組を終日にわたり提供しています」

なんてことを胸を張って言えるような番組編成だとは思えないのだが・・・。常には営利企業として番組提内容に関係なく多大な額の金を堂々と請求しながら(ま、当然だけど)、こんなときに限って「皆様のテレビでございます」というのはあまりにご都合主義のような気がする。

「公共財」とは便利な言葉だ。国会議員の方々も、「公共財を金で買おうとはけしからん」と言い出した。その言葉だけを聞き、読めば、至極ごもっとものように聞こえるが、そんなことが言えるほどに政治家の皆さんが「公共」のために働いているとは思えない。番組放送前にしろ後にしろ、「こんな内容でよろしいでしょうか?」と局側がお伺いをたてることを当然と考えているような人たちである。誰にとっての「公共財」なのだろう。

フジテレビという民放の雄がNHK&政治家と同じ言葉を口にするというのもまたおもしろい。テレビは許認可事業なので、国の(というか、政治の)監視から逃れることはできないし、その意味では国営放送・NHKとなんら変わるところはない。

日本全国どの局も、月に一度、「番組審議委員会(略して番審)」と呼ばれる、地元の名士による番組の審議を受け、その結果を報告書として総務省に提出しなければならない。提出されたその報告書に総務省側が目を通しているのかどうかは知らない。そのまま書棚か倉庫に直行しているんじゃないかと思うが、間接的に国に検閲されていると言えなくもない。

ぼくは「番審」の場にいたことはないのだが、局の社長以下、プロデューサーやディレクターなども同席するその会議で発せられる審議委員の意見は「ごもっともでございます」と拝聴しなければならないらしい。委員の意見に反論するなど、もってのほからしいのだ。

ぼくも自分が構成した番組が「番審」で審議され、その場での論議の内容をディレクターから聞いたとき、その権威主義的な的外れさかげんにあ然としたことがある。

審議委員に地元の名士をそろえるというところから権威主義の顔がのぞく。ぼくら制作現場が知りたい聞きたいのは、普通の視聴者のナマの声。銀行の会頭や有名企業の社長などの、こねくり回したようなご意見は、番組制作の役にはまったく立たないし。


ところで、テレビ局に所属する人たちに、「自分たちは公共財で働いている」という自覚はあるのだろうか?

「公共」に奉仕する「公僕」は、視聴者に受ける番組ばかりではなく、物議をかもしだしても知らせるべきことは知らせるという覚悟が必要だと思うのだけど・・・。

これはかなり疑問だな。



「日だまりは気持ちよかもん」


先週の出張。京都では中学時代の同級生宅に泊まった。彼とは年に数回会っているし、別に懐かしくもないのだが。

京都駅の中央口付近で待ち合わせ。駅舎の変わり様には驚いた。ほんのわずかなりとも旅情を感じさせたあの京都駅はどこへやら、延々とエスカレーターが続く大大駅ビルと化している。長い階段を駆けのぼる大会への出場を募る大きな垂れ幕がぶら下がっていた。

駅前の京都タワーの情緒のなさもどうかと思っていたけど、この駅ビルがトドメだな。古都への入り口にふさわしくないこと、この上ない。

友人とふたりで鴨川沿い、二条あたりの居酒屋へ。彼の奥さんがそこで待っているという。タクシーに乗っていると、ぽつぽつと雨が降ってきた。

「あ、あそこあそこ。あの赤ちょうちん」

と言う友人の声に止まるタクシーから降りたぼくらは、氷雨の中をお店へ。ところがそこは目的の店ではなく、ぼくらが行くべき店はまったく反対方向。コロコロバックを引っ張りつつ、逆向きに歩くこと数分、店に到着。

確かに赤ちょうちんは似ている。が、店構えがまったく違うじゃないかっ!

店の座敷では彼の奥さんが。

「遅いわね~」

「あんたのだんなが思いっきり間違えたんよ」

奥さんは彼の大学の同級生。ぼくも学生時代からよく知っている。しかし、会うのは20年ぶりくらいだ。ふっくらした昔の面影はなく、驚くほどスリムに。逆に、色白の美少年だった友人は、ふくふく横に大きくなった。ものの数ヶ月前に会ったときに比べても、膨張している。

おい、成人病、だいじょうぶか?






この友人とは小学校から顔見知りで、特に仲がよくなったのは中学2年の時に同じクラスとなってから。おとなしくいい子、つまりは教師にとって扱いやすいタイプだったぼくが、若い女性教師を泣かせ、職員室に呼ばれるようになったのは、彼のおかげである。

職員室に呼ばれたのも、彼とペア。

「先生のどこが嫌いなの?!」

泣きながらそう問いかける教師に、

「えこひいきするからよ」

と、偉そうに答えたのは彼である。
「そうそう」と、ぼくはうなづき役だった。

彼の家は、お父さんが電器屋、お母さんが着付けと商売をやっていた。奈良漬けを一切れ食べると真っ赤になるほどの下戸のお父さんに対し、一升瓶も平気というお母さん。高校1年の正月に年始に行ったぼくに、「まぁ、飲まんね」と、ドンと一升瓶を出してくれた。

「あの~、オレ、まだ飲めんのやけど・・・」

「なしね!」

なしね、と言われてもなぁ・・・・。
未成年は禁酒ということをぼくの母も知らなかった。炭坑街の女だから?

このお母さんの子育ては、ぼくの母のあこがれだった。「大きくなるまで育てたのだから、あとは自分でやりな」ということがとにかく徹底していたのだ。

高校を卒業し、当然のように浪人し、さらにもう一度大学をすべった友人が、ある日、自宅に帰ると玄関に一組の布団が積んであった。こりゃ、なんや?と思った彼に、お母さんは、

「あんたにそれやるけん、どこへでも行き」

とのたまった。

高校まで行かせて、さらに1年間、予備校にも通わせた。もう親の役目は十二分に果たした。あとはどう歩くのか。それは子ども自身の責任なのだ。

子どもをどうしても突き放せないぼくの母は、「偉いよねぇ」と、友人のお母さんのことを、畏敬の念を込めて今もそう言う。






布団を一組受け取った友人は、それを餞別に関西へ。お金持ちの街・芦屋の、お金持ちが住む地区ではない場所にアパートを借りた。どこで聞きつけてきたのか、新聞社の奨学生として新聞配達をしながら、予備校に通い始めたのである。

そのころの彼のアパートに、夏、一度泊まったことがある。

小さなテレビ以外にはなにもない四畳半。ビールや日本酒を飲みながらぐだを巻き、酔って寝た日の翌朝、3時ころ、彼はごそごそと起き出して朝刊の配達に行った。

入れ墨もまがまがしいお兄ちゃんが人生相談にやってきたり、40代も後半とおぼしきひとり暮らしの女性が夜な夜な迫ってきたり、唯一の娯楽であるテレビを「受験生には必要ないやろ」と既に大学生となっていた友人に拉致されたり、他人には抱腹絶倒、本人には涙と哀愁を禁じ得ない話がこのアパート暮らしには山とある。

それは、ぼくのアパート暮らしも同様だった。

あの時代、どうしてぼくらはあんなに滑稽だったのだろう?

新聞配達をしながら京都の大学に合格した友人は、京都駅近くの3畳間に下宿した。東京の大学に行っていたぼくらには、帰省するにしろ東京に戻るにしろ、京都はちょうどいい中間点だったので、途中下車しては彼の下宿を襲った。

ある夏休みにはその3畳間に居候し、彼と共に京都駅近くの喫茶店でバイトをしたことがある。その喫茶店は昔で言うところの「純喫茶」。なにが、どう「純」なのかは知らないが、結構客が入っていた。

友人は、初めて接客した相手がオーダーしたコーヒーを、トレイですべらせその客にぶっかけた。ぼくの失敗は・・・・まぁ、それはいいが、よく首にならなかったものだ。

ちょうどピンクレディ全盛期で、来る客来る客、ジューク・ボックス(懐かしい)でピンクレディのレコードをかける。かける方は一回聞いて帰るからいいだろうが、こちらは一日に何度も何度も「♪UFO!」を聞くのだ。もう、辛抱たまらん。

アパートにテレビがなく、動くピンクレディその人たちをまだ見たことはなかったぼくが彼女たちをキライになったのは、このときのトラウマが原因に違いない。

この喫茶店の近くには暴力団の事務所があり、組員が入り浸っていた。そして、夏の甲子園やプロ野球をネタに、店で堂々とバクチをやっていた。気はすこぶるいいが小指のない皆さんに接するのは初めてだったので、アイスコーヒー(関西では「レーコー」と呼んだ。今もかな?)を運ぶのにも緊張した。

賭場が開かれた翌日は、賭に負けた客が金を持ってきて、「これ、やっといてんか」とぼくらに渡す。胴元のふところに入るその金は、多いときは客ひとりで200万くらいあった。その一万円札の束を手にしたぼくらの頭に「逃げよう!」という思いが走ったのは事実。一夏のバイト料の十数倍はあるのだ。喫茶店に履歴書などを渡しているわけではないし、とんずらしてもわかるまい。

しかし、200万で一生逃亡者として暮らす度胸はぼくらにはなく、昼下がりに胴元がやってくると、「これ、あずかってました」と渡すのが常。胴元は「おう」と一言、札束を腹巻きにしまい込む。B級映画じゃないのだが、現実の方が劇画タッチ。いや、ギャク・マンガかな?






友人は東京にもよくやってきた。ふとんをかかえて家を出てから仕送りは「ゼロ」。東京で左官屋の仕事を見つけた彼は、長い休みごとに上京し、ぼくの四畳半の下宿をねぐらにせっせと生活費と学費を稼いだ。

優しく、人なつっこい彼は、ぼくの下宿の大家老夫婦にも受けが抜群によかった。夏休み、帰省していたぼくが部屋に戻ると、1階から大家さんのおばあちゃんの声がする。

「○○さん、○○さぁ~ん」

おばあちゃんが呼んでいるのは、友人の名だった。ぼくが窓から顔を出すと、おばあちゃんはびっくりしたような顔をして言った。

「あら、××さん、いたの」

はい、ぼくの部屋ですから。

そんな暮らしをしながら、友人は大学の四年間を自分ひとりでやりくりした。学問を修めたかどうかは「?」だけど、ぼくらのころに既に死語だった「苦学生」だったことは確かだろう。

「苦学生」を、彼は、やり通したのだ。






大学を出て関西の企業に就職した友人が、入社したばかりの5月のゴールデン・ウィークに上京してきた。どこか元気がないのでどうかしたかと聞くと、

「これからカミさんをもらいに行かないかん・・・・」

「はぁ?!」

それが、こんどの旅でぼくが20年ぶりに会った奥さんなのだが、当時、つきあっているとはまったく知らなかった。

まぁ、なんだかんだといろいろあって、関東の某市にある彼女の実家に「娘さんを下さい」と言わねばならない状況に陥っていたのだった。

新入社員の冬には、もうパパとなっていた友人。「あまりに早すぎ」「準備がよすぎ」と、同僚・上司からあれこれ言われたらしい。

そりゃそうだ。

彼ら新婚夫婦の家庭を訪ねたとき、その家は積み木のようなかわいい家だった。1階は六畳間と台所、2階は四畳半一間。その六畳間で鍋をつつきつつ、飲んだぼくらは、2階の部屋で寝た。ふとんはふた組に増えてはいたが、客用のものはなく、ぼくは寝袋に入り、足を階段の踊り場に出して横になった。

夜中。何時ころだろう。川の字の真ん中に寝ていた赤ん坊が、火がついたように泣き出した。赤ん坊の扱いなどもちろん知らないぼくは、おそるおそる揺らしてみたりするものの、ぎゃんぎゃん大泣きして止まらない。その両親はと見れば、父親も母親も酔って大いびき。こちらは揺り起こそうとしてもまったく目を覚まさない。

どうしたらいいものやら、途方にくれたぼくは、この世が終わるかのように泣く赤ん坊と、楽園に魂を遊ばせている如き両親の寝顔を見比べながら、子どもはたくましいなぁと感心していた。

大泣きしていたその赤ん坊も、もう大学院生だという。






先日、泊めてもらった友人の家は、住宅街の一角に最近、建てたばかり。夜遅く帰ったリビングには大学一年の次男坊がテレビの前に寝ころび、家の裏からは犬の鳴き声が。覗いてみるとひょうきんな顔をしたパグがご主人様にお帰りをしていた。

雨の中、友人はパグを散歩に連れだした。


彼がふるさとを離れてからもう30年近くの歳月が流れた。関西に居着いた彼は、もうふるさとに戻ることはないだろう。

こうして人は新しい居場所を見つけていくんだな・・・・・・。

お前は、子どもたちにふるさとを用意した。大したもんじゃないか!



車で10分ほどのスーパーへ車で買い物に行くときには、いつも音楽を聴く。きょうは、80本ほど積んだMDの中から、自分でセレクトした Favorite シリーズの1本。

MDをセットするとギターのトレモロから始まる 『母と子の絆』 → 『マイ・ガール』 → 『嵐の恋』という流れに思わずじ~ん。あぁ、我ながらいい選曲。

ま、“選曲”と言っても、

『 Mother and Child Reunion(母と子の絆/ポール・サイモン)』

『 My Girl (テンプテーションズ)』

『 No Matter What(嵐の恋/バッドフィンガー)』

という、ただアルファベット順に並んでいるだけだけど。いい曲はどう並べてもいいのだな、うん。



『母と子の絆』

ポール・サイモンはソロよりも「サイモン&ガーファンクル」の方が好きかも。やっぱり『サウンド・オブ・サイレンス』や映画『卒業』の印象が強いからかな。ダスティン・ホフマンが「エレ~ン!」と叫びながら教会のガラス窓を叩く、あの姿を真似するヤツがクラスにもひとりはいた気がする。

「ウェディング・ドレスのままやけん、すぐ捕まったやろ」

と、美しい物語の終末を冷静に断じ、皆にしばかれたヤツもいた。
でも、キャサリン・ロスなら『明日に向かって撃て!』かな、やっぱ。



『マイ・ガール』

ファルセットが苦手なぼくは、エディ・ケンドリックスよりもデヴィッド・ラフィンの方が好き。彼がボーカルをとったテンプテーションズのナンバーの中でも、『マイ・ガール』は飛び抜けた名唱だ。イントロの“あの”ギター・リフをはじめ、これ以上の編曲はもうできないだろうと思えるほどのできばえだと思う。

ソロになってからもいい曲を歌っているけれど、一番印象に残っているのは、エディ・ケンドリックスと共に招かれたホール&オーツのステージ。ま、実際に見たわけじゃないけれど、そのステージを収録したホール&オーツのアルバム『ライヴ・アット・ジ・アポロ』は熱い。



『嵐の恋』

『 No Matter What 』が、なぜ『嵐の恋』となるのかよくわからないけど、いい曲。この曲や、『ウィズアウト・ユー』、『デイ・アフター・デイ』といったヒット曲ばかりでなく、アルバムに収録されている曲はどれも耳に残るものばかり。

グループ名をアイビーズからバッドフィンガーとかえ、ビートルズの弟分的な扱いで、ビートルズが設立したアップルから再デビューしたことがよかったのかどうなのか。

オリジナル・メンバーのふたりが相次いで自殺したということがどうしてもクローズアップされてしまう。バッドフィンガーを聞いていると、「売れる」と「売れない」をわけるのは、曲ではないことがよく分かる。


夜10時半ころ、自宅へ帰る。ふぅ。

金曜日のせいか、羽田の第二ターミナルは大混雑。飛び立つ便は軒並み満席。旅に出る前に予約していてよかった。

が、チケットはまだ購入していなかったので、販売カウンターへ。ずらりと人が並んでいる。結局、チケットを買うだけで30分もかかってしまった。

ぼくがチケットを買っている最中、となりの窓口で会社員風のおじさんが「キャンセル待ち、できる?」と聞いた。

「ただいま80名の方がお待ちですが、よろしいですか?」

「ンきょぇっ」

おじさんは驚きで声にならない声をあげた。単身赴任の帰宅かしら? 今日中にお宅に戻るのはムリみたいですねぇ。






Randy Meisner 『 One More Song 』


疲れたときによく聞くアルバム。
イーグルスのオリジナルメンバー、ランディ・マイズナーのセカンド。

適度にポップで、さりげなく哀愁ただよい、心にゆっくり浸みてくる。
そんな佳曲が9曲並ぶ。

グレン・フライ、ドン・ヘンリー、バーニー・リードン、
ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・シュミット・・・、

イーグルスのメンバーとして活動したミュージシャン、
彼らがソロとしてリリースしたアルバムの中で、
ぼくは、この『 One More Song 』が一番好き。

グラミー賞に輝いたドン・ヘンリーや、
サントラにいい曲を提供したグレン・フライのような
華やかなソロ活動は(今のところ)ないけれど、
このアルバムをものにできたということは、
『 Hotel California 』に参加したことよりも嬉しいことじゃないのかな。


いまは気の合う仲間とかつての名曲を演奏しているとか。
それもミュージシャンとしての生き方。
ロック・ミュージシャンとして定年を迎えた人は
まだ誰もいないわけだし。




AM10:10
きのう、山崎で取材後、京都で中学時代の友人と待ち合わせ。
彼の奥さんも加えて、京都三条近辺の鴨川沿いにある飲み屋で乾杯。
奥さんは友人の大学時代の同窓で、その頃からぼくもよく知っている。
20年ぶりに会った彼女は、見違えるようにスリムになっててびっくり。コロコロ太った友人と並べ眺めて時の流れを実感する。
夜は枚方市内にある友人宅に泊めていただき、今朝、7時前、仕事で新潟へ行く友人共々、奥さんの運転で京阪の駅まで送ってもらう。次に会うのは、また20年後だろうか?

新幹線は名古屋を過ぎた。





AM11:50
恵比寿駅に着く。同行予定のディレクターはまだ来ず。西口改札真正面のコーヒーショップで待つ。
東京にいたころ、最後に働いた会社は恵比寿だった。結婚式をあげた教会もここ。馴染み深い街なのだが、駅もその周辺もまったく変わってしまった。もう、見知らぬ街である。
ガーデンプレイスという巨大なお遊び空間ができ、なぜか動く歩道がじごじご流れていく。
恵比寿様の像は移動させられ、ひっそりたたずむ。かつての親しみやすさと哀愁も消えた。不気味なところになった。
変わらないのはラーメン屋くらいかなぁ。


あしたから、京都1泊、東京2泊、計3泊4日の巡業の旅。

さっきから荷物を詰めているんだけど、コロコロバックとディバックのふたつになってしまう~。振り分け荷物じゃないっつうねん。

宿のゆかたもどきでは寝ているあいだにハダカとなってしまうので、寝巻きは欠かせない。

雨の中を歩く可能性があるので、ジーンズも1本、持って行かねば。

あとは日数分の下着に薄いセーター、そして打合せ用の資料に、久々に合う友だちへのおみやげ・・・・・。

あぁ、やっぱり1個にまとめるのはムリかぁっ!
いやだぁ、あしたは確実に雨になりそうなのにっ!

いやいや、死ぬ気で詰め込めばなんとかなるかもしれん。

One More Try!!



もんのすごく、いい天気。


空は真っ青。買い物へ向かう通りも気持ちいい!


朝は放射冷却でぐんと冷え込んだけど、太陽が昇るにつれぐんぐん気温が上昇。ぴかぴか明るくて、まぶしい。こんな日を“小春日和”と言うのだろうか、吹く風は少し冷たいけれど、陽差しはぽかぽか。車の中にいると暑いくらいだ。

ネコ助も日だまりでごきげん。


「後光が射しちょるやろ」






ゴルフの宮里選手が、がんばっている。でも、「ひとり」でじゃない。北田選手という相棒がいるのだけれど、ニュースではちっともコメントが聞けない。スポットがあたるのは、宮里選手ばかり。それも必ず“19歳の”という形容詞がつく。

最近のスポーツ・ニュース、特にNHKの表現力はオソマツじゃないかなぁ。10代の選手には、その年齢を振り回すばかり。先日、テニスのシャラポワ選手が優勝した大会のニュースは「ロシアの17歳!」が彼女のニュースのキャッチフレーズと化していた。

毎日、朝、夕、夜のニュースで「ロシアの17歳!」から始まるニュースを聞いていたら、「他に言い方、ないのかい?!」と思ってしまった。10代で才覚をあらわしたスポーツ選手は別に珍しくはない。まぁ、その美貌でこれまでにないほどの観客を集めたシャラポワさんの存在は別格なのかもしれないけれど、あまりに連呼されると選手にとってもプラスにはならないと思う。

宮里選手のニュースも“19歳”がニュースのアタマにつく。はたちになったら年齢は消えるのだろう。そんなに10代はクローズアップされねばならない年代なのだろうか。

ぼくは自分が10代のころ、10代に重きを置くおとなたちを「アホか」と思っていたし、おやぢとなったいまもそう感じている。10代でもやる人はやるし、やらない人はやらない。それは40代でも同じだ。

オリンピックのアーチェリーで銀メダルを獲得した高校の先生は「中年の星」と形容された。あの先生は若いころからの長い研鑽が結実したのであって、中年だから銀メダルをとれたのではないし、中年だから金メダルに手が届かなかったわけでもない。

努力はいずれ実を結ぶという意味では、この先生は「中年の星」ではなく、「いまを懸命に生きる若者たち」の「遠い未来としての星」だろう。おやぢたちが「オレもがんばらねば」という対象ではない。先生は、ひとつのことを、ずっとがんばってきたのだし。

年齢を振り回すのはやめにしないか。ニュースが浅く感じられてしょうがない。それに、コンビで行っているゲームの相方をチラリとも見せない、声も聞かせないのは、その人、そのスポーツを冒涜するものだろう。ぼくは“ゲーム”を見たい、その正しい経過を知りたいのだ。藍ちゃんの笑顔を見せるだけなら、ニュースはワイドショーにもかなわない。



図書館で資料の接写。

3時前、図書館へ。他の場所で取材を終え、移動してくるスタッフを待つ。
休日の図書館は、たくさんのお客さんで満席。受験生の姿は、きょうは見えない。もう2月も半ば。いまさら図書館で勉強でもないのかな。

3時少し過ぎ、スタッフ到着。ディレクター氏がカウンターで用件を述べる。事前に申し込んでいたので、図書館側が資料を準備してくれていた。ありがたい。

空いている部屋でお仕事開始。

資料の文字や写真などを大写しすることを「接写」と呼ぶが、この接写というのが実に大変。数秒のカットを撮るのに30分はゆうにかかったりする。今回も撮影するものは6点ぐらいしかないのだけれど、3時間くらいはかかるだろう。

まずは、ふたつ背合わせにしたテーブルに黒い布をかけ、端をテープで止める。ライトは2本。その光に紗をかける半透明のビニールをテーブルの上に渡し、スタンドで固定。

ライトを一定にあてると画像がのっぺらぼうになるので、ライトの前に黒い布をはった四角い枠ふたつ立て、光線をV字型になるように調節。

資料を黒い幕の上に置く。が、厚い本なのでうまく開かない。手で押さえていればいいのだが、そうすると画面に手が入る。図書館の資料なので、テープで固定するわけにもいかない。ディレクターとカメラマン、「う~ん」と悩みつつ、アシスタントの男の子と資料の下にデジカメを入れたりして資料の固定化を目指す。

四苦八苦の様子を、ぼくはそばで見ているだけ。なまじ手を出すとジャマになるだけ。餅は餅屋なのである。

なんだかんだと工夫をして資料の固定化に成功すると、カメラマンが、イスの上に立って高い位置からカメラをのぞきつつ、アシスタントに「もっと、もちょっと(光を)入れて」などと言いつつ、光のV字型を微妙に調整。今回の撮影はハイビジョンなので(でも、放送は通常方式)、モニターを通した映像はやはりきれいだ。

「はい、用意、いいですよぉ」

カメラマンのOKが出るまでに、およそ45分。きっと早い方だと思う。今回はアシスタントの男の子がいて、よく動いてくれたし。

接写が終了し、機材を車に積み終えたのは午後6時。この撮影でロケはすべて終了。お疲れさまでした。

あとは編集するだけ。これが大変なんだねぇ。




先日、ちょっと足をのばして湯布院へ。




由布岳は、雲の傘をかぶってた。



「道の駅」の脇には凍った雪が。蹴りを入れてもビクともしない。




湯布院を訪ねた目的のひとつはこのお店の「食べるお茶」。



昨年、通りすがりに訪ねて気に入る。でも、店の場所も名前もうろ覚え。
で、今回、改めてこの店を探す。

昨年の日記( 2004年6月4日)に書いた「かぶせ茶」は間違い。
正しくは「すすり茶」。



小さな湯飲み茶碗には、食べるために育てられた玉露が。



伊万里で作ってもらったという砂時計で3分間待つ。



ふたをかぶせたまま、茶碗の端からすするように飲みながら、
甘いお菓子をいただく。



三度、飲んだお茶の葉は、きれいに開いている。
ここにポン酢を数滴。う~ん、うまい。



お茶の葉を食べ終えたころ、ご主人が持ってきてくれたのは、
柑橘系の和菓子。渋さにそまった舌に心地いい。



お店のアイドルは、しっかり顔も印象的な猫の「あいちゃん」。
じゃれてくれるのは嬉しいけど、ツメが伸びててぼくの手は傷だらけ。



1セット、800円と1,000円の2種類。
昨年訪ねたときは800円の方をいただいたので、今回は贅沢をする。
お茶に1,000円。でも、その価値は十二分にある。


お店はこちら → 「茶いほり」



半日、図書館で資料探し。

1941(S16)年12月8日の太平洋戦争開戦の日から、1945(S20)年8月15日の敗戦の日までの朝日新聞(縮刷版)をぺらぺらめくりつつ記事を拾い読み。新聞が大本営の発表以上に戦意をあおっていることに今さらのように驚く。

この新聞を読む限り、国民が戦果に歓喜雀躍すること、それは軍部の期待以上のものがあるように感じる。それに拍車をかけたのが文化人と呼ばれる人たちの戦争賛美。

「人は人としての道がある。敵は人じゃない」

ある文化人は、こう言い切っている。人間ではない鬼畜米英ら連合軍は殲滅することこそ人としての道理だと。

国民は、こうした言葉を大本営の発表ともども丸飲みに信じた。マスコミの宣伝効果は恐ろしい。

今、自衛隊は世論の懐柔を“作戦”として遂行中だ。その手本となっているのは、陸軍の宣伝手法。国民の心の中に入っていくにはどのような方法が効果的か? 陸軍はその研究を熱心に行っていた。自衛隊は、“軍”の先輩が残した遺産を活用しているわけだ。

災害救助に従事する姿を広く知らしめることも“作戦”に位置づけられている。NHKはインドネシア沖の大地震のその後を今も毎日のニュースでかなりの時間を割き、伝えている。それはそれでいいことなのだが、自衛隊の存在とその活動を視聴者へよりソフトに伝えようという明確な意志があるように思えてならない。

それは新潟で、震災のあとの大雪に苦しむ市民をサポートするため、雪下ろしに勤しむ隊員たちの姿も同様だ。市民を助ける自衛隊、とても頼りになる存在。その見せ方そのものが“作戦”のひとつとなっているのじゃないか? マスコミは本格的に活用されはじめたのではないか? そんな疑念がぬぐいきれない。

救援活動それ自体はとてもいいこと、非難するようなことではない。しかし、これまでに比べるとその露出があまりに過多ではないか。それは「自衛隊」が「自衛軍」となるために、活動を広く国民に認知させる本格的な“作戦”が始まっているんじゃないか。もしかすると「自衛軍」という名前の「軍隊」は、既に誘導路を通り過ぎ、滑走路へと出て、もう飛び立とうとしているんじゃないか。

疑い出せばきりがない。

昨年、某大学教授に、イラクへの自衛隊派遣について尋ねたときに語ってくれた言葉が、頭のすみにずっと残っている。

「今の状況を見ていると満州事変以降30年代と非常に似ている。満州事変から日本の戦争は、既成事実を作っていくわけですね。そうすると最初はおかしいと思っていても、いったん満州を取ってしまえば『それはそれでいいじゃないか』と。更に次の段階に現状追認で、起こってしまったものは仕方がないんじゃないかという形で追認していくという。本当は元々そこの出発点がおかしいのであって、元から考え直す必要があるんだというのを考えないで、既成事実をどんどん追認していくんだというそのパターンを、また今も繰り返してしまっているんじゃないかという風に感じてます」

自衛隊のイラク派遣延長も、ぼくらは追認した。アメリカがイラクで起こした戦争に参加したという既成事実をさらに認めたことになる。

なぜ、自衛隊はイラクに行ったのか? 「大規模破壊兵器はなかった」と結論づけられた。なのに、なぜまだ自衛隊はイラクにいなければならないのか?

問い返されることなく、追認だけが続く。






コタツに向かって仕事をしていると、ネコ助の挙動がなにやら不審。
ドーナツクッションの穴に、「そ~」っと近づいてくる。


「これ、なんじゃ?」



「どりゃっ!」



ずぽ。


よかね~、お前は。いっつも楽しそう。


ブッシュさんが「こうしよう!」と表明したアメリカ合衆国来年度の予算。国防費の伸びを5%以下と、前年の7%アップに比べ低く抑えこんだのが売りだとか。

その“目玉”の国防費は4,990億ドル。この中には、140万人にのぼる兵士の給与3%アップ分が含まれている。が、イラクやアフガニスタンでの軍事活動に使われる800億ドルは「別予算」なのだそうだ。どこが“売り”で“目玉”なのかしら。

別予算の「800億ドル」がどのくらいの額なのか、実感するのは難しい。

$1=¥105 とすると、

$80,000,000,000×¥105=¥8,400,000,000,000!!

「!」と言ってみても、やっぱり実感がわかない。
“8兆4千億円”と表記すると、少し身近になるかな。

これだけ巨額な税金をわざわざ「別予算」として投入し、さらに国民の生命を費やしていながらも、世界から憎しみを買う。アメリカの納税者には、納得のいかない人も多いとか。

この8兆円は、イラクとアフガニスタンで、直接人の命を奪うことに使われている。これほど無益なカネもない。これだけの額があれば、どれほど多くの人が救えるか・・・・そう考えるのが自然だろう。

いやいや、この8兆円で利益を得、平和な市民生活をおくっている人も数多くいる。世の中に戦いがなくなれば、消滅する産業もあるだろう。

人の“業”が産む8兆円。
少なくなったとしても、なくなることはないんだろうな、きっと。



「化けて出たれ」



ウィークデイのほぼ毎日、午後4時を過ぎると、ぼくは夕餉のおかずをもとめに車で10分ばかりの大型スーパーに行く。この時間、かなり多くの買い物客で生鮮食品のコーナーは賑わっているのだが、ぼくのようなおじさんを見かけることはあまりない。

幼い子どもが、全くの通りがかりの人間に襲われ、命を落とす。そんな事件が続く。スーパーに用意されたカートに乗って、母親が押している、そのときに無惨にも命を奪われた。なんとも痛ましい限りだ。

そんな事件が起こると、お尻の両ポケットに穴をあけたジーンズをはき、体に馴染みきったフリースを来て、元は白だったのかな?的な色のバスケットシューズを履いて、平日の午後、スーパーをうろつくことの多いぼくは、どうも見つめられているような気がして緊張する。幼い子どもを連れたお母さんはもちろん、店の人たちも注意深く、疑い深くなっているだろうし。

だから、売り場におなじようなおじさんの姿があると、「おぉ、同志よ」と、少しホッとする。ただ、おじさんたちはスーツか作業着に身を包んでいることが多い。ジャージの上下といったラフな格好は、休日くらいにしか見られない。そうだよな、平日に私服でふらふらしているのはちょっと妙だもの。

しかし、「どうすればいいの?」と悩まずにはいられない社会&時代になったものだ。幼い命を殺めた男は同情の余地はないとは言え、この不況下に無一文で刑務所から「もう帰ってくるなよ」と外の世界に出されたら、これまたどうすればいいのだろう。今の社会が受け皿になれない以上、どこかがサポートする以外にない。更正施設がその受け皿なのだろうけれど、法的拘束力もないので、プイと出たらそれきりだ。

監視体制を強めようという声も聞かれる。罪を犯し、刑期を終え、社会に復帰した人たちだけを対象とするのではなく、普通に暮らすぼくらもその対象としようという、いわば「監視社会」を作り上げようというのだ。それが「安心」につながるという理屈。

それは違うんじゃないかな?

どのように監視されても、抑えつけても、締めつけても、逸脱する人間は出てくるだろう。また、“誰が”“どのように”監視するのかということも重要な問題となってくる。「監視社会」から「管理社会」へ移行するのは簡単だ。それもぼくらの目の届かない水面下で。「監視社会」は、「ぼくらをまとめて面倒みてください」とその存在を丸ごと投げ出すことに等しい。

だからと言って、横行する通り魔的な暴挙を放っておくわけにもいかない。どうすればいいのかなぁ、ほんとに。

核家族化する前、多世代が同居する家庭が地域という共同体を作り上げていたころは、そこに暮らす者たちは互いをゆるやかなつながりで規制し、守るようなシステムがあった。

でも、農業・漁業など第一次産業が見はなされ、都市へと人が流れて行くにつれ、そのつながりは無くなって、右を見ても左を見ても、上も下も知らない人に囲まれている。それは、地縁血縁を嫌う人たち(ぼくもだ)にとっては、とても暮らしやすい空間ではある。

今、いたるところで街おこし地域おこしが行われているのは、つながりを再構築したいということなのだろう。しかし、そのつながりから解き放たれた快適さを知ってしまったぼくらが、また「手をつなごうよ」という、当時はうざったいと思っていた環境に戻っていくことができるのだろうか?

でも、ぼくらはきっとつながらざるを得ないのだろう。「私たちは 誰も ひとりじゃない」という歌詞が、「ぼくが そばにいるよ」という呼びかけが、特に人の心を打つ時代になっている今、この時代には。

現代の「ひとりじゃない」は、いにしえのアイドル・天知真理が歌った「ひとりじゃないの」とは、もうまったく姿を変えてしまっている。「あなたは ひとりじゃない」と呼びかけてもらわずにはいられないほど、ぼくらはしんしんと“ひとり”に浸っている。

電車の中でもケータイを握りしめているぼくたちは、実はもう、ひとりでいることに耐えられないのだ。




Tim Hardin 『 Simple Songs 』


ティム・ハーディンという歌手をぼくは数年前まで知らなかった。

彼が作った曲は、ずっと昔から耳にしていた。
ロッド・スチュアートの「 Reason To Believe 」、
ボビー・ダーリンの歌で1966年に全米8位と大ヒットした
「 If I Were A Carpenter 」もハーディンの作だ。
知らなかった。

1969年のウッドストックではハーディン自身が
「 If I Were A Carpenter 」を歌っている。
これもつい最近まで知らなかった。

ダーリンが「 If I Were A Carpenter 」のお返しにとハーディンに贈ったのが
「 Simple Song Of Freedom 」。
生ギターの響きを生かした明るいメロディと柔らかい声で、
「自由の歌を歌いにおいでよ」と語りかけるこの歌を、最近よく聞いている。

「自由」「自由」と、ブッシュ大統領は「自由」の大安売りをした。
国によって、民族によって、宗教によって、個人によって、
求める「自由」は違うはず。
戦争をしかけ、血を流させてまで「アメリカの自由」を押しつける。
それは、正しいことだとはどうしても思えない。

“We, the people here, don't want a war.”

多くの人の思いは、この歌詞の通りなんじゃないのかな。

去年の9月半ばから10月初旬にかけて、ロケハン&ロケで千葉県浦安市を数回訪ねた。「浦安=東京ディズニーランド」という図式しか頭にないぼく。もう15年くらい前にディズニーランドへ取材に行ったとき、あまり芳しくない印象しか残らなかったので、「浦安はあんな街なんだ」と思っていた。

ところが、浦安その街を訪ねてみると、家並みや路地に昔ながらの漁師町の面影を残した古い街と、高層マンション、アパート、ホテル、そして大学や大型スーパーが建ち並ぶ広大な埋め立て地域とが奇妙に共存する、素敵な街だった。ディズニーランド取材のときは、園内とその周囲を見ただけ。やっぱり、ちゃんと訪ねてみないとダメだなぁと思ったことだった。

浦安には、もう四半世紀以上も会っていないぼくの中学時代の同級生が住んでいて、浦安市○○というその住所も、他の友人から聞いて知っていた。ロケハンのときにふと電柱を見ると、その○○という地域名が。あぁ、このあたりに住んでいるのかぁ・・・・。周囲を見渡し、遙か遠い中学時代を思い出してひとりしみじみしてると、同行したディレクターに「どうかしたんですか?」と回想を遮断された。

結局、浦安では、その○○地区界隈と、東西線の浦安駅近辺、そして新浦安駅前と東京湾に面した公園でロケを行った。


東京湾に面した高洲海浜公園。幕張方面が見える。




ことしに入ってから、その同級生からメールが届く。浦安、それも自分が住んでいる○○地区をぼくがウロウロしたということを年賀状で知った同級生の、「なんで知らせないんじゃ!」というお叱りのメールだった。なんだか嬉しかった、叱ってくれて。

きのう、メールでわかったのだが、ぼくらがロケを行ったのは同級生の家のすぐそばで、海辺の公園もときどき遊びに行くという。改めてそう聞くと、「お~い、やってきたぞぉ!」と驚かせればよかったと残念無念。しかし、朝から夜まで仕事でバタバタしている真っ最中に「いやぁ、ひさしぶり! 一杯やろう!」というワケにもいかなかったなぁと自分をなぐさめる。

学生時代を含めて15年ほど東京で暮らしたので、関東周辺には友人知人が結構多い。ぼくが上京する機会はときどきあるのだけれど、やっぱり仕事がらみ。夜も打合せと称する飲み会があることがほとんどなので、友だちに会いたいなぁと思ってもその時間はめったにとれない。昨年ものべ2週間ほど東京で過ごしたのに、誰にも会えなかった。さびしか~。

学生時代を終え、はや四半世紀。
一度、「友人邂逅の旅」でも企画するかな。



特攻隊の資料を読んでいると、人間は人の命をこんなにも軽く考えることができるんだなぁと、驚き、あきれ、くらくらしてくる。

沖縄が「鉄の暴風」と呼ばれる、アメリカ艦隊の艦砲射撃を受けているとき、最高戦争指導会議は「本土決戦」を決めた。参謀本部作戦部長はこう回想する。

「どんな構想の作戦をもって戦わんとするか、選択の余地などあろうはずがない。作戦は航空全機特攻、水上、水中すべて特攻、戦車に対して特攻、地上戦闘だけが特攻を避けられよういわれはない。頼むは『石に立つ矢』の念力のみ」

作戦? そんなもの、あるはずがない。特攻、特攻、また特攻。あたって砕けて、玉と散れ。最高指導会議が念力頼み。


初めて特別攻撃隊を組織したとされる海軍中将は、日本がポツダム宣言を受け入れ、敗北を認めることを知ったとき、こう言った。

「我々は戦争に勝つための方策を陛下に奉呈して終戦の御決定を考え直してくださるようお願いしなければなりません。我々はこの方策に猛然と取り組んで、実現させねばなりません。我々が特攻で2000万人の命を犠牲にする覚悟を決めるならば、勝利は我々のものとなるはずです」

若い命の犠牲が、まだまだ足りない!

大本営の首脳陣にそう言って詰め寄る指揮官。このとき、生命はそれが宿る人のものではなく、この指揮官が言うところの「我々」、国のものなのだ。


昭和20年8月15日、敗戦の日。
この日、自分で航空機を操縦し、南の海へ最後の特攻へ出た指揮官もいる。彼は、真珠湾攻撃決行日が決定されたことを聞いた日の日記にこう書いている。

「万事オーケー、皆死ね、みな死ね、国の為俺も死ぬ」

みんな死んだら、なにが残るのかな?


ふう・・・・・。


当時の国民がマインド・コントロールされていたと言うのは簡単だし、軍部が狂気におかされていたとするのもたやすいこと。しかし、今を生きるぼくらが、これからこうならないとは限らない。

個人主義だ、自分勝手だと言われようが、「個人が集まって、国はできる」という考えを変えるわけにはいかないな。



年が改まって早々、あれやこれやとバタついた「Credit Card 知らない人に使われた」事件。「契約した覚えのない会社」から月々決まった金額が引き落とされていることに遅まきながら気がついて、クレジット会社に対応を任せていたら、先月末の日付で支払った金額が払い戻された。

クレジット会社宛に『申立書』をぼくの名前で出し、それを受けて「契約した覚えのない会社」の取引銀行との交渉をクレジット会社がやってくれた成果(のハズ)。

クレジット会社からは「返金のご案内」というハガキが来た。記された内容は返金支払額と返金理由、そして商品名称。返金の理由は「請求金の差し戻しの為」。商品名称は「契約した覚えのない会社」。知らない間に支払われていた$300弱は、これでめでたく戻ってきたことになる。

お金が戻ってきたことは実に喜ばしいけれど、「いつ、どこで、誰が、どうやって、ぼくのクレジットカードの番号を盗み、いつ、どのように使用したのか?」ということはまるでわからないままだ。

12月に「使用した」とされて1月の支払い分に明記されていた「契約した覚えのない会社」からの請求金額は「0」になり、引き落とされずにすんだ。
その金額と同じ額は、2月の引き落とし日に支払うように先送りされていたのだが、さっき、クレジット会社のHPで確認したらその記載も消えていた。ということは、これでもう解決なのだろうか?

電話では「訴訟になった場合はご協力をいただかねばなりません」と言われたのだけど、その可能性もなくなったのかな?

う~ん、なんだか釈然としない。
後学のために「カードナンバーは、どこで、どのように盗まれた可能性がある」ことは知っておきたいのだが、連絡先にTELしてもまったくつながらないのだ。クレーム処理センター自体がブラック・ボックス化してるのかな?

『申立書』を提出してから、クレジット会社からはまったく連絡がない。そして舞い込んだ返金を知らせるハガキ。見事に事務的で「これでサヨナラ、もうアナタには関係ありません」と言われた感じがする。

ぼくのカード番号管理がずさんだったと言われれば「はい、すみません」とその通りなのだが、番号が盗まれた(としか考えられない)カードは、使い先を(ぼくなりに)限定していて、お店の人などぼく以外の他人が接触した(レジでカードをスキャンした)のは昨年10月のロケ先での1回しかないのだ。

それ以外の可能性は・・・・・どう考えてもネット上しかないなぁ。こちらも、カード番号を打ち込んだ先は限られているのだが。

どこかで、誰かが、覗いているのかな? コワい世の中である。


*この出来事での教訓

  クレジット会社からの明細は、目を凝らしまくって見ること!

肝に銘じます。




しかし、いきなり「製造・販売禁止。製品廃棄」判決とは驚いた。
ワープロソフト『一太郎』が松下電器の特許を侵害したという訴訟。バージョン・ナンバーさえない、『一太郎』が世に出たころから使い続けているぼくとしては、巨大資本の弱いものいじめのように思えて仕方がない。

どこがどう特許の侵害なのか。朝日新聞によると、

「ソフト上の、マウスの絵と?マークを組み合わせた『ヘルプモード』ボタンと呼ばれるマークを押した(クリックした)後、別の機能を実行するためのボタンを押すとその機能の説明が表示される仕組み」

文字で書くとごちゃごちゃしてるし、パソコンを使わない人には、なにがなんだかわからないだろう。ぼくも理解しきれなかったので、『一太郎』上でやってみると・・・・なるほどなるほど、“?”マークが出たまま、例えば「プリンタ」をクリックすると「印刷をします」的な短い説明が出るってことね。

こんな機能があるなんて、初めて知った。あってもなくても、どちらでもいいように思えるけど、松下電器にとっては、まなじりを決して『一太郎』という日本語ワープロソフトの草分け的存在を消し去らねばならないほどに大切な特許なのだろうか?

知的所有権は大切にしなければならないということはわかる。わかるけど、『一太郎』しか売り物がないと言っていいジャストシステムという田舎のこじんまりとした会社から、その命綱を取り上げることが許されるのかな。

よくわからない。

ぼくがパソコンを使い始めたころは、日本語ワープロソフトは自分で購入しなければならなかった。で、あれこれ試して決めたのが『一太郎』。使い勝手はまだまだだったけど、辞書が賢いのがよかった。その特徴は今も引き継がれ、『ATOK』は他の辞書ソフトに比べてやはり賢い。

ところが、ウィンドウズに『ワード』が“勝手に”ついてくる(「バンドル」と言ったような気がする)ようになると、パソコンに初めて触れる人や、ソフトに無頓着な人にとっては、日本語ワープロソフトと言えば『ワード』となってしまった。

仕事先に台本などをメールで添付するとき、最近は『ワード』でなくてはダメな場合が多くなってきた。『ワード』しか使えない人の方が今はずっと多いのだ。

逆に、ぼくは未だに『ワード』が使えないので、送付するときは『一太郎』で作ったファイルを『ワード』に変換しなければならない。きれいに変換してくれればいいのだが、罫線や表組みなどが入るとがたがたになってしまうことがある。これを修正するのがまた面倒だ。

広く普及してしまった『ワード』。仕事柄、使えなければまずいとは思うのだが、やってみると扱いづらいことこの上ない。いろんな製品を使ってみたけれど、こんなに使いにくい日本語ワープロソフトはないと断言できるほど。まぁ、要は慣れなんだろうけど。

特許特許と、鵜の目鷹の目。知的財産が金を産むことに大企業が目をつけはじめた。数多くの機能が組み合わさってひとつのソフトになるのだけれど、機能ひとつひとつに「うちの特許だ」、「これはうちのだ」と言い始めたら、新たな製品を生み出すことはとても難しくなってしまう。機能ごとに特許のあるなしを調査する、それだけで経済基盤の弱い会社はお手上げだ。

松下電器にも言いたいことは多々あるのだろうが、次のバージョンから問題の機能をはぶくことで妥協するというくらいの寛大さが欲しい。それもできないというのは、結局、エンド・ユーザーのことを考えてくれてないということなんじゃないだろうか。

ぼくは、『一太郎』の側に立つ。
が、シェアがどんどん減っていくなぁ・・・・・・『ワード』を覚えなけりゃやっぱりダメかな。マイクロソフトの軍門に下ったようで、これまた悔しい。






わぁ、雪だぁ!






夕方、買い物に出ようと家を出たら、大粒の雪が、横なぐりに降っていた。
近くの駐車場にとめていた車のウィンドゥは雪で覆われ、前が見えない。
ワイパーを動かすと、「ん~、よぉいしょっ」と雪をかき分けた。

スーパーに向かう間に、雪はどんどん強くなってきて、ワイパーを動かしていないと運転ができないほどに。車をとめ、携帯で写真を撮る。写真では雪の激しさがいまいち伝わらないけど、九州では久々に見る大粒の雪だ。

ついつい嬉しくなりつつ買い物を終え、帰るころになると雪はあっさりやんでいた。な~んだ、つまらない。

夜のニュースで豪雪地帯の様子が。「きょう、これで雪下ろし、4回目です」と疲れ切った様子のご婦人。周囲は3メートルも積もった一面の雪だ。

息を切らせて「ようやく掘り出しました」と言うその先に、雪まみれの(というより、雪祭りで作ったような)車が。こりゃ、すごい。

雪に埋もれる生活は大変だ。たまに目にして、うきうきするくらいがちょうどいいかな。



気温は3度程度とプラスなのだが、風の強いこと強いこと。体感温度は完璧にマイナスという感じ。こんな雪混じりの強風の中を出かけたのは久しぶりだ。

きょうはラジオ・ドキュメンタリーの打合せ。某局がプロダクションに依頼し、そこがぼくに声をかけてくれた。番組の構成という今の仕事を始めてそろそろ丸16年。でも、ラジオの仕事は3、4本しかやったことがない。

テレビは説得力のある映像さえあれば、ナレーションもBGMもいらない。その映像だけで伝わる何かがある。しかし、ラジオは音だけだ。音のみでテーマを伝えることは本当に難しい。初めてやったときには、なにをどうすればいいのか、さっぱりわからなかった。

いまも同じく、わからない。

声と効果音と音楽で聴取者の想像力をどう喚起するか。それが成否の分かれ目だということは頭では理解できるのだけど、どうすれば喚起できるのやら・・・・・。

昨年、今回と同じプロダクションでやったラジオ番組は、事実に基づいたドラマ仕立てという形だったけど、今回は取材対象者のインタビューを使って淡々としたものにしようと話がまとまる。フィクションのように、プロローグにクライマックス、そしてエピローグを意図的に作るわけにはいかないから、どうメリハリをつけるかがカギとなる(いいインタビューが録れることが前提だけど)。

プロダクションの担当者は、今回は音に凝りたいと言う。確かに、どんな音(BGMや効果音、生活の音など)を使うかということ、そして、どこで音を入れない“間”をとるかが肝要なのだろう。

目に見えない“音”で聞き手の想像力を呼び起こす。そんな、慣れないことをするのは緊張するけれど、おもしろくもある。

しかし、ラジオの仕事をするにも関わらず、車にしかラジオがないというのはイカンのじゃなかろうか? 考えてみると、ここ四半世紀ほど、家の中にラジオがあったためしがない。

担当者は取材したインタビューをMDに落としてくれるのだけど、それを聞くにもカーステレオを使わにゃならんというのもこれまた困る。
ラジオとMDプレイヤー、買おうかしら?


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