番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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ホテルからの眺め。

すぐそこにモノレールの線路が。駅も目の前。

2度ほど乗ったことがあるモノレール。短い駅と駅の間をのんびり走る。

那覇空港から首里城の下までをつなぐモノレール。延長する計画もあるとか。

こうして見てる間にやってこないかなぁ。

今日も編集だ。がんばろ。
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週の初めくらいから、南の島でお仕事中。

ある写真家が撮った写真をキーに、「記録」と「記憶」の物語。

写真の重みと映像の力とで、期待以上に良き流れに。

ナレーションを入れず、文字スーパーのみで物語を語ってみることとなった。

どんな風に出来上がるかなぁ。

楽しみ。


でも、ちと眠い・・・。


心が辛い人、きつい人が増えている。ここ数年、それをよく感じる。

その多くの人が、頑張る人。本人はそう自覚はしてないのだろうけれど、傍目にはどう見ても頑張り屋。こなせる以上のことを抱え込み、それをなんとかこなそうとし、どうにかこなしてしまう。

彼ら彼女らは壁を気持ちで乗り切ろうとするし、重荷も気持ちで振り切ろうとする。それは、幸いなことに成功する場合が多いし、成功すればひとまず楽になる。

でも、成功しない時もある。そんな時、心は辛くなる。


心が辛くなる前に、体はすでに声を上げている。「疲れたよ、ねぇ、休もうよ」と。多くの人がその疲れを自覚して、でも、その声に従うことは少ない。意識して従わない場合もあるけれど、従えない場合のことが多い。

体の声を聞き流し、気持ちで体を引きずることになる。

そんな時、心は辛くなる。

そんな心も、実は体。脳が懸命に頑張ってくれている間は、気持ちで体をひっぱれる。だけど、脳も体。疲れがたまれば、休みたくなる。

そんな時、心は辛くなる。

社会に生きている限り、自分の好きなように振る舞えることなど、ほとんどない。他の人たちとの摩擦を我慢し、プレッシャーを受け流し・・・。ささくれていく心は、自らひとり、慰める。しっかりしてなきゃ、ね。

そんな時、心は辛くなる。


体の声を聞いて休もうよ、できる限りさ。

ぼくなど、体の声が聞こえたらとっとと休むのが習慣になった。それでもたまにはやっぱりきつい。頑張ってる人たちはなおさらだろう。

自分が頑張ってることを自覚して、頑張らない日を作ろうよ。

ぼくなど、頑張るって言葉は私的な辞書には載せてないし。社会を生きるための百科事典には載ってるはずだけど、ホコリがかぶって久しいしもんなぁ・・・。

ごろにゃん

辛くなっても大丈夫。体の声が聞こえてる限りは。
ゆるゆるゆっくり、のろのろまったり。


大丈夫。


番組の制作も編集過程に入ると頼みの綱は編集マン&ウーマン。ディレクターやぼくなどが体調を崩して1、2日休んでも大勢に影響はないのだけれど、編集マンにダウンされるとお先真っ暗。

どのテープのどのあたりにどういう映像があるかというのはディレクターはもちろん、編集マンもぼくも知っているけど、悲しいかなぼくには編集できる能力もセンスもない。

最近はパソコン編集が進んでいるのでディレクターは多少なりとも編集はできる人が多いけど、それでも世に問う製品である番組をそれに耐えうるレベルに引き上げるほどの力はない。

今、編集の大詰めに向かっている番組の編集マン、ここのところ体調がすぐれない。二日前などは39度以上の熱がある中、夜中まで編集機に向かってた。昨日は仮眠をしようと局で横になってもきつくて眠れず、朝6時に救急病院へ行って点滴を打ってもらったそう。

朝、その話を聞いてびっくり。

「今日は家に帰ってゆっくり寝てください」

ディレクターと口を揃えてそう進言したのだけど、

「間に合わないとまずいじゃん。あんたらの打合せが終わるまで、どっかで寝てるから」

と、ふらふらよろよろ、編集室を出て行った。
大丈夫かね…。


番組の制作においては、担当者の交替は不可に近い。企画・立案し、取材するのはひとりのディレクターに任されるし、編集は上記したように編集マン(または取材したカメラマン)に一任される。だから、制作過程でそのうちの誰かが欠けるとエライことになる。

ピンチだぁ~!


もう10年くらい昔。制作に参加していた番組のディレクターが編集作業の途中、いきなり消えたことがある。理由は知らないけど、突然退職したのだ。

焦った。

そのときは編集マンが取材テープを見ていなかったので、ディレクターが消えるとテープの内容を知っているのはカメラマンとぼくだけ。カメラマンはディリーの仕事があるし、テープ内容を書き起こしたのはぼくなので、編集にペッタリぼくがはべりつくことになってしまった。

ごたごたがあったので、編集が遅れに遅れて間に合わない。編集は深夜に及び、夜中の3時4時にまだ若かった編集マンが「もうダメです、帰ります」と言って自宅へと去る。ぼくの家は遠くてタクシーだと一万円をオーバーするし、列車が走っている時間帯でもない。

帰るに帰れず、編集室に泊まることとあいなった。

それが五日間続いた。編集室ってのはどこの局もそうなのかもしれないけれど、カーペットが敷いてある。それが決して清潔とは言えず、ヒトの体を刺す虫が棲息している場合が多々ある。編集室で四拍五日したそのときも、ぼくの体はあちこち虫食いだらけ。

あ~、思い出すだにおぞましい…。


熱が39度以上あった編集マン、午後2時過ぎに起き出してきて、

「あ~、すっきりした。早く医者に行っとけばよかった」

と、ニコニコ。
医者にも行ってなかったのかいっ! ばっかもん!!

でも、回復に向かっているみたいでよかった。それ以上、悪化させないでくださいね。番組にアナがあいちゃうもん。



仕事がたまる。
  ↓
お尻に火が付く。
  ↓
自転車操業化。


「同じことの繰り返しにどうしてなるんでしょう?」

きょうもディレクター氏とそんな話になった。余裕を持ってスタートしたハズなのに、予期せぬことなどが入れ替わり立ち替わり起こり、もうスケジュールギリギリに。これから何かあったら、もう絶対に間に合わない…。

と、思ったことが何度もあるのだけれど、なぜか間に合ってしまうのだった。

間に合ってしまうから、だから「同じことの繰り返し」になるのかなぁ。一度、ホントに痛い目をみないとヒトは覚えないということなんだろうか?

一度、オンエアの4分前に番組を送出するセクションへ出来上がったばかりのテープを持って駆け込んだことがある。あのときは、もうアカン!と思った。

疲れ果ててそのままホテルに戻ってテレビをONすると、今、持ち込んだばかりの番組が流れていた…。ひと目見て、アタマがくらくらした。

あんな思いは二度とゴメンだ。

と、思いつつも、オンエア当日にギリギリ完成ということも二度三度…。綱渡りは恐い。


不安なカゲがよぎるアタマで、ただいま番組内容を変更中。明日の朝までに修正しなきゃ。

完成まで何ごとも起こりませんように…。
あ~、胃が痛い。メシでも食お。



某局で会議。「どうすれば制作力があがるか」がテーマ。

最近、こうしたテーマの会議や取り組みが多い。その背景には「制作力の低下」がある。その危惧がなければ、こんな会議は開かれることはないし。

製作現場の昔々大昔を知っているわけじゃないし、放送局全局の現場を見ているわけでもないので、「近ごろの若いモンは」的な発言は避けたいけれど、制作現場に20年近くいて感じるのは「意欲のなさ」と「粘りのなさ」。

それは働く若いモンだけのせいだけじゃない。放送界(と言うより、ネットワークと言うべきかな)という奇妙なシステムのせいでもある。特にローカル局の場合は。


放送という分野がどういう未来を切り開いていくのかわからなかった時代。テレビなんてどうやることやら、海の物とも山の物ともわからなかった時代に「作りたい」という思いだけでこの世界へ飛び込んだ、言わば「愛すべき世間知らずの考えなし」連中と比べたら、今の連中が気の毒だ。


良くも悪くも法律に守られ、規制され、ひとつの企業として番組という最たる商品で儲けていないにもかかわらず、地域の平均レベルを軽く上回る収入を約束されているというホカホカ暖かい井戸の底にいながら「我々の制作力は云々」と考える若手がいるとは思えない。

放送局の一番の商品は「番組」であるはず。その商品で稼いでないのに存在し続ける企業というのはホントは辛い。

商品を作る現場は売れなくても首は飛ばないし、商品を売る営業もまた同じ。しかし、自分たちが作るモノが売れないのに存在し続ける奇妙さをいつかは思い知るだろう。

メーカーであれなんであれ、商品を作る部門は自分たちの作るモノが会社を支えてるという誇りがあるだろうし、営業部門は自分たちの売り上げこそが会社を推進させているという自負があるだろう。

ローカル局の制作や営業の現場には「自負」が感じられない。自社製品で売り上げをあげなくても、自分たちは困らない。だったら「自負」なんかいらないし。

ヘンな企業だ。

制作と営業はきちんとしたコミュニケーションをとろうとしない。営業は「だって売れないんだもん」と言い、制作は「売れなくてもしかたないじゃん」と言う。

ヘンな企業だ。責任を転嫁し続けるのは辛いだろうに。

売るのが営業だし、売るモノを作るのが制作。互いの頭を持ち寄って、情報番組でもドキュメンタリーでもその内容を詰め、リサーチをし、ターゲットを絞って売りに歩けばどうなのだろう?

ぼくは制作現場に足をつっこんで20年近くになるけれど、営業も参加した制作会議というのに参加したのは一回しかない。

ヘンな企業だ、売り上げ目標を達成しなくても存在し続ける。
生産性のない企業・・・・ヘンな存在。


でも、ぼくらの生活に必要なのは経済活動だけじゃない。文化活動も欠くことの出来ないし、抑えることの出来ないぼくらの精神の発動だ。

放送局はその文化活動の一端をになってる。経済的な生産性のない企業でも存在を許されるのは、その一端で真剣に自分の興味を広げる続けるから、それしかない。それだけがぼくらの生活の糧だ。


「存在理由」なんて言葉は硬いけど、今のうちにつきつめて考えないと痛いしっぺ返しを食うことになる。現在のネットワークも田中の角さんが郵政大臣だった時代にキー局とローカル局の並べ替えをしてできたに過ぎない。未来永劫、同じままに続くと約束されたことじゃないのだし。

でも、ネットワークの生まれたいきさつを知らない局員の方がもう多いだろうし、自らを規制する放送法や電波法など読んだこともない連中ばかりだろうな…。


危うい足場に気づかないのはコワい。

そんな危ういところで社員よりずっと働くのは、アルバイトだったり、契約社員だったりするのはなぜなんだろう? この仕事がしたくてこの場にいるから、それだけの理由なのかなぁ。

社員といったって、ちっともエラくはないんだよ。身分社会じゃないんだからさ。もっと働こうよ。


頑張っている社員もいる。あたり前。

その頑張りは「経営的に会社を支える」頑張りじゃなくていい。自分の興味を、疑問を、モニターの向こう側にいる人たちに問うこと。それだけ。興味も疑問もないヒトに「制作力をあげましょう」と言ってもムリだ。その存在理由の根幹を持っていないのだから。


なんてことを社員の集まる会議で言うのもなぁ…。
請負業の首を絞めてしまうな。

くわばらくわばら…。



毎日のように、突然のどしゃ降り。
稲妻が光ったかと思うとカミナリがドシャーン! 大粒の雨がバシバシ地面をたたく。

だから、出かけるとき、窓を小さくしか開けていくことができない。昼間、ネコ助はさぞかしゆだっておるだろう。

でも、アイスノンを置いてあるし、コヤツは涼しい場所を見つける名人なのであんまり心配はしていないけど。

アオ助「オニ・・・」

先代のネコ助はカミナリが恐い弱虫で、大きな音がするたびに周囲をオロオロ見回してたけど、コヤツは平気の平左。アイスノンで冷えすぎたら、そのへんでゴロンと寝ころび、稲光なんぞどこ吹く風で「ふわぁぁぁ…」と大あくび。

長生きするで。


スコールのような雨が去ったあとは、空も海もきれい。

海04

やっぱり海はよかぁ。

浮かぶ島は韓国だ・・・・って言ったら、信じてくれた素朴な友人がいたっけ。こんなに近いわけないじゃんかぁ。彼は、どこでどうしているのやら。


パソコンのDVDドライブがダメになってしまった。DVDや音楽CD、どんなメディアを入れても認識しない。

困った…。

今、机の上には取材テープをダビングして送ってもらったDVD-Rが20枚くらいある。そのうち13枚には、局の担当者が言うには10時間前後の映像が入っているとか。容量2時間のDVD-Rになんでそんなに入るのか、素人にはわからんが、圧縮してあるのかなぁ…。

何にしろ、百数十時間の映像を9月の初旬までには見なければ…。書き起こしはディレクターがやってくれて、160ページほどになるファイルを送ってくれた。

ディレクターとぼくとが「面白い」とか「使える」とか感じるところは別なので(じゃないと、外部の人間であるぼくが制作現場に参加する意味がないが…)、やっぱり取材テープはちゃんと見て、ディレクターの書き起こしにぼくなりの追加をしていくことになる。

だから、取材テープを見るのは必須。

ノートパソコンでも見ることは可能なのだけど、画面が小さいし、やっぱり入力もしづらいので時間はかかるし、目玉は疲れるし。それに、途中で止めてから再度動かそうとすると、動き出すまでに少々時間がかかるのでイライラするし。

仕方がないので、外付けのDVDドライブを購入。いくらぐらいかなぁ、高いかなぁ…とドキドキしながら家電量販店に行くと、サービス特価とかで9000円強。よかった、お手頃価格で。


 購入したのはこんなモノ → Buffalo DVSM-SL20U2


で、さっそくデスクトップとつなぐ。と、そのままあっさり使えるように。ホッと一安心。

お仕事始めると、元からデスクトップにセットされていたドライブよりも動きがとっても軽快だし、反応は早いし、その上静かでとてもいい。こりゃ、壊れてくれてよかったかも。


でもなぁ、道具を交換したって仕事をしなければならんことには変わりない。

締め切りまでに全部見終わるだろうか。ドキドキドキドキ…。



仕事柄、あちらへふらふら、こちらへよろよろ。いろんなところに出入りする。

いろんなところに行って感じることは、同じ業種なのに、それもごく限られた狭い世界なのに、会社によって雰囲気が全然違うこと。あまりの違いに、たまに驚く。

通路ですれ違う時に挨拶をする人の多いとこ、目礼ですますとこ、知らんぷりをするところ、ツンとそっぽを向く人ばかりのところ…、なんでこんなに違うのかなぁと思うくらいにガラリと違う。

礼儀作法なんて基本的には働く人間個々の問題。礼儀知らずであろうが慇懃無礼であろうが、請負業者のぼくの知ったことではないのだけれど、仕事が終わるまでは出入りすることになる。やっぱり挨拶くらいはしあった方が互いに心もホッとするだろう。

仕事相手への振る舞いってのは、やっぱり会社の性格なのかな?

数回仕事をしたことがある某局では、通路で目礼さえされたことがない。二、三度挨拶されてびっくりしたら、みんな「ゲスト」の札を下げた出入りの人だった。社外の人間同士が頭を下げあうってのもヘンなもんだ。

その社内にはひんやり冷たい空気が漂い、なんだか深い深い海の底にいるような感覚に陥った。働く人たちは、ぼく(だけじゃなく、社外の人間)が入っていっても、全く無反応。完全に、見事なほどに無視。そのひんやり感に、彼ら彼女らが海の底を漂う深海魚に見えたっけ。

こんなひんやりとした冷たい深海で仕事をしてても楽しくないだろうに…というのは余計なお世話なのだろうけど、そこで番組やニュースが作られていると思うとなんだか奇妙な不安を感じる。そこで作られた番組やニュースには、あったかい血が流れているのかしらん?


ま、いっか。
ここ数年、仕事の依頼もないし、あまり行きたくないところだし。深海魚は深海魚なりの燃え方や楽しみがあるんだろうな。

でも、せめて目礼ぐらいしようよね。社会人なんだから。



編集開始まぢか。でも、ラフ構成はまだあがらない。

窓辺に扇風機を置き、パソコンに風を送りつつお仕事中。今、コヤツにダウンされると困るのよね~。ヒトは裸になれるけど、パソコンは中身むき出しにできんし。

でも、宅配便屋さんなんかが来たら困るな。いくらなんでもこの格好じゃ出れん。ま、もう10時だし、これから誰かが訪ねてくることもあるまいにゃ。

でも、この時間になっても部屋の気温は30度近いってのもどうなのかしらん。外気の方が心地いい。


ふと窓の外を見ると、まぁるい月。満月近し? どこから見ても、この月なんだなぁ。満ち欠けは違うのだろうけど。

「今月今夜のこの月を…」ってのは、熱海の海岸の貫一&お宮だっけかな? 学生時代、熱海に行ったとき、「お宮の松」というのがあって驚いた。結局なんだったのかなぁ、あの松は。

貫一&お宮の『金色夜叉』を「きんいろよまた」と読んだヒトがいるって話は、読み違えの代表的な例として広く流布してる話だけれど、『大蔵大臣』を「だいちゅうしんぐら」と読んだのは、ぼくの中学三年のときの同級生。これはその場で、この耳で聞いたのだから、実在の人物の、ホントの話だ。

でも、「だいちゅうしんぐら」の印象ばかりが強くて、そう読んだのが同級生の誰だったのか? 男子だったのか女子だったのかは、覚えていない。

記憶って不可思議だね。


しかし、月が明るかね~。

熱海の海岸はなんとなくおどろおどろしい感じがするけれど、心地いい風が吹く海岸でまったりしつつ、十五夜のお団子でも食べたいわぁ。


いかんいかん、現実逃避モードに入りつつある。

頑張ろっと。


谷選手は銅メダルだった。

5大会連続してオリンピックに出場し、全大会でメダルを獲得。すごいことだ。なのに「残念」という声がこだまする。期待が大きかったことの裏返しだろうけど、傍観者の言葉と心の暴力を感じるなぁ。

結果が出てからでさえ、選手選考にあれやこれやと言う輩がいる。

谷選手の実績を優先するのではなく、選考会で谷選手に勝った選手を出すべきだったという声。

柔道男子の先陣を切り、敗れた平岡選手に対しては、野村選手の経験を買うべきだったという声…。

アホちゃうか。
ふたつの言いぐさ、言ってることが全く逆じゃん。

大会に臨んだ選手たちにぼくらが言えることなどない。ぼくらは研鑽を積んだ彼ら彼女らの精一杯のパフォーマンスを見せてもらう側なのだから。

かなり前、柔ちゃん・谷選手がまだ田村亮子だったころ、柔ちゃんの番組の制作に携わったことがある。そのときに感じたのは「続ける」ということへの彼女の強い意志だった。

畳に立てないようなケガを負っても、決して諦めようとはしない。稽古の量と質を信じ、壁が立ちふさがっても立ち止まろうとはしない意志。そして、自分を律する心。

こりゃ、かなわない…。そう感じたっけ。

10代の頃から注目されてきた谷選手。20年近くの長きにわたって自分を律し、自分にトライすることを続けてきた。それだけでもう素晴らしいことだと思う。持続することの大切さ、持続できたことの強さを感じられずにはいられない。

ぼくが持続できてるってこと、なんだろね? 息をしてるとか、心臓が動いてるとか、自分の意志が関わらないことばかりだもんな。


負けた試合後も畳の上ではきちんと礼をし、試合後のインタビューでは対戦相手を讃え、家族他支えてもらってきた人たちへの感謝の言葉を口にした谷選手。それが彼女の“普通”になってしまっているのだろう。なんだか痛々しくさえ見えた。

「銅に終わった」と表現されてしまう期待を背負って試合に臨んだ谷選手。しばらくはゆっくり休んで欲しい。


それにしても、「銅に終わった」という言い方はないだろう。視聴者の過剰な期待へのおもねった表現としか思えない。

他の競技でもそうだ。水泳の800メートルでも「日本新を記録したが予選敗退」と言った言い回し。期待はずれだったという負の余韻を残そうというのか? オリンピックで自己最高、それも日本新を記録する。素晴らしいパフォーマンスじゃないか。

こんな心ない言い回し、変えたらどうだ。

「予選突破はなりませんでしたが、記録は3秒も上回る素晴らしい日本新記録でした」

こうした表現にすれば、練習に明け暮れた選手の日々を思い描くこともできる。

ぼくらは彼ら彼女らの、日々の積み重ねの上に立ったその発露を見せてもらっているのだ。ベストなパフォーマンスをしたときは、そのことをきちんと伝えるのがメディアじゃないのか?


金メダル何個を期待なんて、そんなことはスポーツを仕事にしている人たちだけの取らぬ狸の皮算用にすぎない。傍観者のぼくらはそんな傲慢なことは言えるはずもない。

持てる限りの力を尽くし、ベストなパフォーマンスをして欲しい。順位はあとからついていくるオマケみたいなもんだから。





暑い…。

今年の真夏は、ほんとに真夏。
パソコンを打つ手の下に
タオルを置かないと
キーボードが汗で濡れる。

アタマも暑いなぁ。
短髪なのに。

ロン毛だった20代の頃は
どうやって暑さをしのいでいたんだろうか?

今、思い出しても
あ"~っ、うっとぉしい~っ!
てな感じの髪だったもんなぁ。


暑い夏の日。
することがないので
大学近くからとろとろ歩いて
六本木を越え、東京タワーまで
歩いたことがあった。

真夏で真昼の六本木。
誰も歩いていない…。

夕方以降は
待ち合わせの人

客寄せの異人さん

ナンパ師
などでごった返す交差点も
がら~ん。

そんな中
「お、外車を売っちょる!」
「さすが六本木!」
などと喜びながらてれてれ歩いた。

学生ってのはアホである。


アホだけど
することが見つけられないからだろう、
何かをしなきゃっていう思いに
追われてた。


追われてるけど、する気が起きない。

バイトをする気にもなれない。

友人たちは家庭教師をやるヤツが
多かったけど
それがどうにも納得できん。

「子どもは遊ばせなきゃ」
「ガキの頃から受験の準備なんてナンセンス」
などと言っていながら
のほほんとバイトで家庭教師をやり
高給を得る。

妙だよなぁ。

言ってることと、やってること。
違いすぎやしないか?
ガキを相手に
金を稼ぎたいだけじゃん。

そんな意味のことを
新聞に投書したら採用された。
「若者の声」的コーナーだったような
記憶がある。

そしたら反論が来た。
東大の女学生からだった。

私は子どもを教えていますが
同時に子どもにも教えられています。
教えることで私は
子どもに育てられているのです。

そんな内容だった。

申し訳ないけど、ちょっと笑った。
この人の言うことは
自分の視点だけ、自分のことだけだ。
この人を「育てている」子どもは
どう感じているのだろう?

このお姉さんに育てられている。

そんな風には
思わないだろう。

それに
育ててもらっていることを
自覚するのなら
アルバイト料と称する金銭は
そっくりその子どもに
献上しなきゃね。


バイトはやっぱ力仕事だろ。
『男はつらいよ』の寅さんじゃないけれど
「労働はやっぱり額に汗しなきゃ」
そんな思いもあったりして。

でも、ぼくはズボラだから
バイトはめったにしなかった。

金がなければメシを食わなきゃいいもん。

やっぱ学生。アホである。
それに、怠惰。
かつ、ひねくれんぼ。


でも、額に汗して、は
ホントにそう思っていた。

まぁ、肉体労働じゃなきゃダメという意味では
なかったのだけど。


それは、高校時代に聞いた
ニュー・サディスティック・ピンク(NSP)の『あせ』。
この曲の印象が
とても強かったからかもしれない。





『あせ』 (YouTube)

曲の作者:天野滋さんが亡くなって
もう3年以上がたつ。
早いな。

ここ でNSPを再結成したときの
天野さんのステージと『あせ』が聞ける。


彼が書いた詞。

せっかく生きているのに 何にも出来ないなんて
石ころを けとばして 空にぶつけてみようか


どこからわいてくるのかわからない焦りを
胸にくすぶらせながら
ただひたすら歩いたあの頃。
その時の気持ちとぴったりだ。


その焦りは今もある。

「オレは何をやってきたのかなぁ」
なんて思って結構落ち込む。


あかんな、自虐は。
心の“あせ”はちゃんとかいてるし。

冷や汗ってのが
難点だけどさ。



久々に雨が降ったかと思えばカミナリぴっかりゴロゴロを伴ったどしゃ降り。

今年はあちこちが局地的、瞬間的な豪雨に見舞われている。豊島区の雑司ケ谷では下水で作業中の人たちが流された。


神田川近くに住んでいた頃、集中豪雨で道路があっという間に冠水したことがある。

アパートに戻る道も完全に水の中。深夜、真っ暗な中をスーツ姿の胸まで水に浸かって帰ったっけ。

なんせ道路のハズのところにボートが行き交っているんだから驚いた。


幸い今日の雨は幸い大事にはいたらなかったけど、最近の集中豪雨も温暖化の影響なのかな

恐ろしや、恐ろしや。

玄界灘の夕陽。


きれいだ。
結構、捨てたもんじゃないな。


海は玄界灘だの日本海だの太平洋だの南氷洋だの、あれこれ名前がつけられてはいるけれど、地球上にひとつしかない。

みんなつながってる。


空もそうだけど。

空だってひとつしかない。
地球上にひとつ、じゃない。宇宙全体が空だから、ぼくらが知るこの世にひとつしかないってことかな。




夕陽を見ると『星の王子さま』の一節を思い出す。

「ねえ・・・悲しくてたまらないときは、夕陽が見たくなるよね・・・」

「じゃあ44回見た日は、きみは悲しくてたまらなかったの?」

王子さまは答えなかった。



これは内藤濯さんの訳。

最近は池沢夏樹さんとか、他の人も訳しているけれど、どんな言葉が選ばれているのかな。


忙しくなり、お尻に火が付き始めると本が読みたくなる。
現実逃避だね。

もうちょっと焦らねば。




ぽかりと時間があいたので、頭の輪切りに出かけた。

ずっと前から一度は受けたいと思っていた脳みそ検査。自分のアタマがどんな状態にあるのか、見ておいても損はない。

行きつけの内科の先生に紹介された脳神経外科は名門帝国大学病院の正面にあった。この大学の医学部を卒業し、その面前で開業する・・・・エライもんだ?

小さなビルのワンフロア全部を使った院内はきれいに整頓され、椅子の座り心地もいい。

物珍しくてきょろきょろ見回しているとすぐに名前を呼ばれた。50代後半らしき先生に来院のワケを告げ、希望通り、アタマを輪切りにしてもらうことに。

MRI(核磁気共鳴画像法・・・だっけかな?)に横たわる。

「3分くらいで済みますからね」

看護師さんの声を耳にしつつ、ベルトで固定された頭だけを機器の中へスルスルと投入。かなり前、体の輪切りをしてもらう時に入ったMRI(X線CTだったかも・・・)は「グオ~ン」とすごい音でちょっと恐くなるくらいだったけど、今回はほとんど音がしない。

目をつぶったまま、なんとなく気持ちが良くなってきて、うつらうつらしていたら、

「はい、終わりましたよ」

ほんとに3分だった。
カップヌードルみたい。ウルトラマンでも受診可能だ。

待合室に戻り、雑誌を手に取ろうとするとすぐに診察室へ呼ばれた。ぼくの頭の輪切り写真を先生はじっくりと見て、

「なんともないですね」

あら、嬉し。

先生は脳の模型を手に、

「ここが前頭葉で、ここが側頭葉。意識の中枢は側頭葉にあるのよね」

と、丁寧に教えてくれる。そして、写っている画像はどんな風にアタマを切っていったものかを説明してくれる。

目玉も半分になって写ってる。う~ん、不思議じゃ。

撮影した画像は30枚くらいだろうか。3分で頭の輪切り30回・・・・科学の進歩、恐るべし。


せっかくだから、質問してみた。

「何か、生活の中で気をつけることはないでしょうか?」

「な~んにもありません」

ちょっと拍子抜け。
でも、先生はこう付け加えてくれた。

「あなたの年齢にしては、とてもきれいな脳です。立派なものです」

ぼくの年齢だと自然治癒した脳梗塞や血栓の痕跡などがあっても不思議じゃないらしい。でも、自分で言うのもなんなのだけど、均等な厚さの白い頭蓋骨に囲まれたぼくの脳は、どの輪切り写真を見ても、左右均等、ぎっしりきっちり、とてもきれいに詰まっていた。どこにもクモリもカゲもない。

立派なものですーーーアタマの中身を誉められたわけじゃないけど、嬉しくなってしまった。

単純かしらん?

神経伝達物質がきちんと出てるかどうかとか、そんな生理的なことはわからないけど、ま、外形的には心配することはないらしい。

良かったぁ。


しかし、診断の早いこと。

病院の前のコインパーキングに車を止めて病院に行き、ふたたび駐車場へ戻るまでの時間は、たったの32分。以前のMRIは数時間かかったような記憶があるのだけど・・・。

個人病院で(だからこそ?)このスピード。
科学の進歩、やはり、恐るべし。

受診料は三割負担で ¥6,280也。ちょっと高いかな。


でも、一杯飲んでもこれくらいはかかるし、面白かったし。
また行こうっと。


ここ数日の「漫画マイブーム」は、これ。

聖おにいさん

書店でふと手に取り、あら、おもしろい。
んで、刊行済みの巻を全巻購入。と、言ってもまだ全2巻だけど。

物語は天上界にましますブッダとイエスが休暇をとり、一緒に東京は立川の安アパートで同居するという、なんともヘンテコな設定。「聖」はふたりの姓ということになっている。

ふたりが下界へやってきたのは有給休暇を利用して。生活費は天上界から銀行の口座へと振り込まれる(どこの銀行じゃ?)。その額はふたり合わせて26万円。いやしくも神と仏、その生活費が月26万円とは激少とも思われるが、ぼくがひとり暮らしの時は月5、6万だったしぃ~、と、遠い昔の貧しい子羊と比較しても意味はないか。

イエスはパソコンが好きでブログに熱中。ブッダは金銭感覚に厳しく、無駄遣いしがちなイエスにいつも目を光らせている。

でも、とても仲がいいふたり。

カゼをひき、高熱を出したブッダをイエスは病院へと連れて行く。イエスが受付をしている間、高熱にうなされながら待合室に佇んでいたブッダのまわりには、ぞろぞろとお年寄りが…。

「お迎えじゃ、お迎えが見える」

「ワシもじゃ、こんなワシも天国へ行けるんじゃ」

感激のあまり涙するお年寄り・・・・って、『釈迦来迎図』かいっ!!

きょうのブッダはプライベート、手を合わせてもダメだと言ってもお年寄りはありがたがるばかり。困ったイエスは奇跡を起こしてお年寄りたちの病気を治してしまう。

ええな~。一家にひとり、いて欲しいタイプだわ。


苦行荒行苦痛ののちに悟りを開いた、どちらも人間の叡智を超えた存在。だから時につまらないこともある。

湖面を歩いてみせたこともあるイエス、実はカナヅチ。ブッダに教えを請いつつ必死の思いでプールに潜ると・・・・。

イエスのあまりの気合いに、荒海を割って道を造ったモーセの如くプールの水が二つに裂け、イエスは濡れることなく底まで潜れてしまうのだった。

つまりは泳げないまま。

暇つぶしに人生ゲームをやっても、あっさりあがってしまう。ストイックな人生を過ごしたふたり、ゲームの中でも欲望や波乱とは無縁なのだった・・・・。

って、ホントかいっ!!

などと、ひとり突っ込みをしながらアッと言う間に読み終えてしまった。
つまんな~い。早く次の巻が出ないかなぁ。巻末の予告では、第三巻は2009年の1月に発売だそうだ。

待て~ん!


作者は中村光さん。初めて聞く名前だけど、まだ24歳の女性だそうだ。ブッダとイエス、ふたりの青年がアパートで同居。面白いことを考え出すもんだなぁ…と、ただただ感心。


  中村光さん オフィシャル・ウェブサイト


背中に如来の入れ墨を彫った極道さんを「熱心な仏教徒さんだ」と思ったイエス。その胸の刺し傷を見て自分と同じ日陰者と信じた極道さん、「三日で復活した」というイエス再臨の言葉を「三日で脱獄」と思い込み、イエスをアニキと慕うのだった…。

なんて、あんまりネタをばらすと未読の方に申し訳ないから、このへんで。

次が楽しみだわぁ。

仕事に飽きたら、やる気が消えたら、ち~とも集中できなかったら、智恵を絞りきってしまったら、外の光に誘われたなら…。

どんな理由であれ、サボるの、大得意。
ぶっぶーと、ドライブが一番ね。


海02


玄界灘もきょうはご機嫌、綺麗な姿を見せてくれてる。

見ているだけで癒されるねぇ…。

人は海型・山型とあるとも言うけど、ぼくはやっぱり海型だな。海のそばに来るとホッとするもん。

陸地の様子は変わったけれど、ここの眺めはずっと変わらない。

そのまま、そのまま、ずっとそのままでいて。
ゆっくり、まったり、いつまでも眺めていたいな。




真夏、本番。暑い日、連続。

ぼくの住む地方では、7月は真夏日の日が30日を数えたとか。

どうせなら残りの一日も頑張って、丸一ヶ月、あぢぢの日になって欲しかった。

夜も毎日熱帯夜。きのうの夜は午前零時近くに枕元の温度計、28度を超えていた。

2008-08-03 07:40:34

も~、ご勘弁って感じ。気温を見るとそれだけで眠れなくなりそう。エアコン入れてこれだもん。

ニュースでも、毎日猛暑の様子が流される。見るだけで暑さが増すねぇ。

どうして「暑さ」はニュースになるんだろ。寒さも話題にのぼるのは夏だしね。

あぁ、暑さでおろおろ歩きそう。
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