番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


懐かしい曲を聴いた。

『思えば遠くへ来たもんだ』 歌:海援隊

作曲に「山木康世」の名前が。
「ふきのとう」の山木さんだろうか? 初めて知った。
この曲が入ったLPを持っていたのに、あのころ、全然気がつかなかったな。


♪ 思えば遠くへ来たもんだ ふるさと離れて六年目


1978年、海援隊はこう歌った。さてさて、ぼくは何年目になるだろう?

いやいや、ぼくはふるさとへUターンしたんだった。


でも、それは出身県に戻ったということに過ぎず、いま住んでいる町は、生まれたところでもなければ、育ったところでもない。懐かしさ、あたたかさを感じるところがふるさととするならば、この町はぼくのふるさとじゃない。

見知らぬ土地だった、戻ってきたころは。


ぼくが学生のころ、ぼくの家は炭坑街から、海に近く、山もあるこの町に引っ越した。ぼくはこの引っ越しに事前の承諾をした記憶がまったくないのだけれど、「どうでもいいや」と思っていたのかもしれない。そのころは、いずれ帰ることになろうとは夢にも考えていなかっただろうし。


ぼくが育った町には、ぼくが住んでいた家がまだある。
短い急な坂をあがると、その家はある。

最初に見え始めるのは、床も壁も、セメント打ちっ放しの風呂場。セメントの打ちっ放しはとてもひゃっこかったけれど、今なら少しハイカラかもしれないな。

炭坑街だったからだろうか、この風呂は石炭でわかした。石炭の燃えるにおいがぼくは好きで、風呂釜のそばに座り込んではそのにおいにひたっていた。中毒作用があったのかな、もしかして?

あのにおい。もう、長いことかいでないなぁ。

そう言えば、台所にあったストーブも石炭だったっけ。ものすごくあったかかった。冬には餅を焼いたり、楽しかった。でも、九州の平野部なのに、どうしてあんな雪国向き強力ストーブを使ってたんだろう?


今も残るぼくが育った家。
今は、見知らぬ人のふるさとになっている。


多くの人はふるさとを出て、見知らぬ土地に自分の新たなふるさとを作っていく。

生まれ育ったふるさとでは、父が去り、母が去り、誰もいなくなった家だけが残る。
その家も、いずれ朽ちて、消えていく。


それがあたり前なのかもしれない。



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