番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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片道、ぴったし3回。

さて、なんでしょう?

スーパーへ買い物に行く車の中で、『メリッサ』を歌う回数。
きょうも、往復で6回、きっちり歌い倒した。

ここんとこ、MDのボリュームをガンガンとあげ、声を大にして歌う日々。
冬だし、窓は閉めきっているものの、音は外に漏れているに違いない。

ずんどこ『メリッサ』を響かせて走る、青いコンパクトカーのおやぢは私です。
周囲の皆さま、すみません。

先日、仕事で高速道路を1時間ほど走った。その間、ずっとこの曲の繰り返し。歌い過ぎで、ノドが痛くなった。

そんな感じで、ただ今、がっぽし、ハマッている。別に宴会用のおはこにしようというわけではないし、カラオケへの準備でもない。ぼくはカラオケが大のニガテ&大キライ。付き合いで3年に1回くらい行く程度だ。

でも、歌ってしまう。いい曲なんだな、やっぱし。


ところが、最近、重大なことに気がついた。

ワシって、音痴かも・・・・・?

かなり歌い込み、歌詞もカンペキになったにもかかわらず、MDの演奏がないと歌えない。伴奏なしで歌うと、リズムも音程もくるっているのがよくわかる。

あぁ、音がハズれてるぅ~、と思っても直せない。ガ~~~~~ン!!

ギターが手元にあれば試しに弾きつつ歌ってみれるのだけど、ぼくのギターは甥っ子が持っていったっきり戻ってこない。キーボードはあるけれど、片手でメロディを追うのがやっと。弾きつつ歌うなんて芸当はできない。

美声ではないし、うまくはないけれど、20世紀は弾き語りできていたのに。
いつの間にやら、音痴と化していたとは知らなんだ・・・。

リズムもメロディも無視して歌い切る「我が道を歩むおやぢ」へまっしぐらか?!

いやじゃぁ!!
自分の耳にズレた我が声が聞こえるのはコワい。


これは、歌い込みが足りないからかしら、もしかして?
よしっ、あしたも歌うか!

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番組の大半をつぶしたり、ライブドア騒動の報道は続く。
NHKの『クローズアップ現代』なぞは、二日続けてこの騒動をやるんだそうで。

ご苦労さまと言っておこうか。

有識者が言うように「証券取引における信頼関係を揺るがしたゆゆしき出来事」には違いないのだろうし、時代の寵児が凋落したんだから見る方もおもしろかろう。独居房のイラストまで登場させ、地に堕ちた勝ち組をいたぶる。

持ちあげといて、突き落とす。
「手のひらを返す」という言葉があるけれど、マスコミは千手観音みたいに手のひらをたくさん持っているんだろう。

株価全体が上がったり下がったりするほどの大きな大ごとなんだろうけど、ちょっと時期がたてば「そんなこともあったね」と記憶のどこかに残っている程度の「時代のあだ花」と化してしまうだろう。

その程度の出来事に過ぎない。


栃木で殺された女の子、その後、捜査はどうなったんだろう?

辺野古には、やっぱりアメリカ軍の基地ができちゃうのかな?

イラクはイラクの人たちが治める国になりつつあるのかしら?


あだ花として消え去ることが決してない、現実の出来事をぼくは知りたい。



ニュース速報が流れた。「堀江社長逮捕」。

NHKも民放数社も、いきなり特番に切り替わった。
夜のニュースは、この事件一色。新聞は号外を出した。

街の声もいろいろ。

「大ショック!」

「悪いことしていたんだから当然よ」

「興味はお金だけだったんじゃない」

「日本を変えるのはこの人しかいないのに」

「もともと、うさん臭いと思ってた」

まぁ、両極端。人気もあれば、反感もある人だということがよくわかる。


株の世界のコトはさっぱりわからないし、興味もまるでないぼくは、これほどに大騒ぎになること自体に驚いた。スポンサーのOKがあったんだろうけどレギュラー番組をとばして特番を組んだり(ということは、局側はその準備をしていたということだ)、裏が英文となっている号外が配られたりするほどの事件なんだなぁと、改めて感じた。

でも、特番を組み、なおかつ、ニュース番組の大半の時間を割いて報道するような「おおごと」なのかしらと、やっぱり思ってしまう。

ぼくの感覚の方がおかしいのかな?


街の声に、「彼のやってることは、実業じゃないんだから」と断ずる初老のおじさんがいた。“どうだ、若僧、わかったか!”てな勢いだった。

なんとなくムカッとした。

ぼくは全然「若僧」じゃないし、堀江さんのファンでもなければ、逮捕されたことがおかしいとも思わない。「自分が『世界一』となることは既成の事実」と公言する堀江さんは、あらゆる手段で自己資産を肥大化させ、その資産が見かけの上で増えることを活用しメディアの世界へ強引に切り込もうとした。そのやり方は、どうにも賛同はできない。

しかし、その「虚業」に、老若男女、多くの人たちがひきつけられた。「人の心はお金で買える」と言い切れる「虚業」に魅力を感じるような社会は、「実業じゃないんだから」と言い放つおじさんたち世代が作り、育て上げてきてものだ。

主人公が“若僧”であることを事件の原因にすることはできないだろう。「虚業」に生きる彼を、マスコミを通じて持ち上げに持ち上げていたのも、実は「実業」の世界なのだから。


堀江さんの言動がおおっぴらだったこともあり、ニュース・ソースとしてもおもしろいから、人々の関心も買う。そのカゲで消えていくニュースもある。


22日、沖縄県名護市で市長選が行われた。ジュゴンの住む海にアメリカ軍のヘリポート(という名目の新たな基地)を建設しようとしてすったもんだしている辺野古がある町だ。

立候補したのは3人。すべて「基地建設反対」の立場。しかし、その反対には“絶対反対”から“国の出方次第では容認”まで温度差があり、当選したのは「国の出方次第では基地建設を認めてもいいよ」と考える人。長い間にわたり基地建設に反対してきた人たちは候補者をひとりにしぼることができず、選挙に敗れた。辺野古での体をはった反対運動は、これからも続くだろう。


日本という国の中に、戦争に使われる基地が新たにつくられようとしている。その町の首長選で“建設容認”を思う候補者が当選した。

こちらの方が大事な出来事だと思うのだけど、パトカーで先導されつつ東京拘置所へ入るホリエモンの方が興味をひいてしまうのかな。



「夢野久作」の仕事で、久作の権利関係を管理されているお孫さんにお目にかかった。お孫さんは、現在、高校で教鞭をとっていらっしゃる。

夕方5時半のお約束。が、勤務先の高校に着いたのは4時前。どのくらい時間がかかるかわからなかったので自宅を早く出たのだが、さすがに早すぎた。どこかで時間をつぶそうと、車を適当に走らせていたら国道に出た。そこがものすごい大渋滞。500メートル進むのに45分もかかってしまい、危うく約束の時間に遅れるところだった。

久作の孫の先生は、大学入試関係で忙しい時期にもかかわらず、ぼくの話を丁寧に聞いてくださった。久作は今でもファンが多く、出版関係の依頼もよくあるそうで、そのたびにこうやってきちんと話を聞いているとのこと。

久作のお父さんである杉山茂丸は、福岡の 玄洋社(というより創設者の 頭山満 )との関係が深い人。明治の政財界の、今の言葉で言えば“黒幕”的存在だった。

茂丸は家庭をほとんどかえりみることなく、「日本そしてアジア諸国の自立のために」と走り回っていて、それを茂丸本人は「国事病」と称していたそうだ。また、常人にはついていけないほどの大きな、また不可能と思われることを口にするので、「ホラ丸」というあだ名もあった。しかし、その存在感はものすごく、葬儀には頭山満はもちろん、広田弘毅や緒方竹虎なども参列している。

そんな茂丸は、現代の右よりの人にすればひとつの理想像でもあるらしく、久作の孫である先生に出版の許可を求める依頼が多いそうだ。だが、最近、出された書籍では、右寄りの理想像という姿にあまりに曲解され、「明治期の陰謀の裏で糸を引いていたのは茂丸だ」という内容になっていたので、先生も驚かれたという。

「ライターの方とはちゃんとお会いして、きちんとお話したんですけどねぇ」

嘆息される先生。著名人の血縁というのは大変だ。

その、久作の孫である先生が、事実をきちんとふまえて書いてあるとすすめてくださったのが次の3冊。


   →『夢野久作読本』 多田茂治 著 弦書房

   →『夢野一族』 多田茂治 著 三一書房

   →『夢野久作・迷宮の住人』 鶴見俊輔 著 双葉社


鶴見俊輔さんは、戦後、忘れ去られていた夢野久作を『思想の科学』の1962年10月号で「ドグラ・マグラの世界」として発表。これが久作を再評価するきっかけとなった。

しかし、読んでもよくわからないのだけれど。。。。。
想像力のモンスター・久作を論客・鶴見が説くのだから、わからんのも当然かな。


久作の息子である杉山龍丸も興味深くも想像を絶する人生を送っている。
彼は、インドに木を植え、緑豊かな大地にすることに生涯をささげた。以前、『木を植えた男』という本が評判になったことがあるけれど、それをインドの荒涼たる大地で実現しようとしたのだ。

精神力の強靱さを感じる行動だけど、そのいきさつはご子息(久作の孫、今回お世話になった先生)の著書 『グリーン・ファーザー~インドの砂漠を緑にかえた日本人・杉山龍丸の軌跡』 に詳しい。




子ども向けの短い番組だから、楽しい内容になるといいんだけどなぁ。





CDが売れなくなっているせいなのか、紙ジャケットやLPサイズのジャケットで70年代のアルバムが次々と再発されていく。

ぼくは「音が出ればいいや」といういいかげん野郎なので、再発に伴い音質もアップしたCDを購入することはほとんどない。まして、紙ジャケットという、LPを模したミニチョコ盤は買ったことがない。

どんなに同じように作っても、あの、額に入れて飾ることさえできたLPとは比べるべくもない。サンタナの『ロータスの伝説』など、CDサイズの紙ジャケで再現したって感動しないだろうなぁ。

「なんでこんなモンを作ったんだ???」

そう、買ったときに思ったもの。横尾忠則さんがデザインした22面(だったかな?)ジャケット。床に広げて楽しんだっけ。

あれも売ってしまった・・・・・・・後悔先に立たず。


でも、「ん? 欲しいな、どうしよう」と思えるCDが紙ジャケットで再発された。

それがこれ。


Randy MeisnerRandy Meisner 『 One More Song 』


イーグルスのメンバー、ランディ・マイズナーの二枚目のソロ・アルバム。ずっと廃盤だったけど、紙ジャケット仕様( Limited Edition )で新登場。

以前、日記に書いたけど( 2005.02.18 『 One More Song 』 )、元イーグルスのメンバーのソロ・アルバムの中で、これが一番好き。LPでもよく聞いてたし、CDになったときに即購入し、今もよく聞いている。

このアルバムは、ほんに良か。

が、しかし。

いかんせん、昔のCDのせいなのか、録音レベルがえらく低い。LPの音を覚えているこちらとしては、なんとなくもの足りない思いをいだいていた。

音を気にしないと書いたことと矛盾するけど、そうなのだ。

紙ジャケで再発だから、きっとリ・マスタリングされ、音質もぐーんと改善していることだろう。

価格も ¥1,890 と、なかなかお手頃。「完全限定」というのも気にかかる。

う~ん、欲しかぁ。

でも、再発にあたってのボーナス曲などはナシ。
どうしようかなぁ。。。。。。

しばらく悩もう。



ウィルソン・ピケットが亡くなった。


ウィルソン・ピケットWilson Pickett 『 Best of Wilson Pickett 』


我が家にあるのは、Rhino編集のベスト盤一枚。
でも、ぼくにとっては、とても印象深い人。


あれは、小学校の何年生のころだろうか。
ウィルソン・ピケットの歌う「ダンス天国/Land Of 1000 Dances 」を聞きながら踊るイトコの姿をあぜんと見てたのは。

イトコは別にR&Bが大好き少女じゃなかった。でも、同じとき、「恋の季節」も踊ってたけど、「ダンス天国」の踊りの方がしっかり記憶に刻まれている。

踊りも歌も、きっと強烈だったんだろうなぁ。

「 In The Midnight Hour 」も忘れられない。


ぼくのフェイバリット・ギタリストのひとり、デュアン・オールマン。
彼がセッションマンだったころ、ウィルソン・ピケットの『 ヘイ・ジュード 』の録音に参加。彼の空駈けるようなスライド・ギターを聞いたピケットがデュアンに「スカイ・ドック」というあだ名をつけた、なんて話を昔々の『某ジック・ライフ』で読んだりした。

ピケット&デュアンの『 ヘイ・ジュード 』、このアルバムでも聞ける。


デュサン・オールマンDuane Allman 『 An Anthology, Vol. 2 』


『 ヘイ・ジュード 』を吹き込む案が出たとき、ピケットは「ビートルズの歌なんかバカバカしい」とか、「オカマの歌はイヤだ」(「 Jude 」を「dude 」と思ったらしい)などとゴネたという逸話がある。ホントかなぁ?

でも、出来は最高だ。

動くウィルソン・ピケットを見たのは『ブルース・ブラザーズ2000』が最後かな。ヒット曲「 634-5789 」を女の子紹介会社(要するにテレクラ?)の電話番号にして、エディ・フロイドと一緒に歌っていた。サングラスをかけて歌う姿は迫力満点だったけどなぁ。


享年 64歳。ものすごく昔の人と思っていたけど、若くてびっくり。ミック・ジャガーとそんなにかわらんじゃん。


合掌。




それにしても脆弱なシステムであり、体質だこと。
株取引の舞台・東証と、そこで踊る投資家たち。

ライブドア・ショックという言葉が早くも生まれたらしいけれど、成長するのかダメになるのか、今後どのようになるのかもわからない企業がとった成長への方法論で株の取引全体がこれほどオロオロするとはねぇ。

昔々の「巨人軍の江川獲得作戦」じゃないけれど、決まり事のすき間をぬって利益をあげるのがライブドアのやり方ということは既に何度も報道されてきているし、そのスレスレのところが「非だ」と言われたところでそんなに驚くこともあるまいに。

IT企業とは言うが、その実体も、その将来像も、やがて訪れる未来をどう設計するのかもよくわからない組織体。その「わからなさ」に、“無限の可能性”という夢を見るのが投資家だ。はかない夢と消える、そんなリスクをあえて買うのが投資家の思い切りだし、仕事みたいなもんだから、暴落して損をしてもそれは前もって見通しているはず。だから、投資家も今回の件も想定内だろう。危うい道を通っているからこそ、見返りも多いのだから。

でも、今や投資家の多くがインターネットを使った個人。素人がキーボードを叩きながら株を買える。ライブドア(だけじゃないけど)は、そんな素人向けに株を小分けし、手が出しやすくした。そこに、素人は飛びついた。自分は「リスクを買ってる」のだと、腹をくくることもなく。

浅はかじゃなかろうか、やっぱり。
墓穴を掘ったのは自分だから、誰を責めることもできないね。


それにしても、「やっぱり狙い撃ちされたか」という感じがするのは否めない。
日本って、いまだに出る杭は打たれる社会なんだな。


仕事柄、インタビューその他、取材テープは出来る限り見たいなと思ってるし、見なければならん。しかし、書き起こしって、何年やっても面倒だわぁ。

ここ数日、朝から夕方では某局の編集室で、夜は自宅で、書き起こし。
もはや、マシーンと化している。

が、マシーンにはやっぱ、なりきれない。
あきる、ばてる、手が痛いぃぃぃ。あぁ、音楽が聴きたか~。

どこにどんな話があって、誰がどこでどんな表情をしてるかなんてことは見ないとわからないので、アタマからオワリまで結構じっくり見る。じっくり見て、何もないこともままあることで、ちょっと気落ちするけれど、それは「何もない」ということがわかっただけでまぁいっか、と思うしかない。

カメラとテープの質がよくなったせいなのか、取材テープの本数が増えること増えること。今、某局で拝見してる取材テープは、33分テープで40本ほど。まだ取材中なので、もう20本くらい増えるかも。じっくり撮らねばならない相手なので本数が増えるのも仕方ないのだが、「ここぞ!」と思える箇所を探すのがしんどい。

見ている途中で編集マンがきて、

「こりゃ、回しすぎやろぉ・・・・・・」

と、嘆息しつつ、去っていった。

「本数が増える」 イコール「使える映像が増える」とはいかないから、編集マンの作業量も確実に増えることになる。いい映像を探すのが大変だ。

撮ってきた映像を全部パソコンに取り込んで、プレミアなり、ファイナルカットなりの画像編集ソフトを使って編集する局も増えている。テープがディスクかわるのもそう遠くないと言われている。使い勝手はどんどんよくななる。が、仕事量もますます増えていく。

昔、フィルムのころは一本数分しか撮れなかったという。

選べる選択肢が多い方がいいのか、これしかない!と決めて撮った映像のがいいのか、よくわからんなぁ。


日テレがまたまたヤラセで叱られている。

個人情報の漏洩に関係して、名簿屋で情報がやりとりされるところを撮影したかったのだけど、客が現れなかったのでスタッフが客のふりをしたそうな。

情けなかね~。

と、言い切ってしまうと、苦しい台所の制作会社には気の毒だけど。

出来事を、起きてから、伝える。それがニュースの基本だろう。なのに取材を始める前から、「こんな映像を撮ろう」とストーリーその他を決めて望むから、こんなハメになる。

最初から事件の知らせ方を撮る映像まで構成をかためているとしたら、その映像がないとストーリーとして完結しないし、「何日までに納品する」的な契約(口約束だろうが)をしている制作会社としては致命傷ともなりかねない。

日テレ側は「架空の顧客を仕立てたことを確認できなかった」と釈明している。そりゃ、確認できないだろう。撮れることを前提として話は進んでいるのだろうから、撮れた映像が「本物」か「偽物」かを確認しようとすることさえ、現実的には考えられない。

下請けはツライね。
それでもやってはアカンことはアカンのでっせ・・・・・と、言うのは自分に向かってでもある。


ぼくは一度だけ、「まるっきりヤラセ」の番組に関わったことがあって、思い出すだに慚愧にたえない。仕事をしながらも、これを見て、「ほぉ」と感心したり、「う~ん」と感動したりする人がいるかもしれないと思うと、どうにもたまらなかった。

それでもその仕事を途中からでも蹴って足抜けしなかったのは、仕事がこなくなるかもしれないという恐れと、「ヤラセ」番組に携わっているスタッフもそれでメシを食っているという事実があったから。

仕事が来なくなるという恐怖をいだいてはいたが、その後、彼らと仕事をしたことがない。一回こっきりで終われたのは、ぼくにとっては幸運だったと言うべきか。

なんてことを言っても、「まるっきりヤラセ番組」をやった言い訳にもならんが。


今なら「ヤラセ」に気づいたときに、ケツをまくってその場からとっととオサラバできるだろうか?

うん、今ならできるな。
仕事が来なくなったとしても、きっとなんとかなるだろうから。


「渇しても盗泉の水は飲まず」かぁ・・・・・・。
昔の人はムリを言うなぁ。



昨年の暮れ、NHKの総合か教育か、どちらかを見ていたら妙なアニメが始まった。頭をハチマキみたいなモノで締めている、かわいいと言うよりグロテスクな生き物くん。「なんだろ?」と思っていると、ハチマキをゆるめた頭から餅のようなものを取り出して、攻撃用の武器に変えた。

「おでんくん」だった。

公園の一角に店を出している屋台のおでん屋。そのおでんの鍋の中に、おでんのタネたちが暮らすおでんの世界・おでん村がある。おでんくんは正義感の強い男の子。なぜかはよくわからないけど、お母さんと離ればなれになっているらしく、「お母さんに会いたいなぁ」とつぶやいては涙ぐむ。

登場するキャラクターは、おでんのタネたち。「たまごちゃん」や「だいこん先生」など人気のタネはもちろん、「がんもくん」「ちくわぶー」「つみれちゃん」に「スージー」、さらには「ガングロたまごちゃん」なるちょいと昔の渋谷系の女の子もいる。

おでん屋にやってきた客が「タマゴとガンモね」などと注文すると、おでん村の空から大きなさいばしがニューッと降りてきて、たまごちゃんをつかんで持ち去っていく。

「あらら、いっかんの終わり! 食べられちゃう!」

と思いきや、おでんくんたち他の住人たちは、

「いいなぁ、元気で行ってらっしゃ~い!」

と見送るのだ。人気のないガングロたまごちゃんなど、どうして自分にお呼びがかからないのかと不機嫌になってしまう。

シュールというか、ほのぼのというか、なんなんだ~、このアニメはぁ?
おでんくんの声は、女優の本上まなみさんだし、ココリコの田中直樹さんや、サンプラザ中野さんの声も聞こえたり。ゼイタクである。

ネットで調べたら、おでんくんのページがしっかりあった。


  → おでんくんweb(小学館)

  → おでんくん公式HP


NHK教育の『天才ビットくん』のアニメコーナーでやっているらしい。DVDも出ているし、キャラクターのワッペンなどおでんくんグッズも販売されている。

知らなかったな~。

原作がリリー・フランキーさん。フランキーさんと言えば、歯に衣着せぬ発言で人気もあり、かつ物議もかもしだしている人だが、個人的には北九州出身で誕生日が同じということで、なんとなく好き(理由になってないな)。

きょう、久々に地元の本屋に行ったら、フランキーさんの最新刊 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 が平積みにされていた。なんと50万部突破だって!

すごか~。読んでみようかな。

しかし、NHK教育は 『ピタゴラスイッチ』 なる秀逸な幼児番組もやってるし、なかなかあなどれん。


と思っていたからではないけど、先週の日曜日の夕方6時過ぎ、なんとなくNHK教育をONすると、野球のアニメをやっていた。おぉ、高校野球のアニメか。『ドカベン』に『タッチ』、いつの時代も高校野球は人気だなぁと思って見ていたら、使っているボールが軟式。

ん? こやつら、中学生? 姿にしろ顔つきにしろ髪型にしろ、どう見てもやさぐれ、ひねくれ高校生にしか見えんがね。

なに? 右肩を壊したエースは左で投げて130キロは出すだとぉ? その球を自宅の庭で受けたプロ野球選手の父親は「お前の球には致命的な欠陥がある」と断言。そこへ異様に若い母親(巨人の星の明子ねぇちゃんまっ青)が飛び出てきて、「楽しく野球しようとしてる子になんてこと言うのよ!」と父親の胸ぐらをつかんで締め上げる。なんじゃぁ、設定にめちゃめちゃムリがあるなぁ。

などと文句を言いつつ、最後まで見てしまった。

で、きょう、本屋に行ったら、このアニメ『メジャー』の単行本が書棚にずらりと並んでいた。あら~、人気がある漫画なのね。

当然のように、アニメのHPもしっかりあった。


  → 『メジャー/MAJOR』


てなことで、きょうも見てしまった『メジャー』。ライバルの秘密があばかれる。

小学校のころ、主人公が野球を教えた友だちがいる。彼は強打強肩のキャッチャーに成長していた。先週、主人公が左で投げた自信満々の速球を幼なじみの彼はいとも簡単に打ち崩したのだった。

その彼は小学生のころ、両親に捨てられ、おじいさんとおばあさんに育てられてきた。彼が野球をやるのは、一日も早くプロとなり、自分を育ててくれたおじいさんとおばあさんに恩返しをしたいからなのだ。

なんだぁ、スポ根アニメ21世紀版かぁ? どこかで見聞きしたような、ベタなストーリーじゃ。

でも、来週も見よっと。




最近、番組なんだか宣伝なんだかわからん番組がえらく多いような気がする。

夜のゴールデン&プライム・タイムにオンエアする特番の見どころを紹介したり、これから始まる連ドラのストーリーや俳優たちを思わせぶりにチョロと見せたり。当然ながら内容は、「おもしろいですよ、乞うご期待!」の自画自賛。見てると、こちらが薄ら恥ずかしくなるのだけど。

別に調べてないけど、どちらも同じスポンサーなのかなぁ。

先日はNHKでも長々と大河ドラマの番宣番組をやっていた。CMをやらないはずのNHKでも、自局の番組は宣伝していいんですね。でも、番組の告知&宣伝を「番組化」しちゃまずいんじゃないかと思うんだけど。そんな番宣番組れにも当然制作費がかかているわけで、それはぼくらが納得できないながらも払っている受信料なわけでして。

番組宣伝番組を作ってもらうために支払っているわけじゃないんですけど、いかがなもんなんでしょか?


きょう、旅帰り。アタマの霧が晴れず、夕方、ぼ~っとテレビをながめていたら番組のゲストにレギュラーが「ところで○×さん出演のドラマ、今夜、始まるんですよね」と振る。なんじゃ、そりゃ。そこまでの番組の内容とぜ~んぜん関係ないじゃないの。

いいのか、見ている側の気持ちの流れを無視してそんな情報を突きつけて。

「視聴率があがらん! 宣伝が足りん!」と地方局からの突き上げがきついのかどうか知らないけれど、見ていて思わずムカッとしてしまう。局が電波を私物化してるみたいに感じるのはナゼかしら。

「さぁ、これは!」と盛り上がったところでCMへ行くあざとさといい、視聴者をムカつかせることがテレビはほんにうまくなった。ぼくなど、そんな切り方に続いて登場するCMの商品なぞ「死んでも買うか!」と思うけど、グロスの視聴率にしたらこっちの方が効果的なのかしらん。スポンサーは、こんな失礼なCM入りを本当に喜んでるのかなぁ。

ao「そんなこた、知らん」



他県某局のスタジオにて、ガラス工芸作品の撮影。

ハイビジョン・カメラ4台を駆使した映像は、発色や作品の細かい部分も鮮明に映し出す。これまでのテレビとは比較にならないほどに美しい。

しかし、カメラマンは大変だ。解像度が格段によくなり、画面の縦横比までもが変わったカメラを使いこなさなければならない。

画面がより長方形になったというのは、かなりやっかいだろう。これまで以上に入るようになった左右の広がり。その処理の仕方はカメラマンに任されるし、そこにはカメラマンの感性が出ざるをえない。

例えば、インタビューのとき、対象者の顔を画面のどこに入れるか?

これまで通り画面の中心に置くと、左右の空きが気にかかる。それが気にならなくなるまで顔に寄ると、最近の大型テレビの画面一杯に顔が広がって暑苦しい。スーパーをどこに入れるかも考えなきゃならないし、カメラマンたちはこれをどう処理するだろう?

変わる画面と改造度に慣れるトレーニングを積んでからいざ本番、というワケにはいかない。ある日を境にコロッと機器が変わるのだ。テレビを見ている方は、デジタル化して美しくなった画面を「テレビの性能がよくなった」とは思うだろうが、そこに画面を送り出す方の努力があるとは思うまい。

まぁ、そこはプロ。きちんと撮ってあたり前の世界。つらいところだ。


撮影した作品は8点。かかった時間は、ニュース番組による中断をはさみ、計7時間半。撮影時間を4時間とふんでいたディレクター氏は想定以上に時間がかかってしまったと言っていたけれど、ぼくは1点につき1時間半はかかると思っていたのでずいぶん早く終わったように感じた。

そして、ちょっと奇妙に思ったことがある。
カメラマンから「ダメ出し」が出なかったこと。

たとえその作品を作った人間が「OK」を出しても、カメラマンとしての自分が映像的に満足いかなければ「ダメ」だと言わなきゃならないし、言うべきときがあったと思う。

テレビは映像がいのち。カメラマンのウデに期待するところ大。
だから、「ダメ出し」を出せるカメラマンがどんどん登場することを願う。

それにしても近頃のカメラマン、自分の映像にこだわりがなさすぎ。
そう感じてしまうぼくは、もう前世代の人間なのかな。



う~ん、う~ん。。。。。。。うなっとるワタクシ。

番組用の資料使用許可&取材依頼の手紙を書こうとしているのだが、さっぱり文言がアタマに浮かばん。

その人を知る人に、住所と一緒に電話番号もメールアドレスも教えてもらったのだが、電話は受話器を持ったまま硬直するほどキライだし、メールでお願い事ができるほどにぼくは現代人じゃないもんで、手紙を書こうと思って・・・・・・・うなってる。

書けなくなったな~、文章が。。。。。

ここ数年、ほとんどの用事をメールで済ますクセがついているもんだから、時候の挨拶なんてまったく使ったことがない。「寒さ厳しき折云々」なんてご挨拶から始まるメールなんて書かないし。

だから、時候の挨拶がウソっぽく思えて、書いていて恥ずかしいこと恥ずかしいこと。「こ~んなこと、ちっとも思ってないだろ!」とアタマの中でひとりのぼくがいぢわるを言う。

うん、思ってないね。

「拝啓」から始まって「敬具」で終わるまでの何十行かの中で、必要な部分はほんの数行だな。でも、この数行だけで依頼、お願いしても相手は「ムカ」っとするだけだろう。ウソ事、そら言でも美しき文章というのは大切だ。

その美しき文章がち~とも出てこん。かと言って、「時候のご挨拶集」といったアンチョコに頼るのも悔しいし。


学生のころはよく手紙を書いたっけ。でも、相手は時候のご挨拶を必要とするような人たちじゃなかったし。ぼくは、もらった手紙をポイするタイプじゃないので、楽しい嬉しい悲しい悔しいその他もろもろ、その内容にかかわらず、もらった手紙はすべて、引っ越しのときに詰めた段ボールの中にそのまま今も眠っているはず。

こっちへ越してきたときにしまい込んだまま。
読み返すことなく、遺品となるかもしれないなぁ。。。。。。。。


なんて、たそがれている場合じゃないっ!!

う~ん、う~ん・・・・・・・・・・・・「ご高配賜ると幸いです」

こげな言葉、使わんばいっ。おかしか~。



Amazonで遊んでて、「ほ~」と思った、これから出るアルバム。


高田渡高田渡 『 URC完全盤 (初回限定生産)』

CD4枚組 ¥5,250

こりゃ、たぶん彼も見つけたに違いないと思ったら・・・・・・やっぱし!


  → 幻館泉主人さんの日記 2006.1.11 「高田渡URC完全盤」


さすが幻ちゃん、目ざといね~。


予約を受け付けているけど、しかし、内容がよ~わからん。
発売元(?)のエイベックス・マーケティング・コミュニケーションズのHPでも、

「公式リリースされたアルバム、シングルはもちろん、フォークジャンボリーをはじめ、未発表を含む数々のライブ音源を、独特なMCも含め収録。さらに未CD化のラジオ音源も収録予定。ブックレットもレアな写真等を満載した充実の内容」

としかワカラナイ。
これじゃ、予約するのもちょっと足踏みかなぁ。ちと高いし。

ベラボーに作品がある人ではないけど、4枚組に全部おさまるのかな? 未発表曲ってのは聞いてみたいな。

それに“独特なMC”ってのも。
ライブの途中に眠りこけてる「音」なんてのが入ってるといいんだけど。


しかし。。。。。。おや?

Amazonの紹介ページに掲載されている上記のフォト。これって、「五つの赤い風船」とカップリングで発売された、渡さんのデビューアルバムのジャケットと同じじゃないかしらん?

この装丁で出るのかなぁ。

「初回限定生産」という、呪文のような文言も気にかかるが・・・・・。


もうちょっと情報が出るまで待ってよう。


きのうの夜、BS2でポルノグラフィティの因島ライブがあった。
夜にヨワいぼくは起きて見てられないので、録画。今、見てる最中。

ポルノのふたりは、ふるさとである因島の小学生、中学生、高校生、2千数百人あまりを市の公会堂に招き、それぞれを観客に計3回のライブを開いた。島を出た者こそがわかる因島への思いを伝えるために。

因島市は平成の大合併で尾道市に併呑され、「市」ではなくなってしまうそうだ。たぶん、「いんのしま」という地名は残るのだろうけれど、寂しく思う人は多いだろうし、想い出の一端が失われてしまうというのも確かだろう。

土地の名称というのはとても大事なものだと思う。

なんのための合併か。経済的な効率か、行政的な能率か。それを追うのもいい。国策だから、逆らうこともできまい。

それと引き替えに消してしまった歴史と情緒がある。
それは、次の世代に伝えなければならないことなのだろう。


それにしても、最近は奇妙な地名が増えてきた。ひらがな読みにしたり、カタカナにしたり。昔、ひらがなの市は「むつ市」だけだと聞いたことがあるけれど、今は「さいたま市」とか「うきは市」とか、どんどん誕生している。それ一字だけで意味を持つ漢字を放棄すると、地名の意味するところがまったくわからなくなる。

最近じゃないけど、長崎の佐世保の先に「ハウステンボス町」ができたときは驚いた。ハウステンボスがつぶれたらどうするんだろう?と思ったけれど、町名変更のとき、そんなことは考えもしなかったんだろうか。

ぼくが買い物に行くスーパーの近辺は「くりえいと」という地名だ。
ムリヤリ英語、それも、ひらがな・・・・「センスあるだろ」と言いたいのかなぁ。

なんでこんな名前にしたのだろう? ちゃんとした土地名があったろうに。スーパーの脇には「命名の由来」的な石碑があるけど読んだことがない。たぶん、新たに開発した地であることを強調したいのだろうと勝手に想像している。

しかし、自分の住所に「○○市くりえいと1丁目×番地」なんて書きとうないなぁ。


と、書いている間に、小学生たちを招いたライブが終了。

MCをやるボーカルのアキヒト君。

「これまでにライブ行ったことある人、手をあげて!」

と、自らも手をあげながら言っていた。やっぱりこんな、体操のお兄さん的なしゃべりになるのね~。でも、小学生たちも楽しそうだった。


お~っと、『メリッサ』! う~ん、やっぱいい曲だ。
きょう、車の中でがっぽり練習したから、おぢさんも歌えるぞっ!


高校生を招いた回には、地元の高校生5人によるバンド「八朔Boys」が登場。柑橘系の大きな「八朔」、実は因島が発祥の地なんだそうだ。

この日のために結成されたこのバンドが歌うは『サボテン』。びみょ~な音程で歌うボーカル君の顔は八朔のようにまん丸で、リキんでいるのかピンク色。メンバーみんな、ネクタイにブレザーの制服なのがいいじゃないか。


因島出身の先輩として、東ちづるさんからのメッセージが読まれたのには笑った。

しかし、みんな、実に楽しそう!
歳の差があまりない先輩に、彼らのような人たちがいていいね。



島をめぐりながら、

「すごいのぉ、ここでよぉやりよったのぉ、わしら」

と、因島弁で語り合うポルノのふたり。
予想以上によくしゃべり、よく笑う楽しい人たちだった。


ぼくはもう、「いきなり総立ちライブ」にはついていけないから、ナマの彼らに接することはないだろう。

その分、あしたも車で聴き倒し、歌い倒すかな!




きょうは成人の日。

ぼくの住む町は、一足早く、きのう成人式を行ったらしく、きのうの夕方、ホールのある建物の前を通ったら、晴れ着の娘っ子たちと紋付き袴のあんちゃんたちがぞろぞろたむろしていた。

きょうのニュースでも、あちこちの町で行われた成人式の様子が。それを見て、ハタチの若い衆が結構出席しているのに驚く。

どうもワカラン。

オトナの、それも行政という、オトナのいやらしさが固まり臭っているかのような組織が主催する「成人式」なんぞに、よく出席する気になるなぁ。
まぁ、卒業式で別れた高校の友人たちなんかに、久々に、公然と会えるいい機会であることはよくわかるけど、それならツマラン式典なんぞに出席することなく、どこかに飲みにでも行けばいいじゃぁないかと思うのだが。

娘っ子は晴れ着を同性には見せびらかしたいだろうし、異性には普通の状態では醸し出せない、意外な魅力を見て欲しいだろうな。

でもなぁ。。。。

子どもがいないぼくには、二十歳までよくぞ無事に育ってくれたという親の感慨は分からないが、きょう限りもう二度と袖を通すこともないだろう振り袖を揃えてあげるというところに、両親の喜びは充分に感じ取れる。

お子さまの方は、親の心なぞ知らないだろうが。

それでもなぁ。。。。

おやぢのぼくが聞いても、ちっともおもしろくなく、ためにもならないおやぢたちの「新成人に贈る言葉」や、優等生丸出しで「ほんとにそう感じてるのか?」と思わざるを得ない「新成人の誓いの言葉」なんぞを聞いて、いったい何になるのか?

大半の出席した新成人の若い衆は、壇上で語られる言葉などには耳もかさず、しゃべくり合ったり、かわいい女の子、素敵な男の子を捜したりするのに忙しかろうが。

でも、しかし。

オトナがしつらえてくれた晴れの場に出るということ、それ自体が、どうにも信じがたい。ときに、人前に出るとはしゃいでしまう幼稚園入園前のガキのようなハタチがいて、ところかまわず暴れ出し、「成人式はどうあるべきか?!」などと議論になったりするけれど、どんなに情けない醜態をさらそうが、結局そんな場に出るということ自体、オトナの手のひらに乗ったということ。そこでイキがってみたところが、手のひらの上でバタバタしているだけにすぎない。

今年も会場でクラッカーを鳴らしたアホンダラがいたらしく、現場にいたプロレスラーのグレートサスケが意見をしていた。それだけでガキ以下に情けないのに、さらに情けないのは、グレートサスケにくってかかる「お友だち」が数人いたことだ。

コイツらは、いつまでたってもオトナの手のひらから飛び出せはしないだろう。まったくカッコよくないし、体制に反抗するってな心意気もゼロである。オトナの後ろ盾があるから、ハメをはずせる。その程度のニンゲン・レベルだ。

ぼくらのころから、「ハタチは、まだオトナじゃない」と言われていた。30くらいになってようやくオトナと呼べると、ぼくらのころのオトナたちにぼくらは揶揄され、嘲笑されていた。

確かに、ぼくらはオトナになるのはズンと遅かった。いやいや、成人式を二度して余りある歳になった今の今まで、オトナになった実感なぞ、ない。

他人が決めた区切りなぞで「大人になった気がします」なんて、とても言えるもんじゃない。


名実共に大人と認められた昔の元服とは違い、成人の日は生まれて20年という時間が過ぎたということを示す行事に過ぎなくなった。それはとうの昔にわかっている。式は、単に区切りをつけるだけの通過儀礼。

そんな、オトナが準備してくれたステップなんかにエヘエヘしながらあがるなよ。
猿回しのサルじゃあるまいし。


しかし、オトナの手のひらの上でクラッカー鳴らして喜んでるようなハタチにも、選挙権が与えられるのか・・・・・。

コイズミ路線、安泰か?




打合せのハズが飲みに飲んで、家に帰り着いたのは午前4時。。。。。
翌日丸々一日、復活できず。

20代のころには、残業を終えてメシも食わず飲み、部屋に戻って着がえてから近所の飲み屋へと出かけていたのに、もう、深酒はできんトシになったなぁ。

しかし、同い年のカメラマンのおじさんは、

「こんなの、毎日のことだよ」

と、テンション高く、大声で元気に話し続けてた。

危ないよ~、そろそろ急にくる年齢だからね。


部屋でのびてたら、CDが届いた。


ポルノグラフィティポルノグラフィティ 『 BEST BLUE'S 』

一時、『メリッサ』を着メロにしていたりと、かなりポルノグラフィティが好き。でも、きちんと聞いたことがない。

だもんで、今さらのように購入。

デビュー5周年記念ということで、「HOT」をキーワードにした『 BEST RED'S 』と、この「COOL」がキーワードの『 BEST BLUE'S 』の2枚をリリースしてた。

聞き比べていないので、「COOL」と「HOT」の違いがわからないけど、やっぱエエわ、ポルノの皆さん。


♪ 僕らの生まれてくる ずっとずっと前にはもう
♪ アポロ11号は 月に行ったっていうのに


デビュー・シングル『アポロ』の歌い出しは鮮烈。
同時に、衝撃。あぁ、光陰矢のごとし。

アポロ11号の月着陸、テレビで見てたっけ。宇宙飛行士が月面をふわふわ飛び歩き、アームストロング船長が、

「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」

と言った(ことになっている)シーンを思い出す。
そうか、君たちはあの出来事の、ずっとずっとあとに生まれたのね。

でも、表現の仕方は変わっても、戸惑い、思い悩んでいることは同じだな。
その疑問や戸惑いをなんにも解決、解消せずに、時はずんずん進んでいって、いつのまにやらこのトシに。

『アポロ』を聞いていると、成長してない自分に気づく。脳みそ、あのころのままみたいだもんなぁ。


♪ 僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
♪ アポロ11号は月に行ったっていうのに
♪ 僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
♪ 変わらない愛のかたち探してる


確かに、種としての人間は、情緒の面では進化しないんだろうな。愛の先駆者のあとを継いで、そこから始めることなんかできんもん。恋愛だろうが、戦争だろうが、痛い目にあってもわからんし。


あぁ、もう、酒はやめよ。



仕事で夢野久作関係の本をムリヤリ読んでいる。

夢野久作・・・・・・幼少のころから祖父に「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書をそらんじるくらいに叩き込まれ、能や謡曲にも親しんだ博学強記の頭脳を10年余り酷使に酷使して生み出した『ドグラ・マグラ』をはじめとする特異な作品を残した作家。
好きか、嫌いか、読者はどちらかにはっきりわかれてしまう人でもある。

その昔、番組にする企画があり、主な作品を流し読みしたことがある。が、流し読みでは、なにがなんだかさっぱりわからない。せっかく読んだのに、どの作品も記憶の片隅にさえ残っていないのが哀しい。

  → 夢野久作 (ウィキペディア)


モーレツ教育祖父のおかげで、久作は7歳のときに初めて目にした新聞を、ふりがななしでスラスラと読めた。死語でいえば「神童」だ。

しかし、父親の茂丸は「学問などせんでよか!」と言うのが常だった。

父親の杉山茂丸は玄洋社の大物・頭山満と盟友で(しかし、茂丸は生涯、玄洋社には所属していない)、政界に顔のきく人だった。そのつながりからか、47歳で亡くなった久作の葬儀には、のちにA級戦犯として処刑される廣田弘毅も参列したという。

  → 杉山茂丸

  → 玄洋社(ウィキペディア)

  → 頭山満

  → 廣田弘毅 (ウィキペディア)


久作の葬式、列席した廣田弘毅・・・・・夢野久作紹介本をここまで読んだとき、

「フレディ・マーキュリーが息を引き取ったとき、看取ったのは元ディブ・クラーク・ファイブのディブ・クラークひとりだったんだってなぁ」

という言葉とフレディの顔が浮かんだ。
記憶って見事にこんがらがっていて、どこでどう顔を出すかわからない。

  → ディブ・クラーク・ファイブ


覚えている必要はないことは脳に刷り込まれていて、覚えねばならない事柄は脳みそのシワへと入り込まず、ツルツルすべり落ちていくのはナゼだろう? 

本を読むのがイヤになって、ごろんと横になったら、

「エルトン・ジョンと一緒にやってたナイジェル・オルソンとディー・マレイは、スティーヴ・ウィンウッドが脱退したあとのスペンサー・デイヴィス・グループにいたんだっけか。。。。」

なんてことがアタマに浮かぶ。
こんなこと、いつごろ仕入れたんかしら? しかし、なんでこんな、ぽっかり思い出すのじゃ?

「だから、なんやねん!!」と自分の脳みそをどやしつけたいくらいだ。


  → スペンサー・デイヴィス・グループ

  → ナイジェル・オルソン

  → ディー・マレイ


どうせ覚えるなら、久作のように、中国古典や能などの方がどれだけ自分のためになったやら。

いやいや、覚えられたハズないな。

久作は中学時代、“地球”とあだ名されたほど、巨大な頭の持ち主だったという。
一読しても筋さえまったくつかめない作品を生み出すには、幼いころからの薫陶と、新聞記者や僧侶となったさまざまな軌跡とともに、“地球”と異名をとった巨大な脳みそが必要なんだろうな。




ぼくは男尊女卑論者ではないが、フェミニストでもない。

仕事を持った母親に育てられたせいか、女性が働くのは当然で、「女性の社会進出」という言葉自体が奇妙だと思うし、産業界や政界の女性の少なさを「変だ」と思う方である。

ジェンダー・フリーはあたり前だと考えてるし、シャドー・ワークとしての家事も毎日やっている。だもんで、女性の方々からは「我が方の味方」と思われることが結構多い。

しかし、きょうはひとりのおっさんとして、おばはん(敢えてこう言う)に物言いたい。


おばはんドライバーは、なんで道を譲った相手に挨拶しないのだ???


ぼくがスーパーへ通う農道は狭く、乗用車でもすれ違えない。だから、路肩が少し広いところで、どちらかが相手を待たなければならない。普段はめったに対向車には出くわさないのだが、きょうは往復する間に珍しく6台とすれ違った。若い男性ドライバーひとり、おじさんドライバーふたり、そして、おばはんドライバー3人。

その6人、全車にぼくが道を譲ったかっこうになったのだけど、若い男性ドライバーは頭をぺこりと下げたし、おじさんドライバーふたりは片手をあげ、うちひとりはクラクションを鳴らして“ありがと”の気持ちを示した。

ところが、である。

おばはんドライバー3人は、ひとりとして頭も下げなければ、手もあげない。それどころか、髪の毛もじゃもじゃのおばはんは、ただでさえ狭い農道の、路肩から1mくらい中央よりを走ってきて、「もっとそっちに寄りなさいよ」とぼくを目で威嚇した。

路肩をはずれると、即、農業用水路だから、端に寄るのがコワいのはわかるけど、だったら自分の運転技術を省みて、多少なりとも「スミマセン」といった顔をしたらどうだ? 互いに行き違うのが困難なこの事態を、どうして「アンタのせいよ」という顔ができるのだろう?

両手、両足、視覚、聴覚、さらには相手を思いやる優しい感覚までも、キカイの操作に投入し、マヒしてしまっているのだろうか。そんな顔、旦那さんや子どもさんが見たらどう思うかしらね。


車の運転そのものは、おやじの方が粗いと思う。とくにぼくが住む県は、日本全国でもピカ一に運転が粗いらしく、交差点を左折する車は歩道にバンバン乗り上げて行く。そのほとんどは、あんちゃんとおやじ。要するに、男だ。大きな事故を起こすのは、あんちゃんドライバーが多いだろう。

しかし、この「ミチ譲らざるおばはんドライバー」、きょうに限ったことではないのだ。もうもう、腹に据えかねる。今度出くわしたら、道なんか譲ってやらんでぇ!


若い女性は軽く会釈をしてくれることが多い。そのつつしみ深さ、かろやかさを、おばはんドライバーはどこへ置き忘れてきたのだろう?


きょう、ぼくは短時間ながら、男尊女卑化した。



今年の箱根は、素敵なレースだった。

箱根駅伝の復路は、あまりドラマがない。下馬評通りの大学が上位に並ぶのが通例。でも、今年は違った。

なんせ、総合優勝を飾ったのが「亜細亜大学」とくる。

申し訳ないけど、まったく予想の外、チラとも頭にのぼらなかった。駒沢大学の5連覇がなければ、東海大学か、中央大学か、はたまた日本大学か。レース前の予想はそんなところ。

しかし、日本大学は往路2区でケニアからの留学生が寒さに負けたのか大ブレーキ。優勝争いから姿を消した。走るのがきょうだったら、青空のいい天気だったのに、気の毒だったね。

駒沢は往路2位。復路をフツーに走ればそのまま5連覇のはずだった。

ところが、往路6位の亜細亜大学が、飛び抜けた選手もいないのに、あれれ、これでいいのかな?という感じでするするとトップへ。そのまま一番先にゴールテープを切ってしまった。

これなのよね~、筋書きがないってことの面白さ、心をとらえてしまうものは。

往路トップの順天堂大学は順調に歩を進め、7区では2位を大きくリード。「復路の順大」と言われるだけはあるなぁと思ってみていたら、思わぬ出来事が!

順大8区のランナーは4年生でキャプテン。最後の箱根だ。
が、16キロあたりで蛇行し始める。脱水症状を起こしてしまったようだ。伴走車から監督が降り、ランナーにペットボトルの水を与える。

それでも、よろよろふらふら。あぁ、路傍で旗振る観客にぶつかっちゃう!
あと一歩で中継点というところで、立ち止まってしまった。

しかし、やっぱりキャプテン。
仲間がつないできたタスキ。自分のところで止めてはならじ!

9区を走る仲間にたすきをつないだあと、倒れ込んだキャプテンは救急車で運ばれていった。

決してあきらめることのない、見事な走りだった。
キャプテン、さぞかし悔しいことだろうな。でも、君は胸を張れるぞ!


亜細亜大学は29回目の出場での初優勝。往路6位からの総合優勝は初めての快挙だそう。

無欲の勝利ってとこかしら?


我が母校は、今年もシード権を得ることができなかった。
今年一年がんばってもらって、来年の正月に期待しよう!


新年二日目。

ノートパソコンに向かい住所録の整理をしつつ、箱根駅伝を見る。
ここ数年、往路・復路とも見てるなぁ。

知人の女性にそう話したら、

「他人が走るのをぼけ~っと、何時間もずーっと見てんの? 信じられな~い! ヒマなのね~」

と言われてしまった。

確かに、ただただ走る5時間強を見続けるのは、興味ない人から見れば信じられないに違いにない。ヒマと言われれば、その通り。ヒマじゃなけりゃ、テレビの前に座ってもいられない。

でも、なんかひきつけるモノがあるのよね。

箱根の峠道は車で通ったり、ちょろと歩いたりしたこともあるけれど、“ちょろ歩き”でも息が切れるくらいの、本気の坂だ。こんなところを駆けのぼろうなんてヤツの気が知れない。

見るたびに思うけど、日本橋から箱根まで走ろうなんて、誰が、なんのために考えたのだろう。アホくさいと言えばこれほどアホくさいこともないし、アナクロと言えないこともない。

でも、「精神論」とはほど遠いと思われる若い衆がまなじり決して足を前に運ぶ姿は、やっぱり見ごたえがあると思うのだけど、そう言っても「信じらんな~い!」って言われるだろうな。


関東地区の大学しか出場できない「ローカル大会」に過ぎないのに、82回を数える歴史の重みはさすがにすごい。箱根を走りたいからと、仕事を辞めて大学に入り直した若い衆もいる。その思いが“かなわない”のも、作り物のドラマとは違うところだ。


午後、「古畑任三郎スペシャル」の終わりあたりをチラリと見た。初めて見たけど、さすがに評判になっただけはある。作り物ドラマもおもしろいなぁ。
田村正和さんがちょっとキモチ悪いから、続けて見ようとは思わないけど。

あ、「ファイナル」にはイチローが出るんだ。見てもいいかな。


ドキュメンタリーばかり作ってきたディレクターは、時にドラマを撮りたくなると言う。ストーリーと映像を、自分の思い通りに作ってみたくなるのだそうだ。

で、実際に撮った人もいる。そして、その感想は、

「もう、二度としとうない」

だった。

単にストーリーを作ればいいわけじゃない。フィクションで人を感動させたり、笑わせたりしなきゃならないんだもの。大変だ。

餅は餅屋だよ、やっぱりね。


あしたは、箱根の復路。早起きして見よ。



あけましておめでとうございます。


九州北部は、昨年末のぶるぶる寒さはどこへやら。朝から太陽さんさん。南向きの部屋は、カーテンを開けはなした窓から射し込む陽の光でポカポカ。コタツも、ストーブもOFF。暖房いらず。

背中にあたる陽差しは熱いほど。

きょう、ほんとに元旦?

やっぱ、元旦みたいだな。年賀状が来たもん。
郵便屋さん、ごくろうさま。

インクジェット向きのハガキが出るようになってから、パソコンを使った年賀状が増えた。プリントがとてもきれいだし、いろんなアイデアが楽しいね。

しかし、素人が個人でこんなことをするようになってしまって、印刷屋さんもあがったりだろうな。かく言うぼくもパソコンを使ったクチだけど、数年前までは町の印刷屋さんに年賀状の印刷を頼んでいた。それをやめたのは年末のあわただしさもあるけれど、なにより校正チェックの面倒さ。

FAXを使った校正は文字がつぶれていて見づらいし、電話口のおばちゃん相手ではレイアウトの変更もままならない。結局、印刷所まで行かなきゃならなくなったりもした。

なのに、できあがった年賀状をみると校正で直したはずのところがそのまんまに残っていて、それでも間に合わないし、もったいないしで、知らんふりしてそのまま出してしまったり。

自宅で印刷するとそんなことはナイ。

でも、ぼくが頼んでいた印刷屋さんが例外的にヘタクソだったのかも。名刺を頼んだとき、修正した住所がそのままに印刷されていてビックリしたもの。最近、前を通ったら看板を降ろしていたみたいだけど、あの体たらくじゃキビシイこのご時世だ、仕方ないかも。


さてさて、出していない人に宛てて、年賀状を書きましょうか。







新年、最初の音楽は・・・・、


deftechDef Tech 『 Def Tech 』


昨年、ラストの落札CD。
クロネコメール便で、年賀状と一緒にポストに入ってた。
クロネコさんも元旦から働いているのね。
郵政公社も競争にやっきとなるはずだなぁ。

日本人とアメリカ人のボーカル・ユニット。
このデビュー・アルバムは100万枚以上のセールスを記録したそうな。
知らなんだ。

なんの番組だったかは忘れたけど、メンバーふたりが暮らす街として「戸越銀座」が紹介されていた。昔、近くに住んでいて、ちょくちょくぶらついていた商店街が登場し、「うん、彼らはちょくちょく食べに来てるよ」なんて言うラーメン屋さんなんかが登場して思わず懐かしく、“戸越銀座つながり”で購入。

しかし、見事に“大アタリ”のアルバムだった。

ラップだけれど、言葉の吐き捨てにならないボーカルに、心地いいリズム。
南の海で、波に揺られて居るみたい。いいわぁ、これ。

彼らの音楽は“ジャワイアン”と呼ぶらしい。
この“ジャ”、“JAPAN”のジャかと思ったら、“JAMAICA”のジャらしい。
そっか、レゲエとハワイアンの合体だから、JAMAICAなのね。

きのうの紅白歌合戦にも出ていたけれど、見逃した。見たかったな~。


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