番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


以前、沖縄の小さな島が自衛隊誘致に揺れたことがある(今も揺れているはず)。

町議会が満場一致で自衛隊誘致を決めた。島にお金を落としてくれるだろうというのが、誘致の表だった理由。それに対して住民たちは反対運動を起こし、町の集会所に全議員を呼び、議会の意向を問いつめた。そして、自衛隊誘致の白紙撤回を勝ち取った。

そのごたごたには、カゲの大物みたいな70がらみのおじさんがいて、

「自衛隊を誘致しとかないと、中国が攻めてきたときにどうしますか!」

なんてことを言い、一部議員をあおり立てていく。ちょうど中国の潜水艦らしきモノが沖縄の海を横切ったあとだったから、その言葉はいっそう効果的。話を聞いた議員は「なるほど、そうだ」と感心し、誘致で地元にカネが落ちるという甘い言葉に「一石二鳥、三鳥だ」と歓喜する。黒幕は、してやったり、とほくそ笑む。

こんなオヤジを「平和ボケ」と言う。

そのオヤジの年代ならば、戦争の悲惨さをぼくらよりもずっと知っているはずだ。家族を失った人たちをたくさん見ているだろうし、自分自身もその悲しみに沈んだ記憶があるかもしれない。

その記憶を、武力の行使とカネ儲けに変えて、奇妙だとも思わない。敗戦後60年間の「平和」で、戦争の悲惨さを忘れきった「ボケオヤジ」たち(当然ながら、同様のオバハンたちもいる)。

日本を臨戦態勢に持ち込もうとしている人たちの多くは、多少なりとも戦争の怖さを知っているはずの、そんなオヤジたち。政治家であれ、資本家であれ、武力の恐怖とそのむなしさを知っているはずなのに、日本を守るには「武力を持つしかない」と口にしてはばからない。

同じことを繰り返す、その準備をさせようというのか?
あまりの経済成長と、その間の平和さに、脳みその根幹からボケたとしか思えない。


敗戦のその日のことをぼくは知らない。しかし、多くの人が「もう死ななくてすむ」「家族を死なせなくてすむ」と思ったことは、実際に耳にして知っている。ときがたつにつれ、敗北感よりも解放感の方が大きくふくれあがったという話も聞いた。それは、理不尽な死というものがない世界の素晴らしさ、空から爆弾が降る恐怖におびえることもない自由の素晴らしさを多くの人が知ったということだろう。

そこにまた、「恐怖」の影を落とそうとする平和ボケのオヤジたち。もう、核抑止力がまかり通った冷戦時代じゃないのだ。根気強い会話でしか、平和を維持していくことはできない。


靖国神社に参拝した小泉さんも、平和にぼけたオヤジのひとり。日本の、アジアの、戦争で傷ついた人々の心を逆なでして、その痛みに思いをはせることができない哀れな人間。

戦争で犠牲になった人たちを悼むのならば、その手を合わせる先は靖国神社であるはずがない。本来、戊辰戦争でお上のために命を落とした兵士を慰霊するために明治になって建てられた、神社の世界の新参者。そこに、太平洋戦争で亡くなった主に軍人を「英霊」として、その家族の意向も無視し、力づくで合祀した。それが靖国。空襲で世を去った、そんな庶民はカミ様にはなっていない。

そんな神社に手を合わせて、さも「残った者の義務を果たした」という顔をするのならば、その足で千鳥ヶ淵の戦没者墓園へも参ったらどうだ。それでも、順序が逆だとは思うが。


平和ボケのオヤジたちは、自衛隊のイラク派兵期間を延長し、自衛隊を自衛軍と明記すべく憲法を変えようとしている。痛みを後世に残し、自分たちは平和を享受してこの世にサヨナラするのだ。


そんなオヤジたちに、「平和ボケ」なんて言われたくないね。


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携帯メールで写真が送れる機能がいつのまにやらできている。
で、送ってみると。


でか!!



しかし、この機能ができて以降、通常のメールで書き込むためのフォーマットがまったく携帯に届かなくなった。
きのうなぞ、10月9日分のフォーマットが届いた。


TBSにいろんなことを仕掛けてもいいけど、足元をおろそかにしないでね、楽天さん。


小泉さん、靖国へ。

朝、ワイドショーを久々に見ていたら、小泉さんが靖国神社を参拝するという速報が飛び込んできた。

やっぱりね。

靖国神社は、秋の例大祭の初日。敗戦からちょうど60年。それの節目の年に、必ず参拝すると常々公言していた小泉さんにしてみれば、国民に対して表明したことを実行するだけだし、何より、口に出したことをやって何が悪いという思いなのだろう。

郵政民営化を有権者に問うという前代未聞の独善的解散そして総選挙に勝利し、同法案はあっさり可決され、余裕綽々の小泉さん。英霊に、そのお礼でも捧げるのだろうか。

これまで5回、靖国神社を参拝している小泉さん。今年は、赤い絨毯の上を歩くことなく、本殿には入らず、玉串料もなく、一般の人に交じり、平服で参拝するとか。「一私人」を強調したいのだ。

しかし、どんな小細工をろうしても、靖国神社というひとつの宗教組織を一国の総理大臣が参拝するという、政治と宗教を分離した憲法に反することは明白だ。その画期的な判決も、つい最近、出されたばかり。なのに悠々と参拝とは、司法も軽くみられたもんだ。

NHKの電話による世論調査では、小泉さんが「靖国神社に参拝すべきだ」という人と「参拝すべきではない」とする人が拮抗している。「参拝すべき」と答えた人の、その理由の筆頭は「他国が口を出す問題ではないから」。

首相の靖国神社参拝は「他国が口を出す」問題なのだ。アジア各国を侵略した日本という組織のあり方を問う、ひとつの、大きな、問題なのだ。小泉さんの靖国参拝を「良し」とする人、靖国神社のあり方が「良い」とする人たちは、靖国神社がどんな風に「おかみの神社」として生まれたか、誰をまつって、誰をまつってないのか、それを知った方がいい。

空襲で命を落とし、原爆で瞬時にこの世からかき消え、のちに苦しみつつ帰らぬ人となった犠牲者たち。そうした戦争の被害者は「英霊」ではないから、靖国神社にはまつられていない。上野公園に犬を連れて立つ西郷隆盛もまつられてはいない。西南戦争で「官軍」に反抗したからだ。

無益な戦争の犠牲者を靖国神社は明瞭に区別している。靖国の目は「国」を向いている。戦争で犠牲となった軍人・軍属をまつっているのは「お国のためによく闘った」と、いい子いい子してるに過ぎない。

しかし、街の声の中に「日本は日本の道を行くべきだ」という旨の発言をする人が多いのにはガクゼンとする。この答えをする人たちが考える「日本の道」って、なんなの? 間違っていると異人さんに指摘されても、「ほっとけ!」と反発することなのか? 逆の立場になっていたとして、侵略されたぼくらは、「もう、完璧に忘れたよ」を言えるだろうか?

テレビのアナウンサーやキャスターの言葉も気になる。小泉さんは「自分の意志を貫いた」という言葉が乱舞する。プラスの意味としかとれないそんな言葉を使うならば、必ず「多くの人たちの心の傷を無視して」とフォローすべきだろう。映像を見ずにコメントだけを聞いていると、「信念を持った、強いリーダー」を前提に置いてしゃべっているように感じる。


などと書いている間に、小泉さんは黒塗りの車で乗りつけ、ポケットから出したさい銭を投げ、雨の中、さっさと参拝し、SPと殺到する取材陣に囲まれながら、とっとと帰っていった。このSPも、ぼくら国民が小泉さんのために雇っている。しかし、ぼくのアタマの中では、靖国神社に参拝する「一私人」を護衛するために税金を支払ったつもりはない。

一斉に特番に切り替わっていたテレビ局(テレビ東京と日本テレビは変更なし)も拍子抜けの体。しかし、この数分の小泉さんの行動が、アジア各国との外交をこんがらがったものにする。


抑圧されていた国の人々の心を逆なでするような「英霊参拝」は、いつまで続くのだろう?