番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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5月も最終日。
晴れた晴れた。ぴかぴか。

車窓から入る風も心地いい。



きょうは日曜日。

田んぼには耕運機が入り、田植えに備えて土の掘り起こし真っ最中。



兼業農家がほとんどだろうから、田んぼに入れるのは休みの日だけ。

きのうときょうで田を起こし、来週の土日に水を張り、そしてようやく田植えかな?

その間に苗を育てたり、準備もあるし。

大変だなぁ。


と、思いつつ、きょうも、ずるずるゴロゴロまったりゆったり。

申しわけない。



水を張り、田植えが終わった田んぼはとってもきれい。

農道ドライブが楽しくなる。

早く見たいな。



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朝からガッツリ2杯飯を食うせいか、旅から戻るといつも体重が増えている。

仕事に没頭し、やつれるのならわかるけど、体が横に大きくなるっていうのもなぁ。

しっかり働いてないような…。

ちょっと気がひける。

今回も体重増加(1キロだけど)。

でも、なぜか体脂肪は減って体内年齢は若返り(1歳だけど)。


きょうは一日ゴロゴロ。たまには、まったり、養生も大事。



よ~働いたと、ネコ助もご褒美をくれるのかちょっとだけゴロゴロ。

よしよし撫で撫で…。




番組の制作に参加しました。


ガマフヤー
~ 拾いたい 地中の声 ~



放映日時:5月30日(土)14時から1時間

放 映 局:RBC琉球放送






沖縄には「ガマ」と呼ばれる
自然の壕があります。

「ガマフヤー」とは「ガマを掘る人」の意味。

自ら「ガマフヤー」と名乗る
具志堅隆松さん。

26年間にわたって
沖縄戦で命を落とした人々の遺骨を
収集しています。

具志堅さんが今、力を入れているのは
那覇市の小さな森「真嘉比の森」。

沖縄戦時、アメリカ軍が
「ハーフムーン」と呼んだこの森には
日本軍が陣地壕を作り
アメリカ軍と対峙しました。

沖縄戦で最も激しい戦いとされる
「シュガーローフの戦い」です。

「ハーフムーン」真嘉比の森には
当時の遺骨が今も眠っています。
その遺骨を掘り出し、
出来ることならば遺族に返したい。
具志堅さんはそう願っています。


名前が刻まれた遺品と共に
掘り出された遺骨。

「父親の遺骨ではないか?」

この2月には
遺族の可能性のあるふた組の兄弟が
富山と神戸から真嘉比の森を訪ね、
父親かもしれない遺骨と対面しました。

佐賀に住む90歳の女性は
真嘉比の森から掘り出された遺品に
刻まれた名前に、兄の姿を見ています。

高齢のため
現地を訪ねることのできない妹。

こうした、沖縄で命を落とした肉親へ
思いを馳せる家族は
まだまだたくさんいるのです。


まだ手つかずの壕が
8つはあるとされる真嘉比の森。
しかし、道路整備で姿を消す運命にあります。
遺骨の声を地中に残したまま…。


あの戦争から64年。

現場だけが持つ説得力が
またひとつ、消え去ろうとしています。



観覧車がゆるゆるまわる北谷町のスタジオでナレーションの収録。

映像とナレーションを合わせつつ、時折文章に手を入れつつ進んで行く。

ナレーターは落ち着いた声の女性。凛としてて、穏やかで、いい感じ。

収録自体は3時間ほどで終了。ナレーターの方にはお引き取りを願い、音作業の開始。

テープの時代はナレーションが枠内からこぼれたらやり直しだったのだけど、今は言葉をどの位置に置くかも自在。

便利になっただけ、音の専門家の作業が増える。

全体の音のレベルを合わせ、聞き取りにくい音はイコライザーその他で可能な限りクリアにし、小さな小さなノイズも取り除き…。

6時間はかかるそうな。


ぼくはナレーションの収録までで役割終了。

ホッ。

スタジオに残る皆さん、がんばってください。

ゴールは目前だぁ!

編集も佳境に入るとぎうぎう状態。

早い時間に始めて、早い時間に終わろうというのが今回の目標だったけど、せっぱ詰まってくるとそんなことも言ってられない。

あ~かな? こ~かな? いや違う。

編集をパソコンで出来るようになってから、修正が簡単。だからかな、試行錯誤の時間も回数もうんと増えた。

絵描きさんは「筆の起きどころ」の見極めが大切だとか。編集作業も同じだと思うけど、着地点をなかなか見極められない。

だもんで、ホテルに戻ると午前4時だったりする。

ナレーションを考えなきゃいけないけど、頭が働かないね。

まずはひと眠り、ひと眠り。

編集は行ったり来たりの作業。

三歩進んで二歩下がる。時には振りだしに戻ったり。

「順調?」

顔見知りからそう尋ねられると、「う~ん…」。

正直なところ、分からない。人はそれぞれ見方感じ方が違うし、プロデューサーのチェックもあるし。

星一徹がひっくり返したちゃぶ台のように、積み上げた時間がゼロになることも。



ま、なんとかなるじゃろ!

ホテルに戻ると、この時間。

こんなに早い時間に部屋にいていいのかなぁ…妙に不安。

きょうの仕事始めは朝8時。編集機のやりくりで、夜の編集が出来ないため。

編集機材がテープからパソコンに移行している最中で、取材テープのサイズもバラバラだったり、取材テープをパソコンに取り込める機材が少なかったり、DVDを導入したり。

担当者も新しくなる機材に対応しなければならないし、編集現場も大変だ。



編集、間に合うかなぁ。

ま、なんとかなる!

起きて、カーテンを開けて。

今日も晴れ。
梅雨はどこに行ったのかな?

モノレールが駅を出た。

ぼくもそろそろ出かけよう。

食パン一枚にイチゴかバナナにかけたヨーグルト、それにジュースと牛乳というのが朝食の定番だけど、旅先では和食。

それもご飯は必ずおかわりしてガッツリ食べる。

脳みそはエネルギーを消費するというのはどうやら本当で、編集に入るとどんどん腹がへる。

腹がへっては戦はできぬ。だから朝からガッツリ。

へぁ、苦しい。

このホテルはバイキング方式。ゆし豆腐のみそ汁、モズクや胡麻豆腐をはじめ5、6種類の小鉢にゴーヤをまじえたさっぱりサラダ、それに南国の果物&ジュースや牛乳など、選択肢がたっぷりで嬉しい。

古いホテルだけど、昨年リフォームしたそうで部屋もなかなかきれい。昔の建物だけに部屋は広くてシングルルームもゆったり。

国際通りまで歩いて5分、仕事先までは2分と立地条件も抜群。

これで一泊5000円とはリーズナブル。

タウン情報誌と化したわけじゃないけど、メシがうまいのと、仕事先に近いのは必須条件。

ススキのかんざしを髪に刺す浴衣のキミはいないけど、ぼくの旅の宿も結構お気に入り。


深夜、メインストリートの58号線でバリバリ爆音をあげて行き交う暴走族、と言うより死に絶えたはずの“カミナリ族”とパトカーとのバトルがうるさいのが唯一の難点かな。

でも、聞こえてくるパトカーの拡声器の声が意外に楽しかったりする。

今夜もバトルやるかな?

編集が始まるまで、ホテルで待機。

梅雨に入った南の島も、きょうは晴天。30℃予想。

空の青がきれい。

モノレールがゆるりゆるりと走ってく。

あぁ、まったり。
午前中なのに、昼寝気分。



ちょっと暑いね。

まだ体が慣れないせいか、エアコンを入れるとひんやりし過ぎるし。

まったりするのも難しい…って、贅沢かな。

編集中に取材が入り、ディレクターとカメラマンが席をはずした。

その間、知人と食事。

編集室に戻ると、取材陣は未帰還。

ひとりでボ~ッと待つには、この部屋は寒い。頭上からエアコンの冷気が降って来る。


早く帰ってこないかなぁ。

南の島は梅雨入り。
それでも例年よりかなり遅いのだとか。

ホテルのロビーには、こちらの着物がエアコンの風にゆらゆら。

「びんがた」かな。どんな字だったかなぁ。

涼しげ、心地よさげ。

一緒にゆらゆらしたいけど、やっぱりお仕事に行かねば。

がんばりますべ。

民主党の代表選挙は鳩山さんが勝ち、この体制で麻生さんと次期総理の座を睨んだ解散総選挙とあいなるのかな。

世襲議員の存在が少しだけ問題視されてる。

これまで何度も浮かんでは消える世襲議員問題。今回もいつの間にやら沈んで行くだろうな。

あとを継ぐ議員はどんどん増えてるし、その彼らが自分自身の存在を揺るがすこの問題に本気で取り組むことは期待出来ないし。

何より、世襲の問題は選ぶ方の問題。血筋に重きを置く有権者が選択基準を候補者の政策に目を向けるようにならないと「○○議員の二世三世四世」は増えて行く。

麻生さんは吉田茂の、鳩山さんは鳩山一郎の、それぞれ孫だから、世襲議員サラブレッド中のサラブレッド。国の顔も血族で交代するようになるのかな。

昔、大学受験の時にお世話になったお宅は、鳩山一郎さんのお宅の隣だった。都心に重厚な壁が続く邸宅で、「国の顔は庶民の代表じゃないんだなぁ」と思ったっけ。

お孫さんは僕らの視点に立てるかな。麻生さんが庶民に軸足を置いてないのは、その言動でもう明らかだけど。

昨夜は珍しく寝付かれず、夜中に起きて資料を読む。

いつもは睡眠剤の「こち亀」をながめていると、そのまますんなり眠りの世界に入っていけるのに。

寝付けず、暗がりを手探りでネコ助を見つけ、なでなで。ネコ助はおつき合いで、ごろごろごろごろ、ノドを鳴らす。ひがなうつらうつらしている猫は眠りがとても浅いのだとか。

なでなで、ごろごろ、なでなで、ごろごろ。

ネコ助の必殺ごろごろも睡眠剤にはならず、『キリシタンと西洋音楽』なる本を枕元に持ってきてページをめくる。

難しか~。なんだかさっぱりわからんわ。

で、寝不足。

3時間は眠ったのだけど、ぼくはナポレオンじゃないので昼下がりになると眠いやらだるいやら。脳が「きょうは働きまへん」と言ってる。

ごろごろしつつ、テレビをながめていたら、ドラマの中で金貸しの取り立てシーンが。

あぁ、あったなぁ、こんなこと。

って、ぼくじゃないけど。
学生時代の隣の部屋のおじさん。

ぼくが住んでいたのは1階のドアを開けるといきなり下足場&階段になっていて、2階にいつつの部屋がある小さなアパート。

上がりかまちに部屋毎に郵便受けがあるのだけれど、隣のおじさんのそこには毎日数通の督促ハガキが突っ込まれていた。

こっそり手にとって文面を読むと(って、犯罪やがな…)、最初は丁寧に、徐々に高圧的に、そして罵倒する言葉へと文面も変わっていっていて、「へぇ、おもしろいなぁ」と思ったことだった。

ある日、日が暮れて夜のとばりが降りたころ、窓の下から怒鳴り声がする。

なんだ…?

「こらぁ! おるのはわかってるんや! 下、開けんかい!」

隣のおじさんのところへやってきた取り立てのお兄さんたちだった。1階の扉は内側からカギがかかるようになっているので入ってこられない。だから、「開けろ」と言ってるのだった。

ぼくは電気もつけず、怒鳴り声を聞いていた。「隣の部屋の兄ちゃん、開けてくれんか」。そう言われるような気がして。

恐かったな。

結局、その日、お兄さんたちはお引き取りになったのだけど、数日後、1階のカギが開いている時にやってきて、隣の部屋のおじさんを責め立てた。

安普請のアパートというのは、声が筒抜けだから、こんな時は面白い。

ふたりのお兄さんは役割分担がはっきり決まっていて、片方がコワい言葉で脅す役。もう片方は、落ち着いた声で、「まぁまぁ、この人も反省してるんだから」と取りなす役。

うまくできてるもんだなぁ。

ひとしきり怒鳴り声と取りなし声が続いたあと、落ち着いた声が。

「あなたも社会人なんだから、借りたお金は返さなきゃならないことはおわかりでしょう」

住人のおじさんの声は小さく、ぼぞぼそ低くて聞き取れない。

「私たちも仕事なんだから、何度もこういうことをしたくないんですよ。わかってくれますね?」

「・・・・・・・・」

「はっきりしゃべらんかい!」

「もういい、わかってらっしゃるから。次に来るときにはすっきり解決できますよ。ね、そうでしょう」

「・・・・・・・・」

“次”があったのかどうかはわからない。


その日から何日かして、1階に住む大家のおばあさんがぼくの部屋にやってきて、こう聞いた。

「最近、××さん(隣のおじさん)にお会いになります?」

姿を見かけなくなっていたことに、そのとき、気づいた。

大家のおばあさんと入ったおじさんの部屋は、起き抜けそのまま。ちょっとトイレに…という感じのたたずまい。部屋ごと、抜け殻みたいだった。


いなくなる前、おじさんは「糖尿病の具合いが悪くて…」と大家さんにこぼしていたそうだ。ぼくも廊下で会ったとき、同じ言葉を聞いていた。

このおじさんが、ぼくの初めての“蒸発体験”。


それからしばしたってのち。

今度は、反対側の部屋に住んでいたお兄さんがいなくなった。

その部屋には、畳まれたひと組のふとんの他には、全く、なんにも、なかった。茶碗も、箸も、コップも、歯ブラシも。

数ヶ月の間に両隣の部屋の住人が蒸発。大家のおばあさんは「最近の人は居つきが悪いですねぇ」と、あきれた風もなく、どこか楽しんでいるように話した。

ぼくは、取り立てる方か、取り立てられる方か、どちらかの立場にいずれなるんじゃなかろうかと考えた。どっちになっても、全然おかしいことじゃない。可能性はいくらでもあるんだし。



ドラマを見ながら、あのおじさんとお兄さんは、今、どこで、なにをしてるんだろう…と思った。ぼくは今までのところ、どちらの立場にも立たずに済んできてる。

よかった、よかった。


しかし、パソコンからランダムで流している音楽が、この文を書いてるさなか、シンディ・ローパーの『 Money Changes Everything 』になったのはできすぎじゃない?


くわばら、くわばら。


晴れた、晴れた。
空にはひとすじの雲もない。

車で少し走ると、もう山の端。
緑がきれいだ。


しかし、暑いね。
夏日かな。それとも真夏日?


きょうはこんなに暑いのに、北の街、釧路ではようやく桜の花がほころんだとか。

遅い春。嬉しいだろうな。

このあたりの春はどんなだったかなぁ。
忘れちゃったね。

桜もとっくに葉桜、ふつうの立木。
屍が眠っているようには見えないね。

もう、春眠がなつかしい。

新型インフルエンザが日本に上陸。

朝、テレビをONしたら、舛添厚労大臣が談話を発表しているところだった。カナダへ研修旅行へ行った高校生と引率の先生が感染したとか。

生徒のひとりは機外に出てから身体の不調を訴えたということだけど、水際作戦は今のところ功を奏しているというところかな。

インフルエンザは新しい型が登場すると、それまで居座っていた型はその座を譲るんだそうな。感染症の専門家がそうコメントしていた。

インフルエンザの世界に、下克上あり。
いや、禅譲かな?

でも、本当なのかなぁ。初耳だった。

毎年流行する季節性インフルエンザでも日本で1万人前後の人が亡くなっているんだとか。

その座を譲るというのが事実だとしたら、今回の新型が言われているようにかなりの弱毒性のモノならば、ゆっくりとA香港型やAソ連型と入れ替わってくれた方がいいのかも。


しかし、舛添さんは忙しいな。最近、制作に携わった番組のうち、三つに舛添さんが登場した。

「C型肝炎」、「ドクターヘリ」、そして「遺骨収集」。どれも“陳情”という形かな。

厚生労働省の守備範囲の広さがわかるなぁ。ひとつの省でやるべき仕事が多すぎるんじゃないかしら。年金の問題も厚労省の管轄だし。

好き嫌いが分かれるタイプの人だけど、同郷の麻生太郎総理大臣よりも一生懸命さがかいま見えるだけいいんじゃないかしらん。

激務で体調を崩し、紺屋の白袴、医者の不養生とならないように、がんばってくださいませ。



*取材対象者に叱られる。

もうかなり前のことですが、取材が始まる前、取材対象者に呼ばれ、局へ出かけたことがあります。

その席にはプロデューサーとディレクター、そして取材対象者とその後見人的な人がいました。そしてその席で、ぼくは取材対象者にこう叱られます。

「番組にすることが決まってるのに、まだ台本は出来ないのか。構成担当は何をしとるんだ!」

その言葉を聞いたときのぼくの反応は、「??」。

言われている言葉の意味が理解できなかったのです。

基本的に、ドキュメンタリーに台本はありません。「こんな風な流れになるかなぁ」という、ディレクターたち取材最前線のスタッフが肌で感じた雰囲気を元に、希望的観測の想定はできますが、『台本』はありません。

“このシーンでは、主人公に、あの場所で、こういう状況の中、こんな話をしてもらう”なんて台本があるドキュメンタリーなど、ありません。

それはドラマの世界です。

でも、この取材対象者の方は、取材されるということは、イコール「演じること」だと思われていたのです。それも、こう言っては失礼かつ申し訳ないのですが、自分がより良く見えるように撮られることを念頭に、「台本はまだか」と言われていたようなのです。

「ドキュメンタリーに台本はありません。ありのままの姿を撮らしていただき、取材が進むにつれて番組の形が徐々に固まっていくのです」

ディレクターが仕事の流れを懇切丁寧に説明します。

ぼくも同様に“ありのまま”でいてもらうことの大切さを話します。“ありのまま”が積み重なることで、一個人の生き方や心情が自然に浮かび上がる。そこには『台本』など必要ないのだと。

それでも、この取材対象者の方は、ぼくらの話す内容を理解してはいただいたものの、いつまでも首をひねっておいででした。


*カメラに慣れて、取材スタート。

さて、取材が始まりました。

“ありのままを撮る”ことに同意していただいたものの、いざ取材となるとその“ありのまま”が撮れません。

それはそうです。

ただ話を聞かれるだけでも緊張するのに、小型バズーカ砲のような形のカメラに狙われ、頭上にはモコモコした毛に包まれたマイクがぶら下がっているのです。

そんな中、“ありのまま”に振る舞えるのは希有な人でしょう。

テレビの取材は、その形や方法からして相手にバイアスを、圧力をかけているのです。本音を聞き取ることが出来るまでに時間がかかる一番の原因は、テレビに不可欠なカメラとマイクの圧力。

テレビ取材の辛いところです。

この取材対象者の場合、そのカメラ&マイクの圧力にプラスして、自分が思っているように撮ってもらおうという思いがしばらくの間は頭から離れなかったようです。

ぼくは取材現場には行きませんでしたが、のちに見た取材テープの中で、取材対象者は撮られる位置を自らセッティングし、話す内容を準備し、稽古をして撮影にのぞまれていました。

こうした、言わば準備された映像と音声は、番組には使えません。撮るだけムダなのです。それがわかっていながら、ベテランのカメラマンは根気強く撮り続けていました。

撮り続けることで、カメラに慣れ、マイクに慣れ、取材陣の存在に慣れてもらう。そしてようやく“ありのまま”が顔を出す。

それがカメラマンの狙いでした。

数日間をかけて撮った映像と音、それは全部使えない。そんな取材が続きました。それでもカメラマンはカメラを回し続けたのです。

“ありのまま”が撮れるようになるまで。

ぼくは、増えていく「使えない映像」を見ながら、カメラマンの粘りにほとほと感心しました。



テレビは映像と音が命です。
テープに収められたそれらのモノ、それがすべてです。

ぼくがそのことに気づき、可能な限り取材テープの隅から隅まで映像を見、音を聞くようになったのは、このカメラマンの粘りに出遭ったからです。

貴重なことを教えてくれたカメラマン。
そろそろ定年だと聞きました。



「台本はまだか!」

取材対象者にそう一括された番組は、主人公の自然な話と表情が印象的な物語としてまとまりました。

ムダになるとわかっていながら取材を続けたディレクター、カメラマン、そして音声さんたちの頑張りのたまものです。


粘り続けるカメラマンと音声さん、そして現場を鼓舞し引っ張るディレクターは、今も確実にいる。

熱のこもった取材テープを見るたびに、ぼくはそう感じています。


ゴールデンウィークも終わってようやく、コタツが片づいた。

去年はどうだったんだろうなぁ。やっぱり今ごろまでずるずると使い続けていたんだろうか。

一年たつとすっかり忘れちゃう。

5月に入ってもまだコタツっていうのもどうかなぁとは思うけど、そこにあるとついつい脚を突っ込んでうとうと。

体もあったまるし、勉強も出来るし。学生時代から重宝してる。

この春、花の大学生、ぼくの後輩となった姪っ子に「家具はコタツだけでいいよ」って言ったけど、女の子は違うかな。

部屋も四畳半じゃないしなぁ。キッチン、トイレはもちろん、お風呂もちゃんと部屋にある。

今どき、トイレ共同の四畳半を捜す方が難しそう。住めば楽しいんだけどね。コタツでみんなと雑魚寝したりね。

よく出来た暖房器具&家具だわぁ…ほんに感心。

2009-05-07 21:27:39

ないとなんとなく寂しいね。ネコ助も、どこにいていいやら所在なさげ。

あと半年とちょっと、待とうね。



大晴天。

春の空はどこかくすんでて真冬ほど深い青、紺碧とまではいかないけれど、それでも気がつくと「あぁ、大空だ…」と呆けることが出来ているくらいに青い空。

風も心地いい。

こんな日、ネコ助の安息の地はソファカバーの下。音もなくもぐり込んで、カバーはこんもり。

日溜まりに寝転がると猫らしいのにね。

ポンと叩くと「ニヤッ!」。ほっとけ!って言ってるんだろうな。

くつろいでるんだもんね。



意地悪して顔を出させると、ムッツリ、ご機嫌ななめ。

あったかいんだから遊ぼうぜぃ。

*スタッフと“同じ想い”にならないために。

番組の主人公が現存する人の場合、ディレクターから「一度、あってもらえませんか?」と頼まれることがちょくちょくあります。

そのほとんどの場合、ぼくは断ります。

その一番の理由は、ディレクターやカメラマンなど制作最前線のスタッフと同じ感覚、同じ想いになりたくないから。

いや、「なりたくない」と言うより、「なってはならない」と思っているからという方が正解でしょうか。

最前線のスタッフは自分の思いを取材対象者に投影する、というか、取材対象者に感情移入をする場合が多いのです。

それは、より深く話をきこうとする取材者としては当然のことですし、相手の心のひだに触れ、そのひだに隠れた思いを口にしてもらうには欠かせない姿勢だと思います。

いきおい、最前線のスタッフは取材対象者にシンパシーを感じることが多くなります。きっと、ぼくが取材対象者に会った場合も、同様に共感を覚えることでしょう。

それが、まずい。

ぼくが最前線の彼ら彼女らと同じように、取材対象者へ感情移入してしまうと、構成係という第三者としてのぼくの目が制作の現場に入る意味が無くなる。そう思うのです。


*「異質な眼」として。

ぼくが構成係として番組制作に携わる場合、ぼくに課せられた一番の使命は「異質な眼」を制作現場に持ち込むこと。それしかありません。

ぼくの視線、ぼくの感覚が、ディレクターなど最前線のスタッフと同じであるならば、ぼくの存在理由はありません。どうかすると制作の進行を追認するだけの「イエスマン」になってしまいます。

それは、まずい。

ぼくは制作過程の中で、可能な限り“異物”じゃなくちゃダメ。

取材現場の人間は、取材者であり、同時に取材対象者と共に当事者でもあります。でも、視聴者は第三者。第三者の眼って、結構冷たいです。

当事者同士の共感の中で作られた番組がひとりよがりにおちいることなく視聴者の共感をも取り込むには、取材対象者の言葉や映像をどんな風に織り込みつつ番組のテーマを少しずつ浮き彫りにしていくかを考えねばなりません。

そこには“異物である第三者の冷たい眼”が不可欠だと思います。

もちろん、取材陣と取材対象者とが共感共鳴しうる取材現場だけではありません。いや、そんな取材現場の方が少ないでしょう。

その場合でも、構成係は取材陣が取材対象者に持つのと同じような感覚にならない方がいいというのがぼくのスタンスです。


「そういうのもありだけど、こんな見方もあるんじゃない?」

取材を終え、いざ編集に入ってから、そんな風に言えるために、ディレクターたちと同じ感覚を持たないようにしたい。

そして、ぼくのある提案が取材対象者にとって例えばマイナスとなるようなことであっても番組全体として必要だと思った場合、取材対象者の顔が脳裏を横切ることなくその提案を冷たく口にするために、ぼくは取材対象者にはできる限り会わないようにしているのです。


でも、断れなくて会うこともあります。

そうすると、「ディレクターの言うとおり、いい人だ…」なんて気持ちになり、いざ番組の流れを考える段階になって腰が据わらなくなったりします。

心が揺れるのです。


「情に流されやすい」。

要は、ぼくの性情の根幹がただそれだけだということなんですけれども。


<この項は続きます>


一日、テレビを眺めていると、あちこちの局で清志郎さんの追悼が。

「日本のロックシーンをリードした人」という紹介が多い。

それは当然だけど、最初の印象はそうじゃなかった。

生ギターでしゃかしゃかやってるかわいいグループ。清志郎さんはそのグループの、ちょっとしょぼくれたヘンテコ声のボーカル、だった。

ぼくが清志郎さんに、というよりRCサクセションというグループに接したのは、多くの人がそうかもしれないけど『ぼくの好きな先生』。

モデルになった先生が追悼の言葉を述べているのが印象的だった。

そっか、先生よりも先に逝ったんだものね。


しばらく遠ざかっていた清志郎さんに触れ直したのはアルバム『カバーズ』から。発売禁止になったのには驚いた。東芝EMIだったっけ。

全国紙に「発売禁止」の広告が出たのにも驚いた。

東芝EMIの親会社・東芝は原子力発電に力を入れている。ぼくの古い友人にも東芝の関連会社にいて日本各地の原発で勤務しているヤツがいる。入社してから定年するまで、ずっと各地の原発をまわり、その間ずっと出張扱い。なので、若くして立派な家が建つけど、住めるのは定年後なんだ…と聞いたことがあったっけ。

彼はどうしてるかなぁ。
んなことは、どうでもいっか。


結局、RCのアルバムはキティ・レコードから発売されて、ぼくもめでたく入手。

清志郎さんの見事な言葉遣いが溢れるアルバム。発売禁止の発端となった『サマータイム・ブルース』も好きだけど、アルバムの一曲目を飾るこの曲が当時のぼくの感覚にはぴったりきたかな。


発禁騒動も、新聞広告も、その音源を初めて耳にしたのも、もう、20年以上も前のこと。

清志郎さん、30代だったんだね。


『明日なき世界』 (YouTube)


忌野清志郎さんが亡くなった。

ぼんやりとテレビをながめていたら、
「緊急のニュースが入りました」。

清志郎さんの訃報だった。

58歳。若い。

泉谷さんは「絶対に忌野清志郎の死は認めないから」と言ったとか。


『トランジスタ・ラジオ』

独特な歌い方、でも、はっきりと聞き取れる歌詞。

最初は高校時代、「ぼくの好きな先生」だった。
あのシングル盤は、どこに行っちゃったんだろ。


さようなら。

*まずは打合せ。

取材が進んでいる場合、打合せに出向いてディレクターやカメラマンの話を聞き、制作側の狙いを確認します。

でも、この時点では「狙い」が明確でないことも。ひとまず取材をスタートして、「さぁ、どうしようか?」という場合も多いのです。

そういった「?」は、取材者自らが興味を持ったネタでも、または上司から振り分けられたネタの場合でも同じように出てきます。

テレビ創世期や繁栄期の制作者からは「最初からテーマを絞って取材せんかい!」と叱られるかもしれませんが、一年間に1、2本の番組を作ればOKだった古き良き時代と比べるのは、今の現場の人間が少しかわいそうかもしれません。

忙しさは強烈に増しているし、ひとつの番組に割ける時間も予算も以前に比べ少なくなっているのが現状ですから。



ぼくがこの仕事を始めたころは、制作現場のスタッフの中でぼくが一番年少のことが多かったので、打合せなども先輩諸氏に負けないよう思ったことはムリヤリにでも口にして、やかましいくらいにあ~だこ~だと言っていた記憶があります。

が、人は年をとるもので、いつの間にやら現場スタッフの中でぼくが一番の年長者に。そうなると若いころよりずっと気を遣うからおかしなもんです。

若い人は礼儀正しい人が多いからでしょうか、打合せなどでオヤジのぼくが言うことを素直に受け入れてくれる場合が増えてきてしまったのです。

これが、実はちょっとマズイのです。


*一番大事なのは。

番組作りで一番に重視すべきことは、ディレクターやカメラマンなど、取材現場に足を運び、取材対象者の言葉を生で聞いた人の思いです。

取材内容をどう並べれば、ディレクターやカメラマンのその思いを見ている人により深く、より確実に伝えることができるか。そこで頭をひねるのがぼくの役割なので、彼ら彼女らの思いをきちんと知っておかなければぼくは仕事ができません。

だから、打合せの席でも以前に比べるとぼくの発言量はものすごく減っています。できるだけディレクターやカメラマンに自分の思いやこれからの取材の狙いを話して欲しいなと思いつつ…。

それでも、スタッフの中でいちばんおしゃべり。
気を遣ってはいるんですけど。



誰の、どのような姿を、誰に、どのように、伝えたいのか?

その思いが制作現場で意思統一できるのは、取材も終わりに近づき、編集が始まってからでしょうか。

走りながら考える。

それは番組作りの仕事に限ったことではありませんが、特に取材現場では考えながらインタビューし、考えながら撮ることを重ねていく以外にはないようですね。

そこが、座して考える役割のぼくとは違うところでしょうか。



<この項は続きます>

*さて、お仕事のスタートは…。

番組の構成という仕事、そのスタートはさまざまです。

ぼくが参加する番組のほとんどはドキュメンタリー。

一番多い仕事のスタートは、「こんなネタの取材をしてるんだけど、番組にするのに手伝ってもらえます?」という形。

つまり、ある程度取材が進んで、ディレクターなりプロデューサーなりが「行けそう」と判断した時点で声がかかり、制作に参加するというパターン。

ある程度の方向性が見えていることが多いので、仕事に入りやすいパターンでもあります。


*企画の段階から参加すると。

構成係としてのぼくにとって一番やりやすいのは、企画の段階から打合せ等に参加するという形。取材がスタートする前から、スタッフの意思統合をはかりつつ進んでいくと、取材の過程で起こるいろんなことや、方針の転換などにも素早く反応できるので、精神的にも余裕が持てます。

「こんなネタがあるんだけど、どうすれば番組になるかなぁ。知恵、貸してくんない」的な電話から始まって、打合せを重ね、資料を探しては目を通し、自分なりの思いを固めて…そしてさらに打合せを…。

その結果、「ボツだね、こりゃ」ということもままあります。

あらら…。

がっかりはするけど、スタートを目指して準備したことが丸々無駄になるわけじゃないし。たとえボツになっても、企画の段階から参加していると、なんだか自分のためにもなったかなと思えるところがいいのかもしれません。

企画段階から参加する形というのは、ぼくがこの仕事を始めたころから10年あまりは頻繁にあったのですが、ここ数年はめっきり少なくなりました。

きちんとした結果=番組という形に昇華できるというめどが立つネタでないと、社内でのコンセンサスがとりづらいということもあるのでしょう。


というワケで、取材がある程度進んだ段階から制作現場に参加する場合が多い昨今、ネタに深く入り込んでいるディレクターやカメラマンの熱い思いに追いつくのが最初のひと仕事になっています。




しかし…、

「○ちゃん(ぼくのことです)、ごめん、あの話、ボツ!」

「え~っ!!! 彼の著作集、全巻読んだとにぃ!!」

「悪かね~。いつか埋め合わせするけん、許しちゃりぃ」

なんてやり取りをプロデューサーやディレクターとやっていたころがちょっと懐かしい気もします。

ちなみに、このやり取りは16、7年前のこと。当時、とっていたノートは今も残っています。どうにも、捨てる気にはなれません。

これから番組化、しないかなぁ。



<この項は続きます>
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