番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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一月も末日となりて暖冬も息切れか。今朝はあたり一面に霜が降り、車のウィンドーは氷ついて視界ゼロ。さぶ…。

明日の予報は「雪」。あさっては、なんと「吹雪」。多ければ10センチも積もると。
ここは北部とはいえ九州の地やぞ。勘弁してくれ~。

うぅ、コタツから離れられん…。

この寒さの中、ネコ助は猫のくせに元気。走り回り、フスマの穴から押し入れへ。中から前足でフスマを開け、スルリと抜け出て「どう?」。

満足したか?
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捏造捏造、続いて捏造。慣れというのは怖い。

「チェック機関が機能していなかった」と局側は言っているようだけど、そんな機関があったのかしら? 下請けから納品されたら、そのままオンエアしてるんじゃない?

視聴率がいい番組だけに、なおさら、チェックをしていたとは思えない。

と、ここまで書いたら、NHKのニュースで「プロデューサーが7回、チェックしたが捏造を見抜けなかった」だと。それは捏造を“見つけようとしなかった”からじゃない? 視聴率を稼げるかどうかを見る、それがテレビ番組のプロデューサーの役割になってしまってるんじゃない?

朝な夕なに納豆を食ったり、味噌汁をたっぷり飲んだり、レタスをバリバリ食うだけで、痩せる、不眠が解消する。その「最初にありき」のゴールに向けて番組を作るから、ムリヤリのストーリーができあがる。傍目から見ると「おかしいだろ、それ」と思えるそのゴールを“おかしい”と思う余地が脳みそにないと、番組を何回チェックしたって“捏造”を見抜けるワケがない。

今ごろ、戦々恐々としているテレビ関係者も多かろう。


しかしねぇ。。。

ちまたに流れる「テレビってそんなものじゃん」という認識。「捏造なんて日常茶飯事じゃないの」と言い切られるのがやるせない。オレらは真面目に作ってるよ、なんて、当たり前過ぎて反論にさえなりゃしない。

テレビは時間を切り売りすることで成り立っている。ある時間はおちゃらけをやり、ある時間はスポーツをやり、別の時間ではドラマをやり、他の時間帯ではニュースを視聴者へ届ける。NHKも含めて、どの局もそう。

テレビ局には(特に「日本の」と言えるかもしれないけど)総体としての独自の「顔」がない。NHKも民放キー局もローカル局も、混沌とした得体の知れなさをその個性としている。その混沌の中には捏造も含まれてしまうのかな。

テレビ放送が始まって半世紀以上の時間が流れた。なのに、「テレビはジャーナリズムたり得るか?」「テレビはメディアか?」という問いがいまだに成り立つ。新聞社が出している雑誌に「テレビの未来」をテーマにした座談会などが掲載される。

その程度なのかな、テレビってのは。

ひとつのテレビ局が、ある番組では社会の実相を伝え、他の番組では捏造をやる。それでは、テレビは、未来永劫、ジャーナリズムにはなり得ない。



二日続けて「雹」が降った。
「ひょう」と打って変換したら、この文字が出た。「雹=ヒョウ」って、雨混じりの雪のことかしら? それとも、雪混じりの雨?

ま、どっちでもいいけど、暖冬に「ヒョウ」もないんじゃない? 特にきのうの「ヒョウ」はすごかった。短い間だったけど、窓に穴を開けんばかりの激しさでビシビシバッシバッシ。稲光にゴロゴロビッシャーンの大カミナリ付きで、そのインパクトは台風よりもすごかった。

ネコ助は、膝の上でダンゴ虫と化す。
寒さとカミナリ&「ヒョウ」が襲う音。前足で顔をおおって、ぶ~るぶる。

眠い「あぁ、コワぁ」

うちのネコ助、態度はデカいが、根性ナシ。
飼い主にそっくり。

見たな「なんやとぉ」

んげ。
ネコのウラミは怖いかも。


しかし、暖冬に慣れ、ダレきった肉体に、突然の「ヒョウ」はないやろ。窓ガラスに打ち付ける氷の粒を見るだけで、えろう寒か~。しばれるにぃ。

最近はよく当たる天気予報を見ると、明日は朝から「雪」マーク。この冬はまだ舞こそすれど積もってはいない雪。気温もまだ零度を下回った日はないそうだ。でも、あしたあたりはヤバイかなぁ。

コタツに足をつっこみ、背中には石油ストーブをつけながらも、なんだかしんしんと冷えてくる。こんな日はとっとと布団に潜り込むに限るかな。

敷き布団二枚にフリースの敷布、大きいタオルケットに綿毛布、その上には薄手の羽毛布団をかけ、さらに厚手の特注(お袋制作)の厚手大型掛け布団。あぁ、ぬくぬく・・・。朝は出たくなくなるもんなぁ。

でも、あったかい方がやっぱりいいや。
天気予報を見るたびに「最低:14度、最高:21度」なんていう沖縄をうらやましく感じる今日この頃なのだった。



確定申告の時期がやってきた。ここ二日間、領収書と格闘。

この時期になると毎年、ここにも書いているけれど、あぁ、どうしてこんなに数字がダメなんだろう。。。。

月別に分けていた領収書を、日付別にし、順に台紙へ貼っていく。ただそれだけのことなのに、きのうは朝8時から始めて、午後3時半にギブアップ。領収書は8月までしか貼れなかった。

そんなに大量にあるワケじゃないのだ。ひと月分が台紙4枚裏表に収まってしまうくらいしかないのだから。別に用途によって分類しているわけでもない。ただただめくら貼り(なんて言葉を使うと叱られるな)をしているだけ。

それでも、領収書に記された日付や金額の数字を目にすると、だんだん吐き気がしてくる。ほんとに。あぁ、酸欠状態だぁ。学校に行こうとするとアタマがオナカが痛くなる、あんな感じ。登校拒否の子たちの気持ちがわかるわぁ。

で、きょうも、9時半までお袋の銀行巡りに付き合ったあと(振り込みが出来ないから、かわりにやってやるだけだけど)、領収書貼りへ突入。領収書と、台紙と、ノリを前に、あぁ、イヤだぁ・・と思ってるところに救いの電話。あぁ、癒される・・と、その勢いで貼り始め、12月分まで突っ走る。

午後2時過ぎ。12月31日分まで貼りきって、コタツでダウン。ノックアウトだぁ。


これから、こやつらをパソコンに入力し、用途別に分類し、集計し、申告用紙に記入して、税務署へと提出しなければ。。。

楽しみは、戻ってくるハズの払い過ぎの税金。一年に一度のボーナスじゃ。なにを買おうかなぁ。



ただ今、午後の3時30分。

朝の8時くらいから、携帯で話した数分間と、昼食をとった20分ほどを除き、オヤツも食べずにず~っと読書をしていたらバテた。

読書って、体力を使うのね~。

振り返ってみると、昨年は丸一年間、仕事がらみ以外の本を一冊も読んでいない。仕事がらみの本は自費で購入することが多いし、その内容を知ることがどうしても必要なので、読みたくなくても読む。大半はツマラナイけど、それでも意地で読む。

そんな書籍に対しては、「資料代はお支払いしますよ」と言ってくれる依頼主もいるのだけれど、ぼくは線を引いたり書き込んだり、汚さないと本を読んだ気にならないタチなので、ほとんどの場合、その申し出はありがたく辞退する。

もう15年以上前、某局の仕事で資料として使った書籍代を出していただいたことがあった。でも、その時、ぼくのあまりの書き込み&線引きの乱雑さに、ディレクター氏が総務部かどこかのセクションから叱られた。

「会社の備品はもっと丁寧に扱ってくださいっ!」

会社の備品だったんじゃなくて、ぼくが購入し、勝手に汚したんですけどね。図書館の本にイタズラ書きをしがわけじゃないんだけど、総務の方にはそのいきさつがわかっていただけなかったみたいで、叱られたディレクター氏には申し訳ないことをした。

そんな経験もあって、仕事がらみの本も自腹を切ることにしてる。でも、当然上限はあって、高額単行本などは図書館のコピーで済ますけど。


しかし、本当に本を読まなくなった。

元々、小説のたぐいは好きではないので、夏目漱石や森鴎外にドストエフスキー、シェィクスピアに“弥次さん喜多さん”の十返舎一九など、「誰もが読んでる名作品」的なもの以外は、学生時代から読んだことがない。

そして、今。読んだ内容もほぼ完璧に記憶の彼方に消えている。

これじゃマズイなぁと思い続けてはや数年。今年はせめて片手の指の数を超えるくらいの本を読もうかな。もう、アタマの引き出しの中身が底をついて久しいし。

でも、活字を追うだけでこんなに疲れるとは、先が思いやられる。
コタツでごろりゴロゴロ。

朝はどんよりとしていた空も太陽が顔を覗かせた昼下がり。気分を変えるべく、買い物がてらのドライブに行くとするかな。


あぁ、ソフトクリームが食べたい。たこ焼きでもいいな。


エッチなトラックバックを付ける人ってのは
自動でやってるのか、手動かは知らないけれど、
見てるとおもしろいなぁ。

着々と、ちまちまと、増やしていく。

今日も、ぼくが書き込んでからすぐ付き始めた。

が、21時44分から22時12分までに計23個の
トラックバックをお付けになったところでストップ。

もう終わり?


機種交換したばかりの携帯が、またまた通話出来ず。

着メロが鳴ったので出たら「シーン…」。呼べども呼べども「シーン…」。

こちらからかけなおしてもやっぱり「シーン…」。

奇しくも、相手は先日も同じ状態に陥った人だった。家の固定電話でかけ直したら、やっぱり先日と同じく向こうでも着メロは鳴れども「シーン…」だそうな。

こりゃ、初期不良に違いない。

購入した家電量販店にTELすると、「うちではチェックできないので、おあずかりして」なんじゃらもんじゃらと説明が長い。要するに、直営の店でないとアカンのだった。

で、自宅に近い直営の「赤いドコモショップ」を教えてもらい、そこへ持ち込む。すると、とても慇懃なお兄さんが相手をしてくれ、一応15分ほど何やら調べて、あっさり同機種新品に取り換えてくれた。

気合いを入れて行ったのに、ちょっと拍子抜け。他のキャリアにくらがえされるのが怖かったのかなぁ。

取り換えてくれたのはありがたいけど、ユーザ辞書その他、2・3日かけてちょこちょこと設定したものがすべてスッピンに。また一からやり直しだぁ。

めんどい…疲れる…。


しかし、ウンともスンとも言わない電話を繰り返しかけさせてしまった相手の方、ほんに申しわけありませ~ん。

次回は大丈夫と思われますので、これに懲りずにお電話くださいませ。


……ふぅ、使い易くするのもしんどいわ。


ただ今、午後8時20分ほど。食事を終えて、コタツでゴロゴロ。

TVもおもしろい番組がない。録画していたNBAを見る。移籍したアイバーソン、30歳になっても動きは速いや。

そんなことを思っていて、ふと、頭に浮かんだのが「宮崎の知事選はどうなったかなぁ」。

そう思ってネットを覗いたら、

「宮崎知事選 そのまんま東当確」

あらら。
宮崎の局の人から「そのまんま氏ダントツ」と聞いていたけれど、ぼくが「当確」を見たNHKの開票速報の更新時刻は午後8時10分。

投票って午後8時までじゃなかったっけ? 投票終了直後、開票前に当確を打ったのかな? あまりに早くない?

ま、事前の取材でも出口調査でも、それだけ“ダントツ”だったのだろうけど。

 → 宮崎県知事開票速報 NHK MRT UMK


そのまんま東氏がこのまんま当選するのだろうけど、投票した人たちは彼に何を期待して投票したんだろう? 彼には別に何も期待しないけど、官製談合があまりにあきれ果てた県政状態をあらわにしたので、政党の色や匂いを漂わせる候補者を回避したんだろうなぁ。

でも、この“速攻ダントツ当選”は、投票した人も驚いてるんじゃないかしら。

そのまんま氏も出身県とはいえ、県政の舵取りは順風満帆とは行かないだろうな。政治経験ゼロでひとつの県の長として、決して彼を歓迎はしないだろう市議たちをリードしていかなければならない。彼に投票した選挙民も、彼を支持しているのではないのだし。


批判もあるだろうけど、当選したからにはがんばって欲しいな。



情けない。
納豆ダイエットは、でっち上げだった。

 → 納豆ダイエットで誇張「発掘!あるある大事典II」 (SANSPO.COM)

サンスポのニュース速報では「誇張」という表現が使ってあるけど、これは同じ“マスコミ”仲間のテレビ局に対する憐憫か? 見出しとしては、こちらが正しいだろう。

 → 「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造(asahi.com)

局が社内調査して発表した文書の内容からしても、確信犯的「ねつ造」だ。とても「誇張」で済ますことのできるレベルじゃない。

 → 「視聴者の皆様へ」 関西テレビ放送

効果の検証もしてなければ、番組で使った数値も根拠のないでっち上げ。アメリカの大学教授のコメントも、実際に話している内容とは違う日本語訳をつけた。

「信じられない」と胸を張って言えないのがつらい。テレビは同じようなことを何度も何度も繰り返してきてるのだから。

局の文書には「視聴者の皆様の信頼を裏切ることとなり誠に申し訳ございませんでした」という一文がある。噴飯ものだ。見ている側はテレビを信頼なんかしてるのか? 制作側は信頼されてると本気で思っているのだろうか?

「思ってる」と言い切れないのが情けない。

「やっぱりね」
「テレビだもんね」

そんな声があちこちから聞こえる気がする。


関西テレビの社長は「報道機関でもある放送局として」申し訳ないと謝罪したそうな。こんなことを繰り返しながら、同時に“報道機関”だと思い込んでる“テレビ局”ってなんなのさ? どうして“事実を伝えています”と言えるのかな。「信頼」だって? 口にすることすら虚しいね。

同局は「社内に調査委員会を設け、原因の究明を行うとともに過去の放送分についても検証を行い、番組を継続するかどうかを含めて検討する」としている。どんな調査をし、局としてどう責任をとるのか、拝見したい。外部プロダクションのせいにする、トカゲのシッポ斬りのような収束だけは許せない。


これを書いている今、某局のニュースで続報が。関西テレビは「取材が難航し、担当者が焦ったことも一因」と言っているらしい。そんなことを“原因のひとつ”なんて言えるのは、番組を「流せば終わり」と思ってるからなんだって気づいているのかな。

新聞・雑誌などのマスコミも、メーカーでもサービス業でも、商品を世に出してからが勝負。それがどんな評価を得るか、息を飲む緊張で見つめている。

でも、テレビは違う。テレビは番組を流せば終わり、お仕事終了だ。

メーカーは不良品を売ることはできないのに、テレビは出来損ないでもオンエアに間に合えばOKなんだ。


自ら存在価値を地に落とす。

情けない。


朝はどんよりしてたけど、10時くらいからは太陽が顔を出し、部屋はぽかぽか、あったまってきた。コタツの温度調整を一番弱くして、ごろりと腰までもぐりこむ。あぁ、極楽極楽。

と、そこへ携帯に着信。おニューの携帯で出るのはなんとなく嬉しいわぁ、相手にはわかんないけどさ~などと思いつつ出たら、ウンともスンとも言わない。

「もしも~し!」

でも、答えナシ。でも、向こうが黙っているんじゃない。かけてきた方も受けているぼくも、どちらの声も聞こえていないって感じ。

ありゃ? なんで?? 焦った。

一旦切れて、再度、同じ人から着信。出る。でも、なんにも聞こえない。こりゃ、まずい。「着メロは鳴るけど、声が聞こえない」旨のメールを速攻で出す。と、相手からも「呼び出してるけど、声が聞こえない」旨のメールがシンクロして届く。

やっぱり、変だわぁ。

で、固定電話の子機で相手の携帯へかける。すると、ちゃんと呼び出し、ちゃんと出た。ホッ。安堵。

電話を終えて、試しに「117」にかけてみる。と、きちんと呼び出し、向こうは出るのだけれど、時報は聞こえない。

なんで~? オレ、なんか変な設定したのかなぁ。
でも、きのうの夜はちゃんと使えてたし、今朝、起きてからはなんにも触っちょらんで。

新品携帯を手に、ぼくは首をひねるばかり。エラーリストを見ても「ウンともスンとも言わなくなったとき」なんて項目、ないしなぁ。仕方ない、お昼くらいになったら近くのドコモショップへ持って行こ。

そう思って携帯を放りだし、しばしお仕事。

1時間もしないうちに、もう一度携帯を手に「117」にかけてみる。すると、今度はちゃんと時報が聞こえるではないかっ! なんで?

なんでかわからんが、携帯がつながるようになったことはこれでわかった。でも、こちらの声はあちらへ行くのだろうか?

家の固定電話にかけてみる。The Band を流しているパソコンのそばに携帯を置き、隣の部屋で子機を耳にあてる。受話器から流れる The Band のメロディ。お~、聞こえる聞こえる、つながっちょる。

しかし、117と、このひとり実験で「ぼくの携帯 ←→ 固定電話」がOKだということは確認できるけど、「ぼくの携帯 ←→ 第三者の携帯」が復旧したのかはわからない。で、申し訳ないけど、さっきかけてくれた方へメールでお願い。

「携帯、いつの間にやら直ったみたいです。確認したいからかけてみてくれます? お忙しいところ、すみません」

しばらくして、携帯に着信。おぉ、今度は相手の声がキチンと聞こえるではないか。こちらの声もちゃんとあちらへ届いてる。これで「ぼくの携帯 ←→ 第三者の携帯」も復活したことが確認できた。

でも、なんだったんだろう? マニュアルをめくってみてもわからない。う~ん・・と、考えてもわかるはずもないことをしばし思い悩んでふと気づいたら、午後の1時を回っていた。あぁ、非クリエイティブな半日だったわぁ。


「電話をかけてみて」との妙ちくりんなお願いに応えてくれた方、ありがとうございます。おかげさまで無事に復旧いたしましたです。




さむ。。。

携帯のバッテリーがへたってきた。通話を繰り返すと一日ともたない。ビルの地下の駐車場から大切な電話をし、必要なメールを打って、さぁ、送信!と思ったら、携帯が身震いし、ドス赤い(って言葉、あるのかな?)文字で「充電してください」と出た。

やば。メールが出せないじゃん。

家電量販店へと走り、¥100也で携帯を充電。20分間で、しばらくの間は困らないだけの電気が貯まるらしい。

この携帯を使い始めてから15ヵ月。「やっぱりな」ってな感じ。充電池って消耗品だってことはわかるけど、一年か一年半くらいしかもたないように設計されてるような気がしてる。ピッチの時代を含めるともう何台めか忘れたけど、機種を換えるきっかけはいつもバッテリー。

今回も、そろそろかなぁ。

充電を待つ間、そう思いながら携帯売り場をうろうろ。
ふと目についたのが、

 これ → M702iS

売り場でこの機種の存在を知ったのだけど、去年の12月に発売された、結構新しいもの。イメージ・キャラクターがベッカムさんだった。

ぼくは、ずっとキャリアは Docomo 、メーカーは SONY 。別に sony 信奉者じゃなくて、最初に選んだのがたまたま sony だった。メーカーを変えると操作も変わるのでイヤなのだ。新たに覚える気がしない。

が、上にあげた「これ」を手にしたとき、「あ、これもいいかな」と思ってしまった。で、速攻、機種変更。選んだ色は黒。15ヵ月の間を共に過ごした携帯は、充電を終え、腹六部目になったところでお役ご免となった。ご苦労さまでした。

で、メーカーが sony から Motorola に変わったので、操作もど~んと変更。。。。めんどうだわぁ、やっぱり。マニュアルのたぐいだけで、メインのものを含めて7冊もあるのだぁ。

全部読む人間なんているわきゃないじゃんとは思うけれど、昔、パソコンソフトのマニュアル製作に参加したことのあるぼくは「こんなもの、いらん」とは言い切れない。漏れなく記してないとユーザーに叱られてしまうっていう怖さ、情けなさってのがあるからねぇ。

でも、やっぱり読めない。メインのマニュアルも、文字で追うとなにをどうすればいいのか、さっぱりわからん。触って、使ってみて、体で覚えないとやっぱりダメよね。

そう思って、きのうの夜から携帯三昧。肩がこる。

きょうも朝から、机の上の固定電話から携帯にかけてみたり、その逆をやってみたり。パソコンからメールを出してみたり、その逆をやってみたり。平日だもの、携帯を始動するのに付き合ってよと言えるヒマな人などいないから。孤独な作業だわぁ。

あれこれいじりすぎたせいだろうか、昨夜一晩、満充電したはずのおニュー携帯のバッテリーが夕方前にプッツン。エネルギー以上の仕事をさせちゃイカンのだね。

ごめんなさ~い。

で、ただいま、コンセントとつないでお食事中。早く現場に復帰してね。



いつも買い物をするスーパー。
棚の前で話をしている親子らしき女性ふたり。

50代前半とおぼしき母が、

「きょうも、一個もないやん」

20代半ばのように思われる娘が、

「ほんなこて~。信じられんね」

で、ふたりの会話。

母「みんな真面目に毎日二個ずつ食べよんしゃるっちゃろね」

娘「そうやろか。あれ、ほんとに効くと?」

母「テレビで言いよったけん、効くっちゃなかとね」

娘「どうやろ。だいたい、納豆食べるくらいで痩せるんやったら、あたし、とっくにスマートになっちょうばい」

母「そやね」

娘「みんな、ちょっとおかしいっちゃないと」


そうなんですよ、娘さん。あなたがおっしゃる通り、ぼくら視聴者、みんなおかしいんです。

行きつけのスーパーには、きのうもきょうも、納豆が一個もない。見事に売り切れ。いつもは数種類の納豆が置かれている棚はからっぽで、「○○(TV番組名)で紹介されたため、納豆が今、品薄となっています。皆様には大変ご迷惑をおかけします」旨を記した紙が張ってある。

テレビの情報番組で「ダイエットに効く」と紹介されてだけで、このありさま。番組の関係者はさぞかし喜んでいることだろう。紹介した商品の売れ行きを飛躍的にアップさせたということは、番組にそれだけの影響力があると考えるだろうから。

それにしても、視聴者はすぐ踊る。それが、新しく確実な情報を意識的に自ら探し、その上で自ら「踊って」いるのか、流れ出る未確認情報に無自覚に接することで情報源に「踊らされて」いるのかは知らないが、ちょっと踊り過ぎ。

今回の出来事はその対象が「納豆」というごく身近なものだし、納豆は元々体にいいと言われているので、「痩せる」という情報に接した人が「じゃ、やってみよう」と実行に移しやすい面はある。

でも、やっぱり踊り過ぎだと思う。

ぼくは当該の番組を見てない。漏れ聞くに「納豆を、朝と夜、一個ずつ食べるとみるみる痩せる」的な内容だったとか。ここ20年ほど、ぼくは毎晩、納豆を食べているけど、別に痩せない。上にあげた娘さんの言葉じゃないが、納豆で痩せるならぼくはとっくにスマートになっていると思うのだけど。

「一個じゃ効果はないんですよ。二個じゃないとダメなのよ」

なんてこたぁ、ないだろう。
どう考えたって“いいかげん”。この言葉が悪ければ“誇大表現”だ。





当該の番組はその情報の確かさを疑問視されている。幻泉館主人さんのところで知ったのだけど、その検証の不正確さを指摘する本も出版されていた。

番組をはかる“ものさし”が“視聴率”しかない現状では、テレビ局はその数字を元に営業をするしかないし、数字を上げるためには視聴者にまんべんなく見てもらう必要をせまられる。

“ドッキリ”させないと視聴者はこっちを見てくれないし、“ウッソぉ、ホントぉ?”レベルの綱渡りをしないと「量」を稼げない。「量」を稼げない番組はあっさり打ち切られる。打ち切られた番組のプロデューサーやディレクターなどは、社内を胸張って歩けない。それが続くと配置換えか、窓際へ。キー局の制作現場は精神的にもギリギリだろうな。

だから、「おもしろければいいのさ」ってか? そりゃぁないだろう。そう言っていいのは視聴者で、番組を作る側はそう思っちゃまずいんじゃないかな。「視聴率戦争の現場を知らないお前は甘い」って言われるだろうけどさ。





きのう、ある本を読んでたら、こんな一文が。

「無料放送(民間放送のこと)は番組の質の評価は反映されず、むしろ誰でも漫然と長時間見られる内容の薄い番組の視聴率が高くなる」

ムムム・・・制作現場も、視聴者も、そろってバカにされてるような内容だけど、これが事実なんだろなぁ。

こんな一文も。

「(真の競争原理が働いていない)現在の日本のテレビ番組は、NHK・民放を問わず、国際的な水準に達していない」

「日本では、民放の番組の質が低いため、NHKの番組は相対的に高く評価されているが、世界的にみると、NHKの番組は欧米にまったく輸出できない」

日本の番組を海外に出すことが難しいのは「日本語」という言葉の問題じゃない。アニメやある種の料理番組などは世界の多くの国で引く手あまただそうだ。結局、番組の「質」が問題なんだな。

この文を書いた人は元NHKの職員で、現在は大学の先生だ。制作の現場を体験した人かどうかは知らないが、テレビの世界にいた人にこうまで言われても「そんなことはない」と言い切れないのが情けない。





あいまいな情報に踊らないようにしないとなぁ。

でも、上にあげた母娘の会話を後ろで聞いてて面白いなぁと思ったのは、ダイエットにより興味を持っていそうな娘さんの方が、番組の情報に懐疑的だったこと。

「納豆食べるくらいで痩せるんやったら、あたし、とっくにスマートになっちょうばい」

おっしゃる通りでございます。

不二家の社長さんは辞任するそうだ。誰にも実害が出ていない現状で、かつ法的にも違反しているかどうか定かでない中の引責辞任ってのも奇妙だと思わなくもないけど、社内倫理のルーズさを示す事例がこんなにズルズルと出てくると、創業者のお孫さんも身をかわしきれなかったんだろう。

個人としての社長さんはお気の毒とは思うし、辞めればいいってもんでもない。これで「責任をとった」と思ってしまうぼくら消費者もルーズで甘い。

しかし、この事件が表に出てきた経緯は、どうもムカつく。

問題が明るみに出た当初、不二家は「再雇用したパートの判断が甘かった」と公表した。社員ではなく、臨時雇用の人間が過ちを犯したと記者会見を通じ、世の中に発表したのだ。そう言った担当者は「パートのモラルが低かった。社員はキチンとしてるよ」と言わんばかりの口調と表情で、ぼくはその記者会見をテレビで見たときに「あ、ウソだな」と思った。

あとで知ったことだけど、この問題自体、臨時雇用の人による内部告発から明るみに出たという。それに対し、調査した会社側は表沙汰になると「雪印の二の舞になる」とした。公表すべきだとした幹部はひとりもいなかったそうだ。それが昨年の11月。隠蔽と言われても申し開きはできないだろう。

そして、期限切れの牛乳その他の原料を使用する命令を下したのは上司で、担当者から工場長までその事実を知っていた工場もあると今朝の新聞では報道されている。なんのことはない。モラルが低下していたのは社員であり、それを組織している会社じゃないか。内部告発した臨時雇用者がいなければ「いいよいいよ、このままで」状態がずっと続いていただろう。

なにか事があると企業は社員を守ろうとする。それは当然なのだろう。「社員」なのだから。しかし、企業が行っている経済活動の多くの部分はパートや契約社員などが担っている。賃金を低く抑えられ、しかし、仕事の内容は社員と同じ。そうした多くの人がいるから、世の中はキチンと回るのだ。

それを、不祥事だからパートに責任を押しつけちゃえとする企業体質。信じられないね。でも、決してまれな例じゃないだろう。

最初に記者会見した担当者の表情を思い出すにつけ、「臨時雇用者をナメんじゃないよ!」って、思ってしまうのだ。「社員よ、しっかりしろよ!」ともね。

雇用主・企業体から手厚く保護され、安穏としていられる特権を持つ「社員」は、自らの組織を守るということがどういうことかを考える責任も負う。その重い責任があればこそ、組織員たり得る。既得権を後生大事に抱き締め、言われたことだけを盲目的にやり続けるだけじゃ、組織にとってもマイナスにしかならない。

「社員」こそ、ときには我が身を斬って悪い血を流すことも必要なのだ。保身ばかりじゃなくてね。



お年玉付き年賀状の当選番号が発表に。

毎年、当たるのは切手シートくらい。でも、おととし、当選した年賀状や書き損じなどで引き替えた切手がまだ余ってる。

ちょっとした用事や急ぎの知らせなどはメールで済ますし、年賀状以外に季節の挨拶もしないので、切手を使う機会がないものなぁ。だから、昨年は当選した年賀状を郵便局に持って行くことさえしなかった。

当選番号が発表になって気づいたけど、お年玉の景品がいつの間にやら三等までになってる。昔は六等とか七等とかまでなかったかしらん? 上昇したとは言えど実感できない景気のせいかな? 年賀状を出す人が少なくなったから予算がない? それとも、引き替え処理が面倒だから?

遠い昔に便せんと封筒のセットが当たったっけ。あれは四等だったような気がするなぁ。

と、番号を照合してびっくり! 二等が当たっちょる!!

今年の二等は「地域の特産小包(一個)」だそうな。ネットでちょっと見てみたら、和牛からカニにエビ、そして新米・・いろいろあるじゃん。

 → 平成19年お年玉賞品2等「地域の特産品小包」

やりぃ!!!

ラッキーな年賀状をくださったのは仕事先の某局、某部長さんだった。
ありがとうございますっ! さっそく引き替えて、おいしくいただきま~す。


ちょっぴり幸せ。
今年はいいこと、ありそうだなぁ。



今、8時15分。日がのぼってから1時間ちょっと。空気がじんわり緩んできた。

今朝は冷えた。6時半頃、外に出たら、一面の霜。周囲が白い。

← 車は窓もボンネットも真っ白けの氷づけ。乗り込むと、ウヒ~、こりゃ冷蔵庫ぉ。

九州北部でこれだもの。雪国は大変だろうなぁ。

日が落ちると冷えてきた。明朝は放射冷却現象で零度を下回るとか。

おい、あしたは冷えるらしいぞ。

と言えども、我もの顔でストーブ前に陣取っているネコ助は、

「平気だよ~ん」

フトンに入れてやらんど。


空は青く澄み、雲は白くたたずむ。はぁ~、いい天気。

きのうまでの霜が降りるほどの冷たさはどこへやら。車の中にいると窓越しの陽射しは暑いほど。

はぁ、イナカはいいね。ゆったり、のんびり、まったりしよう。

きょうもまた冷える。

コタツに向かって本を読んでいると、寒さに負けたネコ助が押し入れから出てきて膝の上へ。体重3キロほどもないくせに、じんわりだんだん重くなる。

足がしびれてきた。
そろそろどいてもらおうと見たら、こんな格好で、ジッとこちらを見上げてた。


大リーグボール2じっ・・・。

お前、なに見てんねん?


大リーグボール「大リーグボール、どう?」


遠慮しまっさ。どいてんか。


大リーグボール3「しゃなぁい。あらよっ、と」


うぅ、足に余韻が、じぃ~ん・・・。

ぃぃぃぃぃぃ~ん・・・と残るしびれを感じつつ本を読み進め、ふと気がつくと、ネコ助が行き倒れてた。


眠りんこ
すやり・・。



お幸せね。



外は冷たい風が吹くけど、南向きの窓からは太陽ポカポカ、心地いい。

コタツに向かって本を読んでいたはずが、コックリコックリ船を漕ぐ。

首がカックン、目が覚めた。向こうの世界に行きそうだった。

隣でネコ助ぐっすり。
行ってるね?

ここ数日、冷える。

コタツに足を突っ込んでいると膝にネコ助が這い入って、「こうやるんだよ」と背を丸めてみせる。

首からお尻へ、絶妙な丸まり。さすが上手いな~。

マネできまへん。

新しい年も九日目。そろそろ年賀状の時期も終わりかな。
住所録の整理でもするかなぁ。


何年か前までは毎年のように居所が変わる友人・知人が多かったのだけど、最近は「引っ越しました」という人が少ない。転勤が続き、毎年のように住所が変わっていた友人も、家を購入して定住したようだ。自分が根を張る場所を見つけたということかな。

デラシネ・・根無し草・・という言葉が魅惑的な響きを持っていた人生の時節は過ぎ去ったということかなぁ。

『デラシネの旗』って小説があったっけ。五木寛之さんだったろうか。読んだはずだけど、なんにも、まったく覚えてないや。この小説には、ぼくの心に食い込む何物もなかったってことかしらん。いやいや、こちらの感受性が鈍かっただけなのかも。


アタマの中身はゆ~らゆら、デラシネのまんまのような気がするんだけどな。


夕方、「あて所に尋ねあたりません」のハンコを押されて戻ってきたものを含め、10通ほどの年賀状が届いた。パラパラと、まだやってきそうだ。住所録整理、もうしばらく待とうかな。




さてさて、茹でた豚肉も十分冷えた。
スライスしてフライパンで焼く。

「スーチカー」、完成間近っ!

と、思えど、but・・・しかし。

うぅ、脂ですべって、スライスするのがむずかしかぁ。
厚さ6、7ミリと書いてあったけど
これがなかなかむずかしい。
包丁も、よ~と切れんし。

道は遠かばい。

なんとか数枚に切り分けて、さ、フライパンフライパン。

あっ!

うちにはフライパンがないのだったっ!!

仕方がないので中華鍋。
「油を使わずに」というアドバイス通り
スライスした豚肉をそのまま焼く。

すると、う~ん、脂が焼けるいい匂い。

沖縄の味、「スーチカー」の
スーチカー
でっきあがり~っ!

ちょっと焼きすぎたかな?
ま、いっか。

うまか~。
メシが進む。カラダが横に成長する。
こりゃ、まずい。

でも、マジ、うまかぁ。

豚肉のブロックは、もうひとつ。
ちょっと塩辛かったから
もう一度塩抜きしてからいただきましょう。


ごちそうさまでしたぁ。



1時間15分の入浴を経て、すっかりきれいになりました。

真冬なのに、あぁ、あつい。湯気がほかほか上がるわぁ。

お皿をベッドに、ほてった体をしばし冷ましましょ。

年始にいただき、自然塩の揺りかごに包まれ、冷蔵庫で五日間を過ごした豚肉嬢たち。

正月気分を振り切るように揺りかごを出て、「スーチカー」へと生まれ変わるべく、湯船で1時間ほどゆらゆら中。

きれいになれよぉ。


ほたっちょけ ~元総長のふれ愛義塾~

明日、1月8日の放送は
下記の通りです。

*山形放送 1月8日(月) 10:25 ~ 11:20
*福島テレビ 1月8日(月) 10:00 ~ 10:55
*日本海テレビ 1月8日(月) 9:55 ~ 10:50
*山口放送 1月8日(月) 9:55 ~ 10:50
*長崎放送 1月8日(月) 5:00 ~ 5:55



ご高覧いただけると幸いです。


“ほたっちょけ”掲示板

番組をご覧いただいた方たちの
書き込みもあります。

ご一読を。




ぼくはキリスト教徒ではないけれど
聖書が結構好きだったりする。

旧約聖書は
物語としてもおもしろいし
新約聖書では
キリストさんのあら探しを
してもおもしろい。

不遜かなぁ。

学生時代に買った新約聖書の文庫本。
数年ごとに読み返してきた。
裏表紙の見開きには
読んだ日付が書き込んである。

きょう。
本棚にあったその文庫本が
ふと目にとまる。

ずいぶん読んでないなぁ。

手にとって、書き込みを見たら
「 921028 ~ 」と書いてある。
1992年10月28日から読み出して、そのまま。

あらら。
中断してから14年以上たってるわぁ。

で、ひさ~しぶりに読み始める。

印象的な言葉が並ぶけど
目に残り、心に響くのは
やっぱり今の自分に都合のいい言葉。

たとえば、こんな。


明日のことを思ひ煩ふな。
明日は明日みづから思ひ煩はん。
一日の苦勞は一日にて足れり。

- マタイ伝 6章 34節 -


ぼくの文庫は口語訳だけど
なんとなく重みがないので
文語で書いてみた。

明日は明日みづから思ひ煩はん。

う~む、荘重じゃ。

でも、ぼくが勝手に口語訳をすると
こんな感じかな。


あしたのことを
きょう、心配したってしゃぁないじゃん。
あしたはあしたの風が吹く。
きょうはきょうの苦労だけで十分さ。



前後の文章を無視すると
真の意味が歪曲されているような。

ま、いっか。

きょう、直面した出来事に
向かい合えばいい。
それ以上を期待するのは
ムリってことさね。

朝は夜よりも賢い。
あしたのことは、あした考えよ。




ほたっちょけ ~元総長のふれ愛義塾~

明日、1月7日の放送は
下記の通りです。

*北海道放送 1月 7日(日) AM 5:30 ~ 6:25
*岩手放送 1月 7日(日) AM 5:45 ~ 6:40
*東北放送 1月 7日(日) AM 5:05 ~ 6:00
*北陸放送 1月 7日(日) AM 5:00 ~ 5:55
*信越放送 1月 7日(日) AM 5:30 ~ 6:25
*テレビ朝日 1月 7日(日) AM 4:55 ~ 5:50
*静岡放送 1月 7日(日) AM 4:50 ~ 5:45
*朝日放送 1月 7日(日) AM 4:55 ~ 5:50
*山陰放送 1月 7日(日) AM 5:35 ~ 6:30
*中国放送 1月 7日(日) AM 5:20 ~ 6:15
*西日本放送 1月 7日(日) AM 5:05 ~ 6:00
*RKB毎日放送 1月 7日(日) AM10:30 ~ 11:25
*大分放送 1月 7日(日) AM 5:50 ~ 6:45
*熊本放送 1月 7日(日) AM 5:30 ~ 6:25
*宮崎放送 1月 7日(日) AM 5:05 ~ 6:00
*南日本放送 1月 7日(日) AM 5:05 ~ 6:00
*沖縄テレビ 1月 7日(日) AM 5:00 ~ 5:55



RKB毎日放送以外は
早朝勤行するお坊さん並の早起きな方でなければ
「見てください」とはお願いし難い時間ですが
ご高覧いただけると幸いです。



歯科医を目指す浪人生の兄が、女優を目指す妹を殺めた。

朝のワイドショーなどでは、なにがどうしてどうなったやら、ちっとも確証のないままに“○○らしい”レポートのオンパレード。聞くたびに気分が滅入る。「だったらワイドショーなんか見るなよ」っていうむきもあるだろうけど、事件そのものには多少の興味はあるのだった。

祖父が歯科医。父も歯科医。そして、兄も歯科医間近。そんな、歯科医に染まった家に生まれたら、ぼくも「歯医者になろう」と思ったろうか?

思っただろうな、きっと。そして、自分で自分をがんじがらめにしていたかもしれないな。

高校時代の知人に歯科医の息子と生まれた双子がいたけど、ふたりはそろって浪人を経て、そろって仲良く歯科医となった。どちらが家の歯科医院を継いだかは知らないけれど、親のあとを継ぐってのはあたかも当たり前のように、平成も19年目となった現在でさえ、誰もが思っている。だから、「他にも道はあるだろう」って軽々しく言うことはできないな。

でも、やっぱりね、他にも道はあるんだよ。

親の期待に見事応えた兄と、我が道を切り開いていくように見える妹。そのふたりにはさまれた、アイデンティティを見いだせない宙ぶらりんの自分。それに気づいてもどうしようもなく自分自身を追い込んで行く。つらいよね。

歯科医を目指しているのは自分の意志だとか。ならば、受験の関門は越えざるを得ないし、その目標へ歩む限り、他の道は見えてこないね。

でも、他にも道はあるんだよ、やっぱりさ。

悩みのさなかにいるときには、他人の言葉は素直に耳には入らない。アドバイスは高所からの忠告に聞こえるし。

朝日新聞は先日まで「いじめ」に関する有識者の言葉を連載していた。いろんな人が自分の経験を話したり、よかれと考えることを記したりしていたけれど、「みんな成功者の言葉に過ぎない」という読者からの意見もあったという。

ぼくもその意見に近い。悩みのどん詰まりにいるときに、こうした言葉は心に響くんだろうか?

ぼくも若いころ、誰の言うことにも耳を貸すか!と思っていた時期があった(らしい)。どんなアドバイスや意見も“言える立場にいるから言えるんだ”としか思えなかった。言えない立場にいる人はどう言うだろう? そう考えると“言える立場”の人の言葉もむなしく空回り。白々しくさえ思えてしまってしょうがない。そんな時期が確かにあった。

「夢を持て」とかさ。少年よ、大志をいだけってか? 軽く言うなよ。

いだけないから、悩んでいるのに。いだけないから、辛いのに。「夢を持て」なんて言えるヤツらって、持てない痛みを知らないんだな。

そんな風に思っていたから、自分の未来に期待をいだけない若い人たちに言う言葉をぼくは知らない。

でも、これだけは言える。

他にも道はあるんだよ。道はひとつだけじゃないんだから。



朝の4時台というのは深夜かな? いんや、早朝だろう。
でも、テレビの世界は午前4時とは言わず、28時と言ってみたりする。
そんな時間、ね~だろう。

そんな時間でも、流れる番組はある。
そして、スタッフは、スポンサーもつかないそんな番組に、結構、心血そそいでたりする。

あす6日から12日までの間に、全国の民放で、てんでバラバラにオンエアされる番組がある。

このページのどアタマで紹介している『 ほたっちょけ ~元総長のふれ愛義塾~ 』。

番組の流れの不出来なところや焦点の絞り切れなさなどが確かにあって、構成係として慚愧に堪えないけれど、それは棚にあげさせてもらって、とにかく見てもらいたい。

今、若い子たちはどんな状況にあるのか。
その戸惑いが見える。

その戸惑いを受けとめるにはどうすればいいのか。
その手がかりが見える。


あす、1月6日早朝(5日の深々深夜)にオンエアする局と時間は下記の通り。

*名古屋テレビ 1月 6日(土) AM 4:55 ~ 5:50
*琉球放送 1月 6日(土) AM 5:20 ~ 6:15


こんな放送時間の番組を「ぜひ見てください」とはとてもじゃありませんが言えません。録画をセットする手間をおかけしますが、そのお時間を割き、見ていただけると幸いです。





人生で出くわすすべての体験をしていなければ他人を指導できないとすれば、人を導く教師という職業が務まる人間などこの世にはいないし、それを期待するのは無謀というものだ。

しかし、惑う若い子たちが共感し、心を寄せるオトナは確かにいる。

それは、同じように惑い、悩み、苦しみ、みっともない自分を疎んじ、自らでありたくないと渇望した経験を持ち、そして、そのことを隠すことのない人間じゃないかと思う。

この番組に登場する塾の主催者は、そんな人。
その人のまわりに、惑い、居場所を求める若い子たちは集まる。

そんな事実があることを知るだけでも、見てもらう価値はある。
そう、思います。


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