番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


「どうしてテレビは、あぁ傲慢なんだ?」

高校時代の友人に叱られた。

友人は養護学校の教師をしている。ある日、受けた電話が某テレビ局のディレクターからで、生徒のひとりを取材したいと言う。友人は教師の常識として、

・親の了解を取ること。

・校内での撮影については校長の了承を得ること。

この二点を、まず伝えた。

翌日、テレビの取材陣がやってきた。あまりの早さに友人はどうなっているのかと尋ねると、ディレクターは「親の了解は得ているし、急いでいるので校長の了承はきょう取る」とのこと。

友人は、たとえ校長の了承がきょう取れたとしても、取材対象となっている子ども以外の生徒たちの親の了解がない限り、取材をされては困ると言った。子どもの顔を映して欲しくない親もいるのだから。

するとディレクターは、顔はあとからボカシを入れるからだいじょうぶだと言う。友人はアタマに来て言った。

「ボカシを入れたら済む話なのか! 第一、なんの信頼関係もない初対面のアンタに、大事な子どもたちの映像をどうして撮らせることができるんだ!」

しかし、取材陣はカメラを回し始めた。

「取材する子どもだけじゃなく、子どもたちの両親に事情を説明して取材に協力してくれるよう説得すること。そして、そのときに顔を出すことをためらう親たちがいたら、ボカシを入れたりすることで誰だか特定できないようにするという説明を誠意を込めてする。それをしたあとで、学校に来るのが当たり前じゃないのか? どうして『取材依頼を受けて当然』という態度ができるんだ?」

話を聞いてて、滅入ってきた。
こんな例、あちらこちらに転がっているのだ、テレビ業界は。

「取材をしてやる」という傲慢。
自分が高見に立っているかのように錯覚しているディレクター。

バカだよ、お前ら。

カメラの被写体になる人たちのすべてが、自己顕示欲や自分の利益ためにそこにいるわけじゃない。それよりも、テレビの画面に出ることがなんのプラスにもならない人たちの方が多いのだ。

それでも取材を受けてくれるのは、取材する側の誠意と熱意に気持ちを動かされるから。それしかない。金銭的な見返りもなにもなくとも、「そこまで言うのなら協力してもいいかな」という思い。取材はそんな人たちの善意と協力によってようやく成り立っている。

そんな取材のイロハが理解も出来ず、「オレはテレビだぞ」とやってきて、「予定しているんだから撮らせてくれないと困る」と臆面もなく言える愚かさ加減にほとほとあきれる。

懸命に、地道に、コツコツと、取材を重ねているディレクターもいる。そんなディレクターをも、悪い意味の「業界人」としてまとめ込ませてしまう勘違い野郎のあほんだら。

コイツのおかげで、友人がまたひとり、テレビを見限った。

ぼくは、止める言葉が見つからなかった。
見限って当然だもの。



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