番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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口蹄疫関連の番組作りに参加しているので、ここのところずっと畜産家を取材したテープを見る日々。

しかし、働き者だわぁ、皆さん。

飼っていた牛や豚が殺処分となり、もう生き物に接する仕事はやめた、そう思った人たちも、やはり新たに立ちあがり、家畜を導入していく。

牛や豚が来る日が近づくと、消毒剤で真っ白になったままの牛舎豚舎の掃除から始まり、老朽化しているところをトントン直したり、より繊細な防疫体制を整えたりと、少しも腰をおろすことなく動き続けている。

そして、皆さんおしなべて、新たな家畜が到着した時の顔の嬉しそうなこと。

あぁ、生き物を相手にする仕事っていいなぁ…って思わせる。

生き物の世話をすることが、そのまま生きること。

時に複雑な思いにかられることもあるだろうけど、楽しいだろうな。

でも、陽が昇るかどうかの早朝から、とっぷり暗くなってまで、こんなにずっと動けない。

はぁ。

働くって文字は、動くって文字に似てるわ・・・・。

動くってことが、働くってことなのね。

せめて散歩でもするかなぁ。


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このところ、くろのカゲに隠れてカゲの薄いネコ助。

しっかり元気でおりまする。

原発の人災は次から次へと想定外の事態が起こり、いつになれば終息するのか「神のみぞ知る」領域になってきた。

しかし素人目には「?」の部分が多々ある。

使い済み燃料棒を冷やすために自衛隊や消防庁の人たちが被曝の危険を冒しながら放水を続けた。

冷却プールの容量以上の海水などを振りかけたそうだけど、それがすべてプールに入ったわけじゃないだろう。

プールに入らなかった水、溢れた水は、いったいどこに行くのかな?

消えてなくなるわけじゃないから、どこかに溜まるか、海に流れるしかないだろうというのが素人の思い。

建て屋の中はすでに汚染されているのだから、そこを通った水もまた汚染されているだろう。

それが海に流れ出せば、海も汚染されることになる、というのが素人の思い。

隣にある建物から原子炉内よりもはるかに高い値の放射能が測定されたという。

でも、原子炉格納容器の破損は既に事実として認知されているはずだし、格納容器が破損するほどの地震の揺れ、または水素爆発ならは、原子炉から出ている数多くのパイプもどこか破損していてもおかしくない、というのが素人の思い。

素人の思いはまだまだあるのだけど、こんなこと、現場では既に予測していたことじゃないのかな?

想定外のことばかり巻き起こっているかのように発表されるけど、原子炉の冷却システムがパーになった時点ですべて想定内となってるんじゃないのかな?

対応が後手後手にまわるのも「想定内」。

燃料棒が溶け始めた時点でほんとは「お手上げ」だというのも想定内じゃないのかな。


現場の人の劣悪な作業環境が報道されてた。

知人に、東京電力が言うところの「協力会社」の人がいる。

原発に携わる会社に就職するというのを、やめろよと言ったのはもう30年前のこと。定年まで、各地の原発をまわることになると言ってた。

彼は、今、どこで、この出来事を見ているんだろう?

どんな思いでいるんだろう?

きいてみたい。

原発の事故以降、「シーベルト」や「ベクレル」など、馴染みない物理の単位が報道によって飛び交うので、心落ち着かない。

「ベクレル」=放射能の量を示す単位。

「シーベルト」=放射線が生体に与える影響の単位。

う~ん…。

わかるようで、ビミョーにわからん。まず、放射能と放射線の違いがよ~わからんもんなぁ。

毎日、10万倍だの1000万倍だのという数字ばかりがテレビの画面に踊る。

もっと淡々と伝えればいいと思うのだけど、「=チェルノブイリ」と受け取られかねない語調や表現も多い。

こうした伝え方だから特にテレビは、伝える情報を見ている人になんとか「信用」してはもらえるけど、「信頼」はされないメディアへとますます進んでしまう。

単位の問題だって、伝える方は面倒だろうけど、伝えられる方もうっとおしいだろうけど、伝えるたびにその意味を確認していけば信頼度は少し回復するだろうに。

見知らぬ単位の増減にオロオロしないためには、こちら側が自分で勉強するしかないんだろうな。


シーベルト、シーベルト…ベクレル、ベクレル…イヤな新知識だ。

その後、日に3、4回ほどやって来るようになったくろ。

フォトジェックなヤツやなぁ。


お袋からエサをもらい、食べたあとは、しばしひなたぼっこ。

ノラ稼業も結構いいかも。

な、くろ。

CMの自主規制も少しずつとけつつある。

通常のCMのかわりに、ACジャパン、昔の公共広告機構制作のCM(かな?)が大量に流されるようになって二週間。同じモノが繰り返し繰り返し画面に現れると、さすがにうんざり。

ラストの「エ~シ~」という声には気持ちを逆なでされる人も多いようで、ここ二、三日のうちにはその「エ~シ~」をカットしたバージョンが流されるようになってきた。

局側で処理したんだろうか、あまりに思い切りよくばっさり落としてあるので、肩すかしを食ったような感じにもなったり。あんなに短い時間なのに、リズムって大切なんだなぁって思わせる。

しかし、言ってること、その内容は「おっしゃる通り」というモノでも、あまりに繰り返されると押しつけがましく聞こえてしまうのも事実。「心」や「思い」は確かに目に見えないけれど、言葉で強制的に教え込まれるものでもないし。

挨拶も大切だけど、「こんにちわんこ」って何度も登場しては消え、登場しては消えしていると、かわいいのであろうアニメキャラにもムカッとしてしまう。

見ているこちらの心が狭いのかしら?


サラッと現れて、スッと消えていくから、金言なんかは心に残るんだろうな…。

これほど多量にCMが飛んで、局はどんな風にスポンサーに対応するんだろう? 天災とは言え、広告料の引き下げを主張するクライアントも多いだろうし。

ちょいと心配。


人災も早くおさまらないかな。



夜、零時過ぎ。

エアコンつけて、仕事中。

設定温度は15度。ちょっと高すぎるかなぁ。

北に住む友人は、今夜も余震に襲われてる。忍び寄る放射性物質が飲み水に溶け込み、安心してみそ汁も飲むことができない。

普通の、平凡な、でも心和む温かい、そんな日常があっと言う間に崩れて二週間が過ぎた。


人が作り出してきたモノのもろさと、人と人との結びつきの強さを、見せつけられ、そして見いだした二週間。


原子力は人の掌の上に乗るものじゃない。

それをはっきりと教えてもらった二週間。

放射線量が高いからと同行すべき担当者を現場には行かせず、協力会社と呼ぶ下請けの作業員はそのまま行かせた東京電力。

人が寄せる想いの清々しさと、人の心が生み出す醜さを、はっきりと知ることも出来た二週間。

人災が人災を呼び、災害復旧の現場でも弱い立場の者にしわ寄せが来る。


ぼくは、どちらの側に立つ人間だろうか。

番組紹介

ムーブ
トンボガケ ~背番号のない球児たち~






甲子園で春夏連覇をなしとげた
沖縄の興南高校。

その部員は130人。3年生は45人。
そのうち、甲子園のベンチに
入ることができたのは15人でした。
30人の3年生たちは
グラウンドでプレーする仲間たちを
スタンドから応援しました。

3年間、野球に打ち込み、
しかし、一度も公式戦のグラウンドに
立つことのなかった部員もいます。


憧れの甲子園。
その土を踏むことなく卒業していく選手たち。

彼らはどんな思いで
高校時代を過ごしたのでしょうか?


詳しい内容は → こちら




制 作
RBC琉球放送

ナレーション
長浜之人(キャン×キャン)


放送日時
NBC長崎放送 3月26日(土) 6:00

OBS大分放送 3月27日(日) 25:20

RBC琉球放送 3月28日(月) 15:25






きょうは告別式。

たくさんの人が別れに訪れた。

代表で弔辞を述べたのは絵描きさん。故人と一緒に優れた番組を世に送り出した人でもあり、故人と同い年の友人でもある。

10年ほど前、絵描きさんは故人の娘さんを送る弔辞を読んだ。

この、同じ斎場で。

友人の娘、そしてその友人をも送る言葉を述べることになった絵描きさんの心の内は、言葉のはしばしに感じ取れた。


故人を乗せた霊柩車が長いクラクションをひとつ鳴らして斎場をあとにし、遺族と友人たちが乗り込んだバスが走り去ると、張り詰めた空気がゆるやかな悲しみに変わった。

ぐずぐずしているうちに最後に斎場をあとにすることになったぼくは、誰もいないホールを見回してから駐車場に降り、喪服の上着を脱いで車に乗り込んだ。

はぁ。

ひとつ深呼吸してから車を通りに出す。

と、反対側の歩道を絵描きさんがこちらに向かい、ひとり歩いていた。

あのバスには乗らなかったんだろうか?


話し上手な絵描きさん。メリハリの効いた声で、抱腹絶倒、面白い話してくれた。難解な、精神的な話も。

この絵描きさんを取り上げた番組の制作に携わったことがあったっけ。

もう、何年前になるのかな? その番組のプロデューサーは故人だった。

アトリエに行くと、ぼくの部屋の壁よりももっと大きなキャンバスを床に横たえ、その上に渡した板に座り込んで創作にのめり込んでいた。

友人の娘さんの絵を眺めて、いい絵だいい絵だ、ほんとにいい絵だ、と、心底感心しながら、嬉しそうに話していたっけ。

その友人が、故人となった。


少し前屈みの姿勢には、故人と同じだけの年齢を重ねてきた、その長い時間が感じ取れる。

友を亡くすというのは、どんな気持ちなんだろうか?


唇を真一文字に結び、前を見据えて、ひたひたと歩く絵描きさん。

ぼくは声をかけることができなかった。





とてもお世話になった方が、きのう、亡くなった。

きょうはお通夜に。

広い会場の正面に、ちょっと気取ったその方の写真が飾られていた。

進行は神式。不思議な雰囲気だった。二礼二拍手一礼。二拍手の時、手を合わせて音を出してはいけない。寸止めの拍手は初めての経験。

こうした会場って、どこかひんやりして、静粛な感じが漂う。

最後に榊(かな?)を一人ずつ手に持ち、祭壇に手向ける。

故人の最後の顔を見る人たちもかなりいたけど、ぼくは遠慮した。想い出の中のその方の顔は、少しはにかんだような、ちょっと困ったような、なんとなく訴えかけるような、そこはかとなく哀愁がにじむ、そんな笑顔だけでいい。


ぼくが今の仕事を始めるきっかけを作ってくれた。

叱咤激励という言葉があるけれど、叱咤も激励もしてくれなかった。

何も教えてくれなかった、口では。でも、態度や雰囲気で、なんとなくわかることがあった。


ありがとうございます。

おかげで、今のぼくでいられます。

安らかに。





大人ノラ猫に追いやられ、しばらく姿を見せなかったくろ。

きのう、なんとなく来てる気がして縁側の障子をソッと開けたら、前の通り窓の外で小首をかしげて除き込んでいた。

くろ~。

あいにくお袋は外出中。かわりにぼくがエサをやる光栄にあずかった。


きょうは4回も顔を見せたとか。

お袋も張り切ってエサやりばぁさんをつとめてる。

今度、留守にするときは、一言、言ってけよ。

な、くろ。


いつ来るかわからないから、地震はこわい。

台風もこわいけど、やってくる日時の予測もできるし、いざ近づいて来てもじっと頭をさげておけばいつかは通り過ぎる。そのままずっと居座ることはない。

地震は違う。

今この瞬間に起こっても、ちっとも不思議じゃない。発生可能性という意味では東海地方などが高いのだろうけど、今回の災害の規模を見ると日本中どこであろうとも同じように起きるという気がする。

そう考えるとこわくてたまらないという人もいる。

確かにこわい。数年前、確か震度4の揺れが来たときは“ギョギョッ”として全身が固まった。あの程度で固まるのだから、あれ以上の揺れが来たときに火の元を確認できる自信はない。

でも、いつ来るかわからないからこそ、ぼくはあまりこわいとは思わない。まだ来ぬ未来を不安がってもあまりプラスにはならない気がする。

が、しかし、準備はしといた方がいい。


こんなページがある。

   「地震発生時緊急マニュアル」

被災した際に必要な物や取るべき行動、伝言ダイヤルのかけ方などをきちんとまとめてある。印刷用にpdfファイルも用意してあるので、プリントアウトして参照しつつ準備するのも可。

ありがたや。


しかし、必要な物のリストを見て、ふたつのことを同時に思う。

・このぐらいのモノが被災地では手に入らないんだなぁ…。

・こんなたくさんのモノを普段準備しておけるだろうか…。

のほほんと生きてるんだなぁということを実感する。


こんな記載もある。

 【地震が起こる前なら】
   □ヘルメットはあるか
   □非常食の蓄えはあるか
   □水の蓄えはあるか
   □応急処置セットはあるか
   □寝袋はあるか

全部ありません…。


今回被災した茨城の友人は、地震が起きてから数日間、庭にテントを張り、寝袋で寝たとか。

ちょっと準備するかな。




番組紹介

ムーブ
トンボガケ ~背番号のない球児たち~






甲子園で春夏連覇をなしとげた
沖縄の興南高校。

その部員は130人。3年生は45人。
そのうち、甲子園のベンチに
入ることができたのは15人でした。
30人の3年生たちは
グラウンドでプレーする仲間たちを
スタンドから応援しました。

3年間、野球に打ち込み、
しかし、一度も公式戦のグラウンドに
立つことのなかった部員もいます。


憧れの甲子園。
その土を踏むことなく卒業していく選手たち。

彼らはどんな思いで
高校時代を過ごしたのでしょうか?


詳しい内容は → こちら




制 作
RBC琉球放送

ナレーション
長浜之人(キャン×キャン)


放送日時
RKB毎日放送 3月20日(日) 25:15

MBC南日本放送 3月21日(月) 25:10

RKK熊本放送 3月23日(水) 25:55

MRT宮崎放送 3月24日(木) 10:50

NBC長崎放送 3月26日(土) 6:00

RBC琉球放送 3月27日(日) 25:40

OBS大分放送 3月27日(日) 25:20

※放送時間が
変更される場合があります。




大震災と原発に目と頭と心を奪われている間に、リビアは戦火が拡大していた。

米英軍はトマホークを撃ち込み、両軍プラス仏軍の多国籍軍が空爆を行っているらしい。

人々を抑圧して居座る独裁者を排除するためにまたも武力が使われる。

外交ってなんのためにあるのかな。「話せばわかる」は国際舞台じゃ通じないんだろうか。


多国籍軍と聞くと、なんだかゾッとする。


きょうは最高気温が18℃とか。

日射しはぬくぬく、コタツから出られなくてほかほか。上のまぶたと下のまぶたがくっつくぞ…。

と、思っていたらホントにくっついた。


アタマの中がほんのりボ~。

こんなにまったりしてていいのかなぁ…。


器量良しはネコも得。

きょねん、秋深しのころからちっぽけな姿を見せていた黒ネコ。

真っ黒な毛並に金色の瞳が愛らしい。

ネコなど小動物が好きだけど、触るのはコワいお袋もコイツのことは気に入ったようで、食べ残しなんかをやっていたけど、いつの間にかキャットフードを買いこんで朝昼晩と与えるように。

他のノラに食べられないよう、くろが姿を見せてからキャットフードを縁側に出すえこひいきぶり。

まぁ、こんな感じで小首を傾げて窓から覗かれたら、ふにゃ~ってなりますわなぁ。


この、お袋の寵愛を受けていたくろが、おとといからぱったり姿を見せない。

その日、家の前の通りの角で、先輩の大人ノラ猫とにらみ合っているくろと行き当たり、お前、なにやってんだと声をかけたら、大人ノラ猫に追われて脱兎のごとく走り去った。

それから姿を見たのは、庭をサッと横切ったのと、近くの露天の駐車場でひなたぼっこをしているのと、二回だけ。

縄張り争いに負けたのかな。


くろが来ない…。

キャットフードを用意して待っているお袋の縁側に、姿を見せてくれないかな。

くろ。




学生時代の友人の友人で、ぼくの友人と言い切るほどには親しくはないけれども、下宿には何度かおじゃましたことのある友だちは気仙沼に住んでいて、ニュースで映し出される映像と現場からのコメントでは「壊滅的」としか見えず聞こえず、心配すれども電話番号も知らず、知っていてもつながりはせず、どうしていいやら難儀するばかりで、あとはただ待つばかりと思っていたのだけど、ふと「ネットがあるじゃん」と改めて気づいてつないでみたら、人を探し探されするページがあって、そこに友だちの名前を入力したら彼の知人からの情報で、「避難所にいて無事」とあった。

良かった…。


 情報入手先 → Person Finder (消息情報)


書き込みには、地元のニュースに友だちのおばあちゃんが映し出され、避難所となっている神社でみんな無事と語っていたというものもあった。

良かった。



その友だちは老舗のお菓子屋を経営していて、きっとその店舗は津波に流されてしまったのだろうけど、生きてさえいればなんとかなる。まだ零下を記録するという寒さを乗り切って、再スタートへ、がんばって。





地震が起こってから、よく耳にし始めた言葉。

原発の事故が明らかになってからは、もっとよく出てくるようになった言葉。

地震と津波の天災はまだしも、原発の事故という人災にこの言葉を使っていいのかな?

想定外を想定し、万全の準備をしているからこそ、「原子力は安全だ」と言い続けてきたのではないのかな?

人智は自然に及ばないということは事前の事実だとぼくなんかは思うのだけど、自然を管理できるという前提で原子力発電は推進されてきた。

ぼくらが使っている電力のすでに30パーセントは原子力によってもたらされているのだと言う。

便利さ、快適さ、経済的な繁栄が三割減ってもいいから、原発は The End としないとアカンのではないのかな?



情報を得るぼくらは、馴染みのない図面や聞いたことのない単位の増減にオロオロしないってことも大切だよね。

原子炉は地震で緊急停止し、今は稼働していない。とういうことは、原子炉が動き続け、暴走したチェルノブイリの時とは違うということ。

拡散している放射性物質の量も日常生活にまったく支障のない程度だということ(もちろん、原発近くに住む人は状況が明らかになるまで避難する必要がある)。

だから、平静に、平穏に。
テレビはじめマスコミは最悪を語らざるを得ないし、意図的にあおるきらいもあるけれど、ぼくらが買い出し買い占めに走る必要はない。

もちろんこれは、東京電力、そして政府が本当の情報を出しているということが大前提。この大前提が信頼できないってところが情けない。

東京電力はこれまで何度も起こった事故では、事実を隠そうという姿勢が露骨だった。そうした姿勢が、こんな大事故に際して、おのれの言葉を信じてもらえない状況を招いてしまってる。自業自得だけど、その自業自得に他人を巻き込んでしまう仕事をしていることを肝に銘じて欲しいな。

他人のことは言えないけれど。









南の島での仕事が終わり、北部九州へと戻る。

と、最高気温が7度だと!

飛行機に乗るまでは半袖Tシャツ一枚。それでも汗をかいてた。

強風に機体を傾かせながらのランディング。滑走路で少しジャンプしたので、久しぶりに機内で悲鳴を聞いた。

飛行機から降りると、寒っ!

トイレで汗を吸った半袖Tシャツを長袖Tシャツに着替える。南の島では持って歩くのも面倒だったフリースのインナー付コートがぬくぬくあったかい。

でも、地下鉄に乗り、駅についてお茶する頃になるとまた暑くなってきた。

体のバランスが取れん~。

あしたも最高気温が一ケタだそうな。



地震のあった北の地方は寒いだろうな。雪が降っているところもあるそうだ。

せめて気候くらいは回復してくれますように。





何で他人の都合はスルー出来るんやろ?

そんなことを思うこと、ここんとこ多し。

進行中の仕事。でもまったく連絡がない。そろそろ〆の頃なので、「○月×日から△月◇日までは南の島へ巡業に出て留守。それ以降は帰宅するもスケジュールは流動的なので必要ならば事前にご一報を」というメールを出して巡業を出発。

すると、巡業二日目に「明後日、打合せに出席乞う」的な電話が来た。

あのね、僕は「留守にする」ってメールしましたよね。

ぼくはあまり腹を立てるタイプではないのだけれど、さすがにムカッとしつつ返答すると、(えぇ~)的雰囲気を漂わせつつ「じゃ、明後日はどうしても出席出来ませんね?」ときた。

南の島から、継続中の編集作業を放り出し、突然湧き出した打合せなるものに出席しろってかい? それも自腹で?


こんな、相手の都合をちっとも配慮しない業界人がなんとも増えて来たこと。自分のことにしか目配り気配りが出来んのやね。

上記のやり取りをした相手は、この前には「今日の午後に打合せあり」と、編集佳境真っ只中に電話してきた。

確かにワシは請負業やけど、こちらの都合をおもんばかって前もってスケジュールを立ててくれたお得意の好意を無にしてまで、そっちに駆けつけるほどの義理はない。

そちらの仕事も大切やけど、進行中の仕事だって大切なんや。みんな自分がかわいいんやから。

と、思いつつ、編集佳境を抜け出して打合せなるものに出てみると、初めての映像を見せられたあと、「原稿は明日までによろしくね」だと。

そんな切迫つまった流れになってるなんて、知らせる一本のメールもなかったやろ?

30代のワシだったら、その場で切れてるところじゃ。

が、怒りを胸の内にしまって言われる通りにやってしまう自分は成長したのか、迎合したのか。


発注先は確かに強い。

しかし、偉いのとは違うで。


自分のことしか考えない人たちと付き合いつつ仕事をする…あ~、ストレスがたまる。


ほんに癒されたいよ、たまにはね。

30分番組、CMなどを除いて正味24分、ピッタシ完了!

南の島に着いた時には49分くらいあったから、半分以下に縮めるのに6日間かかったことになる。

これでもテープを使った編集の頃に比べると、ずっと早くなった。

今回は時間の関係で、台本も作らず、いきなりアタマからつなぎ始めた。

ディレクターがカメラマンと編集マンを兼ねてたから出来たことだけど、少々綱渡りだったかな。

でも、いい感じにつながって良かった良かった。あともう少し。

ナレーションを書かなきゃあ。

頑張ろ。

あまりの惨状に言葉もない。

学生時代、遊びに行った街や、友人知人がいる街が跡形もない。

みんな無事でいてくれるだろうか。

ニュースは惨状を繰り返し伝える。スタジオでは地震の専門家がフリップ片手に解説してくれる。

それも確かに必要だけど、避難している人たちの名前だけでも知らせてくれる局があってもいいと思うのだけど。

みんな無事で。

無事かな?

編集もゆるゆる進み、あと5分カットするところまでやってきた。

きょうは上司のプレビュー。

企画の立ち上げが遅く、取材期間もごく短かったので、「どんな内容になるやら…」と心配していた上司さん、プレビューを終えたあと、「ホッとしました」と言ってくれた。

ディレクターもぼくも、同じくホッ。

良かった。

あとはどう5分を切るか。

良く取材してあって、映像も音もとてもいい感じなので、どこをカットしていけばいいのか…。

悩ましい。

少し手を入れれば2分くらいは切れそうだ。

あと3分をどう捻出するのか。

それはディレクターにとってはどのシーンを諦めるかということでもある。

悩むことが出来るのは、あと一日半。

それからナレーション作りへと作業は移っていく。


あと3分…悩ましいね。

小心を隠して人の家に上がり込み、自分が正しいという顔をしてあれこれ指図するような仕事なので、態度はデカいけど実はどきどきドキドキ。

その影響が、顔には出ないらしいけど、腹に出る。

毎回、そう。

んで、今回もハラが…。

もう20年以上この仕事をしてるのに、情けなかね~成長がない。

ま、落ち着いてくると勝手におさまるんだけど。


胆力っていうのかなぁ、どっしり落ち着いた心持ちが欲しいな。

あしたには普通に戻っているでありましょう。


南の島は意外に涼しい。

南の島巡業初日。

誰かが僕の部屋の扉をこつこつノック。

え~、まだ6時じゃん。

きっと部屋を間違えてるんだな。

眠いので放っておいたら、ごつごつがんがんどんどん、ノックは大きくなって行く。

連れと散歩でも行きたいのかな?

でも、出るタイミングを逸っしたので、ベッドでシーン…。

5分くらいしたら、諦めたのか静かになった。

あとで連れはいじめられるだろうな。出てあげればよかったね。

でも6時だよぉ。まだ夜もあけてないし。

あ~、眠い眠い。もうちょっと寝よっと。

きょうの打合せは疲れた・・・・・。熱も出た、って、知恵熱?


友人から頼まれている舞台の台本。昨年末からバタバタ忙しいこともあり、全く進んでいない。きょうはそのことをまずは謝ることから始まった。


「芝居やタレント養成をする会社を立ち上げて20年。それを記念した演劇を2011年中にやりたい。オレは○○ちゃんと一緒にやりたいから、台本書いて」

昨年の始めにそう頼まれて、「いいよ~」と安請け合いしたのが間違ってた。

なんと難しいことか・・・。


小中高生が参加する舞台の台本を書いたことはある。その時のイメージが残っていたので、時間をかければ大丈夫だろうと思った。

大丈夫じゃなかった。

小中高生用の舞台台本は、ぼくの全くの想像の産物。たとえ旅先でも思いを脳裏に遊ばせれば、前日からの続きを編んでいくことができた。

しかし、今回は違う。

歴史的史実に基づき、それに創作を加えて戯曲化するというもので、空いた時間にやろうと思っても、頭が働かない。資料が手元にないと、どこまで史実に“創作”を加えていいものかという判断にも悩む。

で、まったく進まない。

約束は2月末までに登場人物の人数やそれぞれの性格・役割をはっきりさせるということだったのだけど、さっぱり、なんにも出来ていない。


「ごめん、リセットさせて」

そう切り出したぼくの心の片隅には、“リセット”ではなく“キャンセル”の文字が浮かんでた。

しかし、友人は、

「いつまでなら出来る? 一緒にやりたいんよ」

と言ってくれる。書いていれば必ず慣れてペンが進むようになるから、とも。

ここで断れないのがぼくのダメなところだなぁ・・・。書く自信がないのだから断るのが当然なのだけど、演劇素人のぼくに「一緒にやりたい」とまで言ってくれる友人に、「アカン」と切り出すことができない。

優柔不断だ・・・。


今回だけでなく、なんどもなんども、自分の思いをきちんとしっかり伝えきれなくて、力量に余る仕事などを受けてしまってる。

そういう仕事は、あとから振り返っても赤面の至りって感じだね。必死で「こなして」いるけれど、それは最低限の義務だから。


結局、ぼくの進行が遅いので、当初9月予定だった公演は12月に延び、ぼくは5月中までに台本の骨格を作るということになった。

もう、「アカン」とは言えなくなった。
20周年の記念公演にふさわしい内容のモノを、なんとかして仕上げなければならなくなった。

慣れない仕事で、両肩が重い。
でも、放り出すことは出来ないな。信頼し、誘ってくれてるんだもの。


正直、しんどい。胃が痛い。
しかし、これも自分の優柔不断まねいたこと。自分でゴールまで運ばなきゃね。




きょうは取材テープの書き起こし。

背番号を獲得できなかった高校球児の話。みんな異口同音に「悔いはありません」と言う。

偉いよね。自分の高校時代を思い返すとなぁ・・・悔いの有無などにひっかかりさえしないほど、なんの目標もなく過ごしてたよねぇ。

楽しかったけどね。

ぼくは学校が好きだった。もちろん、勉強ではなく。

電車(当時は国鉄だ)がストで止まった時も自転車で学校まで行って、同じようにやって来ていた連中とバレーボールなんかをして遊んでた。

三年三学期の試験の最中、途中で抜けてボール遊びをしているぼくらに校長先生が“切れ”て、走って怒鳴りに来たっけな。

怒鳴りたくもなるよね。受験目前でも遊びほうけてるんだもん。今思うと当然ですわ。

でも、楽しかったな

その当然の結果として、浪人生活が待っているわけで。ぼくのクラスの男子で現役合格したのはいたっけなぁ? ひとりくらいだったような気がする。

でも、楽しかったよ。

楽しかったから、「悔い」という言葉は似合わない。何かに打ち込まなないと「悔い」って思いさえ出てこないんだな。その意味では空白の三年間なのかもしれないけど、楽しかったからいいじゃない。ね。

「あっと言う間でした」と、野球部員たちはこちらも異口同音。

それはぼくも同じでした。ほんとに「あ」っと言う間もなく過ぎ去った。

それから、今まで。この長い年月も、「あ」っと言う間だったけどね。





南の街に一泊して、昼下がりにプロペラ機で戻る。

一週間の旅よりも、一泊の方が疲れる感じがするのはなぜかな?

荷物をほどいたと思ったら、すぐまたバッグに詰めなくちゃならないし、外に出るときには荷物をずっと引っ張ってなきゃならないし…かな。

3泊くらいだとちょうどいい。バッグから荷物を出して、Tシャツなんかを揃えて並べておけるし、うがい薬とか歯ブラシとかも所定の位置に置いておける。


来週は南の島行き。一週間くらいだから、また微妙な期間だな。

仕事が一段落して、「ほっ」と息をついてまったり出来る時間があると嬉しい。そのまま空港に直行して搭乗ってなると気ぜわしいし、時間が余って空港で居場所を探しつつ5時間待つなんてのも疲れるし。

まったり時間は自分へのごほうび。でも、まったり出来る「間」がとれることってめったにないな。仕事のメドがつくタイミングにもよるし。大抵の場合、ギチギチスケジュールだもんな。

仕事だから当たり前とは言え、いまだにナマの南の海に触れたこともないってのはなぁ・・・・。眺めたことはあるんだけど。


次回の南の島ではまったり時間がとれるだろうか?

空港から直行。昼夜兼行で編集室に閉じこもり、そのまま帰りの便へ駆け込むってのだけは避けたいな。





南の街へ。

きょうはめちゃくちゃいい天気。空気は少しひんやりしてるけど、陽射しはぽかぽか。

打合せ相手の取材が押してるとかで、空港で二時間ばかりぼんやり。午前中から、ああ眠い。

目がしぱしぱするのは眠いからだけじゃないな。花粉がふわふわ飛んでるからに違いない。

2、3年前、突然出始めた花粉症。予防薬を今年の始めにもらったのに、ちっとも減ってないのはナゼかな?

症状が出ない間は忘れてるもんだなぁ。

ぼくは目が少ししぱしぱするだけだけど、ひどい人は辛そうだもんね。

今からでも遅くはないかな。予防薬、しっかり飲もう。



しかし、いい天気だ…。
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