番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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縁側で見つけた。


セミ01セミのぬけがら。


セミ02脱出口。


8年間(かな?)の雌伏の期間を経て、地上に出てきたセミ君。我が家の縁側で自らを拘束していたかたい殻を脱ぎ捨て、どこか近くの木を飛びまわりながら短い一生を謳歌しているんだろうか。

朝からセミの大合唱。やかましさが脳みそでワ~ンンンンンンって反響してる。このドやかましさも、セミ一匹にしてみれば一週間ほどの咆哮なんだと思えばガマンもできる。

が、しかし・・・・・・。

やっかまし~っ!!!!!!

ベランダの物干しにとまって鳴いているワシゼミ一匹。5センチほどの身長のくせに、よくもまぁ2メートルの大男みたいな声を出せるなぁ。でも、わざわざ鉄製のポールで鳴かんでもよかろうがっ! 樹液が出る木の幹にとまって鳴かんかい。そんなとこで鳴いて、なにが嬉しいねん、お前。


セミのぬけがらは夏の始まり。そのはずだけど、縁側や地面に転がっているセミのぬけがらを見ると、あぁ、もう夏は終わるな・・・・と感じる。殻を脱いだセミ。あとは、鳴けるだけ鳴いて、子孫を作り、地面に転がってアリに運ばれるだけ。

いさぎいい一生だよなぁ。




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暑くなると、ヒンヤリ板の上で腹ばいになるネコ助。負けじと腹ばいになって肉球の写真を狙ったら、ビミョーにイヤそうな顔。

先代ネコ助も肉球には敏感で、ちょいと触ろうものならシャーッと一喝されたっけ。

ネコ助の地雷みたいなもんかな?

暑い・・・・・。

おとといまで、降ればどしゃ降り状態だったのに、きょうはギンギン真夏の陽射し。雨があがってくれたから洗濯物がきっぱり乾いてくれるのはいいけれど、この暑さはやめてくれんかなぁ。部屋でパソコンに向かっているだけなのに、汗が胸に背中に流れ落ちる。

通気がいまいちで、パソコンとオーディオの熱気が部屋のカドにたまるので、扇風機が大活躍。パソコンに向けて風を送ってる。これから残暑が終わるまで(先が長いな・・・・)、こんな日が続くんだろうな。

昼メシを食いながら、撮ってあった『キッド』を見る。こういう映画はダメだ。べろべろ泣けてしまう。涙もろいのは親譲りで寅さんを見ても泣けるから、昔々、女の子と一緒のときは冒険スペクタクル映画しか見られなかったっけ。あ、でも『ある愛の詩』なんぞをグループ交際(死語?)で見に行ったときはだいじょうぶだった。涙するほど内容がわかんなかったんだな、きっと。

しかし、チャップリンはすごいな、やっぱり。「天才」って言ってしまうと言葉が軽くなってしまうけど、サイレントで情感の機微をあらわす表情といい、信じがたい運動神経といい、天賦の才としか言いようがない。天が恵んでくれたその才を、努力という砥石で磨き上げた芸。才に溺れる人も多いだろうに。えらいな~。努力をすることの天才なんだろうな。

チャップリンの白目は印象的。とてもきれいで、おどけた表情や、深刻な表情、悲しみや憤りなど、いろんな感情を端的に表す。まぶたの縁に黒くシャドーを入れたチャップリンは、その自分の白目の持つ魅力と存在感を知っていたんだろう。

黒目が引き立つからだろうけど、白目がきれいな人の目は意志をくっきりとあらわすかのようだし、なによりまなざしが聡明だ。白目がきれいな、瞳の美しい人。そういう人を見るにつけ、うらやましなぁと思ってきた。自分の目玉を鏡で見ると・・・・・う~ん、白目が濁ってるもんなぁ。卵の殻でも食べれば、もっときれいな「白」になるかしらん。

ぼくの目玉はかなりな茶色。昔々、白系ロシアの血が混じってると言ったら信用した友がいたけど、妙な気持ちだったっけ・・・・・そんなことはどうでもいいが、茶色い虹彩と濁った白目とあいまって、まなざしがキリッとしない。ぼけてるんだよなぁ、視線が。

白目のきれいな人の視線は魅力的だ。
チャップリンに見つめられたら、身がすくんでしまうかもしれないな。



久しぶりに朝から陽が射している。
きのうの夜は掛け布団が欲しいような気温だったけど、暑くなるかな。

ネコ助も絶好調。走り回っていたかと思うと、机の上から何やら狙ってまなじりを決してる。お前、なんかコワいど~。

雨がどしゃどしゃ。ドライブ行くにも降り過ぎだ。仕事はきょうもやる気なし。退屈じゃ。

腰ヒモでネコ助釣りに挑戦。食い付きはいいが、なかなか釣れん。

無心にネコパンチを繰り出すネコ助。お前の後頭部、絶妙にかわいいなぁ。


投げ出した足を見て、ふと思う。

リーバイスのジーンズに、コンバースのスニーカー。

30年以上前と同じ格好やがね。

ええんかい、それで?


足


ええんやろ、これで。


あちこち歩いて
思わず知らず、迷子になったり。

それがまた妙に楽しかったり。

思いもかけない出来事や景色にぶつかって
足を止めたり、駆け出したり。

そして、ふっと微笑んだり。

ときには
迷子になるのもいいもんだ。


この足しかないんだもんな。

短いけどね。



那覇の空。おとといだけど。

那覇の空

ビジネスホテルから見える空がこれだけきれいなんだから、
海辺の空はどんなにか美しいことだろうか。


空の美しさは
その下に住む人の心の色を映すという。

沖縄の人たちの心は
きっときれいなんだろうな。


東京の空がよどんでいるのは
そこに暮らす人の思いがよどんでいるからかな。

福岡の冬空が鉛色なのは
「祭りがあるけん、博多たい!」と
おしり丸出しで喜び駆け回る祭り好きの
次の祭りを待つ心の重さが
色づけるのかもね。


きょうの福岡は、どどめ色。

♪ 勇気りんりん どどめ色~ ♪

って歌ってた記憶があるなぁ。

どどめ色って、どんな色?







青以外、な~んも見えん。

カーテンをサッと引くと、ビカビカの陽射しが。あまりに眩しくて、にわかには目が開けられない。

ホテルの窓から見える那覇の青空。気持ちいいなぁ、やっぱり。

でも、これがきょう見る最後の青空…。つまんないな~。
思わぬ出来事というのは思わぬときにあるもので、だからどう対応するかの準備もできず、自分の反応は自分の理性と感情に任せるしかない。その理性と感情は自分が育ててきたもののハズだから予測くらいは出来そうだけど、その範疇を超える行動をとったりするものだから我ながら唖然としたりする。でも予測不可だからといってその行動が自己を反映していないハズがない。驚き呆れてもやっぱりそれは己れの理性か感情から正直に生まれたものとして受け入れるしかない。なんてゴチャゴチャ言ったところで、正直な心の動きにはカナワンってことだな。
負けました。
おじゃましている某局は編集室を増設中で、今は編集室というより編集コーナーの趣。ほとんど四方が壁に囲まれた小さなスペースは妙に落ち着く。昼食もそこでとれば、帰りまで一歩も外に出ずにすむ。仕事に没頭するにはもってこいの環境だけど、仕事に没頭することの有り得ない落ち着きのないぼくは、仕事しつつもキョロキョロそわそわ。でも、誰も覗かず、顔も見れず、話もできず。う~ん、精神的な酸欠状態。で、つい、ウツラウツラ、居眠り寸前。きょうも危ないところだった…。オヤジの醜態、そうそう何度も見せられん。
自由がきかないってのはツラいね。

あしたから沖縄。もう7月半ば。真夏真っただ中、さぞかし暑いだろうなぁ…とフツーなら思うけど、こちらは36℃。なぜだか沖縄より気温が高い。さらには、ただそこにいるだけで汗が流れるほどの蒸し暑さ。水分をとってもとっても肌から流れ出す感じ。カンベンして欲しか~。

同じ気温でも、真っ青な海に向かう沖縄の木陰は気持ちがいいだろうなぁ。焼けた砂の上を吹いた風は肌にさらさら。空気は打ち寄せる波のしぶきにイオンたっぷり。あぁ、そんなところで時を気にせず、ゆっくり、のんびり、すごせたら…。まさに夢の楽園だなぁ。

あ、でもやっぱり白昼夢?


「おしゃべりカーナビ」

- きょうは何の日? -



朝、車のエンジンをかけると
「おしゃべりカーナビ」がこう言った。

「きょうは7月13日。オカルト記念日です」

オカルト記念日??? なんじゃ、それ?
冷静な声でそんなこと言うなよ。

出かける気力が、ちょい削がれた。

ネットで調べたら
確かにきょうは「オカルト記念日」。

1974年のきょう
映画『エクソシスト』が日本で公開された。

それを記念して作られたのが
「オカルト記念日」。

『エクソシスト』ねぇ。
リンダ・ブレアの首がギ・ギ・ギ・ギ・ギ~ッ
一回転したっけ。

アメリカでは
そのあまりの恐ろしさ、おぞましさに
18歳未満は保護者同伴が必要な「R指定」に。
でも、非難ごうごうの世論におされ
18歳未満は全面的に
鑑賞禁止となったそうな。

イギリスでは成人映画扱い。

公開後、ずっと
「悪魔の勝利を描いた映画」
そう呼ばれ続け
ついに25周年記念版では
内容の変更まで行われたとか。

しかし
内容変更してまで上映するとは
制作者側もしぶといねぇ。


でも、そんなに怖かったっていう印象は
ぼくにはないな。
首が回るのは怖かったけど
神父がドタバタするのは
ちょっと滑稽だった。

やっぱり、キリスト教の素地がないと
「悪魔憑き」の恐怖は
理解不能なんだと思う。


でもね~、「オカルト記念日」って・・・・。

誰が、なんのために、決めたの?
なんの意味があるの?

え?!

意味なんか求めちゃいけないのよね
ユーモアだもんね。

でもでも、やっぱり、でもね~
「きょう」が記念日って他にもあるだろ?
なんで、よりによって
「オカルト記念日」なの?


ちょろと調べたら
きょうを記念日とするこんなモノがアリ。

「優生保護法の日」

「生命尊重の日」

「日本標準時刻記念日」

「ナイスの日」


「ナイスの日」って・・・・
7月13日、「7・1・3」=ナ・イ・スなの?

優生保護法・・生命尊重・・・重いし。
調べなきゃ良かった。

この中で「オカルト記念日」を選んだ
「おしゃべりカーナビ」さん。
あんた、正しい。


「オカルト記念日です」

その言葉がまだ漂う耳に
携帯の着信音が。

今、まさに
出かけようとしていた打合せが
ボツになったとの知らせ。

え~っ、準備万端整えたのにぃ!!
なんでやねん!

青空のもと、奈落の底へ。


あぁ、オカルチック。。。。




ドライブ中。

きれいな景色でもないかな~。
お、田んぼの緑がなかなかじゃん。

と、思って車を停め
携帯を取り出し
さぁ撮ろうと構えたところへ
いきなり大降水。

これじゃぁ、撮れんじゃんかぁ。
しゃーない、これでも撮ろ。


わし
日よけの裏の鏡に映る“わし”。


アホかな。



ジダン選手の頭突きには、やっぱり驚いた。それも、最高の舞台の、最終局面で、さらには自身のキャリアの最後の試合での愚行。人間としては穏やかで、サッカー選手としては最高だけど、いちプレーヤーとしては即キレる困ったちゃんで終わってしまった。残念だな。

ワールド・カップの決勝戦、同点、延長後半・・・・精神の高揚がピークのそのときに、相手を挑発する言葉を吐くことができるイタリア選手の功績を讃えるむきもあるみたいだけど、やっぱりすっきりしない何かが胸につかえる。

サッカーやバスケットなど、選手が一対一で対峙することの多いスポーツでは、「口」は立派な武器になる。バスケットではそうした「トラッシュ・トーク」の名手がいて、神様・ジョーダンもアタマにきて相手をなぐりつけたことがある。しかし、どんな言葉を叩きつけられたにしろ、手を出した方が負けなのは、スポーツの世界では当然だ。

なにがあっても手を出してはいけない。それを守れなかった選手は、ピッチやコートから去るしかない。

じゃ、何を言ってもいいのか? それはまた別だ。

頭突きをテレビ映像で見たとき、相手のイタリア選手が何か言ったに違いないと思ったし(それ以外、考えられない)、その内容は民族的なことじゃないかなとも思った。

けっして口にしてはならない言葉というのがあるはずだ。そのひとつが、差別的な言葉。それも、人種・民族的な侮蔑の言葉は、どのような局面であっても口にすることは許されない。言葉をぶつけた相手個人にとどまらず、その背景にある長い歴史や膨大な人々までを侮蔑することになる。

イタリアの選手は、対戦相手のエースであり、主将であり、英雄である選手を退場に追い込んだ。だから、イタリアが勝利したとは言えないけれど、人間としてサイテーであることを全世界の人たちの前で自ら演じて見せた。見事な愚か者。


フランスは移民の多い国。今回の代表選手の肌の色だけを見ても、その多彩さは他国の比じゃない。どんな代表選考があったのかは知らないけれど、多民族国家の代表としてあるべき姿だと賞賛されて当然だと思う。唐突だけど、オリンピックの水泳選手にアフリカ系が極端に少ないことが頭に浮かんだ。ゴルフもそうだしなぁ。

フランスのような多民族国家の、その多様性と、それぞれが抱く被差別感は、一民族と単純に思い込んで生活しているぼくらが想像できない世界。ジダン選手は移民社会の中では希望だったろうし、心の支えでもあったろう。その最後の姿が、レッドカードでピッチを去っていく後ろ姿として記憶される。悲しいね。

出場停止に、レッドカードで一発退場・・・・・確かに「ワールド・カップ史上、最低のMVP」ではある。あの頭突きのシーンは、これからワールド・カップの開催ごとに、何度も何度も人々の目にさらされるだろう。

フランスでは子どもたちが早くも頭突きごっこを始めているとか。

悲しいね、やっぱ。



パソコンが生まれ、インターネットが発達し、世界中の情報がパソコンの前に座るだけで瞬時に検索できる。なんとまぁ便利になったことかと思うけれど、そのシステムがもらたすモノは「功」もあれば「罪」もあるだろう。

ぼくにとって一番の「功」は、メールが使えるようになったこと。20年以上前、パソコンの動きも今と比べれば陸ゾウガメのように遅く、ワープロソフトも「haikei」と入力してから、「んと、え~っと・・・」と考えているかのような時間を経て「拝啓」と変換していたころ、カタカナのチャットに、今の目で見ればメールの端緒はあったけど、まさかこんなにすいすいと漢字仮名交じり&文字ファイルから写真までも自在に送れるようになるとは思いもよらなかった。

携帯の技術革新もホップ、ステップを飛び越えてジャンプしかない三段跳びのように、ずんどこ発達していって、こちらも写真は送れるは、音楽は聞けるは・・・・・・。ショルダーバッグのように方から本体をかけ、四角い砥石のような受話器を手に、汗を流しながらかけていた「自動車電話」時代からはもう隔世の感がある。

電話が大のニガテのぼくは、メールさまさま、大助かり。携帯の毎月の使用料のうち、通話料よりパケット通信料の方がずっと多い。友人へのバカ話から、知人へのお願い事やご機嫌伺い、仕事のスケジュール確認や仕事そのものの内容の検討まで、ほとんどメール。それも携帯メールだ。

机の上にはNTTの据え置き電話がちゃんとあるんだけど、ほとんどFAX専用と化している。これに電話があっても、仕事中はほぼ100%、出ることはない。昼間から夕方にかけ、この電話にかかってくるものの大半が「売り込み」だから。ひょっとしたら仕事の依頼があるのかもしれないけれど、あ~だこ~だと考えている最中に電話が鳴り、出たら「ファンドへの投資のご紹介を・・・」だとアタマにくる。思考が中断するから、どうかするとまたゼロから始めなきゃアカン。第一、そんな風にかかってくる金融関係のお誘い電話、耳にする単語のほとんどが説明してもらわなきゃワカラン言葉ばかりじゃ。

だから、よほどのことがない限り、据え置き電話には出なくなってからもう久しい。本当に用事がある人は、一度、据え置きの方にかけてぼくが出ないとしても、携帯の方にかけてくれる。

じゃぁ、据え置き電話の回線はいらんのじゃないかと思うのだけど、まだまだFAXも現役で活躍しているので、やっぱり準備しておかなくちゃならない。ムダだなぁと思うのだけど、2次元平面の資料のやりとりがパソコンだけで行えるようにはならないだろうな。

ほとんど電話をしないぼくなので、いまだにこちらからかけるのは、仕事先であれ、親しい友人であれ、ドキドキハラハラする。高校時代は両手で数えられるくらいしか電話なるものはしたことなかったし、大学に入っても、初めて女の子に電話した公衆電話ボックスの位置を今でも鮮明に覚えているくらいに電話をしたことがない。そう言えば、昨年上京したとき、その電話ボックスは影も形も消えていた。あぁ、我が青春を飾った舞台がまたひとつ消えた・・・・・・。

そんなことはどうでもいいが、こんなに電話をかけないぼくだけど、なぜか学生時代、部屋には電話をひいていた。その電話のコードが四畳半の部屋なのに5メートルもあり、畳の上にとぐろを巻いていたのを思い出す。電話を部屋のどこに持って行っても余裕のよっちゃんの長さ。なんであんな長いコードにしたんだろ?

そんなこともどうでもいいが、まったく電話をかけないので、月々の電話代が基本料ということがたびたびだった。友人たちは「お前、受け専用の電話に替えろよ」と皮肉を込めて言っていたけど、そんな電話があったんだろうか? あるなら替えたいなぁとマジで思ったこともたびたびだた。

仕事となると電話をせずにはいられない。大苦痛だったのだけど、メールという手段ができて大助かり。かかってくるぶんには気にならないんだけど、かけるときは相手がなにをしているかが気になるし、迷惑になっちゃ申し訳ないという言い訳が先に立つもんだから、そそくさとした内容の電話になってしまい、切ってから、あら、あれも言わなきゃ、これも言ってなきゃてなことが多発したけれど、メールはそんなことも心配しなくて済む。


相手の声を聞く、こちらの声を聞いてもらう。その魅力というのは、電話には確かにある。文字よりも生身の人間の息づかいの方が多弁ということも正しいし、沈黙も何かを語るというのもまたしかり。だから、是が非でもの電話は意を決してかける。しかし、ドキドキハラハラ感は、両手の指で足りるくらいしか電話しなかったあのガキのころ以上にあるのだった。

大きな駅から電車に乗ると、車内に落ち着いた乗客たちは一様に携帯を取り出し、メールを打ち始める。その様子は、はた目で見ていると異様で、異人さんなどの目には日本人の閉鎖性、ここまで来たれりと映るかもしれないけれど、引っ込み思案で遠慮がちな(ほんとか?)ぼくらにとっては、もう必要不可欠な通信手段となっている。


メールの書き方にも個性ってあるよな~と思う、きょうこのごろなのだった。



朝はひさびさにサワヤカな風が窓から吹き込み、梅雨の中休みもなかなかオツなもんだと思っていたら、昼前から気温がぐいぐい上がるのが体感できるほどに急上昇……。部屋に座っているだけで、汗がふつふつ吹き出しドッキング。首に背中に流れ落ちる。昼過ぎ、ギラギラ太陽の空から大粒の雨が亜熱帯シャワーのように降りそそぐ。「なんじゃ、こりゃあ~!」と言い終らぬうちに雨はピタリとあがり、周囲の空気はまるで湿度120%。うぅぅ、息がクルシいぃぃぃ~。オレの部屋はミストサウナかい!
で、気温35℃オーバー。カンベンしてくれ~!

早寝早起きは体にいいが、遅寝早起きは脳みそと目玉に悪い。

きょうは9時半に隣県県庁所在地駅着。故に6時前起き。イナカは困る。

きのうはズルズル仕事で3時ころに就寝。が、寝床で21世紀初購入の音楽雑誌をズルズル読書。

あれこれ想いをめぐらし、ご~ろごろ。こんな夜があってもいいよね。

しかし、携帯で日記を書くのは時間がかかるな~。

21世紀に入って初めて、いにしえの愛読誌を購入。

『 BURRN!』8月号。

購入の理由は、懐かしい人が表紙だったから。

ガンズ、3年半ぶりのライブ活動再開。
ようやく動き始めたのね、アクセル君! おいちゃんは嬉しいよ。
同誌では、5月、ニューヨークで4回に渡って行われた「ウォームアップ・ギグ」をリポートしている。

勝手にこんな写真を載っけたら叱られるだろうけど、ま、いっか。


Burrn!表紙

『 BURRN! 』 2006年8月号



長髪をドレッドヘアにしてるアクセルさん。意外ないでたちに驚いた。が、写真で見る限り、かなり体重を絞ってるかな? 数年前、何かの表彰式みたいなステージでゲストとして出て歌ったときには太っていて、ちょっと声を出し、ステージをちょろと走っただけで息があがっていた。それを見たとき、「アクセルは、もう復活でけんな」と思ったっけ。

新生ガンズ、と思ったけど、ほぼ同じメンバーで2002年に来日したらしい。まったく知らなんだ。どんなステージだったのかな? ガンズのステージと言えば、NHKホール(だったかな?)で、なにが気に入らなかったのか、アクセルが数曲歌ったあとに突然マイクをステージに投げつけ(このあたりは伝聞)、職場放棄。ライブはそのまま終了という、あのステージが思い浮かぶ(って、見てないけど)。

当時、すでに働いていたから、見に行けなかった。行っときゃよかったなぁ、と思ったけど、後の祭り。まぁ、尻切れトンボのライブを見たなんて、話のタネにしかならないけど。

ニューヨークで行われた4回のギグ、知っているメンバーは、ディジー・リードしかいない。元の鞘にはおさまれないんだろうな、やっぱし。

4公演ともに元スキッド・ロウ、あのセバスチャン・バックがゲストで登場。『 My Michelle 』をアクセルと一緒に歌ったそうな。セバスチャン、まだやってたのね~。この手の雑誌を読まなくなって久しいから、動向がさっぱりわかりませんでしたよ。

最終日には、旧ガンズの盟友(というより、高校時代からのアクセルのお友だち)・イジーも登場。『 Think About You 』と『 Patience 』、『 Nightrain 』の3曲をやっている。『 Nightrain 』ではキッド・ロックも参加。どんなステージなんだろう?

セットリストは、長いので記入回避。興味のある方は同誌を購入 or 立ち読みしましょう。

4公演ともオープニングからの3曲とアンコールのラスト曲は同じ。

  Start →『 Welcome To The Jungle 』
       『 It's So Easy 』
       『 Mr. Brownstone 』
           |
           |
           ↓
  End → 『 Paradise City 』

「やっぱりねぇ」のオープニング曲に、「大乗り大会だろうねぇ」のラスト曲。いい曲を持っているグループというか、歌い手は強いな、やっぱり。セットリストを見ただけで、ライブに行きたくなるもんなぁ。

アクセルも44歳になったとか。

♪ 時は巡り~、また夏が来て~ ♪  『青葉城恋歌』

歳はどんどんとっちゃうんだから、さっさと新譜を出しなさいっ!



しかし、21世紀になって初めて目を通す『BURRN!』誌。その変化したであろう登場バンドに浦島太郎状態になるかと思ったら、目次を見てびっくり。大半が20世紀に読んでいたころと同じバンド&ロッカーばっかじゃないの!


Burrn!目次
『 BURRN! 』 2006年8月号 CONTENTS



SLAYER /MEGADETH/FAIR WARNING/KISS/WHITESNAKE
DEEP PURPLE/JOE LYNN TURNER/TRIBE OF GYPSIES・・・・・。

なんと、ULI JON ROTH の名前まで見える。涙型のギターを今もお弾きだ。

「ヘビィ・メタルのこれまでとこれから」という特集、遠い昔に読んだよぉ。
なんなの、この変わらなさ? ロックを聞くにも手順を踏めということか。

おまけのポスターが、リッチー・ブラックモアだもん。ちょっと唖然・・・・・。


ぺらぺらとページをめくると、『 RIOT 』が新譜発売!との宣伝が! マーク・リアリ、健在なのね~、びっくし。

「ウォリアー」、五十嵐夕紀のカバー、聞きたいな。


う~ん、たまにはこんな雑誌も読んでみるもんだなぁ。「温故知新」の真逆である。これ、とっておいて、5年後くらいの同誌と比べてみようかな。


今夜は熟読だ。

あ~、こんなことをして遊んでるって、南の島の仕事先のお姉さまに知れたらどうしようぉ。。。叱られるぅ。。。。

きょうだけ、お目こぼしを! お願い!!

あ、きのうも遊んでたっけ?




忙しくなればなるほど、ドライブに行きたくなったり、本を読みたくなったりするのはナゼでしょう? そんなこと、ヒマなときにすればいいじゃんと自分自身でも思うのだけど、まいど同じことの繰り返し。あぁ、それが私のサガなのね~。

海には15分くらいで行けるので、仕事に飽きたらプイと出られる。音楽を聞きながら小一時間も走れば気分的にはスカッとするんだけど、部屋に戻れば抜け殻のような仕事の痕が「お帰りぃ~」とお待ちかね。

あぁ、どっとブルーに舞い戻り。でも、走る前よりはずっと復活してるかな。

で、読書。きのう、仕入れた新刊本。きのうの夜、読まなきゃいいのに読み出して、いったん最後まで読み終わり、零時を過ぎてから再度読み直しをしてしまった。


ワンピース『ONEPIECE 42巻』 尾田栄一郎 著


アニメも欠かさず見つつ、DVDにも落としている『ONEPIECE』。ここんところの進展の遅さに、作者の惑いと迷いと煮詰まりとを感じるが、面白いことには変わりない。あまりに進展が遅いので、アニメがすぐに追いついてしまい、ちょくちょく休止になるのが玉にきず。

『ONEPIECE』も42巻を数える「長編連載マンガ」となったけど、それにつけてもすごいなぁと思うのは、『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。単行本は150巻を数えるが、その数よりもすごいのは、1976年の連載開始以来30年間、一度も休載したことがないということ。

継続は力なり。

なにをしても続かないぼくから見れば、作者の秋本治さんは化け物みたいな人だ。
出張時の睡眠薬として、コンビニで¥300也で販売している廉価版しか買わないけれど、そのテンションの高いマンネリ度は賞賛に値する。

来週の終わりから沖縄。また『こち亀睡眠薬』が増えるなぁ。と言うか、沖縄でしか購入したことがないのだった。ホテルへの帰り道にコンビニがあるから、ついフラリと寄ってしまうのね。

沖縄は楽しみいっぱいだ。




サッカー話の続きだけれど、いろんな人がいろんなことを言えるのもサッカーが人気のある秘密なんだろうなぁ。分析だって、数字的なものから心理的なもの、経済的なものから政治的なものまで、サッカーというスポーツを使って分析できてしまう。かなり強引なモノもあるけれど。

ぼくのように、ただボケッと見るもよし、戦術面から空想采配するもよし、スタンドに押しかけて国旗を振りつつ絶叫してもよし。よくできたスポーツだなぁと感心する。

ベスト4の闘いはあしたからだけど、準々決勝の8チームの顔ぶれを見た時点で、ほんとに波乱のない大会だなぁと多くの人が思ったことだろう。この顔ぶれの中に「日本」の文字があったら、熱狂的サポーターを任ずる人は快哉を叫んだだろうけど、どうひいき目に見てもそれは「超波乱」だ。サッカーは1点の持つ比重が高いスポーツだから、波乱も番狂わせも起こりうる。しかし、波乱や番狂わせが何度も起きるほどスポーツの世界は軟弱じゃないだろう。

日本は「アジア」という範疇に与えられた枠の中には入ることができるほどに力をつけてきた。でも、もしワールドカップへの予選が「世界」に広がったとしたら、まだまだ日本は出場国とはなり得ない。もし、アジア以外の予選に入ったとして、「南米」予選はとても勝ち抜くことはできないし、「アフリカ」の予選に入っても、代表となり得るかどうか。

ベスト16以降に残ったチームの試合はおもしろい。その技量と体力は見るに値するし、思わず賞賛さえしてしまう。誰かが「これからが、真のワールドカップの始まりだ」と言ってたけど、ホントだなぁと思う。その個人の技量とチームプレーを見るにつけ、ぼくらは自国のチームが出場したというそれだけで世界のトップの力を軽んじていたんだなぁと思わされる。

日本の敗退をめぐる議論をかいま見たり、小耳にはさんだりして、ふと、思った。やっぱり、「レベル」ってあるし、それを尊重しなきゃいけない「クラス」もあるんだなぁって。

ずいぶん昔、ぼくの母校が甲子園に出場したことがある。健闘虚しく一回戦で負けたのだけど、大会後、某新聞の講評で「代表校にしてはレベルが低い」的な感じでコメントされていた。そのコメントを読んだときは思わずムカッときたけれど、確かに高校野球の頂点を目指す大会に出場したにしてはレベルが低かった。打球が外野にまで飛ばないんだもの。

高校野球は「教育の一環」らしいからあまり問題にはならない(しない)けど、(県大会を勝ち抜いてはいるものの)あまりにレベルの低いチームが出場することは、他校に対して失礼じゃないのかな?

たぶん、高校野球は「教育の一環」だからそれでいいのだ。21世紀枠とかなんとか、なんだかよくわからない枠を作り、水増し状態になってもそれでいいのだな。なんせ「教育」ですから。

しかし、スポーツはまず勝つためにある。勝つ喜びを体感するために、選手は汗を流す。「参加することに意義がある」なんて、どんな弱小チームや、スポーツ後進国(途上国と言わないと叱られるかな)のアスリートも思ってはいないだろう。勝ちたいから、きつい練習でも自らを鼓舞することが可能なのだ。

努力はいずれ実を結ぶ・・・・・・。
今、かいた汗が、将来、自分のためになる・・・・・・。

きれい事を言うなとはいわないけれど、本質を見失うとなにも見えなくなる。勝つことが目標でないのならば、大会なぞに出るのは矛盾以外のなにものでもないだろう。


しかし、サッカー最高レベルの試合は見ていてとてもおもしろいが、イヤなところも目につく。審判へのアピールが多いこと、多いこと。アピールが多いのは、それが通る可能性が高いからだろうが、おかしな話だ。

野球であれ、バスケットであれ、他のどの競技であれ、あれほど審判への「反則じゃないか!」というはっきりとした意思表示をすることはない。ま、野球もバスケットも、たまに退場させられる選手や監督はいるけれど、サッカーほどしばしばアピールはしない。サッカーは倒れたらアピールするのが正当な行為かと思えるほどに頻繁だ。サッカー界では「審判は絶対」と教えないのかな?

「手」という最高の道具を使わずに競い合う奇妙なスポーツ、サッカー。生まれた当初は肉体的接触を考えない、ごく紳士的なスポーツだったのかもしれないな。今は、格闘技の要素も多分に含んでいるように見える。肉体の芯が強靱でないと戦えないのかもしれない。

しかしねぇ・・・・。
サッカーの、審判への反則アピールの多さ、大げささは、プロレスに匹敵するな。





ワールドカップも中休みのきょう、プロ野球オールスター戦のファン投票の結果が発表になった。


  → パリーグ 出場選手一覧

  → セリーグ 出場選手一覧


選ばれた選手名をざっと見て、正直な感想は「小粒になったな~」。元々、プロ野球にあまり興味がある方ではないけれど、各チームのレギュラークラスは名前と顔が一致していた。でも、今は違う。スポーツ・ニュースを見ても、「あんた、だれ?」という選手ばかりだ。

たま~にゲームを見ても、どこか迫力に欠ける。緊迫感がない。それは見ている側に思い入れがないからかもしれないけれど。ファン投票で6人の選手を選出した阪神ファンのように満々たる思い入れがあれば、ゲームのおもしろさも違うのだろう。

ここ数ヶ月、プロ・バスケットリーグNBAのプレーオフ、そしてサッカーのワールドカップと、それぞれのスポーツの頂点を極める試合をずっと見てきて思う。野球って、のんびりしたスポーツだなぁって。

スポーツの持つ性格が違うから仕方ないのだろうけど、野球には瞬時の攻守の切り替わりというものがない。アウトを三つ数えるまで、守る方は守るだけだし、攻める方は攻めるだけ。「投手はバッターを攻めているんだ」とか、「攻撃は最大の防御だ」という言い方もあるけど、それは精神面の話で、スポーツの形としてはアウト三つの間のパターンは固定されている。

バスケットも、サッカーも、攻守がめまぐるしく入れかわる。絶好のチャンスが瞬時にピンチと変わる。ということは、その逆もあるということだ。見る側にも「息の抜けなさ」を強要するバスケットやサッカーに比べると、野球のなんとのんびりしていることか。別に野球を非難してるワケじゃない。そこに野球の良さを見いだすファンも数多いのだから。

しかし、大リーグの試合を見ることができるようになった今、日本のプロ野球はどうひいき目に見ても分が悪い。バスケットもサッカーもそうだけど、超一流の選手と日本のプロとの違いは、「強さ」と「速さ」だと思う。それは肉体の差もあるけれど、大きいのは裾野の広がりじゃないかしらん。

きょう、ファンによって選出された「オールスター」は、パリーグが12名、セリーグが11名。チームは両リーグ6チームずつだから、単純に平均すれば1チームからふたりずつ選ばれる勘定になる。ずいぶんと競争の度合いが低い「スター」たちだ。

アメリカのプロ・バスケットリーグNBAは、日本のプロ野球のようにふたつのカンファレンスに分かれ、それぞれ15チーム。バスケットのスターターは5人だから、オールスターにファン投票でひとりも選ばれないチームが両カンファレンス合わせて最低20チームあることになる。

トップ中のトップのクラスで、なおかつこの門の狭さ。選出されたプレイヤーは、実力・人気ともに飛び抜けた「スター」たちだし、オールスター・ゲームは1試合のみ。だから、試合に出ることなく終わる選手もいるが、選ばれたこと自体に誇りを持つことができる。

日本のプロ野球は、数年前にようやく1試合減って、今、2試合形式。1試合にしちゃえばいいのにと思うのだけど、水増しの試合でも客が喜ぶと思っているのだろう。だから、選手たちの中には、オールスター戦に選ばれると「せっかくの休みがムダになる」と思う連中も増えてくる。

野球界のドンたちは、今でも球団の数が多すぎるからその数を減らし、1リーグ制にしたい意向を持ち続けているようだ。1リーグ、6球団程度の「プロ」の中から選ばれる「スター」、そこにどんな魅力を持てと言うんだろうか?


ハードルを、そして志を、もっともっと高くして欲しい。

中田英寿選手が現役引退を発表したのも、同じサッカーというスポーツに生きる仲間たちの志の低さをはっきりと知ったからなんじゃないだろうか。




「降雨確率70%、大雨注意報発令中」だったはずなのに、きのうも、きょうも、ぴかぴかの大晴天。

「ツユの晴れ間」も一日だと「ホッ」だけど、雨は降らず、なのに蒸し暑く、太陽がぎんぎんぎらぎら輝く日が続くと「ツユの晴れ間」もありがたみが薄れ、ただ単に、

「あぢ・・・・・」

と汗をぬぐうだけの日となる。


060702-01田の水に山影が。


060702-02買い物道路はハイウェイ


060702-03玄関脇には可憐な花が。


ao060702晴れよが降ろが不変。


あしたは雨だそうだ。きのうもそう言ってたどぉ。
天気予報の数字だけ見ると、沖縄よりも暑い。なんで~?

沖縄はもう真夏だろうなぁ。紺碧の空、澄み切った海。ええねぇ。

今月の中旬は沖縄だ。今年になって7回目? 8回目かな?
仕事で行くっていうのがなぁ。。。。

な~んもせずに、な~んも考えず、浜辺に寝ころんで波の音だけ聞いていたい。
あ、黒こげになってしまふ。





梅雨の晴れ間の海



きのうの、あの豪雨はなんだったんだろう?

そう思えてしまうほどの、ツユの晴れ間。でも、玄界灘はどこかくすんでる。

波は穏やか。でも、波打ち際で戯れる子どもたちの姿さえない。この時期の海は、危険がいっぱいなのかも。特に、潮が引く力はものすごいものがあり、おとなの力であってもそれに抗するのは不可能に近いとか。

引き潮に流されたときは、沖に流され切るまでは潮に逆らわないことが原則という。しかし、ずんずんと遠ざかる波打ち際を見ながら、流されるに身を任せることができる「引き潮のベテラン」がそう数多くいるとは思えない。

昔、幼稚園のころだろうか。この海岸線のどこかで、おぼれかかったことがある。

おとなの胸くらいの深さのところへ、ずいずいと進んでいったら、いきなりずどんと深みがあって、ぼくは頭の上まで、ずっぽりと海の中。なにが起こったかわからないままにじたばたしていると、近くにいたおじさんが海から引っこ抜いてくれた。

あのおじさんがいなければ、ぼくは幼き土左衛門と化していたに違いない。
顔さえ覚えていない命の恩人に、改めて深謝。


梅雨の晴れ間の田んぼ


ツユの晴れ間の田んぼも、また美しい。これ以上の豪雨にならず、適度に雨が降り、秋には黄金色の実りが広がりますように。

あしたから、また本格的ツユが舞い戻るとか。
車の天井に穴があきそうな降り方は、もうゴメンだぞ。




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