番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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大晦日も少しずつふけていく。

強かった風も少しおとなしくなったかな? いやいや、まだまだ電線が凍えるような声をあげていてる。寒いまま、新しい年へ突入かな。

コタツにストーブで暖まりながらテレビをザッピング。紅白をはじめ、生放送はいつになく間をのばす場面が多い。いかにトークのプロ・鶴瓶師匠でも終わりが見えない時間をつなぐのは辛そうだ。話す相手は芸能人とはいえトークは素人だからなぁ。

今、ZARDの坂井さんが歌ってる。ぼくはまったくファンじゃないけれど、名前が同じだからかなぁ、坂井さんが亡くなった時はなんだか泣けた。人生は長ければいいわけじゃないけれど、短いよりはいいだろう。

でも、人の人生をその長さではかるのも失礼かな。年齢なんて自分で言わない限りわからないし、墓石に刻まれるくらいの意味しかないのかもしれないな。

ネコ助は目を覚まし、二階建の我が家でのんびりまったり。どうやら一階よりも二階の方がお気に入り。

昔、かぐや姫のアルバムに「三階建の詩」っていうのがあったっけ。ぼくも持っていたけど、タイトルにはどんな意味が込められていたんだろう?

なんだか眠たくなって来たなぁ。新しい年まで起きていられるかな。
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大晦日。
寒い。

朝から風が強く、時おり雪も舞う。うぅ、ブルブル。午前中に外出する際にはフリースを重ね着。当たり前の冬に戻っただけなんだろうけど、暖かさになまった体にはこたえるなぁ。

昼過ぎには年賀状作り。大晦日にようやく年賀状を購入して、あたふたと文面&デザインを考える。北向き、板張りの部屋は冷える。あ~、もっと前にやっとけば良かったぁ。

ま、毎年、同じことを繰り返しているのだけれど…。年賀状は元旦についた方が嬉しいもの。でも、年賀状元旦到着の目標は今回も達成できなかった。なんとなく申しわけない。

年賀状作りをひとまず終えてコタツでゴロゴロしていたら、臨県のディレクター氏からメール。見ると「取材終了」とある。そうか、彼は大晦日の今日も早朝から取材だったっけ。

雪の舞う中、お疲れさまでした。

休日や年末年始などには関係ない職業とは言え、年末ギリギリまでや正月早々から仕事の連中が多い。昨日、打合せする予定だった別のディレクター氏は前日遅くまでのロケがたたったか風邪でダウン。座薬を入れても高熱がひかずに、結局打合せは出来なかった。

体あってのものだね。短い休みでも、せめて身体を休めてください。


夕方になってますます冷えて来た。コタツにもぐり込み、う~ん、年の瀬らしいぞぉ。

今年もたくさんの人に出会い、いろんな仕事をし、楽しい時を過ごせた。名残惜しく振り返ることが出来る時があるのはとても嬉しいことだ。

コタツでうつらうつらしながら、物思いにふける。ネコ助はとっくにぐっすり。

大晦日は夜へと突入だ。

雪混じりの激しい雨に強い風。きのうは17度くらいあったのに、きょうは一気に10度以上下がって、おぉ、やっぱり冬じゃあ~!という日より。

雨の中、ゆるゆる運転しつつ打合せへ。局に着く直前に「一時間、遅らせてください」とディレクター氏から電話。あらら、ご都合悪くなったかな?

遅らせるのはOKだけど、一時間の余裕をみてきたので、二時間待つことに。雨風の中をうろつきたくないし、どこで時間をつぶすかなぁ? マクドナルドか、タリーズくらいしかないのだが…。

どうしようかな…すんごい風だこと…迷子のドライブでもするかなぁ…などと局の駐車場に停めた車の中でぼんやり考えつつ想像にふけってたら、あっさり30分たってしまった。

いかんいかん、時は金なり。どっかでお茶しつつ、資料でも読もうっと。

隣の県庁所在地へ打合せ。すでに冬休みに入っているというディレクター氏、会議室に紙包みを持参して現れた。「お年賀」のワインだった。

このディレクター氏、本人が酒呑みのせいか、義理固いのか、以前は日本酒一升瓶をお中元におくってくれた。

ありがたや~。でも、あまり気になさらないでくださ~い。

で、打合せのあと、ディレクターと一緒に山合いの蕎麦屋へ。

車で山へ向かい30分ほど走ること霧が出てきた。冬になると雪が数十センチも積もることがあるという山里のふところにソッと建つ店。

この蕎麦屋がうまいっ! この秋に収穫した新蕎麦で打った蕎麦の香りのいいこと。大盛りをペロリ。もっと食いた~い。蕎麦湯がまたうまい。ツユと蕎麦湯をおかわりしたのは初めてだぁ。

さらに、蕎麦のガレットまで登場。うぅ、腹いっぱい。

うまさに感激して、蕎麦の写真を撮るのを忘れてた…。

んで、外観の写真のみ。
ますます濃くなる霧の中、次々とお客さんが来るのだった。

しかし、霧深い。山に入ると迷子になること請け合いだな。

体調を崩して十日間ほど寝込んだり、南の島や南の街への巡業続きでネットにつながるパソコンに向かえなかったりと、あれやこれやの言い訳ながら、書き込みいただいた方々にはタイムリーなお返事ができませんでした。

皆さまに謝罪いたします。
申し訳ありません。

なんて、まとめて陳謝するのも失礼ですけど、ご容赦を。


今年もあと一週間ですね・・・などと感慨にふける情緒を欠いているぼくなので、クリスマスイブもコタツでゴロゴロ。


時間があくと、怠惰なオヤジ化。
イカンな…。

次の番組制作に参加しました。

消したい過去、消せない真実
~ 文科省 疑惑の教科書検定 ~


制作:QAB琉球朝日放送

放送日時:12月22日(土)午前10時25分~11時20分

詳しい内容は → こちら





今年の3月、文科省は教科書検定における検定意見書で
沖縄戦における「集団自決/強制集団死」の記述を
変更するように意見をつけました。

「集団自決」から日本軍の関わりを薄めるようにというのです。

文科省がその根拠としたのは
「最新の研究で日本軍からの命令は
なかったというのが定説となっている」
ということ。

その例として沖縄戦を研究する大学教授の著書をあげました。

文科省がその根拠としたのはこの著書の中の一文、
「隊長から自決せよという形の自決命令は
出されていないと考えられる」という部分。

しかし、大学教授はこの著書で
『「集団自決」は文字通りの自決ではなく、
日本軍による強制と誘導によるもの』と
結論づけているのです。

文科省はこの著書の中の、都合のいい部分だけを
意図的に取り上げ、教科書の記述を変える根拠としたのです。


もうひとつ、文科省が「集団自決」の記述を
変更する根拠としたものがあります。

それは日本軍の元隊長らが大江健三郎さんらを訴えた裁判。
元隊長は、自決命令を出していないにもかかわらず、
大江さんの『沖縄ノート』において自決命令を出したとされ、
名誉を毀損されたとしています。

この裁判はまだ何の判決も出ていません。
にも関わらず、文科省は元隊長側の言い分のみを取り上げ、
「集団自決」の記述変更の根拠としたのです。


文科省の説明には明確なウソがあることも発覚しました。
「集団自決」の記述変更に関しては
教科書審議会において専門家が議論を尽くした。
文科省はそう発表しています。
安倍前総理もそう発言しました。

しかし、教科書審議会で議論された事実はありませんでした。
審議会委員が「議論はされなかった」と
はっきり証言しているのです。

それでも、文科省は「審議会で議論した結果だ」と
言い続けています。


沖縄戦研究者の著書の一部分のみを恣意的に取り上げたり、
まだ判決も出ていない裁判を教科書変更の根拠としたり、
審議会で議論を尽くしたなどと虚偽の発表をしたり…、
なぜ今、文科省は、国は「集団自決」から
日本軍の関わりを消そうとするのでしょうか?
「集団自決」の生き残りの人たちや、遺族たち、目撃者など、
数多くの証言があるにもかかわらず…。


沖縄県史の第9巻10巻は戦争体験者の証言で埋まっています。
しかし、80年代のいわゆる「家永教科書裁判 第三次訴訟」で
国側はこう言い放ちました。

「沖縄県史は一級資料じゃない」

体験者の証言は信用できない。
日本軍の公文書でないと証拠とはならない。
それが国側の考え方。

それは「家永教科書裁判 第三次訴訟」から
四半世紀近く経った現在でも変わってはいません。

11万人以上を集めた9月29日の沖縄県民大会。
その総意として文科省に提出された検定意見撤回の申請は
渡海文科大臣によって明確に却下されました。

「集団自決」を生き残った人、遺族、関係者…。
そうした人たちの証言は、今回も無視されたのです。


なぜ、今、「集団自決」の記述を書き換えるのでしょう?

その裏側には、どのような思惑があるのでしょうか?





沖縄だけでオンエアされるのが惜しい番組内容です。

本来ならば、ジャーナリズムの一端を担っているはずの
放送局の責任として、キー局が予算を確保し、取材し、制作して、
ゴールデンと呼ばれる夜の時間帯に流すべき内容でしょう。

しかし、そうした動きは無いようです。

本土の関心はとても薄い。
ぼくは、そう感じています。

例えば、放送局。

沖縄から戻ったその日、
地元の局へ打合せに行った時のことです。
その局のディレクターがこう尋ねました。

「沖縄でどんな番組をやられたんですか?」

ぼくは答えました。

「教科書検定に関する番組です」

すると、ディレクターがこう返しました。

「教科書検定? ふ~ん」

これで終わりです。
ジャーナリズムであるはずの放送局、
そのディレクターにしてこの程度の反応なのです。
これは記者でも同様でしょう。


この番組は沖縄でオンエアされ、
そのまま局のライブラリーの棚へ置かれ、
忘れ去られるでしょう。

これでいいのかな?と思います。
この番組を見るべきは本土に住むぼくらです。

何らかの形で、他局でもオンエアされることを
望まずにはいられません。





海辺のスタジオでナレーションの収録。お馴染みのメリーゴーランドは変わらずきれい。しかし、人が乗っているところを見た記憶がないのだけれど、遊具として現役なのかしらん。

スタジオではナレーターに読みのキュー出し。1時間番組だけど、録り直したり、原稿の変更があったり、録り終わって原稿の間違いを見つけたりで、ナレーターが解放されたのはスタートから5時間後。お疲れさまでした。

機材が大事なスタジオは冷房が効いていて、どちらも女性のディレクターとナレーターはお腹や腰にぺったりホカロン。冷えますもんね、お気をつけて。

ナレーション収録完了の時点で、ぼくの役目は終了。文字スーパーを入れたりの仕上げはディレクター嬢にお任せ。他の仕事も抱えてて大変だけど、よろしく。

しかし、みんな身を粉にして良く働くなぁ、ほんと。体が資本という金言格言に気づいた時には遅かったてなことにはならないように、時にはムリヤリ休まなきゃね。

疲れる前に休むことに慣れきった怠惰なオジサンはかように思うのでした。

夕方のニュースを見ていたら、キャスターのきれいなお嬢さんが温度計片手に街へ出て「今の気温はなんと30度を超えてます!」とレポートしてた。

冬も暖かいのは南の島だから当たり前。しかし、真夏日っていうのはさすがに珍しいらしい。

師走もなかばのこの時期に半袖Tシャツ一枚でいいんだものなぁ。厚手の長袖Tシャツやトレーナーも持って来てるけど、着るチャンスがない。

昨日、ムリしてトレーナーを来て部屋を出た。局に着いたら汗みどろ。まだ誰も来ていない編集室で上半身裸になり、ハンドタオルを団扇がわりにあぢぢ。誰かに見られたら、ちょっと変態オヤジかも。

あ~、今日も暑そう…。何を来て行こうかなぁ。

おじゃましている某局の編集室の壁に貼ってあるジュゴンのポスター。三重県にある鳥羽水族館のセレナのアップ。

余計なお世話だと思うけど、ど~してこんな奇妙なカオなんだろ~?

なんだかぼんやりしているようで、その実、こちらの胸の内をみんな見通してるようで。

海に棲む哺乳類仲間のイルカは動きも機敏で見るからに賢そう。

一方、こちらジュゴンはゆったりまったり、泳ぎもまったり。良く言えば思慮深そうで、実は綿菓子のような脳みそをしていそうで。

でもきっと、ゆっくりゆっくり、深く深~く何かを考えてるに違いない。

で、ふと「なに考えてたんだっけ?………まぁ、いいや」を繰り返してるんだろうな。

来世はジュゴンってのもいいかもなぁ。

明け方の最低気温が3度。飛行機から降り立った南の島は23度。今年最後の南の島はいつものように穏やかだ。

でも、20度の温度差は…ジャケットを脱ぎ、トレーナーを脱いで、まだ暑い。この気温に慣れるには2、3日かかるな。

前回の南の島巡業から戻って三日目くらいから熱が出て、医者に処方してもらった抗生物質が体にあわず腹に来て、排泄するモノが液体化。熱は下がり、カゼは治っても腹は治らず、一日中「グルグルゴロゴロ」とうるさく自己主張。

痛くもなんともないのだけれど、食べてもあっさり出てしまうので、起き上がるとアタマもカラダもふ~らふら。結局、10日間も床の中で過ごしてしまった。これって、薬害かなぁ。

薬が腹に来て分かったこと、それは熱はガマン出来るがハラはダメってこと。熱をおして仕事はできなくないけれど、腹は辛抱がきかない。トイレから遠くに離れられないという理由で打合せキャンセルの電話をする情けなさ。もう体験したくないな~。

南の島での仕事の間、おなかがもちますように。
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