番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |
南の島はツユなれど雨降らず。
「夏どきの水が心配ですね」とタクシーの運転手さん。川のない沖縄では、天から降り注ぐ恵みが命綱だ。
少し時間があったので、古本屋へ。
古本屋の匂いは好きだ。学生時代、買いもしないのに、よくうろうろしたっけ。
初めて訪ねたこの店は古本だけじゃなく、SP盤も置いてある。昔々の風情あり。
しかし、マネキンの首まで売っているのはなぜ?

古本屋に「地元のコーナー」があるのは沖縄くらいじゃないかしら?

既に絶版となっている岩波新書などを5、6冊を購入。
なんだか嬉しい。
スポンサーサイト


沖縄二日目のホテル戻りは午前4時。

と、驚くことに、薄暗いロビーで歓談しているおじさんたちが。
沖縄に「夜」はない?


4月からどたばたしていたものが番組になってきた。
せっかくなので、制作に参加した番組の宣伝を一発。



*沖縄県にお住まいの方々へ*

『QAB開局10周年特別番組 この子が僕の人生の先生』

放送日時:5月24日 午後7時より QAB琉球朝日放送にて。

アジアの貧しい子供たちに井戸や学校を送り続ける沖縄在住の男性。
その活動と、沖縄の子供たちへの思い、
そして、彼が抱き続ける「沖縄へのこだわり」に迫る。


『民放祭参加番組 消えた自衛隊~小さな島の選択~』

放送日時:5月25日 午後2時より RBC琉球放送にて。

沖縄県伊良部町。宮古島にほど近いこの島で、
町民も驚く出来事が持ち上がる。
町にある3,000メートル級の滑走路を持つ下地島空港。
ここに自衛隊を誘致することを町議会が突然決めたのだ。
米軍再編の中で、小さな島は国防の最前線となるのか?
町の人々の動き、そして、自衛隊誘致仕掛け人の思惑とは?


『民放祭参加番組 ワタブーショー照屋林助のチャンプラリズム~』

放送日時:5月26日 午後2時より RBC琉球放送にて。

先日、惜しまれつつ亡くなった“てるりんさん”こと、照屋林助さん。
漫談家、音楽家、歌手・・・、
すべてを取り入れ、消化する「チャンプラリズム」の前には、
ジャンル分けすることも無意味となる。
そんな“てるりんさん”が生前残した語りとステージの様子を核に、
唯一無二の個性が炸裂する!
  



*宮崎県にお住まいの方々へ*

『連盟賞参加特別番組 MRTスペシャル 息子へ~父と子の特攻~』

放送日時:5月26日 午後3時より MRT宮崎放送にて。

息子を軍人にし、お国のため、天皇陛下のために役立てること、
それこそが日本人の本懐と信じる父。
息子は父の願いをかなえ、陸軍士官学校から航空将校に。
そして、特攻隊の隊長として、沖縄の海に散った。
自分の希望をすべてかなえた父。これにすぐる名誉と幸せはないはずだった。
しかし・・・・・・。



沖縄と宮崎にお住まいの皆様。
お時間がありましたら、ご覧いただけると幸いです。








今月は出っぱなし。

南の街から戻ったと思ったら、きのうから南の島へ。
梅雨の最中なので天気はいまいち。

南の島は、やはり暑い。昨夜は午前3時半にホテルにチェックイン。
そして、寝るまでの間30分間、エアコンをON。
部屋が10階なので窓が開かない。う~、息苦しいど~。

南の街から戻って三日間、電話回線が不通に。
NTTに来てもらったら、家の中への引込み線が腐食していた。
で、家の外回りの電話線を総とっかえ。
こりゃ、面倒なことになったと思っていたら、修理費は無料。
室外はNTTの責任範囲なのだそうな。

しかし、電話回線が使えないと困ること困ること。
電話も、FAXも、インターネットも、メールも、なんにも使えない。
手も足も出ないダルマ状態で三日間。
ちょうど忙しい時期にひっかかり、仕事先からの資料などを、
打ち合わせに行った局にFAXしてもらったり、
知り合いのアドレスへメールに添付して送ってもらったり。

FAXさえなかった昔は、原稿など、郵便で送るしかなかったから、
中一日は余裕をとっていた。今考えると、ゆったりしていたなぁ。

便利だけど追い立てられるような道具はイヤじゃ。
でも、もう、捨てられないな。

南の街はとてもいい天気。青空がきれいなところはいいなぁ。
九州北部はなんとなく雲が出てるなぁという日々が多いので、スカッと晴れているとうらやましい。

しかし、地元の人が言うには、気候がいいからこの土地の人間は「ヌケて」いるのだそうだ。東京などの大都会から来た人がこの土地のペースをつかむのにはかなりの時間が必要だとか。

でも「ヌケて」いても生活できるなら、それ以上、なにを望もうか。

だがな~。
見ると聞くとは大違い、通りすがりと居住者とはやっぱり違うだろう。

関西の某古い街も、旅行者にはごく評判がいいが、転勤その他で住んだ人はほとんどボロカスにけなす。他者をなかなか受け入れない、頑固なところがあるんだろう。でも、それだから伝統が守られているともいえる。

なんてことをずるずる書いている今、ディレクター待ち。忙しいのね、みんな。
ひとつの番組だけに全精力を傾けるなんてこと、ローカルのディレクターさんたちには不可能なことなんだろうか。

その昔は、一年間に一本、番組を作ればよかった時代もあったんだそうな。
予算も当時の額にして数百万円。あぁ、もはや夢のまた夢の世界じゃ・・・・。


結局、ころころバッグとディバッグの荷物はふたつに。
要するに、詰め込むのがヘタなのだな、やはり。

同時進行している仕事があるけど、ぼくのノート・パソコンは通信機能が死んでいるので、行き先の局のディレクター氏のアドレスを借りることに。すんません、ありがとさんです。

修理して、出先でも使えるようにしなければと思いつつも、はや数年。役目が終わるとかえりみられないパソコン君も気の毒な。


さてっと、南の街へと出かけましょうか!

あしたから南へ。

すっかり温かくなったと気を緩めていたら、きのう、きょうと肌寒い。
あした訪ねる街は、前日より7、8度も低かったらしい。
さてさて何を持っていくべきか、はたまた何を着ていくべきか、また悩む。

めんどいな~。
人間も犬や猫みたいに着た切り雀の裸同然でいられればいいのに。

同時進行の資料が結構あるし、ノート・パソコンも持っていくから、アダプター類も必要だ。

ズボラだけれど、無精ヒゲはむさくるしい。ひげ剃り器も持っていかねば。あら、充電しとらんっ! 充電器にセット。一晩たてば満杯じゃ。あした、忘れないようにしなきゃ。

歯ブラシに歯磨き粉、くすりにビタミン、さらには香酢のカプセル。こいつを飲むようになってカゼを引かなくなった(ような気がする)。

もう寒くないし、ホテルもさほど乾燥していないだろうから、寝る時の保湿のためのマスクはいらないな。

あと、なにが必要だっけかなぁ?
何度も出かけているのに、そのたびに振り出しに戻るのはナゼだろか?

ころころバッグに入れつつ、考えよ。


♪ 今日のBGM ♪



ZZ Top 『 Afterburner 』


1987年2月17日、日本武道館。
ステージ真正面のアリーナ席(ちなみに¥4,500。安い!)で、
ひげ面オヤジたちのブギ連発に熱狂した。

毛皮を着たギターを使ったり、
そのボディにはモニターが埋められていたり、
あの手この手の楽しいステージ。

いないハズのキーボードの音も聞こえたりして。
ストーンズのライブでは見えないところにキーボードがいるけど、
このひげ面オヤジたちはテープみたいだった。

でも、いいのだ、楽しければ。

ぼくはこのひげ面オヤジたちが好きで、
ひげ無しのころから聞いている。
でも、まさかあんなに売れるとは思わなかった。
MTVではひげ面オヤジたちが奇妙なキャラを発揮。
最盛期は「これでもか」という感じで
プロモビデオが流れていたっけ。

ひげ無しでもルックスその他の外見はうっとおしいのに、
人気というのは不可思議。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』で
西部の鼓笛隊もどきみたいな感じで登場したのには笑った。

だが、ギターはうまい。
「クラプトンがカブトを脱いだ」なんて表現すると
「ほぉ、そんなにうまいのか」という反応が返ってきそうだが、
ほんとに神様がカブトを脱いだかどうかは知らない。

でも、世にブルース系統のロック・ギタリストは多けれど、
5本の指に入るのではないかと常々思っている。
まのあたりにすると、本気にうまい。

わずか3人で聞かせるのである。
ギターのひげオヤジは、ひとりでリードを弾き、歌い、
そしてブギのリズムをも刻む。
う~ん、ソンケー。

ま、ぼくの5本の指だから、別に世に問えるもんじゃないけど。


武道館でのライブは大盛あがり、でも、あっさり終わった。
60分強だったかな。
手拍子していたら客電がついたので、
「しゃーない、帰ろう。でも、おもろかった」
と、席から通路に出たら、数列前で殴り合いが始まった。

あらら。

見ていると、殴りかかった男は逆に見事、パンチをくらい、
座り込んで泣き出した。

なんでんねん?

もれ聞こえるところによると、殴りかかって逆に泣かされた男が
ライブの時間が短いと騒ぎ、
きれいなパンチを入れた男の方が止めていたらしい。

アホやなぁ。楽しかったからいいやんか。

静かで聞いているのかいないのかわからない。
長くやらないと満足しない。
アンコールに応えないと暴徒化する。
日本のオーディエンスは奇妙だと「外タレ」の皆さんは思うそうな。

しかし、いつのころからか、“オープニングから総立ち”に。
それが普通になってから、ぼくはライブから遠ざかる。
どんなステージになるかワカランのに、
最初から乗ったフリができるかい。

ひげ面オヤジたち。
本国では知らないけれど、海のこちら側では人気薄。
もう来日しないだろうなぁ・・・・。




ここ数日、ブラウザをかえている。

いつも使っているのはウィンドウズにくっついてくる「IE」。評判はいまいちだし、バグは多いし、その上、使用者が莫大な数いるので狙われる確率も高いし。二度も見舞われた「クレジットカードを他人に使われた」事件も、ひょっとしたら「IE」の脆弱性のおかげじゃなかろうか・・・・と疑いのまなざしなのだった。

でも、一時は「IE」とシェアを争っていた「ネットスコープ」(だったかな?)は、今やどこへ行ったやらだし、なにかいいブラウザがないかなぁと思っていたところに雑誌でみかけたのが「ファイアーフォックス/Firefox 」。無料でダウンロードできるらしいので早速使ってみると、これがなかなか具合がよい。


*「ファイアーフォックス/Firefox 」ダウンロードはこちら → 「Firefox


見かけ上は「IE」を少しおちゃめにした感じ。「お気に入り」など「IE」の個人設定も自動で読み込んでくれるので(でも「お気に入り」の順序はめちゃくちゃ。なんで?)、ダウンロードしたら、即、使える。

使い心地はほとんど「IE」。表示や色の感じが「IE」とは違うけど、特に気になるほどじゃない。

雑誌を読むまでその存在も知らなかったのだけど、「 Firefox 」は今や全世界で大人気。ダウンロード数は2500万回以上(HPでは5000万回突破になっているのはご愛敬?)、日本国内でも150万回に達しているとか。

この「 Firefox/火の狐(?)」が登場したおかげで「IE」のシェアが96%から89%に低下したそうである。それでも9割なのだから、異常ではあるが。

ぼくは、「IE」にしろ「 Outlook Express 」にしろ、パソコンにくっついてくるソフトというのがどうもキライである。別にこだわりがあるわけでもなんでもない、ホントはめちゃくちゃめんどくさがり屋なので、できる限りラクをしたい方なのだが、「これを使え」と言われているような気がしてなんだかハラが立つのだ。

今はどうか知らないが、パソコン(特にデスクトップ)にはどうでもいいようなソフトを満載していた(プリ・インストールと言うのかな?)。あれを全部使っている人が果たしているだろうか?

ぼくが今使っているデスクトップはヒューレット・パッカード製。通販で購入して5年目になるが、いまだに一度も開いたことさえないソフトがある。ムダだなぁ。

ノート・パソコンは「 VAIO 」のちっこいやつ。今やめっきり人気薄だけど、7年目に入ってもまだ元気に動いている。コヤツにはソニー得意のアミューズメント・ソフトがイヤッと言うほど入っていて、ただでさえ少ないHDの容量を圧迫していた。だから、購入してすぐ、使わないと思われる映像画像関係のソフトなどを片っ端から削除。そしたら、言うことをきかなくなってしまった。消したらいけないヤツも捨ててしまったらしい。

で、リカバリーしてから、今度は慎重に、要らないヤツには消えていただいた。


頼みもしないのに、パソコンにくっついてくるソフト。それをそのまま使うという感覚がぼくにはない。だから、「ワード」や「エクセル」などを初期設定のまま使っている人の気持ちがちょいとわからん。どちらも初期設定のままではとても使いにくいソフトなのだけど、そのまんま使っている人たちのなんと多いことか。

別に「そのまんま使っている」人たちにいちゃもんをつけているワケではない。マイクロソフト社のご厄介になり過ぎているのがどうもすっきりしないだけなのだ。
「 Firefox 」の登場により「IE」のシェアが減ったといっても、それでも9割近くは「IE」なのだし。

パソコンの世界は「同じソフト」である方が便利なことが多い。だから、ウィンドウズでOSを牛耳ったマイクロソフト社は、ブラウザやメール、ワープロに表計算など、普通の人はこれだけあれば十二分と思えるソフト群を「ウインドウズの一部」だとしてパソコンメーカーに導入を強要している。

う~ん、やっぱり納得がいかん。

だもんで、ぼくもメインに使うデスクトップをMacにしようかと思案中。が、しかし、そこで足踏みさせることがある。Macにすると仕事に使うソフトを買わねばならんのだ。

Macで仕事をするためには「ワード」と「エクセル」が必要。仕事相手の大半がどちらかを使って原稿その他を作るから、こちらもソフトを準備しておかねばならん。それが高いっ! 買いとうないっ! 今まで書いてきたことと完璧に矛盾するのだが、なんでMacには「使えるおまけ」がついとらんのじゃっ!

ぼくは上記ふたつのソフトがあれば必要十分。なのに、死んでも使わないだろうと思われるソフトまでパッキングされ、5万以上もする。ここでまたマイクロソフト社を儲けさせるのもしゃくにさわる。誰かくれ~(などと公言すると、著作権侵害でタイホかな)。

MacもOSが新しくなった。その名も「 Tiger 」・・・・確か前のバージョンが「 Panther/豹」だから、「虎」なんだろう。じゃ、次は「 Lion 」か? と、そんな月並みな連想はどうでもいいが、雑誌でみたら「これでもか!」と言わんばかりにいろんなことができる。こりゃもう「OS/オペレーティング・システム」じゃないのかしら?


Macを導入しても使いこなせるであろうか?
ソフトも買わねばならんし・・・・。

う~ん、思案のしどころじゃぁ。




昼食を終え、ごろんと横になってTVをつけたら、子泣きじじいのようなおっちゃんがギターをかかえてなにやらしゃべっている。

ん? このおやじ、どこかで見たような?

はしだのりひこさんだった。こんなおっちゃんになっちゃったの?! 驚いた。

TVが映し出したのはNHK教育の『ギター講座』の再放送。講師は「かみふうせん」ご夫妻。で、練習曲が、はしださんが作曲した『風』。ということで、彼のご出演となったらしい。

はしださんは、この曲を作ったころ、はやったころの話をされていた。

「そこにはただ 風が吹いているだけ」  確かにそんな感じだった。


そのころから、どうも“闘い”という言葉がしっくりこない。「闘い」ってなんだろう? だれが、なんのために、なんと闘っているのか?

ぼくの学生時代はもうすっかりノンポリだらけではあったものの、キャンパスには立て看板が並び、「闘」の文字がおどっていた。たまに立ち止まって読む。なにを言いたいのか、わからない。起承転結が明瞭じゃなく、ぶつ切りの言葉を集め、並べたようなアジテーション。ノンポリに呼びかけるつもりなら、「いつ」、「どこで」といった5W1Hくらいはおさえないと、最後まで読んではもらえないだろう。目にとまるのは、ことさら朱文字で書かれた「闘」の文字ばかり。

立て看板に「闘」の文字を書いていた学生たちは、今、なんと闘っているのだろう? 卒業までの通過儀礼だったのかしら。



ひさびさに見た“動く”はしださんは、『風』を弾き語りしてくれた。当時の高音はもう出ない。仕方ないかな、もう還暦。しかし、加藤和彦さん、北山修さんの若々しさと比べると「おじいちゃん度」はかなり高いなぁ

確か奥さんの病気をきっかけに主夫に徹し、フォークル再結成にも参加しなかった。声をかけられなかったのか、断ったのかは知らないけれど、分かれた道が都合よくクロスするとは限らない。


♪振りかえらず 泣かないで歩くんだ

ムリ、言うなよ。






すがすがしくもいい天気。田起こしが始まった。




初夏に向け、ざぶとんも衣替え。気持ちええか?




♪ 本日のBGM ♪



『 Stranger In Us All 』
Ritchie Blackmore's Rainbow


今は美貌の奥さまと悠々自適、
中世音楽にひたるロックを奏でている御大・リッチーさん。
そちら、「 Blackmore's Night 」も結構好き。
なので「女で生き方、変えやがって!」などとは全く思わない。

思わないのだが、惜しいとは思う。

リッチーさんにはストラトを弾き鳴らし、
ステージに叩きつけてネックを折り続けて欲しかった。

「いい歳して、そんなことができるかい」

確かに。50歳をとうに過ぎて(今年で還暦)、
あの重い“エレキ・ギター”を、
(壊すためのレプリカだとはいえ)振り回すのは体にこたえよう。

でもねぇ・・・・。

ぼくは、生まれて初めて接した「外タレ」のステージが、
ロニー・ジェイムス・ディオやコージー・パウエルが在籍したころの
「あの」Rainbow だったので、いたく愛着はあるのである。

リッチーさんは期待にたがわず、ギターを破壊し、
ついでにアンプまでアリーナに投げ捨てた。

よかった、うん、実によござした。

で、この作品。

何度目になるのかよくわからないけど、
Deep Purple を飛び出たリッチーさんが
結成した新生(?)Rainbow。
自分の名前を冠にしとるとこなんざ、ソロ作品と同じ扱い?

名前も知らない4人の若者を従え、
御大は気持ちよさげにギターを弾いている。
ボーカルのドギー・ホワイトの声も、御大のギターとよくマッチ。

いい曲満載。

これを最後に、御大は「重いロック」から足を洗ってしまった。
もう帰ってこない方が、御大にとっても、ぼくらにとってもいいのかも。

でも、御大とジョン・ロードがダブル復帰した
「平均年齢60歳」の Deep Purple というのも見たい気がする。

この何度目かわからない再結成は「見る」ことこそ大事。
「聞く」と失楽園へ迷い込むかも。


♪帰ってこ~いよぉ♪ by 松村 和子





事故を起こした電車に乗り合わせた車掌ふたりが、その場を立ち去り、通常の勤務に就いていた。

自分の会社の電車が大惨事を起こしたことを知りながら、他の管理区だからわれ関せずと集団でボールのピンを倒すことに熱中していた。


次から次へと出てくる不祥事。記者会見に出てきた担当者は、「誠に遺憾です」と頭を下げるばかり。そりゃそうだろう、他にどうしようもない。「人命よりも勤務を選ぶとは、企業に仕える人間の鏡だ」などとは思っていても口には出せまい。

不祥事なのは間違いない。人の命を預かる仕事に就いているという自覚が希薄だというのもその通りだろう。

しかし、ぼくがあの会社の社員でその電車に乗り合わせたら? 救助活動に走っただろうか?

ぼくが所属セクションあげてのボーリング大会に参加していたら? 「みんな、やめて現場へ行こうよ」と言えただろうか?

実は、どちらもまったく自信がない。

「こんなこと、やってたんですよ。あなた、どう思います?」

そう、マイクを向けられたら、

「人命軽視ですよ。考えられませんね」

と、答えるだろう。それが普通の感覚だし、許せないと思っているのも事実だし。

しかし、ここぞとばかりに社員個々の行動を俎上にあげるような報道の仕方には、どうしても納得できない。
こうした内容の情報を伝えることが報道機関の使命なのだろう、なのだろうが・・・。

当初の批判は運転士に集中した。そして、会社の首脳陣へ、現場を去った運転士たちへ、レクレーションに興じた社員へと、次々と相手を替えて批判と憎しみの連鎖が広がっていく。

キリストさんが言ったように「自分に罪がないと思う人だけ、石を投げていいよ」とは言えないが、“不祥事”が露わにされるたびに、自分が彼らを責められるんだろうか?という思いが頭をよぎる。だから、ここ数日間、ニュースのトップ項目を聞くのが苦痛だ。

誰かを標的にすれば、不満はそこへと集中し、ぼくらは巨悪を糾弾しているような気分になれる。

しかし、明日は我が身。
「電車はグシャグシャになってます」と上司に伝えながらも出勤し、その、また脱線転覆するかもしれない電車を運転した社員を「あんた、おかしいよ」とは言える。でも、「オレはしないよ」とは言い切れない。


献花台に花は絶えない。
犠牲となった人たちとその遺族・友人・関係者の皆さんへの思いは尊いと思う。でも、その思いをわが肩に背負い、自らを「善」の位置に置いてから、「悪」たる個人や小集団へと非難を浴びせる。

みんなして魔女か人身御供を探しているみたい。どうもすっきりしないなぁ。


「鎮魂・・・」



あぁ、気ぜわしい。

時間があるときは、うだうだずるずるしているだけなのに、
お尻が焦げそうになると本が読みたくなる。

特に、こんな本。

『銀の匙』 中 勘助著


中勘助は、数少ない好きな作家のひとり。
で、初めて読んだのがこれ。たぶん、高校に入ったころだと思う。

作者とおぼしき子どもが、茶箪笥(死語だなぁ)から見つけた銀製の匙を見つけるところから物語へと入っていく。

物語といっても、別段取り立ててあげるほどのストーリーがあるわけじゃない。
淡々と、ただ淡々と、子どもの日々の暮らしが綴ってある。それが胸にしみる。
“子ども”であること、それそのものの切なさが迫ってくる。
子どもって、切なく、哀しい存在なのだ。

小説として書いたのかな?と疑うほどの何気なさ。それが胸にしみるのは、夏目漱石がその美しさを誉め称えたという文体によるものかもしれない。

中勘助は寡作な人。『提婆達多』とか『鳥の物語』といった小説や随筆(なんと、品切重版未定ばかり!)もいいけど、やっぱり『銀の匙』、これが好き。


あぁ、読みたか。過去にランナウェイしたか~。




仕事をしてると隣の部屋から、窓に取り付けた脱走防止の網越しにのぞき、
「なんしとると?」と、しきりにきくネコ助。

うるさいからこっちへ連れてきて、
本棚兼CDボックス兼衣装棚に押し込んだら叱られた。


「なんばするとや!」


コワい・・・・・。


「ふて寝じゃ」




ぎょえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!

パソコン、固まった。
3時間の努力が消え失せた・・・。

こまめにセーブしてたのに、昼メシ食ってから気合いを入れたのが悪かったのか。。。


『ワード』は使い慣れないから、ヘルプをクリックしたら固まった。

なんで?

「ヘルプ」って、助けてくれるんやないの? 奈落の底に突き落とすことかぁ??


うう。。。『ワード』を使うとろくなことがない。

パソコンにプリ・インストールされているせいか、仕事相手は誰もがこれを使う。
初期設定のまま使っているらしき人がほとんどなので、ページナンバーもふってない。
書類が机から落ちたら、順序がわからんくなっちまうど。

英語には罫線(表だったかな?)という概念が薄いらしいので、
罫線を引いたり表を作ったりするのがわずらわしいやら、めんどくさいやら。

きのうは台本のフォーマットの変更に1時間以上かけ、結局できなかった。

日本人なら日本人が作った、日本語用のワープロ・ソフトを使え~っ!!
ワシは今から国粋主義者じゃ。


しかし、『一太郎』も売り上げ右下がりの上、訴えられてさんざんだし、
『松茸』(だったかな?)はどこへ行ったやら。


やる気が消えた。休憩じゃっ!


はぁ。。。。。



ぼくの住むあたりには、イチゴを育てているビニールハウスがたくさんある。

最近でこそイチゴは年中出回って旬がなくなり、一番消費されるのはクリスマスのころだとか。でもやっぱり、イチゴの季節は“今”である。

ぼくは『小さな恋の物語』という漫画が好きで、確か第20集目くらいまでは発売即購入していた。

『小さな恋のものがたり』第1集(みつはしちかこ)

この主人公「チッチ」が大のイチゴ好きで、この時期になるとイチゴイチゴと騒ぎ出す。その相手を恋人らしき男の子「サリー」が「しょうがないなぁ」というカンジで相手をしてあげるのだ。

「苺のように小さき人」という呼び方をしていたようにも思う(スミレだったかも?)。
いまや“あまおう”という、オカのサザエかと思えるほどの巨大かつ激甘品種も登場しているから、イチゴが小ささの代名詞とはもう言えないのかもしれない。が、「あまおう」、ぼくはあまり好きじゃない。イチゴは「とよのか」または「さちのか」だ。

ま、そんなことはどうでもいいけど。

はるかに遠き高校時代、この『小さな恋の物語』を当時の最新刊までセットにして女の子に貸してあげたことがある。なんだか男性と女性の行動が逆のようにも思うのだが、ま、ぼくはそんなほんわかぼんやりした高校生だったわけだ。

あの女の子も、いつの間にかしっかりばりばり、社会人となり、主婦となり。そして、今も元気に駆け回っているようだ。

高校時代、3階の窓から見下ろしたグラウンドにも春の陽差しが降りそそいでいたっけ。
明るい窓の外を見やりながら、そんなことを思う。

「想ひ出は見えんで」


繁忙期に入った今や入り口を閉じたヤドカリ如き生活。一歩も家を出ず、二階から降りるのも食事とトイレだけ。あぁ、自由になりたいっ!


「チッチ」「サリー」・・・・・ネーミングに太古の昔を感じるが、たぶん、今も変わらず「のっぽ」と「おちび」の高校生として現役だと思う。

久々に読んでみるかな。
しかし、書店で買うのは、もう、ちょっと恥ずかしいかも。




「ちょっとアンニュイ・・・」



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。