番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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扁桃腺を腫らし、フトンにゴロゴロしながら、31年ぶりの「つま恋」、録画をちらほら見た。まずは、総集編の最初の2時間分のうちの、拓郎さんのパートだけ。

オープニングは『旧友再会フォーエバーヤング』。

拓郎さんとかぐや姫の三人、同時に紹介しなけりゃいけないし、オープニングはやっぱりこれなのかなぁ。山田パンダさんが走りながら歌っていたけど、ぼくが拓郎さんに馴染み薄くなっていたころの曲なので、全部聞かずにすっ飛ばしてしまった。HD録画はこういうのがラク。

拓郎さんはじめステージの皆さん&スタッフの皆さん、すみませ~ん。

おっと、『ペニーレインでバーボン』のイントロが始まった。「あら、まぁ!」 と、びっくり。あの歌詞がテレビでそのまま歌われるはずがなかろうに!

と、思ったら、やっぱり、きっちり、差し替えられていた。

「つんぼ桟敷」 → 「蚊帳の外で」

歌われないとは予測したけど、やっぱりスカタン肩透かし、ってな感じ。「つんぼ桟敷」と「蚊帳の外」じゃ、意味がちゃうじゃん。

意味の違いは、幻泉館主人さんのブログで。


  → 幻泉館主人さん 2006.10.31「ペニーレインでバーボン #2」


やっぱし書いたね、幻ちゃん。


昔々、「エド・サリバンショー」では、ストーンズが出るときに歌詞が下品だから変えろと言ったり、プレスリーの腰の動きは品がないから映すなと言ったり、表現者の創作意志・意欲を無視してあれやこれやと手を入れたんだってねぇ…。

そんなことが、ふと頭に浮かんだ。テレビって、今も昔も、妙なところに繊細だ。

でもなぁ、現場でも「放送コード」ってよく聞くけど、ほんとに決まりとして存在するんだろうか? 先日もナレーション収録の現場で、「この言葉、流していいの?」ってなことになり、ディレクター氏が調べたっけ。調べたと言っても、アナウンサー嬢に尋ねただけだけど。オンエア言葉については一番詳しいってことかな?

そのときも、「出さない方が無難」てなこととなり、ナレーションを書きかえた。


まぁ、「つま恋」はあくまで「同窓会」。開かれることに意義がある、って、オリンピックみたいなもの。“テレビ”がからむこと、それもかのNHKだってことは、選曲したのが誰であれ、事前に承知のことだし。幻泉館主人さんが言うように、歌詞の変更は「大人の選択」ってとこかな。

拓郎さんが自分のツアーでも『ペニーレインでバーボン』の歌詞を歌い換えてるかどうかは知らない。もし歌い換えているとしたら、こちらの気持ちはまた別のものとなるけれど。


今回の「つま恋」、ほんとに誰が選曲したんだろう? 『ペニーレインでバーボン』を歌うと必ずこんなふうに、あ~だこ~だと言われることはわかっているはず。ぼくらオヤジが「あ~だこ~だ」と言うことを見通して拓郎さんが選んだとしたら、それはそれでおもろいな。


原宿の「ペニーレイン」、馬場から歩いて見に行ったっけ。ついでに東京タワーまで足を延ばしたところが田舎者を証明してる。楽しかった、でも、疲れたっけね。


オープニングを『春だったね』。そして、『ペニーレインでバーボン』と続けてくれると、オヤジとしては激喜びだったんだけどなぁ。



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ぼくは、夏はもちろん、真冬でもアイス・コーヒー。

猫舌じゃないのだけれど、熱いコーヒーが苦手なのだ。だから、仕事先や友人宅でコーヒーを出され、「お砂糖はおいくつ? ミルクは?」と尋ねられたりすると心の中で困ってしまう。

何も尋ねられずに、「どうぞ」と出されることも多々あるホット・コーヒー。出されたモノは残さず平らげるのが家訓だから(ウソだけど)、きっちり飲み干す。すると、良く気がつく女性がいたりする会社では、黙っていてもおかわりが出てきたりする。「あ、どうも」と言いながら、心の中で困ったりしてる。

出されたからには、飲み干すけどね。

だから、喫茶店やファースト・フード店で頼むときは必ずアイス・コーヒー。時にアイス・ココアだったりするけれど、暖かい飲み物を頼むことはまずない。考えてみたら、これって、学生のときからそうみたい。

でも、きょう、仕事の帰りに立ち寄った喫茶店でウェイトレスさんにお願いしたのはミルク・ティ。ふと飲みたくなったのはなんでかなぁ? 

10月も、もう終わる。冬から春、春から夏、夏から秋、そして晩秋へ。今年も季節が移ろって、あと2か月しかない。くるくる回るミルクに、「今年もいろんなことがあったなぁ」などと、行く年来る年の先取りみたいなことをぐるぐる考える。

気が早いけど、いい年だったね。


ゆらゆら、ゆげが立ちのぼるミルク・ティ。
ゆらりゆらゆら、連想ゲーム・・・・・ミルク・ティかぁ、「レモン・ティー」って曲があったっけ・・・あぁ、サン・ハウス・・・有頂天・・・仁和加せんべい・・・食いたい・・・腹へった・・・あ、昼メシ食ってない・・・

あかん、秋だというのに、ロマンティックにはなれまへん。


きょうは秋晴れ。ぽかぽかあったかい。

これから秋は急ぎ足で去っていき、もうすぐ待ちかねたような冬がやってくる。寒い冬には、ぽかぽかあったまるミルク・ティーもいいね。




ぐ~。


あぁ、ほんにいい日より。

きのうに引き続き、大秋晴れ。カーテンを開けると陽射しが暑い。

きのうはお散歩のネコ助、きょうはソファの上でうつらうつら。

あぁ、なんと幸せそうな。やっぱり来世はネコしかないな。

ものすごい秋晴れ。陽射しは暑いほど。
あまりの陽気に、ネコ助、ひさびさにお散歩。でも、ベランダ。

恐くて、一度も土に降りたことのないネコ助。見おろすだけなら、興味津々。


001「お隣りさんは・・・」


ネコ助はチビ助で、お隣さんがよく覗けない。

エアコンの室外機に飛び乗って。。。。。


002「ここならええぞ」


003「あ~ら・・・」


004「よっ」


005「とぉ。伸びたぁ」


006「どれどれ、じ~っ」


ネコ助の視線の先には、こんなモノが。


007庭木のツツジ。


密かにガーデニングが趣味のネコ助なのだった。


008「へへっ、渋かろ?」




炭坑街の思い出をテキトーに書いていたら、悪友たちから書き込みが。で、さらに思い出したことがあったので、同じテーマでもう一日。


ろくですさんが書き込んだ「拾った石炭で風呂を沸かす」話。我が家もまったく同じだった。

きのうも書いたけど我が家の前にはローカル線の線路があった。ぼくがガキのころはレールが4本、6本も並ぶ複線で、客車以上に石炭列車が走っていた。石炭列車はその名の通り、石炭を満載してる。山盛りに、「これでもかっ」と乗せるだけ石炭を乗せた列車が家の前を通り過ぎると、ぼくと姉はカゴを持って線路へ走る。石炭列車が落としていった石炭を拾うのだ。

レールの間やその脇には大人のこぶし大の石炭がボロボロ落ちている。それを拾ってはカゴに入れる。2、300メートルも歩けば、ぼくらのカゴは一杯に。それで風呂を沸かす一日分の燃料には十二分の量があった。

風呂を沸かすのはぼくの役割。マッチで新聞紙に火をつけて、薪と一緒に風呂の焚き口へ入れる。その火が上に置いた石炭に燃え移ると、“黒いダイヤ”石炭は、独特の匂いを出しながら赤く発光しはじめる。この、石炭が燃える匂いがぼくは大好きだった。どんな匂いと尋ねられても、ちょっと答えがたい。とても豊かで爽やかで、鼻腔を魅了する香りなのだ。

赤く燃えはじめた石炭が白く光り出したら完璧に燃えはじめたあかし。その場を離れてもいいのだけれど、ぼくは石炭の燃える匂いをかぎながら、しばらく焚き口から離れなかった。

我が家は風呂もストーブも石炭が燃料だったので、家の脇にブロックで囲んだ石炭保管場所があった。線路で拾った石炭が余ると、残りはその保管所へ。家の近所には石炭や練炭、豆炭を販売している店があって、冬には袋入りの石炭を買っていたような記憶がある。でも、それ以外の季節は風呂を沸かすだけなので、線路で拾う石炭で十分に用が足りていた気がする。

冬になると石炭ストーブの出番。その威力はバツグンで、置いてある台所ばかりか家全体が暖まった。ま、家全体と言っても、幼い頃は台所以外に6畳と3畳の部屋があるだけだったけど。

石炭ストーブの焚き口のふたをあけると真っ白に燃えさかる石炭が豪快で、これまた見てて飽きない。そこに石炭をくべると、パァッと大きくなる炎に蒸気機関車の運転士になった気持ちが味わえて、これまた嬉しい。

この石炭ストーブがガンガン燃えてる板張りで、男衆は即席賭場を開いていたわけだ。片肌脱いだあんちゃんもいたから、きっとすごくあったかだったんだろう。あんちゃん、博打の流れに熱くなっていたのかもしれないな。


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アロンさんが書いている「だいこんの花」。ぼくらが通ったローカル線の密かなアイドルの呼び名。ぼくらの仲間だけにしか通じないけど。

ぼくが通った高校がある町は他にも県立や私立の高校、短大・大学がある地方の小さな学園都市のような町だった。その町の、ぼくらとは違う高校へ、ぼくらと同じ列車で通う楚々とした女の子がいた。

昔も今も、女子高生というのは賑やかだ。よくもまぁあんなにしゃべることがあるもんだと呆れるばかりによくしゃべるし、その声は大きくて耳やかましい。座席に座っても膝を揃えるどころか立て膝ついて、「見えてもいいパンツ」なぞをはき、スカートの中がのぞいても平気だったりする。これがお年頃になったらおしとやかになるのだから女性は恐ろしい。

とにかく、そんなかしましい女子高生群の中で、ひとり静かにたたずむ女の子。別に仲間はずれになっているわけではなくて、友だちと仲良く話もしている。でも、その話し方も他の女の子たちとは違い、穏やかで静か。その対比が鮮烈だった。

ぼくらはその「鮮烈な静けさ」にひかれ、勝手にローカル線のアイドルに祭りあげた。そして、誰かがつけた呼び名が「だいこんの花」。

ぼくらが中学から高校のころはドラマブームで、『だいこんの花』も人気ドラマのひとつだった。決して美人ではないけれど、けなげに生きる女性(川口晶さんだったと思う。今は何をしてるのかな?)を主人公としたドラマだった。

この「決して美人ではないけれど」というところが重要だった。

ぼくらのアイドル「だいこんの花」も、決して美人ではなかった。少し大柄で髪はショート。どこにもいそうな、フツーの女の子。フツーで、決して美人じゃない。でも、どこか清楚で可憐な乙女。そんな感じに、ぼくらは憧れた。かしましい女の子たちに対しては、アプローチする勇気も、相手にされる器量もこちらにはなかったからかもしれないけれど。

ドラマ『だいこんの花』では、番組の冒頭にこんなナレーションが流れた。

  
  人知れず 忘れられた茎に咲き
  人知れず こぼれ散り
  細かな白い だいこんの花



このイメージが、その子にはぴったりだった。
誰が名づけたのかはわからないけど、出色のネーミングだと今も感心する。


そう言えば、同じ列車で通学する別の女の子にぼくらが「四分弱」と呼んでいた子がいたっけ。ドラマ『サインはV』でジュン・サンダース役をやっていた范文雀(はんぶんじゃく)さんに良く似ているけど、ちょっと違う。だから「四分弱/よんぶんじゃく」。

このネーミングも絶妙かも。


「だいこんの花」も「四分弱」も、どこでなにをしていることやら。「だいこんの花」は、ぼくが学生のとき、すでに結婚しているというウワサを聞いた。お幸せでありますように。


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しかし、こんなひで~あだ名をつけては喜んでいた悪友たちとのつきあいも、もう30年を越す。

「腐れ縁」を通り過ぎ、もう、アキラメの境地。
遺った方が骨を拾ってやるけんね。安心しんしゃい。



炭坑が相次いで閉山してから、ぼくが育った街、特にぼくが住んでいた界隈は昔の面影がほとんどない。

ぼくの家はぼくが学生時代に引っ越したので、育った炭坑の街のようすをずっと知らなかった。数年前、それこそ四半世紀ぶりに訪ねたその街は、知らない、大きな道が何本もできていた。もう、「見知らぬ街」って感じだった。ぼくの家の前には国鉄の線路が走っていたのだけど、廃線となり、今や広いバス通りとなっている。

レールも、駅も、踏切も、ぼくらが目印にしていたものはあっさりと姿を消した。先日、これまた久しぶりにその街を訪れたぼくのお袋は、あまりの変貌ぶりに「いつも通っていた、あの大きな通りはどこにいったの? なくなってしまった?」と、とんちんかんなことを言ってぼくの頭をこんがらがせた。

実は、彼女の言う「あの大きな通り」は新たにできた広い通りにはさまれるようにして、今もある。でも、あのころは「大通り」だったはずのその通りは、今やまったく目立たない、地味な路地になってしまっているのだ。


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炭鉱街で育ち、経験したことが、実は世間では「異質」であることを知ったのは、大学に入学してからだった。と言っても、別に大したことじゃないけれど、列車にまつわる話だけでも「異質」を感じさせられたことが何度もある。

例えば。。。。。。

ぼくは高校の3年間+予備校1年間を蒸気機関車、いわゆる「SL」で通った。石炭をエネルギーに、黒い煙をしゅぽしゅぽと吐いて走る、あの鉄のかたまり。ぼくが乗っていたのは“かの名SL”D51(デコイチ)だった。

そのことを大学に入って級友たちに何気なく話したら、こんな反応が返ってきた。

「嘘つけ、お前。今の日本にSLなんか走ってないだろ。戦前の話じゃないのかぁ」

炭坑街育ちのガキは、ちょっと傷ついた。


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上にD51を“かの名SL”と書いたけど、毎日乗っていたSLが“かの”と呼ばれるほどに人気のあるものだったとはあとになってからのこと。ぼくにとっては単なる通学の足に過ぎなかったし。

ぼくの姉貴は、D51をよく止めていた。

ねぼすけだったぼくの姉貴は、近くにある無人駅にD51が近づく汽笛が聞こえるころに家を飛び出していった。そして、家の前に敷かれた線路の真ん中を駅にむかって突っ走っていく。

D51は正面から髪を振り乱して走ってくる少女を轢くわけにはいかないから、駅に停まって待っている。息せき切ってD51の脇を走る彼女に運転士さんは、

「お姉ちゃん、もう1分、早う起きりぃね」

そう言った。


この話を聞いた級友たちは、「あり得ん」と言った。


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SLの乗降デッキはドアが常に開けっ放し。夏などそのステップに座っていると、風が心地いい。冷房なんぞないから、夏はいつもデッキでぼくら仲間はダベッていた。

あるとき、いつものように友人たちとくだらないことを話していると、駅の手前にある線路のポイント切り替えあたりでガタンと大きく揺れた。いつものことなので気にもせず友人たちとの話を続け、ふとデッキのステップを見ると、今までそこに座っていたはずの友人がいない。どこに行ったんだろう???

ぼくらは次の駅で降り、その友人を待っていた。しばらくして線路の真ん中を走ってきた友人は、お尻をさすりながらぼくらのそばに駆け寄って、言った。

「落ちてしもた」

デッキのステップに座り、うつらうつらしていたその友人は、ポイントが切り替わったところの揺れで外に投げ出されたのだった。駅の手前で減速していたし、落ちたのが雑草が生えた草むらだったので、命を落とすことなく、お尻にアザをつくった程度ですんだ。


この出来事、大学の級友たちは「でたらめだろ」と言った。


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あるとき、これはSLじゃなく、ディーゼル列車に乗っていたときのこと。

快調に、それでものんびりと走っていた列車が急ブレーキ。ぼくらは窓から顔を出し、なんだなんだ、誰かが飛び込んだか?と色めき立つ。

すると、車内アナウンスが入り、車掌が間延びした声でこう言った。

「ただいま、“おばさん”が前を横切りましたので、急停車したしましたぁ」

そして、列車は走り出した。

窓の外を見ると、列車の前を横切ったその“おばさん”が、線路に平行して走る道を何ごともなかったかのように、のんびりてくてく、歩いていた。


「そんなことがあるわけないじゃん」

級友たちはそう言って、切って捨てた。


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きりがないからやめよ。

結局、級友たちにはその大半が信じてもらえなかったSL通学。

楽しかったなぁ。。。





中学生が自殺し、その主たる誘因が教師の「いじめ」(暴力だと思うけどな)にあるとされる事件では、その中学を政府の担当者が訪れ、詰問する事態となっている。その訪れた女性、どこかで見たような・・・と思ったら、故小渕首相の娘さんだった。なんでまた彼女が?と思ったら、文部科学省の政務官であらせられるのね。ちょっと頼り無げなところが、何となく心配。

いじめの問題って、地域社会の問題とよく言われるけど、んじゃどうすればいいかっていうと、よくわからない。おとなが子どもを気にかけましょう、なんて言葉は飛び交うけど、核家族化し、子どもが少なくなり、妙な事件が頻繁に起きるこのご時世、「子どもを気にかける」ってのも至難のワザだ。

自宅で仕事をしているぼくが、昼下がり、気晴らしの散歩中、街角にひとりたたずむ少女を見つけた。で、「ちょっと、お嬢ちゃん、どうしたの?」と声をかけようものなら、ぼくは立派な「不審者」と化す。

平日昼日中、ぶらぶらしている中年オヤジが少女に声をかけてたら、ぼくも「怪しいヤツ」と思うだろう。難しいなぁ。。。。





ぼくは炭坑街の育ちだけれど、炭坑街っていいところだったなぁとよく思う。なにより、「来る者拒まず、去る者追わず」という雰囲気が街にはあった。どこからか逃げてきた、流れてきたあんちゃんたちも、その日から街の一員として受け入れられ、我が物顔で闊歩していた。

ぼくの家にも東京あたりからあんちゃんが流れてきて、近くに借りた四畳半に住んでいた。あるとき、そのあんちゃんを呼びに行ったぼくは、あんちゃんが見知らぬ姉ちゃんと抱き合ってるところに遭遇し、度肝を抜かれた。

抱き合ってると言うのは大げさで、ランニング姿のあんちゃんにノースリーブの姉ちゃんが添い寝していただけなのだけど、小学生高学年の僕には衝撃が強すぎた。思わずたじろぐとあんちゃんが、「お、わりぃわりぃ」と言いつつ、ぼくの頭をポンポンと叩いたっけ。

「来る者拒まず」という気風は、石炭最盛期の頃、拒んでいたら坑夫が集まらないからだったのだろうけど、斜陽になってもその気風は変わらず、おおらかというか、いいかげんというか、そんな人間関係だった。

これが「土地」というものに何物にまして重きを置く農村だったら、他の土地からの侵入者にあっさりと心を許すことはないような気がする。炭坑街独特だったのかもしれないな。





おおらか or いいかげんな気風ってのは、人を助ける。

ぼくの家は妙な家で、表札が三枚、ぶらさがっていた。ひとつはぼくの名字、もうひとつは母の名字、あとひとつは、母と同居している男性の名字だ。

ぼくの両親はぼくが3歳くらいの頃に離婚していて、ぼくはお袋に引き取られたのだけど、名字は父親のもの。お袋は旧姓に戻ったから、母と子の姓が違う。そこに、子連れの男性が同居し、表札がみっつになったわけだ。

ぼくはこの「みっつの表札」が自慢で、ことあるごとに近くのおばちゃんに、

「オレんとこ、名前がみっつ、あるとばい。よかろ」

と言っていた。ぼくがそう言うたびにおばちゃんは、

「すごかね~。○○ちゃんとこは名前がみっつもあるっちゃね」

と相手をしてくれた。

大学に入ったころだろうか、この出来事を思い返し、おばちゃんに感謝してもしきれないなぁと感じた。名字がみっつあり、どこからきたのかさっぱりわからない連中(ぼくと母&姉も他の土地からの移住者だ)を、そのまま、丸のまま受け入れてくれたんだもんなぁ。

もし、そのおばちゃんが「あんたの母ちゃんな、男ば引きずり込んどるとばい」てなことを言ったとしたら、可憐で無垢な(かな?)ぼくの心には深い傷が残ったかもしれない。おばちゃんはじめ、周囲の人たちが受け入れてくれたから、ぼくは助けられた。ほっ、よかった。

まぁ、炭坑地帯のガキだから、そんな風に言われても平気の平左だったかもしれないけれど、農村だと、このおばちゃんのように「名前がみっつもあるっちゃね、よかね~」といった対応はしないんじゃないだろうか。よそ者を排除することで、限られた土地を守ってきたのが農村だろうから。

これは、ぼくの偏見かもしれないな。





炭坑街って愛すべき、素晴らしいところだけど、子どもの「教育」にはよろしくないかもしれない。

ぼくの家の台所は石炭ストーブが置かれた板張りで、冬になると男衆が車座になり、花札で沸き立った。男衆が敷く座布団の下には、小銭、100円札、500円札、1000円札、5000円札、そして1万円札がきちんと並べられていて、一場の勝負が終わる毎に金が飛び交っていた。

要するに、簡易な即席賭場だったのね~。男衆が叩きつける花札の音が小気味よく、ぼくはいつもその様子を飽かず見ていた。

ぼくもこの即席賭場に参加したことがある。

小学校低学年のころの正月のこと。お年玉でふところが暖かだったぼくに男衆の誰かが「入らんか」と声をかけてくれた。よっし、やってやろうと意気込んではみたものの、「赤タン、青タン、猪鹿蝶に月見で一杯、松桐坊主、二ゾロにカラスッ!」なんて言葉が飛び交う花札なんぞが小学生の手におえようはずもない。アッと言う間にすってんてんにされてしまった。

身ぐるみはがされ、浮き世の厳しさに打ちのめされてベソをかいていると、男衆のひとりが「これ、お年玉たい」と、ぼくが負けた金額を丸々渡してくれた。つまりは、軽くからかわれただけなのね~。




こんな地域社会だったら、子どもは自ら命を絶つ道を選ばなくてすむだろうか? つかず離れず。来る者拒まず、去る者追わず。いろんな人間がいるのがあたり前・・・・人と人との間にそんな関係性があれば。

そうかもしれない。でも、そんな関係性の中にバラバラな人間たちがうごめく社会を今の地域が持てるだろうか。ムリなような気がするなぁ。「みんな違って、みんないい」とお題目は唱えるけれど、実は「みんな同じじゃなきゃダメなのよ」というのが現実だもの。


鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい



金子みすゞがしたためた、こんな「あたり前」のこと。それに、改めて心ひかれるような現状ではね。



前日の夜、ご機嫌だったパソコンが、朝になったらヘソを曲げてネットにつながらなくなって数日。ときおり短く復活しては、またダンマリ。。。。通信関係の設定がまるでダメ夫(懐かしい)なぼくは、こうなったら実はお手上げ。

便利なモノって、使えなくなるとなんて不便なんだろぉぉぉ。

って思いつつ、設定に手をつけると取り返しがつかなくなるのでそこには触れず、あちこち引っこ抜いたり、差し戻したり、電源切ったり、また入れたり。ルーターの時間のズレを直したり。あぁ、面倒だぁ。。。と思っていたら、さっきつながった。

今度は安定してる。どうやら、ちゃんとつながったみたい。

しかし、何が原因でつながらなくなったやら、はたまた、なぜまたつながるようになったやら? すべてが不明のままに快適通信生活が復活。

よ~わからん。

以前、同様な状態になったとき、NTTにTELして聞いたら「突発的につながらなくなることがあり、原因は実のところ、わかりません」って言われたっけ。そんな脆弱なことでいいのかぁ~っ!!

脆弱なシステムの上に飛び交う情報って、コワいわぁ。
しかし、復活してホッ。なんか疲れた。

メールががばちょと来てたけど、仕事や友人など、読むべきものはほんの数通。あとはいろんなお誘いだったり、ご紹介だったり。知らないアドレスは無条件に開かず捨ててるけど、ひとつだけ試しにと見てみたらこんなおもろい文章が。


あなたの神経の太さには、ほんとうに毎日驚かされます。
こちらの善意で、全額免除手続きをとっているのに、
どうして返事しないのですか?
このままですと、このチャンスはこれで放棄と認定され、他の人に譲ります。
放棄したくない場合○○○からアクセスし、きちんと処理をしてください。
ニックネームの最後に『LUCK』とつけすべて終えるだけで完了いたします。
一生一回のチャンスを逃がさないために今すぐ処理しましょう。



いきなり叱られてて、思わず笑った。他人に与えられた一生に一度のチャンスなんぞいらんから、どうぞ他の人にお譲りください。

このメールで「私って神経太くて、この人に迷惑かけてるのね」って思ったり、「一生に一回のチャンスなら乗らなくちゃ!」と思ったりしてここへアクセスする人っているのかなぁ。「何があるだろ?」って興味で覗くのかな?


いろんな文章を考えるもんだね。仕事の参考にしよっと。



今、学校に行かない子供たちの番組に携わり中。行かない理由はそれぞれだけど、大抵のオトナは行けと言う。でも、なぜ行かなくちゃ?を子供たちに説くことができるオトナは少ない。ぼくもできん。

義務教育だからと言う人は多いけれど、義務教育の「義務」は「学校に行く」義務じゃない。子供に「教育を受けさせる」義務だ。だから、行きたくなければ行かなくてもいいんだぞ、と思ってしまうタイプのオトナであるぼくが「まっとうに生きる」を提起する番組の制作に参加していいのかしら?

しかし、携帯で書き込むのは時間がかかるな~。女子高生の指が欲しいわ。

福岡の静かな町で中学生が自ら命を絶った事件の続報は教育する側の荒廃を見せつける。友人に教師が多く、授業中に生徒が教室にバイクで乗り込んできたり、ヤーサンがたむろする夜の街を生徒を探して一晩中歩いたりという話を聞いているぼくは、その友人たちの落胆を思わずにいられない。

しかし、これは「いじめ」じゃないだろう。学校という閉ざされた空間で、公務員である教師が、保護すべき生徒にふるった言葉による「暴力」だ。でも、この教師は「すみません」と頭を下げ続けるだけで、罪に問われることはないんだろうか?

なんだか釈然としないなぁ。

スタッフが取材に出ていたり、編集に入ってからの数日間、構成係はひと息つける。取材が進まないと先が見えないし、編集中は構成係がくっついていても役には立たないから。特に海外取材だったりすると、その間は電話が入ることもなく、心置きなく他のことができる。

ところが昨日、その安寧が覆された。携帯の伝言メモに「オランダで~す」というディレクターの元気な声が…。携帯から国際電話か?と思う間もなく着メロが鳴り、まるで隣の部屋からかけているような明瞭さで「構成を揺るがす大ごと発生!」ですと。通信環境、便利過ぎ。

あぁ、心安らかに過ごしたか…。

うちの近くには、玄関の門の外で日なたぼっこをするネコがいて、人が通ろうが車が走ろうが悠然と道路に座っていたり寝ころんでいたりする。玄関から引っ張った赤い紐を首輪につけてにゃおんとしているその姿がとても愛らしいので、買い物やちょいとドライブ帰りには少し遠回りをしてその家の前を通るのが楽しみだったりする。

が、ここ1年ばかり、その姿を見かけなくなった。もしかしたらあちらの世へと旅だったのかも知れないなぁ。そう思っていたら、ひさびさいました、ネコさん!


日なたぼっこ「日なたぼっこぉ」


おぉ、元気だったのね。よかったよかった。車の窓越しに撮ったのでぶすくれた顔に見えるけど、本物はとっても美ネコ&穏やかさんである。

首輪には玄関から引っ張った赤い紐が以前通りに。飼い主さんがこの紐を手に、このネコさんを連れて散歩をしていたところに出くわしたことがあったっけ。そのときも、ネコが散歩!と驚くこちらをまったく気にすることもなく、ゆるゆると歩いて去っていった。

ネコの散歩を見たのは二度目。最初は東京。都電の学習院下駅の横、明治通りの歩道をおじいさんがよちよちと、同じ歩みのネコと並びながら歩いていた。もう30年以上前のこと。あぁ、あんなじいさんになりたいって思ったっけな。


外を堂々と歩けるネコさんたちと違い、うちのネコ助は生まれて未だ一度も外界の土を踏んだことがない。決死の覚悟で二階から下へ降りることは希にあるけれど、「こらっ!」と声を掛けると脚が空回りしそうな勢いで階段を駆けのぼる小心者だ。


お外をお散歩なんて、夢のまた夢。。。。。なぁ、ネコ助や。


なんだ?「だってコワいやん」



秋晴れの見本のようなきょうの空。窓から入る風も心地いい。パソコンに向かっていながら気もそぞろ。紅葉降る公園を歩きた~い。

とは言え、さすがに時期尚早で家の周囲の木々はまだ緑。秋を探してちょろと車で出たら、陽射しがこれまたまだまだ熱い! 10月も半ばなのにエアコンON。が、車内の温度は下がるけど、ハンドル握る腕がジリジリ焦げる。そっか、夏より秋の方が紫外線の量は多いんだっけ。部屋にいた方が秋を感じるとは、これいかに。

で、今は木陰に車を停めてひと休み。おなかがすいてきたなぁ。食欲の秋はもうすっかり深まってるみたい。なんか食べよ。

届いた、届いた、『 What's Michael?』 全8巻。並べて見ると、これまた楽し。


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ついつい、ノンストップで読破してしまった。。。。

きのう、「読書の秋って、なにかしら?」などと書いておきながら、こういう書物は一気に読んでしまうのはなぜかしら?・・・・・なんて思いつつ、二度目に突入。20年前のマンガだけど、ほとんど記憶にあるのは、これまたなぜかしら?


と、マイケルに堪能してふと気づく。
すべての巻のカバー折り返しに、下のようなシールがぺったり貼られている。

09「BOOK OFF ¥100」

ぼくはこのセットを「¥1,750」で落札した。ということは、単純計算すると送付者は「¥950」の利益をあげたことになる。これはなかなかの儲けではなかろうか。ちなみに「¥100」のシールをはがしてみたら、全巻「¥300」だった。

安く仕入れて高く売るというのは商売の基本とは言え、梱包の仕方から古本を専門に扱う仕事ではないと思われる送付者は、足繁く「BOOK OFF」に通い、価格を下がるのを待って購入し、全8巻を揃えたんだろうか?

粘り&ヒマがあるんだなぁ、と、思わず感心してしまった。たとえ儲けるとわかってはいても、日々、古本屋を歩き、欠けた巻を脳裏に刻んでおくかメモに書いてチェックしながら、自分は読みもしない本を探す根性など、ぼくにはない。

あ、探すだけじゃダメだ。商品としてオークションに出品し、入札、落札、そして連絡&梱包、さらには発送と、手間のかかる作業が続く。

そんなことをするのなら、歩きまわるかわりに差額を出して、その時間をマンガ読破にあてた方がいい。って、考え方がブルジョアジーか? プチ・ブルか?

敢えて言うなら、価格シールをはがしていたらカンペキだったのに。でも、この本の送付者ほどにぼくには知恵も粘りも根気もないから、きっとお金が貯まらないんだろうな。


などと思いつつ、三回目の読破に突入じゃっ!



本やCDをネットで買うようになって、街中の書店やCDショップに行かなくなった。新刊本や新しいCDは amazon で仕入れるし、古本や中古CDは Yahoo オークション で買うことが多い。

オークションは「なんかないかな~?」という暇つぶしで覗き、気に入ったものがあれば入札するわけだけど、欲しい本が決まってて、オークションに出てない場合や急いで手に入れたいときは「 源氏 」を使う。全国の古書店をつないでいるので、新刊も絶版本も、大抵の書籍が手に入る。


    → 本を愛する人の総合サイト・スーパー源氏


今、覗いてみたら、「俳優・佐野史郎さんがスーパー源氏を推薦」とあったのにはちょっと笑った。いろんなところの情報をキャッチしなきゃ、認知度はあがっていかないもんね。


    → 佐野史郎さん 「 源氏 」 推薦の弁


で、そんなこんなでめったに行かない書店だけど、たま~に行くとバーチャルではない、実物としての書籍(というか、インクが載った紙)の圧倒的なボリュームに迫られ、思わず知らずあれやこれやと購入してしまう。

実物を手にするわけだから、パラパラなれども一応目を通し、「読みたい」と思った本だけを家に連れ帰るはずだけど、実際は大半が衝動買いみたいなもんだから、ぼくの机や本棚には書店の書棚にいたころそのままの姿でたたずんでいる本が多い。その「積ん読」率は、ネット経由で手に入れた本よりも高いんじゃないだろうか?

今も部屋の右壁に立つ本棚からは、「読め~、読め~、早く読め~」という声が聞こえる気がする。その声は、なぜか忙しくなると大きくなるのよね。わ~ん、無計画に連れてきてごめんよぉ。


あぁ、“読書の秋”って、なにかしら?


ほとんど“ネコ助ブログ”と化している今日このごろ。

ふとしたきっかけで読書を始めた、その本がまた「ネコ」の上に「マンガ」ときた。


マイケル『 What's Michael ? 』 小林まこと 著


1980年代半ば、『週刊モーニング』で連載されていた人気コミックの文庫版。我が家近くの「BOOK OFF」にて¥350で入手。買ったあとで気づいたけど、定価が¥450なのに¥350って、ちょっと、高くない?

ネコを飼っている人、または飼ったことがある人、さらにはネコが好きな人には、読んでいて含み笑いをしたり、吹き出したりするような「思い当たる」ネコの姿がここにはある。

ネコが思わず知らずとってしまう行動を、ほんとによく観察しとるわぁ。

しかし、某所に車を停め、ページをめくりながらえへらえへらしているオヤジは、道行く人に、「妙な車に乗った怪しい中年男」の印象を与えたに違いない。

単行本として出版されたのは全8巻(文庫版も同じ)。全部読みたくなって、Yahooオークションを覗いたら、「即決! 全8巻 ¥1,750」というのがあったので速攻即決即落札。あさってあたりには届くであろ~。待ち遠しかぁ。


って、仕事もマジメにせねば、楽しい日々は送れないね。


正座02

「居住まい正して、がんばります」





秋だ。

ぼくが住む街でも、稲の刈り入れが始まった。

黄色く頭を垂れる稲の間中にコンバインが入った。

刈り入れ02

土、日、そして「体育の日」の月曜日の三連休、兼業農家の人たちは
家族や親戚、友人知人の力を借りて稲を刈る。
農業を続けていくって、大変だなぁ。


すでに、こんな晩秋らしき姿になった田んぼも。

刈り入れ01

小学生のころ
刈り入れの終わった田んぼには、ワラが山と積まれた。
その中にもぐって遊んだっけ。

それを思い出させてくれる景色だなぁ。

懐かしか。。。。。。。


うちから歩いて3分程度のところに、姉一家が住んでいる。姉一家には息子がふたりいて、長男が一年の浪人生活を経て、今年、大学生活に足を踏み入れた。

この甥っ子、大学には自宅からしか通いたくないという考えの持ち主で、自宅から通える大学だけは死んでもイヤだったぼくにしてみれば、理解許容の向こう側に住んでいる異星人のようなヤツ。どうして親のいる自宅から大学という新世界へ通えるのか、ぼくにはいまだにわからない。

まぁ、甥っ子の両親からすれば、自宅から国立大学へ通う息子は、よりによって東京の私立大学という散財コースに進んだオジサンよりも「親孝行」であることは間違いない。

その甥っ子が、初めてのひとり旅を京都へと敢行した。御歳はたち。ぼくの初めての一人旅は11歳のときだった。おくてじゃのぉ。まぁ、ひとりでどっかに行こうという思いが芽ばえてきたというのはいいことじゃと、決してお手本にならないオジサンは思うで。

で、「おみやげです」と言って持参したのが、この「猫ふきん」。


ネコ助手ぬぐい



いつも家にいて、なんの仕事をしているか、いまいち不可解なオジサンはネコ好きだ。それを覚えていた甥っ子。ヤツにしては上出来のおみやげだ。


京都、「哲学の道」にある店で購入したらしい。懐かしいな~、「哲学の道」。学生時代、よく歩きました。哲学はせず、友人とバカ話をしながら、はしゃぎながら。


この「猫ふきん」は『のび工房』という、「猫と布とアクセサリーの店」に置いてあったとか。
Googleでは『のび工房』のHPはヒットしなかった。HPはないのかもしれないなぁ。

    『 のび工房 』  京都市左京区浄土時下南田町148


で、この店に行かれたことのある方のブログへ勝手にリンクさせてもらいました。

   ・ Walk like FUGAFUGA

   ・ 「京都哲学の道・のび工房」 トロNEKOさん


なんだか楽しそうな店。行ってみたいな。

 

ネコ助は、きょうも元気。
外出から戻ってきたら、さっそく跳んできてジーンズを、お帰りバリバリ。


お帰り01「お帰りぃ~、バリバリ」


お帰り02「ん? 調子わる」


お帰り03「あ、ツメ研いじょらん」


お帰り04「よっし、全開バリバリ」

痛か・・・・・・。





こんな計画があるんだそうな。

見出し1



詳しくは こちら → 琉球新報 2006年10月4日 朝刊


沖縄の地元紙では一面トップ。
でも、10月4日付け朝日新聞朝刊では、ぼくはこのニュースを読んだ記憶がない。

朝、出かける前に見出ししか眺めなかったからなぁ、見落としたのかな?
それとも、載っていなかったのかしらん?

宮古島には既に航空自衛隊のレーダー基地なんかもあるらしいから、別に紙面で取り上げるようなニュース価値はないってことなのかもしれないな。

いやいや、きのうの朝は、ぼくのアタマのレーダーが麻痺していたのかも。


しかし、知らないところで、知らない話が、着々と進んでいるんだなぁ。知らなかったよ。でも、たぶん「知らない」で済ませちゃいけないんだよね。できちゃったら、「知らなかった」じゃ済まないからね。

辺野古崎に造ろうとしている基地はその後、どうなったのかしら?
知らせてくれないんじゃ、知ろうとするしかないわな。



仕事はしとうない。でも、パソコンの前から離れるほどの勇気無し。

授業中に手遊びをするように机の中をかき回していたら、昔の写真が出てきた。
何度目かの引っ越しのとき、放り込んでいた写真。

友人と、長崎をぶらりぶらぶらと旅したときのもの。

「あぁ、懐かしい」と見始めて、愕然。

ワシ、今もまったく同じ格好をしとる・・・・・・。


わし四半世紀前。平戸にて。


Tシャツに、ジーンズ。右肩から下げたディ・パック、そして、スニーカー・・・・・。

きょうも、同じ格好で仕事に行った・・・・・。

違うのは、体についた15キロの脂肪と、伸びた髪の毛だけ。
ええんか、それで?


経てきた歳月って、人に風格とかいうもんをかもし出すのと違うんかなぁ。

変わらない方がいいと言う人もいるけれど、変わらな過ぎ。
中味もフレッシュなままだったらいいけれど、それは着実に老化しとる。

この四半世紀は、なんだったんだろう?


あまりの同じさかげんに、自戒を込めて我がいにしえの姿をここに提示。


あぁ、成長せねば・・・・。

今からでも遅くない!って、遅いかな。



来年の1月か2月に放送だから、本腰入れるのは寒くなり切ってからでいいや、と高をくくっていた番組が、実は12月アタマに納品で、なおかつ、ナレーションをお願いしたタレントさんのスケジュールの都合でナレーションの収録が11月半ば過ぎしかダメで、しかるに編集が11月アタマから始めねばならないということが、きょう判明。

あらま。丸一か月以上、前倒しじゃないの。どうしましょ?
突如、お尻に火がついた。

得意の呪文の出番かな。

「なんとかなるなんとかなるなんとかなるなんとかなるなんとかなるなんとか・・・」


ま、あわててもしゃーない。
時に応じて元気をもらい、ダッシュをかけるどっ!

まずは取材テープを見なきゃ。あんまりカメラを回さないでくれぇ。


普段は気が向いたときにしか相手をしてくれないネコ助。ま、それがネコのネコらしいところではあるけれど。

でも、なぜかジーンズが大好きで、部屋着からジーンズへはきかえようとすると跳んできて、耳を倒し、まなじりを決してばりばりとツメを研ぐ。


足のぼり1「えい、ばりばり」


ときには、後ろ足もジーンズにかけ、足を登ってくる。

足のぼり2「あらよっと」


上の写真はジーンズにはきかえたときだけど、外出から戻ってきたときも、お帰りの挨拶が同じくジーンズばりばり。なんなのかな~?

相手をしてくれてる感じがして、結構、嬉しかったりして。
でもね~、とがったツメが痛いんですけど。


知らんぷり「知~らんぷりん」




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