番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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繁忙期に突入。てんてこ舞いにて、書き込み不能。ネコ助、助太刀。


激・快晴。4月の真夏日。窓の外は青空、花々。

なれど、ちびのネコ助、

「見えんどぉ!」


窓、開けたる。


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*アメリカ=6分

*イギリス=5分

*日本=1分


駅で待つ乗客が「電車が遅れた」と感じる時間だそうだ(「ニューヨーク・タイムス」調べ)。
実際は、アメリカ、イギリスとも、もっとおおっぴらに遅れるそうだけど。


ぼくが利用する駅でも、1分以上遅れるとホームに「ひとつ手前の駅を1分の遅れで、ただ今、発車いたしました」とアナウンスが流れる。東京の山手線や大阪の環状線ではない。北部九州の、駅周辺には人が集まり住んでいるけど、駅を出ると間もなくレールの両側にたんぼが広がる。そんな路線。通勤時間には確かに利用者は多いのだが。

こうしたアナウンスは客の少ない昼間でも同様。そのアナウンスをうるさく思ってしまうような感覚でいると、異様に思える気の遣いようだ。でも、それはぼくら利用者へのサービスなのだろう。

遅れた1分を乗り換え駅までに取り戻してしまうことも日常。数メートル、オーバーランすることだって別に珍しいことじゃない。日常なのに、大惨事。

不可思議。

東京で「酷電」と呼ばれる満員電車に乗っていたころ。1分でも、1秒でも、この辛さから解放されたいと思った。それは、通勤・通学する人は、どこでも、誰しも、感じることに違いない。「1分ぐらい、がまんしろよ」とは言い切れない。

遅れることが許される状況にあったなら、事故は起こらなかったのだろうか?


昔、インドに行ったとき。
出かける前にいろんな人から言われたように、列車ダイヤはあってないようなもの。30分、1時間の遅れは日常。遅れどころか、到着・出発のアナウンスもない。

車内で同席した人に「時間通りに列車はこないんですね」と言ったら、

「時間は目安だよ」

と、返された。

そんな世界に、ぼくらはもう戻れない。



亡くなった人の数は増えるばかり。

元気に家を出た家族。次に会うのは、遺体安置所? ・・・・・想像しがたい。

事故を起こした列車の運転手。制服を着た姿は1両目に確認できるが、なんの反応もないという。

その状態を知らされながら、運転が事故の原因と見なされつつある状況の中にいる家族。今、どんな思いでいるんだろう。

謝罪するJR西日本の社長。その言葉が「通り一遍だ」と憤る家族。ぼくも家族の立場になれば、同様の反応をするに違いない。

しかし、ぼくが社長の立場だとしたら?
90余名の命が失われ、400人以上の負傷者を出した現実を前に、通り一遍ではない言葉が出せるだろうか?

自信がない。

遅れたのは1分半だという。90秒。
これを取り戻さないと、他の路線との接続に混乱をきたす。
利用者からは苦情が出る。

帳尻を合わせようと、制限速度を5割も超えたスピードで列車を走らせる。

列車が遅れたのはオーバーランした運転手の責任かもしれない。
でも、急がせたのはなんなのだろう?


こんな情報も出てきた。→ 「JR尼崎駅、1秒単位で遅れ報告」 (asahi.com)


90秒の遅れも許容できない。いや、1秒も?

こんな時間の流れのなかで、ぼくらは生きている。



ぼくは憶病なので、他人の運転する車に乗るのが恐い。
それが運転のプロのタクシーであっても同様。プロであるからこその乱暴・無謀運転に出くわしたことも多いし、雨の中を100キロ近くでぶっ飛ばされたときは生きた心地がしなかった。運転手の技量は認めても、信頼することはできない。

午前3時頃、制限速度50キロのところを30キロオーバーで走っているタクシーがスピンしたことがあった。運転手は「あ~、びっくりした」と言ったが、広い片道三車線、計6車線道路のど真ん中、後続車も対向車もなかったからビックリするだけですんだのだけど、普通であれば救急車に乗り換えているところだ。

だから、運転するのがたとえF1ドライバーのM・シューマッハでも恐い。信頼度で言えば、うちのカミさんの運転の方が高いのだ。それでもタクシーに乗る機会は多い。「安全運転の人だったらいいな」と祈りつつ、通りを走る車に手を挙げる。

タクシーはこちらが運転手を選ぶことができなくもない。こちらが「乗車拒否」もできるし、危ない運転をするドライバーの会社には二度と乗らないという手段もとれる。しかし、電車、バス、飛行機などは運転手・操縦士を選べない。信頼する、しないにかかわらず、その電車、バス、飛行機には乗らねばならない。命を他人に預けるしかない。

きのうの脱線事故。その惨状と被害の多さに唖然とするばかりだが、報道の論調が「運転士」に集まっているのが気にかかる。経験が少なく、過去に数回のミスをおかし処分されたことがあり、当日も前の駅でオーバーランをした23歳の若い運転手。オーバーランしたあと、この運転手は運転を管理するところからの問いかけにも答えなかったという。

が、今も1両目に取り残されているという情報もあるこの運転手のミスなのか? それはまだわからない。なにが原因なのか、まだかいもく検討がつかないはずなのだ。運転歴に問題あり、だから責任は彼にある、という推論で話を進めていいんだろうか? 今、見ている朝のワイドショーも、運転士の適性を話題にしている。

「マスコミは、警察なんですか?」

松本サリン事件で当初から犯人扱いをされた河野義行さんが発した言葉だ。

河野さんが加害者ではなく被害者であるとわかったとき、マスコミは憶測や推論でモノを言わないと自戒したはず。しかし、注目を集める事件が起こるたびに「○○かもしれない」「××だと思われる」で語られる。あぁ、今も「あくまで仮定ですが」と前置きして「かもしれない話」が始まった。

こんな言葉でしか語れない出来事を、議題にあげてもいいもんだろうか?

でも、実際はそうした番組やコーナーだらけ。憶測なしにワイドショーなどは成立しない。「視聴者が求めているから」というのが局側の本音だろうし、評価が固まった出来事は話題にできず、視聴者も見ようとは思うまい。


事故の記者会見で、「現在、脱線したことしか確認できていない」旨のコメントをしたJR西日本側に向かって、記者団から罵声が飛んだ。

「そんなこと、ないやろ! 人が死んでんねんで!」

ぼくがもし記者席にいたら、やはりこんな傲慢な尋ね方をするだろうか?
マスコミはそれほどにエライのだろうか? なにか勘違いをしているんじゃなかろうか?


まだ車内には取り残されている人がいるという。もう丸一日たっている。一刻も早く救助されることを祈るしかない。



「これは、世界に向けて『日本は負けたー』と言った敗北宣言と同じです。それをやったら、幸福になれたんです。それでもなおかつ『負けてはいない。戦に負けたのは表面上のことで、ほんとうは負けていない』とバカらしいことを言ったり書いたりする分子がときどきいるけどね。『負けましたー』とはっきり言うから、そういう人たちの力で立派に復興できたんです。『負けてはない』と言うなら、立ち直ることもないのです」






先日、沖縄に行ったとき、3月に亡くなった照屋林助さんの追悼番組を見た。

 「照屋林助さん死去/戦後代表する演芸人」 (沖縄タイムス 2005.3.10 夕刊)

 「ワタブー60年愛され逝く/歌謡漫談・多彩な知識」 (同上)

 照屋林助さん、通称てるりんさんのCDは こちら

かつての水虫のCM以外では初めて、動くて「るりんさん」を見、その芸と話術のおもしろさにぶったまげた。こんな人なら、生前にその舞台に接しておくんだった。惜しいことをした。

で、2、3冊、てるりんさん関係の本を読んだ。
上にあげた文章は『てるりん自伝』の一節。

『てるりん自伝』 照屋林助 著/北中正和 編

「小学校でいじめを体験したとき、母親が学校へやってきて、先生にではなく、てるりんさんをいじめる子供に説教をした。そのおかげでいじめはなくなった」というエピソードに続いて上記の言葉が出てくる。

う~ん、全面的に賛同できるなぁ。

「日本帝国は、負けてなどいない!」

そう強弁するヒト、そう思い込みたいヒトたちは、てるりんさんのこの言葉を100回ぐらい口に出して読んでみて欲しい。事実を認めることの尊さがわかるに違いない。

反日の動きが高まる中国。それを中国の教育政策のせいにするのは簡単だ。でも、戦争を知らないぼくらに関係ない話ではない。中国の若者の怒りは、戦時中の日本軍に向けられているのではない。過去の出来事をきちんと知ろうとしない、日本の戦争を知らない世代(もちろん10代20代の若者を含む)に向けられている。

どうしてぼくは高校時代、明治維新までしか学ばなかったんだろう? 日本史の授業は明治維新まで。あとは受験のための自習時間と化した。教科書での扱いの薄っぺらさもさることながら、教師の「明治からあとは入試にゃ出ん」という言葉もどうかと思った。思ったのだが、自習時間と化したことをいいことに、グラウンドに出て球蹴り遊びをしていたっけ。

その程度なのだ、ぼくらの歴史認識は。

遙かに遠いぼくの高校時代でこれ。近代史・現代史は今はもっともっと薄くなっているだろう。「強制連行」や「従軍慰安婦」という言葉も、教科書から消えようとしている。

ぼくらの国が周辺の国の人々に何をしたのか、その事実を正確に学びもせずに、

「どうしてそんなに怒ってるのさ? 昔は昔じゃん。若いぼくらは仲良くやろうよ」

なんてことは恥ずかしくて言えないはずだ。

ぼくらは侵略されたことがない。植民地の人間として支配されたこともない。あると言えるのは地上戦を経験し、アメリカ軍が駐留し、買い物にドルを使い、復帰まで出るも入るもパスポートが必要だった沖縄の人たちだけだろう。

そんなぼくらが、荒れる中国の若者の気持ちがわかるのか?

まず、事実を知ることから始めなければ。それがお付き合いの基礎の基礎。ぼくらは基礎さえできないままに、世界第2位の経済大国となってしまった。中国にもODEその他でカネは山ほどつぎこんでいる。「怒りを買ういわれはない」と評論家の某氏も言っていた。

しかし、過去の出来事は政治的に決着をつけてはいても、それで抑圧された個人の痛みが解消するわけじゃない。そして、その痛みは、その代で消えることもない。その経験は語り継がれていくだろうし、抑圧された歴史は学校教育でも学ばれていく。

加害の歴史は消えていき、被害の歴史は生き残る?
そうとも言い切れない面もある。地上戦を体験した沖縄でも当時を知る人が少なくなるに連れ、戦争の記憶が遠くなっているそうだ。それをどう語り継いでいくか、試行錯誤が行われている。


自伝で、てるりんさんはこうも言っている。

『世界を平和にするには、相手の異なる文化をぜんぶ認めることです。それが認められるようになったら戦争は起こりません。文化のちがいを許さないという智恵遅れの者たちが出てくるから戦争が起こるんです。自分の文化を優位に立て、相手の文化を下に見て、おまえたちはこちらに帰依しなさいと、わけもなく支配しようとするから戦争がはじまるんですね』

相手の文化を丸々認める。言うはやすし、行うは難し。それは、言葉の主のてるりんさんも認めている。そして、こう言うのだ。

『だから、わたしたちが唱えているチャンプラリズムでは、認めるんじゃなく、取り入れるんです。これは認めるの上を行きます』

参りました。


「ファーストフード。
 そのおいしさや安心は、スローにつくられています」


マクドナルドのトレイに敷く紙に大きく記されていた言葉。
このメイン・コピーのあとに、マックのハンバーガーに使われている牛肉用の牛はエサとなる牧草から農薬の使用などに気を遣っているなど、その安全性を訴える言葉が綿々と続く。

これを読んだとき、食べていたフィレオフイッシュをあやうく吹き出しそうになった。
これって、言い訳? 

「スローフード」が注目されるようになり、「ファーストフード」の雄であるマクドナルドも「意見表明せねば」と思ったのだろう。でも、このコピーは適当じゃないと思う。「安全、安心、健康です!」と耳ざわりのいい言葉を振り回しているだけに思えて、逆効果になりそうな気がするのだけど。

「スローフード」は生き方をあらわす言葉。マックのコピーにあるような、食品の安全性のみを主眼に置いたものじゃない。ぼくらの口への入り方が「ファーストフード」化していれば、いずれハンバーガーとなる牛がいかに“スロー”に健康に育てられていようとも意味はない。

「スローフード」に対抗するため、ぼくらに訴えたいのならばファーストフードの“良さ”を単刀直入に言えばいいのに。「アッと言う間に食べることができるので時間が有効に使える」とか、「左手で食べつつ右手で字も書ける」とか、「茶碗のご飯は歩きながら食べられないでしょ?」とか、「毎日食べるだけであっさり太れるから痩せぎすの人に最適」とか、「店で何時間ダベッても追い出されない」とか、言いようはいくらでもあるハズ。それがプラスに思えるかは人それぞれだけど。

マックのコピーは、ファーストフードはよくないと自ら宣言しているようなもの。ま、たまに食べるぼくも決して体にいいとは思っていないから、どんな美辞麗句を並べられても今以上に食べるつもりはないけれど。


ぼくは「スローフード」という言葉とその意味するライフスタイルもあまり好きじゃない。イタリア(だったかな?)にスローフード協会の本部があるらしいけど、各国に支部まで作って普及を図るようなことなのかなぁと思ったりする。これはぼくの流行に対する単なる反発で、興味のある人がその理念を取り入れることには全然反対ではないのだが。

 検索すると確かにイタリア → スローフード協会イタリア国際本部

 英語のページでよくわからない・・・・。

 で、こちらを覗く → ニッポン東京スローフード協会

見入ること、しばし。

う~む、しっかりした団体であり、活動だなぁ。

協会のHPには、スローフードの活動指針を以下のみっつ、あげてあった。

 1.消えつつある郷土料理や質の高い小生産の食品を守ること。
 2.質の高い素材を提供してくれる小生産者を守っていくこと。
 3.子供たちを含めた消費者全体に、味の教育を進めていくこと。


本がたくさん出ていることは知っていたけど、協会自身が雑誌を出しているとは知らなかった。

 スローフード協会公式ブック<slow>日本語版「スローフード」

おもしろそうだけど、一般書店に置いてあるのかしら? 立ち読みできるかな?



「スローフード」

初めてこの言葉を目にしたとき、「ソウルフード」だと思った。アフリカ系アメリカ人が自らのルーツを忘れないように作るという、貧しいが魂のこもった食事。それが「ソウルフード」と呼ばれるものだと雑誌かなにかで読んでいたので、

「日本でのソウルフードってなんだろう? スシ? 日の丸弁当? いやいや、先祖の苦しみを忘れないためだとするとコメじゃないな、アワ? それともヒエかしら?」

などと無益な想像をめぐらしたのだった。あぁ、発想&想像が貧困じゃ。


あさ、6時少し過ぎ。フトンの中でぐずぐずしていたぼくは、しゃ~ない、着がえるかぁ、とむっくり起きあがる。と、そのとき、「ドスン!」と音と揺れがきた。

でかい!

と思う間もなく、グラッグラグラ~ッ。思わずフトンの上に四つんばいに。

これからだ!

身構えていると、あっさり沈静化。ありゃ? もう、終わり? 当初の勢いはどこに?

速報によれば、ぼくの住む地域の震度は「5+」。先月の福岡西方沖地震のときは「5-」だから、きょうの方が揺れが大きいことになる。が、そんな感じはなかった。揺れた時間もごく短く、前回は崩れ落ちた本棚の上のビデオテープ類も異常はなかったし。

一番揺れが激しかったところも震度は「5+」。しかし、福岡市の海辺などは指標としては同じでも、ぼくが住む地域とは違い、岸壁が大きく陥没したり、崩れたり。その惨状を見ると、同じ震度だったとはとても思えない。600人近い人たちが避難しているという。

いま、午後2時近くになっても、NHKでは画面を縮小し、地震情報を流している。前回は長い時間、運転を中止していたJRや地下鉄なども止まったのはお昼ころまで。いまは平常にもどっているらしい。

今回の揺れは、福岡西方沖地震の余震だとか。余震としては最大、というか、ぼくの住む地域にすれば余震の方が揺れが大きかったことになる。


しかし、先月、地震が起きた日は姉の誕生日。そして、最大の余震があったきょうは母の誕生日。災いをもたらす星の生まれか、もしかして?




「なんかおる」


「あ、あそこにも」


「ていっ!」


nonkey37さんが 「結婚式にかけたい曲」 について書かれているのを読んで友人の結婚式を思い出した。

ぼくは友人の結婚披露宴の司会を二度、やったことがある。そのうちの一回は高校時代の同級生。ヤツはなにを思ったのか、かの帝国ホテルで披露宴をあげた。

司会を務めるにあたり、彼女のご両親からいくつか注文があった。その中のひとつが、

「あるゲストが見えるから、その方には必ず歌を歌ってもらいたい」

ということ。その方はいつ、式にみえるか分からないし、長居することはできないという。ということは、進行にかかわらず、いらしたその時点で式にねじこまねばならない。

困ったな~、でも新婦のご両親の希望にはこたえなきゃ。

と、思いつつ、宴もたけなわ。来賓のご挨拶が続くところへ、ホテルの担当者が、

「いま、お着きになりました」

と、ぼくに耳打ち。

「ご祝辞をいただいている最中でございますが、ただいま、新婦のお父さまのご友人が仕事先から駆けつけていらっしゃいましたのでご紹介いたします」

なんじゃらもんじゃらと枕詞を述べたあと、音楽と共に扉が開いて入ってきたのは、歌手で俳優の尾藤イサオさん。歌う曲は、

♪ベイビー、オレの負けさ あきらめよう 片思いの恋なんか もうたくさんだ

で始まる『悲しき願い』。

アニマルズの「 Don't Let Me Be Misunderstood 」に日本語の歌詞をのせたこの曲、ぼくが小学生のときに大ヒットした。そのナマ歌が聞けるとは!

が、しかし、場所は結婚披露宴の会場。出席者が度肝を抜かれているのがよくわかる。

♪誰のせいでもありゃしない みんな おいらが悪いのさ~

と歌い終えたあと、

「披露宴にはどうかと思ったのですが、ぼくにはこの曲しかないもんですから」

と挨拶する尾藤さんは、とてもいい方。新婦のお父さんがテレビ局のプロデューサーで、その縁もあり、尾藤さんは彼女が小さなころからかわいがっていたんだそう。で、ひと言お祝いを述べたいと新橋演舞場でやっているお芝居の合間に駆けつけてくださったのだった。

歌い、祝辞を述べると、次の舞台の開演時間が迫る尾藤さんは会場に留まることなく、風のように去っていった。歌の途中から大きく盛り上がった式場は、祭りのあとのような一種けだるい余韻が。

このあと、祝辞は続くのだが、尾藤さんの次に言葉を述べた男性から、「彼のあとじゃ、なにしゃべってもダメだよねぇ」と水を向けられ、思わず「そうですね」と言ってしまったのだった。


披露宴で『悲しき願い』。ミスマッチだけど、楽しかったなぁ。


*沖縄三日目

藤臣さんのマンガを読み、明るくなって寝て、でも起きたのは9時前。朝型体質も旅先ではちと困る。

11時にチェック・アウト。しかし、この日の編集作業は午後1時くらいからの予定。行くところがないなぁ。

仕方ない。また書店&CDショップで時間をつぶすかと、ころころバッグをひきずりつつ、総合百貨店「パレット久茂地」へ。芸がない。

気温はぼくの住む北部九州とさほど変わらないのだが、陽差しが違う。この季節でも、朝からじりじり。目的地へ着くころは背中を汗が流れていた。立ち読みする気力も失せて、9階の喫茶店へ。藤臣さんを再読。おもしろい人だ、この方は。

12時過ぎ。
喫茶店でもヒマだから、きょう、打合せ予定のB局へ。まだ約束の時間にはかなり早いけど、誰かいるだろう。

B局は、編集で訪れているA局と同じビルにある。よって、受付はひとつ。壁面にふたつの局名が並んで表示してあるという、他であまり見ることのない競合共存状態。でも、日曜日なので受付嬢がいる正面玄関は閉鎖。守衛さんのところで来訪者記名表に名前と行き先を書いて入館証をもらい、館内へ。

B局の制作部に行くと、だ~れもおらん。
だ~れもおらんどころか、電気もついていず、薄暗い。日曜日だし、まだひとりも出社していないのかな?

仕方ない。勝手に明かりをつけて、テレビをON。『探偵ナイトスクープ』をやっていた。これは先週、自宅で見たヤツだ。関西では1、2ヵ月前にオンエアしているようだから、地区ごとに放送日時がかなり違う。

だ~れもおらん局でテレビを見ること、小一時間。だ~れも来ないので、つまんない。で、同じビルの5階にあるA局の編集室へ。こちらもまだ誰もいず。ちょっとびっくり。でも、早く来たワタクシがいけないのね。

ゴミ箱に突っ込んであった『週刊プロレス』を見つけ、読み出す。お、ジャイアント馬場さん七回忌! そうか、もうそんなになるかなぁ・・・・と、思わずしみじみ。ぼくは馬場さんが好きだった。

馬場さんの七回忌を記念したイベントには、ザ・デストロイヤーはもちろん、スタン・ハンセンやブッチャーなどもかけつけたらしい。信頼を寄せる人は絶対に裏切らなかったという、馬場さんらしいほのぼのしたイベントだったようだ。


この日、予定より一本早い便で沖縄にサヨナラ。マンガで夜更かししていたし、鈴木史郎さんによるお気に入りの歌謡曲プログラムも好みの曲がなかったので、機内では搭乗と同時に爆睡。離陸したのを知らなかった。

で、あっと言う間に着陸。体感時間3分。沖縄は近い。



*沖縄初日。

編集作業は、一回目の修正を夜12時前に終了。同地にしては珍しく、その日の内にホテルへ。

その戻り道、コンビニによって食料を調達。おにぎりその他、めぼしいものは売り切れていて、残っているのは菓子パンのみ。それを3個ほどと、アロエ入りヨーグルト1個、ウィダー・イン・ゼリー2個、うっちん茶2本を買って出ようとしたら、雑誌が並んでいるところに横山光輝さんの『三国志』第25巻を発見。

「カジュアル・ワイド・シリーズ」と銘打ち、毎月一冊、コンビニで販売しているもの。ぼくは1巻から22巻までをYahooオークションで購入。この25巻で完結するのだ。

『三国志 第25巻』(横山光輝)

23巻を買い逃しているので、見つけたときに手に入れねばと、即刻購入。
旅先のコンビニでマンガの単行本を買うこともないじゃろ、荷物になるのに、と思いつつ、ホテルに戻り、午前3時くらいまで群雄割拠、動乱哀惜の世界に没頭。

あぁ、諸葛亮孔明も夢半ばにして病に倒れた・・・人の世の空しさよ・・・。

仕事を早く切り上げることができたのに、結局寝不足。あぁ、眠い。



*沖縄二日目

仕事開始は11時。朝方のぼくは7時に目が覚めてヒマ。10時少し前までごろごろし、歩いて10分ほどの「パレット久茂地」へ。7階の書店&CDショップで時間をつぶす。

書店には「沖縄のコーナー」がある。どの県にも郷土本を集めた棚があるだろうけれど、沖縄ほどその数が多いところはないんじゃないだろうか。琉球の歴史、戦争の実相、音楽、自然などなど、多彩なテーマの本が並ぶ。

この店にくるたびに地元の出版社が出している本を数冊、買って帰る。が、この日、購入したのは、藤臣柊子さんの『日本一 温泉&アウトドア篇』。

『日本一 温泉&アウトドア篇』(藤臣柊子)

新刊のところに並んでいたので、思わず手にとった。ぼくは藤臣さんのファンである。
沖縄の出版社刊でもないし、旅先で買わなくても地元の書店でも売っているハズ。でも、買ってしまった。

さて、編集作業。
この日は深夜に及ぶ。局を出たのは午前3時半。ぶらぶら歩き、コンビニでだらだらしていたら、ホテルに戻ったのは4時過ぎ。それから藤臣さんを読み、朝をむかえる。

また寝不足。あぁ、眠か・・・・。



荷造り。まだ悩んでいる。

けさは、肌寒い。フリースをはおり、コタツにはいる。

あと1時間で家を出ねば。しかし、なにを着て、なにを持っていけばいいのやら。天気予報では、沖縄のきょうの最高気温は23℃。あったかそうだなぁ。

でも、きのう、こちらは21℃。となると、昼は体感温度はあまり変わらないかしら。

仕事は室内。たぶん冷房がぎんぎんきいている。編集機は熱を持つと故障しやすいので、真冬でもエアコンを入れているところが多い。夏でも「さむっ」という感じるときもあるし。ヒトより機械を大事にして、もう!という気もするが、一台数百万円するらしい編集機がダウンするのは会社としても困るだろう。

長そでTシャツを持っていって、いざとなったら重ね着するかな。想像する・・・かなりダサい格好である。ま、いいか、ビーチをかっ歩するわけじゃなし。

ビーチ、行きたいな。


あしたから南の島へ。二泊三日の予定(もしかしたら三泊四日になるかも)。
某局で編集。その間に打合せが3本。考えるとアタマが渦を巻くのでやめ。

いまから旅じたく。
南の島は、きょう、最低気温が16℃、最高が26℃だったそう。
なにを着ていけばいいのやら? 冬物はあるけど、フリースじゃ暑いだろうし。
コットン生地の上着を持っていけばいいかしら。

色の薄れた、ジーパン生地のずんだれヤツ。体になじむなぁ。

学生時代も、こればっかり着てた。友人たちも同様な格好の連中が多く、某女子大とのコンパのとき、愛らしく、かつ世間知らずのお嬢さまに「制服ですか?」とかわいくきかれたことを思い出す。

アホか、おめ~! こんなカッコ、制服にする大学がどこにあるねん!!

でも、上下同じカッコというヤツが数名いたことは確かである。


いかん! とっとと荷造りして、フロにはいって、キレイにならなければ。
あしたは初対面の人と会うのだった。


ここ数日、ここへの接続がものすごく重いのだが・・・。
接続して、「う~ん・・・・」としばらくまっても、ページが開かない。

つなぐ時間のせいかな?と思って、夜、朝とやってみても同じ。

プロバイダーのせいかな?
我が家がまだISDNのせいだろうか? やはりADSLにすべきかな。

たまにADSLや光ファイバーでつながっているパソコンを使うと、その速さに驚く。以前はダイヤルアップで、画像が2ミリずつくらい出てくるのを「じ・・・・・」っと待っていたことを考えると、ISDNでも速いのだけど。慣れというのは恐ろしい。

しかし、通信関係の設定はニガテ中のニガテだし。
ニガテと言うより、実はさっぱりワカラン。

でも、他のサイトにつなぐと、普通の早さになるのだった。

う~ん、どうしよ?



050412_重い

「なんか、重い・・・・」


知らぬ間に888.90USドル(使用時点で96,754円也)を使われていたぼくのクレジット・カード。きょう、カード会社の担当者から電話があった。2、3日前にも電話をくれたのだが、ぼくは運転中で出られなかった。

おかしかったのは、今年の1月に今回同様の被害にあったときに担当してくれたお兄さんだった。いやいや、おひさしぶり(と、なれなれしく話したわけじゃないけど。特にお兄さんは丁重だった)。

カード会社のHPで、おかしな記載があるのに気づき、カードを止めたのが4月6日。その時点でカード会社に請求のあがっていたのは上記1件。しかし、その時すでにもう2件がカード会社の方で処理していて、結局、ぼくに請求されるのは、

4月1日=80,083円 4月2日=96,754円 4月5日=2,836円

以上3件、総計 179,673円となった。

この金額は、商品を売った会社または店舗からカード会社へと請求はあがるものの、不正使用が明らかなので、カード会社のところで請求を保留するとのこと。つまり、ぼくは異議申立書を書く(1月の時も書いた・・・)だけで、実害は受けないということにおさまりそう。

だが、商品を販売した側で訴訟となれば、ぼくの証言なぞが必要になるそうな。

あぁ、めんどくさい。


どこかの不届き者がどんな買い物をしたのか興味があったので、担当のお兄さんに尋ねた。すると、さすが担当者、請求のあがっているインターネット・ショッピングのサイトを一巡りして、どのようなサイトなのか、その内容まで調査していた。

不届き者がぼくのカードを使ったサイトはアダルト・サイトで、そこでポルノ・ビデオ(映像)を購入していたのだそうな。

それを聞いたとき、なんともナサケナイ気持になった。ぼくのカードが勝手に使われたというナサケナサと、赤の他人のカード・ナンバーを姑息にも盗み出し、それでポルノ・ビデオをちまちま買うという不届き者の性根のナサケナサ&卑しさ。

ど~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んと、使用限度額上限まで使わんかい!

なさけな・・・・・・。


1月に引き続いての不届き者体験。
自分でできることはしなきゃいかんことはよ~わかった。

以来、毎日、ネットを使ったあとに「Spybot」と「Ad-Aware」でパソコンをスキャンしている。毎日、なにやらひっかかる。

これも結構楽しかったりする。



最近は「?」マークだらけだ。


中国が荒れている。反日で。テレビの報道映像で見る限りは、若者が主体のようだ。その反日行動をカゲで指導・指揮している人たちの存在も示唆されているが、それが事実かどうかの判断を下すのはまだ早い。

日本政府は(ということは、他国から見ればぼくら日本人は)、国際連合における安全保障理事会の常任理事国入りを望んでいる。それに対し、中国の人たちは「日本が常任理事国? とんでもない!」と反発している。

常任理事国って、なんだ?

それを知らないことには、ニュースも新聞記事もわからなければ、日本政府の願望が当然なのか、中国の人たちの主張が当を得ているのかさえわからない。

で、常任理事国とは・・・、
って考えても、うろ覚えの脳みそからは出てこん。とっとと辞書をひく。
以下、『大辞林 (第二版)』より。

「国際機構において、理事国の地位を恒久的に有する国。特に、国際連合の安全保障理事会の常任理事国をいう」

わからん・・・・。
安全保障理事会とはなんじゃ?

「国際連合の主要機関の一。世界の平和と安全の維持を任務とする。米・英・ロ・仏・中の常任理事国と任期二年で改選される一〇か国の非常任理事国で構成。会の決議は国連の全加盟国を拘束するが、常任理事国の一国でも拒否権を行使すれば決議は成立しない」

世界の安全と平和の維持を任務とする(すごいな)セクション。ここでの話し合いのとき、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中華人民共和国、この常任理事国5ヵ国が「いやだ」と言えば、「世界の平和と安全を維持」するための取り決めをつくることができないということね。

そんな重い責任を日本政府は自ら背負おうとしているのか。すごいね。

外務省のHPには常任理事国を目指すワケが質問に答える形で記してある( 外交政策Q&A )。

自分で質問文を作り、それに答えたのであろう上記の文章は、とてもわかりにくい「回答」なのだけど、その中でも次の言葉がひっかかる。()内は補足。

「日本が常任理事国になれば、このような(軍縮や不拡散、開発、人間の安全保障をはじめとする様々な)貢献・協力を行う能力をより継続的・効果的に発揮していくことができると考えています」

常任理事国になると、なぜ国際貢献を「継続的・効果的に発揮していくことができる」のか? それが明記されていない。金だけでなく、拒否権を得て口も出すこともできるようになれば、今まで以上に世界の平和のためにつくすことも可能になるというのか? さっぱりわからない。

「日本の主張は、『金は出してるんだ。戦争が終わって60年もたつ。そろそろ口も出させろ』ということなんですね」と、素直に書けばわかりやすいのに。

常任理事国入りするということは、外務省がぼくら国民を想定した回答で言うところの「軍縮や不拡散、開発、人間の安全保障をはじめとする様々な貢献・協力を行う能力をより継続的・効果的に発揮していくことができる」ようなプラス面(これも、「日本の能力を発揮される」ようになる地域や国にとってはマイナスとなる可能性も大だけど)だけではない。ぼくらの行く先が不安になるような危険性をはらんでいる。

韓国の新聞『中央日報』の日本語版に掲載された論文 「日、安保理常任理事国になるならば」 にはこうある。

「安保理の役割は単に平和的な貢献だけを遂行するだけでは不足であり、集団安全保障を中心にした国連の平和維持活動に積極的に参加して責任を分担せねばならない。結局、米国が指摘したように、平和憲法第9条の改正により、集団的自衛権を行使する通常の軍を創設することが避けられない。したがって、日本にとって国連安保理の常任理事国加入は、日本国憲法の改正と密接に関係する」

この指摘に、ぼくは同意する。

外務省のQ&Aでは、武器を使った安全保障にまったく触れていないが、この韓国の人が記しているように、安全保障理事会の常任理事国となれば国連としての軍事活動を「危ないことは憲法9条で禁じられていますから」と回避することはできない。

「軍隊ではない」自衛隊も武器を携え人道的支援にあたっている。小泉さんは「自衛隊は軍隊だ」と明言しているし、常任理事国入りせずとも日本に軍隊ができる可能性は高い。さらに、国連安保理の常任理事国ともなれば、「国際貢献のためには軍の派遣は不可避だ」とぼくらをたやすく説得できる。憲法を作りかえたいと願う人たちにとってはそれも大きなネライなのだろう。

ある世論調査によると、「憲法を改正した方がいい」と思う国民は5割近くにのぼるとか。「どちらとも言えない」という人を入れると7割の人が憲法をいじってもいいと思っていることになる。

なぜ、今、憲法をいじらなくてはならないのか? その理由の多くが「国際的な貢献のあり方をはっきりさせるため」だという。貢献のあり方なぞ、現行憲法で充分だろう。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記してあるのだから。


日本国憲法

第2章 戦争の放棄

第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



「憲法をいじくりたい」というその理由の中に「アメリカが押しつけたから」というものがあった。日本国憲法の由来をきちんと知らないに違いないが、再び日本に攻められないためという思惑でアメリカが入れた一条であっても、その意味することが正しければそれでかまわない。

他の国の人を不安に陥れてまで、常任理事国になぞならなくていい。






ぼくは、憲法をいじくらねば、と考える人たちの気持ちが理解できない。

「現実を見ろ」と彼らはよく言う。確かに現実は凄惨だ。戦争の世紀を超えても争いはなくならないし、新たな火種はあちらこちらに見える。

彼らは「理想を追うな」とも言う。そう、理想はいつも叩きつぶされ続けてきた。理想への歩みはのろく、停滞、いや、後ずさりしているかのように見える。

しかし、憲法をいじくりたい人たちに問いたい。

人間は、理想を追わないのなら、なにを追うのだ?

そんなに理想を持つことは浅はかなことなのか? 

理想があるからこそ、人は歩んでいけるんではないのか?

理想を追ってきたからこそ、なんとか現在にたどりついているんじゃないのか?

親は子に「理想を持ってもムダ。持つなら銃にしなさい」と教えるのか?


戦争のない世界、それが理想だ。その理想に近づくためには、戦わない覚悟が必要だ。たとえ憲法9条がなくても、ぼくは戦わない。それがぼくの覚悟だし、戦火を生き抜き育ててくれた親世代への返礼でもある。


けさの朝刊に、学校でメディア・リテラシーについて教えるようになった云々という記事が出ていた。

ぼくがこの「メディア・リテラシー」なる言葉を知ったのは、ほんの数年前。目で見、耳で聞いてもなんの意味やらさっぱりわからなかった。今もはっきり「こうだ!」と言えるまで理解しているとは言い難い。メディアに関わる仕事をしながらマズイとは思うものの、わかるようでいて、やっぱりとらえどころのない概念だという気がする。

その真に意味することはさておき、「メディア・リテラシー」なんて、なぜこんな言葉を日本語訳せすに、そのまま使うのだろう? 日本語にはない考え方、視点なのだろうか?

メディア・リテラシーは、「 media literacy 」と記すそうだ。これでもさっぱりわからん。「なんなの、一体?」てな世界である。とっつきにくいこと、この上ない。

「リテラシー/literacy 」を某辞書で調べると、

 1.読み書きの能力,識字能力;教養がある[教育を受けている]こと.

 2.(特定分野の)知識,能力;(コンピュータなどの)使用能力

という意味だそう。
その使用例として、「 sexual ~ 性の基礎知識 」とあった。う~ん、分かりやすい。


「メディア・リテラシー」とは、「メディアの言うことを鵜呑みにするな!」ということだと思う。ぼくの勝手な解釈だけど。特にマス化したメディアの言うことは。

メディアから流れ出る情報が事実であり、真実であるという保証はどこにもない。うがった見方をすれば、新聞であれテレビであれ雑誌であれ、警察や行政の発表をそのまま流していても、メディアで働く人間としてはその役を果たしたことになる。そういうことは現状にないとは、メディアの内部にいる人間にも断言はできないだろう。

夕方、ズラリと並ぶニュースを連続的に切りかえていくと、同じ出来事に関する記者レポートがクローンのように似ていることがある。同じ事件の概要を伝えるのである。同じになって当然なのかもしれない。しかし・・・・取材ってなんだろう?と、首をかしげる。同じ内容を伝えるのならば、そんなにいくつもの局は必要ないだろう。

情報は、ぼくらのところへ届くまでに、メディアの中にいる誰かが取捨選択している。ぼくらに知らせる、知らせないということを決めている人(セクション)が存在することは常に意識しつつ、メディアに接しなければならない。まずは、疑ってかからなけりゃいかんのだ。


それにしても「メディア・リテラシー」ね・・・・。わかりづらい言葉だな。


「メディア・スクラム」という言葉もある。この意味をぼくは完全に取り違えていた。

「メディアがスクラムして報道する。権力や巨悪に対し、メディアが協力しあい、立ち向かうことなんだ」

それがこの言葉に初めて接したとき(確か新聞記事)の、ぼくの解釈。
なんのことはない、まったく逆ではないか。

「メディアがスクラム組んで弱い者イジメをする」

そこまでメディアのチカラが巨大化してしまったということなのか。しかし、それを感じているメディアの人間がどれほどいるのだろう。

あ、あまりいないから、わざわざこうして自戒しなければならないわけね。


「メディア・リテラシー」、「メディア・スクラム」・・・。

心に留めつつ、日々、生活をせねばならない現代って、かなり大変な時代かも。




フジテレビとライブドアの争いは、今、どうなっているのだろう?

一時はうんざりするほど、定時ニュースでもトップ項目。ニュース番組の半分ほどの時間を割くほどだったのに、最近は日枝さん、堀江さん、亀淵さん、皆さんの顔にとんとお目にかからない。

取り上げるほどの動きがないというのが伝える側の言い分だろう。でも、表面的な動きがないときこそ「重大な動きがある」と常々意味深にほのめかしているのもテレビ始めのマスメディアじゃなかったかしら?

マスメディア、特にテレビがどこまできちんと独自の取材をしているのか「?」マークが頭にたくさん浮かぶのは、伝えるニュースの大半がこうした「言いっぱなし」だから。「きょうのライブドア」的なコーナーを設けて欲しいとは思わないが、現状はどうなのか、水面下では何が起こっているのか、緻密な取材をして報じて欲しい。

テレビ局にとっては人ごとではないはずだ。今回のような、強引な買収劇ではなくても、テレビ局が買収されることはこれからも起こるだろうし、マーケットのサイズに適合するように民間放送が統合されることもないとは言えない。その際、社員が当事者となるのはもちろんだけど、視聴者も多大な影響を受けることは避けられないのだし。

堀江さんは「メディアによる影響力の拡大」を試み、その目標とするところは「メディアからの莫大な利益」だと報道されている。それが本当なのか違うのかは、ぼくはあまり興味はない。フジテレビがライブドアの傘下に入ろうが、フジの役員はじめ社員が整理統合されようが、それは資本を核に動いている今の社会では日常的に行われていることだ。

しかし、マスメディアは “儲からないこともやらねばならない” ことは、その存在理由からも明らかだ。ライブドアが “利益をあげることのみ” を主眼に参入を考えているのならば、この “儲からないこと” はあっさりと切り捨てられるだろう。それは、やはり許されないことだ。ここに、この出来事に敏感にならねばならないワケがある。


社会の動きを伝えるテレビ、ここ数日は中国での反日デモ一色だ。が、映像はエスカレートしている部分しか伝えない。「なぜ、こうなっているのか?」という疑問にこたえてくれるニュースに接することはほとんどない。

今、起きていることを伝える、それがテレビだ、というのも正論なのかもしれない。しかし、この反日運動も、過激な動きが収束していけば、ニュースとして取り上げられることもなくなっていくような気がする。ここでもまた「伝えっぱなし」となる可能性が大だ。

いいのか、それで?



050408_うにゅ

「うみゅぅ、満足」






朝からあったか、昼はぽかぽか、春眠暁を覚えずの季節に。

ネコ助は暁どころか、
昼下がりでもごろごろ身づくろいしながらうつらうつら。

バチがあたるど~。



「スパイウェア」に対抗するべく「Spybot」と「Ad-Aware」でスキャン。初回の「Spybot」で112、「AdーAware」で175のヒット。ぎぇ~っと驚き、再度スキャンしたりして、結局総計500を越えるヒットがあった。

もう、茫然自失。普通にネットにつないで、時たまネット上のショップで買い物をしているだけなのに、この数はなんやねん! 別にいかがわしいところを覗いた記憶もないし、雑誌などのおまけに付いてくるフリー・ソフトなどをインストールした覚えもない。

なのに、ぼくのPCは怪しげな連中の梁山泊と化していたのだろうか?

ソフトの手ばかりは借りてはいられない。敵はCookieにもくっついてきて、ぼくの個人情報をその会社に流すらしい。じゃ、Cookieを遮断すれば、危険は減るのじゃなかろうか?

ぼくのカンペキに文系アタマはそう考え、インターネット・エクスプローラーの設定を変更。
メニューバーの[ツール]→[インターネット・オプション]→[プライバシー]ときて、そこの設定を最高レベル、[すべてのCookieをブロック]まであげる。

これで不届き者も入って来られまい。Cookieを受け入れなくすると、行きつけのサイトなどに入る時、いちいち「ID」と「パスワード」を入力しなければならない。でも、その程度の手間で無用な不安とストレスから解消されるならいいわい。

そう思ったら、なぜか楽天のこのページにログインできない。「ID」も「パスワード」も正確なのに、入れない。以前、なんども同じようにログインしたことがあるし、間違えるような手順でもない。

でも、入れない。自分のページにログインできない。

あらら。

最初はパスワードを間違えたかと思い、新しいパスワードに変更してみた。が、それでもダメ。にっちもさっちもいかないので、楽天さんにメールでお尋ねしたら、「インターネット・エクスプローラーの『ファイルの削除』を実行してみてください。それでもダメなら、ネットスケープなど他のブラウザを使用してみてください。それでもダメなら、再度ご連絡を」という、ご丁寧な、しかし、「他のブラウザを使え」という素っ気ないお返事をいただいた。

で、アドバイス通り、インターネット・エクスプローラーの『ファイルの削除』を実行する。が、しかしやっぱりログインできない。

「さては、こちらが楽天のCookieを受け入れないと、ログインできなくしてるのか?」

そう思い、エクスプローラーの「Cookie」の設定を元に戻したら、あっさりログインできた。なんじゃ、こりゃ?

ネット上で商売をしているところにとっては、顧客になるかもしれないこちらの情報を得ることはとても大切なことだろう。それは、理解できる。しかし、もし、利用者が自分の情報をオープンにしないから利用の制限をしているとするならば、そりゃ、信義にもとるやり方なんじゃないかしら?

楽天さんがそのようなことをしているとは断言できないので、あまりあ~だこ~だと言うことはできない。が、PCの設定を「Cookieを受け入れない」設定にしたらログインできなくなり、元に戻したとたん、なんの障害もなく入れたということは、楽天側がそういう設定をしているという疑いはぬぐいきれない。


毎日、「スパイウェア」対策として、スキャンとCookieの削除をしよっと。


ぼくのクレジットカードのナンバーを横流しした容疑者“スパイウエア”なる不届き者を退治するべく「Spybot」というソフトでパソコンをフル・スキャン。112個の不届き者らしき連中を消去した。

あぁ、よかったぁ。

ひと安心していたら、nonkey37さんが、

「Spybotでスキャンしたあと、Ad-Aware でもう一度スキャンしたらまだヒットした」

と教えてくれた。このふたつのソフトは得意分野が違うらしいのだそうな。

不届き者はまだいるのか!

夕食後、さっそく「Ad-Aware」をHPからダウンロードし、パソコンをフル・スキャン。
お~、着々と調べとる、調べとる。

しばらく放っておいてから見てみると・・・・・、

なんと、 175件ヒットしてしまった ではないかっ!!

ワシのパソコンは、 不届き者たち楽園 かっ!!

「スパイウエア」はクッキーなどにくっついて勝手にパソコンへ入り込み、ウィンドウズの裏側でうごめき、パソコン内の貴重と思われる情報をとっとと外部へ運び出してしまうらしい。ファイヤー・ウォールというか、セキュリティ・ソフトは入れているのだが、それでははじかれないのか?

う~む、知らないということはコワいことだ。
これからはちょくちょくこの「スパイウエア」のスキャンもしなきゃ。しかし、新しい種類の「スパイウエア」はどんどん登場するので、セキュリティ・ソフトと同じように退治する側のソフトの情報を常に最新のものにしておかないといけないらしい。

便利なのか、そうじゃないのか、よくわからんなぁ、パソコンって。


AQUAの旦那さんによれば、Macは「スパイウエア」にオカされたことがないのだそうな。我が家にもi-Bookが一台、あったなぁ。もう、我が家全体、Macの色に染めちゃおうかしら?


nonkey37さん、AQUAの旦那さん、ありがとうございます。大謝々でございます。


◎再度のご案内。

◆「Spybot」について → こちら

◆「Ad-Aware」について → こちら



ニューカレドニアでショップをやっていらっしゃる AQUAの旦那さん や、楽天のお仲間 nonkey37さん などのアドバイスを受け、パソコンに“スパイウエア”なる、ぼくの情報を横流しする不届き者がいるかどうか、「Spybot」というソフトでパソコン内をくまなく検索。

そしたらなんと、112個もヒットした!

これすべてが、ぼくの情報をかすめ取り、地球上のどこかにいるアホンダラ野郎にちくっているスパイウエア=不届き者かどうかはわからない。が、とにかく、全部消去、消えていただいた。

これで、すっきり。でも、用心にこしたことはない。クレジット・カードのネット上使用は封印しよう。


初耳だった“スパイウエア”とは、こんなモノ → *「スパイウエア」とはなんですか?

う~む、勝手に人のパソコンを住みかにするだけでもけしからんのに、人の情報までを横流しするとは。

大大けしからん!!!


ご示唆いただいたみなさま、ありがとうございました。


◎「Spybot」関連のページはこちら(nonkey37さんに教えていただきました)

◆解説ページ ↓
http://www.dream-seed.com/pukiwiki/index.php?Windows%2FSpybot%A4%CE%BB%C8%A4%A4%CA%FD

◆AD-Aware
http://www.dream-seed.com/pukiwiki/index.php?Windows%2FAd-aware%A4%CE%BB%C8%A4%A4%CA%FD



今年の正月、どこかで誰かにクレジット・カードを不正使用されてから疑心暗鬼になり、ネット上ではカードを使った買い物をひかえていた。毎週1回、カード会社のホームページで自分のカードの使用状況を確かめるようにもした。

3ヵ月たつし、そろそろいいか。

今月1日、某アーティストのホームページでCDを購入した。ライブの音源をその場でCDに焼き、ライブ終了後、会場で販売するというモノ。市場に流通することがほとんどないので(それがウリだろうけど)、これはぜひ欲しい。

JCBは使えない。となると、不正使用されたあの会社のカードしかないではないかっ。コワいね、でも欲しいねと行きつ戻りつすること数十分、ついにカードの使用を決意。おそるおそるカードナンバーを入力した。

で、きょう。カード会社のホームページを見てみると、そのアーティストのマーチャンダイズから請求があがっていた。4月1日付けで。うんうん、上等。

ところがっ!
もうひとつ、4月2日付けで見知らぬ会社名が英語で記されているではないか!
「SOFTWAREOUTLET.COM」-使用金額885.90USドル。日本円にすると96,754円。

また?!

さすがに二度目となると、ピンときた。即、カード会社に電話してカードの使用を止めてもらう。すると、カード会社の人が言うには、他に3件、ぼくは買い物をしていることになっているとのこと。4月2日に4万いくら、3日に2万いくら、きのうは2000いくら。

「知りません。初耳です」

そう答え、カードを使用不可に。これでもう使えまい。しかし、ちまちました買い物をするヤツだ。少しずつ使って、こちらの反応がなければド~ンと大購買するつもりだったんだろうか。

もう請求があがっている上記9万いくらは、いったんぼくの口座から引き落とされたあと、カード会社から返金されることになるが、それもカード会社が事実関係を調査してから。

事実関係を調査といっても、前回のときも、どこのだれがどうやってぼくのカードのナンバーを盗んだかはわからずじまい。ぼくのパソコンに侵入した可能性もなくはないけど、ぼくは常時接続はしていないので、その可能性は低い。

カード会社の人に、国内でスキミングされた可能性はないかとさんざん聞かれたが、1月に被害にあっていらい、カードは可能な限り肌身離さず持っている。店頭で使ったことさえないのだから、スキミングされるはずはない。夜中、カードに足がはえて夜遊びでもしていたら別だけど。

なんにしろ、新たに発行してもらったカードを使ったのは4月1日が初めてなのだ。その翌日から、ぼくのカードナンバーが独り歩きし始めた。

担当者が言うには、海外で、外貨で買い物をしているから、スキミングでなければネット上のどこかで漏洩したのだろうとのこと。毎週1回は自分のカード類の使用状況をホームページなどで確認すること。その大切さを改めて感じた。


しかし、続けて被害にあうとは・・・・。

インターネット上でカードを使うのはコワい。もう、やめよう。
ニコニコ現金払いの方が精神的ストレスがなくてずっといい。



去年の今ごろも同じことを書いた記憶があるのだが・・・・、

どうして仕事って 重なる のだろう?

それも めちゃめちゃ!

来月のオンエア日がようやく決まりだした。22日、25日、26日、29日・・・。
あぁ、メマイがする。こうなるのを恐れて、早くスケジュール出してね~と言ってはあるのだけど、フリーのいち構成係が声を発しても局の編集室使用計画には毫も響かない。

そりゃ、経験上、わかってる。わかっちゃいるんだけどさ~、言っとかないとね~。
「重なってて、ちゃんとできんの?」と聞かれたりするし。「ふたまたかけて!」とかさ。

ふたまたどころじゃないどぉ。ずるずるズレて ごまた になりそうじゃぁ!!
股が裂けちまうじょ。

5月末オンエア予定で、取材が着実に進んでるのは1局しかないよぉ。6月や7月にオンエアの局の方が、取材が先んじてるのってどうしてなのかな~? 体制のせいかしら? 個人の資質?

なんでもいいけど、お尻が切られているのに素材がナイ仕事ってのはコワい。
こんなして遊んでちゃあかんのじゃ。
あかんのじゃが、材料がない職人は道具を研ぐばかり。


もう、早い者勝ち。 素材送ってくれぇ!!!!

泣きそ。






「ん?」




電器店 → 書店 → 文房具店 → モスバーガー(昼食)→ 電器店(出戻り)と、買い物その他、車でうろうろしてたら、あっと言う間に黒雲が広がり、あららと思っていると大粒の雨が降り出した。

フロントガラスではじける雨粒の大きいこと。「お~、すごか~」と感激していたら、どばぁっとワイパーがきかなくなほどの大降りに。

ま、通り雨だろうと思っていると、ピカッ! ドンガラガッシャーン!! カミナリまで鳴り出した。風もびゅーびゅー、雨が横向きに降っている。これぞ、春の嵐、てな感じ。

自宅に戻るまでにあっさりやんだ。やっぱり通り雨&カミナリだったなぁ。おしめりにしては激しかったけど、これで春も一層近くなってくるのだろう。桜もそろそろ咲くかなぁ・・・・。

などと、のほほん、考えていた。ところが、海岸ではサーフィンをしていた人たちが落雷にやられ、ひとりが重体に。直撃なのか、海面に落ちたのかはわからないけど、あの「ドンガラガッシャーン!」だったのだろうか?

高い場所のない海面では、とがったモノがあればそこに落雷する可能性が高いとか。もしかしたらボードの突端に落ちたのかも。

事故が起きた場所は玄界灘の荒波がうち寄せる、サーファーに人気の浜辺。そこでいきなりのカミナリ様とは、不運としか言いようがない。

ご回復を祈るのみ。






Guns N' Roses 『 Appetite for Destruction 』





nonkey37さん のところで話題になっていたので、
夕餉の買い物に行く車中で久しぶりに通して聞いた。

そして・・・・・・・、
その張りつめた活きの良さに、改めて脱帽&大敬服。

1987年リリースのはずだから、
初めて聞いてからそろそろ20年近くになる。
だから、いまさら言うようなことではないけれど、
これほど演ずる側の「気」がこもったアルバムは他にないんじゃなかろうか?

いま、我が家には2500枚前後のCDがある。
70年代ロックを中心に、ジャズ、ブルース、ソウル、フォークにエスニック、
そして、ほんのちょっとだけクラシック。
♪お、いいじゃん♪ と感じたらそちらへすり寄る音楽趣味は、
その昔、友人に「節操がない。ポリシーがない」と叱られた。

耳と心を惹く曲の間をふらふら歩いてきたぼくだけれど、
Guns N' Roses という5人の若者が世に問うたこの作品ほど
一瞬のゆるみも隙もないアルバムに出会ったことがない。

若者の焦燥と熱狂と陶酔。
それらを産むエネルギーが極限まで凝縮し、
ダイヤモンドのように結晶した楽曲の数々(書いてて意味がわからんが)。

オープニングを飾る「 Welcome To The Jungle 」から
ラストを締める「 Rocket Queen 」まで、
まったく落ちることのないテンション。
ボーカルもギターもベースもドラムも、必要ない音はひとつもない。

「 Paradise City 」のホイッスルも、
吹かれるべきして吹かれたのだ。

全米No.1に駆けのぼったこのアルバムのあと、
Guns N' Roses は、『 Use Your Illusion I、II 』をリリース。
二枚組ではなく、同時に発表されたこの2枚のシングル・アルバムは、
チャートNo.1と2に初登場。商業的には、大成功なのだろう。

しかし、ぼくの耳には散漫に聞こえた。

LP時代のほぼ倍の容量を持つCDへとフォーマットがかわってから、
やたらと曲数が増え、時間が長くなるばかりのアルバム。
『 Use Your Illusion 』の2枚には、
LPにすれば4枚ほどにもなる曲がおさめられている。

ビニール盤のころならば切り落とされたであろう曲も
CDだからこそその位置を得た。
アルバムとしての統一感を無視したそんな曲の存在が散漫さを生んでいる。

そんな気がする。


その後、Guns N' Roses は新たなアルバムを作ることなく崩壊。
自ら産み出した結晶、『 Appetite for Destruction 』と永遠に比較される。
なんだか、自己矛盾に陥ったように思えた。

以来、再結成のウワサが絶えない。
でも、再びあの5人が集まることはないだろうし、集まって欲しくない。

ぼくはロートル・ミュージシャンの“クラス会”的な再結成も好き。
“集金”のためだって、全然かまわない。
それができるだけの“過去”を持つことの方に敬意を表する。

例えば、Doobie Brothers や Eagles は、
齢を重ねたメンバーによる過去の曲もそれなりに楽しめる。

しかし、Guns N' Roses にはそれを期待することは無理だ。
『 Appetite for Destruction 』、あのころの、
血管も切れんばかりのステージは望めないだろうし。

笑顔で「 Welcome To The Jungle 」を歌う Axel を見たくはない。


「時分の花」ということもある。

あの時代の、あのメンバーだからこそ、産み出すことができたアルバム。

“奇跡の一枚”と言っていい。

そんな気がする。



夜。仕事に飽きる。
安眠するネコ助にちょっかい。

「んぎょ?!」



近くに住む姉の夫(つまりは義兄)が突然大阪へと転勤、単身赴任。
決まったのが今週あたまで、29日の火曜日には部屋を探すべくバタバタと出かけ、きょう、4月1日はひとまず出社。本格的な勤務は8日かららしい。

姉夫婦には高校を卒業し、浪人を決めた長男と、この4月から中学生となる次男がいる。微妙な年代だ。義兄はそばにいて、父親として見ていたいだろう。

義兄には持病があって、食事療法をしている。これまで朝食、夕食という自宅で摂る食事はもちろん、昼食も姉が気を遣い、弁当を持たせていた。単身赴任で一番心配なのは、この健康面だろう。

自炊するのがいいのはもちろんだけど、働き盛りのおやじが朝と夜、自分で食事を作るのは大変。塩分だのなんだのと摂取するモノまで考えるのはさらに困難だ。

しかし、自分の体は自分で推し量るしかないだろうし、真面目な人だからきちんとやるだろうと思ってはいる。思ってはいるが、会社という組織は個人の状況など、ほとんど眼中にないのだなぁと改めて思う。

義兄は経営不振の支社をたち直すために、よく言えば「請われて」行くらしい。彼が働く業界自体が不況なので、同業他社とスクラムを組み、「みんなでなんとか生き残ろうよ」というプロジェクトを推進せねばならないとか。そのメドがつくまで何年かかるのか、今のところはわからない。

健康で、一日も早く戻ってくることを祈りたい。

しかし、子どもたちは自分たちで育っていくのだし、その面では心配ないと思うんだけどな。


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