番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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沖縄の新聞には一般人向けの死亡告知欄がある。欄と言っても時には2ページに及ぼうかという広さ。一人に割り当てられたスペースも大きい。人と人との結びつきの濃密さを表している感じだ。
「天寿百歳を全うし」といった、さすが長寿県沖縄と思える告知の中に若い世代がちらほら混じっている。病気療養中だった40代の女性。不慮の事故で世を去った18歳の青年・・・・。並ぶ遺族の名前が痛々しい。
百歳と18歳。ひとつの命が消えた重みは同じだが、運命の不公平さを思わざるを得ない。人は生まれた瞬間から死に始めているとは言うけれど。
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きのうは編集が順調に進み、ひとまずラストまでたどり着く。つながった長さは32分。オンエアは24分。あと8分、削らなければ。
デジタルハイビジョン(HD)収録なので色は抜群にキレイ。でも、今はデジタル放送への過渡期。この局にはHD編集システムが1セットしかないので、きょうの編集は夜からになるかも。不便じゃ。
先日、仕事をした局はHD編集をパソコンでやっていた。パソコン編集は画面の入れ換えなどが自在で楽。でもスーパー入れが大変。1時間番組の右肩にタイトルを出し続けるようにするだけでレンダリングに16時間もかかったとか。
便利になっているやら、いないやら。

今日から沖縄。
沖縄に行くと言うとうらやましがられる。沖縄に住むのが憧れという人も多い。実際、他県から移住する人が毎年数多くいるそうだ。暖かい気候に優しい人たち。そのイメージが人間関係の軋轢に疲れた人の心をいざなう。
一方、沖縄移住の夢を捨てた知人がいる。「暑いし、人間関係が濃密で疲れる」というのがその理由。同じ気候と同じ人たちに対するイメージもずいぶん違うもんだ。確かに、都会の無関心社会の中で周囲を気にせず気にもされずに生きてきた人には辛いだろう。
ぼくはどっち? 暑さはOK。でも、濃密はダメかも。

甲子園の優勝旗は、選手たちの元に戻った。当然すぎるほどに当然だ。

まだ20代と若いとは言え、選手たちをリードする立場の人間が、その選手の素行や態度がどうであろうが(その状況については、きちんと報道されては居ないが)暴力をふるった。それは、自分の立場を「導く者」としてではなく、「上に立つ者」と誤認していたからだろう。立場の差を利用し、矯正を名目に力の違いを誇示したと言われても、弁解の余地はない。

しかし、一連の騒動がニュースのトップ項目で報道され続けたことには違和感を覚えた。高校野球は、ほんとにそれだけ国民的関心事なのだろうか?

なのだろうなぁ。喫煙や飲酒など、親や教師も誰もが高校時代に経験するであろうことを選手もやってみたという程度のことじゃなく、指導者の暴力だし。


この騒動で、忘れていた高校時代のできごとを思い出した。


ぼくが通っていた学校は田舎の進学校で、「文武両道」を旨にはしていたけれど、周囲の悪童たちにとってはタカリのカモにする格好の対象だった。ぼくも卒業までに4、5回、他校の生徒からタカリにあったことがある。逆に言えば、前から歩いてくる同世代の姿形面体を見れば、「あいつら、来るな」とピンとくるくらいに日常茶飯事なことだった。

あるとき、ぼくと友人が田舎の都会を歩いていると、前からくる制服のふたり組にピンときた。友人も「あいつら、くるぞ」とささやく。そして、予想通り、そのふたり組は、「ガンをとばした」とぼくらに絡み始めた。

そのふたり組は日焼けした顔に坊主頭。見るからに体育系で、そのインネンのつけ方がどこかちぐはぐ。「こいつら、アマチュアやな」と、すぐわかった。

タカリのアマチュアに標的にされるこちらも情けないが、別に金品をとられるわけでもなく、殴られることもなく、数分間のやりとののち、ふたりは「今度から気ぃつけれよ」という決まり言葉と共に去っていった。

それからしばらくして甲子園の季節。新聞でだったか、テレビでだったか、はっきり覚えてないのだが、代表校の選手の顔写真を見て驚いた。あの、アマチュアのタカリふたり組が真面目な顔をして写っていたから。

その翌日、学校に行くと、友人もその顔写真を見ていた。「オレらがチクると、あいつら、出場停止やぞ」とぼくらは言い合った。

でも、ぼくも友人もチクりはしなかった。


ぼくらがチクらなかったのは、甲子園という彼らの夢を壊したくないという高尚な思いからだったのではなく、かといって、彼らの仕返しが恐いという心配があったわけでもない。

どうでもよかったのだ、インネンをつけられたことも、その彼らが甲子園に出ていることも。

炎天下、懸命に白球を追う。そんな姿も彼らふたり組にはあっただろう。同時に、ひ弱な同世代にインネンをつけてみたいという好奇心もあった。それだけのことに過ぎない。

インネン? 甲子園? 日常の、フツーのことやないか。大した問題やない。オレら、忙しいんや、そげんことにかまっちゃおれん。

そんな、漠然とした思いがぼくらにはあった。


でも、ぼくが、今、高校生で、同じ体験をしたらどうするだろう? 部員の不祥事があると世間が浮き足だって大騒ぎをする状況だ。「おもしろそうだ」と、教師に直訴するかもしれない。そうすると、野球部内ではなく、他校の生徒への暴力だ。今年の明徳義塾と同じように、彼らは代表校となりながら、甲子園で闘う前にふるさとへ帰らなくてはならなくなる。

そうなったとき、ぼくの心は爽快だろうか?


苫小牧の市民がこう言っていた。

「生徒たち、彼らががんばってきたことは消えませんよ」

その通りだと思う。


普通の生徒がやってるんだ。高校野球の“聖域化”は、もういいよ。



デスクトップはいまだ固まったまま。どうすればいいのかな~。

「腹が痛い」とか「頭が働かん」とか、なんらかの意思表示をしてくれるとまだいいんだけど、青い顔で「エラーです」と言ったまま黙りこくっているんじゃ話にならん。

なにか言ってくれ~。






きょうもまだレトロ。


鈴木 茂 『 Band Wagon 』


  1.砂の女
  2.八月の匂い
  3.微熱少年
  4.スノー・エクスプレス
  5.人力飛行機の夜
  6.100ワットの恋人
  7.ウッド・ペッカー
  8.夕焼け波止場
  9.銀河ラプソディー


鈴木茂さん初のソロアルバム。1975年リリース。

ぼくは「はっぴえんど」をほとんど聴かなかった。余り好きじゃなかったのかもしれない。聴いたのは『ゆでめん』くらいかな。でも、鈴木さんのこのアルバムは好き。

リトル・フィートはじめ、サンタナ、パワーオブパワー、スライ&ザ・ファミリーストーンなどのメンバーをバックに、鈴木さん、のびのび入魂って感じがする。レコーディングのとき、鈴木さんは23歳だったとか。優れたミュージシャンって、早熟なんだなぁ。

最近、このアルバムの30周年エディションなるものが出たそうな。

こちら → 『 BAND WAGON - Perfect Edition - 』

鈴木さん本人がリマスタリングしたCDにプラスして、下記の映像を収録したDVDがついているとか。

 1. 「八月の匂い」LIVE映像(初商品化)
 2. 「スノー・エクスプレス」LIVE映像(初商品化)
 3.鈴木 茂本人がBAND WAGONについて語る

見てみたいな~。



しかし、パソコン、直ってくれよぉ。頼むっ!




メインに使っているデスクトップがまったく立ち上がらなくなった。ソフトのニューバージョンを入れただけなのに、意味不明のエラーコードが出て、固まり、ウンともスントも言わず。セーフモードでもダメ。なんでこうなるの? ワシ、なんかいけないことした?

こんな時に限って「構成、明日にアップできる?」とディレクター氏からTEL。データはフラッシュメモリにコピーしてたから、命は救われたけど、メールも送れんし、ネットも使えん。ノートパソコンの通信機能はトオのムカシに死んどるし。

こんな、異常を起こしたら手も足も出ん日常ツールがあってええのか!

あぁ、もう、なんちゅう不便なやつ!



吉田拓郎さんのCDが次々届く。拓郎三昧、継続中。


『 吉田拓郎 THE LIVE BEST』


・ディスク 1
  1.人生を語らず
  2.7月26日未明
  3.春だったね’73
  4.流星
  5.祭りのあと
  6.いつも見ていたヒロシマ
  7.もうすぐ帰るよ
  8.言葉
  9.されど私の人生
 10.伽草子
 11.唇をかみしめて
 12.今日までそして明日から
 13.旅の宿
 14.外は白い雪の夜
 15.Life

・ディスク 2
  1.やせっぽちのブルース
  2.ビートルズが教えてくれた
  3.英雄
  4.マーク2’73
  5.夏休み
  6.I'm In Love
  7.イメージの詩
  8.明日に向って走れ
  9.ひらひら
 10.まにあうかもしれない
 11.今度はいったい何回目の引越しになるんだろう
 12.あゝ青春
 13.落陽
 14.結婚しようよ
 15.悲しいのは


ライブで真価を発揮する拓郎さんの「ライブ・コンピレーション」。

『ライブ'73』や『篠島アイランド・コンサート』(1979年)、『王様たちのハイキング』(1982年)、『つま恋』(1985年)などからの選曲の中に、1971年4月に東京厚生年金会館小ホールで収録されたディスク2-1「やせっぽちのブルース」と、同2-5「夏休み」が入っているのが嬉しいぞ。


「やせっぽちのブルース」ねぇ・・・・・。この曲を聞くの、20年以上ぶりかしらん。たくろうさんのハーモニカが、めちゃ懐かしい。


♪ お前さんの名前を聞いとこか
♪ やせっぽちだね おいらと同じ
♪ なんて名前だい きのう風っていうのかい


歌い終わっての拍手が、他の曲とくらべると段違いに「パラパラ」でおかしい。厚生年金会館の小ホール。その狭さの良さを感じるな。

歓声もないし、当時のたくろうさんの人気や聴き手側の受け止め方がわかる。

いろんな年代のライブを通して聞くと、客の反応や、その数もだけど、バックバンドがどんどん充実していることがよくわかる。収録されたのが71年から93年まで20年以上のスパンにわたっているからアルバムとしては統一性が全然ない。曲のアレンジも、収録された年代にあった色づけがされているから、時に違和感がある。

けれど、1曲1曲、個別の想い出がある感じがするのは自分でも意外。たいしたもんだなぁ、音楽の持つチカラって。


ところで、ほんのさっき気づいたのだけど、『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』(確かセカンドアルバム)はCD化してないのかしら? こちらは“自主規制”とは無関係であって欲しいな。







今日、ほんに嬉しいのは、古き友人の“かずやん”が送ってくれたこのCD。


『 今はまだ人生を語らず 』(1974年)


  1. ペニーレインでバーボン
  2. 人生を語らず
  3. 世捨て人唄
  4. おはよう
  5. シンシア
  6. 三軒目の店ごと
  7. 襟裳岬
  8. 知識
  9. 暮らし
 10. 戻ってきた恋人
 11. 僕の唄はサヨナラだけ
 12. 贈り物


幻泉館主人さんが書いているけど(→ こちらこちら にも)、これこそ“自主規制”で(今のところ)葬り去られているアルバム。

ある時代を凝縮した名盤だし、幻泉館主人さんのいう如く個人的にも“かけがえのない”アルバムだ。


*「ペニーレインでバーボン」

♪ テレビはいったい誰のためのもの
♪ 見ている者はいつもつんぼさじき
♪ 気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
♪ 時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり


きょう、今、この時、そのものみたいだなぁ・・・・。


「売れる」というのが絶対的な価値の消費世界。同じ内容のアルバムがリマスター、ボーナストラックをプラス、さらに、紙ジャケ、デカジャケと姿形を変えて売り出されるのも、需要があるからに違いない。でも、“自主規制”という美名の元、「想い出」という需要がまったく無視されるのは納得できない。

世間の“良識”という圧力にも時に屈しないのは、表現することに携わる人間の義務。この歌が訴えていることと、“差別用語”とされる言葉の使用、そのどちらに重きを置くのか。

表現者は腹をくくっているのだ。会社も覚悟を決めんかい。
売ればいいってもんじゃないんだよ。


しかし、“かずやん”、ありがとね!!



学校を出て勤めた会社を2年弱で辞めブラブラしていた夏、友人たち男4人で千葉の海岸へ遊びに行った。

ぼくらは渚のお嬢さんたちに「お茶しません?」とさりげなくも魂胆ミエミエの声をかけるほどの度胸も欲求もなく、日光浴をするアシカのように海岸でひたすらごろごろ。体内温度があがると体を冷やしに海へ入り、あがってきてはまたごろごろ。

そんな、およそ20代半ばの若人とも思えない夏のバカンスの一日を過ごしたぼくらは、夕方、夕陽を追いながら、また友人の運転する車で都心へと帰っていった。

その当時はカーナビではなくカーステレオで、CDやMDではなくカセットテープ。ぼくらは三々五々、自分の好みの音楽をテープにダビングして持ち込んでいたが、西日に向かって走るぼくら全員が心ひかれ、聞き入ったのが、誰かが持参した松田聖子のテープ。中でも「ハートをロック」という曲の、ぼくらを魅了する力は絶大で、車の中にはその曲がなんどもなんども繰り返し流れた。

どんな曲だったか、メロディはちらとも覚えていない。リズミカルな、楽しい歌だったような気がするが、記憶に残っているのは、

♪ハートをロックされたいの♪

という一節だけ。


繰り返し聞いているうちに、友人の中のひとりが、

「こんなこと、言ってもらいたいなぁ・・・・」

ポツリと、だが、しみじみとした口調で言った。

その友人は、当時、ぼくが知る限り女の子との接点のないヤツで、しかし、性格が最悪だとか、人前に出せない面体だとかいうでもなく、爽やかで誠実な好青年なのだが、女の子のカゲがない男だった。でも、彼はそれをまったく気にしてない風だった。

その彼がそんなことを、それも思わず心からポロリとこぼれたようにつぶやいたことに、ぼくは少なからず驚いた。でも、驚きはしたのだが、それも一瞬で、他の友人たちと一緒に、

「ホントだよなぁ・・・・・」

と、しみじみうなずいていたのだった。

東京の友人の家に着くまで、その曲はリピートを続け、ぼくらは黙って聞き入った。


ここしばらくレトロな気分に入ってるせいか、ふと、この夏の日のことを思い出し、ぼくら4人を切なくも正直な思いにさせたこの曲が聞きたくなった。
で、ネットで検索してみたら、『ユートピア』というアルバムの中の一曲ということが判明。


 松田聖子 『ユートピア』

  1.ピーチ・シャーベット
  2.マイアミ午前5時
  3.セイシェルの夕陽
  4.小さなラヴソング
  5.天国のキッス
  6.ハートをRock
  7.バイ・バイ・プレイボーイ
  8.赤い靴のバレリーナ
  9.秘密の花園
 10.メディテーション


1983年リリース。
第25回日本レコード大賞・ベストアルバム賞受賞アルバム。作家陣は松本隆、財津和夫、細野晴臣、杉真理など豪華な顔ぶれ。と、書いたけど、丸写しで、ぼくはすべて初耳。

収録曲を並べてみたけど、かろうじて知っているのは「天国のキッス」「秘密の花園」、そして、念願の「ハートをロック」の3曲。

驚いたのは「ロック」が「Rock」だったこと。初めて聞いたときから、ぼくは「Lock」だと思い込んでいたし、それは、真夏の車の中でこの曲を聞いたぼくら若人全員、そうだった。

「ハートをLockされたいの」、つまり「私の心にカギをかけてね」と、女の子にそんな風に言ってもらえたらという、限りなく妄想に近い、でも素直な願望が頭に渦巻いたから、友人の、

「こんなこと、言ってもらいたいなぁ・・・・」

という言葉にうなづけたのだ。それが、実は「ハートをRock」だったとは・・・。
20年以上たっての真実判明は、かなりなショック。ぼくらのあのため息はなんだったんだろう?


この曲、作詞:松本隆/作曲:甲斐祥弘 という不可思議なコンビ。「甲斐祥弘」は、甲斐バンドの、あの甲斐よしひろさんだ。

松本隆さんは、どんな「ハートをRock」する歌詞を書いたのだろう?
そう思うと、懐かしさよりも興味で一層聞きたくなってしまった。

この「ハートにRock」、SONYのミュージックサイト『Bitmusic』で1曲 ¥158(半端だこと)でダウンロードできる。これを購入すべきか否かで、ぼくは今、かなり真剣に悩んでいる。

こんな奇妙な想い出のために、1曲ポッキリ、買うのはいかがなものか?
改めて聞くことで、友人の口から思わず知らずこぼれ出た、あの「こんなこと、言ってもらいたいなぁ・・・・」という言葉が、的はずれの、単なる思い込みになってしまうのではないか?

ダウンロードのページに行っては、逡巡しているここ数日なのだった。




ブログに来て下さる方が、以前、番組作りのお手伝いをさせていただいた元ディレクター嬢だと分かってびっくり。マジメで可憐なうら若き女性も今やママ。またまた時の流れを感じるな。
その番組は秋にオンエアする予定が春にくり上がったような記憶がある。当然、人選・取材、編集などのスケジュールがものすごくタイトに。そんな状況でよくまとまったなあという印象が。それは、今はママとなったディレクター嬢の頑張りが大だった。
奇遇にも、ぼくは今から彼女が勤務していた局の人たちと酒を飲むべく電車に乗ってる。○木さんのこと、みなさん、覚えてるかなあ?

はまった過去は、書籍の世界へと進む。

大江健三郎さんのエッセイ。


『全エッセイ集』3部作。

  ヤフオクの商品紹介写真みたいだな。


 ・全エッセイ集 第一『厳粛な綱渡り』 昭和四〇年三月一日第一刷

 ・全エッセイ集 第二『持続する志』 昭和四三年十月三〇日第一刷

 ・全エッセイ集 第三『鯨の死滅する日』 昭和四七年二月十日第一刷


学生時代、学校近くの古本屋で三冊セットで購入。その三冊は、東京をひきはらうときに古本屋へ売ってしまった。

惜しいことしたなぁ、売らなければよかったなぁと後悔した本のうちの三冊。今は文庫本で出ているけど、どうも、文庫のあの小さな本は手に取る気がしなかった。値段も、ぼくが購入した単行本の倍だし。

できるなら、ハードカバーの単行本で読み返したいなぁと思っていたら、Yahooオークションにセットで出ていた。で、速攻で落札。

届いて、開いて、驚いた。こんな小さな字で、なおかつ二段組だったかしら? 学生時代、一通り読んだことは読んだのだけど、実は内容はまったく覚えてない。段組も記憶にないもの。


第一集『厳粛な綱渡り』には、22歳から作家生活を始めた大江さんが20代に書いたエッセイ(大江さんは「批評的散文」と呼ぶ)が集められている。同じ20代の自分が考えていることと共鳴するところがあるか?という興味で読み始めたのだけど、難しくて文字を追うだけに懸命、という感じだったなぁ。

大江さんは、22歳で始めた小説家としての現実生活を「観衆の眼のまえで、いつ首の骨を折るかわからない危険にさらされているにもかかわらず、どうしても滑稽なところのつきまとういわば厳粛な綱渡りの8年間であった」と回想している。それが、初のエッセイ集を『厳粛な綱渡り』と名付けた理由のようだ。

ぼくも、そして誰もが、自分を見いだすまでは綱渡り。“厳粛”と言えるかどうかはひとそれぞれだろうけれど、それは渡りきることのない綱の連続。


あのころ、読んでわからなかった内容、今は納得できる部分もあるかなぁ。

ぽちぽち、読むかな。



数日前、拓郎さんを聴いてから、ずっぽり、過去にはまってしまった。
きょう、届いた過去からの想い出。


大滝詠一  『 A LONG VACATION 』


  1.君は天然色
  2.Velvet Motel
  3.カナリア諸島にて
  4.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
  5.我が心のピンボール
  6.雨のウェンズデイ
  7.スピーチ・バルーン
  8.恋するカレン
  9.FUN×4
 10.さらばシベリア鉄道


「まぁ~、なんとも真っ当な想い出回想盤だこと!」

と、自分でも思ったのだが、やっぱり懐かしい。改めて聴くと、いい曲だらけ。大滝さんのあの風貌からは想像だにできない、きらびやかで厚みのあるメロディと音像。このギャップは山下達郎さんにも言えるけど。

確か、日本初(世界初かな?)のCDとして発売されたんじゃなかったかと思う。LPもリリースされたのかしら? 当時、ぼくが聴いていたということは、LPだったはずなのだが。

ジャケットを見つつ音楽を聴くタイプではないので、今回、ようやく曲とそのタイトルが一致。これまで、曲を聴いても「君は天然色」と「恋するカレン」しかタイトルが分からなかった。

あ、「さらばシベリア鉄道」は太田裕美で聴いた方が先かなぁ? なんで太田裕美の歌を大滝さんが?と思ったことがあるような、ないような。

想い出は前後の入れ替えが自由だから、自分でもこんがらがってなにがなにやら。


でも、いいアルバムだわぁ。。。。。あしたは車の中で聴こ!




ずどどどどぉっ!!

突然、ゴルフボール大もあるか(ない)と思われる大粒の雨!

ひぇ~っ、洗濯物がっ!

イスを蹴り倒し、ベランダに出て、体にもイタイ雨に打たれながらアワを食いつつ洗濯物を入れる。

ん?

洗濯物を取り込んで窓を閉めたら、もう陽が射しちょるじゃないの?!!
あら~、通り雨にしても素早すぎるバイ。

瓦屋根の向こうには入道雲が。
クマゼミが、雨は行ったかよしよしわしわし、鳴き出した。まだまだ真夏。

幸い、洗濯物は洗い直すほど濡れはしなかったけど、ぼくは大汗。
水でも浴びよ。




「あがぁぁぁぁぁ」


「雨? どこが?」





中学時代の友人が、息子を連れてやってきた。

夏の休暇を利用し、関西からフェリーで鹿児島へ。バイクにふたり乗りしつつ、九州西岸を天草、長崎と北上し、昼過ぎに我が家へやってきた。

友人はぼくの母の大のお気に入りなので、朝から、

「まだ、来ないの? 何してるの?」

と、うるさい。我が子も、そして自我が芽生えてきた孫もあまり相手にしない中、友人だけがちゃんと話を聞いてくれる相手なのだ。まぁ、親の繰り言めいた話にきちんと耳を傾ける子どもというのはあまりいないだろうけど。母には「冷たいヤツ」と言われるぼくも、他のお母さまたちのお話はちゃんと聞くのだ。

やってきた友人は、腕の先とヒジから上が白く、その間がこげ茶という、妙な日焼け。手袋をし、長そでをまくって運転してきたから。後ろに乗り、ナビゲーター役を務める次男坊は、色白のいい男。今年、はたちになるという。

しかし、夏休みにオヤジとふたり乗りの旅とは。仲のいい親子である。

ぼくらが次男坊の年代のころ、同じように友人とバイクにふたり乗りして関西から九州まで走ったことを思い出した。あの時は、河川敷やゴルフ場のグリーンなどで野宿だったけど、今回はちゃんと旅館や国民宿舎に泊まったそうな。親子で野宿というわけにもいかんか。

想い出は頭の中で前後の入れ替えがきく。野宿しつつ、友人と旅をしたのはつい最近のように思えるのだけれど、元気に話す次男坊のはつらつさや、泣かんばかりに応える母の老いを見ていると、やはり四半世紀以上の時は長いと感じる。


母は大喜びで、ほとんどひとりでしゃべっていた。

2時間ほど話したあと、お墓の掃除をしに行くと言う友人に母は、

「なんでね、今、来たばかりじゃないの! ふたりとも昼寝して行き」

と、困らせた。

帰り際、友人の次男坊に、名前と通っている大学とその専攻、さらには大学の住所まで手帳に書いてもらって悦に入った母は、

「よか孫ができたぁ」

と、喜んだ。


短い語らいのあと、友人と次男坊は、バイクを駆って去っていった。ぼくが彼とふたり乗りで走ったバイクは125cc。それが今は1リッターをこす真っ赤なイタリア車、ドゥカッティにかわっていた。


父と子の勇姿


安全運転、しろよ。





刺客と呼ばれる落下傘部隊が、ぼくらの選挙区にも舞い降りてきた。

有名・無名関わらず、小泉さんの意の通りに動いているように見える。無派閥ながらも小泉さん、「やると言ったらやる」と駄々っ子に近い言動でも周囲の人々は追随。総理の権力というのは絶大なのだなと改めて感心する。

県単位、地区単位で、その地域の代弁者として議員を選ぶというやり方にも「おかしいな」と思う点は多々ある(昔の新潟3区のように、我がふるさとが国民の上にあるように思ってしまうことなど)のだけれど、見も知らぬ、どこの誰やらわからない人が突然やってきて、「皆さまの意見を代表します」と言われてもこちらは「なんじゃ、こいつ?」と思うだけだ。

自民vs自民という、めったにない構図だし、選挙としてはこれまでになくおもしろい。新聞の論調も、構造改革を(まったく我流ながら)押し進める小泉さんにシンパシーを感じているような内容だし、前代未聞の選挙戦が見られるだろう。

しかし、おもしろがる前に、やっぱり「参院が否決したのに、衆院を解散していいの?」という、ごく単純かつまっとうな疑問にきちんと答えるべきなんじゃないだろうか? 解散権は総理に与えられた切り札だけど、その切り札を切る理由が「思い通りに行かなかったから」じゃダメだと思うのだけど。

衆院を解散したとき、どうするのかなぁと思っていた靖国参拝。信念に基づいていたはずの英霊への鎮魂行事も、やはり総理という地位があってのものだね、あっさりやめてしまった。敗戦の日に出した久々の総理談話では、中国・韓国の国名をあげて、過去の侵略行為に遺憾の意を表した。

目標をその手にするためには何でもするという点では、小泉さん、見上げた人と言えるかもしれない。首尾一貫しないし、無責任極まりないが。

対抗馬の亀井さんは「騒がせた責任を取る」という、ありきたりで理屈の通らない理由で派閥の領袖を降りた。この際、新党を旗揚げしてその中心として昨日したいのだろう。なんとまぁ勝手な人ばかり。


ぼくら日本人は「“仕方がない”で終わる国民」と言われているとか。過去の戦争も、自衛隊のイラク戦争派兵も、今回の衆議院解散も、「ここまできたなら仕方ない」とその過程を省みることなく次のステップへ進んでしまう。そして、テレビの開票速報をイベントのように見つつ一時ばかり盛り上がり、何事もなかったかのように日常へ戻っていく。


今回の解散劇と選挙騒動も、9.11の投票日を過ぎると「そんなこともあったよね」となってしまうのだろうか。

それじゃ、マズイ。


落下傘部隊に1票を投じるつもりはないけれど、自民以外の対抗馬が心もとない面々なんだよなぁ。なんとかならんか、野党さん。




前日に引き続き、懐かしいアルバムが到着。


吉田拓郎 『 PENNY LANE 』

*Disc:1
  1.今日までそして明日から
  2.どうしてこんなに悲しいんだろう
  3.旅の宿
  4.我が良き友よ
  5.言葉
  6.元気です
  7.人間なんて
  8.イメージの詩
  9.青春の詩
 10.せんこう花火
 11.マークII
 12.おきざりにした悲しみは
 13.ビートルズが教えてくれた
 14.地下鉄にのって
 15.春だったね
 16.人生を語らず
 17.外は白い雪の夜
 18.ともだち
 19.あゝ青春

*Disc:2
  1.明日に向って走れ
  2.流星
  3.大阪行きは何番ホーム
  4.全部だきしめて~tropical
  5.吉田町の唄
  6.祭りのあと
  7.結婚しようよ
  8.シンシア
  9.襟裳岬
 10.落陽
 11.唇をかみしめて
 12.たどり着いたらいつも雨降り
 13.アジアの片隅で
 14.心の破片(かけら)
 15.永遠の嘘をついてくれ
 16.僕の人生の今は何章目ぐらいだろう


ベスト・アルバム。「1970-1999/35 SONGS」とサブタイトルが。
Yahooオークションで落札。

拓郎さんの歌が聞きたくなって、あれこれ探してひとまず決めたのがこれ。拓郎さんの主な曲はほぼ網羅しているし。でも、シングル化されてはいないけど心にしみる歌っていうのはやっぱりオミット。ベスト盤という性格上、仕方ないのかな。


「ともだち」の中の一節。

♪ふりかえる ことすら忘れて
♪友だちが こわかったのでしょう

そんな時期がずいぶん長くあった。


「全部だきしめて」は、kinki kids たちと一緒にやっていた曲とはずいぶんと面影が違う。あの、「みんなそろって大合唱」的な歌も好きだったんだけど、このバージョンは渋めで、口笛なんぞが入ってたりしている。

Disc.2のラスト2曲は知らない曲。それぞれ、中島みゆきとトータス松本の曲だった。何か、番組の主題歌だったりするのかなぁ?

しかし、「ペニーレインでバーボン」が収録されているわけでもないのに、このアルバムのタイトルは???







拓郎さんはベスト盤で聴けるタイプのミュージシャンじゃないような気がする。
で、上記と同時に入手したのが下記のアルバム。



吉田拓郎 『 元気です 』

  1.春だったね
  2.せんこう花火
  3.加川良の手紙
  4.親切
  5.夏休み
  6.馬
  7.たどりついたらいつも雨降り
  8.高円寺
  9.こっちを向いてくれ
 10.まにあうかもしれない
 11.リンゴ
 12.また会おう
 13.旅の宿
 14.祭りのあと
 15.ガラスの言葉


1972年リリース。LPを発売と同時に買った。それが30年以上前だと知って、改めてメマイが。高校に入るか入らないかの瀬戸際に、こんなむき出しな曲を聴いていたんだな。

スリー・フィンガーの練習をした曲が多い。きっと、拓郎さんのアルバムの中で一番よく聴いたアルバムだ。




吉田拓郎 『 ライブ73 』

  1.春だったね’73
  2.マーク2’73
  3.君去りし後
  4.君が好き
  5.都万の秋
  6.むなしさだけがあった
  7.落陽
  8.雨が空から降れば
  9.こうき心’73
 10.野の仏
 11.晩餐
 12.ひらひら
 13.望みを捨てろ


タイトル通り1973年年末リリース。中野サンプラザでのライブ。中野サンプラザかぁ、懐かしいなぁ。まだ、あの妙ちきりんな格好のまま、駅のそばに建ってるかしらん。

「拓郎はライブの人だ」と言うファンが多い。ぼくも拓郎さんのライブは好きだけど、声がかれてガナッてるだけになるとやっぱりツラい。この73年のライブは声の出も、演奏も、とてもいい。

オープニングの「春だったね」のギターは、高中正義さんだそうな。初めて知った。アルバム、持ってたのに。でも、当時はそんなこと興味がなかったし。

このアルバムが出る数年前、ぼくの住む町の近くに拓郎さんがやってきた。でも、それは「吉田拓郎」のステージとしてではなく、天地真理をメインとしたショーの“その他大勢”のひとりとして。他にもチューリップなどが出ていたが、チューリップは地元の人気者だったので、天地真理に負けない声援があがっていた。

そんな中、長髪のぶっきらぼうな青年は、誰も知らない自作の歌をさっさと歌い、とっととステージを去っていった。

その、印象にほとんど残らなかった青年が「吉田拓郎」だったことは、人気が出て、『元気です』のアルバムを手にしたころに、「ひょっとしたら、あのはすっぱな口調のお兄ちゃんが、この拓郎?」と気づいた。そう言えば、デビューアルバムに入っている曲の数曲を、あのステージでやったような気がなんとなくするのだ。後追いだけど。

でも、初めて聴いた拓郎節は、ちっともいいと思わなかった。


人気って、不思議なものだ。







久しぶりに聴くと、リリース時に受けた印象と、ところどころで変わっていることに気づく。それはそうかもしれない。拓郎さんの詞をあのころと同じ感覚で受け入れることを、生み出したご本人も拒否することだろう。

ミュージシャンは、よく、セルフカバーをする。拓郎さんにも、いにしえの曲をやったアルバムがあったような気がする。それは、“あのころ”の思いと今の感覚との乖離をきちんと知るための儀式のようなものかもしれない。


アルバムを通して聴いていると、拓郎さんはぼくら若造の代弁者だったことがわかる。感じていること、悩んでいること、不満に思っていること、理不尽さに怒っていること・・・・そんな、若造がいだくさまざまな思いを、聞きやすいメロディに字余りの詞を詰め込み、世間に向けて発信してくれる。

陽水さんも、泉谷さんも、やっぱり若造の代弁者だったんだと思う。ぼくらのころは若造にもそれほど多彩なバリエーションがあったわけじゃなし、代弁者は数名いればよかった。

でも、今は、個のせめぎ合い。ある範疇の若造の気持ちをまとめ、発信する。そんな代弁者が出にくくなった。ブログを使えば不特定多数に向かって好きなことを言うことができるし、代弁者不要の時代なのかな。


しかし、仕事中のBGMにはできんな。歌詞が耳に入って、思考があらぬ方向へと行ってしまう。


あぁ、三回目の「我が良き友よ」だ。


♪あぁ、友よ よき奴よ
♪今の暮らしに飽きたらふたりで
♪夢をかかえて旅でもしないか あの頃へ


仕事にならんな。




懐かしいCDが届いた。


ハイ・ファイ・セット 「HI-Fi BLEND」

  1.フェアウエル・パーティー
  2.冷たい雨
  3.ジュ・マンニュイ
  4.ファッショナブル・ラヴァー
  5.スカイレストラン
  6.海を見ていた午後
  7.フィーリング
  8.クリスタル・ナイト
  9.土曜の夜は羽田に来るの
 10.フィッシュ・アンド・チップス
 11.真夜中の面影
 12.卒業写真


1977年12月リリース。すでに廃盤。Yahooオークションで入手。


若いころは、なぜだかひとり沈んだ気持ちになりたいことが多いもんだ。四畳半の空間は、そんなブルーにこんがらがりたいときにはぴったり。

夏の夜。真西に向いた窓から入る太陽の光は消えても、部屋は熱気が充満している。それでもよくしたもので、都会の空気も少しずつ温度を下げ、部屋の中へ吹き込み出す。

オレンジ色が消えかかる西の空を見ながら、サントリーのホワイトを脇に置き、ふすまにもたれながらストレートでちびちび。

「オレはなんでここにいるんだろうなぁ・・・・」

なんて、せめて形だけでも哲学したい、そんな時、よく回っていたのがこのアルバム。これがなかなかハマる。まだ経験のない華麗なデートや、切ない裏切り。そんな場面に直面した時の気持ちの動きが疑似体験できる。




ぼくはこのアルバムを「ハイ・ファイ・セットが歌う荒井由美曲集」だと今まで思っていたのだけれど、「フィーリング」はモーリス・アルバートだし、メンバーの作品も3曲ほど入ってる。久しぶりに通して聞くと「フィーリング」だけが異質かも。

ぼくが持っていたLPは、学生時代、友人に貸してどこかへ消えた。誰に貸したんだっけかなぁ。今でも持っていてくれると嬉しいんだけど。

この時代の山本さんの歌声はとてもきれい。もう30年近い前になるんだなぁ。ぼくは荒井由美さんの声が苦手。他の歌い手さんが歌うと「あぁ、いい曲だなぁ」と思う。その中でも、ハイ・ファイ・セットが歌うユーミン・ソングが一番かな。



のちに『ハイ・ファイ・ブレンド・パート1』というタイトルになったらしい。『ハイ・ファイ・ブレンド』のタイトルでパート3まで出たようだ。


でも、やっぱりこの一枚。







「アタマ、切るなぁ!」



「すまん・・・・・」





◆九州・山口にお住まいの方々へ◆

番組の宣伝です



★番組名★

青いバラが生まれた
~ 不可能に挑んだ人々の軌跡 ~



ナビゲーター:中山エミリ





ナレーター:生野文治




★制作局★

RKB毎日放送


★オンエア局と日時★

RKB毎日放送 NBC長崎放送 RKK熊本放送
OBS大分放送 MBC南日本放送 TYSテレビ山口

8月20日(土) 午後2時~2時54分


MRT宮崎放送

8月20日(土) 午後4時~4時54分







「ありえないもの、できない相談」

辞書で「Blue Rose」をひくと、
こんな風に記されています。
「Blue Rose」は、不可能の象徴なのです。


今、バラには2万とも3万とも言われる品種があります。
それは数多くの人々が長い年月をかけ、
交配をくり返して作り出した色です。

さまざまな色に咲き誇るバラ。

でも、バラにない色があります。
「ブルー」、青です。

実は、バラには青い色素を作る遺伝子
「青色遺伝子」がありません。
ですから、どのように交配しても
「青いバラ」は決して咲かないのです。

不可能な花、「Blue Rose/青いバラ」。

その「Blue Rose/青いバラ」に
最先端のバイオテクノロジー技術で
挑んだ人たちがいます。

名付けて「青バラプロジェクト」。

プロジェクト2年目。
ある花から「青色遺伝子」を取り出すことに成功します。

世界初の快挙!

この「青色遺伝子」をバラの細胞にいれてあげれば
青いバラが咲きます。

不可能な花「青いバラ」も、もう目前!

でも、「青いバラ」は咲きませんでした。


番組では「青バラプロジェクト」の苦闘と、
できないとわかっていながらも
交配で「Blue/青」に迫ろうとする人たちの姿を
日本、イギリス、オーストラリア、
ニュージーランドに追います。










バイオテクノロジーが可能にした「青いバラ」  (Suntory HPより)



拓郎さんの『今はまだ人生を語らず』がCDとしてリリースされていないことを幻泉館主人さんの書き込み& 日記 で知った。

「ペニーレインでバーボン」の歌詞が問題となり、発売元が“自主規制”をしているらしい。

最初、“自主規制”と聞いて、タイトルおよび歌詞にもある「ペニーレイン」という“固有名詞”のせいかと思ったけれど、「つんぼ桟敷」という“差別用語”のせいのようだ。

♪ テレビはいったい誰のためのもの
♪ 見ている者はいつもつんぼさじき

なんだかなぁ・・・・・・聴覚に障害を持つ人からの非難がコワいのだろうか。なんか、情けない。

もう、あっちもこっちも“自主規制”だらけだ。


最近はテレビの制作現場も“自主規制”が頻発している。
かなり前のできごとだけど、ぼくがテレビの世界に「??」と疑問を覚えたできごとがある。以前、日記に書いたけど、いまだに「??」なので再度書いておこう。

番組は、マリファナや覚醒剤、睡眠剤など、クスリに手を出し、中毒状態に陥った人たちの話。登場人物の中に、同じ中毒状態の男性と結婚し、妊娠した女性がいた。出産を目前にしたその女性の言葉、

「五体満足なら、指がちゃんと5本あったら、もうそれだけで幸せ」

この「指が5本あったら」という部分に、テレビ局の、部署や役職は忘れたけど、オヤジが問題視した。

「指が5本ない人からクレームがつく」

「は?」

耳を疑った。こやつはバカに相違ない。

物語を印象づけようとナレーションで盛り上げるために入れた言葉ではないのだ。覚醒剤などのクスリ漬けになっていた、まだ若い女性が、新たな生命が我が身に宿ったことを知ったときに、これまでを省みて、生まれくる子どもに対してなんと無責任な生活ぶりだったのかを悟る。そんな苦悩の果てに出てきたのが上記の言葉なのだ。

我が身を痛めつけながらも快楽に浸る、または苦痛から逃避する。その生活が自己中心的で甘えに満ちたものだったかを、その女性は子どもを得たことで知った。そして、自分のこれまでの生活のツケが子どもの体にあらわれることへの恐怖を感じる。「普通に生まれて欲しい」 恐怖と祈りがないまぜとなったのが上記の言葉。それは、番組を普通に見ていれば痛いほどに分かる言葉なのだ。


それが「指が5本ない人からクレームがくる」からインタビューを削れだと? バカじゃないのか、お前!

もし、万が一、そうしたクレームが来たとしたら、それはクレームをつける方が間違っているし、「おかしいですよ」と、リンとした態度をとるのがテレビ局の使命だろう。それをオンエアする前に、「なにか言われたらコワい、その部分は消し去ろう」という態度。それでジャーナリズムでございなんてよく言えるな!

結局、その部分はオンエア当日に削られた。一番大切だと思っていたその言葉を削られ、番組は骨抜きになった。流れたのは、ただの、クスリ中毒者困難記。女性ディレクターの懸命な取材も、真摯な願いも、無になった。


これがぼくの、テレビ制作現場での初“自主規制”体験。それから何度も同じようなことがあった。書いているとまたアタマにくるけど、もうひとつ。

子どもたちに自然に触れさせようという試みがあった。山里で合宿する子どもたちは、卵をとり、大きくなったら食べることを前提にニワトリを育てる。それは、命を奪わないと自分たちの命が保てないということを学んでもらうため。

ニワトリも、ウシもブタも、普段は誰かがさばいてくれているからパック詰めの肉しか目にすることはない。しかし、食卓に並ぶおいしい唐揚げの向こうには、生きていたニワトリがいる。ただ見えないだけなのだ。

その、命を奪う部分を知るために、子どもたちはニワトリをヒヨコの頃から飼い始めた。

そして、解体するその日。

ニワトリは逆さづりにつり下げられ、農家の人が首にナイフを入れる。

「わぁ!」

目を見開き、あるいは顔をそむける子どもたち。でも、この過程がなければ、みんな生きていくことはできない。

番組ではニワトリを締めるそのものの映像を使ってはいない。カメラは二台あって、一台は子どもたちが丸く集まっている姿を遠くから撮影しているだけ。ニワトリを吊している縄が少し見えるけれど、ニワトリの姿は見えない。血がしたたるわけもなく、ただ子どもたちが丸くなっているだけ。説明しなければ、何をしているか分からない。

もう一台は命を奪われるニワトリを見つめる子どもたちの表情を追っていた。

この二台のカメラの映像を編集し、ニワトリが絞められているんだな、という状況を説明する。それだけの、でも、大切な部分。

この番組はスポンサーの試写があり、この部分は「よく入れてくれました。命の大切さがよくわかります」と評価してもらえた。

それが、である。局のエライ方は、この部分を、

「視聴者からのクレームのおそれがある。カットしろ」

またまた「はぁ?」。

ディレクターは、スポンサーもいいシーンだと評価してくれたと食い下がるのだがダメ。結局、このシーンはカット。

命を奪わねば、自らの生を支えられない。一番大事な要素が消えた。店頭にニワトリの手羽やササミやモモ肉その他が並び、その料理に舌鼓を打てるのは、誰かがニワトリを育て、締め、解体してくれているから。それを自ら体験するために、子どもたちは慈しみながらニワトリを育ててきた。

その苦労や思いを「クレーム」のひと言で消したテレビ局のエライ人。
あぁ、もう、信じられない。

要するに、局の上層部は、なにか言われるのがコワいのだ。主張や提言などもってのほか。物議をかもさず、平穏無事に日々過ぎ去ればそれが一番いいのだ。そんな、問題が起こるような面倒なことをしなくても、キー局の番組を流していれば儲かるのだから。


こんな、“自主規制”がまかり通る。トゲのないのがそんなにいいのか?



「ペニーレインでバーボン」。聞きたいね。


ここ数日、なぜだか吉田拓郎さんが聞きたい気分。

家にはリアルタイムで買ったアルバムがあるのだが、いかんせんLPレコード。とうの昔にプレイヤーを処分してしまったので、聞きたくても聞けない。アルバムジャケットをなで回して「う~ん」と思案すれど、するだけムダというものか。プレイヤーがないと何の役にも立たんな~。

家にあるのは学生時代に東京へ持っていかなかったもの。上京時に「拓郎はもう卒業だ」と思ったわけでもないのだけれど、たぶん、そのころはロック小僧と化していたから、フォークな気分じゃなかったんだろう。

ぼくが拓郎さんをアルバムリリースと同時に聞いていたのは『青春の詩』『人間なんて』から『今はまだ人生を語らず』くらいまでかしら? 『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』も持っていたけど、あれは後追いで聞いたんだ、きっと。


聞けないLPを眺めていてもしかたないので、amazon でCDを物色。たくさんのベスト盤が出ているし、手っ取り早くそれで間に合わせようかと思ったんだけど、聞きたい曲を網羅しているCDって意外にないなぁ。

 「とっぽい男のバラード」

 「わしらのフォーク村」

 「男の子・女の子」

 「笑えさとりし人ヨ」

 「兄ちゃんが赤くなった」

 「花嫁になる君に」

 「自殺の詩」

 「蒼い夏」

 「悲しいのは」

なんてところを聞きたいんだけど・・・・。ギター弾きつつ歌いました、昔。

デビューアルバムから買い直していくしかないかしらん。


CDを探していて知ったのだけど、『今はまだ人生を語らず』ってCD化されてないのかな? なにか問題でもあるのかしら? 家にはLPがあるのだけれど、これまた聞けない。悔しかぁ。


そう言えば、拓郎さん、体調を崩してツアーを途中で切り上げてから噂を聞かないけどお元気でしょうか?



衆議院が解散した。なんとも、想像を絶する権力闘争だ。

小泉さんには想定内だったことだろう。衆議院を5票差という僅差で通過したときに、今、この現状を計画していたに違いない。参議院を通過すればそれでよし。否決されたら解散だ、と。

解散権は総理大臣に与えられた権限だし、議会進行中のどこでその伝家の宝刀を抜いても「違法」ではないのかもしれない。しかし、権力闘争に使うことを前提に定められた権限ではないと思うのだが。

郵政民営化は選挙時の自民党の公約だ。小泉さんは総裁になるときから、具体的な施策はこれしか言ってこなかった。自民党の議員たちはそれを認め、無派閥の小泉さんを自分たちの領袖に担ぎ出したはず。

彼らにしてみれば一時しのぎだった小泉政権も、有権者の奇妙な支持を得続けているから不満に思いながらも延ばし延ばしに。そのあげくが「公約」を公然と破る暴挙。

政治家にとって約束とは何か、またまたはっきりと教えてくれた。

暴挙は小泉さんの方も大。参議院で否決された法案は、衆議院に差し戻し、再度議論を重ねるのが当然だろう。「参議院で否決されたから、衆議院を解散する」というのは、誰がどう見ても不自然だ。首相に参議院の解散権があれば、小泉さんは衆参両院を解散させたことだろうけど。

衆議院でもう一度議論をし、そこで再度否決されたら衆院解散というのなら、まだ話はわかる。その段取りを踏まなかったのは、任期が残り少なくなっているからなのか?

変人の権力闘争に、また膨大な税金も消えていくのか。

有権者にしてみれば、降って湧いたチャンスではある。投票でしか自分の意思を表せないぼくらにとって、郵政民営化をはじめ、小泉さんを中心とした現政府に「YES」か「NO」かを表明できる唯一の機会だ。結局はぼくらがどう選択をするかにかかっている。

でもまた、「積極的棄権」などという人たちが数多くいるんだろうな。投票の棄権に「積極的」も「消極的」もない。数による結果だけが現実の意思として残る。どういう理由であれ、棄権は為政者を利するだけなのだ。たとえ投票した候補者が落選したとて(ぼくが一票を投じた人は、まだ誰一人も当選してない。。。不吉)、投票した行動やその得票にぼくらの意思は残る。

小泉さんは郵政民営化法案に反対票を投じた議員に党推薦を与えないことを明言した。子どもみたいだとも言えるが、郵政民営化が自民党の公約であることを考えると、その姿勢もありかなとは思う。

今のところ、自民党は分裂選挙を余儀なくされる。亀井さんたち反対派は新党を結成して選挙に臨むのか? 自分たちこそ自民党主流派だ(それはそうだと思うけど)と主張して、ふたつの自民党がひとつの選挙区で競うことになるのか? それはそれでおもしろい。

おもしろいけど、やっぱりひっかかる。
「参議院の動きによって、衆議院を解散する」 これって、本当に問題がないのだろうか? 首相に与えられた解散権がこのように行使されることが可能なら、国政を混乱させるのは簡単だ。

でも、新聞もテレビも、総選挙に向けて走り出した。一番大事な点を顧みることなく、先へ先へと進んでしまう。たまには立ち止まって考えてもいいと思うのだけど。



民間放送各局は「青少年にみてもらいたい番組」というのを毎年発表している。
今年も6月末に公表。各局自信みなぎる番組が並んだ。

 詳しくはこちら → 「 青少年に見てもらいたい番組一覧(2005年春)

去年も書いたけど、これは、「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組を各放送事業者は少なくとも週3時間放送する」という日本民間放送連盟の取り組みに基づいて、各放送局が指定したもの。

「一週間に3時間でいいの?!」

という反応を、昨年、いただいたことを思い出す。
そう。「一日」じゃないんですよね、「一週間」に3時間でいいんです。


ローカル各局があげた「青少年に見て欲しい番組」はリンク先を見ていただくとして、東京キー局が自信を持ってすすめる番組は下記の通り。番組の下に続くコメントは、各局がその番組を「見て欲しい」とする理由。去年はこういうコメントはなかったような気がするが、自信の裏打ち、意地悪く見れば、自画自賛。これが結構おもしろい。


各局の自信作は下記の通り。






*青少年に見てもらいたい番組一覧(2005年春)

【東京放送】
『関口宏の東京フレンドパークII』
 チームで様々な課題に挑戦するバラエティー。
 ゲーム的要素が強く、健全な教養娯楽番組として親子で視聴できる。

『世界・ふしぎ発見!』
 世界のふしぎをテーマに知識を高め、視野を広げることに役立つ
 親子で視聴できる番組。

『クボジュンのえいごっこ』
 国際化が進み異文化理解が求められる中、英語を題材に
 親子で視聴できる番組。

『夢の扉~NEXT DOOR~』
 未来の夢をめざす人を描くドキュメンタリー。
 心身の成長期にある青少年の糧となり親子で視聴できる。

『どうぶつ奇想天外!』
 どうぶつをテーマに自然界の厳しさ、親子の情愛、生と死、
 情操教育に貢献する親子で視聴できる番組。


【日本テレビ放送網 】
『伊東家の食卓』
 視聴者からの投稿をもとに、生活に役立つ「裏ワザ」を紹介。
 流行語にまで高めた。

『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』
 日本全国の“素人さん”に密着し、そのドラマを追うドキュメント・
 バラエティー。吹奏楽の旅、男子新体操の旅などヒット企画に多くの
 共感が寄せられている。

『世界一受けたい授業』
 各界のスペシャリストから「使える学問」「生きるヒント」を学ぶ、
 アカデミック・バラエティー。

『所さんの目がテン!』
 子どもにもわかりやすく、様々な現象・事象を科学の目からひもとく、
 サイエンス・バラエティー。

『ザ!鉄腕!DASH!!』
 TOKIOメンバーが、まさに体当たりで企画に挑む
 ドキュメンタリー系バラエティー。
 人気コーナー「DASH村」は村おこしの過程を追い続け、
 社会的にも評価されている。


【テレビ朝日】
『ドラえもん』
 ドラえもんは奇想天外なひみつ道具と心温まるストーリーで
 子どもたちに夢を与えてきた。親子で安心して見られ、
 幅広い層が楽しめる内容になっている。

『人生の楽園』
 「いい人生の歩き方発見番組」をめざしている、この番組で紹介する
 「自分の生き方」を実践する人々は、青少年が人生について考える
 契機となると考える。

『ポカポカ地球家族』
 世界各地で夢や希望を持って挑戦している日本人家族を紹介している。
 海外の本当の魅力や意外な文化の差は、青少年の好奇心を刺激し、
 成長の糧となる。

『題名のない音楽会21』
 1966年から良質の音楽をお茶の間に送り続けてきた。
 青少年の情操教育に欠かせない音楽を、見やすい時間帯に編成している。

『いまどき!ごはん』
 ユニークな食卓やおいしいごはんを探し、生きることの基本「食」に
 ついて考える。青少年の間で軽視されがちな食事の大切さを見直す
 きっかけとなる。

『グレートマザー物語』
 偉大な人物たちの母親にスポットを当てて、愛情と厳しさを持つ
 母親たちの肖像を描く。思春期に悩む青少年が親子関係を考え直す
 契機になる。

『大改造!!劇的ビフォーアフター』
 住居の様々な問題をリフォームで解決していく番組を通して、
 家族や親子の思いやりや愛情を見つめ直す契機にしてもらいたい。

『素敵な宇宙船地球号』
 私たちの暮らす地球の大切さ、自然の偉大さを伝える番組。
 現代の消費社会で暮らす青少年に地球、自然、環境について
 思いめぐらせてほしい。


【フジテレビジョン】
『ガチャガチャポン!』
 「ローティーン」いわば大人になる前の“さいごのこども”を
 ターゲットにした“解答用紙のない教育番組”。
 ただ「知識」を身につけるのではなく、「考える」ことから
 モノゴトの“本質”に迫る番組。

『ポンキッキーズ』
 『ひらけ!ポンキッキ』以来、歴史を持つフジテレビの児童向け
 情報教育エンターテインメント番組であり、青少年推奨番組としての
 趣旨に最も合致した番組。

『脳内エステ IQサプリ』
 パズル問題を解いてもらいながら、脳の分析力、直感力、洞察力、
 計算力などを活性化し、疲れた脳をスッキリさせる脳のリフレッシュ番組。

『晴れたらイイねッ!』
 アウトドアを中心に、スポーツ&レクリエーションをテーマにした
 新しいタイプの紀行番組。近年、パソコンやテレビゲームなどで
 家にこもりがちな青少年に自然の素晴らしさ、楽しさを伝えていく番組。

『ちびまる子ちゃん』
 原作者・さくらももこさんの児童体験をモチーフにした
 ホームドラマテイストのアニメ。郷愁を誘うアイテムなども盛り込み、
 大人も一緒に楽しめる国民的アニメ。

『サザエさん』
 老若男女すべての世代を対象としたアニメーションだが、
 最近、家族間のコミュニケーションが希薄化しつつある中、
 サザエさん一家を通して青少年に家庭の温かさ、大切さを伝える番組。

『発掘!あるある大事典II』
 食材、料理、生活習慣、健康法といった私たちの周りの
 身近なテーマを取り上げる中で、現代日本人の抱えている
 様々な問題について考えていく番組。


【テレビ東京】
『ガイアの夜明け』
 21世紀の新たな日本の姿を模索する良質の経済ドキュメンタリーであり、
 青少年の知識や教養を高める。

『ペット大集合!ポチたま』
 人間と動物たちとの心あたたまる触れ合いを描いたバラエティーで、
 青少年の心を豊かにする。

『所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝』
 教科書では教わらない、歴史上の人物の秘められたエピソードを学び、
 知的発達を促す。

『美の巨人たち』
 美術界の巨匠をはじめ芸術家たちの作品のメッセージや
 心情を探ることで、青少年の芸術分野における関心を高める。

『セサミストリート』
 未就学児に対する就学前教育を目的とし、
 子どもたちに夢と勇気を与え、好奇心を育む。






相変わらず「ためになる」「役に立つ」「心あたたまる」、そして「親子で見られる」というのが見てもらいたい番組のキーワード。自局の番組を「ためになる」と公言するのは気恥ずかしいだろう。「ためになりますように」「役立ちますように」などと思いながら制作しているとは考えにくいし。

でも、なんだかなぁ。そういうことを視聴者はテレビ番組に期待しているのだろうか?

でもでもでもなぁ、親が子に見せたい番組の第一位は『プロジェクトX』だし。あれほどオヤジ向けの番組はないと思うのだけど、我が子と共に涙ぐみながら見たいのかしら?

子供たちが親と一緒にテレビを見たいと思っているかどうかは別として、確かに親が心配なく“見せることができる”番組群ではある。一緒に見ながら“ドキッ!”とすることもないだろう。

視聴率男・女と呼ばれる人気者が出ている番組が少ない中、所さんの活躍が目立つなぁ。イヤミがないし、下品でもないのがいいんだろうな、きっと。


各局があげた「見せたい番組」の中でぼくが毎回見ているのは、『ちびまる子ちゃん』と『ホチたま』だけ。比較的よく見るのも『美の巨人たち』くらい。

ま、ぼくは青少年じゃないけれど。


『三国志』に始まり、『史記』ときて、
ここのところ横山光輝さんの中国古典文学漫画にはまっている。

全巻まとめて Yahoo オークションで仕入れては、
耽読する毎日。

きょうは『水滸伝』の日だ。


『水滸伝』 全8巻(うち1巻は「外伝」)








『水滸伝』は潮出版社の月刊誌『コミックトム』に連載していた。
が、ぼくはリアルタイムで読んでいない。
たぶん中学時代に上記の全8巻を友人宅で一気に読んだ。

読み返したのはそれ以来。

で、読んでみて驚いたのは、登場人物のセリフを覚えていること。
ちょうど『トムとジェリー』で、
トムが家の角を曲がるとスコップを踏んで顔面が三角になると、
その先がアタマにパッとひらめくように、
『水滸伝』でも次に誰が、何を言うのかが分かる。

“三つ子の魂百まで”とでも言うのかなぁ?
子どものころに記憶容量を使い果たしてしまったのかしら。


横山さんの作品はここ(「ウィキペディア(Wikipedia)」)に
あげられているけれど、
『鉄人28号』や『ジャイアント・ロボ』、
『バビル2世』『伊賀の影丸』『仮面の忍者赤影』
『魔法使いサリー』そして『コメットさん』などなど、
その多彩さに改めて驚く。

そして、その多くがテレビアニメとなり、
ぼくも十二分に楽しませてもらった。

横山さんは元々銀行員だったそう。
高校を卒業して就職した銀行を四ヵ月でやめ、
21歳で漫画家デビュー。

漫画を描き始めたのは、
この年代の漫画家の大半がそうであるように、
手塚治虫さんの影響だとか。

そんな横山さんは昨年4月、自宅で起きた火事のため死去。
そうだったっけ・・・・忘れてた。

世を去ったあとも作品が残るというのはうらやましい。


きょうあたり『殷周伝説』が届くはず。

この夏は横山漫画で乗り切るぞ!





ふぅ・・・・・



・・・・・・ひたすらいい天気




ここ数日、あまりの天気の良さに、言葉を失い、なんともはや。水も十分、陽差しもさんさんの稲は緑に元気だけれど、ぼくはたまにちょろと外に出るともうくらくら。この太陽の下、野良仕事をする農家の方に畏敬の念を抱きつつ、家へもどる。あぁ、家の中の方が暑く感じるのはなんで?


天気がいいと洗濯物がパリッと乾いて気持ちがいい。太陽の香りって、確かにあるなぁ。あぁ、このまま“夏眠”をむさぼりたい。




今年は猛暑と言うより酷暑&激暑。アスファルトの上を歩いていると、照り返しでくらくら。吐息も浅く、呼吸するのが面倒になる。図書館に行くと、いかにも“避暑”という感じのおじさんたちが座席で居眠り。暑いよね~。

この市民図書館は設備が良く、蔵書を気軽に読めるようにソファが並んでいた。それが居眠りには格好の広さに柔らかさで、いつも時間をもてあましたおじさんたちがぐーすか。「居眠りはやめてください」という張り紙などはしてあるものの、心地よさにはかなわない。いつもぐーすかおじさんで満席で、勉学に励みたい学生たちが使えない。

これじゃマズイということなのだろう、突然ソファは取り払われ、無骨な硬いイスに交換された。それでも、この暑さ。戸外にいたたまれないおじさんたちは、イスの堅さにめげず、きょうもぐーすか。しょうがないかな。

人間は暑さに耐えられるけど、機械はそうもいかない。机にのせたパソコンも熱を持ち、周囲の空気がもわ~っと暑い。暴走されると困るので、扇風機で風を送ってやることに。

で、大型家電店へ扇風機を求めに。最近は家電も安くなってるし、手頃な値段で手にはいるだろうと思っていたけど、購入した扇風機は¥1,980。安さにびっくり!

普通のサイズの扇風機で、メーカーは日本、製造は中国。これで利益が出るのだろうか?? 扇風機は仕組みが単純だし、大量生産に向いているとは言え、こんな価格でいいのかなぁ。削るところは人件費しかないだろうし、薄利多売なんだろうな。

薄利多売で思い出したのは、ガソリンスタンドの経営者の言葉。

「リッター5円ですよ、利益」

う~む、1リッターで儲けが5円。ボーナスがあるでなし。家族5人の生活をまかなうには、一ヶ月に1万リッターは売り上げないと苦しいだろう。でも、街のガソリンスタンドでそんなに売れるわけはない。例えばぼくが買うガソリンは、月にせいぜい30リッター程度。我が家程度の顧客が300世帯以上いて、ようやく1万リッターだ。

我が家に近い国道は全国でもガソリンスタンドの数が多く、競争も激しい。1円の差が客の数に直結する。かといって安売りはできない。仕入れ値があがっても、販売価格は、事実上、横並びを強いられる。手広く営業できる性質の業種ではないし、顧客が逃げないようにするのが精一杯。打つ手なし。

そんなわけで、そのガソリンスタンドは店をたたんだ。

これはもう3年ほど前の話。今や、ガソリンの値段は上がるばかり。たくさんのスタンドがまた淘汰されていくんだろうなぁ。キビシイね。

扇風機の風を要求するパソコンってゼイタク野郎かも。

ふと気がつくと、日記のタイトルのところに「RSSリーダー」というモノが。これ、前からあったのかしら?

なんだかワカランが、お知り合いの方のページにある「RSSリーダー」をクリックすると、おや、infoseekにログインさせられた。

そのまま進むと・・・・「登録完了しました」ページに、お知り合いの方のページタイトルが。なんじゃろ?

ほ~、この方の日記で、ぼくが読んでいないものが16件、並んでいる。ここに登録しておけば、読み逃しがないということなのね。う~む、便利なような、そうじゃないような。こんなに手取り足取りサービスに慣れてしまうと、自ら動こうという衝動なぞが薄れるんじゃないかしら?


番組のネタを拾うのにも、そのネタの裏付けを探すにも、即インターネットというディレクターが増えてきた。どうも納得できん。

ネットを活用して広く情報を集める。それはそれでいいと思うし、実際、ぼくも情報収集ツールとして活用している。すごく便利なモノができたもんだと感心する。

しかし、出来事、物事の裏付けは別。図書館なりで自分でペラペラめくって調べないと、コワくて使えない。インターネットの情報は玉石混淆。正しいのもあれば、デフォルメされているのもあるし、意図的にねじ曲げられているものもある。それを鵜呑みにするのは危険なのだが、「インターネットで調べる」とか「インターネットで確認する」と言う人が多くなってきている。危ないな~。


便利なとこだけ、ちょちょっと利用し、判断は自分が動いて確認する。それがいいと思うのだけど。


で、RSSリーダー、おもしろいから数人の方のページを登録。楽天以外のブログなんかも登録できるのかしら。いろいろ考えるのね~。感心しきり。


しかし、RSSリーダーのページにあるこの(↓)宣伝文句には興醒め。

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「稼げる!」のかぁ、すごいなぁ。「アファリエイト」というヤツかな。月に数十万円もの収入を得る人もいるらしいから、確かに「稼げる!」ではある。

でも、ぼくの利用法とは違うな。


車を運転しながら考えた。

車に積んでいるカーナビはテレビも映る。でも、デジタル化したら使えない。ラジオ放送のデジタル化はテレビより少し先だと言われているけど、それもデジタル化したら、カーステレオも使えなくなる。AMもFMも。

ラジオがデジタル化すると、消灯時間後にイヤホンでラジオを楽しんでいる入院患者はその楽しみがとりあげられる。ベッドの横に置けるサイズのデジタル対応テレビが発売される予定は今のところないし、入院生活の息抜きに何を頼ればいいのだろ?

ま、ラジオはしばらくの間、アナログ放送も続けるという話もあるけれど。


我が家にはビデオデッキが4台ある。デジタル化すると、全部、使えなくなる。デジタル対応チューナーを導入し、それに4台つなげば、横びろサイズの画面をアナログ録画はできる。でも、ハイビジョンの美しさはない。これまで通りの画質で、画面が縦に小さい横長となっただけ。なんか、アホくさ。

全部そろって再生専用にするかな。


今、国会は郵便局をどうすんべと大騒ぎ。参院で否決されたら衆院解散だと、二院制を完全無視してトップは意気軒昂。参議院はなくてもいいよと言わんばかり。

全国の特定郵便局は生き残れるかどうかの瀬戸際だし、利用者にも影響するとても大きな問題だ。同じように、テレビ(そしてラジオ)のデジタル化は、ぼくらの生活に大きな負担となって降りかかる。今、映像として、音として、ぼくらに届いているものほとんどすべてが消えるのだし、これまで通りの楽しみ方をしようとしてもできないことが多々出てくる。

だけど、ほとんどの人が“どうなるか”を知らないのだ。

NHKの「デジタル化」のページをのぞくと「これは“国策”です」とある。国策だったら国策らしく、国民に周知徹底をはかったらどうやねん。


総務省が今年の6月に行った調査に「 地上デジタルテレビジョン放送に関する浸透度調査 」というのがある。それによれば、「2011年に現行のアナログ放送が終了する」と知っていた人はわずかに9.2%しかいない。73.9%の人が「わからない」と回答している。これでよく“国策”ですなどと言えたものだ。

地上デジタル放送対応テレビの普及率は8.5%。これで「順調に推移している」と言ったりするのだから、お役人は肝っ玉が太い。


こうした現状に、長野県の田中知事は、7月13日に徳島市で開催された全国知事会議で疑問の声をあげている。

 田中知事の指摘と提言は → こちら

この中で田中知事はテレビのサイズと価格についても触れている。今現在、日本で売れているテレビの6割は21型より小さいもの。このニーズに対応する地上デジタル放送対応テレビはいまだに登場しない。また、上記の調査で地上デジタル放送対応テレビをいくらなら購入するかという質問に、半数以上の人が「10万円以下」と答えている。そんな安価な商品はない。


テレビに、ビデオデッキに、カーナビに・・・一新しなければならないものばかり。だいじょうぶなのかな、ほんなこて。


テレビ関係の仕事をしてると、ときどき業界への質問・疑問を投げかけられる。その中で最近ちらほらだけど目立つのは「テレビが見れなくなるってホント?」という質問。

つい最近も書いたし、何度も言ってるし、知ってる人には必要ないけど、知らない人に向けて改めて言うと、

「2011年7月24日に、今使っているテレビは、すべて、もれなく、使えなくなります!」

テレビが「見れなくなる」のではなく、テレビが「使えなくなる」のだ。結果は同じだけど。

現在のテレビはアナログ放送。それが上記の日にデジタル放送だけに切り替わる。だから、前の日まで使えたテレビは同日をもってタダの重たい箱に成り果てる。飛んでくる電波をつかまえられないのだから、どうしようもない。

「デジタル放送を見なゃいいんでしょ。ワタシ、今まで通りでいいから」

という言葉も聞いた。そう。美しさだけしか取り柄のないデジタル放送なんて、見たいヤツだけ見ればいい。私はこれまでのテレビでいいからと言える。それが本当だ。

しかし、そうはいかない。日本国内に1億台以上あると言われるすべてのテレビは、あまねく使えなくなる。見ようにも、映らなくなるのだからどうしようもない。

国会で審議され、可決されたこの“国策”。知らない人の方がまだ多いのじゃなかろうか? 「デジタル化って時々聞くけど、うちには関係ないわね」、じゃないのである。頼んでもないのに飛んできて受信料を徴収するNHKの電波の如く、「あたしンちだけ」と我が道を行くことをデジタル化は許さない。「あたしンちだけ」がんばろうにも、これまでのアナログ電波は飛んでこなくなるのだから、手も足も出ないのだ。

2011年7月24日までに、ぼくらはテレビを買い換えるか、デジタル放送対応のチューナーを買うかしないとテレビを見ることができなくなる。イヤだとか今さら言ってもダメ。なんせ“国策”なのだから。身銭を切ってテレビ環境を一新しないと、これまで通りにテレビを楽しむことすらできなくなる。

かと言って、デジタル化で番組が抜群におもしろくなるかというとそんなことはない。これまで通りの番組が、そのまま放送されるだけ。局からの飛んで来る方法はデジタルだけど、画面に映れば今まで通りの内容だ。金は取っておいて、詐欺じゃないのか、これ? そう言って暴動でも起こることを期待したい。


デジタル化に伴い、ダビングにも規制がかかる。ダビングができるのは、一回こっきり。それも、デジタル機器の場合は、同一機器内でだけ。ハードディスクに録画した番組は、同じ機器内のDVDには「移し換え(ムーブ)」はできるが「コピー」はできない。録画した番組はDVDに「移動」し、ハードディスク内にあったものは「消去」される。

同一機器でない場合は移動もできない。例えばハードディスクに録画した番組を、ケーブル等でつないだDVDレコーダーに移すことは不可。要するに「一回こっきり」なのだ。

だから、気に入った番組をダビングして友だちなどに手渡すなんてことができなくなる。どうしてもそれをやりたかったら、アナログ化するしかない。なんとまぁ不便なこと!!!


と、消費者・視聴者が怒り出すのを恐れたのか、「一回こっきり」を見なおす動きが出始めた。

 記事はこちら → 「 デジタル放送の「コピーワンス」が運用見直しへ

「視聴者の不満を放置すれば、2011年に向けた受信機の普及にとって大きな障害があるおそれがある」

これが、総務省が「一回こっきり」を見なおそうと考えた理由である。お役所の顔はどこを向いているのやら。

やはり何が何でも2011年7月24日に今の放送を停止したいのだ。


利用者を議論の席にも着かせず、知らぬ間に決めた“国策”。

それに泣き泣き従い、高いお金を出してテレビを買い換えるか。

それとも、テレビ視聴をさらりと捨てるか。


二者択一しかないのだな。

さて、どうしようか・・・・。


ジーンズを買いに行ったときのこと。

。。。。う~む、腹が出た。。。。。。

鏡に映った我が身を見つつ、昔は28インチでもすんなりはけたのに・・・と心で涙していたら、

「え~、なんでこんななん?!」

ぼくの心情を代弁するような声が間近から。見ると高校生くらいの少女がぼく同様、試着した我が身を姿見に映しつつ、愕然としている。

「なんでこんな?」の理由は明快。それ、サイズがふたつくらい小さいですよ。はいたパンツがぱっつんぱっつん。縫い目だけでなく、生地の編み目自体が内容量に負けて広がってますがね。それじゃ、床にものを落としたら拾えないでしょ。

パンツのサイズが体にフィットしてないことを認めたくはないんだろうな。自分が理想としているサイズに納まりきれない自分の体に目を向けたくはないのね、きっと。友だちに「なんで?」を連発している。

あれあれ、お友だちも困ってますがね。そこでズバッと真実を言うのが友情なのか、それとも友の心情を推し量り黙っているのが正解なのか、難題をふっかけられた感じだね。


いつの頃からなんだろう、「細い=きれい」という等式が当たり前のようになったのは。ぼくはその等式を正解だとはまったく思わないタイプ。「きれいなお姉さんは好きですか?」と尋ねられれば、そりゃ好きだと答えるが、「きれいなお姉さん=白くて細身」ではないのだ、ぼくの中では。だから、細く見せよう、白くなろうと努力する姿を見るとお気の毒に感じてしまう。

その少女も別に太っているワケではゼンゼンないのだ。年齢相応に健康的なだけ。モデルがはくようなスリムなシルエットのパンツにその健康的な肉体をねじ込むのではなく、体に合ったものを選べばかわいくなること、請け合いなのだ。

でも、細く見せたいのね。う~む、惜しい。。。と思うのはおやぢだからか?


その少女の年代のころ、ぼくは太って見せたかった。体重、60キロなかったものなぁ。あばら骨が浮いてる体ってのは、自分自身でも気持ちのいいものではなかった。
ないものねだりの悩みとしては、同じかしら?


少女のため息は続く。あきらめるの、難しいね。

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