番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |

大晦日も午後11時を過ぎた。2006年、平成18年もあと40数分也。一年間って過ぎてみるとほんに“あ”と言う間だなぁと改めて実感。

今年は、いい年だった。

仕事では、いろんな人に初対面。とても素敵な心惹かれる人も、メチャクチャひで~“この野郎!”人間もいたりしたけれど、「あぁ、いろんな人がいるんだなぁ。おもろいなぁ」と感じることがまだできることで良しとしよう。

新たに出会うのは人だけではなくて、会社という組織とも邂逅する。どことは言えないけれど、この仕事を始めて18年にして、「こんなに冷たい、まるで深海のような、しんしんと心に凍みる冷たさをたたえたところもあるのか」と感じた組織の存在を知ったことは、ぼくにとって得難い経験だった。

局に限らず、どんな会社でも、社内ですれ違う人が社員であれゲストであれ、「こんにちは」とか「お疲れ様です」とか声をかけるだろうし、声を出さないとしても、黙礼したり、軽く会釈したりするのは最低限の礼儀。

しかし、その会社では、廊下で社員とすれ違っても黙礼さえしないのだ。たまに「お疲れ様です」と言い合う相手を見ると、こちらもあちらも“ゲスト”のカードを首からぶらさげていたりした。ゲスト同士で挨拶してどうすんねん!

その会社で仕事をしていると、あまりの冷たさにぼくも深海魚になった気がした。組織は大きくなればなるほど人間味が薄れると言ったりするけれど、それは企業ポリシーで変わるだろうから一概にそうは言えない。巨大組織でも素敵な人間関係のところもある。

しかし、そこは違った。

きっと「頭曲がれば、尾も曲がる」ってヤツじゃないかな。大体、大株主の新聞社から数年の腰掛けでやってくる社長ってのがおかしい。前任者と違うことをしようとし、仕事のできる人間たちを平気で飛ばしたりする。現場の大切さ、現場から生まれる番組の重みってのを知らない“社長”に牛耳られてエエんかい!

フリーのぼくは得意先が減ってもいいやと思えば何とでも言えるけど、社員はそんな声を上げるには覚悟がいるな。

でもね。腹をくくらないと当然の権利も主張できない組織って、ホントは変なんじゃないかい?


ブログでは、いろんな人に再会した。中学、高校、大学、それぞれの時代の友人たちがこのページを訪ねてくれた。今の仕事を始めてから知り合った人も、どこで見つけたやら知ったやら、ここで再会。文字上だけの再会だったけど、元気で生活していることが分かったことはとてもうれしいことだった。


我が家は外観だけが新品となった。

軒板を取り替え、屋根を葺き替え、壁を塗り替える我が家のリフレッシュ。初冬の悪天候に予定をくるわされながらも、大晦日前に足場をとりはずすことができた。2階の屋根の上まで足場が組まれた家の外観はマジンガーZ風。それはそれでかなり気に入っていたのだけど、業者さんは「大晦日までにはなんとか」と言っていたので良かった良かった。

これであと30年はこの家に住めるらしい。そっか、家賃の心配はないということだな。


あと3分で“今年”が終わる。新年がやってくる。

「一年の計は元旦にあり」と言う。どうして元旦に一年の計を置かねばならないのか、ちょっと首をひねる。“計”なんて思いつきだから、衝撃的なことがあった日や、「これだ!」と思えることに巡り会った日であれば、2月であろうが5月であろうが7月であろうが、“計”を置いていいはずだ。どうしてみんなそろって、こぞって同じ日に、同じ思いにならなくちゃならないんだろう。

なんて、そんな屁理屈をムリヤリ言う必要もないな

おっと、零時を過ぎてる。


みなさま、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申しあげます。



なんにしろ、出会いを大切にしながら、平穏な年であってくれるといいな。


スポンサーサイト

フセイン元大統領があっさり処刑された。死刑という判決が出されてからわずか四日。あまりの素早さに驚くばかり。その、あまりの早さとあっさりさに、絞首刑に処せられたのは“影武者”じゃなかろうかと思ったり。

処刑、早すぎ。

裁判に関する情報はほとんど流されず、フセインさんが何をやったのかということもほとんど明らかにされなかった。いやいや、なんにもわからないままにフセインさんの口はふさがれたって感じかな。

古い体制が復活することはもうあり得ないということを明確にするため、それだけのためにフセインさんは処刑されたような気がする。彼の口から発せられる虚々実々の情報に戦々恐々とする人々がたくさんいることだろう。そんな人たちはこの処刑でほっと胸をなで下ろしただろう。

アメリカ主導の法廷でフセインさんは裁かれ、世を去った。素早い処刑はブッシュさんの指示があったとフセインさんの弁護団は語っているという。

そうだろうな。

イラクという国で、フセインさんが独裁政権を築き上げることができたのはなぜなのか? その後押しをしたのはアメリカという超大国だったはず。言うことを聞かなくなった傀儡には“死”しかないということをフセインさんの処刑は明らかにしたということなのかな。

彼を葬り去ることで表に現れることのなくなった真実がどれほどあることか。

イラクにミサイルを撃ち込み、あまたの市民を死に至らしめた大義名分の“大量破壊兵器”はどこにあるのだろう。「実は、ありませんでした」というレポートもまとめられたけど、でっち上げ情報を元に主権国家への侵攻を命じたブッシュさんが国際法廷で裁かれることは、未来永劫、ないだろう。

結局、力あるものが正しことになっちゃうのね・・・なんて、諦めはしないからね。


ちょっと早めのランチをモスバーガーで済まして、夕餉の買い出しへ。

いつものスーパーは、いつものおかみさんたちにプラスしてオヤジたちにガキ連中でわんさかわんわん、大ラッシュの電車みたい。それぞれが押す買い物カートには食材が満載。買い物カゴをふたつもみっつも山盛りにしている家族もいたりして、食品売り場はどこか殺伐とした雰囲気が漂う。なんかコワいわぁ。

インドネシア生まれ尾頭付きの冷凍大エビとか、普段はちっとも見ないなぁ一体どこに潜んでいるのだろう数の子とか、正月にしか食卓にのぼらない食材に黒山の人だかり。魚売り場にはブリしかない。正月だからって、どうして同じものを食べにゃアカンのかなぁ、などと思いつつ、シロサバフグなんぞを買うのってヒネクレ者かしら?

魚売り場にゴロンと寝ころんでいるのは「アラ」。この呼び名は九州だけらしく、和名は「クエ」だそう。TVのグルメ番組なぞでは「幻の魚」&「高級魚」と言われたりしている。人によってはフグよりうまいといわれる「アラ」。大相撲の世界にはこの魚が食える九州場所が大好きだと言う関取たちもいるとか聞く。

巨大に育つことでも知られる「アラ」。ここに寝ころんでるのはずいぶん小さい。まだ子どもなのかなと思って値札を見たら、びっくり! お代はなんと98,000円也。

おぉ! さすがは「幻の魚」! きゅーまんはっせんえんだもの。正月ご祝儀価格かなぁ。でも、素人さん相手のスーパーで、この魚をこの価格で買う人がいるのかしらん。

正月間近で、思わぬものが高くなったりしてる。ぼくが住む地方は雑煮に「カツオ菜」を入れる家庭が多いのだけど、いつもは数枚の束で100円くらいのものが、きょうは一枚198円也。これって便乗値上げじゃないっすかぁ。

しかし、人混みにメマイが。とっとと夕餉の食材を購入し、ラッシュなスーパーにサヨナラ。きょうとあしたはポークカレーじゃぁ。

余ると元旦もカレーだな。




朝からどんより、そらが暗い。九州とは言え、やっぱり日本海側だから、冬空はいかにも冷たく寂しい。その点、きのう訪ねた宮崎は、うらやましいくらいに空が真っ青。

「あぁ、空が高いなぁ・・・」

しばし、そらを見上げてた。冬は太平洋側の方が気持ちが沈まなくていいな。

昼下がり。コタツに入って縮こまっていたら、どうにもえらく寒い。窓や壁から、冷気がしんしんと凍みてくる、そんな感じ。レースのカーテン越しに窓の外を見ると、白いものがふわりふわり。

「あ、雪じゃん!」

天気予報で気象予報士さんが言っていたとおり、雪が舞っていた。それも、ぼたん雪なみの大きさ。先週かな、ミゾレ混じりの雨が降ったけど、いかにも“雪っ”てな感じの雪はきょうが初めてだ。

積もるかなぁ。

子どものころだったら「積もれ~」と思っただろうけど、オヤジになると動くのもおっくう。でも、一面銀世界ってのは見てみたいな。新雪を踏むときの気持ちって、なんともいえないもの。

初めて冬の北海道に行ったとき、その雪のさらさら具合に感激した。ぼくの住む北部九州に降る雪は“ジメ”としている。雪合戦にはいいんだけど。

冬の北海道では摩周湖を展望台から見下ろした。ものすごくいい天気で、深い青の湖面とそこに浮かぶ小島がはっきりと見えた。雲ひとつないという感じだったので、町まで歩こうと道を下った。それが間違いだった。

30分も歩かないうちに雪が舞い始め、どんどん降りしきる。前が見えないくらい。道路にも雪が積もり、路肩との境目がわからない。歩いていたら、“ズボ”と胸まで吹きだまりに埋まってしまった。

吹雪の中を歩いて、電信柱が見え始め、家のかげが目に入るようになって、ようやくホッとした。歩いていたのはたぶん1時間ちょっとだと思うけど、“遭難”という文字がアタマをよぎったっけ。

宿に着いたとき、上着とジーンズが凍っていた。「く」の字型に凍ったジーンズを見て、オレはやっぱりガニ股なのねと思い知らされた。

会社員時代、出張で新潟県のある町を訪ねたとき、雪がぼくの頭くらいまで積もっていてびっくりした。日本海側の雪は水分を含んで重いから、ずんずん積もり重なって、さらさらと流れない。一日に何度も雪下ろしをしなきゃならないなんて大変だなぁ。面倒だからと放っておくわけにはいかないし、我が身の腰の重さを思うにつけ、あぁ、雪国住まいじゃなくてよかったわぁ。

しかし、きのうは宮崎で18度、きょうは部屋の中で6度。
寒っ! ストーブ、つけよ。



♪ 夢のような旅だった
  遠い北の国の

♪ ぼくは旅の喜びと
  旅の辛さを知った

♪ こんな辛い旅なんか
  もういやだ
  旅を終ろう 汽車に乗ろう

学生時代、ユースで歌った歌をふと思い出す。懐かしか…。

搭乗口にて。

お昼前、宮崎空港着。空港の前にいつもと同じ花が。いつ来てもこの花は咲いてる気がするのだけど…
花の名前にうといぼくは、この花の名前がいまだにわからない。

ま、名前なんかどうでもいいか。綺麗だもんね。

何をしててもすぐに気が変わるネコ助だけど、たまに虚空をジッと見つめていたりする。何かいるのかなぁと見ても、何も目に入らない。

ネコ助はヒトには見えない何かが見えるのかもしれないなぁ。

オイ、ちょっとコワいど。

担当していた番組の制作が終了して以来、2週間。ず~っと家にいて、ず~っとコタツに足をつっこみ、ず~っと頭上のガッチャンガッチョンバ~リバリを聞きながら、ず~っとパソコンに向き合いつつ、ず~っと呆け続けてる。

自宅から出ることがめったにない。居ないようで、でも、実は居る。隣近所の皆さんの目には、奇妙なオヤジと映っていることだろうなぁ。

きょう。そのめったにない外出時の運転中、携帯に着信。普段、運転中は決してでないのだけど、そのときは農道を走っていたので路肩に停めて、出た。が、ズボンのポケットから取り出すときに携帯を助手席まですっとばしてしまい、出損なって切れてしまった。申し訳ないことをしてしまったわぁ。

ごめんなさ~い。

なんてことをしでかしながら、一日に外出は多くて一回の日々が2週間。
ええんか、これで? 足が萎えてしまうど。

もともと出不精なのだけど、こうまで外に出ないとホワイト・アスパラガスみたいになっちまいそうだ。白くてぶにょぶにょ・・・あぁ、いやじゃぁ!

あしたは久々に他県へ遠出。定期的に制作現場の匂いをかがないと、おいてけぼりを食ってるような気になって精神衛生上よくない。現役バリバリの皆さんとお話をして、大いに刺激をいただいてこようっと。



しばらく続いた屋根の葺き替え&壁の塗り替えも最終局面。きょうは朝早くから職人さんたちが屋根の上をガッシャンガッチャンバリバリと音を立てて点検中。ついでに古くなった雨どいを取り替えてくれ、さらには「サービスしときますね~」と日よけの板を打ち付けてくれる。

皆さんのおかげで夜露がしのげます。ありがたや、ありがたや。

しかし、すんごくやかましい。。。。

コタツに座って、ノートパソコンで仕事をしようとしたけれど、ガッシャンガッチャンバ~リバリの真下ではどうにも気が散る。んで、きのう、録画した『ロード・オブ・ザ・リング』第3章を見る。屋根のノイズでセリフがほとんど聞こえないけど、一度見てるしね。

“ノーカット版”と銘打った4時間半になんなんとする大作を午前中から眺め続けて、だんだんイヤになってきた。この物語って、テーマはなんなのかしらん? “愛と勇気と友情と”なのだろうけど、あまりに“殺し合い”が過ぎないかなぁ。一作目も二作目も見たけれど、この最終章の殺し合いっぷりはすんごいわ。

正義の仲間が足りず、大量の死者まで復活させて刀を振るい合う。百人切りじゃないけれど、倒した相手を数えながら斬り進み、矢を射続ける。

あくまで憎々しげに、醜く、粗野で、腐臭を漂わせるかの如く登場する悪の権化たち。だからって、ええんかなぁ、こんな大量殺戮をワイドスクリーンに載っけちゃって。ファンタジーだからええんかなぁ。

「フロドのために!」との言葉を残し、敵の大群に突入する剣士。あぁ、また殺すのね。
その“フロド”は指輪をめぐって“スメアゴル”と格闘中だったりする。

しかしなぁ・・・スメアゴルって、結局、悪い人だったのかしら? “いとしいヒト”である指輪に魅せられた、ただの気の毒な、哀れな男に見えるんだけどな。そう思わせるのが作者の意図なのかもしれないけど、でもね~、彼が指輪を手にしたその瞬間に、諸悪の根源・目玉の悪魔“サウロン”の配下におさまり、これまた悪の権化と化さないと変だと思うんだけどなぁ。

・・・・なんて屁理屈・小理屈をこねながら見ちゃいけないんだろうな、こういう映画って。でもね~、日本の時代劇って「人を殺しすぎる」ってアメリカかどっかの国のメディアから非難されたことがあったのよね。あれはテレビだからダメで、映画だったら許されるのかしらん?

そうなんだろうなぁ。

今、Googleしてみたら、この作品ってアカデミー賞を11部門も受賞している。知らなかったわぁ。全世界での興行収入も歴代2位なんだそうな。世界中で愛される、すごい映画なんだなぁ。

確かに壮大な物語だし、ストーリーは練られているし、撮影技術の粋を尽くしたであろう映像は迫力満点だし、編集も緻密だし、勧善懲悪を貫くし、最終的には主人公は旅に出て仲間たちはふるさとに居残り、涙の余韻もたっぷりだしね。

でもなぁ、同じファンタジーなら、ムーミンの方がいいや。


と、書いていたら「終わりましたぁ」と職人さんの声。おぉ、ようやくフィニッシュだぁ。ありがとうございますっ。あとは足場を解体するのみ。あしたから頭上のガシャガシャガッチャンバ~リバリがなくなるぞっ!


あぁ、いよいよ仕事をせねば。



テレビ業界の人たちは夜に仕事をするのが好き。特に編集という仕事をするのは、必ずと言っていいほど夜になる。


ぼくは夜がダメ。遠い昔、受験生の時代から日付を超えて起きていることはマレだった。そのかわり、朝はいくら早くてもOK。でも、根っからの朝方というわけでもない。

会社勤めを始めた新入社員のころ、零時近くまで働き、それから夕食という名の一杯を会社近くの飲み屋でやって、再び会社に舞い戻って丑三つ時まで仕事をするという日々が続いたことがあった。

残業残業、また残業の日々。残業時間が200時間を超える月が二ヶ月続いた。すると総務部長に呼びつけられ、「お前はなんでこんなに残業が多いんだ。え! 真剣に仕事をやってるのか!」と怒鳴られたっけ。「残業しなければこなせない仕事なんか、ないだろうが!」だと。

めっちゃめちゃ忙しく、日曜日も祝日も出社し、会社の机の上で寝たりする日が続いていてストレス満杯だったぼくは総務部長のその言葉にプッチン。「わかりました。きょうから残業はやめます」。

その日から、その言葉を守った。

就業時間が終わると、はい、サヨナラ。まだ陽のあるうちに会社を出ることのなんと快いことか。帰りには銀座通りのレコード屋(もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』がガンガンかかっていたっけ)に寄り、よさげなLPを買って帰り、部屋でワインを飲みながら聴く。あぁ、これぞ独身貴族というものだ。

ぼくが担当していた仕事は、あっと言う間に滞った。そりゃそうだ。200時間の残業をこなしてようやく滑り込みセーフというスケジュールの仕事の連発だったのだから。当時、調査会社に勤務していたぼくが担当していたのは、調査データを元にクライアントへ提出する報告書をまとめること。今のようにパソコンもなければ、ワープロもまだ一般化してないころ。報告書は、掲載するグラフや表も含めてすべてが手書き。レイアウトを決め、方眼紙にグラフを書き、その脇にコメントを直接書いていく。他人様にお見せできない字の持ち主は、字のきれいなバイトがそばについていて、原稿を書いたはしから清書していく・・・・今、思い返すと、よくあんなことをやってたなぁとため息が出る。

そんな仕事のやり方だから、どんなに急いでも物理的に時間がかかる。それを、仕事の内容を考慮せず、残業時間という尺度だけでヒトを判断・評価しようとした会社側には落胆した。と言うより、あぁ、それが会社という組織のあり方なのねと思ったっけ。

就業時間が終わると、すたこらさっさと帰る日々が続いた。仕事はたまって進まない。知ったことか。会社側がおっしゃる通りに勤務態度を改めたのだから、喜ばれこそすれ、とやかく言われる筋合いはない。

しばらくすると、また総務部長に呼ばれた。今度は「お前は最近、きちんと仕事をこなしていないらしいじゃないか。どうしてなんだ?」とのたまう。あんたが残業するなと言ったんだろうが!(とは言わなかったけど)。どうやら、ぼくとアルバイトたちが担当している仕事をクライアントから受注し、ぼくらが作る報告書を納品する営業担当のおじさんが「あいつに残業をさせてくれ」と総務へ掛け合ったらしい。受注の時から、営業のおじさんにはこの仕事が通常勤務ではできっこない分量だということは分かっているのだった。

それもまた妙な話だと思ったっけ。

「残業や~んぴ」を決めた日から一ヶ月ほどたって、ぼくはまた残業の日々に戻った。メシも食わず、酒だけ飲んで、会社に戻り、酒気帯び勤務をする日々に。総務部長から「残業してもOKよ」というお墨付きをもらった記憶はない。なし崩し的に、はたまた馴れ合い的に、再び夜の仕事がお友だちとなった。

♪ Hello darkness, my old friend
♪ I've come to talk with you again

てな感じだったなぁ。


今、テレビ業界で働く人たちも、別に深夜に働くのが好きなワケじゃないだろう。朝型・夜型といった、自分の体に適した時間帯はあるだろうけど、とにかく皆さん、えらく忙しいのだ。外部の人間であるぼくが見ても、ひとりでこなせる仕事以上の仕事を抱えている連中ばかりだ。

たとえば、編集マンは30分、1時間の番組を、村の鍛冶屋じゃないけれど「息をもつかず」という勢いで担当している。どうしても一本あたりの編集日数は限られる。ひどいスケジュールになると、1時間番組をゼロから三日間で仕上げろというオーダーがきたりする。ぼくもそんな仕事を何本かやったことがあるけれど、三日間という日数では、まる二晩完徹して一度つなぎ、一度手直しして・・・それで目一杯。

「こんなもの、見てもらっていいのかな?」という段階の番組がそのままオンエアされるのは、正直、つらいし、申し訳ない。それは、視聴者にも、取材対象者にも、だ。

キー局や準キー局はいざ知らず、ローカル局は編集するための機材の台数も限られる。昼下がりから夕方にかけてはその日のニュースの編集が優先するので、それ以外の編集は機材が空いている夜にやるということになる。ぼくも時に立ち会うけれど、零時を回って2時3時4時まで編集に携わる日が続くのは異常だと思う。But、この業界では、ち~とも異常じゃないのよね。


きょうは日曜日。22時を回ったところ。ぼくがぬくぬくとコタツに入り、『ロード・オブ・ザ・リング』を見つつ、この駄文を書いているこの時間にも、テレビ業界に限らず、仕事にいそしんでいる人たちが数多くいる。ぼくらって、そんな人たちに支えられているんだなぁって、ときどき、しみじみ、感じるな。

みんな、がんばれ。




大学進学で上京したてのころ。新しい友人たちの中には、ぼくが筑豊出身だと知ると「炭坑って、ものすごく貧しいんだろ?」と聞くヤツが何人かいた。軽く尋ねられたのなら軽く答えるけど、真顔で真剣に詰問されると返す言葉に困ったりする。

彼らの頭の中には“総資本 vs 総労働”の構図がきっちりとできあがっていて、筑豊に代表される炭坑は総労働の総本山だという思い(思い込み?)があった。そんな連中にかぎって、五木寛之さんの『青春の門』を愛読していて、「抱いてくれんね、信介しゃん・・・」と言う“織江”にあこがれていたりするから始末が悪い。

そう言えば、炭坑で働いていたおばさんが「炭坑の女はあんな風にゃ、言わん。“信介しゃん、させれ”ち言うとたい」と教えてくれたっけ。炭坑の女は自主性バリバリ、男をリードするのだそうだ。

あら、話があらぬ方向に流れてしまふ。危ない危ない。

真顔で「貧しいんだろ?」と尋ねた友人たちをさらに始末が悪くしていたのは、土門拳さんの写真集『筑豊のこどもたち』じゃないかと思う。


筑豊のこどもたち


ぼくはこの写真集を大学に入ってから初めて見た。土門さんが世に出るきっかけとなった作品でもあり、とてもいい写真がたくさんあるとは思うけど、炭坑街で育ったぼくにはどうにも納得できない雰囲気というか、匂いに満ちていた。それは写真集全体が「貧困」に塗り込められていること。この写真集を初めて見たとき、「そうじゃないだろ」と思ったことを覚えている。

「貧困=不幸」じゃネェだろぉ!

そう感じたのは10代後半の、今よりは随分とナイーブな心の持ち主だったころのぼくであり、土門さんが炭坑街の子供たちを描くのに意図的に「貧困」を使ったとは今は思っていないけれど。しかし、当時は「炭坑街=貧しい=不幸せ」と言われているようで、えらく違和感を感じたのは事実だ。

確かに貧しかったんだろう。小学校の友だちが住んでいた炭坑住宅、通称“炭住”と呼ばれる長屋は、隣のうちが見通せるほどに壁に穴が開いていて、床は足の裏に馬鹿力のある子供たちがあちこち踏み抜いているし、雨が降れば屋根から雨漏りと呼ぶにはあまりに多量の水が落ちてきたりした。

ぼくの家は炭住ではなかったけれど、友だちたちの家がそんな風なのは普通だと思っていた。そんな風に思うことがプチブルのプチブルたるゆえんなのだと学生時代に指摘され、なんのこっちゃ?と、さっぱりわからなかったことがあったっけ。

何にしろ、ぼくらは別に貧しさをつらいと感じてはいなかった。なんせ、ノーテンキなお子さまだもん。つらさを抱えていたのは、子供を貧しさの中に置かざるを得ないおとなたち。思い返すと、ベラボーに貧しい家庭も確かにあった。

夏。友だちが遊びに来たとき、お袋がおやつに素麺を出してくれたことがあった。友だちはテーブルに置かれた素麺を前に固まっていた。こいつ、何をやってんだ?と思いつつ、ぼくはツルツル素麺をすすっていた。すると、しばし固まっていた友だちは、思い切るようにツユが入ったお椀をつかみ、それを素麺の中に流し入れた。そして、冷水とツユとが混じり合った素麺をすすり始めた。

びっくりしたぼくは、なんじゃ、こいつは?と思いながらお袋を見ると、彼女は涙をこぼしていた。

「あの子、素麺を初めて食べたんやね・・・」

友だちが帰ったあと、そう言ってため息をついたお袋の顔を覚えいている。その友だちは閉山と共にいずこかへ去って行った。

閉山は子供心にも寂しい出来事だった。なんせ、春休み、夏休み、冬休み、あらゆる休みが明けるたびに、同級生の数が減っていくのだ。閉山によって仕事がなくなり、他の炭鉱へ、仕事のある都会へと引っ越して行った級友たち。みんな、今はどこで何をしてるやら。

炭坑に勤めていたわけじゃないけど、我が家も結構金を持たない家庭だったらしい。食うに困った覚えはないけど、浪人して受験するとき、お袋が「あんた、入学金がなかよ」と言った。今さら言われてもなぁと思ったけど、別に、なんの弊害もなく、ぼくは大学生となった。

大学に入学してすぐ、奨学金をもらうための面接なるものがあった。面接官のおじさんはぼくが提出した書類に目を通しながら、「これ、あんまり少ないと疑われるから、ちょっと書き換えとくね」と言って、年収の欄の数字の頭に「1」を書き加えてくれた。

のちに働くようになり、収入を得るようになると、ぼくが大学に入学する前年の我が家の収入の少なさに改めて驚いた。よくもまぁ、私立大学なんぞに進学できたもんだ。あとから聞いた話では、どうやら親戚から借金をしたらしい。そんなことなどち~とも知らず、4年間を思い切り遊びほうけた自分を思うと、やっぱりロクデナシに近いと思うなぁ。

お袋の金の無心を親戚が断ってたらどうなっていただろうと思ったことがある。働きながら学ぶ(学ばないけど)という苦学生の道をとるつもりは全然、まったくなかったから、そのまま社会へ出たかもしれない。とすると、ぼくの人生は今とはかなり変わったものになっているだろう。

その親戚って、ぼくの恩人じゃないのかな、もしかして?

お金を貸してくれたという親戚が誰なのか、今もってぼくは知らない。借りたお金はどうしたんだろう? お袋が返したのかなぁ?

あぁ、なんたるロクデナシ息子だろうか。

でも、ま、時効だよね。




お昼前。
BSのニュースを見ていたら、アメリカでは飛行機内での携帯電話の使用を認める方向にあるというレポートが。

「飛行機の計器に影響をきたす」と機内放送で盛んに注意を喚起しているけれど、技術面に造詣の深い知人によれば「あれはウソ」らしい。

「地球上にはありとあらゆる電波が乱れ飛んでいる。携帯ひとつの電波で異常な状態になるような計器を積んだ飛行機なんぞ、空は飛ばん」

そう言われればそうかなぁ。。。でも、空に浮かんでいるとき、乗客が一斉に携帯を使い始めたら、乗っている飛行機に電波が集中して計器がアホにならんかしらん??

完璧に文化系のぼくは、そう思ってコワくなったのだけど。機内での携帯使用が許可されそうというニュースは、知人の言葉が正しかったってことの証明かな?

しかし、せめて空を浮遊している間くらいは世間の憂さを忘れて眼下に広がる大地の奇態に目を見張ったり、見渡す限りの雲の海に我を忘れたりしたいのだけど。。。。何が何でもTELしたい、寸暇を惜しむビジネスマンは喜ぶだろうな。

飛行機から携帯ができる。そうなることを望んでいる人って、そんなに多いのだろうか? 以前は機内にもカード電話があったような覚えがある。最近は見ないけど、それを復活させればいいだけなんじゃないのかなぁ。

地上を走るミニチュアのような列車に目を奪われていたら、背後で突然鳴り出す着メロ。

我が声を地上に届かせようと、リキんだ声を出すオヤジ。

旅する優越を友だちに知らせることで確認する娘っこのキャピ声。

・・・・あぁ、旅情がなくなるわぁ。

機内での携帯許可。日本ではそんなことになりませんように。


ここ一週間ほど、ほとんど出かけていない。昼下がりに車で買い物に出かけるくらい。あとは、日がなコタツを前に座り込んで、じ~っとしてる。家の窓という窓には半透明のビニールがかぶせられ、ただでさえ弱々しい冬の陽光を見事に遮断する。

昼なお暗い部屋の真ん中に沈んでいると、あぁ、海の底にいるみたい。。。

ビニールの向こう側からはズリズリズリッと聞こえ続ける音がする。今、家の壁を塗り替えている真っ最中。

学生時代。東京・山手線内側の四畳半にいたぼくに、お袋が「引っ越すよ~」と電話。「ご随意に」という息子の言葉を受けて、お袋が見知らぬ町に新たな“我が家”を見つけて30年近い月日が流れた。

その風雪を耐えていた我が家は、軒(のき)板が垂れ下がり、壁土は崩落しかけ、瓦は次の台風で確実に飛ぶという状態に。

直してやらんとしゃ~ないか。

結構、軽い気持ちで始めたのだけど、家全体に足場を架け、軒板の修理が終わったころから雨また雨の雨続き。朝、8時前。家の前までやってきた瓦屋さんが空模様をみて「きょうは止めましょ」と帰って行ったのが3回。あぁ、申しわけない、気の毒だぁ。

いざ、屋根の修理に取りかかっても雨。瓦をはがしては、雨。補強するゴムを張っては、雨。瓦代わりのゴム板の屋根に落ちる雨は、ボコボコボットリボッコン、奇妙な音をたてた。なんか、楽しい。

楽しかったのはそこまで。相も変わらず天気は悪し。い~かげんに晴れんかい! 冬の空はキーンと冷たく澄み切るもんやで!

でも、今年は全国的に暖かいそうで、秋の気候を引きずっているらしい。予定通りなら、もう壁も塗り終わり、足場がとれているハズなのに。空を見上げてため息吐息。

ぼくら家人以上に困っているのは職人さん。7時前。寝ぼけまなこをこすりながら窓の外を見たら、瓦屋の職人さんたちが車の中でマンガを読んでいるのには驚いた。工期の遅れを取り戻すべく早朝からやってきた瓦屋さんは、ぼくら寝ぼすけが目を覚ますまで待機していたのだった。さすが職人、仕事に対する熱意が違う。

でも、土曜も日曜も、緊張して早起きしてしまったわぁ。

で、三日前にようやく壁塗り開始。汚れないよう、窓枠その他、家の外回りを丁寧に包む。ラッピングされた家を見るってのは初めてだなぁ。

おとといは5人。きのうは4人。きょうは2人の職人さんがやってきて、ズ~リズリズ~リズリ、静かに壁を塗る。壁は下塗り、中塗り、仕上げと三回も塗るそうだ。ありがたや。

職人さんたちのおかげで、どうにか今年中には足場がはずれるかな。それまでは、海底に沈んでようかな。あ、冬眠しちゃえばいいのだぁ。


師走に走り回る方々に申しわけない。。。。



昼下がり。

ぼんやりテレビの画面を眺めていたら
青島幸男さんと岸田今日子さんの訃報が
立て続けに流れて驚いた。

青島さんは今朝の9時半くらいに亡くなった。
骨髄異形成症候群という耳慣れない血液の病気。
でも、きのうの夜には娘さんに
「ビールでも飲もうか」と言っていたほど
元気だったとか。

財界からの献金にまみれた自民党を批判。
佐藤栄作首相を
「財界の男妾」(放送禁止用語だろうな)と
言い放ったのは楽しかった。
政治にまったく興味はなかった頃だけど。





岸田さんは今月の17日に亡くなっていた。
脳腫瘍だったそうだ。
遺族の意志で発表を控えてたんだろうな。
いちいち「亡くなりました」って
マスコミに伝えるのも変と言えば変だし。

岸田さんと言えばムーミン。
ぼくはアニメ『ムーミン』大好きで
放送のある日は学校からすっ飛んで帰った。

『巨人の星』『タイガー・マスク』
『アタック No.1』
・・・・・・
ぼくの世代はスポコン・アニメが大全盛。
だけど、ぼくはスポコンがダメ。
スポコン・アニメを見ていると
どうにも「ウソ」に思えてしょうがない。

飛雄馬の瞳に炎がメラメラと燃え
1球投げるのに1週間もかかったりすると
ガックリ脱力してしまう。

どうせウソならカバのお化けの方がいい。
と言うワケでもないけど
『ムーミン』は好きだったなぁ。





青島さんはたくさんの楽しい歌を
残してくれた。




「明日がある」

そうおおっぴらに言っても
恥ずかしくない時代だった。

でも、今も確実に明日はあるよね。
がんばれ。みんなに幸あれ。
明日があるさ。


しかし・・・・
『意地悪ばあさん』も『ムーミン』も
世を去る頃になったんだなぁ。

合掌。



こんな番組の制作に参加した。

  → 『ほたっちょけ ~元総長のふれ愛義塾~』

福岡県田川市に住む工藤良さん(29歳)は、暴走族の元総長。仲間を率い、夜道を爆走していた。暴走族を離れてからもすさんだ生活を送り、覚醒剤で逮捕された経験もある。

  → 工藤良さんプロフィール

工藤さんは、今年2月、アパートの一室を借り、塾を開いた。その名は「ふれ愛義塾」。塾と言っても勉強を教える学習塾じゃない。若い子たちの居場所として、工藤さんはこの塾を開いた。

家庭にも、学校にも、自分の居場所を見つけられない若い子たちが、昼に夜にやってくる。工藤さんは彼ら彼女らを叱りつけるわけでもなく、意見するわけでもない。ただ、アパートの一室で若い子たちと一緒にゴロゴロしつつ、彼ら、彼女らの話に耳を傾け、時に言葉をはさむ。

親や、教師に反発を感じ、諭す言葉には頑なになってしまう若い子たち。しかし、工藤さんの何気ない言葉は、若い子たちの心に浸みていく。


タイトルの「ほたっちょけ」は、福岡・筑豊地方の言葉で「放っておけ」の意味。しかし、工藤さんがこの言葉を使うときには「見守る」というニュアンスが加わる。細かいことは言わない、本人が気づくまで「ほたっちょ」く。でも、決して見放さない、徹底的に「見守」り続け、待ち続けるのだ。


番組のHPには、いろんなページが用意されている。その一部。

  → ディレクター日記

  → “ほたっちょけ”掲示板

掲示板には、いじめや不登校に苦しむ若い子たちやその両親の思いが書き込まれている。


12月4日。番組の試写会と記者発表が行われた。下記ページで記者会見の様子が動画で見れる。

  → 記者会見風景

ナレーションは泉ピン子さん。長い芸歴で、ナレーションは初めての挑戦というのは意外だった。





制作を終え、あとはオンエアを待つばかり。でも、気分はちょっとブルー。それは、番組が放映される時間がひどいから。

  → 各局放送時間

制作局のRKB毎日放送(福岡県)でこそ、午前10時半からだけど、基幹局のテレビ朝日は午前4時55分から。まだお日様もチラリとさえ顔を見せていない真っ暗な早朝に、誰がテレビを見るんだろうか? それも、こんなカタい内容の番組を。

その上、オンエア日は正月7日の日曜日。そろそろ冬の休みも終わり、正月気分から離れて社会復帰しなければならない。そんな憂鬱な時期に、朝の5時前からテレビを見てくれるのだろうか?

いやいや、問題は視聴者側にあるわけじゃない。番組を放送する局側の問題だ。局はこの番組を広く、多くの人に見て欲しいと考えているのだろうか?

考えてないな、きっと。「流せばいいや」程度にしか思ってないのだろう。

対象者の説得から取材と、現場に何度も足を運んだディレクターやカメラマンはじめ、記者会見をセッティングし、上記HPを立ち上げ、工藤さんや泉ピン子さんの動画を掲載したプロデューサーなどスタッフたち。その意欲をどこまで「局」が認めているのか。その度合いがこの放送時間にあらわれている気がする。

悲しいね。登場人物はじめ、協力してくれた人たちにも申し訳ない。

ま、テレビ局の編成事情を嘆いても仕方ない。儲からない番組は視聴者の目に触れにくい時間帯に押しやるのは当然。そんな風に「局」が思っている限りはね。

しかし、寒い正月の早朝、人目に触れず流れ、消え去るにはもったいない番組。いじめや不登校に悩む子供たちやその親御さん、そして先生たち。さらには、やりたいことが見つからない若い子たちに、ぜひ見て欲しい。いろんなヒントが見えてくると思う。





全国の民放が加盟している日本民間放送連盟には、

『青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組を、各放送事業者は少なくとも週3時間放送する』

とする取り組みがある。「1日に3時間」ではない。1週7日間、168時間ある中の「少なくとも3時間」。べらぼーに少ない気がするが、民放各局はこの取り組みに基づき、若い人たちに見て欲しい番組を選定している。それは、こんな番組群。

  → 青少年に見てもらいたい番組(2006年秋)

どうだろう? ここにあげられた番組が『青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組』たちなんだろうか?

いろんな考え方があるだろう。でも、まず第一に、テレビ局の制作現場にいる人たちは、この「1週間に少なくとも3時間、青少年にタメになる番組を流す」という民放連の「取り組み」のことを知っているのかなぁ?

知らないだろうな、きっと。






「困ったことがあったらな、風に向かってオレの名前を呼べ。
どっからでも飛んできてやっからな」


今、寅さんがそう言った。

さすが寅さん、普遍的だねぇ。

言う相手が甥っ子っていうところが
色気を欠くけどね。


風に呼ばれる寅さんの名前。

“TORASAN” Is Blowin' In The Wind. だな。



いろんなことがあるよ。
思うようになることの方が少ないし。

先を考えると不安だらけ。今、自分が居る場所の居心地が悪かろうと、頭を下げて周りを見ずに嵐が通り過ぎるのを待つってのもひとつの方法だ。新しい世界に一歩を踏み出すよりも、その方がずっと楽だもん。

でもさ。ほんとは足が震えていても、心の中ではすごく躊躇していようとも、踏み出さざるを得ない状況や心情や衝動に陥ることって、長い人生、ときにはあるのさ。

よく言うけど、やらない後悔よりは、やってしまった後悔の方がいい。それは確実に言える。あとから振り返れば、どちらも「後悔」に変わりはないけれど、うじうじ振り返る後悔よりは、早まっちまったなぁと苦笑いできる後悔の方がずっといい。

だからと言って、未来の後悔を、今、思っても仕方ない。待っているのは後悔じゃなく、歓喜なのかもしれないし。

「自分で自分の未来を拓く」なんて、文字にすると大層な感じがするけれど、誰もが自分の道をぼっちぼっちと歩いてる。それが時に激動になるだけ。

まったりまったり、行けばいいんじゃない?




教育基本法改正法案、参議院通過。

ニュースのトップ項目=松坂選手、レッドソックス移籍決定。


ニュース項目の順番は
出来事の重要性と視聴者の興味を考えつつ
最終的にはニュースのデスクが決定する(らしい)。

教育基本法の改正よりも
野球選手の輸出の方を喜ぶと思われてしまった視聴者。

怒るべし。


教育基本法の改正よりも
野球選手の輸出を重要と考えるデスク&記者。

恥じるべし。

視聴者の興味に沿わなくても
伝えるべきを、的確に、確実に、明快に伝える。
それをやらずしてなんの“報道”か。
なんの“ジャーナリズム”か。


数の論理だけで突き進む議会政治。
そこで葬られようとしている教育基本法。
それを可能にした数的力学を作り上げたのは
ぼくら国民。

恥じる。



久々、ほんとに久々に晴れた。
気温もあがり、クリスマス近しとは思えない陽気。

どんよりしてると気分も滅入る。
天気に左右されるってのはネコ助みたいだけど、せっかくの晴天。

晴れやかに行きたいね。

電車内でメールを打ち続ける若い女性。止めるのを恐れるかのように没頭中。

周囲も携帯を握りしめてる人ばかり。バッグに入れていればいいだろうに。でも握りしめてる必要がある。携帯を介して誰かとつながっている、その安息が欲しいんだ。それは、心が暖かくなる実感ではなく、すがるような渇望の発露。

「一人じゃない」というフレーズを使った歌が増えてる気がする。自分は一人じゃないんだということを信ずるために、みんな携帯を握りしめる。

つながる…簡単なようで難しい。
こんな世の中で、つながりを実感できるのは、本当に幸せなことなんだろうなぁ。

「ジンゴベ~ジンゴベ~ジンゴジンゴベ~」のメロディが街にあふれる季節となった。ホテルのツリーは華やかだ。

でも、今年も終わりだなぁ~という気持ちにならないのは妙にナマ暖かい気温のせいかしらん。

体にメリハリがつかんなぁ。

番組制作の現場はかなり危機。デジタル化経費の圧迫もあり、制作費がバリバリ削られる。外部に制作丸投げも増えてきた。その方が金がかからない。解りやすい資本の論理。

視聴者が知る知らないに関わらず、伝えるべきことを伝える。それがテレビ局の存在理由。番組を作ることはテレビ局の義務だ。それを自ら放棄する企業はテレビ局を名乗らないで欲しい。

社員も切迫詰まって欲しい。義務を果たさなくて、どうしてテレビ局員でございと言えるのか。

「面白ければ自社制作であれ外注であれ構わない」との声。 ホントにそれで構わないのなら、テレビ局に社員はいらないよ。

久しぶりに朝のワイドショーを、局を変えながら流し見る。ナレーションの言葉が気にかかる。

事件の裏側や真相の究明と言いながら、「○○は△△だと言う」という語尾のナレーションのオンパレード。耳障りでしょうがない。ちょっと注意して聞いていたら、ひとつの出来事を知らせるナレーションのほとんどが「○○は△△だと言う」という語尾。こりゃ「だと言う症候群」じゃなかろうか。

「テレビ局は本当にきちんとした取材をしているのか?」と友人に尋ねられたことがあるけれど、こんなナレーションの言い回しではそう疑問符がつけられても仕方ないなぁ。

曖昧な言葉で語尾を濁すナレーションがここ数年、増えてきているように感じる。それは、断定するだけの裏付けや確信がないということもあるだろうけど、曖昧にすることで視聴者の興味をあおる狙いもあるに違いない。

また視聴者の方も、「○○だ」と断定されるより、曖昧にぼかしてくれ、意味深にしてくれた方が見ていておもしろいということもあるだろう。結局、野次馬なのだから、視聴者は。

それにしても、ジャーナリズムの一翼をになうはずのテレビが、視聴率を上げ、視聴者の興味を喚起するのが目的のワイドショートはいえ、あからさまに「伝聞ですよ」という表現を多用するのはどうなのかなぁ。「事件」を扱っている以上、「だと言う症候群」はアカンのじゃなかろうか。

「○○は△△だと言う」と伝えたとしても、「○○」が「△△」じゃなかったとしてもテレビは責任をとらないし、こうした表現をするのは責任をとらないための布石のようにもとれる。なんとかして視聴者の興味を呼び起こしたいという気持ちはわかるけど、自分で自分の首を絞めるような言い回しじゃないいかしらん。


ぼくはナレーションを書くとき、極力使わないように心がけている表現がいくつかある。この「△△だと言う(だと思います)」もそのひとつ。きちんと取材し、きちんと裏付けがあるならば、この語尾を使って内容を曖昧化する必要はまったくないと思うし、してはいけないことだと思うから。

テレビを見ていると「○○かもしれません」という表現も多用されている。余韻がほしいのだろうと思うけど、ぼくはこの言葉をほとんどに使わない。事実を元に組み上げていくドキュメンタリーでは、ナレーションで余韻を作る必要はないと思うから。余韻が欲しいのならば、それは映像で作り、見せるべきだとぼくは思っている。

「ナレーションで盛り上げてくれよ。とくにエンディングをさ」

こんな意味のことを時々言われる。でも、ぼくが書くナレーションはクライマックスを飾る麗々たる言葉で埋められたりはしない。それは筆力&語彙不足というのが主な理由だけど、ヘタクソな散文詩のようなナレーションで盛り上げても意味がないと思っているからでもある。

テレビは映像と音(ナレーションではなく、インタビューまたは「ノイズ」と呼ぶ取材時に収録された音)が命。盛り上げるのは映像と音でやるべきで、ナレーションだけエスカレートしても何の意味もない。言葉が空虚に空回りするだけだ。

扇動するのはやめて欲しいな。


しかし、番組、特にドキュメンタリーにとってナレーターの力量はとても大切。番組の色というか、テンポ、イメージを決定的に決めるのは、番組の冒頭から流れるナレーションだ。その声質やトーンによって、番組の空気感がまったく変わってしまう。

ある局のディレクターが「予算があったら、まずナレーターに金を割きたい」と言っていたけど、当然だと思う。ぼくがディレクターだったとしても、同じことを思うだろう。現在は、その予算はどんどん削られているのが現状だけど。


なんにしても、「だと言う症候群」はジャーナリズムとしてのテレビの存在感を自らおとしめている。ぼくの友人知人は「テレビはジャーナリズムではあり得ないという」連中が多いけど、「○○は△△だと言う」の繰り返しを聞いていると、友人知人に反論のしようがないなぁと思ってしまう。


曖昧さって、言う方も聞く方も、心地いいのかもしれないないな。



ここのところの、マイ・ブーム(って、もう死語かなぁ?)。


1、2カ月前の夕方。なんとなくテレビをつけて、なんとなくチャンネルをかえていたら、麿言葉を話す妙ちくりんなガキんちょが。

  「おじゃる丸」だった。

おじゃる丸のそばには、お尻が黄色い虫もどきが、飛びながら何やらおしゃべりしてる。

  「電ぼ」だった。

NHK教育で放送中の『おじゃる丸』
このアニメが、ここのところの、マイ・ブーム。

オープニングのテーマソングが、演歌の大御所・北島三郎さんでびっくり!
NHK教育、恐るべし。


9月に亡くなった犬丸りんさんの原案。こんな楽しいキャラクターや設定を考える人が、自ら死を選ぶなんて・・・・人間って複雑過ぎかもね。

がんばらなくてもいいのにね。誰だって十二分にがんばってるんだもん。凹んだって、必ず凸になるんだもん。まったり、まったり。のんびり、ゆっくり、歩めばいいのさ。

と、おじゃる丸も言っている。

電ぼも、こんな風に歌ってる。

  →「電ボのブンブン節」(YouTube)


ところで、「のんびりゆっくり」的な意味で使う「まったり」という言葉のこの使い方。なんと『おじゃる丸』から生まれたそうな。

知らなかったぁ~!

  → 「まったり」とは?(はてなダイアリー)

う~ん、新知識だ。やっぱ、アニメも見るもんだなぁ。


どうやら『おじゃる丸』はとっくの昔にブームになり、「まったり」は若い女性の間で盛んに使われた末に今のような使い方として浸透したらしい。そっか、おじさんは流行遅れなのね。

ま、いいや。

そんなワケで、きょうから録画して見ている『おじゃる丸』。きょうの話もおもしろかったぁ。あしたも見よっと。



プレステ3が180台、一挙に盗まれたそうな。

発売が延期されていたプレステ3、その人気はすごいらしい。販売店には長い列ができ、買い占め&転売をはかるブローカーに雇われた人たちも買っては並び、買っては並び。妙なところで礼儀と常識を知ってるなぁと、ちょっと感心。

でも、ゲームをまったくやらないぼくには、並ぶ気持ちも、盗む気持ちもわからない。


昔々。今は合併し、スクウェア・エニックスとなったスクウェアとエニックスの両社を取材したことがある。「ドラゴンクエスト」が爆発的にヒットし、それに少し遅れて「ファイナル・ファンタジー」が発売されようとするころだったろうか。

取材対象はソフトを開発する20代の若者たち。泊まり込みでプログラムを組んでいるというある若者は、寝不足で目を赤くしていた。開発室の床には寝袋が転がり、カップラーメンの食べかけが冷たくなっていたっけ。

激務でしんどそうだったけど、自分たちの力で新しい世界を拓いて行っているという情熱を感じた。ぼくと年齢がほとんど同じの若者たち。偉いもんだなぁと感心したっけ。

でも、同時に、ゲームソフトの限界みたいなもの感じた。

彼らがプログラミングしたこと以外のことって、ぼくらはできないんじゃないの?

そう思うと、ず~んと白けたっけ。


夜を徹してプログラミングしている姿を見たときに思った。ゲームをやり、熱中している、そのときのぼくは、彼らの手のひらの上で踊っているんだなぁって。

「お釈迦様の掌の上を飛ぶ孫悟空」って感じかな。

緻密に、綿密に練り上げられたストーリー。音楽も、キャラクターも、一流の人が力をふるっている。プログラマーも叡智を尽くし、よりよいもの、おもしろいものを作り上げようとしていた。それはすごくよくわかった。

でもなぁ・・・・・。

やってる途中で自分の空想に遊んだり、その空想の方がおもしろくなって手元が止まったり、そのままアタマの中がどこかへ行ってしまったり。そんなことができないんじゃ、それって「遊び」じゃないんじゃない?

そこがマンガや、小説や、テレビや、映画と、決定的に違うな・・・。

マンガも、小説も、テレビも、映画も、読んだり見たりしている途中でも自分の世界に浸れるし、想像をたくましくすれば、その世界をどんな風にでも作り上げられるし、広げられる。想像の世界への導入部分はマンガや小説やテレビや映画に作ってもらったとしても、それを遊ばせるのは自分自身。だから、おもしろいんじゃないのかなぁ。

ゲーム・・・行く先も、行き方も、結果もプログラミングされているストーリーをたどるのって、そんなにおもしろいのかなぁ。

なんてことを思いながら、取材をしたっけ。

そのときはぼんやりとしか思ってなかったから、ゲームの開発に携わる若者たちにそのことを尋ねなかった。なんて答えてくれただろうか? きいてみればよかったな。


ぼくのこんな感想は、食わず嫌いの思い込みなんだろう。

でも、家電量販店の店頭などでゲームに没頭する子どもたちや少年たち、若者たちを見ていると、いつの間にやら彼らが「孫悟空」に見えてくるんだなぁ。

偏見かしら?




野武士だった小笠原選手が、召し抱えられた巨人城につるりん顔で参内した。GYマークの帽子が似合わないこと・・・・。

新たな道に乗り出すにあたり「男のけじめとして」自ら剃ったと言う。
ほんとかなぁ。


 → つるりん小笠原選手


まぁ、小笠原選手の気持ちは本物だとしても、自ら組織にすり寄って行くことは自分自身の色を自ら薄め、消してしまうことでもある。惜しいことだ・・・と、小笠原選手も、ぼくの中ではもう故人となってしまった。

ぼくは別に“アンチ巨人”じゃないけれど、組織としての巨人軍にどうしても親近感がわかない。


同じ色に染まることを求める無言の圧力が漂う組織って多い。巨人軍なんてその最たるものように見える。そんな組織になんで行きたがるのかなぁと思うけど、野球選手という職業の人たちにしてみればよほどに魅力ある組織なんだろうな、やっぱり。

でも、外から見ると、異分子を活かせない組織って魅力がないんだけどな。そんな組織が魅力を生み出せるとも思えない。

多彩な個人がいるから、総体としての組織は輝く。異分子を排除したり、切り捨てたり、同化させようとする組織なんかに未来はない。

なんてことを言うと「美しい国造り」のジャマになるって叱られるかな。

安部さんって、やっぱり巨人ファンなんだろうなぁ。




陽が落ちた国道を走っていると大型トレーラーに追い越された。
何やら巨大な荷物を載せてるなぁと見ると、なんと漁船。

道路の凸凹に合わせて左右に大きく揺れる船。何だかコワい。君子危うきに近寄らず。

でもおもろいな~。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。