番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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急用ができて、どしゃ降り&カミナリの中、車で都会へ。

ひとつ、用事を終えて、次へ移動しようと思ったら、どしゃ降りが一層強くなってきた。ワイパーがきかなくなってきたので、こりゃ危ないと路地に入って雨雲が通り過ぎるのを待つ。

しばらくして少し小降りになったので、ぶっぶーと動き出したら、どうやらフェイントだったらしい。都心の赤信号で停車していたら、車の天井を突き破らんばかりの、横殴りの雨。

天からそそぐ雨ばかりではない。すごい勢いで道路に降り注ぐ雨は、反射して車へと跳ね返ってくる。ワイパーなんぞ、ないも同然。ライトをつけても、フォグランプをつけても、役をなさない。前から来る車の明かりもほとんど見えない。車窓が豪雨でゆがんでる。


大どしゃ降り目前を横切るのは深海魚?


道路は見る間に川のよう。見る間にタイヤの半分あたりまで水没。こりゃ、やばい!
前が見えないままに、水没から逃れるため、そろりそろりと走っていく。
しかし、まるでサーフィンのごとき水しぶきをあげながら突っ走る命知らずも多い。

こんな状態は、ほんの15分程度。
しかし、体の芯から疲れた。自然の力って、ほんとに脅威だ。



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「きょうの1曲」





元号が「平成」と変わったその年に、今の「テレビ番組の構成」という仕事を始めたから、ぼくのキャリアは足かけ18年。企業に勤めているとしてその年数で行けばようやく中堅どころだ。

それまで、3回か4回か5回か(正確に何回転職したのか忘れた)仕事をかわり、続いても最長3年程度だったぼくが、他の仕事をほとんどすることなく、この請負業だけで曲がりなりにも18年間やってきたということは、奇跡に近いことのようにも思う。それだけ肌に合っていたとも言えるだろうし、多くは出会った人たちのおかげでもある。

会社というのは不可思議なシステムで、なぜかみんな一様にポジションがあがっていく。ぼくがこの仕事を始めたころ、ペーペーの平社員だった人たちも、皆さん「長」がつくポジションへと出世なさった。

先日、某局で社長賞かなにかの授与式の末席を汚したとき、部長以上の役職についている人に、昔、制作の現場で顔見知りだった人たちがずらりと並んでいて、皆さん、マジメな顔をしているのがどうにも滑稽だった(すみません)。あぁ、みんな偉くなるんだなぁ。。。。

それにしても、制作現場からどんどん人が減るのはどうにかならんもんだろうか。テレビ(ラジオも)は番組を作ってなんぼの世界だと思うのだけれど、その作り手が各局、軒並み減っている。某局などは定年退職などの自然減で部員がゼロになった時点で制作部をなくす計画だという。

テレビ局から制作部が消える。
制作セクションのないテレビ局? それって、サギに等しいんじゃないのかな?

じゃ、どこでその局は番組を作るのかというと、子会社や外部のプロダクションに丸投げするわけだ。ぼくも何度か局の人間はプロデューサーだけで、他のスタッフは全員外注という仕事をしたことがあるけれど、これからは会社の方針として、一番重要であり、基幹であるはずの「番組作り」を外に放り出すことになる。

おかしい話だと思うんだけどね。

制作現場もだんだんおかしくなっている。

番組作りに費やす時間はどんどん短くなり、五里霧中の中を試行錯誤の船に揺られながら目的地にたどり着くなんてことができなくなってきた。以前は図書館にこもって資料を探すなんてことが当然のようにできたのに、近頃はその時間がとれない。

制作期間が短くなっていくのに、収録されるテープの本数は急増している。「とにかく撮っとけ方針」なのかな。

カメラマン(ほとんど外注)にも言い分はある。取材前にテーマを熟考熟慮する時間が与えられないから、取材現場では撮れるだけ撮っておかないと不安でしょうがない。あとから、「あれが撮れてない、これも撮れてない、お前はなにをやっていたんだ!」なんて言われても困るし。だから、どんどんカメラは回り、取材テープは量ばかりが増え、その質は低下していく。

局には、その局の社員カメラマンがほとんどいない。ほとんどが関連会社からの出向だ。目が回るほどに忙しく、なのに、収入は局の社員よりも少ない。変でない?

いいのかなぁ、そんなことで。ハイビジョンになったって、中身が薄いと見ている方も飽きると思うよ。きれいな画像を撮るだけがカメラマンの仕事じゃないんだし。

取材対象者の、どんなコメントの時に、顔にズームするか、または動かずじっとしているのか。そんなことは、つい10年ほど前のカメラマンは、指示されるまでもなく自分の意志でやっていた。テーマを考えつつ、取材対象者の話を聞き、自分で理解しながら、カメラを回していたから、それが可能だった。

今は、もう、ムリかな。

昔、一緒に仕事をしたカメラマンの中に、自分が取材した相手のコメントをノートに書き起こす人がいた。それはディレクターのためじゃない。自分自身のため、自分の取材感覚を磨くためだ。インタビューを書き起こす。そんな一見ムダな作業をするカメラマンが、ぼくが知る限りでも数人はいた。

今、そんなことをするカメラマンがいるだろうか?
ま、時間もないかもしれないけれど。


インタビューをノートに書き起こしていたカメラマンのひとりは、その後、報道を経て制作セクションの長となった。その彼が異動で報道へと出戻りする。

彼の半ば強引な制作セクションの引っ張り具合の社外ファンだったぼくは、彼にとっても、会社にとっても異動は惜しいと思うし、番組を作ることこそがテレビ局の存在意義だと考えれば、あたら才能をなんとまぁもったいないことをするもんだと思うけれど、ぼくは社内力学にはとんと薄いので役員の皆さん方には番組制作充実への深慮遠謀があるのかもしれない。

ま、ないだろうけどね。


で、「きょうの1曲」だけど、その友人に捧げよう。

彼はこの曲を番組に何度か使っている。
先月、制作した1時間番組のエンディングもこの曲だった。




夢のカリフォルニアThe Mamas The Papas 『 California dreamin' 』





ママス・アンド・パパス 『 夢のカリフォルニア 』


→ 『 California dreamin'


“パパス”のひとり、
この曲や、『花のサンフランシスコ』の作者
ジョン・フィリップスが世を去って5年。

早いもんだね、5年なんて。

そりゃそうか。
この仕事を始めての18年間も
あっと言う間だったもの。

友人は、局に入って28年!
よく辞めなかったねぇ。

信じられません・・・。



All the leaves are brown
And the sky is gray
I've been for a walk on a winter's day
If I didn't tell her
I could leave today
California dreamin' on such a winter's day

葉っぱは、みんな枯れ葉色。
空はどんより鉛色だし。
冬の日に散歩だなんてさ。
彼女に散歩しようなんて言わなかったら
きょうにでも出て行けるのに。
こんな冬の日はカリフォルニアの夢を見ちまうよ。



「カリフォルニアだって、夢の土地じゃないんだよ」

友人は、そう言っている。




ここのところ、毎日、ここに書き込みをしてる。取るに足らないことや、愚にもつかないことをまとまりもなく、ずるずると。読み返すと「つまらん!」と一刀両断、切り捨てたいようなものばかり。

それでも書いているのは、やっぱり読んで欲しいから。
でも、読んで欲しい人が読んでくれているのかは、よくわからない。

特に最近は「アファリエイト」ばやりで、楽して小金を稼ごうかという思惑の人たちばかりが、ただ単に自分のブログへぼくを導き、そこに並べた商品へアクセスして欲しいがためだけにぼくのページを覗いてることが多い気がする。

そういう皆さんは、ここに書かれている文章などは読まないだろうから、「いらっしゃい」とも言えないし、お客さんとも呼べないね。小金が貯まるのが楽しいのだろうけど、推敲もすることなくズルズル書くのを目的としてるぼくとは相容れない。

間借りしている「楽天」自体が、市場を商売としているところだから、文句も言いにくい。ぼくのように、楽天市場もまったく覗かない(amazonやYahooオークションは行くけどね)、アファリエイトにもまったく興味ないみたいな店子は、楽天さんにしてみれば無用の存在なのかもね。

おバカな書き込み、トラックバック、スパムメールに「ステキな奥さま、いますよ」的なご紹介。あぁ、なんとヒマな人々の多いことよ。あ、一部の人はヒマじゃないんだろうな、お仕事だろうから。

アホの相手をするのは面倒だけど、ブログの引っ越しはさらに面倒。
今しばらくは、ここに居座ろう。


読んで欲しい人、ここを覗いて欲しい人、きてくれてるかな。



去年の今ごろも同じことを言っていたような覚えがあるのだが・・・・・。

友人の劇団の子どもたちが夏休みにやる舞台の台本ができん。。。。

去年はあまりにできあがらず、夏休みのはずが、12月公演となってしまったっけ。子どもたちに迷惑をかけてしまった反省はたんまりとしたのだけど、反省の度合いと筆の進み具合は正比例しないらしい。

7月1日から稽古。友人はできないことを見越してか、「稽古は去年の台本で始めるから」。ありがたいやら、申しわけないやら、コワいやら。

舞台はワカランな~。演技も、シナリオも、ど素人なんだもんなぁ。

舞台なんて、遠い昔につかこうへいさんの『熱海殺人事件』を新宿の紀伊國屋ホールで見たのが最後じゃないかしらん。あのころのつかさんの芝居は大人気で、紀伊国屋ホールは大満員。通路に座って見た記憶がある。

『熱海殺人事件』は、掛け値無しにおもしろかった。まだ、風間杜夫さんとか、平田満さんとかがやってたころじゃなかったけっけ? 


あぁ、脳みそが沸騰するぅ。

朝は夜よりも賢い!

きょうは、寝よ。。。。。




きのう、中庸知らずの 雨に出戻りを余儀なくされた熊本へ。博多駅7:28発の特急リレーつばめはガラガラ。通路をはさんだ反対側のビジネスマンは大きなノートを見ながらブツブツブツブツ。チラと覗いたそのノートには細かい文字がびっしり。営業トークの予習かな? 契約締結宣言の丸暗記? まなじり決してるから重い任務なのかなぁ。どうやらぼくと同世代。がんばって下さい。

眠い。が、特急で眠りこけると実にマズイ。停まる駅が限られるから、しまった!と思っても遠く離れた次の停車駅まで連れ去られる。何度アタマをかきながら仕事先に入ったことか。プロ根性に欠けるのかしらん?

あまりに集中して降る梅雨の雨。きょうも朝からざんざん、どしゃどしゃ。
カミナリさえも鳴りまくる。

それをグチったことに、雨の神さまがお怒りになったのやら。

きょうは熊本で打合せ。
大どしゃ降り&大カミナリ大会の中、タクシーで地元のJR駅に駆け込んだら、

「今、○○と××区間が不通のため、熊本までは行けません」

え~っ!!

確かに熊本は1時間に80ミリ以上の豪雨だったらしいけど、ついさっきまでは列車が止まったなんて情報は流れてなかったぞぉ!

と、駅員さんに不満を述べても意味がない。駅で待っていようにも、自然の猛威の前にはいつ開通することやら、ラチがあかない。

仕方がないので駅から仕事先の担当者にTEL。予定をあしたにずらしてもらう。打合せに出席するうちのひとりが、あすは午後がダメということで、お仕事開始は午後1時から午前9時へと前倒しに。

あぁ、中庸を知らない梅雨の雨のおかげで、あしたは5時起きになってしまった。


結局、雨の中、タクシーで自宅と駅を往復しただけ。ムダ足だった。
ち~とも働いてないのにバテたなぁ・・・・とぼんやりしていたら、いつの間にやら雨はあがり、薄日までが射してきた。

これって、イヤミ? 雨の神さまも大人げないよな。

「パソコン」という、遊び道具にもなる機械を相手に仕事をするのは、どうもぼくには向いていないんじゃなかろうか?

あしたは他県に出かけて打合せ。午後一番からその予習をしていたはずが、ふと気づくと、ネコ助写真で遊んでいた。


ぐすん「え~かげんにせいよ」


あぁ、ダメだ。。。。。

もっとオトナにならなきゃ。。。。




うぅ…酒に対して体力がなくなったなぁ。金曜日の夕方から友人たちと飲み始め、一軒二軒と店をハシゴ。午前2時くらいには友人宅へなだれ込み、焼酎を飲みながら人生ってなんちゃらかんちゃらあ~だこ~だ。あぁ、サケもハナシももうイイやと思うころには東の空がホンノリ明るい。不良オヤジと化してしまった。
年月を経て、経験を積み、言葉の表現こそ変わりはするものの、その底に流れるものは四畳半で酔いつぶれた頃と変わらない。ほんとに何十年もたっているのか。ふと戸惑っている自分に気づく。顔を変える必要がないから友だちをずっとやってこれたんだろうなぁ。

大どしゃ降り。

きのうまでの快晴はどこへ行ったのやら。

確かに季節は梅雨だけど、雨の降り出し初日にここまでやらんでもいいだろう。
田植えを終えたばかりの田んぼは、溜め池みたいになってしまっていたぞ。
夜になっても、衰えるどころか、激しさを増す雨。
農家の人たちは気がかりでゆっくり眠れまい。


おや? 階下からぼくを呼ぶ声が。
お袋だ。

日よけのトタン板を叩く雨の音が恐いから、天窓を閉めてくれと言う。
う~む、ガキのようなことを言う婆さんである。

お袋は、150センチにかなり足らないおチビさん。
踏み台に乗って、マゴの手を使っても、届かなかったらしい。
あな、お気の毒。

息子はデカいだけでも役に立つときがあるわけね。

天窓を閉めてやる。
あ、恐くなくなった、とお袋。やっぱりガキだ。

あした、開けてやらなきゃな。


しかし、さすがに恐くはないけど、アタマにくるほど、きょうの雨はやかましい。


ステレオの 音もかき消す 雨の音


句になっとらんな。



自宅が仕事場で都合がいいこと。
数少ないそのひとつは、仕事がイヤになったらトンズラできること。

昼下がり。
アタマは重く、働かず。窓の外には、青い空が広がっている。
あぁ、こんな日は、机にへばりついていても仕方ない。

スピーカー9個を搭載した車にロックを響かせつつ、玄界灘へまっしぐら!



海1
本物は、もっともっとキレイなのだが。




海はエエなぁ。。。。。だ~れもおらん。。。。


この海の向こうでは、ミサイルを発射すべく働いている人たちがいるんやなぁ。
なんのためにそんなことをしてるのか、本人たちは知らんのやろなぁ。
言われたことを淡々とこなすのも善し悪しやと思うんやけどなぁ。


海に囲まれたっていう言い方するけど、
海に開かれたっていう言い方をする人もおる。
人が空を飛ばないころ、海は人が行き交う大交通路やった。
この海は、遠く向こうに広がる大陸へとつながる、でっかい道なんやなぁ。


海の向こうには、なにがあるやろ?

そりゃ、世界の果てに決まっとる。
そこから海が、底なしの谷へと落ちこんどるんじゃ。あな、恐ろしや。

向こうを知らないころの方が、海を見てても想像力が湧いたかもなぁ。
海の向こうも現実があるんじゃ、おもろくないもんなぁ。


『 海峡は河なのに 』って本、昔、読んだなぁ。
誰が書いたんやったかなぁ。
忘れた。中身も。

どうせ忘れるのに、なんのために本なんか読むんかなぁ。
忘れられんこともあるけど。


海辺に来たのは久しぶりやなぁ。
このあいだ、日本海側へ行った日は天気が悪かったからなぁ。
いつ以来やろ?
玄界灘に面した港で、イカを食べた日以来かなぁ。。。。。



ひたすら、ぼやぁ。


てなことをして遊んだツケは、自分に降りかかる。

ま、いっか、きょうぐらい!

と、自分を慰めながら、もう何日がたったやら。

はぁ。。。。



あぢぃ・・・・・・。

晴れて晴れて、「梅雨はなにをやっちょるんじゃぁ!」と怒鳴りたくなるくらいに気温もあがり、太陽光線も“さんさん”を通り越し、“ぎらぎら”とさえ感じるようなこの日。

暑いは暑いが、せっかくの太陽を逃してはならじと、部屋に敷いていたカーペットを陽にあてるべく、よっこらしょとどかす。

おぉ、すると!

♪ 畳の色が そこだけ若いわ~♪ ( 『 微笑がえし 』 by キャンディーズ)

ではないかっ!


微笑み返しこちらが窓 →


畳の上にイグサもどきのゴザを敷き、その上にカーペットを敷いていたのだけれど、太陽の陽射しでゴザの色があせ、窓側から「 畳→ゴザ→カーペットの跡 」と見事に色分けされちょる。

カドが丸く、より濃い色に残っている部分。そこがゴザの元の色だったんだなぁ。。。。

太陽ってすごいや。。。。

そっか、ここに丸一年、ゴロゴロしてたら、子どものころから焼けず、なまっ白いままのぼくの肌も赤銅色になるかもなぁ。陽に焼けた肌、うらやましかったっけ。

あ、その前に干からびるか。


♪ おかしくって、涙が出そう~♪
   ↑
「お菓子食って」と歌って喜んでるヤツがいたっけな。


キャンディーズおまけの本家、『微笑がえし』




飛行機雲

梅雨の晴れ間に飛行機雲






赤い鳥幹事さんのところから勝手に「バトン」なるものをいただいてまいりました。


   → 赤い鳥幹事さん June 18, 2006 「バトンいただきました


赤い鳥さんは真摯に答えられているので、負けずにマジメに回答しようと思いますが、どうなることやら。真実・事実を書いても「不真面目」と叱られることの多かった半生ですので・・・・。


1.あなたの好きな食べ物は何ですか?

ジャパニーズな麺類です。外食となると、「ウドンにしようか、ラーメンにしようか、それともソバかな?」と、この3種類しかアタマに浮かびません。
ソバはほとんど冷たい種類しか食べません。昔は「盛りソバ」ってありましたが、今は切りノリがぱらりとふりかけてある「ざるソバ」しか見ないのが残念でなりません。ノリで価格をつり上げているようで、どうも不快に感じます。

が、ソバはウマイです。

あ、「沖縄そば」も好きです。今は、沖縄・豊見城の『 花花そば家 』が、大のおすすめです。


2.あなたの一番好きなスポーツは何ですか?

大抵のスポーツは、「見る」のは好きです。特に、アメリカのプロ・バスケットボール「NBA」はスリリングです。ちょうど今、ファイナルが行われていますが、W杯の陰に隠れてちょいと残念です。

採点競技は好きじゃないです。「美を競う」ってのが、意味がよくわからんのです。でも、荒川さん、金メダルとれてよかったですね。

「する」スポーツは、現在皆無。中学時代はバレーボールをちょろとやってました。歳をくってからは「ゴルフぐらいやれよ」とよく言われますが、打ちっ放しに一度だけ行ったことしかありません。

ここ四半世紀、Tシャツ、ジーパンにスニーカー姿が制服化しているぼくがゴルフを始めることは、人生の負けを意味します(って、ホントかね?)。
ゴルフって、やるとおもしろいそうですね。でも、クラブを握る機会は、たぶんもうないでしょう。


3.あなたの一番好きな歌手は誰ですか?

難しい質問ですね~???? コロコロ変わるんですよね。

「歌手」より「曲」で心が動くタイプです。『ハイウェイ・スター』も、『メリッサ』も、『王将』も、ぼくの中では同じレベルで好きです。

歌手に限れば、学生時代は「吉田拓郎」さんでしたね。
今は、「この人」という人はいないです。


4.あなたの一番好きな花はなんですか?

花の名前を驚くほど知りません。きれいだなと思った花が「好きな花」でしょうか。
でも、「れんげ」は好きですね。


5.あなたの一番好きな本はなんですか?

以前、「好きな本は?」という取材に『男おいどん』(by 松本零士)と答えたとき、記者さん(女性でした)に「本気ですか?」と言われました。
いまだに、あの本を超える作品に出遭いません。何より、本(特に小説)というものを、ここ15年ぐらいまったく読んでいないので、出遭うハズもないのですが。

高校までは夏目漱石の『こころ』が一番好きでしたね。ありきたりですが。


6.あなたの一番好きな場所はどこですか?

大切な人の「心の中」ですね。

「大バカヤロ~!」と言われそうなので・・・・・う~ん・・・・にゃごにゃごしているネコ助のとなりかな?


7.あなたの一番好きな色はなんですか?

赤です。
でも、身の回りはじめ、身につけるものなどに「赤」はありません。まったく似合わないんだと思います。だから、憧れの色でもあるんですね、きっと。


8.あなたの一番好きなテレビ番組はなんですか?

好きな番組というのは、ありません。ドラマはまったく見ないですし・・・・・・・。ストーリーが「次週へ続く」という番組は、見続ける気力がないんですね。
唯一、見続けているストーリー物は・・・・アニメの『ワンピース』のみかな?

あ、年に一度、BSかどこかでやる『世界最強の男決定戦』的な番組、あれが好きです。球形の巨大な石を台の上に乗せる早さを競ったり、車を何回持ちあげられるかとか、アホかと思えるようなことを、首筋に血管浮き立たせてやる姿に意味を必要としない感動を覚えますね。


9.あなたの一番好きなキャラはなんですか?

上記の「一番好きな本」であげた『男おいどん』の主人公・「おいどん」です。
どんなキャラかは、ぼくのボキャブラリーで説明しつくすのは不可能なので、ご一読をおすすめします。


10.あなたの一番好きなお笑い芸人は?

お笑い芸人・・・・・・・う~ん、誰でしょう????

出現当時の「タモリ」は大好きでした。

学生時代、新宿ゴールデン街の飲み屋で彼と偶然一緒に飲んだことがあります。支払いのとき「ワリカンでね」と言われてから、その真っ正直な貧困さに、一層好きになりました。

今はたいそうお金持ちとなられましたけど。


11.貰ってもらう人三人

う~む、「もらって」と言われる方もお困りになるでしょうから、赤い鳥さんと同じ言葉を書いておきます。

貰っていただける方お願いします。
インターネット上にあんまり交友関係ないのです。



疲れた。

しかし・・・マジメに書けば書くほど、読み返すと「こら、アカン・・・・・・」となるのはなぜかしら?



ぶらりと家を出ると、田植えが始まっていた。そうか、きょうは土曜日。兼業農家の人たちは、勤め先が休みの日に田植えをするんだ。

ついこの間まで荒れていた田んぼが、土を掘り起こされ、ワラなどがすき込まれ、くろぐろと土の香りをさせ始めたと思ったら、数日前には水路に引き入れられた水が田んぼにはられた。こんな景色を見ると、やっぱ住むのはイナカかな、と思う。

田んぼ1水がはられた田んぼ。

田んぼ2田植機、大活躍。

田んぼ3実りの秋が楽しみ。


以前、熊本のある街で、棚田の一角を借りてロケをしたことがある。山の中腹から見下ろす棚田の景色はこの上もなく美しく、あぁ、いいところだなぁ・・・・・と、心がなごんだ。でも、面積が狭い棚田は耕耘機などを入れるのが難しく、田植えの大半は人力に頼らざるを得ないとか。ただでさえ高齢化している農家の人たちにとっては、「いいところだなぁ」では済ますことができない現実がある。

自然相手の農業は収入の目算が立てにくいし、会社勤務に比べて年収が低い上に安定しない。だから兼業農家だらけになって、「農業は二の次、趣味の世界」的になっていく。農業から離れていく人たちを責めるわけにはいかない。

でも、この景観が消えることがないようにするためには、どうすればいいのかな? 政府行政に「補助金を出せ!」と主張しても、“農業”という仕事に誇りを持てることにはならないだろうし。

ぼくらがもっとコメを食べるといいのかしらん? 考えてみたら、一日に茶碗一杯しかコメを食べてない。学生時代は一回に3合炊いて、全部食べてたのになぁ。でもそれは、おかずがなかったからかな。

忙しそうに田植えが行われている田んぼの、農道を隔てた反対側は荒れたまま。休耕田なんだろう。作物を作らないことでお金を得る。“農業”の置かれたつらい場所が、その荒れ地を見ると少しだけ分かる気がする。





朝からどんより、降りそで降らない。
ときには青空がちょろと顔を出し、気温は高く、湿度も高い。
こんな中途半端な日は、ぼくのアタマは機能しない。

数日前に送ってきた取材テープを午前中に見ていたころはアタマも好調だったけど、買い物に行っている間に天候がころころ変わり、そのあたりからアタマが「動きとうない、働きとうない」と言い出した。

カラダの言うことは素直にきくというのがぼくのモットー。アタマもカラダ。働きたくない者をムチ打っても結果なんらプラスにならないことは、ぼくの会社員生活が証明しているので(ぼくだけにあてはまる結果だけど)、午後はテレビを前にひたすらゴロゴロ。

ほんとはこんなとき、眠ればいいのだ。しかし、眠れんくらいにアタマは働きたくないのである。目玉から入る情報を処理するのも面倒になるらしく、だからかえって余計なことを思わずに例えばテレビの画面に展開されるサッカーというスポーツを見つめられるという利点があったりもする。

アルゼンチンの6点はすごかった。自在に通るパスも素晴らしいけど、いつの間にやら?と思わせる守備への戻りが目を見張らせる。これが運動量の違いっていうヤツかな。3点を取ったところで勝負あり。あとの3点はおまけのようなものだけど、それぞれに素晴らしいゴール。18歳のメッシが最後の最後に得点するところなぞは、「できすぎ」の感も。

しかし、ときにTVカメラに抜かれるマラドーナ氏の、むくむく横に広がった(それでもかなり締まった)顔と体を見るにつけ、若くしてトップに登りつめた人の、その後の身の振り方の難しさを思う。

マラドーナも伝説の5人(だったかな?)抜きや「神の手」プレーなどがなければ、その後の人生を穏やかに送れたろうに。どっちが幸せか、陽水が歌うように“人生が二度あれば”その判断はつくけれど、いかんせん、一回しか人生はないもんね。

でも、“その後”の身の振り方は、個人の持つ資質と周囲の配慮にかかるんだろうなぁ。神様ペレはスポーツ大臣に就任したり、神様を卒業したあとも外目にはまっとう以上の人生だ。不思議だな。

セルビア・モンテネグロは、この国名では最初で最後のW杯。モンテネグロが住民投票の結果、独立することが決まったから。クロアチアも含め、セルビア、そしてモンテネグロと、旧ユーゴスラビア勢が三カ国出場することも考えられるなぁ。これに、ボスニア・ヘルツェゴビナも入るとすごいけど、それはちょっとムリかしらん。

仕事でユーゴをクロアチアを訪ねたとき、クロアチアの首都・ザグレブには砲弾が撃ち込まれた直後だった。大きな被害は出なかったと案内してくれた人は説明してくれたけど、着弾したところは体育館で、そこでバレー(踊りの方)の稽古をしていた女の子たちが負傷し、うち何名かはダンサー生命が絶たれるおそれがあるとも言った。それって「大きな被害」じゃないの?と思ったけれど、死者が出るのが「普通」の戦争状態にあっては、誰も死ななくて良かったということになってしまうのだなぁとそら恐ろしくなった。

日本の次の対戦相手・クロアチア。その国の紹介ビデオには、ぼくが着弾痕を見たところからほんの1、2分の広場が必ず登場する。国旗にもある白と赤のチェック模様に彩った服装をした若い女性たち、顔にもその図柄を描いた子どもたち、そんな人たちの姿を見ると、あの闘いってなんだったのかなぁと思ってしまう。でも、彼らは言うだろう、あの闘いがあったからこそ、自分たちは自分たちの国を持つことができたんだと。

クロアチアも旧ユーゴ、現セルビアも話している言葉は同じ。でも、それを文字にすると違う。そう聞いていたけど、意味がよくわからなかった。でも、行ってみて、なるほどねと思った。クロアチアの首都・ザグレブにも、セルビアの中心都市・ベオグラードにも同じ名前の通りがある。発音も同じだ。しかし、表記が違う。キリル文字となんとか文字(忘れた)。

同じ通り名で、発音も同じなのに、文字にすると違うのだ。人はアタマで文字を使って考える(それは違うという人もいる)ので、文字の違いは直接文化の違いだ。見かけは同じでも、しゃべってる発音さえ同じでも、それぞれ独自の、固有の文化を持つ。それがときとして軋轢を起こす。

文化ってむずかしいや。

なんてことを、ぼんやり思いつつサッカーを眺め続ける。

ネコ助はテレビの上で、寝ころんだぼくを見おろしつつ思う。


ao060617「おもろいか?」



おみくじ.jpg

大々久しぶりに「おみくじ」を引いた。

「宗像大社」は我が家から車で10分ほど。日本書紀に最高の道の神として記してあるごとく、交通安全の神さまとして今もたくさんの人の信仰を集めている。新年などは参拝する車がずらりと並び、大渋滞を引き起こす。

特に神さまを信じていなくても、「宗像大社」のお守りやステッカーを車につけている人は多い。車の後ろの窓やボディ、バンパーなどにお守りをぺったり貼っている人もたくさんいる。

「宗像大社」と大きく表示された、反射板のようなお守りを車に貼る・・・・・・・これがぼくには理解できない。神のご加護があるような気持ちになるんだろうか? 車のお守りなんてダッシュボードかどこかに密かに忍ばせておけばいい、信じることは表沙汰にしても仕方ないなどと思う不信心派のぼくには、この「ぺったり派」の気持ちがわからない。

でもまぁ、事故に遭わずにすむのなら、神さまに頭のひとつも下げようかな、って、あら、不遜な言葉だなぁ。

なんてことを思いつつ引いたせいか、出たのは「末吉」。でも、「籠の中にいた小鳥が放されて自由にとび歩くように苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運」というからなかなか捨てたもんじゃない。が、それと同時に「世のため人のために尽くしなさい」ですか・・・・。それって「苦しみ」を伴うんじゃないのかしらね? それをも「楽しみ」と化さねばいかんってことなのかぁ。人生って深いなぁ。

「名も上がる」って、ありがたいけど、名なんぞ上がらなくてエエです。静かに密やかに、存在できればそれでヨカです。

「待人」は、やってくるかぁ。

「商売」は「利益相当あり」とな! やったぁ!! “相当”のレベルが問題だけど、ま、いいことにしようっと。




先日、沖縄でスタッフと飲んでいると、そのうちのひとりの携帯にTELが入った。仲間たちが飲んでいるから合流しようということになり、零時過ぎに瀟洒なスナック(?)へ。そこで思わぬ人にお目にかかった。

平良夏芽さん。(平良さんのHPは こちら。)
辺野古の海への基地移転に体を張って抵抗した人たちのリーダーだ。ぼくは取材テープ上では何度もお目にかかっているのだが、ご本人にお会いするのは初めてだった。

軽く挨拶を交わした平良さんは、とても穏やかな、でも、とても楽しい人だった。とは言え、ぼくは多量のアルコールですでに酔っているし、平良さんもお酒が入っているので込み入った話はしなかったけれど。

平良さんは、今年の春先にぼくも制作に参加したQAB琉球朝日放送の『海にすわる 沖縄・辺野古 反基地600日の闘い』の1時間バージョンが「ギャラクシー賞」で「選奨 」を受賞した記念にとスタッフたちが内々で開いたお祝いの席に呼ばれたのだそうだ。


  → 『海にすわる 沖縄・辺野古 反基地600日の闘い』 については こちら

  → ギャラクシー賞 については こちら

  → ギャラクシー賞受賞番組などについては こちら


同番組は辺野古での出来事を反対派の側から見て、新たな基地建設に反対するお年寄りや若者たちが、ほんとに決死の覚悟で基地建設を阻止する姿を描いている。その描き方はほぼ完璧に反対派へのシンパシーから生まれていて、テレビは公正公平であるべきだとあり得ない主張をする業界の石頭連中には酷評を受けた。しかし、それをも見越して制作したのは、ディレクターはじめスタッフが「確信犯」だったから。

今、辺野古で起きていることは、日本の小さな島の、そのまた小さな地域でごちゃごちゃやってることだと見過ごすわけにはいかない出来事だ。朝と言わず夜と言わず、国側が海上に設置した工事用のヤグラにのぼり続けたお年寄りや若者。彼らの体を張ったがんばりが、日本という国が闘いへと暴走することを防いでると言っても過言ではないだろう。

辺野古で起こっていることをぼくらは知るべきだし、それは同時代を生きる人間としての義務だと思う。が、しかし、賞を受けたから同番組は沖縄ローカルでは再放送されたものの、全国ネットで流されることはほとんど考えられない。QAB琉球朝日放送はテレビ朝日系列なので、テレ朝がその気になれば全国ネットだって不可能じゃないのに。

そこには、上記したように、「公正公平」であるべきテレビとしては、こんなに「偏向」した番組は流せないという判断もある。さらにはスポンサーもつかないのに流してなんのプラスがあるのだという考え方もある。こうした、いかにも正論に聞こえる意見が、テレビのマスメディアとしての可能性を阻害していることは、もうイヤというほど感じてきた。「偏向」していないドキュメンタリーなぞ、ないのだ。公明正大、公正公平。どんな考え方の人にもフィットするような、そんな番組があり得るか?

『海にすわる』 も、賛成派の意見がきちんと取り上げられてないという批判・批評が同業者や評論家からあった。なに言ってんだかね、この理念家たちは。それじゃ、番組を作る意味がないだろう。反対派、賛成派、両方の言い分を同レベルで取り上げ、それでバランスをはかったつもりになって「いい番組でしょ」なんて言うのは下の下だ。流す価値も、見る価値もない。

この番組を作るためにスタッフが撮影した取材テープはおよそ900本。ざっと450時間分だ。それは「カメラが回っている」時間で、スタッフが辺野古にいたのはその何十倍もの時間になる。そこで写し撮られたもの。それは国側の信じがたい傲慢さであり、詭弁であり、裏切り。そして、それに対抗しようとする平良さんはじめ反対派のお年寄りや本土からやってきた若者たちの真摯な姿。その様子に心動かされた地元の漁師たちが反対運動に参加するシーンなど、取材テープを見てると思わず泣ける。

それだけの労力と熱意を傾けたこの番組も、沖縄以外の他県で流される可能性は限りなく薄い。しかし、ディレクターは諦めてはいない。依頼があれば出かけて行ってこの番組を流し、自らの意見を語っている。番組を見た人たちの多くは、辺野古の問題がいち地域の問題ではなく、日本という国全体のあり方が凝縮された問題であることを再認識する。ディレクターには映画化したいという希望もあるが、最近は権利関係が厳しく、局としては取材した映像の二次利用となるということで二の足を踏んでいるのが現状だ。


この番組に限らず、基地をめぐり、今、なにが起こっているのか。それを知るのは、繰り返しになるけど、ぼくらの「義務」だ。


午前2時過ぎ、平良夏芽さんは飲みながら、「あしたは6時に起きて、辺野古で見張りです」と淡々と言いながら帰っていった。辺野古沖案が動いている最中は4時起きで辺野古へ駆けつけ、ボートで海上へ出たという。それが毎日、毎日続いたのだ。ただもう、頭が下がる。

辺野古沖案を廃案に追い込んだがために、より陸地に近く、二本の滑走路をも備えた新たな基地ができようとしている。「お前たちのせいだ!」 そういったプレッシャーをかけられることもあるようだ。本末転倒もはなはだしいが、地元の感覚としてはあり得ることだ。しかし、目をくらまされてはならない。元凶は、沖縄に負担を封じ込めようとする日本政府であり、沖縄を戦略基地としようとはかるアメリカ政府であり、なにより最も責められるべきは、なにが起こっているかをきちんと知ろうともしないぼくら日本の国民なのだから。


晩メシを作りつつイタリアvsガーナ観戦。骨折してたトッティが復活してる。前回のW杯で退場になったっけ。動きがオトナになったなぁって、ホントかな。

ネコ助はサッカーにまるで興味なし。でも、なにか言いたげ。

「せめて瞬きに沸け、人間どもよ」

まさに、完敗。

きのうの試合を「惜敗」と言う人がいたら、サポーターではなく、ひいきの引き倒しの範疇だろう。同じ負けるにしても、得るところのない負け方だった。

日本の1点は、審判によってはキーパーチャージ(蹴った中村選手本人がそう語っている)にとられるような点の入り方だった。言ってみればおこぼれの得点。その後、チャンスらしいチャンスを作ることはできなかった。

この得点に関しては、試合後、主審が誤審を認めているらしい。


    →『 日本の得点場面、審判が誤審認める?YOMIURI ONLINE


日本戦以外の、他の試合もちょこちょこと見ているけど、他の試合で両チームのイレブンが発散させている緊迫感というか、集中している感じがきのうの試合には見えなかった。それでも、オーストラリアは先に点を入れられたせいもあり、緊迫感はあったけど、日本のイレブン(同点にされるまでの川口選手を除いて)は明らかに集中力を欠いていた。

すぐ近くを通る敵のパスや足元に流れてきたボールを「ほっ」と立ち止まって見ていたり、トラップミスやパスミスも連発。シュートまで持って行くことができなかったし、いざシュートをしても、枠をとらえることさえできない。これまで、なんども見てきた光景だ。

どうしてこうも、土壇場、正念場に弱いのかなぁ?

きょうの新聞やTVニュースなどの論調は「監督の差」というのが多いみたいだけど、それは違うと思う。昨日の試合では、引き分けを狙うのか、あくまで勝ちに行くのか、どちらを選択するかという監督の意志がよく見えなかったのは確かだけど、じゃぁ、ヒディングさんが日本の監督に就任していたら「ここ」というときに強いチームになっていたかというと、それはちょっと考えられない。

結果は「監督の差」ではなく、やっぱりプレーをする選手、個々のメンタル面での差だろう。好セーブを連発していた川口選手が、コーナーキックをパンチングできずに得点されてから別人のような動きになったし、それは同点後のディフェンス陣が連携もなにも、ばらばらぼろぼろになっていったところにも表れている。国際試合を多く経験した選手たちでも、浮き足だってしまうのかしらん。

経験を重ねれば判断力はあがっていくが、サッカーは組織でやるスポーツ。個人の経験を積み重ねても、チームの経験となるとは限らないところが難しいんだろうなぁ。

でも、数十点単位で得点が入るラグビーや、100点を超すことも珍しくないバスケットなどとは違い、サッカーは1点が重いスポーツ。それだけになにが起きるかはわからない。ブラジルは言うまでもなく、クロアチアも強敵だけど、勝ちを信じてイレブンにはがんばって欲しいな。


しかし、この試合をめぐって乱闘したアホどもがやはり出た。


    → 『 観戦後、若者ら約10人殴り合いYOMIURI ONLINE


「日本が負けたのに悔しくないのか」などと因縁をふっかけたのだとか。バカ助だね~。お前ら、ほんとにサッカーのファン? 「サポーター」という響きが虚しく聞こえるね。



メディアもなにもかもW杯。12面しかない夕刊は8面にW杯関係の記事。ニュースは5割以上をサッカーに割く。4年に一度の一大事ということはよくわかるけど一色に染まるのは気色悪い。元々、皆で仲良く同じ方を向くのはイヤ。バレーボールのニッポンチャチャチャを聞くと背中にむしずが走るタイプなので、よくもまぁ同じ格好をしてスタンドに居れるもんだと敬服する。あれがそのままナショナリズムに直結すると思うほど短絡じゃないけど、同様な熱狂が単一ベクトルを示すこともあることは覚えておかねばね。
なんてヒネたことを思いつつ日本戦を待つワタシ。面白い試合になるといいなぁ…って勝手だね。
歳をとると疲れの出るのが遅くなる。強風で着陸できずUターン、都合5時間飛行機に乗り、そのまま3時過ぎまで飲んだ翌日は平気だったけど、あれから5日。体の芯からじんわり疲れがにじみ出る。都合がいいことにワールドカップで時間をつぶすには不自由しない。きょうは丸一日、テレビの前でゴロゴロ。あぁ、死んでもなりとうなかった典型的オヤジと化してしまった…。などと携帯に入力しながらオランダvsセルヴィア・モンテネグロを見る。
紛争中のユーゴスラビアに行ってから何年たつかな。とてものどかできれいな国だったけど、異文化異民族の共存って難しいんだなぁって思ったっけ…。
那覇は大どしゃ降り。空港にて足留め中。今回の沖縄は飛行機ボロボロ。行きは発達した梅雨前線のおかげで那覇空港の上まで来ながら降りられず、そのまま福岡へUターンとあいなった。那覇空港で一度は着陸を試みるも、横風で断念。滑走路がすぐ下に見えているのに~。タッチ&ゴーやないっちゅうねん。結局、那覇に着くまで計5時間以上飛行機に乗るハメに。バテた。
きょうも梅雨前線が大暴れ。強風&豪雨で使用機が到着しないので、搭乗時間がどんどんくり下がっていき、定刻はとうに過ぎ、搭乗口は人で溢れてきた。きょう中に乗れるのかな~? 天気には勝てないねぇ。
今回の沖縄はきのうまでコンビニに寄り道せずホテルに直帰してたので、きょう、ようやく睡眠薬を入手。なんとなく安心するから妙。

しかし、きょうはワールドカップ開催日。この時間だし、ドイツ戦を見るだろうなぁ、やっぱし。
おとといから那覇。二日続けて飲みに出て、ホテル戻りは午前4時と午前2時過ぎ。朝から仕事なので、一応ちゃんと出社。でも、カラダはトシだ。編集中、長めのまばたきをしているうちに眠りこけてしまった。若いころは怒鳴りつけられるところだけど、このトシになるとディレクターも編集マンもずっと年下。居眠りしているぼくをどうしていいもんか悩んだそうな。初めて一緒に仕事をするふたりを相手に眠りこけるとは…。でも、そのふたりも疲れていて、目玉はあいてはいるものの、脳みそはまだお休み中の一時があったことをぼくは見逃さない。飲み過ぎ、働き過ぎはアカンね。
那覇の怪しげな一角にある、カウンターだけ、立飲みの「角打ち」ごとき沖縄そば屋。
夜中、ソーキそばをすすっていると、足元でなぉなぉ。ノラが寄ってきた。
肉を放ると必死にはぐはぐ。南の島でもノラは大変ね。

きょうから沖縄。今年になって何回目かなぁ。

今年の沖縄は空梅雨だと聞いていたのに、前回行ったときには、ぼくが那覇空港に着いたころから大どしゃ降り。タクシーの運転手さんが「あんなに雨が降らなかったのに、お客さん、気の毒だったねぇ」と気遣ってくれた。

ま、どうせホテルと仕事先との往復だけだから、雨が降ろうが槍が降ろうが関係ないんですけどね、とは言わなかったけど、気分はほとんど投げやり状態。10年くらい前、ロケハンで近くの島までフェリーに乗ったことはあるけど、それ以外はいまだにナマの沖縄の海を見たことがないんだもんな~。きょうもどうやら雨らしい。飛行機からも見えないかなぁ。つまんないな。


旅先だといろんなことを考える。

名にしおわば いざこととわむ 都鳥
        わが思う人は ありやなしやと


なんて歌がふと思い浮かび、「お~、古文じゃ、古文じゃ、懐かしかぁ!」と自分で驚いたりしたりして。これ、たぶん、在原業平の歌だったと思う。

川面にぷかぷか浮かぶ都鳥の姿を見て、都落ちした業平が問いかける。

なぁ、お前たち。
都鳥って名前を持っているからには都のことがわかるだろ?
だったら、都に残してきた人のこと。
何をやってるか、どうしているか、教えてくれないかな。
生きてるか、死んでるかさえ、わかんないんだよ。



てな意味(だと思われる。古文の先生、ご教授あれ)。

消息不明の友人たち。どうしているのか、ふと気になることがある。そのきっかけは、おとといの日記に書いたようにある曲を聴いたことみたいに、ほんの些細なこと。上の歌がアタマに浮かんだのは、那覇に流れる決してきれいとは言えない川に水鳥が2、3羽、浮かんでいたのを目にしたとき。

都鳥でもなんでもない、たぶん野鴨とであろうそれら鳥を見て「いざこととわむ」が浮かんだのだから、高校時代の古文の授業もまるっきりムダだったわけじゃないようだ。でも、次の展開がナイから、実用に役立ってはいないな、きっと。

なにをやっているかわからない(相手にすれば、ぼくこそ「なにをやっているかわからない」ことになるけど)旧友たち、地球全部に広がるこの空の下、どこかで元気にやってるんだよね。


Are you alright ?    Yes, I'm alright !


そうだったらいいな。


きょうの熊本は暑い!
タクシーの運転手さんが「30度以上あるらしかですばい」と言う。長そでTシャツじゃあもうアカン。

そんな中、営業のお兄さんはビシッとネクタイ姿。でも「TシャツOKの制作が懐かしい」とのこと。そうだよね~。
きょうは熊本にて打合せ。つつがなく終了して帰途につく。まだ3時。夕方には博多。日帰り圏内はやっぱりラクだ。
昔、東京で勤めていたころ、新潟日帰りというのを数回やった。まだ新幹線のないころで片道4時間半。往復9時間というのはきつかった。あるとき、新潟駅前でコンタクトとサイフをダブルで落とした。日曜でお金もおろせない。帰りの切符は上着のポケットで無事だったものの、文ナシ同然。周囲の風景はばやけているし、アパートまで飲まず食わずの帰り道の心細かったこと。多くはなくていいけれど、フトコロがゼロというのはほんに落ち着かないもんだと身にしみたっけ。

録画していたSANTANAのライブ(BS2にてオンエア)を見た。

1976年、イギリスはハマースミス・オデオンでのライブ。カルロス・サンタナは1947年生まれなので、このときはまだ28か29歳。しかし、すでにスーパーマリオのような鼻ヒゲをはやしたオヤジだ。

ドラムのグラハム・レアとか、パーカッションのホセ・チェピート・アレアス、コンガなどのラウル・レコー、キーボードのトム・コスタなど、昔懐かしいメンバーが若くて嬉しかった。特に、ラウル・レコー。のちの彼は、K-1のリングにあがれそうなほどに屈強な肉体になっていったけど、このころはまだまだ笑顔も身体も若い。30年前だもんなぁ。

見てて、聴いてて、じ~んと染みたのは、やっぱりこれ。


哀愁のヨーロッパ『哀愁のヨーロッパ』 1976年リリース


でもな~。
この曲を聴くと、アタマに浮かぶ妙ちくりんな出来事がある。





学生時代の同じクラスにSANTANAが大好きなヤツがいて、江古田にあった彼の下宿に行くと、毎晩のように『哀愁のヨーロッパ』を“これでもか!”という大音量で流していた。

「おい、こんなデカい音でだいじょうぶか?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

と、部屋の主が言い終わる間もなく、となりのオヤジが、

「やかましいっていつも言ってるだろうが!!」

と、怒鳴り込んできた。ほら、やっぱりね。

この友人、ギターがうまくて、生ギターで『哀愁のヨーロッパ』や『天国への階段』をコピーしていた。やってもやっても全然上達しないぼくは、かなりうらやましく思っていたっけ。

ヤツの下宿は6畳一間だった。そこにキングサイズか、クイーンサイズのダブルベッドをど~んと置き、机もあってコタツは真夏も出っぱなしで、冷蔵庫もあってという物持ち野郎だったので、部屋にいるとイヤでもベッドに並んで座らねばならない。ぼくよりひとまわりデカいヤツとベッドの端に並んで座り、『哀愁のヨーロッパ』を聴いた。

サンタナのギターがより泣き始めると、ヤツは、

「この泣き、いいよなぁ~っ」

く~っとばかりに自分の世界へと入り、自己陶酔する。それはどうかすると、身の危険を感じるほどだった。

あるとき、ヤツの下宿でいつもと同じように、夜、『哀愁のヨーロッパ』を聴いていると、陶酔のようすがいつもと違う。妙だなぁと思っていたら、ヤツが、

「きのう、オレは○○子(彼女の名前)と、ここで結ばれたんだ」

と、恋愛小説のようなセリフを吐いた。なぁるほど、『哀愁のヨーロッパ』をBGMに、ついに野獣と化したのね(彼は別名「野獣」と呼ばれていた)と思いつつ、フンフンと聞いていると、

「○○子はかわいいんだぁ~、めちゃくちゃ恥ずかしがってさぁ」

あとはアホらしくて書かないけど、大おのろおけをイヤと言うほど聞かされた。

このカップル、言っちゃ悪いけど“バカップル”。

ぼくは下宿にカギをかけない(というか、カギがない)ので、外出から戻ってみると友人の誰かが部屋に入ってタバコを吸ったり、飲み食いしたりしたあとがあることがしばしばだった。

ある日、部屋に戻るとなぜかフトンが敷いてある。万年床というほどに四畳半にはまり込んだ生活ではなかったので、ぼくは出かけるときは一応フトンは押し入れにあげていた。それが、敷きっぱなしになっている。おっかしいなぁ・・・・・誰のしわざだ?

数日後、学校の教室でヤツに会ったら、こう言った。

「お前、シーツぐらい替えろよ。汗くさかったぞ」

「ん? なんでお前がそんなこと知ってんの?」

「いや、○○子と一緒にお前の部屋に行ったら、お前、いなかっただろ。で、しばらく待ってるうちにムラムラしてきてさぁ。な、わかるだろ」

わかるかい、そんなこと!!

人の部屋でいかがわしい行為(とも言うし、生の営みとも言うが)に及ぶことさえ信じがたいのに、ことに及ぶ前にご丁寧にも他人のフトンを敷いくかぁ?! 汗くさいなんて、どのツラ下げて言うんだ、だから野獣って言われるんだよ、お前はぁ!!

と、怒りつつ、嬉しそうなヤツの顔を見てたらアホらしくなった。

この○○子さんという彼女はとても清楚な、楚々とした感じの美人。しかしねぇ。いくら彼氏とはいえ、昼のひなかに他人の下宿、しかもカギのない四畳半なんかで迫られたら拒めよ!! それもオレのフトンでさぁ。なおかつ、もし、ことの真っ最中にオレが帰ってきたらどうするつもりだったんだろう? 女心は不可思議じゃ。

ま、しでかしてしまったことは仕方ないけど、フトンぐらいあげて帰れよな。

なんてことをそのとき思ったっけ。

で、大丁寧なことに、ヤツ&○○子さんはぼくの部屋でも『哀愁のヨーロッパ』をBGMにお使いになったそうだ。それ以来、あぁ、この曲を聴くたびにこのエピソードが頭をよぎり、苦笑&失笑してしまう。せっかくの名バラードなのになぁ。





ヤツと○○子さんは卒業後、結婚した。
ぼくの汗くさいフトンもなんらかのお役に立てたのかもしれない。

結婚してしばらくして、ヤツは会社の留学制度を利用してアメリカへわたり、MBAの資格を取った。ぼくはいまだに「MBA」のなんたるかを知らないが、ヤツは、

「生まれてこんなに勉強をしたことはないくらい、必死に、死ぬほど勉強した」

と言っていた。
そして帰国すると、留学するにあたり会社に提出した「決して退社しないことを誓います」的な誓約をあっさりと捨て去り、外資系のコンサルティング会社に再就職。留学させた会社とは退社の際、かなりもめたらしい。そりゃ、そうだろう。1千万以上のお金をその会社はヤツに投資したのだから。

ぼくが知るのは、ここまで。
今ごろ、どうしてるかな。

そう思って、Google してみた。ヤツはとても珍しい名字なので、もしかしたらひっかかるかもと思ったら、40件ほどひっかかった。某研究所の「上席研究員」という肩書き。名字の珍しさは、あまり同姓同名がいるとは思えないし、これはヤツかもしれないな。

他人の下宿で野獣と化したヤツが他人様に「企業の生きる道」を講義していると思うと不思議だけど、がんばってるみたいでちょっとホッとした。

『哀愁のヨーロッパ』、もう一回、聴こ。



ぼくが家に戻るとネコ助は、そばにツツと寄ってきて、
「お帰り、お帰りぃ」と、ジーンズをバリバリ。

ありがたいけど、ツメは痛いし、あらら、ジーンズも。。。。


お帰りばりばり → お帰りぼろぼろ あぁ、ぼろぼろ。


しかし、ネコ助も好みがあるのか、ジーンズ以外にはバリバリしない。

なんで?


アオ助こころ「ネコのココロも深いぞ」




海辺へドライブ。ちょっと遠くへ足をのばした帰り道、関門橋に間近い公園に。

向こう側が九州だ。

昔、125ccのバイクにふたり乗りして関門トンネルを通ったときはコワかった。門司に抜けたら、顔はススけて真っ黒けだったっけ。
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