番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |

録画しておいた「ライブ8」をようやく見る。

お~、たくさんの人が集まっちょるな~!

ボノとポール・マッカートニーの「サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」でスタート。これ、実際のオープニングなのかしら?

ボノも初志貫徹って感じでカッコいいねぇ。デビューしたころの、自信なげなイナカもんの小柄なお兄ちゃんといった風情はもうどこにもない。

ぼくがU2を聞いていたのはデビューアルバムから多分『 WAR 』ぐらいまで。と言うより、『 WAR 』からさかのぼったと言った方が正解。少年の険しい表情が印象的なアルバムを、確か高田馬場の駅前のショップで買った。当時はLPだったから、あのジャケットは目をひいた。

ぼくはU2の人気が爆発する前に遠ざかったから、その曲はほとんど知らない。でも、その発言は雑誌その他で目にするし、有言実行というのはどんな世界でもカッコいいわ、やっぱ。


エルトン・ジョンが懐かしい(でも、いつもの)メンバーで「土曜の夜はぼくの生きがい」を熱唱。このステージにジョン・レノンがいてくれたらなぁと思うのもせんないことかな。


デュラン・デュラン、う~む、太ったねぇ・・・・。あごのお肉が気にかかる。プレスリー化してるかも。ルックスのいい人たちは年季が入るとちょっと苦しいかな? しかし、いまいちメロディにも乗っていないんですけど・・・。会場が広すぎかな?






「ライブ・エイド」をもじっている「ライブ8」。あの「ライブ・エイド」のチャリティで集まったカネはどこへ行ったのか? 本当に貧しい人たちの役に立ったのか?なんてあれこれいじめられて、ボブ・ゲルドフさんは傷心の日々を送り、二度とチャリティなんぞやるもんかと思ったこともあったそうな。

ミュージシャンがカネのゆくえまで面倒みる必要はないし、そこまで期待するのはおかしいだろう。ミュージシャンはステージで魅せてくれればいいのだし、ぼくらは気軽に楽しめばいい。その余韻の一端が人の役に立てばいい。

気がかりではあっても、現地に出かけるまでの熱意はないぼくら。できることをできるようにやる。それでいいのだ。


でも、こんな話を聞いたことがある。アジアの貧しい子どもたちを支援している人の話。

その人の講演に感激した多くの人たちは、「これを貧しい子どもたちにあげてください」と、自分の子どもたちの古着やノートなどをガバと送ってくるそうな。で、その人が、「ありがとうございます。つきましては、子どもたちに送るのに郵送費が必要なのでご協力いただけませんか?」とお願いすると、「え? お金もとるの?」といぶかしげ。ほとんどの場合、現金の寄付はないそうだ。

人々の善意で集まった古着その他は、その人が集めたお金と足りない分は自腹を切って、アジアの子どもたちに送られる。毎回、100万円から200万円近くかかるんだそうな。

「結局、いらないものを与えてるだけなんですよね。自分たちに必要なものを自分たちはガマンしてまで、困ってる人たちに送って使ってもらおうなんて気はないんですよ」

そう言われると、心が見透かされているようで、ちくりと痛い。


もうひとり。こちらはアジアで医療活動をしている団体の世話人的立場の方。

「まずお金が欲しい。でないと何も動きません。思いつきの善意はいりません」

自分のやるべき事として、腹をくくってやらないと、支援も相手を失望させるだけになってしまう。

なんてことを考えながら、大写しになったエイズに苦しむ子どもたちの映像の前で歌うアニー・レノックスを見る。歌詞がわからないけど、この映像に合うような内容なのかしら?

頭が混乱するな。






あら~、ボンジョビでないの! なんだか懐かしい。こちらはまだ体型を保ってるな。


ザ・フーのおふたりは年期を迫力に昇華しているところはさすがと言うべきか。還暦を超えてこの力強さはエライなぁ。お、チラと見えたキーボードはラビットさんかしら? ドラマーはリンゴ・スターの息子さん?


ベテランと言えばピンク・フロイド。動く彼らを見るのは何年ぶりじゃろか。しかし、ロジャー・ウォータースがにこにこしているのがなんとなく違和感。あんなにけなしあってたのにぃ~って、実際はどうなのかは知らないし。時にはシドのことを肴に一杯やってるのかもしれん。ぼくらの混乱なんかおいといて、楽しければ笑ってもいいわさ。


エンディングはやっぱりポール・マッカートニー。ポールさんてば、ロック界の“長嶋茂雄”的存在になりつつあるんじゃなかろうか? でも、オーディエンスの誰もが納得する大トリとなると、やっぱりこの人しかいないんだろうな。


1曲ずつ、細切れに流れると、重みも迫力もないなぁ。でも、それは贅沢と言うものか。


会場に足を運んだ人はチャリティに参加してるけど、こうしてテレビで、それも録画で見ているぼくなどはいったいどんな立場にあるんだろう? とても複雑な気分だわ。

スポンサーサイト


光ファイバー網を使ったTV放送が条件付きながら認められるようになった。

記事はこちら → 「地上デジタル、光回線で放送容認」( asahi.com )


総務省の諮問機関・情報通信審議会は地上デジタル放送普及のため、光ファイバーを使ったテレビ番組の放送を認めるよう、答申をまとめた。実現の見通しが危うい2011年7月までの地上デジタル放送を強引に確実にするため、「難視聴対策」に限って光ファイバー網を使ってもいいとするもの。

総務省は、何が何でも2011年7月24日に現行のアナログ放送を停止するつもりなのだろう。ひどい話だ。利用者のことなど、まったく考えていない。

新聞記事は総務省の思惑と、ローカル局の困惑のみに終始しているが、アナログ放送を停止することの愚かさと、それによってこうむるぼくら視聴者の不利益には触れていない。

2011年7月24日には止まるアナログ放送。その日以降、現行のテレビには何も映らなくなる。よく言われるように、テレビはただの箱と化し、所有者は自分で処理費用を出して粗大ゴミとして処分しなければならないのだ。

これだけでも釈然としない話なのに、アナログ放送が止まるその日、日本全国のテレビはすべて地上デジタル放送に対応しているのだろうかという疑問が残る。一億台以上あるといわれている日本のテレビすべてが一新しているのか?

総務省は、「対応している」ということを前提に地上デジタル放送を強行しようとしている。しかし、その日までに100%の家庭がデジタル放送受信となっているということはあり得ない。

ひとり暮らしのお年寄りや、いろんな施設、病院、学校などが、それまで使っていたテレビをすべて捨てて、地上デジタル放送対応テレビを購入することができるのか? 今は20万円から100万円と高価な地上デジタル対応テレビ。メーカーや推進団体は増産することで価格の低下は可能だとしている。しかし、現行のテレビのように数千円も出せば買えるようには決してならないだろう。

アナログ放送を停止するとき、地上デジタル対応テレビを購入できない人や世帯はかなりの数にのぼると考えられる。その人たちを切り捨てて、デジタル放送に一本化することができるのか? テレビ局は「国策だから仕方がない」と総務省の敷いたレールに、ぶつくさ言いながらも乗って走るだけなのか? 疑問だらけだ。

年金生活をするお年寄りに、数千円を出してまだ使えるテレビを粗大ゴミに出し、その上、安くなりはすれども数万円は確実にする地上デジタル放送対応のテレビを買えと迫る。それが総務省の言う『国策』の姿。では、買えない場合はどうするのか? 「光ファイバーによる難視聴対策」のように、補助金を出したり、テレビを貸し出したりという、その解決策が討論された形跡は今のところない。


「放送と通信との垣根がなくなる」なんていうことは、ぼくら視聴者にしてみればどうでもいいこと。家庭の受像器(テレビやパソコン)まで、どんな形で飛んでこようが、番組の質に関係するわけでなし、いい番組、楽しい番組を見ることができれば、ぼくらはそれでいいのだ。局と受像器を結ぶのが空中を飛ぶ電波だろうが、電話回線や光ケーブルだろうが、知ったことではない。局は、そして監督官庁である総務省、さらに国は、ぼくら視聴者に番組を届ける義務がある。そして、その義務は、これまでアナログ放送でほぼ完璧にクリアしてきた。

それが、デジタル化することで、数多くの人たちがテレビに、情報に接することができなくなってしまう。その上、現行のアナログ放送を終了させると、デジタル・デバイド、情報弱者はさらに増えることは確実だ。

地上テレビ放送のデジタル化。この『国策』には、ぼくら利用者に選択の余地がない。「画面がきれいにならなくても、双方向じゃなくていい。私はこれまでのテレビで十分」と考える人は現行のアナログ放送を選ぶことができる。それがあたり前だと思うのだが、そんな考えは総務省にはまるでない。そしてテレビ局にもないようだ。

テレビもジャーナリズム。『国策』で切り捨てられる人たちの側に立った取材や報道をする義務があると思うのだが、見て見ぬふりなのか知らんふりなのか、積極的に取り上げようとする姿勢はまったく見られない。

テレビ局にすれば、デジタル化が決まったからにはとっととアナログ放送をやめたいのだ。2011年7月24日までは、アナログ放送とデジタル放送を同時に流すサイマル放送を続けることが義務づけられている。それにかかるばく大な経費は、当然、局の負担。アナログ放送が打ち切られず、ずるずると続くことは局にとって死活問題ではある。

でも、くり返したい。テレビもジャーナリズム。不条理な政策の狭間に取り残されていく人たちの姿をていねいに追い、「これでいいのか」と疑問を提起するのはテレビの義務。その姿勢を持ち続けることができるのか。正念場だと思う。






情報通信審議会がまとめた答申では、デジタル対応テレビを普及させるため、「現行のテレビに、2011年以降、単独では使用できなくなることを知らせるシールを貼る」という案が盛り込まれた。使えなくなるとわかっていて買うのはこちらの責任だと言うのか? 今、テレビが壊れたら、泣く泣く数十万円もするデジタル放送対応テレビを買わねばならないのか?

これは脅迫だろう。

テレビの寿命は長い。今、新しくすれば20年くらいは楽に持つ。しかし、6年後には捨てなければならないのだ。じゃぁ、メーカーはもう現行のテレビの生産をやめた方がいい。二重に買わせようとするのは、あまりにあくどい商売だ。




音楽三昧していると、注文していた本が amazon から届く。

放送中止事件50年


書籍ではなくブックレット。
「テレビは何を伝えることを拒んだか」というサブタイトルがついている。1953年2月の本放送開始以来、さまざまな圧力でオンエアを拒否された、あるいは、局自ら自粛した番組とその背景が検証されている。

テレビの歴史と現状、そのもろさ、危うさに興味がある人は必読だ。


「番組制作に政治家が介入した」「いや、していない」

朝日新聞とNHKとのつばぜり合いは、先日の朝日新聞の発表で再燃するのかどうか。朝日の社内情報が『週刊現代』に漏れた可能性があるという記事が掲載されたのはきょうの新聞だっただろうか。

朝日新聞の指摘が正しいか、NHKの主張が真実なのかは、わからない。ただ、制作現場にいる人間は、さまざまな圧力がかかることを経験しているだろうし、制作している番組に政治家が口をはさむことも「あっても不思議ではない」と考える人間の方が多いに違いない。上のブックレットをぺらぺらめくっても、政治家の有形無形の圧力によって消えていった番組が次々とあらわれる。

ぼく自身は、制作に携わった番組が政治家によって圧力をかけられた経験はない。だが、制作を進めながらいろんな理由でオンエアできなかった番組がふたつほどあるし、番組内容に手を加えたことも数回ある。

妙な圧力に屈し、番組内容を変更する。それはそれは悲しくも情けない思い。外部ライターのぼくが心底悔しく思うのだから、ネタ探しから走り回ったディレクターの心情は推して知るべしだし、泣くに泣けない思いに違いない。そのたびに、テレビというメディアの脆弱さを感じる。


その昔、佐藤栄作総理大臣は退陣する際、会見場に姿を見せるやいなや、「テレビは真実を伝えてくれるので、私は直接テレビから国民の皆さんにご挨拶する。テレビはどこだ? ぼくは偏向的新聞は大嫌いなんだ」と発言。怒って退席した新聞記者たちを尻目に、NHKのカメラに向かって話し始めた。

メディアとしてのテレビを語るとき、よく引用されるこの出来事。テレビがいかに利用されやすいメディアかということを端的にあらわしていると同時に、テレビの影響力の強さをも示している。影響力が強いからこそ、利用価値もあるし、政治家が(そしてスポンサーも)番組制作に口をはさもうとする気にもなるのだ。それは佐藤首相がガランと広い記者会見場で、ひとり、テレビカメラに向かって自分の思いだけを述べたとき(もう30年以上前だ)も今も変わらない。

佐藤首相はテレビというメディアを御し易しと思っていた。それは、カメラの向こう側にいる国民をも“御し易し”と思っていることをそのまま映し出したので、佐藤首相にとって効果はマイナスになったに違いないが。


朝日新聞とNHKとの絡み合い。どうなることやら、まだ先は見えないが、内部告発し、記者会見で涙を見せながら語ったあの人はどうしたんだろう? まだNHKの局員として働いているのだろうか? その後、あの人の発言を目にした記憶はないのだけれど・・・。


テレビほど「権力に屈しない」という言葉が似合わないメディアもないなぁ。
そんな思いが、ここのところしている。




今月初旬、ネットで購入した中古CDが届く。

DIRE STRAITS

dire straitsmaking movieslove over gold

「 Dire Strais 」「 Making Movies 」「 Love Over Gold 」


brothers in armson every street

「 Brothes In Arms 」「 On Every Street 」


MARK KNOPFLER

mark knopfler

「 The Ragpicker's Dream 」


Dire Straits のデビューアルバム、3枚目、4枚目、
6枚目、7枚目。

Mark Knopfler 、3枚目のソロ・アルバム。


Dire Straits デビューしたとき、ボブ・ディランの新譜と
思った人が結構いたそうな。
ボーカル&ギターのマーク・ノップラーの気だるい歌は
ボブ・ディランに確かに似ている。
でも、その言葉はボブ・ディランほどに鋭利ではない。

マーク・ノップラーはギタリストとして
ボブ・ディランのツアー(レコーディングもかな?)に参加。
「ミスキャストだ」という声も多かったそうな。

ぼくは彼の、指で弾くギターが好き。
それと、ダルな歌ながらスピード感のある曲調も。

ぼくがマーク・ノップラーの実物を見、聴いたのは、
彼がエリック・クラプトンの日本公演に同行したとき。
クラプトンのギターと妙にマッチしていた。

この公演だったかな、エルトン・ジョンも参加してたのは。
クラプトンのステージの合間に数曲やった。
そのとき、たくさんの観客がぞろぞろと“おトイレタイム”。
あれはかなり失礼だったかも。
エルトンさん、お気の毒だった。





NAZARETH

malice in wonderlandthe fool circlethe catch

「 Malice In Wonderland 」「The Fool Circle 」「 The Catch 」


結成30年をこえるイギリスのハードロック・バンド。
ボーカルのダン・マカフィティは、
その昔、ガンズ・アンド・ローゼスのアクセルが
フェイバリット・ボーカルにあげていた。
ときに、ぎょっとするほど似ている。

一時は「アクセルに影響を与えたバンド」として少し浮上。
でも、結局日本ではブレイクせず。ルックスのせい?
いい曲、たくさんあるんだけどなぁ。

でも、30年以上にわたってイギリス及びヨーロッパでは
トップクラスの人気を保っているとか。
すごか~。

最近は、ベースの息子がドラムを叩いてる。
親子でロック。いいな。







TALKING HEADS

talking heads

「 The Name of This Band Is Talking Heads 」


1982年にリリースされ、
メンバーが「気に入らない」という理由で
あっさり廃盤となったライブ。
16曲が追加され、2枚組でCD初登場。

トーキング・ヘッズと言えば、「 Stop Making Sense 」。
ギター&ラジカセで始まるあのステージは印象的だった。
振り返れば、あのころがピークだった。

このアルバム、初期の「奇妙なバンド」という雰囲気が
元気に出てて、とても“良”。






以上、10枚。久しぶりに“たくさん仕入れた”という感じ。
これで送料込みで$90を下回る(中古だけど)。

日本でのCDの価格、えらく高いことがよくわかる。

さて、どれから聴こうかな?



きのうの夜、ぼんやりしながらTVのチャンネルをまわしていたら(「切り替えていたら」かな?)、加藤登紀子さんが『知床旅情』をまさに歌い始めんとしているところだった。

あぁ、『知床旅情』かぁ、懐かしいな。学生時代、夏も冬も、知床へ行ったっけ。夏の五湖も知床連山も、冬のウトロの流氷も凍りついた滝も美しかった。ユースホステルに泊まったら、みんなで必ずこの歌を歌ったなぁ・・・・。

ひさびさ、しんみり、心の中で合唱しつつ、聞いた。

すると、おや? 歌詞が変だぞ。

♪わたしを泣かすな 白いカモメよ♪

こう記憶していた部分が、

♪わたしを泣かすな 白いカモメを♪

と、加藤さんは歌うではないか!
歌詞スーパーもちゃんと「白いカモメを」となっている。これはどうしたことか?

「よ」と「を」では、意味が180度、変わってしまう。「白いカモメ」が、「わたし」を泣かした加害者から、泣かされた被害者(=「わたし」)になってしまうではないか!

いつから歌詞が変わったんじゃ?


『知床旅情』の歌詞変更は、これが最初じゃない。

♪別れの日はきた 羅臼の村にも♪

の、「羅臼の村」の部分は、この曲の作者・森繁久弥さんが地元に気を遣い、「知床の村」として歌ってくれるように加藤さんに頼んだ(または、「羅臼の村」とそのまま歌った加藤さんに「もっと地元に気を遣うように」と苦言を呈したか)といういきさつがあるらしいことは有名だけど、「白いカモメよ」が「白いカモメを」に変わっていたとは知らなんだ。

でも、なんで?

堂々と「白いカモメを」と歌う加藤さん。加藤さんはいつから「白いカモメ」となり、海上を漂う人となったのだろう???


こりゃ変だと思って google すると、意外な事実を発見!

『知床旅情』の原詩 『サラバ羅臼』では、確かに「白いカモメを」となっている。

他のHPをあたってみると、「白いカモメを」が原詩なので歌詞の表記をそう改めたと記しているHPも。

例えば、こちら → 『知床旅情』


どうも森繁さんが書いた詩は「白いカモメを」というフレーズのようだ。そうか、そうだったのかぁ、知らなかった。きっと加藤登紀子さんも知らなかったのに違いない。「白いカモメよ」で録音しているのだから。最近になって気づいて変えたのかしら?


でもなぁ、

♪わたしを泣かすな 白いカモメよ♪

このフレーズに慣れ親しんでいるせいか、「白いカモメを」の歌詞はどうにもしっくりこない。これではぼくが歌うと、ぼくは「白いカモメ」になってしまう。

白いカモメとの別れがつらくて涙している旅ガラスの姿を頭に思い浮かべつつ、「いい歌だなぁ」と(勝手に)思っていたのが、がらがらと崩れ去ってしまったぁ。

想い出の曲がひとつ、消えた感じ。なんだか寂しいわぁ。



京都と大阪の境にある某企業の研究所でロケ。大半は室内だけど一ヶ所だけタレントさんに外でコメントを言って欲しいところがあるので、空をにらんでイライラ。台風のせいだろう暗雲垂れ込める。しかし、雨は降りそうで降り切らず、止みそうで止まない。戸外の撮影を諦めるべきか否か、一番判断しづらい天候だ。でも、タレントさん&マネジャーが意外に気さく。雨が小降りになった間隙をぬって無事に撮影終了。マネジャーにはイヤな感じの人も多いが(タレントを守るのが仕事だから仕方ないけど)、ムリをきいてもらって大感謝。おかげで1本、早い新幹線に乗れた。よかった。

大きな台風がやってきてる。あしたの夕方には本州の真ん中あたりへ上陸しそうだ。もっと右へカーブするか、時速200キロくらいで通り抜けるか、ノロノロゆっくり進んで消滅するかして欲しい。

あしたは京都のはずれ(正確には大阪府らしいけど)でロケ。戸外で撮る予定だけど、雨なら雨で室内でもOKな撮影なのでそれはそれでいいのだけれど、タレントさんが東京から時間通りにやってこれるかどうか、それが心配。今ごろ、ディレクター氏はハラハラしていることだろう。

無事、ロケを終えても、翌日のスタジオ撮影に備えてその日のうちに戻らにゃならん。新幹線はすぐに止まるから、帰れないかもしれないなぁ。早めに止まってくれて京都あたりで一泊するようになるんだったらまだいいけれど、新幹線には乗ったものの、岡山と広島の中間あたりで立ち往生、そのまま朝までというのが一番困る。

ぼくらスタッフはヘロヘロになっても働けばいいけど、テレビに顔出すタレントさんはそうはいかん。夜通し電車に乗ってて目の回りにクマをつくったまま、カメラの前に立つわけにはいかんもんなぁ。大変だな、顔を人にさらすって仕事は。


とにかく、あしたは始発で出発! 4時起きかな~。
準備して、風呂入って、はよ寝よっと。


ここ数日、右肩(というより、右肩の背中側)が痛い。起きていても寝ていても、ちょっとした拍子に「うっ、イテッ!」とくる。寝ていて寝返りをうつと「うっ」となるのも閉口するけど、マウスに手をやっていると、自分の腕の重さで痛むのは難儀。

これが「五十肩」というヤツなのかなぁ。その年齢にはちょびっと間があるのに、「ごじゅう・がた」という響きが心に痛い。なんとなく情けない。

しかし、そんな歳でもあるなぁ。先日、お母さんが亡くなって帰省した友人は、近々「おじいちゃん」になるんだそうだ。息子は大学院へ行ってるはずなので、「え??」と聞き返したら、

「ある日突然、かわいい娘っ子を連れてきて、一緒になると言いやがった」

そうな。
で、驚くオヤジとオフクロに、まだ世には出ぬが確かに存在する孫のことまで告げたとか。

その話を聞きつつ、なんだかおかしかった。その友人もお子さまができてから彼女(現夫人)の両親に「娘さんを下さい」とお願いに行ったのだから。彼女の実家を訪ねる前日、東京のぼくの下宿に泊まったのは、もう四半世紀も前のことになるんだなぁ。

やはり親子である。だから、息子の爆弾発言にも反対の意は唱えられなかったらしい。そりゃそうだよねぇ。でも、知り合うきっかけや一緒になるきっかけは、なんでも、どんな順番でもいいんである。本人たちが納得し、楽しければそれが一番いいのだ。

しかし、四十代で孫を持つというのはどんな気分なのかなぁ。子供のいないぼくにはわからない。孫だもんなぁ、マゴ。

♪ なんでこんなにかわいいのかよ~ ♪

という、その名もズバリ『孫』という歌があったっけ。あの歌は、初孫ができた喜びにひたって作ったと歌手の大泉逸郎さんが言ってた。子供にはムカッとくるけど、孫は心底かわいいとも言うし。ヤツもでれでれのおじいちゃんになるに違いない。


しかし、友は孫、ぼくは五十肩。ほんに、光陰矢の如し。



怒濤の如き仕事に飲み込まれ、混沌の渦に巻かれていた時、携帯が鳴った。小学生の頃からの友人だった。

彼は、ひと言、

「ばあさんが死んだげな」

と言った。なんのことだか、とっさには分からなかった。

ふるさとでひとり暮らしをしていたお母さんが亡くなったのだった。

小学校の時、彼はぼくがいた学校に転校してきて、ぼくと同じクラブに入った。でもほんとに仲良くなったのは中学で同じクラスとなってから。それまでのぼくは担任の教師が同窓会で「あなたは誰先生のクラスだったっけ?」と尋ねるほど目立たない子供。900点満点の試験で860点を超えるくらいに勉強はできて、試験の時だけは顔を覗かせるけど、それ以外の時は水面下に沈んでいる。イヤなガキだった。

そんなガキが、年相応の快活さを持つローティーンに変身したのは、ひとえに彼のおかげに相違ない。それはぼくの母もよく言うことで、母自身、彼に会ってよかったと今も回想している。

彼とそのお母さんのことは日記にも書いたけど、他人の目にはそれはそれはおもしろくも興味深い母子で、そばにいて飽きることはなかった。お母さんはひとりで結婚式場を切り盛りする豪快な女性で、披露宴が行われた翌日はぼくら友人たちを呼び、余った料理を「全部食べんね」とふるまってくれた。それは尾頭付きの鯛だったりと豪華ではあったが、ひとり10匹以上も食べるのは格闘技と同じくらいに根性が必要だった。

あのお母さんも、帰らぬ人となったのか。


お通夜の夜、10時過ぎ。ぼくは祭場に行った。どんな顔をすればいいのだろう? なにをどう言えばいいのだろう? 車を運転している間中、そんなことが頭を駆けめぐった。

祭場の横に車を停め、中にはいると、そこはガランとしていて、若い女性がふたり、イスに座っていた。ひとりが「遅くに、どうもありがとうございます」と言う。ぼくは「ご愁傷様です」などとモゴモゴ言い、記帳をしようとペンを取りながら彼を呼んでくれるように頼んだ。するとその女性は「は?」と言って奇妙な顔をする。彼の名前を再度告げると、「そのような名前の者はおりませんが・・・」と言う。

ぼくは、違う人のお通夜の会場へ入り込んだのだった。よかった、記帳する前で。

お母さんのお通夜が行われているという本館へ行くと、彼とその兄弟たちが飲んでいた。ご愁傷様も口にすることもなく焼香を済ませたぼくは、四半世紀ぶりくらいに会う彼の兄さんや弟たちと昔話を始めた。涙のない、飾りのない、素直な席だった。ぼくも悲しかったけど、淡々としていた。話をしながら、ぼくは彼のお父さんが亡くなった時のことを思い出していた。

彼のお父さんが亡くなったのは、ぼくらが高校生の時だった。お骨を焼いて戻ってきた時、彼の一番上のお兄さんはお父さんの遺骨を抱いて、

「オレはオヤジと一緒におるんや!」

と言って号泣した。
世間を知らない10代半ばのぼくには、何をどう言えばいいのかわからなかった。わかるのは、父親が子供を残し若くして世を去らねばならないという理不尽な深い悲しみに家族たちが沈んでいることだけ。つらかった。

あの時とずいぶん違うな、と思った。お父さんは思いをたくさん残して逝ったけど、お母さんは自分の人生を生ききった。そんな感じがぼくはしたし、それは彼やその兄弟たちも同じなんじゃないかと思う。だから、お通夜の席に涙はない。

もちろん、ささやかな笑顔の陰には本人たちが今は気づかない悲しみがあるだろう。母親という一番近しい肉親を失ったのだから。そして、その悲しみはこれから折に触れ胸に湧くに違いない。でもそれは辛さを伴うものではないような気がする。

ぼくが着いてから2、30分もすると他の友人たちもやってきて、お母さんの思い出話がいっそう花咲いた。


自分の人生を堂々と生き抜き、世を去る時には身近な者たちが思い出話に興じながら見送ってくれる。そんな見事な生き方、去り方がぼくにできるだろうか?


お母さん、うらやましいです。
ゆっくり眠ってください。




west coast rock

『 West Coast Rock 』 Various Artists


家に帰ったら、四角い箱が届いていた。

「ん? なんだ、これ?」

開けてみたら出てきたのが、上記の品物。
2枚組CD6セット。

あぁ、思い出した!
この間、ふと覗いたYahooオークションで、
「懐かしのウエストコーストロック! 全180曲!」
なる売り言葉に軽い気持ちで入札したら、
そのまま落札したのだった。
忘れてたわぁ。
(photoはYahooオークションの物をちょいと拝借)

イーグルスやポコ、ドゥービー・ブラザーズに代表される
ウエストコースト・ロック。
爽やかな生ギターをメインとしたサウンドが心地よい。
が、しかし、この「全180曲」って、
入って当然と思われる曲が抜け落ちてるぞ。

う~む、またムダな買い物をしてしまったか・・・。

このセットにはミュージシャンや曲の解説をしている
かなり充実した冊子がついていて、
そこで、選曲にあたった我妻広己さんが、
選曲に漏れがあるワケをこう書いていた。
以下、適宜抜粋。

アーティスト側の都合により、全面的に使えないケースが多い。
そのため思わぬ曲が落ちている。
例えば、ニール・ヤング関係は全面不許可。
CS&N物も、ナッシュのソロ以外は不許可。
音源もWEAのソースに限られた。
ゆえに、定番曲のパーフェクトな集大成には成り得なかった。

読んでて、なんだか笑えた。正直だな~。
解説書のアタマに「不完全」を謳ってるとは珍しや。

そりゃ、アーティスト側にも「都合」くらいはあるだろう。
それはアーティスト本人と言うより、
マネージメントの問題かもしれないし。
印税がどう流れるのか、ちゃんと歌い手、演じる人に届くのか。
それも、かなり心配ではある。

選曲者の怨念にも似た懺悔を読みつつ、聞いてみる。
こりゃ、けっこういい。
定番曲が抜けたかわりに、
普段はなかなか聞けないような曲がかなりたくさん入っている。
アソシエイション、アンブロージア、デヴィッド・リンドレー、
ジョ・ジョ・ガン、ラヴ、ハーパース・ビザール等々。

ただ一曲を聞きたいばかりにアルバムを買うのもなぁ・・・。

そう思っていた曲が散らばっているではないか。

リッキー・リー・ジョーンズ 『恋するチャック』
ニコレット・ラーソン 『溢れる愛』
エミルー・ハリス 『ミスター・サンドマン』
ウォーレン・ジヴォン 『ロンドンの狼男』

こうした曲が聞けるとは、なんともはや、予想外。

包みを開けてみたときは、
ムダな買い物をしたと思ったけれど、
これって結構、拾い物かも。

と、書いてる今、流れているのは、
イーグルスの『テイク・イット・イージー』。
おっと、アメリカの『名前のない馬』が始まった

どちらも、大定番曲。

定番曲もいいな、やっぱり!


部屋で仕事をしてると、母が菓子をもらい物だと言って持ってきた。そして、ぼくの方をチラリと見て、

「あ、電気、ちゃんとつけてるのね、偉いねぇ」

と言って降りていった。ずっこけた。

ぼくは、結婚するかしないかの子どもがいてもおかしくない年齢である。それを、「電気(スタンドのこと)をつけて」本を読んでいるからって、「偉い」よわばりはないだろう。

子どもはいつまでたっても子どもなんだな、やっぱり。

中学までは2.0だった視力は、蛍雪で学問に励んだわけでもないのにずんずん悪くなり、今では視力検査の一番上の文字がぼんやりとしか見えない。

学生時代、視力が落ちてコンタクトを使っていたぼくに、母は、

「上等の目玉に産んでやったのに、へたくそな使い方して」

と言って嘆いてみせた。その余韻が今も残っているのだろうか。


母も78。歳をとった。だが、やはり親は親ということか。

しかし、「偉いね~」は、やめてよね。こっぱずかしい。


隣の県の局で制作中だった『軽トラ行商ばあちゃん物語』、無事にスーパー入れも終わり、完成したと連絡があった。ディレクター氏と初めて打ち合わせしてから6ヵ月。その間、ばあちゃんがカゼをこじらせて急性肺炎となり、入院したことを始めいろんなことがあったので、つい数年前まではカメラマンだった50代のおぢさんディレクター氏は大変だったと思う。

ばあちゃんが入院した病院の院長は、「年寄りをなんだと思ってるんだ、肺炎になるまで追いかけ回して!」と、おぢさんディレクターを責めた。ディレクター氏は、この番組も完成を見ることなく終わるのか、そう思ったそうである。

この、行商生活半世紀、今もかくしゃくとして軽トラを駆る84歳のばあちゃんは、高齢化社会におけるお年寄りの幸せな生き方として、テレビ局の格好の素材。おぢさんディレクターが取材中にも他局の取材陣が密着していた。院長が怒っていたのは、この局が朝のワイドショーの中で放送した、その取り上げ方だったようだ。

「体をいたわり、ゆっくりとした生活を送るべき高齢者を、朝から晩まで追い回し、体調を崩させた。テレビで茶化され、おもしろおかしく見せられるためにばあちゃんは生きてるんやない!!」

というわけだ。

他局の分まで謝るはめになったおぢさんディレクターは大変だったが、院長の怒りには一理も二理もある。「取材にこたえて当然だ」という態度をとるテレビクルーが多いことは、残念ながら事実だと思う。番組関係でもそうだから、一刻を争う報道分野となるとそれはさらにひどくなる。

JR西日本の事故の時、社長の記者会見で横柄かつ粗暴な発言をした記者に非難が集中した。あの記者がテレビ局所属か、新聞社の人間なのかは失念したけれど、これも、頭の中が「取材する側の優越」でいっぱいだからに違いない。
しかし、取材する側は、なぜそんなに“偉そう”でいられるのだろう?

どのような取材にしろ、たとえ金銭の授受があったにしろ、対象者はあくまで「協力」なのだけど、常々そう考えていないと“取材してやってる”という思いが態度や言葉の端々、ひいては映像や番組に出てしまう。危ないことだ。

院長の怒りは、番組企画意図についてのおぢさんディレクターの誠実な説明でとけ、ばあちゃんの入院風景の映像を使用してもいいようになった。ばあちゃんも二週間ほどで退院し、今は元気に軽トラ行商に復帰したのでホッとひと安心。もし、万々が一、ばあちゃんが危なくなるようだったら、この番組は本当に未完成のままお蔵入りだった。

ばあちゃん、元気で、行商を続けてくださいね。


軽トラ行商ばあちゃん物語(タイトルは違うけど)のナレーションは、室井滋さん。わざわざ九州くんだりまで収録のために来ていただいた。タレントさんの場合はこちらが東京まで出かけていくことがほとんど。珍しい。

収録前、打合せでちょっと緊張。室井さんはエッセイも書かれる方なので、僕が書いたナレーションの文章に不満がないか、心配だったのだ。ぼくも一応プロとは言え、人の心に染み込む文章を書く力はない。
結局、数ヶ所、手直しをしてもらった。ありがたいな。

室井さんは、いきなりお願いした番組宣伝用のコメントも快くOKしてくださり、色紙へのサインもイラスト入りで書いてくれた。最後は、プロデューサーも録音スタジオの面々も仕事を忘れてデジカメ大会。とても気さくな、素敵な方だった。
『やっぱり猫が好き』から、なんとなく気にかかる女優さん。今回、同じ大学だということを知った。ギリギリのところで、同時期にキャンパスを歩いていたかもしれん。なんとなく嬉しい。仕事を忘れてミーハーになってしまった。

室井さんが北野武さんの母を演じる『菊次郎とさき』はテレビ朝日系列で、今月21日にスタートって聞いた。見せてもらおうかしら。


ナレーションは、読む人が読みやすいように語尾や言い回しなどを自由に変えてもらうようお願いしている。打合せの時、おぢさんディレクターは「室井流でお願いします」と言っていたが、はたして、時に軽快に、時にしっとりと、ばあちゃんの半生を浮き彫りにしてくれた。舞台もやられるからだろうか、声の張りもアナウンサーとはまったく違うし、やっぱり上手だわぁ。

ま、アナウンサーは「正確に読む」のが仕事なので、比較すること自体おかしいけれど。

番組のトーンというか、印象を決める一番の要素がナレーション。ナレーターの力量で、その番組の性格が決まると言っても過言ではない。その意味でも、今回の人選は大成功だ!


そんなこんなで完成した番組は、全国放送。なれど、同じ日時に一斉に流れるネットではなく、放送日時は各局に任せられている。東京でも北海道でも沖縄でも、全国のフジ系列でオンエアされることはされるのだが(大抵、平日の深夜・・・・・・ツラか~)、いつになるのか、それはおぢさんディレクターでも分からない。

よって、ぼくも友人・知人に「見てね」と言えない。
残念至極。楽しくできあがったんだけどなぁ。



正確な番組タイトルは、

『軽トラ行商は命~84歳 魚売りばあちゃん物語』

内容紹介は → こちら

テレビ欄でお気づきになったら、見ていただけると嬉しいです。



◆番組の宣伝です◆


制作に参加した番組がオンエアされますので、
宣伝をさせていただきます。


★番組名★

テレメンタリー2005
「ちむぐりさ」 ~ 戦後60年 戦場の記憶 ~


内容紹介は こちら


★制作局★

琉球朝日放送+メ~テレ(名古屋テレビ)


★オンエア局と日時★

テレビ朝日系列ですが、放送日時が局によって異なります。

局別の放送日時は こちら








私たちには「ちむ」がある。

そう、沖縄の人は言うそうです。

「ちむ」があるから、深いところで分かり合える。
ヤマトの人間には「ちむ」がない。
だから、沖縄のことが分からないのさ。

ディレクターはそんな風に言われたそうです。

心でもない、頭でもない、「ちむ」
敢えて漢字を当てれば「肝」。
「ちむぐりさ」は「肝苦さ」となります。

兵士、住民の区別なくして闘われた地上戦。
そこで受けた苦しみや悲しみを
沖縄の人たちは「ちむ」に湛えています。
決して口にできない戦場の記憶。

アメリカ軍上陸直後、
ガマと呼ばれる自然壕で住民たちの集団自決が起こりました。
生き残った人たちは、長い間、口を開くことなく、
戦後を生き抜いてきました。

番組では、集団自決で家族を失った人が、
事件から60年目にして初めて、その思いを語ります。

短い言葉にかいま見える「ちむぐりさ」。


沖縄戦に勝利したアメリカ軍。
しかし、戦闘のさなか、
「戦闘神経症」と呼ばれる症状を示す兵士が続出しました。
今では「PTSD/心的外傷後ストレス障害」として
広く知られる病です。
あまりに激しい戦いに、兵士もまた病んでいたのです。

勝者のいだく「ちむぐりさ」。

その戦場の記憶は、次の世代へと引き継がれています。
「DV/家庭内暴力」などに形を変えながら。


戦争とはなんだったのでしょう?
戦いに終わりがあるのでしょうか?


そんなことを思いながら、制作に携わりました。




気軽に引き受けた「子どもたちの舞台台本」に苦悩すること、ここふた月。5月、6月はあっちゃこっちゃウロウロしていて自宅に10日といなかったので、本腰を入れたのは先週の初旬くらいからだけど、こんなに引きずるとは思わなかったなぁ。

考えてみれば、芝居の舞台台本って、書くのは初めて。歌番組的なステージ進行の台本は書いたことあるけれど、全然感じが違うのねぇ。感情をどう込めればいいのやら、どこで誰を語らせればいいのやら、登場人物にどんな性格づけをすればいいのやら、さ~っぱりわからん。

主な登場は子どもたちが16人。劇団のおじさんは、それぞれに性格づけをしてやらないと演技ができないという。そりゃそうだ。通行人であれ、なんであれ、その性別・年齢から、職業、その時の心持ち、そして性格を与えてあげないと、役者は舞台を歩けない。そりゃ、アタマじゃ分かっているのだが、16人の性格なんて書き分けるどころか、その人数分の違う性格を考えることすらできん。

劇団のおじさんにアドバイスを求めたら、「参考にシナサイ」と渡されたのが、美内すずえさんの『ガラスの仮面』の単行本。おぉ、なつかしや!


「ガラスの仮面」第1集


その昔、リアルタイムじゃないと思うけど、ちらりほらりと読んだことがある。幻の名作の主役を目指す女の子が主人公だったような覚えが。ウワサによると、まだ続いてるとか、今もアニメ化して放送中だとか・・・・すごか~。
で、検索してみると、テレビ東京でアニメが放送中らしい。でも、オンエアは毎週火曜日の深夜1時半だと。こりゃ、マニア向け?

しかし、読み出すと、おもろいわぁ、この作品! おぢさん、ときおり涙しながら、ずっぽりはまり込んでしまいました。

で、『ガラスの仮面』を読みふけること一日。参考にはなったけど、アイデアは出てこん。うぅぅ、どうしよう・・・・。

野球がオリンピック競技からはずれた。僕は記憶に残る最古の試合が長嶋さんの引退試合、それもニュースで見た程度の興味だけど、ファンやプレイヤーはさぞかし落胆してるだろう。しかし、普及度が足りないと言われるとそれは認めざるを得まい。大リーグは批判の声明を出したが、プレイヤーも派遣せずに今さら何をか言わんや。自らのチャンピオン決定戦をワールドシリーズと呼ぶ傲慢さが野球の普及の足かせになっているんじゃないのか? 野球は金がかかるスポーツ。広い土地も必要だ。本気でオリンピック復帰を目指すなら日本がイニシアチブをとるしかないだろな。でも、道遠しって感じ。
今月、初めての洗髪。危ないところでレゲエのおじさんになるとこだった。先月末のカゼを引きずり、治ったような治らないような・・・。体が熱いのは、ダルいのは、頭がボケているのは、暑さのせいなのか、はたまたカゼのためなのか。夏は判断に苦しむ。冬はフトンにくるまって汗を絞り出せばすっきりするけど、真夏日が続く毎日、まぁ、汗のよ~出ること。とどまるところを知らない。干からびると困るので大量に水分をとる。これがまた汗になる。自然のサイクル、人間の新陳代謝ってすごいなぁと思いつつ、また汗みどろ。エアコンは苦手だし、ガマンすっか。
熱でボ~ッとしている間に、いろんな人が亡くなった。
永島慎二さん。前日の天野滋さんに引き続き、びっくり落胆。

永島さんの漫画を読んだのは『フーテン』→『柔道一直線』→『漫画家残酷物語』の順かなぁ。なんか妙な流れだけど。『フーテン』はリアルタイムで読んだのかどうかはもう記憶も定かではないけれど、『COM』に連載していたように思う。同じころ、手塚治虫さんの『火の鳥』も掲載していたんじゃなかろうか。懐かしいというより、森羅万象の向こう側という感じだわ。

『漫画家残酷物語』を読んだのは大学に入ってから。『フーテン』を読んでからずいぶんと間があいている。順序で言えば『漫画家残酷物語』の方が先に世に出た漫画だからもしかしたら読んでいたのかもしれないけれど記憶にない。漫画の嗜好が“ガロ的”なものから、『おそ松君』『いなかっぺ大将』に代表されるギャグへと向かったからかなぁ。まっとうなお子さまの道に戻ったと言えるかもしれん。

『フーテン』の印象があったから、『柔道一直線』には驚いた。あの永島さんだとは、同じ漫画家だとは、しばらく気がつかなかった気がする。ぼくはスポコン物が大嫌いなので、漫画はほとんど読まなかったし、テレビドラマも見なかった。でも、なぜか桜木健一が主役で、吉沢京子がマドンナ役だったことは知っている。近藤正臣が足でピアノを弾いた“あの”シーンが、後世、あまりに世に出てしまったからではなかろうか。トムとジェリーじゃあるまいに、視聴者をナメとんのか!と、今さら怒っても始まらん。

あのシーンと、“永島慎二”という漫画家とが、どうもイコールで結べない。どうして永島さんはあの漫画を描いたのだろう? 原作が“あの”梶原一騎だというのもイコールではつながらないなぁ。

『柔道一直線』が世に出たときかしら、「永島さんも売れたいんだなぁ」と思ったのは。売れたい・・・・当たり前だろう。漫画でメシを食っているんだし。しかし、『ガロ』や『COM』なんぞの一種排他的な匂いのついた漫画を読む斜め思考のガキんちょには、その当たり前が当たり前に思えなかった。誰も読まない“名作”なんてあり得ない。誰も行かない“秘境の名湯”なんぞがないのと同じだな。

永島慎二 → シバ → 高田渡 なんて連想してしまうのは、アタマに70年代以前のモノが渦巻いていたりするからなのかなぁ。

今では、『旅人くん』のふわふわ浮かんで歩いているような絵の方がなじみ深い永島さん。『フーテン』、四半世紀ぶりくらいに読んでみようか。



ソバ屋でスポーツ新聞を開くと見覚えのある顔が。ん?と思ったらNSPの天野滋さん。なんと訃報・・・。
ニュー・サディスティック・ピンクはどこかしらアマチュアの匂いを残した、好感持てるグループだった。最近、70年代を振り返る音楽番組をよく見る。そのたびに、NSPは出ないなぁ、どこで何をしているのやらと思っていた。記事によると、天野さんは大腸ガンを患いながらもステージ活動を続けていたそうだ。知らなかった・・・。
「夕暮れ時はさびしそう」が代表曲としてあげられている。僕は「あせ」が好き。あの軽やかなハーモニー、聴きたいよ、もう一度。
久々に週末自宅に居れたと思ったらノドを腫らし、土日を越して月曜まで寝込んでしまった。も~、このヘントウセン、何とかならんかなぁ。
熱帯夜。周りが暑いのやら自分が熱いのやらワカランが、たえまなく吹き出す汗にまいる。汗をかいた肌に風があたると寒いので着ている長袖Tシャツがまた暑い。洗濯してもドシャドシャ降りの室内干しなので乾きが悪い。今も27本のハンガーが頭上をぐるりめぐる。相撲の懸賞みたい。これが天の川ならいいのになぁ。
なんてことを言うてはおれん。今日はナレーションの収録日。足かけ6ヵ月の番組作りもようやく大詰めじゃあ~。

*ネコ助と「iPod」*



「なんじゃ、こりゃ」





「じゃかまし!」




*野性はどこに行ったやら*



「るんるんうひうひ」




「なに?」




「ずぴzzzz」




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。