番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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きょうから隣県の局で編集。おなかの調子も回復してホッ。

特急に乗る。今回は途中駅で降りるけど、終点まで行けば長崎だ。

長崎…異国情緒溢れる街。歴史がそこここに転がってるし、おいしいものもいっぱいだ。仕事では何度も行ったけど、駅から局までの道しか知らないや。


ちんちん電車が走ってたっけ。いつか、のんびりゆったりまったり、行きたいな…。


あ~、ちゃんぽん食べたいっ!
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三日前。
昼過ぎから体が重い、しんどい。節々が痛い。季節の変わり目は毎度のこと。早めに就寝。

一昨日。
打ち合わせに車で街へ。しんどくはなくなったけど、節々は変わらず痛いし体が熱い。汗が流れる。いつもの薬をもらうついでに診てもらったら、体温38.6度。

「これだけ熱があったら汗も出ますよ」

と、お医者さん。漢方薬を処方してくれた。

夜。突然お腹が大反乱。一晩にトイレに通うこと、5、6回。参るね。こりゃ、カゼじゃなかろう。

昨日の朝。
熱はあっさり下がったけれど、ハラが…。かかりつけの医者で改めて診てもらう。

「嘔吐下痢症ですね。はやってるんですよ」

そう言えば去年の12月にも同じ症状になったっけ。

「あの頃はノロウィルスだったんですけど、最近のはノタウィルスが多いんですよね」

ノロとノタ、両方のウィルスに好かれてしまったのね。体温は平熱に戻ったし、体はきつくも重くもないのだけれど、ハラが…。

今週の金曜からは巡業だ。ハラがおさまらないと、お尻に栓をして移動しなきゃいけなくなってしまう。

「水分を十分とって、安静にしとくしかないですね」

お医者さんのアドバイス通り、昨日、今日と寝床→トイレを往復しつつ、ひたすら安静に。ハラ以外はなんともないのに寝てるというのも結構ツラい。

今日の夕方。お腹が復活。

明日からの巡業に間に合った。ホッ。

しかし、ノロとノタ、どこで巡りあったのかなぁ。心あたりはないのだが…。

昼間、某局のプロデューサーから立て続けに電話あり。3月にオンエアした番組がふたつのコンテストで受賞が確定したという。

賞は番組について来るオマケ。貰えるにこしたことはないけれど、貰えなかったからといってその番組の出来や内容が悪かったとは限らない。

とは言え、受賞はやっぱり嬉しいもの。特に今回は受賞が内定したその日にプロデューサーがすぐに連絡をくれたことが嬉しさに輪をかける。

構成係のぼくは外部の人間なので、受賞その他、番組がどんな評価を得たのかを知る機会が少ない。

評価や受賞はともかく、再放送にしても何の連絡も届くことなく、知らない日時に流されていたりする。

法律上ではぼくにも版権があるらしい。再放送にあたって版権者に通知するのは局の義務なのだけど、そんな堅苦しく考えなくても、「再放送するから宣伝して!」くらいの知らせがあって然るべきだと思うんだけどな。

請け負い業のぼくらは、大抵の場合、後回しだ。情報の連絡にしても、ギャラの入金にしても。そんな後回しに慣れているから、きょうの速攻連絡は嬉しかった。局からお褒めの言葉があったり、金一封が出たりしたことは今だかつてないのだけれど、この速攻連絡で「次もがんばろ」と思うのだから、単純と言えば単純だな。


賞はさておき、ディレクターの想いを出来る限り汲みあげて、見ている人の心に染みる番組に出来れば、それにまさる満足はない。ま、めったにその満足を達成したことはないけれど。

何を、誰に、どんな風に伝えたいのか。ディレクターはじめ制作者側の想いを知るところから始まる。今月の打ち合わせも、壁も境もない、自由な意見の交流ができますように。


ゆっくりゆっくり、物語をつむいで行きたいな。

人はどうしてムリをするのだろう? 「休め」のサインが出ているのに、バリバリがんばったりしてしまう。

ぼくはがんばらない。

昔、勤めていた会社の社長から、「お前は懸命になったことがない。お前が本気になったらその程度じゃないぞ」と言われたことがあったっけ。

「その程度って、なんやねん?」

自分では十二分に「本気」だったもんだから、聞いてムカッときたけれど、まわりから見れば「その程度」に見えたんだろうな。

懸命にムリしてやっていたつもりだったのに「その程度」呼ばわりだったもんだから、一生懸命やることはやめた。と言うか、懸命なところを見せるてたまるかぃ!と、意固地になったんだなぁ。

だもんで、ときどきムリが溜まる。それは体に出るな、やっぱり。もう四半世紀以上前、あるお医者が「ストレスは体に溜まるんですよ」と言った。ストレスは心、要するに脳みそに溜まるもんだと思っていたぼくは「ほんとかいな?」と思ったっけ。

でも、やっぱお医者さんの言うことはほんとだな。体に出る。季節の変わり目だったり、仕事に追われたり、気疲れしたときなんかにはてきめんに出る。神経が勝手に動いてるって感じかな。

「ねぇ、ちょっと休もうよ」

体がそう言ってるんだろう、きっと。

友人に「体の言葉に耳を傾ける」ということを実践しているヤツがいて、彼はその本場アメリカまで修行に行った。そして今、彼は、体の言葉を聞くことを人々にレクチャーしている。

昔は「コイツは何を考えているんだろう?」と不可思議に思ったけど、確かに体はモノを言うよね。それも、結構ギリギリまでガマンして言ったりするから困るよな。

ときにはちゃんと耳を傾けて、体の言うことに素直に従おう。ぼくにとって、体の言葉に従うということは、とっとと寝ようということなのだ。あしたのために、きょうも寝よ。


午前1時。
零時をまわって机に向かっているということは、めったにない。

夜はダメ。まぶたが重たくなる前に、脳みそが眠り込む。そんな感じ。いくらでも起きてはいられるのだけど、目玉を開けてるだけっていうのかなぁ。陽が沈むと活動が鈍るのは原始時代のなごりかな。

編集のときは夜遅くなることが多いけど、そのときはさすがにきちんと起きている。

というのは、ぼくの「つもり」の話。実際は、かなりの確率で居眠りしている。ディレクターや編集マンに目撃されたことも二度三度。だから、まぶたが重くなる前に、ぼくは椅子から立ちあがる。座っていると、気づいたら眠りこけてるんだもの。

「ぐっすり、お休みでしたね。びっくりしました」

そんなコワいメールをいただいたことも…。

夜に弱いんですわぁ…、と言っても、お仕事の言い訳にはならんわなぁ。先日、南の街での編集時にも、「ハッ」と気づいたらモニターの画面がず~んと進んでいた時間帯があったっけ…。

猛省至極。

お尻に火がつくとイヤでも起きていなければイカン。う~、きょうはまぶたが重くなると同時に、ホントに眠いど。日々、遅くまで仕事をしている人を本当にエライと思うなぁ。そんな皆さんと自分に向かって言おう。

「お疲れさま」

と、言いつつ、…いかん…。

零時を過ぎてパソコンに向かっていたら、ランナーズハイ的状態になって、まだまだいくらでも起きていられそう。でも、調子に乗って起きていると、翌日は使いものにならんのだ。


きょうはおしまい。
ゆっくり、まったり、しっかり眠ろう!


部屋で仕事をしているときは、必ず音楽が流れてる。

以前は机につく前にその日の気分でCDを選び、7枚連装のプレーヤーにセット。その7枚が流れ終わる8、9時間後にお仕事終了というパターンだった。

今はハードディスクにため込んだ曲をランダムに流しているので、「その日の音楽終了=その日のお仕事終了」、とはならない。最近、仕事にメリハリがつかないのはそのせいか。

そんなことはないな。

ハードディスクに曲を記憶させるため、ラックからCDを持って来ては机の脇に積む。あった所に戻せばいいのに、ズボラなのでそこに積む。

新たに購入したCDも、ハードディスクに取り込んでは、また積む。

机のそでにできたCDの山が、そばを通るたびにゆ~らゆら揺れる。

コワい。

仕事用のDVDが紛れたりすると面倒だから片付けたいのだけど、そう思いつつも幾星霜。

やっぱり、痛い目に合わないとわかんないんだろうなぁ。

この山がこれ以上、大きくなりませんように。

後期高齢者医療制度がこの4月から始まっているそうだ。

知らなかった。

最初、新聞の記事で目にした時には、ネーミングのあまりのセンスのなさに唖然。このネーミングを提案した人&決めた人たちって、どんな感覚の持ち主なんだろう?

こう呼ばれた時の心の痛みにも、いずれ自分もこう呼ばれる年齢に達するということにさえも、全然思い至らないんだろうなぁ。

福田さんは「長寿」と呼び変えることにしようと言ったけど、通称変われど法律上は「後期」のまま。だから、保険証には分類された呼称がはっきり記載されている。

保険証は色分けもされている。

「一目で歳が分かって、やだわ」

ニュースで老女がそうはにかんでいた。年齢を重ねても、控え目な恥じらいが消えることはない。が、お役人にそこまでの想像力を期待するのは酷なのかも。

この新たな保険証が二つ、届いた老女がいるそうだ。疑問に思った女性が役所に問い合わせたら、

「ひとつは自分で破棄してください」

と言われたとか。
すごい回答だなぁ。

運転免許証などを持たない人にとっては、保険証は即身分証明書だ。

「わたくしたちにとって大事な書類を、自分で破棄しろ、ですって…」

言われた方は驚愕だったろうし、存在の軽さを思わされたかもしれない。

「長寿」保険料の年金からの天引きが今日から始まったようで、銀行など金融機関や役所の窓口は高齢後期に分類された人々でごった返した。

「2年も前に決まったことなのに」

法律家の言葉を聞きつつ、ふと思った。ぼんやり日々を過ごしている今この時にも、数年後に「知らなかった…」と呆然とする何事かが決まっていっているかもしれない。

怖いね。

南の街で編集、四日目。

ほぼ出来上がったところで上司のチェック。

「内容がよ~わからん」

そのお言葉で、再考開始。映像と音を前後入れ替えたり、新たな映像を追加したり。

あ~だこ~だとやりくりして、より分かりやすく、見やすくなった。そのかわり、主人公の「妙さ」加減が薄れたかな。

周囲の意見をどこまで取り入れるかは難しいところ。ディレクターの持つ味が消えてしまう恐れがある。アドバイスを聞きすぎると、どれもが同じテンポ、同じトーンになりかねない。

「これでいい!」

独りよがりになるとまずいけど、心の底には周りに動かされない思いがあって欲しいな。

再考している間に帰りの飛行機に乗り損ね。もう一泊することに。たまにあること。頑張るべ。

南の街で編集、三日目。

今日は日曜日。編集を切り上げて街に出るも、お店は軒並み閉まってる。雨がそぼ降る歓楽街は人影もない。曜日に関係ない仕事だってことを実感するな。

それでも開いてた店を見つけて入る。休日&雨にも関わらずこの店は客でいっぱい。通されたのは柱の間の半畳もない席。刺客から身を隠す狭間みたいなところでディレクター氏と向かい合う。気恥ずかしいくらいの近さだね。

灯りがほの暗ければ気持ちも落ち着くだろうけど、ここは飲み屋、ピカピカ明るい。お兄ちゃんとのお見合いじゃ、とっとと酔わないと話もしづらい。

他に開いてる店がないせいなのか、お客がどんどん。「2時間までです」と、飲む時間が限られる。こりゃ、いよいよとっとと飲まなきゃ。

出先で飲むと、大抵の場合は相手のおごり、形としては接待となる。気遣いを感じて遠慮する程の感じやすさはぼくにはないけれど、ワリカンでいいのになぁとは常々思う。

今夜もごちそうになってしまった。すみませ~ん。

南の街で編集、二日目。

今日は夕方から技術部主催の花見だそうで、ディレクターと編集マンもご出席。

で、ぼくは午後5時にお役ごめん。

「花見、参加しませんか?」

誘っていただいたけれど、アルコールは昨日飲んだし、若い衆のペースに合わせて飲むと明日が使い物にならなくなるのは確実なので、今日はおとなしく早じまい。

外に出るとえらく明るい。まだ5時だもんなぁ。こんなに明るいうちにホテルに戻るのはなぜだか気がひける。

近くのタリーズで、お茶をしつつ、ボ~。思わずポッカリ時間があくと、なにをすればいいのやら、何の準備もないし戸惑う。

眠いな…。

昨日はテレビを見つつ、ついつい3時まで起きててしまった。

今日は早く寝よ。

南の街での編集に突入。飛行場に降りたら、暑さと陽射しに居眠り中だった頭がクラクラ。

そんな時には、水をゴクゴク。どこに行くにも一緒なのがシマシマぼとる(正確にはペットボトル入れ)。

お茶やミネラルウォーターを持ち歩くようになってから何年くらいたつかなぁ。このシマシマはボトル入れ三代目。

初代と先代はミネラルウォーターをケースで購入したときにオマケでついてきたもので、デザインも使い勝手も気に入ってた。

仕事先などに忘れたこともあるけれど、そのたびに手元に戻って来た。初代は飛行機の機内に忘れたときはもうナキものと諦めたけど、キャビンアテンダントさんが持って来てくれた。

でも、先代が消えたのも飛行機の機内。座席の前のポケットに入れたまま忘れたのは初代と同じだったけど、残念、手元には戻らなかった。

状況は同じだけれど、結果は正反対。飛行機会社の客対応の違いかなぁと、置き忘れた自分のうっかりさはさておき、思ったりもする。

このシマシマは、つつがなく務めを終えて穏やかに引退できますように…。もうストラップはすり切れてるし、ご苦労さまが近いかな。

大事にせねば。

地元の局で打合せ。

先月末にオンエアした番組が結構評判がいいようで、リメイクし、再放送したい意向とか。ありがたいこと。

番組は企画した人間(大抵の場合はディレクター)の思い入れの強さ、深さで決まる。今回の番組も、ぜひとも作りたいというディレクター氏の意向に引っ張られた。

取材に思いがこもっていれば、番組の出来はディレクターのテーマに対する解釈の仕方とあまり関係がないというのも不思議。才覚あふれる人のおざなりな取材より、器用ではないけど誠実熱心な担当者のとる映像と音の方が段違いに面白い。

視聴者の心に届くのは、映像と音に乗せられた制作者の思いなんだな、やっぱり。

番組作りでのぼくの役目は、思い入れが強いが余り、空回りをし、独りよがりになりがちなディレクターの表現を整理すること。それは、話を聞くだけでいい場合もあれば、何を入れ何を落とすかの葛藤に責めさいなまれるディレクターに引導を渡すときもある。

だから、番組ごとに役回りは違うけど、思いのこもった番組作りに参加するのはとても楽しい。

が、しかし、番組には使える時間が決まってる。「1時間番組」と呼んだとしても、CMが入ってくるから実際に使えるのは45~47分。最終的に決められた時間を1秒たりとも違えてはいけない。これが結構しんどい。

これで良し!

そう思えたときの長さのままに放送出来ればいいのになとよく思う。

リメイク版はもう少し時間がもらえるかな?

朝、昼、夜と雨がパラパラ、時にドシャドシャ。頭が重い。

気温は18℃くらいあるはずの予報だけれど、どこか肌寒い。しまうつもりで洗ったフリース、再登場。コタツに入って、ニュースを眺める。

どうにもよく分からないのだけど、日本銀行のトップの人事案、小沢さんはなぜ頑固に反対しているのだろう?

「天下りはイカン」

理由として唯一分かるのはこの言葉だけなのだけど、日銀の総裁、副総裁に指名される人たちって「天下り」なんだろうか?

そのポストに座るほどの才能も実力もない人物が、単に既得権にすり寄って、余生を過ごしつつ常識はずれな俸給を税金からフトコロにする。それがぼくの理解する「天下り」なのだけど。

日銀総裁、副総裁の候補に推された人は、スペシャリストとしてその力を発揮出来る人のように思えるし、そのポストはロクに働きもせずに多額の報酬を受け取れるような性格の椅子とは違うだろうに。

特異有益な才能は年齢、前歴に関わらず発揮してもらわないと、それはぼくら国民の「損」だろう。

目を光らせるべき「天下り」は、もっと他のところにあるでしょうに。

公務員ではないけれど、ローカル局のトップも「天下り」的であり、「腰掛け」気味のところがちらほら。キー局や、資本関係のある新聞社から、3、4年のサイクルでトップの座に座りに来る。その逆、例えばローカル局の常務クラスが関連新聞社のトップに座ることなどあり得ない。

局の人間も「変だ変だ」とは口にする。そりゃ変だ。キー局からトップとして来る人はいずれ出世して舞い戻ることが頭にある。どこまでその局、そしてその放送エリアに住む人たちのことを考えて仕事をしてくれるやら。

トップが中央から降って来る。変だけど、この慣例を是正しようとしている話って、聞かないなぁ。

きょうは原稿書き。

年に数回、書評の依頼が来る。書を評するような柄ではないのだけれど、新聞社の知人がテレビ関係の新刊が出ると回してくれるのだ。

昔。まだ東京にいたころ。通信社の書評を二年間ほどやらせてもらっていたことがある。そのころはまだテレビ関係の仕事をしてはいなかったので、担当者が選んでくれる新刊はバラエティ豊んでいた。

富みすぎていて、理解不能な書籍があったりもしたっけ。

書評を書くには、当たり前だけどその本を読まねばならないわけで。面白いといいのだけれど、読めども読めども興味がわかない内容だったりすると緩やかな拷問に合ってるように感じたりする。そんな本に限って400ページも500ページあったりして…。

でも、読書という習慣を持ち合わせないぼくにとっては、半ば強制的に活字に没頭させられる時間が持てるのは嬉しくもありがたいことでもある。

同時に、本の内容とその印象を800~1200字ほどの文章にまとめるのは、日頃は刹那的な使い方ばかりしている脳みそに新たなシワを刻めるような気がして少し嬉しい。

で、今回の新刊は二段組み、550ページをこえる、ちょっとした辞書並みの厚さ。ずっしり重い郵便が届いたときは「ひえ~」っと思ったけれど、とっても面白い本だった。ホッ。

でも、読み終わるのに二ヶ月近くもかかってしまった。新刊じゃなくなっちゃう。書評担当の知人に申し訳ない…。

やっぱり、本の虫にはなれないな。

きょうは隣の県の局で打合せ。

あ~だこ~だと話して飲んで、結局最終の特急に乗る。

午前様も、たまにはいいよね。

でも、眠い…。

今日は20度超え。あったかだった。

いつもの道を走る。春霞かなぁ、降りそそぐ太陽の陽射しはぽかぽかだけど、見通しがあんまり良くないや。

何の気なしにいつもの景色を撮る。と、見ると、小さな鳥の影が。

目を空に向けると、もう姿は消えていた。

カラスかな? いや、カラスにしては小さい気がする。

トンビかな。
なんだろう。

満開の桜を見下ろしながら、春の空を舞う、かぁ。

いいな。

鳥には鳥の事情や辛さがあるのだろうけど、やっぱり羨ましいね。

仕事や、時間や、気持ちの焦りや、追い立てられることばかりだけれど、ゆっくり、ゆったり、待たなきゃならない時もある。

心が急く時こそ、のんびり空を舞いたいな。

なんとかなる、なんとかなる。

特に忙しいわけでもないのに新聞が溜ってる。机の横のカラーボックスの上に積んでいるのだけど、そろそろ雪崩を起こしそう。

机の足元にも20センチほどに積まれてる。

「いつか読もう」

そう思っているからイカンのだなぁ。毎日毎日、ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ。小さいけれど着実な歩みが大きな実りにつながるのだ。

なんてことは分かっているけど、明日出来ることは今日やるなとも言うしなぁ。

新聞の山を見ると、ある人を思い出す。彼のアパートのドアを開けると、玄関狭しと新聞が天井まで積まれてた。

「これ、どうするの?」と聞くぼくらに、「うん、切り抜くんだよ」と軽い答えが返ってきた。

学生時代の4年間、その山は増えこそすれ、減りはしなかったような…。結局、チリガミ交換にでも出したんだろうか?

読まずに捨てるのも気がひける。しかしはたして、この新聞をぼくは読み、さらに切り抜きまでするであろうか??

彼をもう笑えないな。
今はどこにいるのやら…。

ぼくがナレーションを書く時に気をつけていることがいくつかある。一番気を配っているのは形容詞・形容動詞をできるだけ使わないこと。簡単に言えば、「可能な限り飾らないこと」だ。

テレビは映像と音でできあがっている。そのふたつに力があれば、言葉を形容するという余計なお化粧はいらない。簡素な言葉で十分だ。

でも、今、流れている番組の多くはベタベタに飾られた言葉で満ちている。生まれたばかりの動物の赤ん坊を、ことさら「“小さな”命」と呼んでみたり。

この“小さな”というのは、どういう意味で使われているんだろう? かわいい? いとしい? 大切な? どんな意味にしても、使う側が使われる側と同じ目線にはいないなということをビンビン感じてしまうのだけど。

感心するときも、多々ある。

住宅の改築番組なぞは見事な形容詞、形容句の連続で、ぼくには決して書けないナレーション。番組を見てるとその語彙の豊富さや形容の多彩さは驚くばかりだ。あそこまで、よく言えば華麗に、はっきり言って仰々しく飾り立てることができるのはすごい。

以前、プロデューサーに、「あんたのナレーションは平易過ぎる」と言われたことがある。華やかさ、きらびやかさが足りない、もっと言葉で盛り上げなさいという意味だったけれど、そのときも、そしてそのとき以降も、それを勝手に誉め言葉と解釈してる。

目指すは、聞いてることを意識しない、色のついていない言葉たち。映像と音の邪魔をせず、でも、見ている人の心に静かに染みていく。

理想だな。

簡素に簡素に、可能な限り削っていきたいのだけど、いつも語り過ぎとなってしまう。

映像と音に語らせなくちゃね…。

きょうは8時から、食事をはさんで今、22時ちょい過ぎまで、パソコンに向かって取材テープの書き起こし。

最近はDVDにダビングして送ってもらうことが多い。VHSテープだと、止めたいところをシュルシュルシュルと通り過ぎたりで、イライラしてくることもあったけど、きっちり止まって「進め」も「戻れ」も楽なDVDは使い勝手がいい。それにノートパソコンでも見ることができるから、出先でも書き起こしができるし。

ぼくにとって、番組の始まりは大抵の場合は取材テープを見ることから。どんなに素晴らしい企画でも、素材は実際に取材された映像と音しかない。だから、素材以上の番組は生まれない。いい番組、おもしろい番組は、取材がきちんとしているし、取材する側に大きな興味や疑問、たっぷりの思い入れがある。だから、結果的におもしろい番組、興味深い番組になるモノは、素材テープもおもしろいし、興味深い。

素材をどう組み合わせるか、その流れを作るのがぼくの役目。まずはフレームを作り、あとはディレクターや編集マンと一緒に映像を見ながらあ~だこ~だと変えていく。楽しいけれど、放送日というお尻が切られているので結構しんどい。きょう見たのはお蕎麦屋さんの話。写真に写るDVD、左の山の四分の三がその素材。最近の番組しては多い方だろうか。

取材テープを見ていると、取材の現場の様子がわかる。モニターに映し出されたのは温度計。「なんじゃろか?」と思って見ていたら、「-4℃」…「-5℃」と気温が少しずつ下がっていく。そして、「-8℃」まで下がったところで、カメラがおもむろに動き出した。

なぁるほどね。

夜明け前の一番寒い時間を見計らって、夜明け前のまだ暗い中、蕎麦を売っている職人の元を訪ねる。それがディレクターの狙い。気温が下がりきるまで、ロケ車(この場合はディレクターのマイカーらしいが)の中で待機していたのかぁ。そのせいかな、カゼをこじらせて点滴を打ったって言っていたのは。

取材をしたあとで気温を調べ、「この日の夜明け前、最低気温は-8℃を記録した」とナレーションをつければすむ。そう考える人もいるだろうけど、この50代の、直球しか持ち玉がないようなおじさんディレクターは、そんな小細工がキライなのだ。

番組は心意気で作る。

それは結構“当たり”かもしれない。
おじさんディレクターの気合いに負けないようにせねば。

思いがこもった取材テープ。おっし、もうちょっと見よ。





仕事に飽きて、ちょいと国道を走る。九州西岸を縦断するこの道沿線はガソリンスタンドの過剰競争地帯。道をはさんで向かい合ったり、少し走るだけで10数店舗が林立してる。

そのスタンドたち、見事に「リッター125円」で横並び。競争せねば生き残って行けないのだろうけど、大丈夫なんだろうか、経営は?

給油を待つ車の列を見ながら、釈然としない。少しでも安いガソリンを求めるのは消費者としては当然。だけど、法律の期限切れで宙に浮いた税金分をスタンドに負わせていいものなのかしらん?

ぼくの車を満タンにすると40リッターくらい。一回、1000円ほど安くなると思えば、続く車の列に参加したくなるけれど、ガソリンを入れてもらったあと、スタンドの人に何と言っていいのか分からない。「すみません」と言ってしまいそう。

安ければいいのか?とも思うしなぁ…。安きを求め続けることの歪みがあちこちに出てきてるんじゃないかとも思うし、イレギュラーな安価ガソリンを入れずにすむよう、チビリチビリと走るかな。

きょうは打合せが二件。地元の局と、お隣の県の局。地元の局には自宅から車でGo。

車を使うようになる前は、5キロ弱の重さがあったノートパソコンを背負い、電車とバスを乗り継いでえっちらおっちら通ったのに、ここんとこ全く体を使わない。いかんいかんと思いつつ、やっぱり機動力は大事よね、音楽聴きながらドライブも気分転換になるしさ、と運動不足の不安をごまかす。

某局の局長は自宅から勤務先まで、毎日せっせと歩いているそうだ。偉いなぁ。家庭と組織、守るモノがたくさんあると、まず大切なのは健康だものな。

まったく運動しないくせになんとなく体調は気掛かりで、体脂肪や骨量などが計れる体重計を購入し、朝に夜にと乗ってみたりする。

この体重計、体内年齢なるものまで表示されるのだけど、実年齢より17、8歳も若く出る。単純なもんで、どうだワハハ!と思うのだけど、機械にぬか喜びさせられてるだけに過ぎない気もする。これがメーカーの「手」なのかもしれないし。

隣の県の局には特急とタクシーでGo。構成と編集の打合せを3時間。来た手段を逆に、タクシー&特急で地元へGo。今は特急のシートにぐんにゃり。少々バテし。

後ろの座席からは異国の言葉が聞こえる。ドイツ語かしらん?観光地・長崎から走って来た特急だ。偉人さんが乗ってても不思議じゃないな。旅行かなぁ。

駅に着いたら、駅前の駐車場に停めてる車でぶらぶらドライブがてら家に戻るか。

運動したわけじゃないけど、体は移動させた今日一日。今日の体内年齢は何歳だろう? ちょっと、楽しみ。
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