番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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武蔵がボブ・サップに、ぼかすか、やられている。

ただ今、大晦日の午後9時20分。

年賀状を書きながら「紅白歌合戦」を見るともなくつけていたけれど、みのさん、どうも苦手。元気な声としゃべるその内容が、耳に粘りつく。みのさんが司会をしている番組、それぞれ一度くらいは見たことがあるのだけど、続けて見たくなることがないのは、その声と言い回しかな、やっぱり。

で、チャンネルをかえた。PRIDEの「小川 VS 吉田」、「柔道先輩 VS 後輩」対決も見たいのだけど、こちらは5時間以上続くという、見る方の体力を無視した何を考えているのかワカラン番組。冒頭をちらりと見たら、小池栄子さんを中心に、きちんとしゃべれない娘っ子ばかりのMC陣にイヤ気がさした。

なのでPRIDEはHDレコーダーにまるごと録画中。
ヒマなときに、見たい試合だけをつまみ見しよう。



いろんなことがあった2005年もきょうでサヨナラ。


午前中、今日の夕餉とあすの食卓分を買いにスーパーへ。きのうに輪をかけた買い物客の多さに恐れおののく。なんか、超満員の美術館みたいで、ぞろぞろ、流れにそって、みんなそろって歩かねばならん。

カートを押しながら、前の人にぶつからないよう、ちょこちょこ歩いていると、後ろのおじさんがあきれたようにこう言った。

「博多の人は、ほんとに正月が好きだねぇ」

おじさん、おじさん、ここは「博多」じゃないがね。車で1時間近く離れてるしぃ。

でも、他の都道府県の人にしてみれば、北九州も、博多も、筑豊も、筑後も、みんな同じだよね。「九州弁」なんて曖昧な言葉が通用するんだからさ。

それにしても、博多の人って正月が好きってホントなのかしら?


ぞろりぞろりと歩いていって、最後の売り場は、年末年始特別安売りコーナー。タラバガニやエビがごろごろ。

あらっ!! 尾頭付きの巨大エビ、魚売り場よりこっちの方が安いでないかい!

見たところ同サイズのエビが、こちらは3匹=1,000円。それが、さっき魚売り場でカートに入れた3匹パックは1,280円だった。う~む、コーヒー一杯に届かない違いとは言え、なんとなくハラが立つ。流れの出口で売るとは反則じゃぁ。

でも、この人波をさかのぼる気力はないや。

購入したエビは「東イリアン」産。イリアンって聞いたことあるけど、どこだっけ? インドネシアの方だったかな?

生産地の表示が義務づけられたから、特に水産物コーナーは地図帳を開かなきゃその位置がわからない国々が並ぶ多国籍コーナーと化している。小中学生が地理と社会、ついでに経済の勉強をする場にぴったりじゃなかろうか?

あした、元旦は「東イリアン」からやってきたエビを焼いて、雑煮と一緒にいただきましょうか。



しかし、どうして「正月」を祝い、「新年」で改まるのだろう。

大晦日の様子を伝えるニュースで、町ゆくおじさんは「いやな出来事を忘れて、気持ちを入れかえて出直さなきゃ」。

「気持ちを入れかえ」なきゃ、やってけないよね。

生まれて死ぬまで、時間は一直線に流れるだけ。行ったり来たりはしないし、さかのぼることもあり得ない。だから、リセットするチャンスを強制的に作らないと、生きていくことに耐えきれなくなるのかも。

でも、そんなことをするのは人間だけだね。

ネコ助は、コタツで丸くなったまま新年を迎える。コイツには、入れかえなけりゃやって行けない出来事を体験することなどないのだな。コイツは次の世に旅立つそのときまで、生まれたままのココロで生きていく。

ココロがあるのはニンゲンだけだって言うけど、そりゃニンゲン側の傲慢だろう。ネコ助にだってココロはあるさ。ぼくの顔を見て嬉しそうに話しかけるときもあるし、うらめし気にそっぽを向くこともある。「それは本能よ」としてココロと分けるのは、ニンゲンが「我こそイチバン!」と言いたいだけじゃないのかな?


と、書いていると「紅白」で「ゴリエちゃん」の『 Pecori Night 』が始まった。噂には聞くが、ゴリエちゃんの歌を実際に聞くのは初めてじゃ。

どれどれ、凝視。

ん? お~、このメロディはぁ?? 

懐かしのタータンチェック、“べいしてぃ・ろーらーず”の『 Saturday Night 』ではないかっ! そっか、替え歌なのね。でも、ゴリエちゃんの歌声、ちっとも聞こえないし。

でも、大人数のチア・ガールとの踊りは見事にシンクロしている。
おぉ、かなりな見応え! パチパチパチ! これで紅組はグンとリードかっ?

ま、紅白、どっちが勝とうがど~でもいいと言えばいいのだが、NHKの有働アナウンサーが紅組担当の司会をやったとき、ゲスト審査員の票がゼロだったことがあったっけ。

なにも入っていないカゴを覗いた瞬間、有働さんはアタマが真っ白になったそうだけど、そりゃそうだろうなぁ。やっぱり「勝ちたい!」と思うだろうし。白組の阿部アナウンサーが勝利して泣いたのは、もう少し前だったかしら?

う~む、結構きちんと「紅白」を見ているなぁ。我ながら、情けなくも感心しきり。


2005年も、もうちょっとで終わりだ。


ぼくは、山にのぼって初日の出を「ご来光」と仰ぐような、正月に区切りを求めるタイプじゃない。どっちかと言えば、ずるずるべったりと時を過ごしていくネコ助に近いから、「正月だからって、365分の1日に過ぎんやんか。なんでみんな一緒に『明けまして』をせなならんねん。時の区切りは自分でつけるわい」などと、中高生のようなことを実は今でも思わなくもない。

人々が互いに作用し、社会として有機的に動いていくためには、総体としての決まり事・慣習が不可欠。それに対して「フン」という態度をとるのはよろしくないし、あまり意味のあることでもない。潤滑油として必要だから、長い時間の中から生まれ、残ってきたもの。それには、やはり敬意を払わねば。

でも、別にめでたくは感じないのは仕方ないわな。


ポルノグラフィティの『ジョバイロ』が始まった。うん、いい曲。

でも、いつの間にやらふたり組になっとるな。知らなかった。どうやら去年の夏前後にベースが脱退したらしい。しかし、岡野昭仁さんのボーカルがあれば「ポルノ」は不滅かな。


お~っと、ボビーと曙の試合がゴング!

しかしまぁ、ひで~マッチメイクだなぁ。曙にとっては勝っても負けても得るものナイじゃん。客寄せパンダから復活しろ、曙っ!

でも、曙ちゃん、腹がぷるぷる。
格闘家を続けるのなら、もう少しダイエットした方がいいんじゃない?



あぁ、無為の2005年が更けていくぅ・・・・・・・。



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年も明けてないのに「明けまして」というのはどうもイヤ。
かと言って、年明け早々、机にへばりついて返事を書き続けるのもイヤ。

どうすんべかなぁ・・・・・・・

と思っているうちに時間はとっとと過ぎて、きょうは早くも大晦日イブ。んじゃ、そろそろ準備にかかろうかな。

さて、まずは住所録をプリントアウトせねば。

ぼくは、あわれ生産中止になったソニーのPDA「CLIE/クリエ」の住所録をデータベースとして使っている。しかし、ここのところほとんど使わなくなったので、クリエは机の隅っこでほこりをかぶったまんまだ。

スイッチを入れても反応しない。バッテリーが放電してしまったんだ。

AC電源でつなぐと画面があらわれた。
が、これは????

初期設定の画面ではないかっ! データがすべて消えている!

バッテリーが切れても、通常、データは残ってるのに、あまりにほったらかしにしておいたからクリエもアタマにきたのかしらん?

ま、以前もこういうことがあり、パソコン本体のデータを書き込んで事なきを得たことがあったから、まぁ、いっか。

と、そう思ったとたん、顔から血の気が引くのがわかった。

先代パソコンは、この秋に逝去したんだった!!!

ほとんど立ち上がらなくなっていたころ、だましだまし、なだめすかして仕事やメールのデータをコピーしたところで息絶えたんだった。そのとき、クリエのデータなんか、アタマにまったくなかった!

先代パソコンは、まだ部屋にある。祈る気持ちで電源をONしても、やっぱりうんともすんとも言わん。

あ~らら、どうしよ? 住所録が消えちゃった。

3年ほど前にエクセルで作った住所録は、仕事のファイルの中にあったので、先代パソコンから移行するときに生き残っている。しかし、このデータを基に、友人知人の住所や所属部署その他の変更をどんどん入れていったのがクリエの住所録だったんだ。

ためしに3年前の住所録を見てみると・・・・・・転居や異動になった人たちがちらりほらりとかなりいる。「あぁ、彼は転勤になったんだっけ」「彼女は引っ越したんだよな」ということはわかるけど、「どこへ?」はわからない。

この3年間に知り合った人たちや、久々に巡り逢った友人たちのデータは当然入っていない。

う~ん、困った困った困ったぞぉ。
3年前の住所録を駆使し、出せる相手だけは出しておいて、あとは届いた年賀状に返事を出すことでいいとしようか。それしか方法はないかなぁ。

ひとまず、年賀状の中味だけ、パソコンで作っとこ。


大事なデータはプリントアウトしておくか、CD-Rにでもコピーしておかないとアカンという基本的なことに、こんなせっぱ詰まった時期に思い知らされるとは。


新品状態に戻ったクリエくん、どうしようかな。



師走もおしせまり、ほんにあわただしい。

家の中にいると常のように日常なんだけど、スーパーへ買物なんぞに行こうものなら、時の流れのあわただしさに巻き込まれる。普通の買物ができない状態だ。

まず第一に、着ぶくれたオヤジたちがやたらと多い。食品売り場が、どことなくソワソワざわざわした感じ。それでも、お手伝いになっていればいいのだけれど、カートを押すでもなく、奥さまのあとを腕を組んで歩くだけ。

自宅でゴロゴロしていた方が、疲れがとれていいんじゃないですか?
あ、そっか、運転係、アッシー君なのね。

運転で思い出したけど、朝夕の駅前。お送り、お迎えの車で混むのだけれど、いつも妙に思うことがある。運転席から飛び出して、脱兎のごとく駅の階段をのぼって行くオヤジさん。エンジンをかけたまま階段の下に放置された車の助手席からは奥さまらしき女性が降りてきて、運転席に乗り換えて、車を走らせ去って行く。

それだったら、奥さまの運転で送ってもらえばいいんでないかい?

同様に、お迎車の中にも、運転してきた奥さまは助手席へ移り、電車から降りてきたオヤジさんが運転して帰る姿がちらほら。奥さまって、車運び係かい? 夫婦って、よくワカランな~。


話を戻そう。

あわただしさ、その2。

きょうは魚でも焼こうかなと鮮魚売り場をのぞいたら、ブリ、ブリ、ブリ、ブリ、ブリだらけ。いくら新春を祝う出世魚とは言え、ちょっと売り場面積、大きすぎない? 他の魚はどこなのさ? 丸ごとや切り身のブリが占拠した場所以外には、エビ、エビ、エビの大行列。他にはホタテの貝柱に、めでタイ鯛やマグロが数匹。

アジやサバを探したが見あたらない。きょろきょろ探したら、売り場のすみに、おぉ、アジが横たわってる! と、思いきや、一本釣りの、言ってみれば「関アジ、関サバ」的見事な魚体。釣ってすぐ骨を折ってシメてあるから、みんな顔を上に向けている。うまそ~、だけど、値段も見事。

売り物であわただしさを演出しなくてもいいんじゃない?
それに、みんなして同じモノを食べなくてもいいと思うんですけど。

でも、カートにブリやエビなどを山盛り乗せている奥さまたちがごく多し。オヤジは後ろでなんとなく苦い顔。正月はブリ、ブリ、ブリ、ときにエビ、そしてまたまたブリ、ブリ、ブリと続くのかなぁ。


葉っぱ物も年末価格なのか、迎春価格なのか、普段よりグンと高め。98円だったカツオ菜が、なんで300円近くもするのさぁ。確かにここらあたりでは雑煮にカツオ菜を入れることが多いけどさ。それでもあまりにあまりでしょ。

しゃーない。「積雪にて入荷激減」と書いてあることを信じるか。

今年いっぱいはフツーの食事をしたいんだけど、魚介類ではもうムリかしら。

あぁ、アジを焼いて食べたかったわぁ。



今朝は冷えた、寒かったぁ~。

駐車場に行ったら、車が凍てついていた。


窓ガラスが真っ白に氷っている。
フロントも、ドアも、磨りガラスになったかのよう。

窓ガラスだけじゃない。屋根にも、ボンネットにも、白い霜がびっしり。
触れると、ぴりっと、痛い。危ない、指先の皮膚がはぎとられるとこだった。

飛び上がるように冷たい運転席に座ったら、四方八方真っ白。外がまったく見えない。あれれ、これじゃぁ、車を出せないや。

こんなときのために車に積んでいた2リットルの水入りペットボトルを取り出して、フロントガラスにジャーッと注いだ・・・・・・つもりだったのだけど、ボトルからは何にも出てこない。

ん? え?! ペットボトルの水が氷っとる! こんなの、初めてだ。

ウィンドウォッシャー液も噴出口がこおりついたのか出てこない。


借りている駐車場は、住宅街のちっちゃな空き地。コンクリートが打ってあるわけでもない。いずれは家を建てるつもりだけど、それまで放っておくのももったいないから、駐車場にでもしておくかという感じのところ。

昨夜から今朝にかけての放射冷却で急速に冷えていった大地。そこにじかに接地していた車も一緒に凍りついたのかしら。


結局、エンジンをかけ、ガラスがあたたまって霜と氷が自然と溶けるまで待つハメに。北国の人たちにすれば日常茶飯事、笑えるほどのことなのだろうけど、いやいや驚いた。


今度から、冷え込んだ朝には、ヤカンにお湯を沸かして持って行かなきゃ。



トラックバックにずらりと“エロへのお誘い”が。

ぼくが表示できるよう設定している8件、全部、同じ内容。
一件一件、トラバッていったのかしら? まぁまぁ、ご苦労さんだこと。

でも、アホやろ、お前。

トラックバックした時間を見ると・・・・・・午後10時台。

こんな早い時間に、エロサイトへ誘いをちまちまとトラバるおやじ(若いかもしれんし、女かもしれんが)の姿を想像すると・・・・・・アワレだねぇ。

他にやること、ないのかい?

こんな駄文にひかれてバカヤロ様のところを訪ねる人もいるんだろうね。
どうせ他にやることがないんだったら、もっと「行きたい!」と思わせるよう、
文章力を磨いた方がいいでっせ。


努力のトラックバック8件、全部削除しようかと思ったけど、
その内容のあまりのお下劣&脳みそゼロレベルの見本に、一件、残しとこ。

みなさん、どうぞ、ご覧あれ。

しかし、このバカヤロ様のところへは行かない方が賢明です。
バカとアホがダブルでうつります。



懐かしい曲を聴いた。

『思えば遠くへ来たもんだ』 歌:海援隊

作曲に「山木康世」の名前が。
「ふきのとう」の山木さんだろうか? 初めて知った。
この曲が入ったLPを持っていたのに、あのころ、全然気がつかなかったな。


♪ 思えば遠くへ来たもんだ ふるさと離れて六年目


1978年、海援隊はこう歌った。さてさて、ぼくは何年目になるだろう?

いやいや、ぼくはふるさとへUターンしたんだった。


でも、それは出身県に戻ったということに過ぎず、いま住んでいる町は、生まれたところでもなければ、育ったところでもない。懐かしさ、あたたかさを感じるところがふるさととするならば、この町はぼくのふるさとじゃない。

見知らぬ土地だった、戻ってきたころは。


ぼくが学生のころ、ぼくの家は炭坑街から、海に近く、山もあるこの町に引っ越した。ぼくはこの引っ越しに事前の承諾をした記憶がまったくないのだけれど、「どうでもいいや」と思っていたのかもしれない。そのころは、いずれ帰ることになろうとは夢にも考えていなかっただろうし。


ぼくが育った町には、ぼくが住んでいた家がまだある。
短い急な坂をあがると、その家はある。

最初に見え始めるのは、床も壁も、セメント打ちっ放しの風呂場。セメントの打ちっ放しはとてもひゃっこかったけれど、今なら少しハイカラかもしれないな。

炭坑街だったからだろうか、この風呂は石炭でわかした。石炭の燃えるにおいがぼくは好きで、風呂釜のそばに座り込んではそのにおいにひたっていた。中毒作用があったのかな、もしかして?

あのにおい。もう、長いことかいでないなぁ。

そう言えば、台所にあったストーブも石炭だったっけ。ものすごくあったかかった。冬には餅を焼いたり、楽しかった。でも、九州の平野部なのに、どうしてあんな雪国向き強力ストーブを使ってたんだろう?


今も残るぼくが育った家。
今は、見知らぬ人のふるさとになっている。


多くの人はふるさとを出て、見知らぬ土地に自分の新たなふるさとを作っていく。

生まれ育ったふるさとでは、父が去り、母が去り、誰もいなくなった家だけが残る。
その家も、いずれ朽ちて、消えていく。


それがあたり前なのかもしれない。




いい番組を見た。

人工保育で育った白クマ「ピース」の物語。生まれてから6年間の総まとめ。

以前、一度見たことがあるけれど、なんと言ってもその圧倒的なかわいさ!
それに、前例のない白クマ人工保育に挑む飼育係の思い。

育ての親である飼育係の姿が消えると、ストレスでけいれんを起こしてしまうほどに頼り切ってしまった、動物園生まれの白クマ。

水遊びをしている最中にけいれんを起こし、危うく溺れるところを飛び込んできた飼育係に助けられる白クマ。

「動物園で生きることが幸せなのか?」なんて考えるのは、こちらの傲慢だろう。動物園で生まれたんだもの、スタートから自然じゃないさ。

飼育係が言うように、動物が幸せと感じているようにしてやること。動物がどう感じるかということこそが大事で、大切。人間に頼り切ることがその動物にとって幸せならば、それにこたえてやることだ。


1時間15分、丸々75分間。民放だったら90分番組。CMの息抜きがなくても、見飽きることがまったくなかった。

感じたのは、何より、映像の美しさ。
それは、デジタル化で言うところの「きれいな画面」じゃない。
魅力的な対象を、きちんと見せている。それだけ。

よけいなスーパーが一切ない。入っているのは、区切りを示す年と月だけ。ときには聞き取りづらい飼育係のコメントにも、スーパーは入らない。

話していることが、音としてきっちり聞こえる必要はない。映像に、物語に、ひきつける力があれば、見ている方が「聞いてくれる」のだ。

言葉にべったりスーパーが入る番組ばかりの中で、快いほどの潔さ。

その潔さが、映像の「美しさ」を際だたせた。
文字が何も入らない映像が、こんなにもすっきりと、心地よいことを、制作側は改めて考えなければならないだろう。

撮影したのは、飼育係本人であったり、奥さんであったり、動物園の監視カメラだったりする。ぶれたり、ぼけたり、揺れたり、対象を外したり、撮り方は当然素人。でも、撮っている側の思いがこもっている。監視カメラにさえ、それを感じる。


力のある映像、目にするのはそれで充分。

ちまちましたスーパーに汚されない、きれいな映像をこれからも見たい。


ネコ助は水を飲むのがへたくそ。
必ず一度は水を鼻から吸い込んで、くしゅんとくしゃみ。

アホやね、お前。

最近、くしゃみが聞こえなくなったなぁと思ったら、ぴちゃぴちゃ水の音。
おや?と思って見ていたら、なにやら挙動が不審。


051222-1「じ~っ」


051222-2「おしっ!」(グッ)


051222-3「でぃっ!」(バチャッ)


051222-4「じゃばじゃば」


051222-5「ぺちゃぺちゃ」


水の中に前足を突っ込んで、肉球や毛についた水を、ぺろぺろ、なめている。
それも、何度も。

あら~、こんなネコ助、初めて見たわぁ! 先代もこんな器用じゃなかったし。

これって、進化なのかなぁ?
そのうち、イモでも洗って食べたりしないかしら。

よく見ていたら、キャットフードをひとつ、水の中に落としては、それを追っかけて楽しそう。

水遊びも兼ねているのかな。

しかし、まわりがびしゃびしゃだぞぉ。冷たくないの?


051222-6「ついでに、顔洗お」


おいおい、横着者。









最近の愛読書。

お風呂大好き『 お風呂大好き 』 藤臣柊子 著


作者自ら温泉へ。あまりの心地よさに「にへら~」と顔面までゆるみながら、その体験を記した紀行漫画。でも、行き先はごく近場、ときにはエステ。

この冬一番の寒気が吹き込む北部九州。
あぁ、温泉に行きたいっ!

寒くても露天風呂は平気。なぜだろう?




街を歩けば、♪ じんごべーじんごべーじんごじんごべー の、クリスマス。

テレビをつければ、「年賀状はパソコンで!」。

世間は今年の終わりと新年に向けて、かっ飛ぶスピードを増している。
毎年、その速度に乗っかれない。

あぁ、年賀状。。。。。それより前に、お歳暮を出さねばぁ。。。。。もう遅い? お歳暮といっても、出す先は昔の友人とお世話になった人、六人だけなのだけど。


年末に向けて仕事が忙しくなるのが、この仕事。
ありがたいなぁ。
でも、除夜の鐘を聞きつつパソコンに向かうようなことにはなりとうないのだが。

普段は自宅に閉じこもる仕事なのだけど、今年は数カ所、取材というか、情報収集というか、話を聞くためにまわらなければならない。
話を聞く先は地方の大都市内にまとまっているのだけれど、家が田舎にあるもんで、一件をこなすのに車を使って半日から一日がかり。

それはまぁいいとして、人と会って話をするのが大大大のニガテのぼくとしては、話を聞く日が近づくと、どきどきそわそわ、落ち着いていられない。

昔、ライターをしていたころ、約束の時間の一時間前には相手先の建物などを確認し、「よし、あのビルの三階だな」と心に刻まないと取材ができなかった。で、時間が来るまで、近くの喫茶店で、ドキドキ、お茶をする。

要するに、小心者なのだなぁ。

次の、どきどきそわそわ日は、この土曜日。
せめて晴れてくれるといいんだけど、今、吹き荒れている冷たい突風は、週末にかけて雪を降らせるという予報も。

うぅ、ココロも寒いっ!



昨年来の懸案、児童劇団の公演がついに初日を迎えた。

戦争で亡くなった子どもたちのユーレイと、現代の子どもたちが出会う物語。

ユーレイたちと子どもたち、その感覚はすれ違う。けれど、カンカンガクガクやり合ううちに、互いに共通する何かを見出していく。


051217-01『東京キッド』熱唱中


この舞台、本来は今年の夏休みの終わりころに行うのはずだったのが、考えども考えどもストーリーができず、延び延びて年の瀬のあわただしいこの時期に。

夏休みを利用してみっちり稽古を重ねる予定が、秋以降、土日をほとんどつぶしての突貫稽古。すべてはぼくの遅筆のせい。
子どもたちに申し訳ないことをしてしまった・・・・・。


051217-02戦時中は訓練訓練


ぼくは舞台台本を書くのは初めて。
舞台上での動きや配置がまったく頭に浮かばず、書いている内容がどんな風な演技になるのかも、物語はおもしろいかどうなのかさえ、見当がつかない。

決められたとおりに撮影し、それを自由につなぐことができるテレビの世界との違いに戸惑いだらけ。


051217-03ユーレイたちの夢は?


演劇の観客は、お金を払い、ステージを見るためにやってくる。初日のきょうは今年一番の寒さ。雪さえ舞っている。

ミカンを食べながら、よそ見をしつつ、トイレに立って中断しても楽しめるテレビとは「見られ方」がまったく違う。

そう思うと、なんともコワい。


051217-04観客にご挨拶


進んでいく舞台を見つつ、こんな流れで良かったのか?、セリフはわかりやすいのか?、観客にテーマが伝わっているのか?、あれやこれやが脳裏に浮かび、背中に汗が流れた。

しかし、ともかく、公演初日は無事終了。ほっ。あぁ、胃が痛い。

シロウト丸出しの書き手のていたらくを、子どもたちのがんばりと、演出者の熱意と、スタッフの努力がフォローしてくれた。

ぼくの初舞台、みんなに、観客の方々に、大感謝。



Yahooオークションで、たまにCDの「乱れ入札」をする。

「聞いてみたいな」とか「懐かしいな」と感じたCDを30~40枚、スタート金額で入札に参加。原則として再入札はしない。

そのまま落札できるのは3、4枚といったところ。でも、残り物には福がある。思いもかけずナイスなアルバムを手にすることも。

ところが、先週、これまで通りの「乱れ入札」を30枚ほどしていたら、19枚も落札できてしまった。。。。なぜ?


以下、今週、縁あってぼくのところでやってきた顔ぶれを順番に。


slashSlash's Snakepit 『 It's Five O'Clock Somewhere 』

ガンズ・アンド・ローゼスのギタリスト、スラッシュのソロ(だけど、バンド名義)。ボーカルは、ジェリー・フイッシュのエリック・ドーヴァー。
元ガンズのマット・ソーラム、ギルビー・クラーク、デイジー・リードも参加。あわれ、アクセルは、仲間はずれ?
落札金額、100円。。。。。ごめんね、スラッシュ。



Chick Corea_Live in EuropeChick Corea 『 Trio Music: Live in Europe 』

チック・コリアが、ベース:ミロスラフ・ヴィトウス、ドラム:ロイ・ヘインズとのトリオで録音したライブ。とってもきれいなピアノの音が印象的。
エレクトリック・バンドを率いたりしていたけど、アコースティックの方がいいかも。



BBMBBM 『 Around the Next Dream 』

ドラム:ジンジャー・ベイカー、ベース:ジャック・ブルースのクリーム・コンビに、ゲイリー・ムーアのギター。それぞれの実力は折り紙付き。
でも、大方の予想通り、これ一枚で分裂。



concordeThe Modern Jazz Quartet 『 Concorde 』

学生時代、某友人の下宿で聞いて気に入り、中古レコード屋でLPを速攻購入したっけ。『朝日のようにさわやかに』を聞くと、四畳半を思い出す。



GoStomu Yamashta 『 Complete Go Sessions 』

日本人の打楽器奏者、ツトム・ヤマシタが、スティーヴ・ウィンウッドや元サンタナのマイケル・シュリーヴ、タンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツなどと競演した『Go』『Go Live』『Go Too』の3 in 2CD。オーストラリア盤。
ウィンウッドのボーカルが激しく良し。



LowThe Law 『 The Law 』

クィーンのふたりと共に日本へもやってきたポール・ロジャースが、バッド・カンパニー解散のあと、ジミー・ペイジとのファームを経て、元フェイセスのドラマー、ケニー・ジョーンズと組んだアルバム。
ブライアン・アダムスや、デビッド・ギルモアなどがギターで参加していて、とってもいいアルバムと思うのだけど、セールス的には惨敗だったとか。
で、やっぱりこれ一枚でサヨナラ。惜しい。



GROOVE ELATION!John Scofield 『 Groove Elation! 』

マイルス・デイビスのバンドにも参加していたジョン・スコフィールド。ギターを手に嬉しげな顔がかわいい。でも、まだまだ若いころなのに、すでに額がアブナイ。今はどうなっているのやら。
肝腎の音は、オルガンとギターがからみ、ジャズというより、ブルースの香りが。



GRAMMY BOXVariouos Artists 『 The Ultimate Grammy Box 』

グラミー賞に輝いた曲が、ロックも、ジャズも、R&Bも、カントリーも、さらにはクラシックまで、ごっちゃまぜにして4枚のCDに詰め込まれたBOX。
ホイットニー・ヒューストン → ジミ・ヘン → ビリー・ホリディ → ビリー・ジョエルといったゴッタ煮的な並びが思いのほか良。



QUIREBOYSQuireboys 『A Bit of What You Fancy』

デビュー当時は来日もし、『某ジック・ライフ』誌でも盛んに見かけた、イギリスロック界の“期待の星”だった(と、過去形なのが悲しい)。バンドとしては、ロッド・スチュワートのいたフェイセス的に楽しい。
スパイクのハスキーなボーカルは、今聞いても絶品のロックン・ロール!



QueenQueen+Paul Rodgers『 Return of the Champions 』

物議を醸しだしながら、その楽曲の良さと、ボーカルの力量で、聴く者を魅了したユニット。やっぱり、実力のあるミュージシャンが、楽しみながら本気でやるとすごいステージになるんだなぁ。
しかし、この2枚組アルバムが初値であっさり落札できるとは・・・・・。あの熱狂は、もう過去のモノ?



matt biancoMatt Bianco 『 another time-another place 』

他にもCDを持っているのだけど、どこの国の、グループなのか、ソロなのか、実はなんにも知らない。最初のCDは、ショップで流れていたのを気に入って手に入れたのだった。
ラテンやサルサ、ファンクにジャズ、さらにはソウルにボサノバ・・・・・・いろんな香りのする音がGood。



Robert CrayRobert Cray 『 Midnight Stroll 』

ブルースとしてB.B.キング以来のヒットを飛ばし、クラプトンなどにも曲を取り上げられて注目されたロバート・クレイの3枚目。デビュー当時、コアなブルース・ファンは「コイツはブルースじゃなくてロックだ!」と批判していたっけ。
ロックだろうが、ブルースだろうが、いい音楽だったらそれでいいじゃんか。



skidrowSkid Row 『 Skid Row 』

ボン・ジョビの弟分的な扱いで颯爽と登場したスキッド・ロウのデビュー・アルバム。いきなり全米No.1に。ボーカルのセバスチャン・バックの美貌&悪ガキぶりが人気だったけど、バンド内では総スカン状態だったような覚えが。で、ボーカル変更。
セバスチャン、今はどうしているのやら。



seventh signYngwie Malmsteen 『 The Seventh Sign 』

「超絶早弾きギタリスト」と言われ続けたイングヴェイ。「早けりゃいいってもんじゃないよ」「味が全然感じられないね」などと『某ジック・ライフ』などでワイワイやっていたっけ。
ぼくは、実際に聞くのはこのアルバムが初めて。うんうん、確かに早い、すんごく早い。カッコいいじゃん!
この人に「味」を期待する方がおかしいような気がするけどなぁ。



ScorpionsScorpions 『 Tokyo Tapes 』

中野サンプラザでのライブ。ギターはウルリッヒ・ロート。
『蠍団爆発!!』という邦題は「なんだかなぁ」という感じだけど、パフォーマンスはロート&ルドルフ・シェンカーのギターも、クラウス・マイネのボーカルもなかなかに最高。
当初、赤いバラに日本刀が突き刺さったジャケットだったけど、卑猥ということで日本盤は日本刀のかわりにサソリが乗っている。スコーピオンズは発禁ジャケットだらけだ。



sonny with MJQSonny Rollins 『 With the Modern Jazz Quartet 』

サックスの巨人、ソニー・ロリンズの初リーダーアルバム。なんと50年以上前の1951年と53年の録音だ。どんなミュージシャンにも「処女作」があるのは当然だけど、MJQとの競演が最初とは全然知らなかった。
若いロリンズのプレイは、朗々というより軽快でとてもいい。でも、曲の中にはマイルス・デイビスが「ピアノ」で参加しているものが。なぜ?



tomitaTomita 『 Pictures At An Exhibition 』

シンセサイザー奏者、冨田勲がムソルグスキーの『展覧会の絵』をとりあげたアルバム。発表当時は大注目で、アメリカでもチャートのトップに上りつめた。
で、改めて聞くと・・・・・ELPのライブの方が好きかな、やっぱり。



velvet revolverVelvet Revolver 『 Contraband 』

元ガンズのスラッシュ(ギター)、ダフ・マッケイガン(ベース)、マット・ソーラム(ドラム)の3人に、ストーン・テンプル・パイロッツのスコット・ウェイランド(ボーカル)が参加。「スーパー・グループ」と呼ばれたけれど、そんな仰々しさはない、楽しくカッコいい元気なアルバム。でも、どうしてもガンズと比べてしまうのは仕方ないなぁ。
ところで、二枚目はどうなったのかしら?



loyalhuntRoyal Hunt 『 Paradox 』

デンマーク出身のバンド。これまで一度も聞いたことがない。で、某アルバム評を見ると「北欧メタル・シーンを引っ張る様式美鋼鉄バンド。キーボードを大胆に導入したドラマティックかつクラシカルなサウンド」との仰々しさ。
実際に聞いてみると、重々しくてポップじゃないけど、そこまで言わなくてもいいんでない?という感じ。で、結構、お気に入り。







以上の19枚。
他の人と競ったのはツトム・ヤマシタの『 Complete Go Sessions 』だけ。落札総額は9千円弱。いいのかしら、これで?っていう感じもするなぁ。

でも、ちょっと枚数多すぎ。今年はこれでオシマイにしよう。




お袋がこうきいてきた。

「このテレビ、いつまでもつ?」

NHKはじめ各局で、さらにはCMでも「地デジ! 地デジ!」と喧伝するので、世情に疎い頭にもようやく「だいじょうぶなのかしら?」という思いがわいたようだ。

「デジタルになるのは2011年だから、あと6年やねぇ」

そのころ、あんたは・・・・・と言いそうになって、ヤバいとやめた。

デジタル化は「国策」だし、テレビ局は何十億円もかかる機器のデジタル化を進めているから、もう変更はきかないだろう。だとしたら、もうちょっと丁寧に周知徹底をはかってもらえないもんだろうか。

「デジタルになって、なにが変わるの?」

そう聞かれるのが、とても困る。画面がきれいになるとか、番組に参加できるとか、いろんな情報を手に入れることができるとか説明したところで、うちのお袋なぞにはどうでもいいこと。彼女は、テレビは「映ればいい」のだ。

電話線とつながないと、画面がきれいになる以外の「デジタル化」の利点は楽しめない。電話線をテレビとつなぐ。その意味が我が母にはよくわからないし、まず第一に、電話に直結されている電話線を分岐するかどうかしてテレビにつなぐという、そんな面倒なことを彼女がするはずもない。

まぁ、その作業はぼくなりがやればいいとして、電話線とつないだから何なのだ?ということになる。サービスは利用しないし、番組は以前のまんまだし、画面がきれいになったといったところで、慣れてしまえばそれまでだ。

手間と金がムダなだけ。

「そんな面倒なんだったら、今のテレビのままでヨカ」

そう得心されると、また困る。そんな選択の余地、ナイのよね。

その日がくれば、テレビは自動的に「映らなく」なる。そう、新しいヤツに買い換えなければ、テレビは「見ることができなく」なるのである。

おいおい、ナゼって、オレに怒るなよ~。お国が決めたんだからさぁ。
誰の許しでそんな勝手なことを決めたのかって? オレも知らんのよ、知らん間に決まってたのよ。

ん? テレビの仕事しててなんで知らんのだって? テレビ局に勤めてる人だって知らなかった人が多いんだから、社外の人間なんてカヤの外だよぉ。

お袋の怒り&不満は続くが、面倒だからやめよ。


NHKや民放各局、メーカー、そして監督官庁の総務省にお願い。

テレビ局が「デジタル化」することによって、なにが、どうなるのか、シロウトにも、年寄りにも、「理解できる」ように知らせてくれまいか。

「きれいになる」とか、「○○ができる」とかいうのは、そちら側のサービスの問題。デジタル化した伝送路をどう使うかということで、利用する側にかかる負担の説明になってはいない。

うちのお袋のような、カンペキ文系かつ脳みそ硬化人間に、まず知らせて欲しいのは、これだけ。

「今のテレビが、ある日を境に、まったく使えなくなる」

「デジタル対応のチューナーをつければ使える」というのは、そのあとの話。まず、お袋にとって暇つぶしの友であり、社会の窓でもあり、子守歌がわりでもあるテレビという、小さいながらも彼女の“財産”が、突然うんともすんともいわなくなることを知らせるべきだろう。

反応しなくなったテレビは、自分で費用を負担して捨てなければならない。そして、その上で、地上デジタル放送に対応したテレビを買わなければならない。現時点で10万くらいはするだろうか。

馴染み親しんだテレビをポイしがたいのなら、チューナーを取り付ければ、うんともすんともいわなくなったテレビは復活する。でも、そのテレビではデジタルのメリットはなんにもないし、そのチューナーは自分で新たに買わなきゃダメ。今は4、5万くらいかな。

こうした流れ、及びそれに伴って強いられる出費を、78歳のお袋にも、きちんと、納得がいくよう、知らせて欲しい。それは、局や国、そして巨額な売り上げが期待できるメーカーの義務であるはずだ。


そんなことをず~っと感じているのだけど、肝腎の説明はないままに「地デジ! 地デジ!」とテレビははしゃぐ。

いいのか、これで?



耐震偽装の問題は、国会の証人喚問へ。どこまで真相があきらかになるやら。

「こんなことが起こるとは・・・・・・・性善説に基づいておりますから」

偽装を見逃したある行政の担当者は、こう弁明していた。
そうだろうなぁ。ぼくが担当者だったとしても、「マサカ!」と思うだろう。

でも、まず疑うこと、それがチェック機関の役割。その役割を果たしていなかったことは明白なので、「仕事をしていない」と言われてもそれは仕方のないことだ。


しかし、「マサカ!」ばかりの世の中で、「性善説」ってなんだろう?


そう言えば、株の発注ミス。結局、400億円の損だとか。株関係にまったく疎い人間からすれば、なぜこんな結末になるのか、とても不可思議。

「1株=65万円」と入力するところ、「1円=65万株」と入力。シロウトにも分かるようなミスだから、その道のプロは一目で間違いと気づいたことだろう。

そのミスを指摘するでもなく、いや、「チャンス!」とばかりに買い込んで、何億円もの差益を手にする。そうした利益を得た側は、今、どんな気持ちでいるのだろう?

儲けたアナタ。喜びに打ち震えることができていますか?


株を買った側にすれば、市場における正当な取引で利益をあげたに過ぎないということなのに違いない。が、どうも釈然としないなぁ。

自らの努力で見出した傾向と対策を駆使したとか、ライバルの油断やスキを突いたとかいうのならまだしも、単に「ケアレス・ミスにつけこんだだけ」のようにしか見えないのだけど。

ここに、「性善説」は存在しない。


それにしても、入力ミスした人は、今、どうしているのやら。400億円を背負い込んでいるんじゃなかろうか。だいじょうぶかしらん。



Yahooオークションで落札した本が届いた。

出直しといで!

 『 出直しといで! 』全6巻 一色まこと 著 小学館BIG SPIRITS COMICS


1987(S62)年から、(たぶん)1992年ころまで『 ビッグコミック・スピリッツ 』に連載されていた。


  主人公 森下茜 → 森下茜


高校三年生の茜を中心に、劣等生はもちろん優等生まで、男子も女子も生徒は全員、いやいや教師も学校全体、さらには親兄弟から街角の人々まで巻き込んで、ひたすら明るく、でも、ときには切なく、笑いと涙でくり広げられる“青春・学園・ラブコメディー”。「う~ん、昭和」って感じ。

懐かしいな。毎週、愛読してたっけ。
だけど、この漫画のラストを、ぼくは知らない。途中で休載になってしまったから。

「どうしたのかなぁ、いつ再開するのかなぁ」と思っていたちょうどそのころ、仕事で『 スピリッツ 』の編集長を取材。いい機会だと思って一色さんはどうしたのか尋ねてみると、編集長はその才能を高く評価した上で、こんな話をしてくれた。

「ぼくら編集者は、漫画家が気持ちよく描けるよう、可能な限りお手伝いをする。アイデアも出すし、お茶も入れれば、肩も揉む。でも、描くのは漫画家。描けなくなった漫画家をその場から引き上げることができるのは、結局、漫画家自身。だから、肉体的にも、知的にも、描き続ける体力がなければ、成功はしない。一色さんはその瀬戸際にいる」

厳しい世界だ。

漫画にしても、小説にしても、「あれ? あの人、どうしたっけ?」という人がいる。芥川賞や直木賞を受賞し、彗星のようにデビューしても、そのまま燃え尽きたのか、その後を聞かない人も多い。

「続ける“体力”かぁ。つらそうだなぁ。そう言えば、『 マカロニほうれん荘 』の鴨川つばめさんはどうしたんだろう?」

そのとき、ふと、そう思ったっけ。


その後、連載が再開される前に、ぼくは『 スピリッツ 』を読まなくなり、『 出直しといで! 』がどうなったのか、「 一色まこと 」という漫画家が瀬戸際を切り抜けたのか、知らずにいた。

『 出直しといで! 』がコミックスとして出ていることを知ったのは、つい最近。そして、本日、我が手元へ。いやいや、嬉しか。


で、読み返す前にネットで検索してみてビックリ! 
「 一色まこと 」さんは女性だった!

   → 一色まこと - Wikipedia

読んでいるときは、ぜっぜん気がつかなかったなぁ。
『 鋼の錬金術師 』の荒川弘さんが女性だということは、そのタッチからなんとなく「そうじゃないかな」と思っていたけれど。


一色まことさんが『 花田少年史 』という作品で1995年に「 講談社漫画賞 」を授賞していることも、きょう、知った。同作品は、アニメ化もしている。まったく知らなかった・・・・・・見たかったなぁ。

さらには、今現在、『 週刊モーニング 』に『 ピアノの森 』を連載中!

“瀬戸際”から、見事、脱出したんだなぁ。
一色さんとは、もちろん一面識もないけれど、なんとなく嬉しくなった。

でも、平成10年から続いている『 ピアノの森 』は、これまで数回(長いのは2年半)の「休載」期間があったそうだ。

表現し続けるって大変だろうなぁ。

一色さん、がんばってください!



きょうは冷える。
朝よりも午後の方が温度は下がってきた感じさえ。

ストーブをつけて、コタツにずっぽり、入り込む。

ネコ助は、ぼくのひざをフトンに丸くなる。

051212-01「すやり・・・・」

あら、熟睡。いいなぁ、お前は。



ひとりだと、なんとなく灯油がもったいないな。消しとこう。

ストーブの火を落とすと、背中がしんしん、冷えてくる。
うぅ、部屋の中でも息が白い。5、6度かしらん。


天気予報には、木曜日まで「雪」のマークが。
北国では日常だろうけど、北部九州住まいは雪が積もるとちょっとコワい。


お、遠くから、『たき火』のコーラスが聞こえてきた。


♪垣根の垣根の 曲がり角 たき火だたき火だ 落葉たき

♪あたろうか あたろうよ 北風ピープー ふいている


我が家近辺には、曜日替わりで2軒の灯油屋さんがやってくる。
『たき火』は、ご夫婦らしき若いおふたりが乗る車だ。

ちょうど灯油が切れていた。
ダッシュでケースを持って、玄関へ。

ちょいと外へ出たら、北風の強く、冷たいこと!  うぅ、さぶっ!

階段を駆け戻っていたら、後ろから「ありがとうございま~す!」と元気な声。
お兄さんが、早くも灯油を入れて、持ってきてくれた。

「おいくらですか?」

「1,350円で~す!」

う~む、去年に比べると、今年はずいぶん高い。
夕方まで、ストーブは我慢しよう。


コタツに戻ると、ネコ助、不機嫌。

051212-02「どたばたすな」


冷えるねぇ。



どうしてこんなことが起こるやら。
アルバイト講師の大学生が生徒の命を奪うとは。

疎ましく思われることで彼のプライドが傷ついたのか。
目指す中学へ通してやろうと思っていたのに、熱意が伝わらないと思ったのか。

どちらにしても、あまりに「傲慢」だ。

相手は小学校6年生の女の子。年は10歳以上違う。それも、アルバイトであっても「教え子」だ。しかし、そう思えずに、「異性」として意識していたのか。自分の好意が通じない相手として。

そんなことがないとは言えない。中学生のとき、15歳年上の男性とつきあっていたという女性を知っているから。もちろん、援助交際などではない。

でも、やっぱりそれは「普通」ではないな。


ぼくは学生が小・中・高校生、及び予備校生を教えるということに以前から疑いを持っている。教えるということは、それがたとえ「受験術」だとしても小手先でできることではない。とても難しいことだと思うし、ある意味、職人的な経験を必要とすると思うから。


学生時代、ぼくはある新聞に、学生がアルバイトで家庭教師をすることを批判する投書をしたことがある。

「教え方も学ばずに、さらには偏差値偏重を批判しながら、バイトに家庭教師を選ぶのはおかしい。受験戦争の片棒を担ぎつつ、遊ぶ金を稼いでいるだけだ」

といった内容だった。

家庭教師をやっているという女子大生から、すぐに反論がきた。

「お金のためじゃない。厳しい受験を突破するために、子どもと一緒に成長しようと考えて、自分なりに精一杯にやっている。それのどこがおかしいのか」

そんな内容だったと記憶している。

彼女の主張は理解できた。子どもの(多くは「親の」だけど)希望をかなえるために、できない問題がどうやればクリアできるか、真面目に努力していることもよくわかる。

でも、彼女の言い分は、ぼくの疑問を解消してはくれなかった。

労働の対価としてお金をもらえば、アルバイトと言えどプロ。それが「自分なりに精一杯やっている」程度のレベルで、子どもを教育・指導できるとは思えない。中途半端な技術や姿勢で収入を得ているのは事実だし、多くの子どもがその被害者の立場にいることも事実だろう。

教師になるためには、決められた内容を学び、一定の経験を積まねばならない。そして、教えることの難しさは、教師になってから実感するという。教師の道に進んだ友人の多くは、今でも試行錯誤を続けている。

そんな、「教えることの難しさ」を、どうして10代後半から20代前半の、知識も経験も不足した「学生」が担えるだろう。

だから、学生が手軽で高収入な「アルバイト」として家庭教師をすることはおかしいとぼくは思っていた。働くのなら体を動かす仕事にすべき。別に「額に汗する」仕事を神聖視するつもりはなかったけれど、そう考えていたのだった。

もちろん、その考えに反論する同級生たちもいた。

家庭教師は生き方を教えるんじゃない。教えるのは受験のためのテクニック。厳しい受験の世界を通り抜けてきた先輩として、その方法を伝授しているんだ。成績が上がれば子どもたちにもその親にも喜ばれるし、教えた子どもが志望校に合格するとほんとに嬉しいんだぞ。お前にはわからんだろ。

友人のひとりはそう言った。

そうかもしれない。
教えていた子どもを志望校に合格させたお礼に車をプレゼントされたヤツもいるというようなウワサも、まことしやかに流れていたし。

おっと、こんな即物的な嬉しさじゃないな、彼が言っていたのは。
自分が面倒を見た子が、志望校に通る。それは、努力の結実として、純粋に嬉しいことに違いない。

でも、ぼくの思いは、そのころとあまり変わっていない。家庭教師も、塾の講師も、学生が仕事としてやるべきことではないと、やっぱり今でも思うのだ。

教育の経験はもちろん、社会的な経験もいまだない学生に、「人を教える」という重い役割をまかせていいとはどうしても思えない。雇用する側がどんなに適性を判断していると主張しようとも、学生を雇う大きな理由が人件費を安く抑えられるという点にあることは事実なのだし。


今、全国には30万とも40万とも言われるほどの数の学習塾があるという。ぼくの甥っ子もせっせと塾へ通っている。どこでも、講師不足は深刻らしい。

アルバイトを探す学生と、講師を求める学習塾。需要が上回っている限り、「教えること」が効率のいい仕事であることは変わらないだろう。

どうやれば今回のような事件が防げるのか。そうした、対症療法的な手段しかないのかな。





九州北部も、冷えてきた。


051210-01なんか、不気味。


玄界灘に面した九州北部は、日本海気候。冬は、毎日、ど~んより。青空が見えることはほどんどない。

来週はもっと寒くなるとか。雪も舞うらしい。
青空が恋しい日が続く。






ネコ助が押し入れのふすまに穴を開け、そこから入っては、反対側のふすまにツメを引っかけ、開けて出てくる遊びを繰り返す。

きっとおもしろいんだろなぁ。

でも、おかげでふすまはぼろぼろ。
あまりにみっともないので、紙を貼り替え、ネコ助が出入りする穴をあけた。


051210-02結構、面倒。


ふすま紙を貼り、四角く穴を開け、「はぁ、できた」とコタツで一息入れていたら、後ろで「ビリ」とイヤな音が。
「やば!」と思って振り返ったら、遅かった。


051210-03あぁ、早くも・・・・・。


ふすま紙には、ネコ助の後ろ足のツメあとがくっきりと。
30秒、もたなかったね。。。。。


051210-04「どうだ」



ラジオの番組で、地元出身のバンドを取り上げることに。

デビューして10年。メンバー全員30代前半という、もはやベテランの域の3人組。しかし、ぼくはその名前を知らなかった。

売れそうで、売れない。でも、コアなファンはいる。ツアーをやれば、会場がそこそこ埋まる。でも、そこからステップアップできない。

だから、食えそうで、食えない。この秋に出したアルバムがダメなときには、今度こそ将来を考えなければならない。

プロデューサー氏によれば、そんな綱渡り状態のグループなんだそうだ。

「いい曲、書くんですよ。まず、聞いてみてください」

プロデューサー氏から渡されたCD2枚、ベスト盤と最新アルバムを帰りの車の中で聴く。

1曲目・・・・・・うん、ポップでいい曲。ハイトーンのボーカルもうまい。

2曲目・・・・・・お、これも、ポップでいい曲。

3曲目・・・・・・おぉ、これも、ポップでいい曲。

4曲目・・・・・・おや、これまた、ポップでいい曲。

5曲目・・・・・・あら? またまた、ポップでいい曲。

6曲目・・・・・・うぅ~ん、なんとも、ポップでいい曲。だけどさぁ・・・・・・・


ボーカルが曲作りを担当しているそうだけど、10年以上プロとしてやれてきただけあって、アップテンポの曲も、スローな曲も、どの曲も、キャッチャーなメロディで、耳ざわりもとてもいい。

でも、なんと表現すればいいのだろう。どの曲もおしなべて「いい曲」だけど、突き抜け切れないというのか、徹し切れていないというのか。

なにかが足りないという感じ。

甘いあんこを作るには、塩をちょいと入れるといいと言う。
その「塩」がないとでもいうのかしら?

パンチの足りない「 B’z 」みたいでもあり、矛先の鈍い「 ミスチル 」とも言えるし、おとなしい「 CHAGE & ASKA 」という感じもする。どの曲も、聴いていると誰かの顔が見えてしまう。これって、結構、致命的?

でも、そこらにあふれる J-pop群に比べると、いい楽曲であることは間違いない。いや、ぼくのようなおじさんにそう思われること自体がマズイのかも。歌詞は、いにしえの「かぐや姫」の世界のようだ。まぁ、若いころに感じることは、生きる時代にあまり左右されないということなのかもしれないけれど。


3人がグループを組んだのは92年のこと。96年にインディーズでデビュー。翌年にはメジャーデビューを果たした。だが、デビュー当時、充分なプロモーションをしてもらえなかったと言う。

メジャーとの契約を切られ、しばらくは寄る辺なき身でがんばったそうだ。

彼らも、CMやドラマなどのタイアップがあればスタートは違っただろう。ミュージシャンが「事務所やレコード会社がプッシュしてくれなくて」と言う記事を雑誌で読んだりしていたけれど、自分たちだけで自分たちを売るというのはホントに難しいことらしい。


しかし、アルバムを売ることだけが、ミュージシャンとして生きることじゃないのでは? 地元をベースに、あちこちで小さなコンサートを開きながら、歌うことを人生にしている人やグループも確かにいる。

そうした活動で、結婚をし、子どもを育て、生活を維持する。それはとても厳しいことだけど、好きだからこそやって悔いないことだと思う。

彼らに「地元の人気者」としてやっていく気があるのかどうかはわからない。あくまで「東京」で音楽活動を続けていきたいのかもしれない。

でも、イナカも、いいよ。


さて、どんな番組になるかしら?




12月8日。

この日、何の日?

国が人殺しを容認した日。



家族を、友を、愛する人を、そして彼らが生きる世界を守りたい。
人々の、その切なる願いを利用して、同じ思いを抱く他国の人たちを殲滅する。

その蛮行に、日本が国として本腰を入れ始めた日。



「山本五十六は最後まで戦争回避の努力を続けた」

それは、事実かもしれない。
でも、山本さんは真珠湾を攻撃することを進言し、実施し、事実人々を殺した。
それを、「苦渋の選択」として容認することはできない。



「真珠湾奇襲は、アメリカのウソだ」

いまだにそう言う人たちがいる。
ルーズベルト大統領は日本艦隊が攻めてくることを知っていたのだと。
知っていて、パールハーバーを見殺しにし、国民の反日感情を煽ったのだと。

そんなことはどうでもいい。
日本、アメリカ、どちらの国が殺し合いを仕掛けたのかは。

ただ、おびただしい血が流された。
数え切れない悲しみがあふれた。
そして、その悲しみは、まだ癒えてはいない。

それだけを覚えておきたい。



1941年12月8日。
この日、国家の思惑は国民の生命を超えることが証明された。

もう一度、証明される日が来るのだろうか。



今年の、この日。
自衛隊のイラク派兵延長が決まった。
人道復興支援活動という名の軍事活動は、少なくとも来年12月まで続く。


いずれ、自衛隊は自衛軍となり、防衛庁は防衛省へと昇格する。
自衛軍が陸軍、海軍、空軍と分割される日がこないとは、もう言えない。


「世界の現実に対応せねば。理想を追っても命の危険は去りはしない」

そう考える人たちが増えている。
そう考える人たちは子どもたちに、理想を追わずになにを追えと教えるのだろう。


太平洋戦争が「仕方がないな」という判断で始まったように、
現実を「仕方がない」と受け入れることは、新たな戦いを生むことだ。

そして、あの戦いがもたらした悲しみは、さらに遠い過去のものとなる。



いずれ、事実は歴史書のみに見出され、この日、人々の脳裏に甦るのは、

「 BEATLES の John Lennon が射殺された日」

それだけという日がくるのだろうか。



ぼくらは、みんな、忘れっぽい。




うちのネコ助は、イチゴが好物。


051207-02「ぺろりん」


と言っても、イチゴの実を食べるわけではない(ヘタはかじるけど)。

好きなのは、サッと洗ったイチゴの表面についた水。部屋に持ってくると、どこにいても跳んできて、短い首を必死に伸ばしてぺろぺろぺろり。

なにがそんなにウマイやら?

試しにぼくもなめてみる・・・・・・う~ん、別に単なる水だけど。

こんなにもネコ助を惹きつけるのは、なんなんだろう?
イチゴの香り?

首をかしげる飼い主をしりめに、ネコ助はまなじり決してぺろぺろぺろぺろ。

おいおい、その横顔、コワいぞぉ。



女優の原ひさ子さんが亡くなった。96歳。

訃報記事の大半では「おばあちゃん役の」という形容詞がついている。が、若いころから「おばあちゃん」で勝負していたワケじゃあるまい。お年頃のころには、初々しい娘役もなさったことだろう。

でも、原さんという女優の存在に気づいたときから、やっぱり「おばあちゃん」だった。品のいい、優しい、でも、どこかキリッとした「おばあちゃん」。

原さんは明治42年8月6日生まれ。
昭和20年の誕生日。その日、広島に原爆が落とされた。それを知ってから、原さんは一度も誕生日を祝ったことがないという。自分の生まれたことを祝うかわりに、原爆で世を去った人たちの冥福を祈る日にしたそうだ。

できそうで、できない、こんな心遣いは。

優しい風貌の原さんに感じていた、一本筋の通った、凛とした存在感は、こんな心構えから生まれていたんだろうな。


90歳を過ぎてからも、ずっと現役を貫いていた原さん。日本最高齢の現役女優としてニューヨーク・タイムスにも写真入りで紹介された。「継続」ということの尊さを感じる。


ご冥福を祈ります。



ぼくら夫婦はぼくのお袋と同居しているが、よくある「二世代住居」ではない。お袋が30年近く前に購入した普通の家の二階に、我ら夫婦が。
実の息子ではあるが、ま、「居候」と言った方が正解に近い。東京からUターンし、一緒に住むようになってからこうなった。

同居してはいるものの、一緒にメシを食ったためしがない。お袋は自分の部屋に小さな流しをつけ、自分で自分の食事を作って食べている。

と言っても、別にケンカをしているワケでも、折り合いが悪いワケでもない。生活時間がまったく違うのだ。

お袋は78になるけれど、今も仕事をしている。自分の好きな時間にやれる仕事なので、夜もくれぬ7時に寝床に入ったり、かと思えば午前3時過ぎまで起きてたり。夏などは午前4時に起き出してフロに入ったりしている。食事の時間もテキトーだ。

ぼくは6時に起きて、よほど忙しくない限り、夜は11時台にはフトンに入るというきっちり生活派。だから、同居しているにもかかわらず、お袋の顔を見ない日が二、三日続いたりする。

メシを食ったり、フロに入ったりする音はするものの、本体は見ず。
う~む、考えてみると、かなり不気味かも。

そんな我が親子の実体を知らず、「ひとりで食事をさせるなんて、お母さんがかわいそうだ」と言われたこともある。それは、ぼくにも、お袋にとっても、よけいな口出しである。他人の家庭は、親子の関係は、ワキから見たってちっとも分からんもんなのだ。


なんでこんなことを書いているかというと、さっきTVで「日本人なら、パパ・ママなんて呼ぶのはやめんかい!」と言っていたから。ぼくは小学校の5年生まで、お袋のことを「ママ」と呼んでいた。

ぼくは、小学5年生のある日まで、TV氏の言う「非国民」だったのだ。
そして、そう呼ばなくなった出来事を鮮やかに思い出した。


その日、担任の女先生がぼくら生徒にこう聞いた。

「皆さんはお母さんのこと、なんて呼んでますか? はい、○○君は?」

指名されたぼくは、スックと立ちあがり、

「はい、“ママ”と呼んでます!」

と、元気に答えた。すると、周囲が爆笑!

「“マ~マ”やて! ぱずかしかぁ!!」

悪童どもがぼくを指さし、笑い、喜びまくるのである。

ショックを受けたぼくに対し、あろうことか担任の女先生まで、

「○○君って、“ママ”なの!」

と、笑うのだ。
聞いたのはオメーだろ! 笑うんだったら聞くんじゃねぇ!(と言いたかった)


明治初期、文明開化の頃の話ではない。昭和40年代初期のことだ。

ま、場所が場所だったからかもしれん。

ぼくが通っていた小学校は、筑豊の炭坑街のど真ん中。級友たちの多くは坑夫を父母に持つ子どもたち。彼らが住む炭住(たんじゅう/炭坑で働く人たちが住む長屋型式の住居をこう呼んでいた)には、「ママ」や「パパ」より、「かぁちゃん」「とうちゃん」の方がぴったり。とてもあったかく響くのだ。

しかし、「ママ」と呼んでいたヤツらもいたはずなのだが・・・・・。裏切られた。

その日から、ぼくはお袋のことを「ママ」と一切呼ばなくなった。と言って、いきなり「かぁちゃん」はムリ。「お母さん」というのも、妙な感じで口にしづらい。

で、なんやかんやと試行錯誤し、いつのまにやらおさまったのが「オイ」または「あんた」、時には「お前」。あぁ、「ママ」からなんたる変わりよう。

お袋は、ぼくが反抗期に入ったと思ったらしく、自らの呼ばれ方についてあれこれ言ったことは一度もなかったが。

「お前・・・」と呼びかけるのだから、言葉尻もそれに呼応する。「お前、○○××しますか?」なんてしゃべり方になるはずもなく、「お前、○○××するんやろ?」的な、ぞんざいな言葉遣いになる。

ぼくら本人たちは別に気にしてないのだけれど、それは、他人の目や耳にはかなりひどい親子関係に映るらしく、ぼくはその言葉遣いを何度も何度も注意・叱責されてきた。

『母親を「お前」呼ばわりする息子』。うん、確かにひどいヤツだ。

でもね、呼び方と愛情とは正比例はしないのよ。「お母さま」と呼びかけたとて、相手を尊重しないヤカラはたくさんいるのだし。


かくて、お袋は「ママ」から「お前」となったまま、今に至っている。


子どもができるまでは「ママ」と呼んでいた姉も、子どもができて以降、お袋は「おばあちゃん」と化した。

ぼくは相変わらず「オイ」「あんた」「お前」だし、お袋はもう二度と「ママ」と呼ばれることはないだろう。

これでいいのだ。


しかし、今でもときどき思う。

あんなに笑われるほど、おかしなことだったのかしら?
母親を「ママ」と呼ぶことが。



家人が寝こんで、きょうのぼくは朝からおさんどん。

台所には毎日立っているのだけど、一日に三回、メシを作るのはコトだわぁ。

お母さんってエライ!

買い物へ行く前、買わねばならぬモノを携帯にメモメモ。
コメがもうナイのだった。“秋田小町”にすっかな~。7分づきを3キロ。
おっと、麦もない。
油もないし、納豆もないぞぉ。
お~い、ないものばっかりじゃぁ。

あしたも買い物に出るのは面倒。二日分を買い込むぞぉ!

車で15分のスーパーは売り場が広い。野菜のコーナーから魚に肉と、ぐるりぐるりと見て回り、あしたの主菜はカワハギの煮付けに決定! お中元にもらったものの、封も切っていなかった日本酒に、ようやく活躍の場を与えてやれる。

ここで、スーパーの一番大きな袋に五つ分買い込んだ。これであしたは買い物をせずにすむ。ほっ。

と、思ったのもつかの間、スーパーの駐車場を出た瞬間、オリーブ・オイルを買い忘れていることに気づく。あぁ! メモっていたのに、なんで忘れるかなぁっ! 炒め物ができんじゃないかっ!

で、帰りに別のスーパーへちょっと寄り道。そうそう、この店には、他にはない大きなボトルが置いてあるんだった。買い忘れて良かったのかも。ラッキー!

バージン・オイルの大きなボトルをふたつ購入。これでこの冬はもつかな?


ふたつめのスーパーで、はぁ、ちょいと疲労。駐車場で、あんこぎっしりの「破れまんじゅう」をこっそり食す。

あな、うまし。


メシの準備は5時のサイレンが鳴ってから。
きょうの夕餉は「鶏のもも肉オリーブオイル揚げ」&「長ネギたくさんに手当たり次第の野菜炒め」&「ダイコン+タマネギ+豆腐のみそ汁」!!

これに納豆と梅干しをプラスして、どうだっ、カゼをぶっ飛ばせっ!!!

しかし、今年のカゼはなかなか飛ばないのだった。。。。。。

ま、あしたはきょうよりいい日になるわな。


メシは、作るのはまだいいとして、あとかたづけってのはあんまり嬉しくない。第一、流しが低くて腰が痛いぞ~。お袋の世代の身長に合わせてあるに違いない。
この水回りもそのうちにリフォームせねばならんのだろうな。

流しにはガス湯沸かし器が一人前についている。が、ぼくは、ほとんど使ったことがない。あまり水を冷たいと感じがコトがないのだ。家人は冷とうてアカンと言う。ひょっとして、ワシって鈍感?

でも、最高気温が5度程度しかないきょう。水はやっぱり冷たいや。
で、湯沸かし器のお世話になる。ほんのりあったかいとなんだか幸せ。

昔、お袋がぼくらを育ててくれたころ。こんなありがたいモノはなかった。冬、母親の手というのは、ガサガサしているもんだった。頬をなでられると、ちょっとカサッと、痛かった。

今、この現代に、アカギレで指先がひび割れている若きお母さんっているのだろうか?

あぁ、文明の利器。ありがたやありがたや。


さぁてっと。。。。。。。ホッと息をついたのは午後9時直前。
あぁ、『水戸黄門』を真剣に見れんかった。ま、印籠は見れたから、いいとしよう!

コタツでぬくぬく。あぁ、幸せほわ~ん。。。。

ここでハタ!と思い出す。
あ~、イサキの刺身を買ってたんだったぁ! 食い忘れたっ!

しゃーない。あした、フライにでもすんべ。


きょうは雪がちらついた。

あしたは、少し、あったかくなって欲しいな。




う~む、今年のカゼはスキッと治りきらんなぁ・・・・・と思っているうちに、我が家全員ケホンケホン状態。そろってお医者さんのお世話になるハメに。

「ご家族で持ち回りですかな」

初老のセンセがニコニコしながらおっしゃった。
いやはや、その通りでして。なんだかわからんけど面目なかった。

病院の待合室には、土曜日のせいもあるだろう、たくさんの人が診療の順番を待っている。げほげほセキこみながら入ってきたマスク姿のおじさんは、看護婦さんに「熱はありますか?」ときかれ、「きのうは8度5分ちょっと」。

あらら、高熱じゃないですか。それでも仕事に行っていたのかなぁ。

確かに行かねばならないときもある。あとから振り返ると、別に是が非でも行く必要もなかったなぁと思えることの方が多い。だけど、それを繰り返すと信用・信頼を無くしてしまう。
休むか、休まざるか、難しいとこだなぁ。


気温は低いが陽は射しているので、南向きの部屋はポカポカあたたかい。コタツでゴロゴロしながら、サッカー観戦。

NHKが総合とBS1とでセレッソとガンバ、大阪2チームの試合をライブ放映。こんなときはありがたいね。上位5チームに優勝のチャンスがあるそうな。試合を見始めるまで知らなかった。

リモコンでチャンネルを切り替えつつ、7:3の割合でガンバの戦いを見る。どちらを応援しているわけではないけれど、ガンバの方が宮本選手や大黒選手など、顔と名前が一致する選手が多いし。

きょうの試合に勝てば優勝が決まるセレッソ。後半、終了間際で2-1とリード。

「こりゃ決まりだなぁ」

と思っていたら、あらら、相手ゴールが決まり同点に。そして、そのまま終了。チャンピオン・フラッグは、4-2で勝利したガンバの元に。ピッチもスタンドも喜び大爆発。

いや~、スポーツって、審判が「終了」をコールするまでわかんないもんだなぁ。久しぶりにどきどきはらはらする試合を見せてもらった。


セレッソのサポーターだったかしら、「大阪スタイル!」という大きな横断幕を掲げていたのは。

「サッカーにおける“大阪スタイル”とは、なんぞや?」

意味はよくわからないけど、わが街の2チームが優勝を争うなんて、サポーター冥利につきるじゃないすか! 街はお祭りだろうなぁ。十中八九まで優勝を手にしていたセレッソのサポーターは残念だろうけど、来シーズンもあることだし。

関西のチームが優勝したのはJリーグ初だとか。知らなかったなぁ。確かに、耳にするチーム名は「鹿島」だとか「磐田」ばかりだったような気がする


西野監督、宮本選手、男の涙。エエでっせ。

いやいや、いい試合だった。よかったよかった。



熱も下がり、汗も出なくなってきたけど、カゼの余韻ということで、一日ボケボケ。
う~ん、フトンの中は心地いい・・・・・・もっと寝ていたいなぁ。

なんてことを言ってるとバチがあたる。。。。と思いつつ、雑誌をパラパラ。


The_Dig_42『 THE DIG 』 No.42


「フトンの中でぐずぐず」の友。『 THE DIG 』の通巻42号。
2005年秋号の特集は「 Queen 」。「来日直前」とあるから、ちょっと古いな。クィーン+ポール・ロジャースの公演をまぢかに控えたこの秋の初めころに出た号。

「来日」に合わせた特集内容は、アルバム『オペラ座の夜』の詳解。今年は、このアルバムがリリースされてから30周年なのだそうだ。

ちょっと強引なような気もするが、昨年リリースされた日本編集のベスト盤「ジュエルズ」がオリコンの総合アルバムチャートでTOPに輝いたし、ブライアンとロジャーが監修したミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の日本版も芸能プロダクションのアミューズと提携したのが功を奏したのか人気をはくした。

来日もするし、クィーンはこの秋、旬のグループなのだった。


オペラ座の夜『オペラ座の夜』 1975.12 リリース

  1.デス・オン・トゥ・レッグス
  2.うつろな日曜日
  3.アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー
  4.マイ・ベスト・フレンド
  5.'39
  6.スウィート・レディ
  7.シーサイド・ランデヴー
  8.預言者の唄
  9.ラヴ・オブ・マイ・ライフ
 10.グッド・カンパニー
 11.ボヘミアン・ラプソディ
 12.ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン

あのフレディの名唱「ボヘミアン・ラプソディ」が入っているのが、このアルバムだ。

母国イギリスでもナンバーワンとなったこの曲をはじめとするこのアルバムの魅力でクィーンの存在は世界的にも認められるのだけど、ぼくがクィーンから遠ざかったのもこのアルバムだった。


クィーンのデビューアルバムはリリースと同時に手に入れた。

queenQueen 『 QUEEN 』

「戦慄の女王」という邦題がついていたファースト。“戦慄”というタイトルが大げさには思えないほどに、1曲目の「 Keep Yourself Alive 」からラストの「 Seven Seas Of Rhye 」まで、すべての曲が衝撃的だった。特に「 Keep Yourself Alive 」のタイトな音とコーラス、そしてギターは。

「暖炉に使われていた木を使って、お父さんと一緒に作った」

と紹介されたブライアンの、あのヘンテコな形のギター、欲しかったな~。

ロックバンドとしてはルックスが良すぎて本国イギリスでは軟弱・軟派と揶揄されたけど、日本の、特に少女たちはその魅力のとりことなり、その沸きようはすごかった。ま、今のペ・ヨンジュンさんみたいなもんかな?


queen2Queen 『 QUEEN II 』

2作目。
レコードA面を「ホワイトサイド」、B面を「ブラックサイド」と呼び分け、前者をメロディアスな曲、後者をハードな曲が占めていた。

「なんだか仰々しくなったなぁ」

というのが、最初に聞いたときのぼくの感想。メンバーの、特にフレディがその個性を発揮しはじめたのだろう、とてもきらびやかな印象があり、それがぼくのいだくクィーン像から少しズレていたのだった。


sheer heart attackQueen 『 Sheer Heart Attack 』

3作目。
ズレはもっと大きくなっていて、「 Killer Queen 」を聞いたとき、「あぁ、違うな」とホントに感じた。評論家などがクィーンを“語り出す”のはこのアルバムあたりからではないかと思うが、当時、ぼくはどうも“ロックを語る”のがイヤだった。

そして、リリースされたアルバム『オペラ座の夜』を聞いて、ぼくはクィーンにサヨナラしたのだった。


クィーンを聞き直し始めたのは40歳に近くなってから。

「お、なかなかいいじゃん」

そう思えるようになってきた。フレディの独創的で異様な個性も好きになったし、彼やブライアンだけでなく、ロジャーやジョンも曲を書くようになっていて、それがぼくの感覚に合っていたのだった。

QUEENっておやぢにも効く?


でも、CDで買い直したのはファーストだけ。あとは、ベスト盤3枚とライブでお茶を濁している。

今でも一番好きなのは「 Keep Yourself Alive 」かな。







上記の『 THE DIG 』No.42を購入したのは、第二特集が「E.L&P」だったからだった。でも、ぼくと「E.L&P」とのお付き合いに関しては、また別の機会にしようっと。

そうだ、10月にはキース・エマーソンが来日したとか。もう、グランド・ピアノは回転しないだろうけれど、行きたかったなぁ。




久しぶりにCDを聞く。


wallflowersThe Wallflowers 『 Breach


「ボブ・ディランの息子」という形容がどうしてもついてしまうジェイコブ・ディラン率いるバンドの3枚目。2000年のリリースだから、もう5年前の作品だ。

ジェイコブの声は、おやじさんほどにネマッていず、異様な特徴もなく、素直なダミ声とでも言うのだろうか、ぼくは結構好きなタイプ。音楽もシンプルなロックだ。

The Wallflowes が『 The Wallflowers 』でデビューしたのは1992年のこと。だから、もう10年選手(死語?)だ。でも、デビュー・アルバム(ぼくは未聴)はストレートなロックだったらしく、4万枚程度しか売れなかったらしい。

4万枚“程度”と書いたけど、ずぶの新人バンドとしてのスタートなのだから、結構な売り上げなような気もする。でも、レーベルからは、あっさりクビを切られた。

この頃、バンドの中心人物である「ジェイコブ」が、“あの”ディランの息子だということを周囲の人間は知らなかったらしい。バンドのメンバーも知らなかったという話もある。

おやじさんの名前を利用せずのスタート。仲間にも知らせなかったという事実は、やはり父親の存在の巨大さを意識していたことを思わせる。同時に、「オレはオレなんだ」という強い自我も感じる。

きつかったろうな、やっぱし。


1996年5月にリリースした2枚目、『 Bringing Down the Horse 』は300万枚を売り上げるヒットに。シングル「 One Headlight 」は、1997年の第40回グラミー賞で「ベスト・ロック・ソング」と「ベスト・パフォーマンス・デュオ・オア・グループ・ヴォーカル」を獲得した(らしい。『 Breach 』を入手したときに初めて知った)。


しかしまぁ、よりによって超強烈に著名な“あの”おやじと同じ道を進まなくてもと思わなくもない。が、カエルの子はカエルというのか、三つ子の魂百までというのか、彼にしろジュリアン・レノンにしろ、やっぱり抑えきれない内からの衝動というものがあったのだろう。

親を超えるかどうかなんていうのは周囲の興味、判断にすぎない。本人は、好きな道を歩むこと、それが生活となり、人生となることを望んでいるだけだ。

芸能・芸術の世界で「親の七光り」が有効なのはほんの短い間。実力がないと、結局、残り続けることはできない。能力が無くても親の威光で生きていけるのは「地盤・看板・カバン」がモノを言う政治家くらいのもんだ。


The Wallflowers は、今年、『 Rebel, Sweetheart 』というアルバムをリリースした。

聞いてみたいな。

 

いやはや。

旅から戻って、なんとなく体が重いな~と思っていたらボンと発熱。疲労にカゼをプラスしてしまったらしい。インフルエンザの予防接種をしてもらうはずの病院で、「熱が下がってからね~」と言われ、投薬を受けた。情けなか。

ぼくのカゼは、頭が痛いだの、気分が悪いだのという症状はなく、ただひたすら熱と汗が出るばかり。2時間くらいのサイクルで汗にまみれた下着やパジャマを取り替えて、再びフトンにくるまり背中や首筋、額に流れる汗を感じる。その繰り返し。

ここ4日間・96時間のうち、90時間以上をフトンの中で過ごしてしまった。

飽きるわぁ。

ホントはじっくり眠ればいいのだろうけど、睡眠は足りているので目玉はパッチリ。汗かき中は雑誌も読めないので、ついついTVをON。強度偽装問題の“渦中の人々”が入れ替わり立ち替わり登場。国会の参考人招致までじっくり見てしまった。

しかし、他人の人生を狂わせるほどの状況を招いていながら、皆さん、なんと姑息な人間なのか。

参考人招致の場でチンピラまがいの暴言を吐き、それが自らの存在を主張していると勘違いしているバカなオヤジ。「倒れるにしても前のめりに」なんて、坂本龍馬を気取っても、誰も誉めはしませんぜ。

「東京のことは任せっきりでわからない」と繰り返す、肥後山奥のボケ老人。「私はなんにもわからない」--これが“社長”の言葉か? 熊本に拠点を置きながら、首都圏はじめ、あちこちらにマンションやホテルを建設するほどに“やり手”だったんじゃないのかい?

不正をあばいたのは我が社だと言わんばかりの検査機関の若社長。構造計算の不正を見抜けなかったという時点で、あんたの会社は社会的な存在意義が消えているだろう。「義務を果たせませんでした」くらい言ったらどうなんだ?

誰もが口をそろえて「うちは悪くない」。

それを見ていた欠陥マンションの住人たち。6000万の部屋を35年ローンで購入したという30代の奥さんは、ただただ涙なみだナミダ・・・・・・。もう、気の毒としか言いようがない。そばにいたとしても、慰めの言葉もかけられないだろう。

35年ローン・・・・・・考えただけで気が遠くなる。

大きな決断のもと実行した、生涯最大の買い物だ。月々10数万円、35年間もの間、払い続けようと思い切れたのも、その物件の良さにひかれ、この地で生きていこうと心に決めることができたからだろう。

それが、“欠陥”と呼ぶにはあまりに悪意に満ちたものだったとは・・・・。安全よりも安価を優先、一番大事なのは“儲け”なのさ。

奥さんが涙する気持ち、よくわかる。


はぁ・・・・・。

ため息をついてると、「Yahooにニセの記事を載せた男」登場。その動機は、

「インターネットの世界で注目を浴びたかった」

姑息と言うのもあきれるばかりの、この理由。なんだかなぁ・・・・





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