番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


録画していたSANTANAのライブ(BS2にてオンエア)を見た。

1976年、イギリスはハマースミス・オデオンでのライブ。カルロス・サンタナは1947年生まれなので、このときはまだ28か29歳。しかし、すでにスーパーマリオのような鼻ヒゲをはやしたオヤジだ。

ドラムのグラハム・レアとか、パーカッションのホセ・チェピート・アレアス、コンガなどのラウル・レコー、キーボードのトム・コスタなど、昔懐かしいメンバーが若くて嬉しかった。特に、ラウル・レコー。のちの彼は、K-1のリングにあがれそうなほどに屈強な肉体になっていったけど、このころはまだまだ笑顔も身体も若い。30年前だもんなぁ。

見てて、聴いてて、じ~んと染みたのは、やっぱりこれ。


哀愁のヨーロッパ『哀愁のヨーロッパ』 1976年リリース


でもな~。
この曲を聴くと、アタマに浮かぶ妙ちくりんな出来事がある。





学生時代の同じクラスにSANTANAが大好きなヤツがいて、江古田にあった彼の下宿に行くと、毎晩のように『哀愁のヨーロッパ』を“これでもか!”という大音量で流していた。

「おい、こんなデカい音でだいじょうぶか?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

と、部屋の主が言い終わる間もなく、となりのオヤジが、

「やかましいっていつも言ってるだろうが!!」

と、怒鳴り込んできた。ほら、やっぱりね。

この友人、ギターがうまくて、生ギターで『哀愁のヨーロッパ』や『天国への階段』をコピーしていた。やってもやっても全然上達しないぼくは、かなりうらやましく思っていたっけ。

ヤツの下宿は6畳一間だった。そこにキングサイズか、クイーンサイズのダブルベッドをど~んと置き、机もあってコタツは真夏も出っぱなしで、冷蔵庫もあってという物持ち野郎だったので、部屋にいるとイヤでもベッドに並んで座らねばならない。ぼくよりひとまわりデカいヤツとベッドの端に並んで座り、『哀愁のヨーロッパ』を聴いた。

サンタナのギターがより泣き始めると、ヤツは、

「この泣き、いいよなぁ~っ」

く~っとばかりに自分の世界へと入り、自己陶酔する。それはどうかすると、身の危険を感じるほどだった。

あるとき、ヤツの下宿でいつもと同じように、夜、『哀愁のヨーロッパ』を聴いていると、陶酔のようすがいつもと違う。妙だなぁと思っていたら、ヤツが、

「きのう、オレは○○子(彼女の名前)と、ここで結ばれたんだ」

と、恋愛小説のようなセリフを吐いた。なぁるほど、『哀愁のヨーロッパ』をBGMに、ついに野獣と化したのね(彼は別名「野獣」と呼ばれていた)と思いつつ、フンフンと聞いていると、

「○○子はかわいいんだぁ~、めちゃくちゃ恥ずかしがってさぁ」

あとはアホらしくて書かないけど、大おのろおけをイヤと言うほど聞かされた。

このカップル、言っちゃ悪いけど“バカップル”。

ぼくは下宿にカギをかけない(というか、カギがない)ので、外出から戻ってみると友人の誰かが部屋に入ってタバコを吸ったり、飲み食いしたりしたあとがあることがしばしばだった。

ある日、部屋に戻るとなぜかフトンが敷いてある。万年床というほどに四畳半にはまり込んだ生活ではなかったので、ぼくは出かけるときは一応フトンは押し入れにあげていた。それが、敷きっぱなしになっている。おっかしいなぁ・・・・・誰のしわざだ?

数日後、学校の教室でヤツに会ったら、こう言った。

「お前、シーツぐらい替えろよ。汗くさかったぞ」

「ん? なんでお前がそんなこと知ってんの?」

「いや、○○子と一緒にお前の部屋に行ったら、お前、いなかっただろ。で、しばらく待ってるうちにムラムラしてきてさぁ。な、わかるだろ」

わかるかい、そんなこと!!

人の部屋でいかがわしい行為(とも言うし、生の営みとも言うが)に及ぶことさえ信じがたいのに、ことに及ぶ前にご丁寧にも他人のフトンを敷いくかぁ?! 汗くさいなんて、どのツラ下げて言うんだ、だから野獣って言われるんだよ、お前はぁ!!

と、怒りつつ、嬉しそうなヤツの顔を見てたらアホらしくなった。

この○○子さんという彼女はとても清楚な、楚々とした感じの美人。しかしねぇ。いくら彼氏とはいえ、昼のひなかに他人の下宿、しかもカギのない四畳半なんかで迫られたら拒めよ!! それもオレのフトンでさぁ。なおかつ、もし、ことの真っ最中にオレが帰ってきたらどうするつもりだったんだろう? 女心は不可思議じゃ。

ま、しでかしてしまったことは仕方ないけど、フトンぐらいあげて帰れよな。

なんてことをそのとき思ったっけ。

で、大丁寧なことに、ヤツ&○○子さんはぼくの部屋でも『哀愁のヨーロッパ』をBGMにお使いになったそうだ。それ以来、あぁ、この曲を聴くたびにこのエピソードが頭をよぎり、苦笑&失笑してしまう。せっかくの名バラードなのになぁ。





ヤツと○○子さんは卒業後、結婚した。
ぼくの汗くさいフトンもなんらかのお役に立てたのかもしれない。

結婚してしばらくして、ヤツは会社の留学制度を利用してアメリカへわたり、MBAの資格を取った。ぼくはいまだに「MBA」のなんたるかを知らないが、ヤツは、

「生まれてこんなに勉強をしたことはないくらい、必死に、死ぬほど勉強した」

と言っていた。
そして帰国すると、留学するにあたり会社に提出した「決して退社しないことを誓います」的な誓約をあっさりと捨て去り、外資系のコンサルティング会社に再就職。留学させた会社とは退社の際、かなりもめたらしい。そりゃ、そうだろう。1千万以上のお金をその会社はヤツに投資したのだから。

ぼくが知るのは、ここまで。
今ごろ、どうしてるかな。

そう思って、Google してみた。ヤツはとても珍しい名字なので、もしかしたらひっかかるかもと思ったら、40件ほどひっかかった。某研究所の「上席研究員」という肩書き。名字の珍しさは、あまり同姓同名がいるとは思えないし、これはヤツかもしれないな。

他人の下宿で野獣と化したヤツが他人様に「企業の生きる道」を講義していると思うと不思議だけど、がんばってるみたいでちょっとホッとした。

『哀愁のヨーロッパ』、もう一回、聴こ。


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