番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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この秋の初めに下記のアルバムを聞き、マイケル・シェンカーにはまった。

michael schenker

Michael Schenker Group 『 Michael Schenker Group 』


自身の名前をかぶせたグループ名をそのままタイトルにした、
地味と言えば地味、工夫がないといえばない、
が、意気込みがないかと言えば、いやいや渾身のアルバム。

邦題は『 神 - 帰ってきたフライング・アロウー 』という
仰々しいものだった。

若くして「神-GOD」なんて呼ばれるのってどうなのかなぁ。

クラプトンもそうだけど、決してプラスにならないみたい。
マイケルさんはクラプトンさん以上に繊細だったらしく、
プレッシャーに耐えきれず何度も失踪を繰り返していた。

なんてことは、マイケルさんがスコーピオンズからUFO、
そして自身のグループを立ち上げたころに知っていたけれど、
その音を聞いたのは、この秋になって初めて。

で、彼がなぜ「神」と呼ばれるのか、ちょこっとだけわかった気がした。
この フライングV はすごい!

ただ指の動きが速いとか、テクニックがどうとかと言うよりも、
一音一音、ココロにしみ込む・・・・・・
HM(ヘビー・メタル/死語)のギター。

なぜか、 バタやん が頭に浮かんだ。

こりゃ、演歌のギターと同じだわ。

あぁ、70年代、せめて80年代に聞いておけばよかったわぁ。


もっと聞きたいなぁ・・・・次に仕入れたのが武道館でのライブ。


msg_live

Michael Schenker Group 『 One Night At Budokan 』


ドラムがなんとコージー・パウエル。
知らなかったなぁ。
ジャーニーマンの異名通り、いろんなバンドに参加してるのね。

このアルバムがまたいいではないかっ!

こうなったら、マイケルさんの時代をさかのぼるしかあるまい。

でも、なにを聞こうかしら?
スコーピオンズまでさかのぼるのも面倒くさいな~。

なんて、好きな音楽でもズボラは変わらず、
ぐずぐずしていたら、
マイケルさんが在籍していた頃のUFOのアルバムが
オークションに出品されているのをめ~っけ!

ここぞとばかりに一挙に入手。

んで、ここんとこ「UFO」漬けの日々。


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『 Phenomenon 』      『 No Heavy Petting 』


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『 Lights Out 』        『 Obsessin 』


ufo_live

『 Strangers in the Night 』


どれもがあまりにナイスなアルバムじゃないかっ!
あぁ、同時代に聞いていたかった。

アルバム・ジャケットのデザインは、
ピンク・フロイドの『狂気』などでおなじみの「 ヒプノシス 」。

レコード会社も力を入れていたんだなぁ。

遅まきだけど、[ UFOって、こんなバンド ]


マイケルさんがUFOに加入した74年ころ、
ぼくはディープ・パープルやクィーンなども聞いていたけど、
興味の対象がオールマン・ブラザーズ・バンドやザ・バンド、
レナード・スキナード、ニール・ヤングなど、
なぜか渋めの方にシフトしていたから、
ドイツの哀愁HMバンド(と言われていた)には
知らんふりを決め込んでいたのだった。


食わず嫌いはいかんなぁ。

反省しよ。






フライングVに染まった頭には、こんなアルバムが効く。


サンベアコンサート

Keith Jarrett 『 Sun Bear Concerts 』


静謐な緊張感が心地いい。。。。。




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ブログを開くと、トラックバックにずらりと「パーティへのお誘い」が。

おやおや、まただ。

乱れたい相手をお捜しなら別の方法もあろうに、画面に表示されている数だけ、ひとつひとつ、トラックバックをして行ったのかしら。ほんにご苦労さまなことである。

まぁ、本気で商売の対象を集めようとする人はこんな不効率なやり方を取らないハズだから、ちまちましたイタズラで自分の欲望を満たすことができる至極便利な方に違いない。


こんなトラックバックや、無遠慮な書き込み、最近多くなってきた。
いわゆる「迷惑メール」も、一日に3、40通、届く。
以前のモノは、内容もそれなりに充実し、読んでおもしろいのもあったのだけど、近ごろはあまりに退屈なモノばかり。差出人の不勉強、工夫不足としか言いようがない。

ソレとわかるタイトルや、見たこともないアドレスのメールは、即ゴミ箱へ。
開かれることもなく削除されるメールたちの哀れさよ。

しかし、こうした行為を不快に思う方も多いだろう。ブログなどを運営する側もあれこれ手だてをこうじているらしいけど、すべてを防ぐのは難しい。


ため口以下の言葉遣いで書き込まれる内容無しの放言には答える必要を覚えないけれど、たまにはお相手してもいい。消す権利はこちらにあるのだし。

ぼくはただ、社会的な生活を営むセンスすらない人なんだなぁ、お気の毒に、と思うだけ。


何度書き込んでも、トラバッてもいいよ。
ただ消すだけだから。

ご苦労さま。



インターネットを使い始めてから、もっぱらオークションや中古ショップを利用するようになったので、本やCDを定価で買ったことがない。

欲しい本やCDが決まっている場合は、書店やCD屋に足を運んで探す手間がはぶける。我が家からは、車で小一時間走らねば蔵書が充実している書店にはたどりつかないので、手軽なのはとても嬉しい。

が、中古品にお金を払っても、著者やアーティスト、作詞家、作曲家、さらには出版社など、著作権を持つ人のところへはお金は流れない。印税で身を立てている人間を身近に見知っているので、なんとなく申し訳ない心持ちになることもある。

でもね~、欲しかったモノを見つけると、思わず仕入れてしまうのよね。


で、最近、入手した「ず~っと、欲しかったモノ」。


バイトくん

 ・ 『 バイトくん 』  いしいひさいち 著 初版:1977年11月10日


学生時代、耽読した『バイトくん』。

東京を引き払うときに売り払ってから後悔の念にさいなまれ、欲しいな欲しいな手に入れたいなと思い続けてきた。
たま~にオークションなどに出るものの、当時の販売価格の10倍もの値がつけられていて、さすがに「冗談じゃない」と思って手を出さずにいた。

それが、下にあげた第2集と共に、リーズナブルな価格で出品されていた。
「今を逃しては、二度と機会は巡りくるまい!」と、気合いを入れて無事落札。

嬉しか~。

奥付の著者の名前に「石井寿一」とある。
漢字で書くと雰囲気がまったく変わるなぁ。「だれ、これ?」という感じ。

「へ~」と思いつつ改めて見てみると、『バイトくん』というタイトルの前に「4コマまんが集」という文字が。いしいさんの漫画はのちに4コマだけではなくなるが、この第1集は4コマで固められている。


デモに繰り出したバイトくんたち「安下宿共闘会議」の面々。意味不明のシュプレヒコールを繰り返す執行部派遣のリーダーをクビにし、意気揚々と叫ぶことには、

「われわれはぁ! なんか知らんけど戦うぞーぉ!」

「革命なんか、声の大きいもんの勝ちやで」

いたなぁ、こういう“自称(便乗)活動家”たち。

こんな、オロかしくも、タノしく、オカしいビンボー学生の姿を、自分や友人に投影してたっけ。

深夜、寝ているぼくの四畳半へ押し掛けて、「今、狙われてるから」と、枕元に包丁やバット、カサに炊飯器など、“護身具”を並べ、「あいつらが来たら、オレが闘っている間に逃げろ!」と、真顔で言ったヤツ。

フロもなければトイレもない。それどころか、流しもなければ窓さえない3畳間に、「一日いくら」の日払いで住んでいたヤツ。

寮生活で夏の休みに実家に帰り、9月に自分の部屋に戻ってみると緑色のカビが畳一面を覆っていて、それを「管理人さん、じゅうたんを敷いてくれたのかぁ。いい人だなぁ」と思ったヤツ。

部屋にカギがなく、いつも開けっ放しで出かけていて、知らない間に友人カップルの愛の部屋として使われていたヤツ。

就職するまで一度も掃除をしたことがなく、床にへばりついたカーペットや、ほどんどドブと化した流しに山積みの食器を残したまま大家に無断で引っ越したヤツ。

あぁ、思い出すだにおぞましい、でも、思い出すとついつい笑ってしまう妙なことをやっていた彼らも、今や社会の中核となっている。


バイトくん2

 ・ 『 バイトくん2 』 初版:1979年2月20日


第一巻の1年半もたたずに出た第二巻。
「東淀川ひん民共和国」というサブタイトルがついた。

4コマをベースに、ときに8コマ、16コマも。人気が出てきて煮詰まり気味で、起承転結を4コマで表すことが難しくなっていたのかも。

いしいさんは、映画にもなった『がんばれ!! タブチくん!!』でホントの人気漫画家の仲間入りを果たす。
でも、タブチくんも大好きだけど、ぼくはやっぱり「バイトくん」だな。

そう言えば、5、6年前、スタジオジブリが『となりの山田くん』を映画にしたのには驚いたなぁ。ぼくは見ていないけど、おもしろかったのかしら?

 → 『ホーホケキョ となりの山田くん』




人は獣に及ばず

 ・ 『人は獣に及ばず』 中野好夫 著 初版:1982年6月8日


この本を手にしたとき、ぼくはすでに社会人を経て、プータローになっていた。
中野好夫という人のことは、ほとんど知らなかった。本のタイトルにひかれ、読んでみようと思ったんだった。

会社を辞めてはみたものの、辞めた次の日から、起きてから寝るまで、することがなにもない日々が続いた。

それはそうだ。

「なにかをしたい」という確信犯として飛び出したのじゃなく、「なにをしていいかわからない」からひとまず会社でも辞めてみるかという、単なる若気の至りだったのだから。

あれから20年以上ぶりに読んで、タイトルの由来を改めて知った。
あのころ、ぼくの心をひいた「人は獣に及ばず」というのは、江戸時代の絵師かつ蘭学者、司馬江漢の言葉だそうだ。

と言っても、それが誰だか、知らないけれど。

 → 司馬江漢(Wikipedia)

オランダのことに詳しかった(ということは、鎖国日本にあって、世界に目が向いていたということかな)司馬江漢は、「オランダ人は人類にあらず。獣の類なり」と揶揄した相手に向かい、即座に「人は獣に及ばず」と一蹴したそうな。

これは、この書『人は獣に及ばず』の冒頭に書いてあること。完全に忘れてた。

獣に及ばない人間たちが目立つ最近だ。
きょうから、ぽつぽつ、読み返すかな。




朝、テレビのチャンネルをくるくるかえていたら、あちこちのワイドショーで皇室の系図が。皇室典範をどう変えるかの問題。

有識者(妙な言葉!)会議は「第一子を継承者に」という意見でまとまったようだけど、それに対して、「神代の昔から男系で通してきてる天皇家のあり方を変えるのはいかがなものか」という疑問・反論が出ているという。

「女帝」は許しても、「女系」はダメだというのね。

「女系」のなにが悪いのかしら? 別にどっちでもいいじゃんか。

そう思いながら画面に登場する人たちのコメントを聞いていた。
愛子さんが「天皇」になるのはOK。でも、彼女のお子さんが即位するのは「男系」を連綿として守り続けてきた天皇家、ひいては日本の歴史が許さないということらしい。

別に神代の昔からぼくら庶民が天皇家を慕い、尊敬し、その家系を守ろうとしてきたわけではないと思うし、南北朝の混乱などで「万世一系」かどうかもよくわからない家系にこだわる必要はないとぼくは思うのだけど、「家」にこだわる人にとってはそうではないらしい。

「男系」を主張する人も、天皇家には40年間、男子が生まれていない事実は変えられない。ゆえに、旧宮家を再興させるという力わざを使おうと主張する人も出てきた。戦後、占領軍によって庶民へと「落とされ」た旧宮家には、現在、11人の「男系男子」がいるのだそうな。

いろんな意見が出る中で、おもしろかったのは自らも旧宮家の「男系男子」11人のうちのひとりである30歳男性の言葉。

「ぼくらは天皇家の“血のスペア”として存在している。その責任を負わねば」

そんな内容だった。
“血のスペア”という言い方もすごいけど、それを責任と考え、意識せねばならないと思うところがまたすごい。

「男系」にこだわり、旧宮家を復活させるとこの方にも皇位継承権が生じる。もし皇位がめぐってきたらという質問に対しては、「おそれおおくて、想像できない」とのこと。もし、ぼくが彼の立場なら、即「イヤです」と答えるんだけどな。

国民が愛着を持つかどうかは置いておくとしても、皇室の、しかも天皇を継がねばならない運命にある人間ほど自由のない人がいるだろうか?

これは、聞いた話。
小学生(中学生だったかもしれない)のころ、巨人のファンだった皇太子は、時々、テレビで応援していたそうな。で、ある時間が来ると、皇太子は侍従に、「試合の結果は、あしたの朝、教えてくださいね」と頼んで寝室へ行くんだそうな。

この話を聞いたとき、思った。

皇太子って、野球の結果がわかるまで起きてちゃいけないんだなぁ。。。。
よかった、庶民で。よっぴいて起きていられる自由があるもの。


今回の「女帝騒動」も、皇室典範に関する有識者の答申があっさり出されたのも、その面影が皇太子そっくりの愛子さんを未来の天皇として育てるためには一時も早く帝王学を学ばせねばという焦りからだし。

愛子ちゃん、あな、お気の毒。。。。

ところで、愛子さんに帝王学を!と、焦っているのはだれなの?
宮内庁? 政府? それとも国民?



051121秋だぁ。。。


夕方、冊子小包が二個、届いた。

ひとつはオークションで落札したものだったけど、もうひとつは頼んだ覚えのない書籍。どちらも同じ札幌の古本屋さんからのもので、同封されてた郵便局用の払込用紙にもしっかりぼくの名前が印字されている。

でも、頼んだ覚えはないよ?

その古本屋さんに電話をしてみると、バイトらしき女の子を通して店主らしきおじさんが出た。

「あの~、注文していない本が届いたんですけど」

そう切り出し、その本の書名を言うと、そのおじさん、ごく落ち着いた声で、

「なるほど、確かに頼まれてませんな。こちらが間違えて送ったんですなぁ」。

あらら。そんなにあっさり認められると・・・・・・・拍子抜けなんですけど。

学生時代にちょくちょく歩いた古本屋街の、とある書店。
天井まで本を積み上げた奥に座り、ずり落ちたメガネ越しにジロリとこちらを見ていたおじさんの顔が脳裏に浮かんだ。

古本屋は、今、男性、特に中年おやぢが憧れる職業だそうだ。
本に囲まれて、儲かっているかいないかなどにはまるで無関心な風情で、ひがな好きな本を読みつつ座っている。そんなイメージがあるからかしら。

その通りなら、ぼくもやってみたいなぁ。
でも、そうじゃないらしい。

知人に大学の正門近辺で古本屋を開いている人がいる。彼に言わせると、売れるのは「教科書とエッチな本」だけだそうだ。


若者が本を読まなくなったと言われて久しい。

♪ ぼくらの名前をおぼえてほしい
♪ 戦争を知らない子どもたちさ

と、ノンポリを売りにしていたぼくらの学生時代、すでにおとなたちから「本もろく読まずに髪ばかり伸ばして・・・・・」と嘆息されていた。そんなぼくらより、活字に親しまなくなったというのだから、ほんとに読まなくなったんだろう。

若いうちに可能な限り本を読め、頭の柔らかいうちにギッシリ叩き込め、それがのちのち役に立つ。そう言う人もいるけれど、それってホントかなぁ。ほとんどなんにも叩き込んでない頭で今さら考えてみても答えは出ないけど、学生時代に読んで心に残っている本って数えるくらいしかない。

ぼくが本を読みたいと思い、実際に読み始めたと言えるのは30代になってから。興味の方向性がちょっとだけ見えたと思ったのかもしれない。

「あぁ、今から大学へ行けたら、勉強するのになぁ」

と、ちらりと思い、編入試験の資料を取り寄せたこともある。でも、やはりそこまで。「学ぶこと」が好きでないと続かない。



札幌の古本屋さんから間違って送ってきたのは『折口信夫全集 第25巻』。
書名を見て、「おぉ!」と思った。

折口信夫さんは、ぼくが卒業した高校の校歌を作詞している。
それは、こんな内容。

一.筑紫の国の 国の崎 とほく霞みて、海に入る
  遠賀の水門も 望むべし 目翳をかざせ 汐境
  響灘 玄海の波 澄みわたる 朝の幻
  馴れ馴れて 海の若人
  吾こそは 洋の独り子 吾らかく 若々し
  身は健かに 気宇ひろく 筑紫の海の如 あらむ

二.大獅子吼して 汽車来る 遠賀川橋 驀地に
   汽罐は晝を鳴りわたる 折尾の空に 聳るもの
   青嵐 丘をめぐりて すがすがし わが学校
   若き日の 代々の先輩
   年を経し わが伝統 吾らかく 勤しめり
   心ただしく 才高く 筑紫の山の如 あらむ

三.ここに日本はじまれる 筑紫に 吾等生れあひ
    ああ言ひ知らぬ 誇らしさ 鉱坑にとどろくもの声は
    甦り来る 国の音 さ夜深き 皿倉おろし
   ともし火を 高くかかげよ
   あきらかに わが道を見む われらかく さやかなり
   智慧明らかに 認識よく 筑紫の空の如 あらむ

各歌詞のラストに、

「よきかな某筑 うるわしく 某筑 某筑 寛かなれ ああ 某筑」

というリフレインが入るこの校歌、あらためて読むとさすがに気品はあるが、難しい。読めない漢字がいっぱいある・・・・・・・。

これを歌うとめちゃくちゃ長い。あまりに長くて、高校時代は一番しか歌ったことがない。三番まであることを知ったのは、つい数年前に開かれた全卒業生対象の同窓会に出席したとき。ちゃんと歌えた卒業生はいなかったに違いない。

母校が甲子園に出て、なんと勝利し、スタンドでこの校歌を聞いたときは嬉しかった。でも、球場に流れるカラオケに合わせて歌っていたら、妙にあっさりと終わってしまった。一番だけでも長いので、歌詞が中抜きされていたのだった。

「全部歌わせろぉ!」

スタンドでぶーぶー言ったのが懐かしいな。


そう言えば、折口信夫さんをぼくはずっと「のぶお」さんだと思っていた。
「しのぶ」さんだというのを知ったのはいつだったかしら?



九州国立博物館へ行く。

開館は9時半。到着、10時15分。が、駐車場はもう満車。
で、「民間駐車場」(と、警備の人がおっしゃった)へ。
家族らしきおじさん、おばさん&娘っ子の三人が
満面の笑みで迎えてくれた。
一日停めて500円。
30台も入れば、いい小遣いになりますね。

博物館までは歩いて10分。
ひっきりなしに観光バスがやってくる。
10月16日にオープンしてから一ヶ月。
まだまだ人気があるのねぇ。


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朝日がまぶしい。


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やっぱり、飾り山笠がお出迎え。


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うわぁ、超満員。。。。



展示室内は写真を撮れず。
ま、当然。しかし、あまりの人に展示品が見えず。
小さなおばさんがぴょんぴょん跳んだり。お気の毒。

巨大な「ポルトガル船来港の図」を眺めていると、
大学生らしき女の子が、

「あ、ペリー! ペリーがおる!」。

ガクッときていると、友だちが追い打ち。

「なん言いよるん。ザビエルやん!」。

あぁ、教育って何かしら?

でも、ぼくも「あ、カステラの絵だ」と思ったから同じかな。

展示されている物は、日本のあちらこちらに、韓国、中国、
さらには東南アジアなどからの貸し出し品も含めて、
さすがに素晴らしい。

でも、正直言うと、盛り込みすぎ?
オープニングだから力が入っているのはわかるけど。

とにかく、3、4時間ではとても鑑賞しきれないほどのボリューム。

半年くらいたって、お客さんが一段落してからまた来よう。






博物館を出て、ひさしぶりに太宰府天満宮へ。


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天神様も盛況。


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太宰府に流された菅原道真公を慕って飛んできた「飛梅」も、
春までしばし休眠中。


境内で、菊の展示会が開かれていた。


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あぁ、きれい。
でも、菊って、たくさん種類があるんだなぁ。


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ボーリングのボール大。大きすぎてちょっとコワいかも。


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これまたデカ! 大きすぎて、花びらも支えてあげないとダメなのね。


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線香花火たくさん。パチパチパチン。


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こちらは大きなしだれ花火。これも菊?


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「文部科学大臣賞」授賞の、丹精の菊。


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菊を見守る狛犬さん。妙に目玉が大きいぞ?


境内では、大道芸人のお兄さんも店開き。

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まずは皿回し。わぁ、じょうずじょうず!!


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そして、大道芸といえば、こちら。

♪ さて、さて、さてさてさてさて。さても南京玉すだれ ♪

このお兄さん、実は、脱サラの大道芸人さん。
数年前、ある番組に出ていただいたことがある。

あのころは口上もかんでいたのに・・・・。
ずっとがんばっていたんだなぁと、ちょっと感激。

芸って磨けば光るのね。


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雲が多めだけど、とてもきれいな秋の空。


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秋の陽差しに、境内の石畳に映るワタクシ。




旅から戻ったら、コタツが鎮座ましましていた。

いつのまにやら、もう11月も中旬。秋深しと言うより、本格的な冬への助走が始まったという感じ。出先の街も寒くて、昨年の夏、沖縄で買った米軍払い下げの迷彩ジャケットが実に重宝した。

真夏の沖縄で手に入れた、防寒ばっちりの迷彩ジャケット。
冬なお暖かい沖縄で、それも夏に暖房用の衣服を買うというのも妙だけど、機械第一の編集室はギンギンに冷えていて、上着を忘れたぼくはこごえてしまいそうだったのだ。で、国際通りの衣料店で購入。

沖縄を訪れる観光客の大半が足を運ぶという国際通り。ジャケットを入手する前にぼくが訪ねたのは学生のころだから、四半世紀ぶりだった。

あのころの国際通りは、でこぼこ道の両脇に素朴で地味なお店が並んでいた。今は、観光客だけを相手にしている店ばかりで、良くも悪くも“沖縄”が売り。本土資本も大量に投入されているのだろうが、三越が店開きしているのにはびっくり。三越で中国製の沖縄土産を買うのもなんだかなぁ・・・・・と思ったっけ。


しかし、コタツというのはいいなぁ。
まだ電源は入れず、コタツ布団をかけているだけだけど、足を入れるとなんとなくぬくぬく。あぁ、出たくなくなる、お尻が重くなる。

朝、ほんのちょっとあったまるつもりだったのが、いつの間にやらお昼になってしまったわ。

さっきまで、日だまりでうとうとしていたネコ助。日がかげると、のそのそ、ぼくのひざにのぼって丸くなった。


051117-1「あぁ、ぬくぬく」



ロシアンブルーは寒さに強いらしいのに、こやつはだめ。コタツをつけると、中に入ったまま出てこないし。

でもまぁ、ひざの重みがここちいい。

しかし、そろそろ足がしびれてきたぞ。

あの、ちょっと足を組み替えてもよろしいやろか?

「ベッドは動いちゃアカン」

・・・・・・・へい。







んで、起きたら暴れるし。

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うらやましいのぉ。


旅から帰宅。一週間近くになると、やっぱ長い。

ビジネスホテルは室温が一定に保ってあるようで、かけぶとん一枚でも寒くはないのだけれど、ふとんの重みを愛するぼくには軽すぎて、どうも眠った気がしない。

編集作業は、オンエアという締め切りが決められているのでどうしても一日の作業時間が長くなる。テレビは映像と音声が生命なので、構成台本上ではおもしろくても、実は編集してつないでみないとわからない。

結局、編集しては見直し、映像やインタビューを入れ替えたり、削ったり、追加したりして再度編集となる。再編集一回で「OK」と思えるほどにおもしろくなることはまずないので、さらに、入れ替え、削り、追加しての作業の繰り返し。

「これでいいかな」

ディレクター氏や編集マンなどスタッフが納得したモノをプロデューサが見る。そして、たいていの場合、「これじゃ、アカン」とダメ出しがでる。で、再度編集のやり直し。ホテル戻りは午前3時か4時となる。

普段は6時に起きている朝型のぼくは、4時に寝ても6時にはなぜかパッチリ目が覚めてしまい、もう一度眠ることがなかなかできない。仕事開始の時間まで、ボケた頭で朝のニュースやワイドショーを眺める日々。おかげで、新聞も読まないのに、「母親毒殺をはかった女子高校生」や「幼なじみ女子高生を刺し殺した思い込みの16歳」、「きょうから“黒田”清子」なんて世間の動きにはめっぽう詳しくなった。

母親を猛毒の薬品で殺害しようとしたとされる女子高生。まだ「被疑者」のはずなのに、ワイドショーでは完全に「犯人」として物語が進む。リポーターの報告も、スタジオのコメントも「○○と思われます」「××かもしれません」のオンパレード。推測でものを言っていいのなら、シロウトでもコメンテーターになれまっせ。

女子高生が犯人でなかったら、どう責任をとるつもりなんだろう?
ま、この程度でテレビが責任をとったためしなんて、ないもんな。

「ブログの功罪」なんて、2、3分のやりとりでは結論も出ようはずがないテーマもやり玉にあがり、尻切れトンボのまま次の芸能ニュースへ。「母親毒殺未遂」から「安達祐実の出来ちゃった婚」なんかによく移れるな。ワイドショーの司会者連中や内容を決めるディレクター、構成者たちは、スイッチのオン・オフみたいに感情が切り替えられるに違いない。

安達祐実がご懐妊しようと、「ガキがガキ産んでどうすんだ?」程度の関心しかぼくにはないけれど。


ワイドショーの「黒田清子さん」。
テレビ局もここまで横並びじゃなくてもいいだろう、いつまで続けてやってんだ、もうハラいっぱいだよ。「とってもお似合いのカップルですねぇ」なんて。式を挙げる頃は、のちにケンカ別れするふたりだって「お似合い」に決まってるんだよ。

ぼくは、美人でもなく、気の利いた発言もせず、24時間アルカイックスマイル状態の「清子さん」にかなりな好感を持っているけれど、持ちあげに持ちあげておいて、どうせあとは知らんぷりをするマスコミの扱い方には「ムカ」っとくるな。

しかし、一億円以上の持参金を背負って嫁に来る「庶民」なんて、いませんぜ。



ひさびさに我がブログに来てみると、ず~っと書き込みなしにもかかわらず結構な数のアクセスが。その7割方が「***.inktomisearch.com」さん。検索ロボットらしい。

検索ロボットが何なのか、さっぱりわからないけど、無人の部屋に一日に40回も50回も訪ねていただいて、恐縮の極みですわ。御苦労さまです。


しかし、眠い。
旅に持って行った服の洗濯も終わったし、朝から惰眠をむさぼるかな。




朝のワイドショーを見ていて、思わず泣けた。
本田美奈子さんの葬儀。

ぼくはファンではないけれど、一般オーディションからミュージカル主演の座を獲得したことは知っていた。芸能生活をアイドルからスタートし、その後も自分自身の道を切り開いていける人はとても少ない。大半が線香花火のように消えていく。

テレビに露出することだけが「活躍」ではない。だが、ぼくらは、テレビの画面に顔が出ていないと、「あの人は今?」的な発想をしてしまう。

そんな世界に生きつつ、違うフィールドへと自分の可能性を追求するのはとても勇気がいることだ。だから、「あぁ、がんばりやさんなんだなぁ」と感じていたし、その彼女が白血病に冒され、闘病生活をおくっていることも知っていた。

しかし、発病から一年あまりで世を去ってしまうとは・・・・・。

最近は骨髄移植や臍帯血治療で、白血病もかなりの確率で治癒するようになってきた。それでもダメな時がやはりあるのだ。


人は生まれたときから死にはじめている。だから、死に至る病にとりつかれたからといってオロオロすることは、本当はおかしなこと。病気ばかりではない。事故などの突発的な出来事もある。死はどこにでも転がっているのだ。

しかし、かなりの割合で命を落とす病に冒されたとき、否が応でも死を意識せねばならない状況に置かれたとき、ぼくはどんな気持ちでいるだろう?

本田さんは復帰を目指し、無菌室の中で発声練習をしたり、体を鍛えたりしていたという。抗ガン剤の影響で髪が抜けた頭には、毎日違う色のバンダナを巻き、自分のおしゃれのひとつにしていたそうだ。

死を意識せざるを得ない病に立ち向かうその勇気も、「いつか、また舞台に」という強い願いがあったから。でも、その「いつか」が、彼女にはもうなくなってしまった。未来は永久に閉ざされてしまったのだ。

「いつか」が、消える。
「いつか」は、もう二度ともどってこない。
死とはやはり残酷だ。


死は「立ち向かう」ものだろうか? それとも「受け入れる」ことなのか?

知人のお母さんはガンに冒され、ホスピスに入っていた。死をむかえるのを前提とした場所に身を置く。それは、どんなにつらいことだろう。ぼくはそう思っていた。

でも、お母さんはこう話した。

「ガンってとてもいい病気なのよ。振り返る時間がとれるから、いろんなことを考えたり想い出したり。気持ちの整理もできるし。だから、ちっともつらくありませんよ」

その言葉は、人生の終わりを間近にした人の諦念ではなかった。次の世界の自分へとジャンプするかのような、明るさと柔らかさに満ちていた。自分の心に何が浮かぶかという期待までがあったように感じた。

心筋梗塞や脳溢血などの、突然死をむかえる病ではなかったことに感謝するとも語っていたお母さんは、自分の死までの残された時間、それがどんなに有益かをぼくらに教えてくれて、眠りについた。


そうかもしれない。突然世を去ってしまうと、自分の人生をいとおしく振り返ることもできない。生きてきたあかしを、実感を感じることなく、ブツリと幕を閉じるのはさびしいことかもしれない。

でも、死を意識することなく、できれば苦しむことなくあの世へ行きたいと思っている臆病者のぼくは、知人のお母さんのような思いにはとてもなれそうにない。


ぼくは、今のところ健康。
人生の幕は、どこでぼくを待っているんだろうか?


仕事、進まず。

ふとONした夜のニュースで、「トリインフルエンザ、流行のきざし」とな。

--ヒトに感染すると、またたくまに全世界に広がるだろう。患者は2億人。

--日本では、4人にひとりが感染し、そのうち、17万人死亡・・・・・。


おぉ、コワぁい。スペイン風邪の再来か?


文明の度合い(って何かしら?)が高くなるにつれ、ヒトの免疫力は弱くなっているらしい。弱肉強食、自然淘汰は命あるものの運命ではあるけれど、ヒトはその真理を曲げてきた。そのツケが我が身に降りかかるのも、また運命?

でも、そんな運命って、イヤだなぁ。

DNAの型がわかれば、ワクチンを作ることは可能だとか。でも、その新薬が人々に行き渡るまでに、新型のウィルスは全世界のすみからすみまで、ずずずぃ~っとはびこるとか。

文明度の低いウィルス君は、寒さにも暑さにも強い。
カラダの弱い我々は、せめてスキをみせないように、ウガイと手洗いで対抗しようか。


ネコ助が座布団の上で丸くなっている。
おぉ、きょうはちょっと冷えるぞぉ。



旅から戻ってみれば、なんと我が誕生日。

この歳になると、さすがに感慨深いものがあるなぁ・・・・・・。

というのは、嘘っぱち。

きのうは旅先で、「あ、あしたは誕生日じゃん」と思っていたのだけど、当日になったら忘れていて、お昼前、義理のお母さんからの携帯メールで思い出したのだった。

う~む、80を過ぎた女性からの「おめでとメール」で自分の誕生日を思い出すのなんだかなぁ。でも、この年齢で携帯メールを使いこなすのはすごい。ぼくもそうありたいもんである。


遠い昔。
はたちの誕生日を、ぼくは四国の瀬戸内海側を走る夜行列車の中で迎えた。

「オレ、ここでなにしてんだろ?」

時計が零時をこえ、“おとな”になったとき、そう思ったことを覚えてる。


そのころは、「おとなって、なにを考えてんだろう?」と考えることが多々あったけど、最近、その解答を得た気がする。

はたちの自分には、こう言うしかないな。

「わりぃ、同じこと、考えてるわ」


あぁ、成長ってなんなのかしら?


ま、いっか。


「そ、ぺろん」



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