番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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きのう、全巻仕入れた「めぞん一刻」、午前2時までに読み終えた。

あ~、おもしろかった。

連載中はときどき読んでいた程度、それも全体のストーリーの後半以降だったので、物語当初のギャグ度80%的時代のことはよく知らず、「こうだったのかぁ、へえ~」と新たな印象を受けつつラストまで読めた。

ぼくの学生時代の友人で、大学1年の時は同じクラスだったのだけど、どうしてもあのT大に行きたくて再々トライし、ぼくが2年になる春にはめでたく赤い門をくぐったU君は、東京はど真ん中、皇居にほど近い一等地に実家があり、そこから大学に通ってた。

そのU君が惚れ込んでいたのが「マカロニほうれん荘」(「ひざかたさん」にあこがれていた)と、この「めぞん一刻」。

彼は、屋根をひとつにする住人たちの、ありそうで決してあるはずのない集団生活を夢見ていたけれど、実家が千代田区にあるがためあっさり通学できるのでその夢が実現するはずもなく、悶々とする日々を過ごしていたっけ。

そんな彼にチャンスが訪れたのは確か大学3年になるころか。

実家がいわゆる地上げにあい、山手線の外へと移らねばならぬはめになり、彼はこの時とばかりを家を出て、井の頭線の明大前駅にほど近いアパートでひとり暮らしを始めたのだった。

引っ越しを手伝ったときに初めて訪れたそのアパートはあの時代でさえ「古い…」と思える外観で、玄関のたたきは昼寝が出来るほどに広々と、そこからまっすぐつながる階段は幅一間以上もありそうな、よごれよごれて黒光りし、階段落ちをしたらさぞかし爽快だろうとほれぼれするほどの角度で彼の部屋がある2階へと続いていた。

2階のどん詰まり(だったかな?)にあった彼の部屋は6畳一間に炊事場もどき流しがついたありがちなタイプだったけど、畳というのが昔のサイズ(京間と言うのかな?)で普通の6畳よりもひとまわりは広く、南と東に開いた窓はどちらも出窓になっていて、その、夜行列車の3段寝台に似た出っ張りも昼寝が出来そうに広いのだ。

窓の外には桜の大きな古木が陽の光をゆるやかに遮り、彼の部屋にちらちらとした柔らかな陽射しを届ける。

「エエな~」

四畳半住まいのぼくは心底、そう思った。


U君は実家を出た自由と「一刻館」さながらの新居にとっても嬉しそうだった。

そうそう、彼の部屋の下には女性の管理人さんがいて、でも「響子さん」のような若く美しい未亡人であるはずはなく、人生の酸いも甘いも知り尽くしているに違いないおばあさんだったのはちょっと残念だったようだけど。


引っ越しが終わり、その「疑似一刻館」に遊びに行ったのは桜の花が散り始めたころだった。

U君と一緒に部屋に入ると、畳の上に桜の花びらがひとひら、ふたひら、舞っている。

「あら~、風流やなぁ!!!」

驚いたら、彼は、

「そうなんだよ、窓がきちんと閉まらなくてさぁ。すき間から入って来ちゃうんだよね。掃除が大変なんだよ」

出窓の磨りガラスの窓は確かに傾いていて、閉めても1センチ弱ほどレールの上にすき間が開くのだった。


夜、広い6畳にありったけの布団を出して寝転ぶと、とととととたとた、天井裏の端から音がし始め、それが夜が更けるにつれ縦横無尽、まるで運動会の徒競走さながら。

我が四畳半にも時折顔を出していたけど、ここまで堂々と音を立てるねずみたちにはお目にかかったことがない。

でも、U君は初めてのひとり暮らしに至極満足しているらしく、「な、あの音で眠れないんだよ」と漏らして間もなく、すーすーと寝息をたて始めた。


学ぶことが大好きな彼は、18年間、大学へ通い、身体の声に耳を傾け、「気づき」に気づくことに興味を覚え、アメリカまで「気づき」を学びに行った。


アタマの中に浮かぶ「…?…」をかかえながらそれぞれ互いの道を歩むようになると、どうしても会う間隔があいてくる。

U君の下宿暮らしとそれ以降、なにがあったのか、ところどころ知ってはいるけれど、それがひとつ線としてはつながらない。

意図してなのか、結果なのか、今のところ独り身を通している彼は、明るいお母さんとふたり、地上げで引っ越した実家に暮らしているはずだ。


なぁ、あの疑似一刻館、まだ建ってるかなぁ?


・・・もう一回読も。




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先日、某局で編集中、ディレクターがなぜか「めぞん一刻」を貸本屋で借りてきた。

ディレクターは20代後半。「めぞん一刻」をオリジナルで知る世代じゃない。なのに、どうして「めぞん一刻」なのか?

「いろいろな恋愛の形を勉強しようと…」

その方面にどうやら悩ましい現実があるようだ。

というのはどうでもいいとして、編集中、がんばる編集マンの後ろで久々に読んだ「めぞん一刻」。こりゃ、やっぱりおもろいわ。

で、全部読みたくなって全巻揃いをネットで探し、古本屋へも行き、きょう、近くのBOOK OFFでめでたく購入。

めぞんアオ助

全15巻で¥1525だった。ネットオークションより安く買えた。ラッキー!


世は黄金週間。仕事はあるけど、読破しよ。



あしたからはゴールデンウィーク。今年は休日の並びがいいようで、休みの取り方によれば10連休になるそうな。

エエね~。

曜日にあまり関係しない仕事をしている身としては、こんな時期はやっぱりうらやましいわぁ。

あったかくなって来たしね。

他県に出ていることが多いこの時期だけど、今年は県内。外に出る予定は2日のナレーション収録だけだけど、連休明けに編集が待っているのでその取材テープを見て書き起こさねば。

あ~、さぼりたい。

でも、どこかに行っても人が多いだけだろうから、ジッとこもってるだろうけど。

朝起きて朝の挨拶してまったりして、昼食べて昼寝をしつつまったりして、ディナーを食しテレビを見つつまったりして、風呂に入り湯船でゆらゆらまったりして、床に入りまったりしたまま夢うつつ・・・なんて、な~んにもしないまま日々過ぎる。

時にネコ助をいぢめたり、くろを遠巻きに眺めたり。


アオ助


エエね~。


飲むと、ローカル局の先行きという話をしなくてはいられない友人がいて。

それはぼくもまた同じで。

久々に杯を傾けたら、やっぱり同じ話。


若い衆が聞いてくれない、と言うよりわかんないんだよなぁ、ローカル局の置かれてる現状が。

このご時世にベースアップだけを望む組合ってのもどうかと思うねぇ。自分の会社がひとつの企業として存在し続け得るほどに自社製品で儲けてないってことに考えが行きついていないんとちゃう?

いやいや、分かっちゃいるんだけど、目前に事実として迫っているようには見えないから「ま、いっか」で流れて行っちゃう。

それですまない時はもう来てるよ。

放送局が情報の選択係、情報の発信役として君臨していた時代は過ぎ去って、手を加えないまっさらな情報を提供出来るネットの世界とどう対峙するか迫られてるし。

いやいや、対峙する必要はなくて、それぞれの得意な分野を活かしつつスクラムを組めばいいやん。

放送局が得意とするモノ、それは高額のカメラや中継車も含めた中継能力であり、情報をより明快に分かりやすくする編集能力だったりかな。

今の、制作機能を社外に出そうとしている中で、これらの能力が磨かれて行くかね?

いやいや、それどころか維持することさえ出来ないねぇ。能力は社外に培われることになるし。

ローカル局は確かに自社製品で会社を運営できるほどの利益は出していないけど、経済的存在だけが生きる道じゃない。地元に根差した、公共財としての文化的な生き方だってあるし。

それしか残る道はないと思えるが…。

なんて話を若い衆にしてもピンと来ない。何より、文化的公共財としての生き方は現在のどんぶり勘定的な財政面見直しが迫られるし、そうなると月々自分たちが「稼いだ結果」と思っているお手当ての見直しが避けられない。

それはイヤじゃろね、やっぱ。。たとえ業績が悪くても、実入りはいつまでも右肩上がりでいたいもの。

でも、それこそムリじゃないのかな。

んだ。さらには大震災。これでぼくらの価値観も少し変わって行くかもしれない。広告の内容も、その量も変化して行くだろうし、少なくともかつてのような放送局の「売り手市場」には戻らないだろうし。

自らの行き先をどう見つけるか。そこに欠かせないのは、どう考えても制作力だと思うんだけどなぁ…。

だな~。

オレらはいいのよ。イザとなったらとんずらするか、リタイアしちゃうし。若い衆も経営を担う頃になれば気づくじゃろ。



なんてぐだを巻いてるうちに焼酎の半合瓶はカラになって酔っぱらい、閉店まで居すわってしまったオヤジふたり。

彼はホテルへ千鳥足、ぼくは最終電車でサヨウナラ。

ふにゃ

しかし、ほんにどうするんかね、行き先を。



くろはエサを食べつくしたあともしばし窓から中を覗き続ける。成長期なんだろう、もっとくれ~って感じでこっちをジッと見る。



きょうは既に3回、エサをやったはず。メタボなノラは生きては行けんど。

甘やかさないのはノラへの王道。

写真だけ撮って放っておいたら、飛んで来た蜂をしばし追って遊び、植え込みの陰でひと休み。



やっぱり羨ましいぞ、お前のノラ暮らし。


その間、ネコ助は押入れでまったり。



コイツはもはや野生をカンペキに忘れとる。



きょうも元気にやってきた。

まだ?「まだ?」

よかった。
車の中からくろを見かけた。

左前足をひきずりながら、道路を横切った。前足は内側に折れ曲がってる。

ケガしたんだろうか? ノラの勢力争いに負けたのかな? 車にひっかけられたのか?


しばらくして、二階からいつもの濡れ縁を見下ろしたら、くろがうずくまってる。お袋が留守なので、エサがもらえず、待ってるんだ。

とんとん二階から降り、窓を開けてエサを出す。

くろは少しあとずさりして、ぼくの顔を不思議そうに見あげた。


いつものばあやじゃないんだよぉ。


エサを食べ出したくろの前足はなんともなかった。小さいけれどしっかりふんばって、エサをはぐはぐ食べていた。

ちょっとホッとした。

kuro


あれは誰だったんだろう? 前足を引きずりながら去っていったヤツ。

くろより少し小さかったような気もする。でも、同じように真っ黒で、金色の瞳の愛らしいヤツ。

くろのきょうだいなのかな。くろみたいに、エサにありつける場所を見つけることができないのかな。


濡れ縁を見下ろしたら、くろの姿はもう消えていた。

次に来るときは、連れてこいよ。


最近、岡本太郎さんの顔や名前をよく見かける。ブームなのかなぁ…と、書いた今、「生誕100周年」とテレビから。

なるほどね、そうだったのかぁ。

会社勤めをしているころ、太郎さんの自宅を訪ねたことがある。あるシステムのシンボルマークを作ってもらいたいというお願いだった。と言っても、まだ20代半ばだったぼくは数人の先輩にくっついて行った一番下っ端で、同席はしたものの太郎さんと直接お話はしてないのだけれど。

聞いていた通り、そして予想していた通り、奇妙な方だった。

自宅の玄関を入るとそこには太郎さんの等身大の人形が。正装して爆発ポーズをしている姿はちょっと怖かった。

庭には太陽の塔に象徴されるあの顔が彫刻や焼き物でごろごろしてた。へんてこな庭だなぁと思ったけれど、あの顔は太郎さんの心だったんだろうか。

同席して話を聞いていたけど、こちら側と太郎さん、話は決してかみ合っていなかった。もっぱら秘書の方(後には太郎さんの作品を管理された女性)との話合いという感じだったっけ。

その後、ある画家の番組を構成する際、太郎さんのことを調べたことがある。太陽の塔の太郎さんはあまり好きにはなれなかったけど、戦前、二科賞を受賞した「痛ましき腕」や、ファスナー付きの真っ赤なサメもどきが画布を切り裂く「森の掟」なんかは結構好きだった。

太郎さん、そばで話を聞いてるとよくわからなかったけど、その文章はおもしろい。「沖縄文化論」も勉強になったっけ。



お願いしたシンボルマークを太郎さんは描いてくれた。それはあの太陽の塔の兄弟のような感じの顔だったけど、肝心のシステムが世に出ず、そのシンボルマークも日の目を見ることがなかった。

残念だった…。

そのシンボルマークと共に、ぼくの20代の2年間はあったんだった。


そっかぁ、100周年かぁ。

太郎さんが書いた本でも読み直そうかな。




見てると切なくなる。

住民に向かって土下座する東電の社長。

口々に胸のうちを吐き出す人たち。

罵声も飛ぶよね、そりゃ。家に戻れるかどうかさえわからないのだから。

苦しいね。

どうしてこんなことになっちゃったかな。

国民の戦争責任って言葉がちらりと頭をかすめる。

東電(ばかりではなく他の電力会社)の社員が、今は口には出来ないけれど頭のかたすみに浮かべている言葉があるだろう。

「みんな、賛成してたじゃん…」

原子力で電気を生み出す。そのシステムに明確に反対することなく、生み出された電気を存分に使って快適な生活を営んできたぼくら。

ほとんど国策として「原子力は安全」と教育現場でも教えられてきた。

それを真実として疑わない人たちもたくさん生まれているという。

それが意図的な洗脳なのか、ぼくらの判断力不足なのかは微妙なところだけれど、なんだか戦争前みたいだな。

原子力はやはり人智の及ばない、人の手におえない自然の摂理として手離し、共に生きて行けそうな太陽光や吹く風に力を借りるのか、それとも喉元過ぎれば熱さを忘れて元のレールを再び走るのか。


それを選ぶのはぼくらだけどなぁ。

しばし立ち止まって考えよう。

一年半ぶりに受けた健康診断。

その結果は、「あなたはメタボリックシンドロームです」のひと言…。前回は予備軍だったのに、断言されてしまった。

この一年半で腹周りが4センチもデカくなったのが痛い。

ま、腹周りなんかどうでもいいのだけど、中性脂肪や悪玉コレステロールの値が高いのはマズいな。

診断結果には「食生活に気をつけ、飲酒とタバコを控えましょう」とアドバイスが。

しかし、飲めばガバと飲めるけど普段酒は一滴もたしなまず、肉より魚を食す方が多く、米のメシは多くて一日茶碗に二杯、野菜も同年代のオヤジたちと比べればより多くとってるし、間食もせず、タバコもやめて25年となるワタクシに、これ以上ど~せいと言うの? 青虫にでもなれってか?

わかってるのよね、運動不足だって。仕事をしてる二階から下へ降りるのはトイレの時だけってのも珍しくないしな…。

ホント、動かないもん。

ちとマズいね。

傾向を見ると、どうやらぼくは75キロを境に数値がグンと上がるみたい。よし、次の健康診断までにその境界をクリアするかぁ!!

食べずに痩せるのは意味ない。キチンと三食とりながら、目標75キロ切り!!

食いながらじゃ、体重が減る要素はナイよなぁ。

となると、やっぱ運動か…。

メンドイな…。

以前もちょっとだけ一念発起して散歩を始めたら、とたんにカゼひいたし。扁桃腺が弱いしな…。

あ~、言い訳じゃ。

せめて散歩でもするか、あったかくなってから…。

きょうは企画コンペのための最初のスタッフ顔合わせ。

大事なこの日に一時間の遅刻。午後一時からなのになぜか二時からと思い込んでた。

午後一時、スタッフを取りまとめる人から「あの~、きょうはご出席いただけるんですよね?」と不審気な電話が。

ぼくは集合場所に向かう最中。時間は余裕綽々、意気揚々と「はい、今向かってるところです」。

「あの~、一時からなんですけど…」

えっ! ホントにぃ?

それから法定速度をオーバーしつつ駆けつけるも、イナカ住まいの悲しさ、やっぱりしっかり一時間の遅刻…。

すみません。

自分の勝手な思い込みでアポの時間に遅れたのは初めてだ…。

特急で眠りこけ、降りるべき駅をすっ飛ばしたことはあるけれど。

スタッフの皆さんに借りが出来てしまった。

まずは信頼を取り戻さなければぁ。

予定より早く着いたので、車の中でしばしヒマつぶし。

きょうは風が強くて冷える。春のうららかさに慣れてきた体には、気温以上に低く感じるなぁ。

湾に架かった橋の吹き流しはまっすぐ横に流れてたけど、そう言えば今年はもう春一番って吹いたんだろうか?

季節のメリハリが薄れた気がする。でもこの時期は苦手なのはやっぱり変わらない。

もう4月も半ば過ぎ。早くはっきりあったかくなってくれんかなぁ。



きょうはプロデューサーのプレビューだ。

うどん屋の隣は定食屋。

モーツァルトを聴きつつ食事をすると元気になるのかな?

鉢植えの植物もモーツァルトで一層大きく育つとか。

ぼくはもう大きくならなくていい。

今夜は山いもかけうどんで打ち止め。

きのうから南の街で編集中。

300年ぶりだったけ、いきなり噴火して何センチも灰を降らせた火山もすっかり大震災の陰にかすんでしまってるけど鎮静化したわけじゃないそうで、小康状態が続いてるとか。

ニュージーランドで地震に遭ってしまった人たちもそうだけど、忘れてしまってるみたいな感じになってしまってる。

災害に差違をつけちゃダメだけど、それまでの出来事をすべて過去形にしてしまうような天災。

そして、今も進行中…。


編集中なのは、こちらも忘れてはいけない口蹄疫がらみの物語。

正味24分20秒。だけど60分近くある。

きょう中に30分台になるといいなぁ。

たまにネコ助をギュッとすると、ギョッとする。

イヤなんだよね~。

でも、しばらくこのまま。

ず~っとギュッとしてると、うにうに、動いて逃げ出そうとする。

でも、鳴くことはない。

前のネコはイヤだと思った瞬間にブシャア~ッ!、鳴き暴れてすごかった。


ガマン強いな、お前。


ことしも桜は咲いて、そろそろ花びら舞い始め。

桜。

花を生けたり愛でたりする趣味はないんだけど、桜だけはきれいだなって思うねぇ。空の青までほんのり桜色に染まる感じがする。


それにしても、ね。

花さえ咲かない大気に満ちて欲しくない。

立ち止まって、考えなきゃね。

きのうの余震は大きかったらしい。

茨城の北部に住む友人は阪神淡路大震災を大阪で体験してるけど、「こっちの揺れの方が大きかった」って言っていた。

より大きな揺れが先にあったから余震と呼ばれているだけで、それ単独で起きればもう大地震という揺れが続いているというのだから気が休まらないだろうな・・・。

ぼくらは地面にくっついて生きている。空中に浮いて生活するわけにはいかないし。その地面が予約も断りもなくぐらつくんだからなぁ。逃げ場所ってのもないし。

縦横数百キロという広い範囲で起こる揺れを余震と呼ぶらしい。

しかし、ぼくら人間には広い範囲だけど、地球サイズにしたらごく狭い地域。時間にしても、あの地震が起きてからもう一ヶ月もたつのにまだ揺れるのかって感じだけど、地球サイズの時間にしたらほんの短いスパンとなってしまう。

感覚を地球サイズにしないとアカンのかなぁ。

ということは、しばらくがまんするしかないってことになるのだけれど。

別に感覚を変えなくたって、がまんするしかないのは変わらないか・・・。



地球サイズで考えれば、日々、刻々、揺られている友人は、ぼくであってもおかしくないわけで。

せめて東北の物産を買おうかね、と思っても、原発の事故で出荷自粛やら停止やら。

コウナゴから基準値を超える放射能物質が検出!なんて報道される。けど、この値って、このコウナゴを毎日1キロ、3年間食べ続けると体に影響が出るレベルだそうな。

安全基準が幻覚だと言えるのだろうけど、同時に、この安全基準ってなに?という疑問も湧いてくるなぁ。放射能物質が降りかかったホウレンソウも食べて平気レベルではあるらしいし。


原発の事故は行政単位の境目が非常時には意味のないことを改めて教えてくれた。○○市だの××県だのというくくりで遠巻きに見てしまうのはオロカなことだということも。


今年は、サンマは食えるんじゃろか?


ちょいとぎぅぎぅで、朝から机にへばりついてると、バテるし、アキる。

アキるとパソコンで遊び出したり、マンガを読んだり。効率が悪化することこの上ない。手を伸ばせばそこに遊びの入口であるパソコンやマンガがあるからいかんのやなぁ。

で、アキたころに庭先を覗いてみると・・・・いたいた、くろ!

くろ03

新規導入の「ガラ携」で撮ったら、サイズがデカイ!

濡れ縁に前脚かけて窓から中を覗き込んで、愛らしいね。しかし、透明の窓ガラス一枚はさんでると、そばに寄ってもヘイキっていうのはフシギ。くろには透明のモノが見えるんじゃろか?

ちょうどお袋が出かけていないので、かわりにエサを出させていただく光栄にあずかる。

くろ02

お袋が準備してたエサは、ドライフードに水を含ませて柔らかくしてあった。

年寄りの配慮を感じるけど、お前ももう赤ん坊じゃないもんね。次からはドライのままでお出しするよう、ばあやに申しつけておくからな。




今朝、駐車場に行ったら、くろがスズメを追いながら走り回って遊んでた。

エサ付き、家ナシ、自由アリ・・・・・ノラ猫生活ってのもエエねぇ。



きょうは日曜日。で、選挙の日。

でも、投票はきのう終わらせたので、きょうは外出ナシ。

夜も11時が近づいて、きょうはまだテレビを見とらんなぁ。

テレビは、無ければ無いでちっとも困らんと某友人が言っていたけど、確かにそんな側面はあるな。娯楽には徹しきれないし、ジャーナリズムの旗手ともなりきれない。

まぁ、テレビの場合は新聞とは違い、会社のカラーよりも番組個々のカラーが先んじるから、放送局としてのイデオロギーなんて持つ必要もない。

真逆の内容の番組が同一放送局から流されていても、それを不可思議と思う視聴者はあまりいないだろうし、ましてやそれをおかしいと思う局員などゼロに等しいかも。

そう思うと放送局に課せられたマスコミとしての役割ってなんじゃろって思うなぁ。

震災の時は全局一斉に同じ方を向いた。

なぜかCMは消え、たまに流れる分にはなるほどと思うけどのべつまくなしに出てくると勘にさわる明言格言満載の広告の広告的なモノが、呆れるほどに流されて。

CMが消えたのは放送局の判断だったのか、はたまたこんな時期にあっけらかんとした宣伝をするのはよろしくないとスポンサーの方が思ったのか、それともその両方だったのか。

新聞からは広告は消えんかったもんね。


しかし、テレビがらみで禄を食みながら、まったく見ないってのも申しわけない気もしないでもない。

歯を磨きながら、スポーツニュースでも見るかな。



なんだか“春めいて”を通り越して、暑く感じるようになっちゃったねぇ。20度以上になると、どんなカッコをしたらいいのかワカラン。

とは言え、朝は12、3度もあるのに空気がひんやりするのはなぜだろう? 体に感じる温度と実際の気温とでは違うのかな。

だから、朝は冬の姿で、そのままいると体が熱を持ってきて、アタマがぼやけてくる。20度あるんだから真冬のカッコをしてたらのぼせるのは当たり前だわね。

と、思ってフリースなどを洗濯したら、いきなり朝が寒いじゃないの。野っ原のような駐車場に置いている車は窓ガラスもボンネットも、白く凍りついていて、ワイパー動かしても見通しがきかん。

冬のさなかならペットボトルにお湯を入れて持ってきて、タパタパかけるのだけど、油断した。

車に乗り込み、ヒーターを入れて、ぼんやり解凍されるのを待つ。


三寒四温の季節はもう過ぎたのかな?

北の方は朝と昼との寒暖の差がとても激しい。

早く気候が安定するといいな。

携帯を替えた。

使っていたSONYの携帯に特に不満はなかったのだけど、いつもジーンズの前ポケットにねじ込んでいるせいか、出し入れする時に「メキ」「バキ」と不穏な音がするようになってきたのが気になってた。

二つ折りのかみ合わせも微妙にズレてきてるし・・・・使い始めてもう4年以上になるもんなぁ。はっきりオシャカになる前に機種変更した方がいいかしらん?

と、結構前から考えていたのだけれど、きょう、用事があって街まで出た時に、「よし、今だ!」と決心。

で、ヨドバシカメラの携帯コーナーであれこれ「う~ん…」と悩む。

スマートフォンがはやりだけれど、ネット活用を前提とした月々の料金設定がどうも気に入らない。これまでと同じだけの通話とネット利用をしたとしてもベース料金が月々+2000円ほどになるようだ。

2000円 × 12ヶ月 = 24,000円

これだけあるとちょいとした遊びや飲み食いが出来るなぁ・・・。。これだけ新たに通信に出費するほど、自分はスマートフォンを必要としているのだろうか・・・・・なんて考える輩は、IT時代の情報受発信のスバラシさを享受する資格はないのかも。

で、幅をきかすスマートフォンに押しやられた、いわゆる「ガラ携」の中から悩みに悩んで最終的に選んだのはこれ。

  → docomo PRIME series N-03C メーカーはNEC。

ぼくは初めて持った携帯(当時はピッチ)がSONY製で使い勝手が慣れていたので以来ずっとSONYだったのだけど、最近はSONYもスマートフォンに力を入れていて「ガラ携」は知らんふりみたいなのでこちらに鞍替え。

色気もなにもないこの機種にしたのは、ひとえにその頑丈さ。「耐衝撃」「防水」「防塵」の“トリプル・タフネス”が売りのケータイなのだ。コイツならジーンズのポケットにねじ込んだまま座ったり立ったりしても大丈夫だろう。

それと写真の撮影の速さ。これは今、販売されている携帯ならばどれも速いのだろうけど、ぼくがこれまで使っていたSONYの機種は、シャッターを押してから写真を保存し、再度撮影可能になるまで7~10秒の時間がかかっていた。これでは動きの速いネコ助の愛らしショットも1枚撮るのがやっと。次に撮影可能になった時には、ネコ助はどこかへトンズラしてるし。

この新たな「ガラ携」だったら少なくとも2枚は撮れるかな。


機種変更すると以前の使い勝手に戻すのがメンドイのが難点。文字入力も操作がちょいと変わるので慣れるまでがな~。

ま、それは時間が解決すること。コヤツを2015年までは使うぞぉ(って、年度に意味はナイけど)。


毎日毎日続く震災、そして原発事故関連のニュース。

毎回毎回、やはり見ずにはいられない。


被害やその行く末には全然関係ないけど、ちょいと気になるところが。

福島第一原子力発電所を映すNHKのニュースには「30キロ以上離れたところから撮影している」旨と、「画像を鮮明にしている」旨のスーパーが必ず出る。この映像はヘリコプターから撮られているのだけど、これら2つの文章は、誰に向けて画面上に入れられてるんだろう?

視聴者向け?

ぼくら視聴者としては、NHKのカメラの映像が30キロ以上だろうが以内だろうが、あまり意味がない気がする。

原発から30キロ圏内は避難指示または屋内待避の対象となっているので、「ヘリコプターの操縦者及びカメラマン、記者の安全は確保している」という宣言としての意味ならば、それは国か労組などマスコミの団体向けの表示なんだろうなぁ。

もうひとつの「画像を鮮明にしている」という意味も、視聴者向けなのかどうなのか。

撮ったそのままの映像では見にくいので画像処理をしているということなんだろう。ぼくら視聴者にはありがたくはあるけれど、原発の全景などが映し出されるたびに知らねばならない情報でもない気がする。

撮った映像に手を加えることは「捏造」と言われかねない危険性があるので、それを回避するための文言なんだろうか?

いずれにしても、このふたつの表示、ぼくら視聴者にとってはあまり意味がない気がする。ただでさえ画面上の情報が多いのだから、必要不可欠な情報以外は入れないようにして欲しい。


しかし、ホバーリングしているヘリコプターから撮っているんだろう、あの映像の“動かなさ”は大したもんだ。飛んでいるヘリコプターの震動を吸収し、どこか高い建物の屋上から撮ってでもいるような映像を可能にした技術はNHKが開発したとか。

先日、某局で仕事をしていたら報道部長が「うちもあのカメラを使いたいな・・・・」と、ちょっとうらやましそうだった。

だろうね。




本やCDはモノとして持っていたいので、ダウンロードして読んだり聴いたりする書籍や曲は願い下げ。そう思っていたけれど、最近、音楽のダウンロードにちょっとはまっている。

大きな理由のひとつは価格かな、やっぱり。

・モノとしてのアルバムを買うほど興味はないけれど、ちょいと聞いてみたい。

・ちょいと聞いてみたいけど、1、2曲じゃつまんない。

なんて考えがちなぼくに、amazonのMP3ダウンロードはぴったりはまる。どのアーティストも1曲100円、150円と価格がついているけれど、「アルバムを購入すると1曲ずつ購入するより ¥ 9,100 安くなります」なんて殺し文句も書いてある。

で、コロッと。

きょうはフランク・シナトラとチェット・ベイカーの編集アルバムを購入。フランク・シナトラなんか、CDだと絶対購入しないけど、ちらほら聞いてみるとやっぱりうまい。

で、75曲で900円。ショービジネスの帝王・シナトラもこの金額じゃ、ちょっとかわいそう…。

もっとかわいそうなのはチェット・ベイカー。ジャズ・トランペットの名手&ボーカルもムーディでなかなかな方だけど、111曲で600円也。

1曲6円弱とは、あまりじゃなかろうか? ベイカー氏も草葉の陰でお嘆きだろう。

あまりじゃなかろうか、などと言いつつ、「安いっ」と、喜々としつつダウンロードして聞き惚れてるのも矛盾だけど。

著作権が切れてるからこんな価格になるのかしらん?


村田英雄や三橋三智也なんかの演歌も聞きたいのだけど、バリエーションが少なくて残念。「演歌の花道」的なアルバムが出れば、即ダウンロードしちゃうんだけどな。

でも、マイルス・ディビスとか、ブルーノートの名曲集なんかは、とってもリーズナブル!

ジャズ好きな人からは「邪道だ!」と叱られそうだし、モノを生み出すことの大変さを多少なりとも知ってる身としては申しわけない気もするけど、もういくつかゲットするかな。

次はクラシックだ。





書き起こしを読んでるけど、進まん~終わらん~。

おととい、書き起こしが280ページになったって書いたけど、ちゃんと揃えてみたら350ページだった・・・。

あぁ、量で重圧、もうアカン。

ほんとはラフ台本が着々と進行していなければならない時期なのにぃ。あと三日でなんとかせねば。


しかし、取材陣はきのう、日本に戻ってきているはずなんだけど連絡がない。無事なのかなぁ。

情報伝達が良さそうで悪いのが放送業界人の常。こちらから「返事を乞う」的な内容のメールを出しても反応がないこと、ことに多し。

先週出したメールの中にも、極力早めの回答が必要なメールがふたつ、みっつ。でも、リターンはナイね。

手元に着いたのやら、着いていないのやら。電話で確認しちゃうぞ、ほんまに。

忙しいというのが業界人の常套句なのだけど、問いかけに対する応答に必要な2,3分の時間もとれんほど引く手あまたなのかぃ!

いかん、関係ない怒りが沸いてくるのでヤメよ。


しかし、無事に着いたのかな~。関西空港に着くって言ってたような気がするんだけどな。大英帝国でおいしいビールとフィッシュ&チップス三昧してきたかな。

あしたあたりに、「出来ましたぁ?」ってイキナリ電話が来そうでコワい。

書き起こし、読も。




テレビをつけると、男性が言葉を失っていた。

そして、切れ切れに謝罪の言葉を述べた。

東京電力の社員だった。低レベルの放射能汚染水を海に放出することへの詫びの涙。

初めてのような気がする。今回の人災で当事者である東京電力の人間が涙するのを見たのは。

涙は不思議。固く閉じたはずの心の扉を少し開かせる。

泣きゃいいもんじゃないよという声もあるだろう。

涙を流すヒマがあったら早く処理しろと叱咤する人もいるだろう。

ホントの涙か?と疑う向きもあるに違いない。

でも、この人の涙は本物だと信じたい。そして、経営側であれ、雇われ側であれ、東京電力に属する数多くの人たちのほとんどが、同じ気持ちを抱いてると思いたい。

組織としての東京電力の非は消えないが、組織を作る個々人をそしりたくはない。



いったん手をつけたら、やめることが極めて困難な原子力による発電。今回の事故で使いものにならなくなった福島第一原子力発電所の各原発は、廃炉とするまでに30年から50年の歳月がかかるとか。

心に涙を溜めて、事にあたる他はない。




ちょっと仕事がダブってて。

編集スケジュールが完璧に一緒なので、ひとつはよその県だけど編集に立ち合えそうもない。

そのよその県のスタッフが、あした、海外取材から戻ってくる。彼らが帰るまでにラフな流れくらい考えておきたかったんだけど、取材テープを見るのが精一杯じゃった。

まいったまいった。

最近は便利になったもので、取材テープをポータブルなハードディスクにダビングして送ってくれる。VHSからDVDへと変わるのにはかなりの時間がかかったけど、DVD → HDは「あ」と言う間だった。

今、ぼくの机の上には送られてきたポータブル・ハードディスクが3個。それぞれ650GBもある。入っているデータの量は多くなく、中身はスカスカでちょっともったいないけど、映像を見ないことには始まらないので三回に小分けして送ってくれた。

ありがとうございます。

でも、これで全体のまだ三分の二だ。まぁ、あとの三分の一は今月中に作る30分番組には盛り込まないことになったのでいいのだけれど、結局見なくちゃいけないのは同じなので、取材陣が戻った今後、また送ってもらうことになる。

三分の二を書き起こしたらA4用紙に280ページくらいになった。精力的に取材してくれるので、素材が豊富でありがたい。

同時に、増えていくいっぽうの映像量はどうにかならんのかなぁとも思う。


これは聞いた話。

昔、ベトナム戦争のころ。北爆の現状を取材するため、決死の覚悟で潜入した某テレビ局のクルーは二週間の長期ロケを敢行。前代未聞の長時間撮影に成功した。

その長さは、総計8時間・・・。

今だと通常テープで12本くらい。精力的なクルーならば2回の取材で撮りきってしまう量だ。

フィルムが貴重な時代。何をどう撮るか、カメラマンはもちろん、ディレクターも音声さんも事前に考えに考えたそう。

そして、いったんフィルムが回り始めると、あとはカメラマンの感性の世界。だから、腕の優劣がはっきりついた。

今は器機の性能があがっているので、市販のビデオカメラでもオンエアに使えるきれいな映像を撮ることができる。実際、ディレクターや記者にハンディ・ビデオを持たせる局も増えてきた。

対象を絞りに絞って、決め打ちと感性で撮る方がいいのか、心に感じたモノをはじめ撮れるモノは撮れるだけ撮った方がいいのか・・・・。

きれいに撮れてもディレクターや記者はしょせんシロウト。“カメラマン”にかなうはずはないし、かなってもらうと困る。テレビに流れる映像がシロウトが撮ったモノばかりになるのも困る気がするし。

難しいな。


しかし…、

帰国に供えて少しお仕事を進めておかなきゃ。

書き起こしでも読も。








気が滅入る。

東京電力の社員に、いやがらせや脅迫その他、圧力行動を起こす人が増えてきているらしい。

個人と組織をごっちゃにしたらアカンぞね。

原発の安全神話を作り上げ、そのあげく原子の力の手に負えなさをたくさんの犠牲を巻き込みながら実証してしまった東京電力という組織は責められてしかるべき。

でも、その組織で働いている社員たちに、組織が起こした出来事の責を求めるのはお門違いというものでしょ。

そんなことをする人たちは、「戦争を起こした日本という国の国民は皆総じて地獄に墜ちろ」と糾弾されると「了解しました」と言うのかな?

東京電力の社員には自らの責任を思う人もいるだろうけど、それは社員自身で問えばいいことだ。

東京電力の社員に責を問うならば、同時に、原発による電力を享受していたぼくら市民も同様に問われなきゃアカン。

日本の総電力の3割近くは原発から生み出されている。その分、今、福島の原発事故で苦しんでいる人に対する責の3割は、ぼくにもあるということだ。




ぼくは原発の安全神話なんかハナから信じていない。それは今は亡き高木仁三郎さんの著書や話、広瀬隆さんの著書なんかの影響も大きいけれど、それ以前にトライ&エラーという過程を経て進んでいくことが出来ない原子力開発を科学だとは思っていないから。

試して、失敗して、そこから新しいやり方を学んで、そしてまた失敗して・・・・そんなトライ&エラーによる前進を原発はやることができない。


エラーをした時。

それは、ぼくらみんなが後悔せざるをえない時。

三週間前、その時はすでにやってきた。


東京電力の社員をいじめてるような場合じゃないがね。











信号待ちの間にパチリ。

きょうはぽかぽか、20度近くある。お堀端の桜はすっかり開いてるなぁ。

ほんの30キロほどしか離れていないぼくの住む街はやっぱり山に違いからなのか、桜はまだつぼみ。

ここまで開くには、あと数日かかるかな。

春の訪れをどうやって感じとるのか、毎年きちんきちんと花を咲かせる。

偉いもんだなぁ…。

ぼくなんか、こんなあったか天気に去年はどんな格好をしてたか、きれいさっぱり忘れてしまってて、出かけるまで真冬の格好で汗をかいてた。

アホやん。

去年の今ごろ、何を着てたっけなぁ…?

毎年、同じことを考えてるね。


花びらが青空に映えて、あたり一面ほんのり桜色。そんな季節も間近だな。

花見の喧騒は苦手だけど、ぼんやり眺めていたいよね。

ほんのり、桜色。
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