番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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ひさびさの青空。

ここしばらくは天気も悪く、気温も低く、暖冬から一転、真冬と化していて、仕事で訪ねていた南の街も明け方は零度を下回る寒さだった。

きょうも気温は低めだけど、車に差し込む陽射しは暖かい。

やっぱり青空はいいな。いつも通る道も衣替えしたように見えるから不思議。
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お隣の県へ特急で。
電車の旅はいくつになってもやっぱり楽しい。流れる車窓についつい顔が窓硝子にへばりつき、ハッ!オレはオトナだった!と我に返る。

返ってもへばりついてるけど。

車窓と同じくらいに楽しいのは駅弁。今日は定番の「かしわめし」。鶏のそぼろと玉子にノリ。ず~っと昔からそれだけだけど、うまいんだなぁこれが。しかし、量が足りんっ!

眠りこけないようにせねば…。これから行く仕事先は、2度も寝過ごして約束の時間に遅れた前科がある。用心、用心。
夕方、コタツでゴロゴロ。キー局のニュースを見る。政治や経済の出来事を軽いナレーションでコミカルにつないでいく。どの局のニュースにも多少なりともこうしたコーナーがある。

おもしろおかしくなくていいから、興味深いニュースを見たいんだけどな。

働くベースを東京から地方へ移したナレーターがいる。毎日、番組やニュースに限らずCMなどでもその声を聞かない日はないほどに売れっ子のナレーターが東京にサヨナラしたわけは、「どんな番組もおもしろおかしいナレーションを要求される」から。番組でもニュースでも同じようにコミカルな読みばかりで、仕事が面白くないのだそうだ。

そうだろうな。軽く、明るく、楽しく読むばっかりじゃぁね。自分なりに内容を把握し、声の強弱や高低を工夫して、さりげなく自分の個性を番組に織り込むからこそ、ナレーターとしての面白さや、やりがいがあるはずだし。

ナレーションは番組のトーンを決める。同じ内容でもナレーターがかわると雰囲気もガラリと変わる。だから、制作現場でナレーターに期待する部分はすごく大きい。うまい人が読むと番組がキリッと締まるし、その逆もまたしかり。

ナレーションにも流行りがある。ここ数年、男性ナレは田口トモロヲ風ばかり。それはナレーションを書く方にも責任はあるのだけど、紋切り型の語りばかりが画面から流れ出すととたんにイヤになる。

真似はやめようよ。

でも、見ている人に受けるという淡い、しかし強い期待があるから、そうしたナレーションになるんだものな。コミカルなナレーションも視聴者が望んでいるということなのかしらん。

困ったね…。
NHKの職員がインサイダー取引をしていたという。「特ダネ」をネタに、数十万を売り抜けていた。

思わず笑った。その額のチマチマさに。仲間の努力の結晶であろう特ダネで稼ごうとする輩はしょせんその程度なのだろうけれど。

橋本会長の記者会見でもちょっと吹き出してしまった。

報道に携わる者には強い倫理観が求められると橋本さんは言った。会長という立場としては、そう言わざるを得ない。しかし、入局の際、その人物の倫理観の高低をどのように量ったというのだろう。いやいや、どのように量れるというのだろう。今回、事件の主役となった人物という意味じゃなく、NHKだけでなく、報道に携わるすべての人という意味で。

倫理観とは期待値だ。量り、測ることは出来ない。個人に任せるしかない。

NHK職員の事件で許せないと感じるのは、仲間としてその頑張りを押しはかるべき努力の成果を姑息な小遣い稼ぎの手段としたこと。視聴者を裏切ったというのが一番大きいには違いない。しかし、働く仲間のがむしゃらな頑張りを無にするその思慮のなさが空しく、悔しい。

「働く仲間」なんて感覚、巨大な組織にはないんだろうな。いやいや、この言葉自体がもう死語なのかもしれない。

しかしね…、
仲間に敬意を払えない組織は、もう死んでるよ。
クレジットカードのポイントが貯まっていたので、加湿器+温度&湿度計と交換した。

ぼくは慢性扁桃炎と言われて久しく、空気が乾燥する冬は寝る時にはマスク着用するなど、結構用心してる。マスク無しだと朝起きた時、喉がガビガビに乾いてたりするし。

だもんで、加湿器などが届いた時は「ワ~イ」と思ったのだが、湿度計を見て「?」。部屋の湿度が70%もある。適度な湿度は65%前後らしいので、少々湿り過ぎ?

湿度は夜中も特に下がらない。体感湿度はかなり乾いてるのだけど、実際はしっとりしてるのかなぁ。必要なのは加湿器じゃなく除湿器?

新参の加湿器は届いた直後に試運転しただけで、以来一度も蒸気を吐き出していない。タンクには水が入ったままに、無用の長物になってしまうのかしらん。

もったいなや…。
テレビを見てると、時々「アナログ放送は2011年に終了します」というCMやCM内コメントなどが現れる。ようやく広報を始めたかという感じなのだが、こんな紋切り形の表現で視聴者にその意味が伝わるんだろうか?

テレビだけでなく、ビデオデッキもテレビ付きのカーオーディオも使えなくなる。まだまだ使える機器を捨ててゴミにするに忍びないという心ある人も否応なしにテレビを見ることができなくなる。

アナログ→デジタルは「国策」だけど、国民に不便と出費を強いるあまりに一方的な強権的方策。視聴者側は受像機を買い替えるしかないのだから。

デジタルのみになってしまう2011年7月が近づくに連れ混乱が広がるだろうなと思っていたら、総務省がこんなことを言い出した。

「今のままのテレビでも地デジが見られるための機器を至急開発し、5000円程度で販売する」

なんだかなぁ…。デジタル化の総本山が自らこんなことを発表していいんだろうか? 2011年7月に完全デジタル化するのはムリですと言ってるようにも感じるのだけど。

昨日まで映っていたテレビが今日は映らないという日にクレームが集中するのはテレビ局だろうから、局の人間は総務省のこの英断を歓迎しているかもしれないな。

しかし、消費者でもある視聴者を小馬鹿にしているような「国策」と「5000円機器」。デジタル波をアナログに変換するんだろうか? すでに販売しているチューナーとどこか違うのかな? でも、アンテナをかえないとデジタル波は受信できないんじゃないかな? その費用もかかるし、第一、デジタルに一本化するという国策に反する。

国民の同意をキチンと取らずに勝手に進め、行く末の不調が見え始めると小手先でかわそうとするこの体質。役人の皆さん、なんとかならんかしら?

我が家にはテレビが2台、ビデオデッキが4台、テレビ付カーオーディオが一式ある。どれも2011年までに都合良く故障したりしそうにない。これらをみんな捨て去り、地デジ対応にしなきゃアカンのかぁ。

もったいなや、もったいなや…。
南の街の空港ターミナルではギターの展示会が行われてた。新品のギターではなく、街の人たちが愛用したりコレクションしたりしているギターが持ち主のコメントとともに並んでた。

ギブソン、フェンダー、マーチン、グレッチ、リッケンバッカー…。いずれ劣らぬ名器逸品の傍らにソッと置いてあったのがこれ、オートハープ。胸に抱いて弦をはじく。

あるテレビ番組で今は亡き高田渡さんがこれを弾きながら歌っていたのを思い出す。あれは「すかんぽ」だったかなぁ。

使い込まれたオートハープ。これをつま弾く持ち主はどんな人なんだろう。渡さんのような、どこか世捨て人みたいなおじさんかしら?
南の街の空港ロビー。天井からさがる大きな垂れ幕には知事のかけ声が。

「どげんかせんといかん」

この言葉、はやったなぁ。ぼくが住む北部九州でも「どげんかせんと」という言い回しはあるのだけど、使った人と、使ったタイミングがここまで人気を呼んだのかな。

正月の特番には、また?とあきれるほどに東国原知事が顔を出していた。人気者の力を借りるのは番組作りの常だけど、局をかえても同じ顔に「どげんかせんといかん!」と言われると、見る前におなか一杯って感じになってしまう。

でも、宮崎県にとっては最高の宣伝マン。鳥インフルエンザなどの逆風も続くことなく、いつの間にか静まってしまった。

だけど、空港ロビーという県の玄関口にこの言葉ってのはどうかなぁ。意気込みは感じるけど、宮崎県ってどうかしたの?って思われてしまいそう。

どげん?
南の街の空港ロビーで見かけたブルーグラスを奏でる皆さん。どうやら素人さんらしいけど、なかなかにお上手。

ぼくはバンジョーの音が好きで、買おうかな…と結構真剣に考えたころがあった。こうして音を聞くと、あぁ、やっておいたらよかったなぁと思う。きっと部屋のすみでホコリをかぶるだけになっていたろうけど。

いいなぁ、バンジョー。マンドリンもフイドルも。でも、ブルーグラスの裏声はちょっとニガ手かな。
「春遠からじ」

そう題してこんな写真が送られて来た。大阪・北野天満宮の梅の花。

これから寒さ本番のはずなのに、あまりの陽気。あわてて蕾も開いてしまったのかな。

寒さが戻って、びっくりしませんように。
冬、真っただ中。でも、気候がヘン。仕事で来ている南の街は25℃以上の夏日。1月の夏日は39年ぶりのことだとか。平年よりも10℃も高い気温の中、ランチを食べに少し歩くと汗がにじむ。冬は冬らしくキーンと冷えてくれないと体も頭もボヤけるなぁ。

でも、寒ければ寒いでイヤだと感じるんだけど。ワガママである。

編集室はエアコンが効いて心地いい。おなかも一杯、あぁ眠い…。

編集中の居眠りを目撃されたことも2度3度。パソコンを使った編集になってから、どこがどんな風につながっているのか後ろで見ていてもわからないのでついついうとうと…なんて、言い訳にもならんな。

今日も睡魔に負けませんように。
世間の仕事始めはとっくに終わった。元旦から取材に出ている仲間もいる。しかし、ぼくの仕事始めは今日、新年十日から。

やるべきことはあったんだけど…。尻が焦げるまでは手をつけない悪癖は年があらたまってもそのままみたい。

いきなり焦ってる。自業自得。

がんばろ。
「功罪」なんて大げさだな。

オバマ旋風巻き起こるという大方の予想に反し、ヒラリーさんの首の差勝ち。面白いなぁ。

テレビ討論会で「あなたはあまり人気がないようですが…」と司会者に突っ込まれ、「傷つくわ」と答えた悲しげな表情が印象的だなぁと思っていたら、言葉に詰まって涙ぐむという、今までのヒラリーさんにはあるまじき人間味を見せ、ひょっとしたら…と思っていたら、10ポイントのビハインドを一日で挽回してしまった。

ヒラリーさん、ちょっと気の毒…といった選挙民の優しさが表れた結果かな。

情感溢れた表情が繰り返し繰り返しテレビで流されたことは、大きな追い風になったんだろう。これまで冷静→冷たいイメージで歩んで来たからこそ、そのギャップにみんなの心が動いたんだね。

その程度で、世界に平和も戦争ももたらすことができる大統領の候補者がコロリと変わるのかぁとも思うけど、ヒラリーさんだと女性初、オバマさんだとアフリカ系初、どちらでも興味深い。

アメリカの人たちの心の余裕にちょっぴりだけ期待しようかな。

しかし、ある番組のコメンテーターは画面に映ったヒラリーさんを「老けたねえ。これじゃあ…」と切って捨ててた。そりゃ、60にもなればシワも増えよう。ハイビジョンもこんな見方をされちゃぁまずいよね。

若くても、年寄りでもいい。年齢なんか関係ない。女性であれ男性であれ、子ブッシュでかき乱された世界を安らかにすべく力を尽くしてくれる人ならば。

しばらく注目しよ。
「企画が全然あがらないんですよ」

局で打合せ中の雑談で制作部長のA氏が愚痴った。ドキュメンタリー番組の企画を部員に募るのだけど、まったく出てこないんだそうだ。

ぼくは実際に見聞きした話をした。

ある局の、こちらも制作部長のB氏。年間の予算をやりくりし、年度の終わり近くに200万円(300万だったかもしれない)ほどのまとまった金額の余裕が出来た。B部長は部員を集めて言った。

「やりたい企画があったら、この貯金を好きに使っていいぞ」

これだけのまとまった額の予算を使えることはめったにない。でも、誰からも、何の企画も出なかったそうだ。

頭にきたB部長はその貯金を自らやりたかった企画の番組化につぎ込んだ。外部のライターを使い、外部の編集スタジオと編集マンを使い、録音スタジオを使って、貯金をすっきり使い切ってしまった。

「どこも同じなんですねぇ…」

企画が出ないとこぼしていたA部長は、ちょっとホッとしたような顔をした。

部長は部員の管理が本来の仕事。自ら番組作りの現場に踏み込むことは稀だし、B部長の“暴走”には多少の批判もあったらしい。しかし…、

「これだけの予算を使えるチャンスはほとんどあり得ないのに、言っても言っても誰も手を挙げないんだから。予算を使い切らずに余らせると、ただでさえ削られている制作費がますます抑えられてしまう。削られるくらいなら番組にした方がいい」

と、B部長。確かにその通りだと思う。

本当に企画があがらなくなってきている。企画を出すのはいつも同じディレクターという局も多い。他の連中は、忙しいのか、興味の範囲が狭いのか、問題意識が希薄なのか、それとも引き出しの中身がオソマツなのか?

企画と言っても、カッチリしたものである必要はない。自分が「面白いな」とか「変だな」とか感じたことを明らかにしてみたいという思いから始まる。結果的に番組にならないこともあるけど、踏み込んだ分、確実に引き出しの中身は充実する。

企画力って頭の良さとは関係ないように思う。世の中の動きや出来事、人々の生活に疑問や興味を持てるかどうかだし、それを伝えるために労を惜しまない根気があるかどうかだ。

それがお前にあるのか?と問われれば、はっきり言って「ない」。だからあまり強くは言えないのだけど、制作部員というのは企画を出すことこそが仕事。企画が通ったらやるべきことが増え、自分の首を絞めてしまうというジレンマもあるだろうけど、出す習慣をつけていないとイザいい話があったときに企画書が書けないというハメに陥ってしまう。

「結局、みんな、めんどくさいんですよね」

と言うA部長。今、進行中なのはA部長自身の企画で、ディレクターを務めるのも彼。こちらも部長自ら現場に出る。

ベテランが動くということは若い人たちのフィールドが狭くなるということ。

いいのかなぁ…?
朝6時。
目覚まし時計型のスピーカーにセットしたiPodが「 Style Council 」を奏で始める。

あぁ、起きなきゃ…。
今朝はそれほど寒くない。5、6度ってとこかしらん。

寝ぼけた頭がしゃっきりし始めるのは8時ころ。ちょうど「終わったよ、終わったよ、終わったよ~」と洗濯機が呼びつける。ぼくは洗濯がかなり好き。と言っても、洗うのは機械がやってくれるから、ぼくは干すだけだけど。遠い昔のように、タライの脇に座って洗濯板でゴシゴシやらなきゃいけないとしたら、きっとセンタク=キライだろうな。

濡れた洗濯物をローラーでしぼる洗濯機の登場は画期的だったなぁ。たぶん、ぼくは幼稚園児だ。いたずらしてはローラーに指を挟まれ、血マメを作ったことも。白物家電が三種の神器って言われたころかな。

冬らしからぬあたたかい陽射しに揺れる洗濯物の影をチラリと眺めつつ、昨年の領収書整理。月別日別に並べて台紙に貼って行く。毎年の作業だけど、これが鬼門。一枚一枚貼り続けるうちに、大げさではなく体調が悪くなって行く。頭は重く、目玉は乾き、胸やけがし始め…。あぁ、ダメだ。今日は3月分までで許してもらおう。

昼前。車で出かける。
あ、その前に年賀状を書く。新年も8日となって「明けましておめでとう」もないよなぁ…。サボってたわけじゃないんですけど、遅くなってごめんなさい。

車のガソリンメーターがチカチカ点滅。ガス欠近しを知らせてくれる。街のガソリンスタンドで満タンをお願い。ついでに洗車と車内の清掃もお願いした。このスタンド、とっても丁寧で、まるで新車のごとくピカピカにしてくれる。大晦日から元旦にかけてちらついた雪などでどこもかしこも小汚かった車が、顔が映り込むほどに磨きあげられるとなんとも感動。自分できれいにしろ!と言うむきもあろうが、このプロの仕事を見ると車も素人が撫でるより嬉しかろう。

洗車を終えて美しく変身した車でアップルストアへ。外れて飛んだキートップを直してもらいに。

アップルストアは明るく広くて気持ちいいのだけど、平日の昼前だからなのか、客より店員さんの方が多い。アンテナショップでもあるんだろうけど、大丈夫?って思ってしまう。

手持ちぶさたげなお兄さんに来店のワケを話すと、気軽にぼくのMacBookを抱えて店の奥へ入って行ったかと思うと、ものの5分で戻って来て、「はい、出来ました」。キートップを丸ごと取り替えてくれたそう。これでぼくのMacBookは「F」のキーだけ新品だ。修理代はサービス。ラッキー!

それから局を経由して図書館へ借りていた本を返却に。この図書館は一度に10冊2週間まで借りれるのだけど、年末年始にごっそり借りた人が多いのか、本を詰め込んだデイパックや手提げ袋を持つ人たちがカウンターにズラリ。テレビを見ずに読書三昧だったのかな? いいことだと思う。でも、仕事的には思いは少々複雑かな。

本を返して散髪屋さんへ。「よしなに、すっきりにしてください」と頼む。思えば、こうしてああして、○○みたいな髪型にしてと注文したことがない。いつもされるがまま。今日もすべてをゆだねていたら、頭を刈りあげ寸前のザンギリに、眉にはソリコミを入れられた。あのね、ヤンキーあんちゃんじゃないんだからぁ。

ま、髪も眉もまた伸びるからいいや。

散髪を終えたのが午後5時半過ぎ。家路の途中で牡蛎味噌ラーメン(プリプリの牡蛎が5個入り、美味!)を食べ、今はコタツでゴロゴロ。振り返ると今日は仕事を一秒もしていない。

ま、いっか、こんな日があっても。
あした、がんばろ。
今日は打合せ。相手は定年まで2年を切った報道マン。

自称「社内世捨て人」(意味がよくわからんけど)のこのオジサンがまた番組作りに熱く、「今の番組には作り手のハートが込もってない」と手厳しい。やっぱり「番組を作りたいから放送局に入った人」だからだろうか?

番組を作りたいから。

真実を伝えたいから。

声を出す仕事がしたいから。

そういう人が集まっているはずの放送局。でも、ベテランから見ると「○○したい」が足りないんだろうな。

無理もないかな…と思わせることがないでもない。番組制作のサイクルがどんどん早くなり、取材に1年2年とかけることが難しくなってきた。パソコンを使った編集が浸透し、編集期間もぐんと短くなった。あ~でもないこ~でもないと1、2ヶ月かけて編集に没頭したのはほんの10年ほど前のことなのに。試行錯誤をする余裕が消えている。

余裕がないのはディレクターや記者だけじゃない。以前は取材したテープを書き起こすカメラマンが何人もいた。テーマに対する自分の撮影にブレはないか、取材対象の言葉とカメラの寄り引きに違和感はないか、話の内容を理解しながらカメラをまわしているか…。誰のためでもない。すべては自分の感性を鍛えるためだった。

今では、自分が取材したテープを書き起こすカメラマンなど、見たことがない。カメラマンどころではないな。テープを起こさないディレクターさえ珍しくないもの。余裕がないんだな。

「オレらだって時間が余ってたわけやないぞ」

確かにそうだろう。自分が取材したテープを大切にしない。そんな風潮も定年間近なオジサンTVマンには許し難いことなのだ。

でもなぁ、制作現場で熱いのはどうして“ロートル”ばかりなんだろう? ロウソクの炎みたいに、消える前に燃え上がるってか? いやいや、定年後も嘱託として現場を引っ張るに違いない。

いなくならないで欲しいな…。

3時間くらいかけて、のんびり、ゆっくり、ズルズルと、休憩しながらまったりと、でも、結構本気で書いた日記がアップしたはずなのに消えている…。

ひぇ~、なんで~?!

と、嘆きつつ MacBook に当たり散らしていたら、「F/は」のキートップが外れて飛んだ。

あ~れ~、左手の人差し指を置くホームポジションのキーなのにぃ~。このキーがないとめちゃめちゃ打ちにくいっ!!

ピンセットがないので毛抜きを使って小さなキートップを元に戻そうとしたけど、どうやっても戻らない。精密にできているらしき接点部分に目を凝らすと、固定するために二つあるはずの小さなツメのひとつが欠けている。こりゃ、アカン。素人には直せない。

6日の日曜日から仕事始めとしたかったのに、その前日に壊れるとは…(でも、いい言い訳ができたわぃ。うひひ…)。で、月曜日に福岡・天神の Apple Store へ持ち込むハメに。

あぁ、めんどい…でも、近くに Apple Store があってよかった(けれど、車で1時間半くらいかかる)。なければ家電用品店を通しての修理になるから、2週間くらいかかるかもしれない。

持参すればすぐに直るであろうと自分を慰めていたら、机の脇に積んでいたCDの山に肘が“コンッ”と当たって、「あ、ヤバイっ!」…と思う間もなく、山は倒壊し、CDは机の上から床へと散乱。CDケース数枚バラバラ死体に。

CDケースって扱いにくくて壊れやすいからイヤだぁ~っ! でも、ラックから取り出しては元へ戻さず、どんどん積み上げて行ってた自分が悪いのよね。

皆さん、CDを積み上げるのは20枚までにしましょう。その倍、40枚だと雪崩が起きた時に致命傷となるようです。

で、どうしよう、この回復不能バラバラ状態CD群。
ケースを変えなきゃ仕方ないなぁ。

もう、パソコンいじりもやめて、じっとしてよ。


今日は仕事始め。ニュースでは晴れ着のお嬢さんたちか手を拍って新たな年の好景気を願う。

でも、株は大きく値を下げた。年明けの取引としては戦後最大の下げ幅だそうだ。こりゃ、大変!…なんだろうけど、ピンとこない。原油価格が1バレル100ドルを超えたというニュースの方が短刀直入で分かりやすいな、やっぱり。

ニュースで使われる言葉がどんどん難しくなっていって、見ていておいてきぼりにされているような気になるときがよくある。今を生きる人間としてはキチンとついて行かなければイカンのだろうけど、アタマのキャパシティには限界があるので、ハッと気づくと目をただ開けているだけの時間が過ぎている。

こうしてどのくらいの時間が消えていったやら。あぁ、もったいなや。

テレビを見るのも、もっと能動的にならんとアカンということなんだろうなぁ。

世間では仕事始め。でも、元旦に「今から撮影です」なんてメールが届く世界にいるとケジメやメリハリがつけにくい。コタツでゴロゴロしながら資料に目を通したり、テレビを眺めたりしていると、仕事中なのか休息中なのか自分でも分からなくなる。

でも、少なくとも多忙ではないな。どちらかと言えばヒマなんだろう。

今日はぽかぽかと暖かかった。地球温暖化は気にかかるけど、寒いよりは暖かい方がいいかしらん。危うく眠りこけそうな昼下がりだった。
NHK『プロフェッショナル/仕事の流儀』で、イチロー選手の特番を見た。そこで印象的な言葉を聞いた。

「存在意義」。

イチロー選手は「観客たちは自分のプロとしてのパフォーマンスを見に来てくれる。その観客たちが満足するプレーを見せられなかったら、プロとしての『存在意義』がない」的なニュアンスでこの言葉を使っていた。

「存在意義」。

この言葉は、ぼくがテレビやラジオ番組の構成をする仕事を始めた18年前から、ずっと頭にひっかかっている。それは「なぜ、自分はこの仕事をするのか? することが許されているのか?」という思いにも関わってくる。

いつかきちんとしたことを書こうと思っているのだけれど、ローカル局というのは一私企業としてはとても奇妙な存在だ。

今、日本全国にいくつローカル局があるのかはっきり知らないけれど、自社制作番組で黒字になっているのは準キー局と呼ばれる大阪や名古屋の局のいくつかなど、数局しかないだろう。自社の製品で黒字になってない。つまり、儲かっていない。なのに、潰れもせずに、しかも社員は高給をはんでいる。

不思議だ。

ぼくが初めて構成をした番組は旅芸人の女座長を主人公としたドキュメンタリー番組だった。オンエア日が数日過ぎたころ、ギャラが銀行口座に振り込まれた。通帳に黒々と印字されたギャラ。その額面を見ながら、ぼくは奇妙な感覚になっていた。

「この金は、どこから来たのだろう?」

その番組はほとんど(全く、かもしれない)スポンサーがついていず、社員にかかる経費以外の制作費だけでも丸々赤字のはずだった。その赤字の中にはぼくのギャラも当然含まれているわけだ。この局が自社制作番組で企業として利益を上げているのなら、プラスになった部分から分配されているという、普通の企業のあり方で処理もできる。が、自社制作番組という「商品」で「赤字」の会社の、どこからぼくのギャラが絞り出されているのか? 妙だなという思いで頭がフワフワ浮ついて、落ち着かない。

その思いは、18年たった今も同じだ。

ぼくは学校を出てからフリーになるまでのおよそ10年間、会社勤めだった。最初に入った会社では、常々「給料の3倍稼げ」と言われていて、ぼくは営業セクションではなかったけれど、自分がいることで会社に損はさせていないという自負はあった。

それから数回転職を重ね、今に至るのだけど、その間、給料の遅配や停止もたびたびだったし、他社の乗っ取りによる社長ら経営陣はじめ社員が軒並み首を切られる現場にも居合わせたりした。それらの原因は、ごく単純。「利益を上げていない」ということに尽きた。

そんな現場を体験したから、出所不明のギャラ(儲けてないのに…)に奇妙さを感じるのだろう。だからと言って、利益至上主義人間になったワケじゃない。もしそうなっていたら、フリーなんて収入不安定、コストパフォーマンスがいかにも悪い仕事を続けはしない。逆に、金は天下の回りもの的な思いが常に頭の中をフワフワするようになった。なんとか、なるようになるのだ。

ちょっと話がズレてきた。戻そう。

要するに「自社製品で儲けていないローカル局の仕事でなぜギャラがもらえるのか?」という、突き詰めると自分の首を絞めかねない命題がこの仕事を始めてからずっとつきまとっているのだ。

で、その救いをどこに求めているか?
それは、自分の「存在意義」を求めるということだ。

ローカル局というのは、元々経営(利益)を無視して設立された。だからその地域の商圏のパワーに正比例することなく、そのパワー以上の局が林立している。そんな、資本主義社会にあってはならざるものがなぜ存在を許されているのか? それは、地域の情報や、人々のニーズや、地域に生きる人の思いのひだに食い込み、地域の人たちが必要としていることや、必要とはしていないけれど伝えるべきことをあぶり出し、地域の人たちに提供するという役割が担わされているからにすぎない。

その役割を全うする際の一員として、ぼくは番組作りに参画している。それだけがぼくの「存在意義」だし、その「存在意義」を常に考え、それだけに必死にしがみついているからこそ、作れば作るほどに赤字を出すだけの番組に胃袋を痛くしながらも参加できるし、ギャラもどうにか後ろめたく感じることなく手にすることができる。

この番組制作における自分の「存在意義」は何なのか? それを考えること、それを感じることのみがぼくのモチベーションということになる。





昨年、番組作りに関連して「存在意義」という言葉を使う4、5人の人たちと仕事をした。その全員が40代後半から50代だ。これからのローカル局を担うべき30代のディレクターや記者からこの言葉を聞いたことがない。まぁ、彼らの世代にしてみれば「存在意義」という言葉自体が死語なのかもしれないが、34才のイチロー選手が使っていたところをみれば、あながちそうとも言い切れない。

番組作りにおける自分の「存在意義」は何なのか、どこにあるのか? そういう、ある意味「青臭い」ことを熱を込めて語るのが40代後半よりも上の世代で、バリバリ仕事をしているはずの30代の若い衆(ディレクターや記者など制作セクションに限らず、営業も編成も同様)からそうした熱を感じることは、ここ数年、ほとんどない。誰もが一生懸命なのだろうけれど、例えば営業の人間は「だって売れないんだもん」的な言葉を簡単に吐く。

制作も営業も、どのセクションも懸命なのは分かってる。しかし、自社製品で黒字になってないにもかかわらず、月々の給料がきちんきちんと支払われる企業がどこの世界にあるだろう?という疑問・疑念がその胸に湧かないのが不思議で仕方がない。

仕事をする以上、自分を鼓舞するモチベーションがあるはずだ。しかし、必要悪の視聴率もさほど重視されず(ライバル局と比較はするけれど)、自社製品で黒字にすることを思い詰める必要もない(会議では叱責されるだろうけど)とすると、一体どこに仕事へのモチベーションを求めるのだろう?

よりよい私生活? 経済的に豊かな将来?

そうしたことが仕事のモチベーションとなることももちろんあるだろう。だが、地域の人たちに伝えるべきだと信ずることや自分が疑問に思ったり楽しいと思ったりしたことを日々電波に乗せているはずのディレクターや記者たちのモチベーションが「自分自身=ワタクシ」のためだけにあるとしたら、それは見ている方にとって強烈に不幸なことだ。

自らの「存在意義」を常に考えること。それはすなわち、自社製品で黒字になることがないにもかかわらず存在を許されているローカル局の今後のあり方を突き詰めることでもある。常にその思いを抱いていないと、30代の連中は経営を担うようになる20年後に、自らの立ち位置の不安定さにおののくことになるやもしれない。

いやいや、その頃まで「系列」という概念がのこっていることやら…。余計な心配ではあろうけれど。


なんにしろ、今年もひとつひとつの仕事における自分の「存在意義」を思うようにしよう。イチロー選手には遠く及ばなくても、ぼくもひとりの“プロフェッショナル”でいたいから。




新年二日目。
やっぱり寝正月。

元旦から雪景色を撮りに行ったというディレクター氏に申しわけないな。

新年早々、仕事に勤む仲間たちに輝く幸あれ。

って、コタツにゴロゴロじゃ説得力がないけれど。

朝からず~っと箱根駅伝三昧。東京から箱根のお山を目指そうなんて、どうかするとアホ呼ばわりされかねないことを実現するなんてすごい。今年で84回。こんなに続いてるってのもすごいなぁ。

正月二日目に6時間もぶっ続けで、ただひたすら走るだけの映像を流すなんて、世界の中でも珍しい国なんだろうな、きっと。そう思いながら、ず~っと見ているんだから、惹きつける魅力があるんだろう。

今、早稲田が往路トップでゴール。予想外の快走だなぁ。この「予想外」が魅力のひとつには違いない。番狂わせのないスポーツなんてつまらない。

映像を見てると、沿道の人々が気にかかる。素人がTVカメラに映ることを嬉しがるようになったのはいつ頃からだろう? 街角での普通の中継ならいざ知らず、今はスポーツの競技中。真摯に走る選手たちに失礼だってことに気づかないのかな。

携帯を耳にカメラに向かって手を振るお嬢さん。あなたは日本中に「あたしは礼儀知らずよぉ~!」って宣言してるのね。ご苦労さま。


今、順天堂のアンカーが倒れ込んだ。棄権。悔しいだろうな。気持ちは残っても、体が動かない。スポーツは時に残酷だ。


……しかし、礼儀知らずな観客を産んだのは、それを利用してきた放送局なのかもしれないな。テレビ映像に傲慢なところがあるのは否めない。「私」に踏み込む興味深さは確かにあるけれど、それがどこまで許されるのか。歯止めがきかないからメディアリテラシーなんて業界の人間にも未だ理解不能な概念も生まれた。

理解不能なんて言ってはいらない。好奇心で人を追い込むなんて許されないことだろうし。「どこまで?」を常に頭に置きながらやらないとな。

なんてコタツでぬくぬくしながらボンヤリ考える。お仕事中の皆さん、すみませ~ん。





2008年です。

今年はどんな年になるのやら。どんな人に出会うやら。

ぎっちり時間とまったり時間が適度に融合するといいのだけれど。

今年もよろしくお願いします。
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