番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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「楽天の攻勢に、TBSは総スカン」

楽天がTBSの株を「買わないと言ったのに」買い増した動きに、TBSは態度を硬化させている。金で威圧するのか?!という思いがひしひし。

それに対し、楽天の三木谷社長は、「株を買わないとはひと言も言ってない」とし、株の買い増しは資本主義のルールに則って権利を発動しただけであり、

「なぜ、株を買っちゃいけないのか、わからない」

と、おっしゃっている。

こうした三木谷さんの動きに、TBSの第三者機関(第三者と言っても、TBS側の人間ばかりなのだが)が動き出した。その重鎮である太平洋セメント取締役相談役・諸井虔氏は、三木谷さんの行動を、

「順序が逆なんだよ。株を買い占めてから仲良くしようなんて許せない」

的なご発言。遂に大御所も動き出したということだ。


ぼくは三木谷さんに別に好意を持っているわけでもないし、かといって、TBSにシンパシーを感じているわけでもない。しかし、ここ数週間の流れを見るにつけ、TBSの対応には疑問を感じる。

「たかがITの成り上がりもんが」

経営陣や役員には、そう公言する人もいるらしい。これはおかしくないか?

資本主義の社会で会社を運営するには、自社の株が今、どのような状態にあるかということを把握していることが不可欠だろう。テレビ局(ラジオもだが)はその番組の制作に関してはディレクターをはじめとする現場の感性が圧倒的に重要で、上層部は番組制作に対して言えることは大してない。実際は、現場に降りてきて、あ~だこ~だと益にならないことを言い散らすトップもいるけれど。

そんな経営者がすべきことは、自社株の状況をはじめ、経営状態がどうなっているかを常に把握する。それしかないはずだ。楽天の動きに驚きと不快感を隠さかったTBSの経営陣は、すべきことをやってなかったにすぎない。

誰だったか、経済界の大物(経団連の奥田会長だったかな?)がTBSの経営陣に対し「失礼だけど、職務怠慢だ」と発言していたけど、その通りだと思う。経営者としてどんな仕事をしていたのだろうか? 

「テレビは社会的使命を持つがゆえに特別な存在なのだ」

そんな風に自らの役目を曲解し、「テレビ局だから許される」と思っている人間が、経営陣にも、制作現場にも、多すぎる。

金の力にものをいわせ、テレビの世界へのドアをこじ開けようとする楽天。そのやり方を“潔い”とは、ぼくは思わない。しかし“資本主義=カネ本位”の社会である以上、そのやり方を「ルール違反」と言うわけにもいかないし、不誠実だとも言えないだろう。

TBSが楽天の動きを敵対的買収として「カネ」で対抗するのではなく、アイデアと将来へのビジョンで楽天を凌駕することを期待する。

ムリかな・・・・・・。


そう言えば、この日、TBSの社長の談話はテレビはNHKだけで、新聞も1社という代表取材だったとか。マスコミがマスコミに対応する姿とは到底思えない。


楽天に関する一連の報道で笑ったのは、数日前の新聞記事。TBSのことを「名門放送局」と表現していた。なにをもって“名門”とするのか。歴史? 売り上げ? 視聴率?

TBSに“名門”という冠をつけたからには、この記者の頭には比較対照する局があったのだろう。それはどこなのか? 東京キー局? 経営不振にあえぐローカル局?

この表現でなにより確実なのは、記事を書いた記者は自分の所属する新聞社を“名門新聞社”と思っているに違いないということ。

テレビに新聞。“名門”の、このていたらく。希望は薄いな。



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午前中、ディーラーへ。車のリコールのハガキがきていたので。
フロントライトをオンオフするスイッチの形状に異常があり、使用中にライトが消えるおそれがあるとかないとか。

その車体をベースとして大衆車を量産しているから、リコールの対象も120万台を超え、ディーラーからのリコールを知らせるハガキにも、「対象が多いので予約してからきてくれるように」という言葉が添えてあった。

リコールと言うことは、要するに設計ミス。不具合を起こしたその部分の設計を担当した人または会社はおとがめをうけるのだろうか。

三菱自動車の度重なるリコール騒ぎ(まだ続いているけど)のときに思ったのだ。人命に関わるような自動車を作り、売った責任は会社にあるのは当然だけど、あそこまでひどい設計をした担当者の責任はどうなるのだろう?

設計だけではない。耐久性をチェックした人およびそのセクションの責任はどのようにとられたのだろう? 経営トップが出てきて「ごめんなさい」とは何度も言ったが、「なぜ、そんな車を作りえたのか?」という疑問は解消しない。

ユーザーは「安全なもの」と、言わば「思いこんで」車を運転しているのだけど、ホントは全然安全な車ではないということを設計者やチェックをした技術者たちは知っていたんじゃないのかな?

知っていながら売ることを容認していたのであれば、その罪は大きい。大企業の一員、歯車であるとはいえ、その個々の責任は取るべきじゃないのかな?

トップの「ごめんなさい」会見を見るにつけ、そんな疑問をいだいていた。

で、きょう、ディーラーのお兄さんにその疑問をぶつけ、胸のもやもやを解消しようと思っていたのだが、申し訳なさに身の置き所もないという風情の姿を見たら、尋ねる気力が萎えてしまった。

今回のリコールは命に直結するものではなかったけれど(でも、夜、走行中にライトが消えるおそれもあるらしいから、そうとも言えないか)、走っていてタイヤがはずれるような欠陥だったら、ユーザーからどんな言葉を浴びせられても耐えるしかない。

顧客に一番近い仕事をしている人たちは大変だなぁ。
メーカー首脳も、それを第一に考えてあげなきゃね。


不具合の元となる部品の交換は10分ほどで終了。駐車場を出るとき、営業担当のお兄さんが飛んできて、「申し訳ございませんでした」を連発する。

謝るのは営業の仕事の大部分を占めるとはいえ、こんな原因で頭を下げるのもイヤなもんだろうなぁ。

店を出るとき、営業のお兄さんや接待のお姉さんなどが最敬礼をして見送ってくれた。

あぁ、気詰まりだった。







家に戻ると・・・・。

ネコ助が足に登って、



「お帰りぃバリバリ」


おい、ツメが痛いぞ。




高校の同窓会打ち合わせ。ぼくは同期の同窓会事務局の役員なのだ。

同窓会会長に同じクラスの友人が選ばれ、そいつの「役員やってくれ」のTELに抗しきれず引き受けたけど、ここ2年、活動はナシ。

しかし、来年の5月、大阪で卒業生全員を対象とした関西地区同窓会があり、その幹事がぼくらの期。

なんだかわかりにくいけど、要するに関西に住むぼくの同級生たちが、準備から当日の接待から、すべての面倒をみなければならない。しかし、関西在住の同級生はとても数が少ない。そこで、どうすれば乗り切れるか、初会合となった。

関西に住む同級生30名ほどの名簿を見る。う~む、知らない名前ばかりじゃ。ぼくは顔広くおつき合いをする方じゃなかったし、今も会っては飲んだりする友人たちは同窓会にはとんと興味がないヤツらばかりなので、実は同窓会役員連中も高校時代には話をしたこともない人間の方が多いのだ。

こちらが知らないのだから、相手も知らないだろう。いきなり「来年、そっちでやる同窓会の幹事をやってくれ」とTELしても戸惑うだろうな。

ひとまず、「幹事をやってもいいよ」と言ってくれている関西の連中の意向を聞いてから、同窓会事務局として動き出すことに。まずは会長名で協力お願いの手紙でも出すことになるかなぁ。


同窓会の役員を引き受けてから、申し訳ないなぁと思っていることがいくつかあるのだが、そのひとつが他のみんなと生活時間が合わないこと。

曜日に関わらない業種なので、みんなが会合を開く土曜や日曜も仕事で出ていることが多い。なので、今回の出席でようやく3回目という役立たず役員なのだった。

「フリー」という肩書きではあるけれど、その実、身柄は発注主に拘束され、自在に動くことは不可。フリーとは名ばかりで、不自由なこと、この上ない。

一日24時間の使い方は自由だから、朝寝して朝酒して朝湯もできる。「うらやましいなぁ」とよく言われるのは、このへんかな。しかし、そのツケは確実に自分にふりかかってくる。


会合が終わり、飲み会に。
教員や警察に勤務する「公務員派」と、銀行員の「民間派」が、「どちらの給与体系が長期的に見て得か!」という議論を始めた。

白熱する話を聞きながら、ふと、思う。

「う~ん・・・・・オレもボーナス、欲しい」





ネットにつないでいたら、FAXが来た。
新調したばかりの複合機、初の受信!

「お~、ちゃんと出た出た!」

ネットを閉じて、FAXを一読。なかなかきれいじゃんと悦に入り、ついでに仕事をちょこちょこやって、おっとメールを出さなけりゃとメーラーを立ち上げ、婉曲表現にうんうんうなり、さて、出そうとONしたら、

「サーバーの接続に失敗しました。
 サーバーが稼働してないか、混んでいる可能性があります」

ナゾのような言葉をポンと出して、そののち無言。
「可能性」なんて言うなよぉ、お前、コンピュータだろ!

メールが出せないということは・・・・・あぁ、やっぱりネットにもつながらん。

こちらは、

「○○○が見つかりません」

なんて、断言する。
ちゃんと探せよっ、お前はコンピュータじゃんかっ!!

しかし、何度やっても結果は同じ。あぁ、アタマ、いたい。。。。

FAXはちゃんときた。電話は・・・・・うん、できる。ということは、回線じゃないのね? となると、ルーターorモデム? しかし、ランプの点灯は正規のグリーン。きちんと動いているようだ。

んじゃ、どこが悪いの?

ルーターとモデムのマニュアルをパラパラめくる。あぁ、ワカラン言葉だらけ。アタマがズ~ンと重くなる。完璧文系の脳みそには呪文のような文章。巻末の用語集からひもとかなくちゃダメ?

めんどくさい。実力行使。電話はできるんだから回線は正常だ。よし、プリンタ複合機から電話線を引っこ抜き、ルーターと直結。

どうだ!

「サーバーの接続に失敗しました。
 サーバーが稼働してないか、混んでいる可能性があります」

なして?! 電話はOK、なのにネットは不可?
そんな理不尽なことがあっても可??


   ????????????????????????????


壁からスプリッタ → プリンタ → ルーターへとつながるラインには異常なし。パソコンの裏側を覗き、ルーターとモデムをつなぐ線をはずしてはつなぎ、接続にトライしては「○○○が見つからない」&「サーバーの接続に失敗」云々。こんのやろぉ。

????の数時間を過ごしたのち、ハタと思い出す。

ISDN時代、ちょくちょくつながらないときがあり、それはナゼかというと、ターミナル・アダプター(だったかな?)の「時計」が、突然、

「9998年48月37日午前29時71分」

などと、あり得ない時間へとワープするからだった。

ひょっとしたら。。。。とルーターの「時計」を覗いてみると、

おぉ!

「2004年9月14日15時33分」

微妙に(でもないが)ずれてるっ! 今回の「断絶」もこれが原因かっ?!

ドキドキしながら正常時間に戻す。その結果は。。。。。。。?




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ホッ。




コンピュータって、どうして「どこどこが、どう悪いですよ」と丁寧に教えてくれないのだろう? 「可能性がある」なんてぼかしたり、「見つからない」と突き放したり。こんな慇懃無礼な日常機器があるだろうか。

トラブルの時は××を見ろという指示はある。が、しかし。マニュアルを後ろに前にぱらぱらめくっても、ちんぷんかんぷん、120%、わからない。

ぼくの母は「私は現代の文盲」とよく言う。わからん言葉に充ち満ちているということだろうが、その息子は「IT文盲」。

カエルの子はカエルってか?



復活「クィーン」に参加して驚かせたポール・ロジャースが率いた「フリー」のギタリスト、ポール・コゾフ。確か、生前唯一のソロアルバム。オークションにて、「こんなでいいのかしら? バチあたりじゃない?」価格で入手。


Paul Kossoff 『 Back Street Crawler 』


1973年リリース 初ソロアルバム

“泣き”で名高いポール・コゾフのギター。今で言えば「涙そうそう」、臆面もなくそこまで泣くか?!と、あきれるほどにわななくビブラート。その強烈かつ流麗なチョーキングに圧倒されたクラプトン(当時、既に神様)が楽屋に押し掛け、「弾き方、教えて」と頼んだという逸話も残る。

確かに泣いてる。聞いてて泣ける。情念のわななき。

古来、才能ある人は自分を痛めつけるのが性なのか、コゾフはドラッグにおぼれ、このアルバムを出したころはもうぼろぼろ。衰弱した体を急性心不全が襲い、ツアー中の飛行機の中で息を引き取ったのが25歳。生きていたら、今年で55歳。

まだ、55・・・・・クラプトンより5歳も若い。

あぁ、惜しい・・・・・。


夭折の才能に、若い心は憧れる。

「あたし、ジャニスの歳には、生きていないわ」

ジャニス・ジョプリンの歌に、自ら破滅へと突っ走ったように思える生き方に、取り憑かれた女の子がそう言った。

バイトをし、わざわざ海外へ出かけては、ドラッグにつかって帰ってくる。体を傷つけることで、心のバランスをとっているような、そんな危うさ。

「死に方だけ似て、どうするの?」

忠告のつもりだった言葉の、なんと幼く、デリカシーのないことか。

ジャニスがその命を閉じたのは27。
あの子はまだ生きているだろうか・・・・。


いやいや、きっとママになってるさ。









『遺作 ミュージシャンの死とラスト・アルバム』
1998年 レコードコレクターズ 7月増刊号 1800円


夭折の才能への憧れか、こんな本も。
もっとも、焦点は「遺作」だから、40代、50代、60代で亡くなったミュージシャンも載っている。

ポール・コゾフはもちろん、ジャニスやジミ・ヘンドリクス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、デュアン・オールマン、トミー・ボーリン、カート・コベイン、マーク・ボラン、シド・ヴィシャス、そして尾崎豊・・・・・。多いなぁ、惜しい人。


岡田有希子も登場。
四谷のビルから虚空へ跳んだ彼女は18歳だった。




ホークス敗退。
連敗からよく盛り返したと思うけれど、結局は去年の二の舞。1シーズン勝率2位の球団がパリーグの代表となるという奇妙なシステムはどうにかならんのか!と、怒り心頭のファンも多々いるようだ。

ぼくは特に野球が好きではないし、地元の球団だからファンになるというプチ・ナショナリズムも持ち合わせてはいないので、30数年ぶりというロッテの優勝も、それはそれでめでたいことかなと思う程度だけど、今のシステムはやっぱり妙だと思う。シーズンの136試合はなんだったの?、と。

新聞紙上で誰かの「来年、ホークスは2位を狙えばいいよ」というコメントを読んだが、一番やりきれないのは選手だろう。

ホークスの4番、松中選手は今年も打てなかった。最終戦の1安打だけ。悔しいだろうなぁ。地元のCMには、元(今もかな?)アナウンサーの奥さまと仲むつまじい姿を見せていて、見るからにぼくとつとした風貌に好感が持てる人だと常々感じている。昨年は三冠王、今年もホームランと打点の二冠に輝いた。それだけに忸怩たる思いだろう。

打てない松中選手を見ていて、その姿が大相撲の大関・魁皇とだぶってきた。その実力は折り紙付きながら、大勝負を乗り切れないもどかしさ。それをこのふたりに感じる。


 大関 魁皇についてはこちら → 『ウィキペディア(Wikipedia)』


横綱挑戦を5度も6度もやれる大関なんて、めったにいない。悪い意味でだけど。普通は多くても2、3度でめでたく横綱に推挙されるか、ステップアップできず、クンロク大関と化して引退していくかのどちらかだ。

でも、魁皇は違う。優勝し、「今度こそ」とファンに思わせ、翌場所、その期待を見事に裏切ってくれる。それも、「惜しい!」と思わせる内容ではなく、ケガをしてあっさり休場。それでもまたその愛すべきキャラクターと実力とで、ファンにまた「次」を期待させる。罪な人である。ちなみに我が家では、彼の愛らしい容貌から“ポチ”と呼んで(すみません)応援している。

元プロレスラー(西脇充子さん。同期の北斗晶選手は佐々木健介選手夫人)の奥さまは結婚する際、「絶対、大関にします!」と言われていたけど、大関になってから結婚したら、「絶対、横綱にします!」とおっしゃって、それを現実のものにしたかもしれないなぁ。

そんな魁皇の姿を松中選手に見てしまった。これままずい。松中選手には来年、ぜひプレイオフで活躍し、チームを日本シリーズに導いて欲しい。「また・・」は二回までですぞ。もう一度繰り返すと、“大試合に弱い”という烙印を押されてしまう。ファンはやっぱり“記憶に残る”選手を求めているのだ。


しかし、一番びっくりしたのは視聴率。テレビ東京系の地元局が試合終了まで中継した最終戦は36.7%(北部九州地区)。瞬間最高視聴率は52.0%と、ふたりにひとり以上の人が見ていた勘定だ。

ま、シーズン中はまったく野球を見ない我が家でもテレビをONしていたのだから、それだけの魅力はあったのだろう。確かにいい試合だった。野球の人気が凋落していると言うけれど、落ちているのは巨人の人気だけなんじゃなかろうか?



松中選手、がんばれ!(ついでに、魁皇も)



以前、沖縄の小さな島が自衛隊誘致に揺れたことがある(今も揺れているはず)。

町議会が満場一致で自衛隊誘致を決めた。島にお金を落としてくれるだろうというのが、誘致の表だった理由。それに対して住民たちは反対運動を起こし、町の集会所に全議員を呼び、議会の意向を問いつめた。そして、自衛隊誘致の白紙撤回を勝ち取った。

そのごたごたには、カゲの大物みたいな70がらみのおじさんがいて、

「自衛隊を誘致しとかないと、中国が攻めてきたときにどうしますか!」

なんてことを言い、一部議員をあおり立てていく。ちょうど中国の潜水艦らしきモノが沖縄の海を横切ったあとだったから、その言葉はいっそう効果的。話を聞いた議員は「なるほど、そうだ」と感心し、誘致で地元にカネが落ちるという甘い言葉に「一石二鳥、三鳥だ」と歓喜する。黒幕は、してやったり、とほくそ笑む。

こんなオヤジを「平和ボケ」と言う。

そのオヤジの年代ならば、戦争の悲惨さをぼくらよりもずっと知っているはずだ。家族を失った人たちをたくさん見ているだろうし、自分自身もその悲しみに沈んだ記憶があるかもしれない。

その記憶を、武力の行使とカネ儲けに変えて、奇妙だとも思わない。敗戦後60年間の「平和」で、戦争の悲惨さを忘れきった「ボケオヤジ」たち(当然ながら、同様のオバハンたちもいる)。

日本を臨戦態勢に持ち込もうとしている人たちの多くは、多少なりとも戦争の怖さを知っているはずの、そんなオヤジたち。政治家であれ、資本家であれ、武力の恐怖とそのむなしさを知っているはずなのに、日本を守るには「武力を持つしかない」と口にしてはばからない。

同じことを繰り返す、その準備をさせようというのか?
あまりの経済成長と、その間の平和さに、脳みその根幹からボケたとしか思えない。


敗戦のその日のことをぼくは知らない。しかし、多くの人が「もう死ななくてすむ」「家族を死なせなくてすむ」と思ったことは、実際に耳にして知っている。ときがたつにつれ、敗北感よりも解放感の方が大きくふくれあがったという話も聞いた。それは、理不尽な死というものがない世界の素晴らしさ、空から爆弾が降る恐怖におびえることもない自由の素晴らしさを多くの人が知ったということだろう。

そこにまた、「恐怖」の影を落とそうとする平和ボケのオヤジたち。もう、核抑止力がまかり通った冷戦時代じゃないのだ。根気強い会話でしか、平和を維持していくことはできない。


靖国神社に参拝した小泉さんも、平和にぼけたオヤジのひとり。日本の、アジアの、戦争で傷ついた人々の心を逆なでして、その痛みに思いをはせることができない哀れな人間。

戦争で犠牲になった人たちを悼むのならば、その手を合わせる先は靖国神社であるはずがない。本来、戊辰戦争でお上のために命を落とした兵士を慰霊するために明治になって建てられた、神社の世界の新参者。そこに、太平洋戦争で亡くなった主に軍人を「英霊」として、その家族の意向も無視し、力づくで合祀した。それが靖国。空襲で世を去った、そんな庶民はカミ様にはなっていない。

そんな神社に手を合わせて、さも「残った者の義務を果たした」という顔をするのならば、その足で千鳥ヶ淵の戦没者墓園へも参ったらどうだ。それでも、順序が逆だとは思うが。


平和ボケのオヤジたちは、自衛隊のイラク派兵期間を延長し、自衛隊を自衛軍と明記すべく憲法を変えようとしている。痛みを後世に残し、自分たちは平和を享受してこの世にサヨナラするのだ。


そんなオヤジたちに、「平和ボケ」なんて言われたくないね。



携帯メールで写真が送れる機能がいつのまにやらできている。
で、送ってみると。


でか!!



しかし、この機能ができて以降、通常のメールで書き込むためのフォーマットがまったく携帯に届かなくなった。
きのうなぞ、10月9日分のフォーマットが届いた。


TBSにいろんなことを仕掛けてもいいけど、足元をおろそかにしないでね、楽天さん。


小泉さん、靖国へ。

朝、ワイドショーを久々に見ていたら、小泉さんが靖国神社を参拝するという速報が飛び込んできた。

やっぱりね。

靖国神社は、秋の例大祭の初日。敗戦からちょうど60年。それの節目の年に、必ず参拝すると常々公言していた小泉さんにしてみれば、国民に対して表明したことを実行するだけだし、何より、口に出したことをやって何が悪いという思いなのだろう。

郵政民営化を有権者に問うという前代未聞の独善的解散そして総選挙に勝利し、同法案はあっさり可決され、余裕綽々の小泉さん。英霊に、そのお礼でも捧げるのだろうか。

これまで5回、靖国神社を参拝している小泉さん。今年は、赤い絨毯の上を歩くことなく、本殿には入らず、玉串料もなく、一般の人に交じり、平服で参拝するとか。「一私人」を強調したいのだ。

しかし、どんな小細工をろうしても、靖国神社というひとつの宗教組織を一国の総理大臣が参拝するという、政治と宗教を分離した憲法に反することは明白だ。その画期的な判決も、つい最近、出されたばかり。なのに悠々と参拝とは、司法も軽くみられたもんだ。

NHKの電話による世論調査では、小泉さんが「靖国神社に参拝すべきだ」という人と「参拝すべきではない」とする人が拮抗している。「参拝すべき」と答えた人の、その理由の筆頭は「他国が口を出す問題ではないから」。

首相の靖国神社参拝は「他国が口を出す」問題なのだ。アジア各国を侵略した日本という組織のあり方を問う、ひとつの、大きな、問題なのだ。小泉さんの靖国参拝を「良し」とする人、靖国神社のあり方が「良い」とする人たちは、靖国神社がどんな風に「おかみの神社」として生まれたか、誰をまつって、誰をまつってないのか、それを知った方がいい。

空襲で命を落とし、原爆で瞬時にこの世からかき消え、のちに苦しみつつ帰らぬ人となった犠牲者たち。そうした戦争の被害者は「英霊」ではないから、靖国神社にはまつられていない。上野公園に犬を連れて立つ西郷隆盛もまつられてはいない。西南戦争で「官軍」に反抗したからだ。

無益な戦争の犠牲者を靖国神社は明瞭に区別している。靖国の目は「国」を向いている。戦争で犠牲となった軍人・軍属をまつっているのは「お国のためによく闘った」と、いい子いい子してるに過ぎない。

しかし、街の声の中に「日本は日本の道を行くべきだ」という旨の発言をする人が多いのにはガクゼンとする。この答えをする人たちが考える「日本の道」って、なんなの? 間違っていると異人さんに指摘されても、「ほっとけ!」と反発することなのか? 逆の立場になっていたとして、侵略されたぼくらは、「もう、完璧に忘れたよ」を言えるだろうか?

テレビのアナウンサーやキャスターの言葉も気になる。小泉さんは「自分の意志を貫いた」という言葉が乱舞する。プラスの意味としかとれないそんな言葉を使うならば、必ず「多くの人たちの心の傷を無視して」とフォローすべきだろう。映像を見ずにコメントだけを聞いていると、「信念を持った、強いリーダー」を前提に置いてしゃべっているように感じる。


などと書いている間に、小泉さんは黒塗りの車で乗りつけ、ポケットから出したさい銭を投げ、雨の中、さっさと参拝し、SPと殺到する取材陣に囲まれながら、とっとと帰っていった。このSPも、ぼくら国民が小泉さんのために雇っている。しかし、ぼくのアタマの中では、靖国神社に参拝する「一私人」を護衛するために税金を支払ったつもりはない。

一斉に特番に切り替わっていたテレビ局(テレビ東京と日本テレビは変更なし)も拍子抜けの体。しかし、この数分の小泉さんの行動が、アジア各国との外交をこんがらがったものにする。


抑圧されていた国の人々の心を逆なでするような「英霊参拝」は、いつまで続くのだろう?


カゼの余韻で鼻にかかった声が自分でも気持ち悪いけど、もうほぼ復活。病院でもらったクスリも今朝でちょうどなくなった。

健康診断などもお願いしているその病院の先生は、必要最小限しかクスリを出さない。医薬分業になってきたし、それが当たり前なのだろうけど、我が家に近い病院は昔風。総合感冒薬や胃薬だけでなく、抗生物質までガバチョと出す。

で、先生は「クスリをガンガン飲んで、ひっきりなしにウガイをすれば、カゼは退散する!」と元気におっしゃる。

その先生は、別にクスリで儲けようと思っているような悪徳医師というワケじゃない。住宅街にあり、患者の大半がお年寄りたち。お年寄りたちはクスリをたくさんもらわないと安心しないようなところがあるらしく、待合室で「あの病院はクスリをケチんしゃるばい」などと情報を交換し合ったりしている。そんな患者さんに合わつつ、病院を経営していくとなると、「クスリをがっぽり」病院になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

先日、薬箱を整理したら、この病院からもらったクスリが、飲みきれずにたくさんあまっていた。もったいないから飲んでしまおうというワケにもいかず、ゴミ箱へ。ムダだな、やっぱり。





しかし、きょうはとってもいい天気。車で農道をびゅーんと買い物へ。

稲刈りも終わり。


おぉ、まっ青!


空はまっ青。ほんに「天高く、馬肥ゆる秋」本番という感じ。吹く風も少し冷たく心地いい。目と肌とで季節の移ろいを感じさせてくれる適度にイナカはありがたい。





買い物から帰ると、ネコ助も、

「お、いい風」

「秋やなぁ・・・」

「あ、冬が見える!」


ほんとかぁ~。


阪神電鉄&TBSの株を買占め、あちこちの番組で熱弁を奮う村上氏。ファンのためにを力説するが、タイガースの企業価値を上げるのは株主のためというのが透けて見える。そして、いずれ株を売却するつもりであることも。
株の操作で利益をあげ、出資者に還元するのが村上氏の仕事。カネでカネを生むのが義務なのだから機を見てサヨナラするのも当然だ。しかし、インタビューでそこを突かれると「ファンのため」を繰り返し、微妙にかわす。
自分の仕事は出資者を儲からせること。そう明言できないのはなぜなのか。言葉を粉飾しなければならない仕事。どこか虚しい。
ガソリンを入れた。単価129円也。上がった。でも全国平均は130円を超えているから、スタンドは精一杯頑張っている。この近辺は他県に比べて安い。国道に出ると居並ぶスタンド、軒並みリッター=127円。どこかが下げると数分もしない内に同額に。儲けが出るのかなぁ。
台風騒ぎのアメリカでは、避難するためにガソリンを買う長蛇の列。日本もそうだけど石油に頼り切りの状況を抜けないとな~。食事にしても石油を食ってるみたいなもんだし。
でも、いつかはなくなるとわかっていながら、使い方は変わらない。人間、痛い目に合わんとわからんのかな、やっぱし。
寝てるとヒマだ。
パキスタンの大地震。復旧に要する金額は320億円あまり。一方、村上ファンドが阪神電鉄につぎ込んだのは1000億を超える。カネの有効な使い道ってなんだろう。村上氏がタイガースをゆるがすのも、出資者に配当を約束し、自らも利益を得るため。カネが最終目的なのは明白だけど、資本本位の社会で氏の行動はアリ。社会的モラルを持ち出してきても説得力はない。
瓦礫の下にはまだ数百人の人が閉じ込められている。でも、救出作業は諦めた。重機がなければどうしようもない。
ヒトを救うカネと、カネのために動くヒト。後者の方がチカラを持つ。悔しいね。
どうもカゼがイマイチなので仕事に行く前に病院へ。連休あけのせいか、診療時間前なのに待合室には患者がズラリ。この時点で声がきちんと出なくなっていた。体温を計ると38度。お~、久々に熱らしい熱が出た。
仕事先の編集室は高額かつ重要な機器を守るため、冷房がきつい。長袖Tシャツとデニムの上着でガード。編集マンは半袖Tシャツ。寒くないのかなぁ。環境に適応してるのかしらん。
熱が上がると汗が出る。トイレで着替えること二回。シャツを持ってきといてよかった。扁桃腺がはれたけど、食欲は落ちず。昼はヒレカツ定食。メシさえ食えればなんとかなるだろ。
寝てるとヒマだ。
新潟の地震の際、母親や姉と共に土砂に埋まり、ただひとり助かった男の子の、その後のニュース。ハキハキ明るく元気な子に育っているとか。よかったと思う。同時にその伝え方に疑問が。
男の子が思慮深く、引っ込み思案の人見知りに成長していたら、どんな表現で報道するのだろう。「事故がトラウマとなっている」と、短絡な一言でくくられてしまいそうでコワい。
どんなニュースでも、被害者・死亡者は明るくていい人となる。なんか変だ。
人は誰もがネアカでなくてはならないのか。ネクラでもいいじゃないか。勝手に飾り立てるのは失礼だぞ。
昨日からカゼでゴロゴロ。数日前からノドがゼィゼィいっていたのが、セキと熱にかわった。ボンと熱が上がり、ドバッと汗が出ればすっきりするのだが。ネコ助がフトンの上でとぐろをまく。重い。
外から帰ったら手を洗い、ガラガラうがいもかかさないけど、カゼってひくときはひくもんだ。どこでウィルスをしょいこんだやら。
熱が出るのはウィルスと白血球が闘っているからだそうな。熱の高さは攻防の激しさのあらわれかな? だとすると、大して上がらないこの熱は、せいぜい小競り合いといったところか。
明日は朝から出かけにゃならん。白血球さん、頑張って!
昨日、打合せに使った資料を出先に忘れ、取りに行く。車で溢れる都会を二日続けて走るとえらくバテる。免許をとって初めて運転した時を思い出した。
東京で、友人の引越し。よりによってレンタカーのトラック。足が震えた。で、高田馬場駅前の交差点でエンスト。後ろを走ってたタクシーの運ちゃんに思いっきり怒鳴られたっけ。それからも路上駐車の車をこすりそうになって助手席の友人が叫んだり。吉祥寺に着いたときには体重が半分になった気がした。
しかし、資料がなくて昨日は仕事にならず。あぁ、今日中の約束なのに死んでもムリだぁ。許してくれ~。
車を運転していると、後ろの窓に「赤ん坊を乗せてます」というステッカーを貼った車によく出くわす。この意味がわからない。貼っている人は他の車に何を期待してるんだろう?
初心者マークやお年よりの枯れ葉マークは、「自分の運転はまだ未熟です」とか「のんびり走るからゴメンね」といったドライバーの意思表示だし、他の車はそれなりの気をつかおうとする。しかし、「赤ん坊を乗せてます」にはそんな意思は感じられない。周囲に「気をつかってよ!」と言っているんだろうか。
ぼくなぞ「赤ん坊が乗ってるから何やねん」と思ってしまう。変かしら?

今年も数々のテレビ番組コンテストが行われ、たくさんの優れた番組が賞を受けた。しかし、それらの番組を業界にいる人間でさえ気軽に見ることができないのはどうにかならないものか。

ぼくは以前、同じような内容の文章を新聞に投書したことがあるけれど(「地方局は、系列を超えた番組流通網を」)、見たくても見ることができない実態はなんら変化がない。

例えば、民放で最も歴史と権威があるとされる「 日本民間放送連盟賞 」。

同賞のテレビ部門は「報道部門」「教養部門」「エンターテインメント部門」そして「ドラマ部門」の四つに分かれている。そのうち、コスト面などで実質的にローカル局が参加することが難しい「ドラマ部門」以外の3部門いずれかで賞に輝くのは、民間放送、特にローカル局に働く人間にとって名誉なことだ。

この賞は、全国を七つの地区に分け、それぞれ上記3部門のコンテストが行われる。そして、地方選考会で選ばれた1作品が、それぞれの部門の地区代表として全国大会へノミネート。集まった各部門7作品の中から、部門ごとに1作品だけが最優秀賞に輝くというわけだ。

今年も各部門に7作品、計21番組が全国大会にノミネートされた。ところが、きょうまでのところ、ぼくが見ることのできた番組は、

報道部門で九州沖縄地区の代表となった、

 * 熊本放送 「井上家の裁判 ~国と闘い続ける中国残留孤児家族~」

同じく、エンターテインメント部門の代表である、

 * 琉球放送 「ワタブーショー ~照屋林助のチャンプラリズム~ 」

この2作品だけ。
後者にはぼくは番組の制作に参加していたので、純粋に視聴者として見ることができた番組は前者ひとつだけということだ。

全国大会まで行った番組は、地元の局では再放送されることが多い。しかし、それ以外の地区では流される可能性は限りなく低い。

ディレクターをはじめとするスタッフが懸命に取材し、徹夜を重ねながら自分たちの伝えたいことを映像と音声に込めていく。そうして完成し、高い評価も得た番組が、いったん流れたら未来永劫、誰に目にも触れることがない。おもしろいから、いい番組だから、広く視聴者に見てもらいたいと思っても、どうしようもない。テレビというメディアの悲しさ、むなしさを思ってしまう。


熊本放送制作の「井上家の裁判 ~国と闘い続ける中国残留孤児家族~」は、日本に永住帰国を果たしながらも退去命令を出された家族を追っている。

中国から帰国した残留孤児の男性は、中国人妻の連れ子である長女と次女家族も日本に呼び寄せた。しかし、連れ子とその家族が国外退去命令を受ける。日本人である男性と血のつながりがないというのがその理由。日本の法制度は家族というものの証明を“血縁関係”に求めているからだ。

しかし、男性とその家族は、“互いの絆”こそが家族というものの一番大切なものだと主張し、退去処分取り消しを求めて裁判を起こした。

家族とは“血”なのか、“絆”なのか。
日本という国が起こした侵略戦争により背負わなくてもいい運命を背負った孤児が、ふるさと日本でどのような扱いを受けているのか。
そして、当局の対応に見え隠れする冷徹さは、ぼくら日本人一般が心の奥底に持つ、他人事へのひんやりとした視線なのではないか。

家族の姿をじっくりと描き、そんなことを考えさせてくれるこの番組は、本年度の「 地方の時代映画祭 」でもグランプリを獲得した。

こうした、熱のこもった、考えさせられる番組をローカル局は数多く作っているのだ。しかし、放送エリアが違う視聴者が目にする機会はない。なんともったいないことか。

東京キー局が作る番組だけが見るに値するものではない。ローカル局の地味な、予算もかけてない、音の収録などは実に雑な、それでも限られた人員で、時間とディリーの仕事に追いまくられながら作り上げている番組にも、見る人の胸を打ち、脳裏に焼き付いて離れず、生き方さえをも揺さぶる、そんな番組がある。上記の番組は、そうした番組のひとつなのだ。

それが、受賞のお祝いとして自局で再放送されて、終わり。

なぜ、ぼくら他県のエリアでは放送してくれないのか? 視聴率がとれないからなのか? 賞取り合戦のライバルの番組なぞ、流すわけにはいかないのか?

いい番組を作り、または探して視聴者に提供するのが、テレビ局の使命だろう。莫大な予算をかけつつも一部の人気タレントに頼ったキー局制作のドタバタ番組をネット配信することばかりに頼らず、ローカル局の間で地元の個性的な番組を提供し合ったりということはできないのだろうか? 

ローカル局制作の番組も、グルメ番組、旅番組、芸能ニュース・・・・。それも大いに結構だ。ぼくも好きだし、ちょくちょく拝見しては楽しんでいる。視聴率を取り、営業成績に結びつけねば企業としての局の経営が危うくなるのもわかる。誰がなんと言おうと、テレビ局も営利企業なのだから。

だがしかし、年に数回くらいは、ゴールデンと言われる夕方から夜にかけてのたった1時間をこうした番組のために割いてもバチはあたるまい。それで視聴率が悪くとも、視聴者の胸へ訴えかけるその深さは、情報番組では達し得ない部分まで届くほどに深いに違いない。


力作がたくさんありながら、視聴者の目には届かない。そんな現状の中、「テレビはアホらしくて、もう見る気もしないね」と言う友人の言葉などを耳にすると、メディアとしての責任を果たしていないのではないかという脱力感を覚えてしまう。


テレビ局に行くと、社内向けの掲示板に「視聴率×%獲得!」といった告知に並び、「○○賞を受賞しました!」と派手な張り紙がしてあることがある。受賞は名誉なことではあるし、掲示したくなる気持ちは重々理解できる。番組作りの現場にいる人間たちへの叱咤激励でもあるだろうし、ぼくも自分が参加した番組が賞を得たら、それはとても嬉しいことだから。

しかし、あまたいるディレクターが、日々、生き馬の目を抜くような競争をしているキー局ならいざ知らず、数人の制作部員しかいないローカル局で、こうした張り紙で麗々しくあおり立てるのはどうかとも思う。部員のライバル心を動かすという効果もあまり期待はできまい。

本当に主張すべき相手は、他のマスコミであり、視聴者だ。

以前、あるコンテストで最優秀賞を獲得したディレクターが、「うちの局は、なぜもっと受賞したことを外にアピールしないんだろう」と嘆いていたことがある。それは、受賞したのは自分だということを喧伝したいのではなく、全国レベルのコンテストで優秀な成績をおさめることができるほどに局は制作力があると主張し、結果的に局のイメージや営業成績のアップにつなげて欲しいということなのだ。ぼくは、そのディレクターの言葉に賛同する。

多少の経費をかけてでも、新聞なりの他媒体で自社の制作力の高さを一般に向けてアピールする。テレビでもバンバン告知する。その方が、自社の掲示板に張り出して、社員各位に「ふ~ん」と思わせるよりも、受賞したことの真の意味が出てくることは間違いないのだ。


広く一般視聴者にその存在を知ってもらわなければ、どんなに権威があると言ってみても、しょせんそれは業界内の自慰的イベントに終わってしまう。そんな性格の賞が多いから、新聞などの扱いも他の、例えば文学関係の賞などと比べると悲しいほどに小さい。

新聞社にしてみれば、紙面に掲載できるのは局名と受賞した番組のタイトルくらいじゃないか。読者が興味を持ったとしても、その番組に接する可能性がないのだから、記事にしても大した意味がない、となる。

あぁ、これまたテレビというメディアの持つ一過性の問題へと舞い戻ってしまう。


なんとかならんか?


以前、日本民間放送連盟は、各部門で最優秀賞に輝いた作品を全国ネットで放映するという発表をしたように思うのだが、あれはどうなっているのだろう? 


パソコンを新しくし、通信回線をISDNからADSLに換え、ついでに目づまりがちだったプリンタと、メモリにデータを飲み込んだままなかなか吐き出そうとしないFAXを複合機に一体化させ、我がシステムの先端化完了!

の、ハズだったのだけど、キーボードとマウスが昔のものに逆戻り。

パソコン付属のキーボードは、打った感じがペナペナで、どうも「入力してる!」「文章を書いてる!」という充実感に乏しい。ぼくは指に力を込めてキーを打つタイプなので、打ったときにビシッと受け止めてくれないとダメ。ふにゃんと力をかわされると、こちらもへにゃんとなってしまう。

これまで使っていたのは、ロジクールの無線キーボード。無線なのでコードがじゃまにならないというのもさることながら、バシバシ打ってもはね返してくる気合いが心地いい。で、キーボードは、昔なじみのこヤツに戻す。ぼくの机の上に乗っているAVも含めた機器の中で、一番の古株となってしまった。

元に戻すとき、新品のキーボードに比べてひどく汚れていることに気がついた。そう言えば、使い始めたころから一度も掃除というものをしたことがない。キーとキーの間にはホコリがたまるというが、こヤツはどうなんだろう?

キーの間どころか、キートップその他、本体のどこも拭いたことさえない。数年間もの間、毎日、バシバシ打たれながら、きれいにしてもらったことが一度もないとは。う~む、気の毒じゃ。

丁寧な人は、キーを一個一個はずし、その中をカメラレンズ用のふいごのようなものできれいきれいにするという。そこまでやると、元に戻らないキーが確実に何個か出てくるのでやめて、せめてウェット・ティッシュで拭いてあげよう。

マウスも元の無線のものに逆戻り。実際に手に触れ、手に持って使うものだから、昔なじみの方がいい。


しかし、ADSLは速いなぁ。毎日、感動・感激の嵐なのだった。


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