番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


今、制作に参加している番組はお祭り関係。東京住まいだけどふるさとの祭りが好きで好きで大好きで、毎年、帰省している若い女性がいる。先日、その女性の取材にスタッフが東京へ行った。

その取材テープを書き起こしていたら、どこかで見たような景色。映像の端に映っている病院の名前も、いつか、親しくつきあっていた日々があるような…。

ん??
あ! ここ! あの病院じゃん!!

学生時代、カゼをひいては通った病院だ。その病院の隣に取材対象の女性が住むマンションがあるのだった。

通りの向こう側を撮った映像には、足しげく通った古本屋が昔のままの看板を掲げて映っている。学生時代、数え切れないほどに行ったり来たりした通りだ。

日暮れどき、駅の方へ向かってずるずる歩きながら飲みに行き、深夜、酔った足をもつれさせながら下宿へ帰った、あの通り。

懐かしかね~。もう何年、行ってないかしらん。

この通りから駅に向かって左に少し折れたところに、高校大学と同級の友人が賄い付きの下宿に住んでいた。

当時でも珍しかった賄い付き。小さな娘さんがいる勝ち気な奥さんが7、8人の下宿生に朝餉と夕餉を用意する。漫画かドラマにありそうな設定の、古い造りが印象的な下宿屋だった。

その友人は四畳半の部屋に冷蔵庫を買い込み、冷やすのは好きなジャム数種類だけというヘンテコなヤツ。あ、夏に行くとスイカが一個、まるごと冷やしてあったっけ。

ある時は通りに捨ててあったテレビを拾ってきて見ていた。カラーテレビなのだけど、壊れているのだろう、画面が全部、真緑。白黒テレビと同じじゃん。でも、満足げに見ていたな。

その友人も今では某キー局の部長さん。10代半ばから彼を知っているぼくからすると、とても不可思議な進路だったのだけど、どうやら落後することなく、きちんと仕事を続けてきているらしい。

偉いなぁ。


駅近くで飲み過ぎて歩けなくなった遠来の友人を、その飲み屋で知り合った女性の手を借りて、ぼくの下宿まで連れて帰ったのもこの通りだ。

その友人は今年、会社をかなり早めに辞め、今は次を考えつつ無職の身。北海道を旅したり、ひと仕事を終え、ちょっと充電としゃれこんでる。

偉いなぁ。


酔っぱらった友人が「前転だぁ、後転だぁ」と叫びながら路上をごろごろしたのは、もう一本奥の通りかな。

電信柱によじ登り、そのまま飛び降りて足をくじいたこの酔っぱらい野郎も、なぜかぼくの部屋へ連れて行った。あの四畳半は、飲み遊ぶぼくらにはほんとに便利な場所にあったんだな。

この友人はクレイマークレイマーの時間が長い。自分で仕事をしながら、男手ひとつで三人の息子たちを育ててきた。彼ら親子の会話はまるで友だち風で聞いてるととても面白いのだけど、遠くで見ているぼくなどには分からないキツイことが多々あるだろう。

偉いなぁ…。


大学浪人を繰り返し、「これがラストだ」と思い詰める友人に弁当を持たせ、受験に向かう後ろ姿を見送ったのもこの通りだ。

結局彼は志望校の門をくぐることはできなかった。「がんばったんやけどな・・」と彼が涙を見せたときはちょっと辛かった。

その友人は教師になるという初志を貫徹し、今や教頭先生だ。夢の中に現実的な仕事を入れるほどの将来像が描けなかったぼくら仲間たちの中で、学生になる前から口にしていた夢を実現したのはコイツだけだ。

偉いよね…。


通りに面した飲み屋やお好み焼き屋で集まっては飲んでいた。友だちの友だちが来ていたりするから、誰が誰やらよくわからないままに飲んで騒いでいたっけ。

その中に、いくつか年下だけど気っぷが良くて男っぽくてさっぱりしたヤツがいた。卒業後、彼はなぜか制作プロダクションのカメラマンに。確か演劇か何か、そんな勉強をしていたハズだけど…。

カメラマンは大変だ。重いカメラを肩に走る。早朝深夜、時間は関係ないし、土曜日曜、曜日も関係ない。「韓国日帰りなんて取材もあんだよね」って彼が話を聞かせてくれたのは、ぼくが仕事をやめてぶらぶらしていたころだ。

その彼は病に冒されて、小さな子供たちを残して世を去った。学生時代、飲み仲間だった一つ年上の奥さんは、その後どうしているだろう。


友がみな われよりえらく 見ゆる日よ

時が経ても、感じた思いって、あまり変わらないもんだなぁ。



あの通り、また歩きたいな…。


頭の中が走馬燈で、書き起こしが進まない。
困ったね。

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