番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


いやぁ、揺れた揺れた、大揺れだ。

2005年3月20日午前10時53分。

午前さまで二日酔い。コタツでごろごろしていたところに、家が「みし」と音をたてた。ん? と思ったとたん、床が、壁が、天井がぎしぎしきしみ、ぐらんぐらんと揺れだした。

「こりゃ、でかい!」と思わず中腰になる、その間に揺れはますます大きくなる。チェストの上に乗せたテレビが「スターウォーズ」のR2-D2のようにぐりんぐりん。今、家を出ると瓦なんぞが落ちてくると危ないから、揺れがおさまるまではこの部屋にいよう。

落ち着け落ち着けと自らに言い聞かせつつ、「ストーブはついてない」「ガスも使ってない」、だいじょうぶだいじょうぶと念じる。

そのうちに、おさまってきた。

大きく揺れたのはさして長くない。10~15秒くらいだろうか。テレビをつけると、福岡市の中心部は震度6弱、ぼくの家のあたりは震度5弱との速報が。

その速報を見てから、部屋を見て回る。

最初に覗いたのは、キッチン。食器棚はだいじょうぶ。落ちて割れたりしたものはない。

本棚とその上に乗せた陶器のツボなどもなんら変化なし。たまたまきのうから泊まりがけで出ている母の部屋の鉢植え類もきっちり立ったまま。倒れたモノはなにもない。

家の周りにも瓦などの落下物はない。平穏そのもの。

「ほんとに震度5もあったんかなぁ?」

そう思いつつ、自分の部屋に入ったら、が~ん!




本棚の上に積んでいたビデオテープとCDのBOXSETが散乱


はぁ、片づけなきゃ・・・・・。二日酔いのアタマがガンガンしてきた。


しかし、時間がたつにつれて本当に大きな地震だったことがわかってくる。玄界灘に浮かぶ小さな島・玄海島では数十棟の家が全壊し、お年寄り、子どもたち、そして女性の皆さんは船で福岡市に渡り、市内の体育館で避難生活へ入ることに。

福岡市の中央、天神の一角に立つ街の顔・福岡ビルの窓ガラスが大半、割れて落下。きょうは休日、時間も早めだったので、ここのガラスでケガをした人は男性ふたり。これが多くの人が仕事で行き来している平日だったらどうだったろうと思うとゾッとする。

そして、ほんの先ほど。お年寄りの女性が倒れたブロック塀の下敷きになり、亡くなったというニュースが。気の毒だ。


余震が気になり、夕食の買い物に出るタイミングを失う。仕方ない、きょうは外食だ。6時少し前、車で10分ほどの、バイパス沿いにあるうどん屋さんへ。注文して、はぁ~しんど、と息をついていたら、家族連れのお客さんたちが続々とやってくる。みなさん、どことなく地震疲れのご様子。




うどん屋さんの広い駐車場は車でいっぱい。



この地域は地震が少ない。ぼくは東京にいたころ、震度5を体験しているのでそれほどでもなかったが、ほとんどの人は初めての地震体験と言っていいだろう。それも大揺れ。お父さん、お母さん、そして子どもたち、みんな興奮気味できょう一日を語り合っている。


まだ余震が続いている。こんばんは用心してストーブをつけるのはよしておこう。
よりによって、冷えてきた。体育館に非難している人たち、寒いだろうな。体調など、崩しませんように。


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