番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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ひさびさに深夜零時を回るまで起きている。

漆黒の闇を静寂だけが醸す静けさという音が包み込む・・・・かと思いきや、夜がふけるにつれて風も雨も強くなり、あぁ、窓にかけたすだれが横に流れるぅ。

秋の夜長に吹く風ではなく、台風の余波だな。

知らない間に第風15号はずいぶん巨大になっていて、沖縄方面へ向かっていたはずが日本列島に沿って北上していると、今知った。

強風が玄関を吹き抜いたことがあるので、以来、風台風はコワい。

高台なので少々の雨は平気だけれど、先の台風で被害を受けた地域の人たちは不安な夜を過ごしていることだろう。

15号、紀伊半島か東海地方へ上陸するらしきコースを進んでる。

どうせぐにゃぐにゃ迷走したんだから、太平洋を東へ向かって帰ればいいのにね。

とっととお引き取りくださいまし。
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あ~、きょうはちょいとしんどかった。

なぜか昨夜は寝付けなかったのと、台風が南の海に鎮座ましましているせいか、アタマが自分のアタマじゃないようになっていて。

ま、低気圧に反応して機能が停滞するのはよくあることなので驚きはしないのだけど、ひさしぶりではあった。

ひたすらぐんにゃり。

使いモノにならんので、昼間はゴロゴロ、どしゃ降りの雨音を聞きながら、時にうとうとお昼寝したりして。


夕方、6時を過ぎたころには、かなり復活。でも、きょうの仕事のノルマは達成できず。

やばいね。


でも、♪ あしたがある、あしたがある、あしたがあるさ ♪

山本作兵衛さんの描いた絵がネットオークションに流れているとか。

世界記憶遺産に登録されてにわかに価値が出たので、押し入れかどこかに閉まっていたのを引っ張り出して小遣いにしようという人たちが結構いるということにちょっと唖然。

ぼくはおめにかかったことはないのだけれど、ご本人を知る人たちから聞いたところでは、作兵衛さんは自分の絵を欲しいと言う人には誰にでも気軽に渡していたという。

地の底に潜っていたころの話をとても鮮明に覚えていて、楽しくにこにこしながら話すその内容はとっても生き生きと面白かったそうだ。

お酒が大好きで、いつも一升瓶からついでは飲み、「作兵衛さんは米の飯は食わずに酒で生きてる」と言われていたとも聞いた。

若い頃から炭鉱で坑夫(この文字はぼくのワープロでは出ないのだけど、公的な使用は不可なのかな?)として働いてきた作兵衛さんが脳裏に刻んだ地下での出来事を絵と文字とで描き、記した絵の数々が「世界の記憶」として扱われるとは、ご本人は全然思っていなかっただろうし、周囲の大半の人もそういう価値があるとは考えてはいなかった。

記録画としての価値を言う人は以前からいて、作兵衛さんの絵は確かに見るだけではなく、書かれた文章を読み、描かれた絵を読むことでより活きてくる。絵ばかりではなく文章も、とってもおもしろいもんなぁ。

そして、こんなことがあったんだ、と接した側の脳にも刻まれる。だから、作品として掲げるよりも、みんなでまわし読みをした方がいいような、そんな存在だ。

作兵衛さんが快く渡した絵が、ネットオークションでは数万から数十万円の値がついているらしい。

それを直接渡された人の手で作兵衛さんの絵がネットに流れているとは思いたくはない。人手を渡り、流れているうちにオークションの場にたどり着いた。そう思いたい。

が、釈然としないなぁ。

人からもらったモノを売るという感覚がまず分からないし、伝えることで価値がある作品なのだから寄贈するなりすればいいのにね。

降ってわいたような価値であぶく銭を得て喜々とするのかな?

わからん。


先日、番組コンテストの審査員なるものを初めて体験した。

ぼくが担当した番組はラジオの生ワイド。3人の審査員がそれぞれ1~6点を持ち、自分が「いい」と思った順に6点、5点…1点と付けていくという方法。

いつもは審査される側だし、初めてだったから面白かった。

しかし、審査ってどういう風にやっているんだろうと思っていたけれど、実際にする側にまわると、難しいわ、こりゃ。

体操とか、シンクロナイズドスイミングとか、ある一定の基準があってそれをクリアした、しないをベースに考えるスポーツ競技ではないし、取り上げた内容も違えば、表現の仕方も全然異なる番組を「こっちの方がいいな」と言わなければならないのだから、困った困った。

審査される側でいつもほんのり感じていたこと、飛び出ているのは選ばれないというのが、あぁ、こりゃそうなるかもねと思えた。選者には選んだ理由、選ばなかった理由を述べる義務が生じる。「これ、面白かったんだもん」じゃ、審査にはならん。

だいぶ以前のことだけど、製作に携わった番組が某番組コンテストで3人の審査員の評価が「満点、満点、1点」でトップを逃したことがある。

その番組はある絵描きさんを取り上げていたのだけれど、1点をくれた審査員の講評は「ぼくはこの絵描きが嫌いです」だった。

そりゃ、講評じゃないだろう!

そのときはそう思った。

でも、番組に限らず表現されたものへの判断基準の基礎の基礎は「好き」か「そうじゃないか」。

審査員を体験して、それを改めて思った。講評ではいろんなことを言ったけど、それは評価の理由付けをしたワケで、「ぼく的面白い度順」の一言でほんとは事足りる。


実際、意見は分かれた。

ぼくが6点をつけた番組を1点と評価した審査員もいたし、その逆も。人の感覚って面白いなぁと思ったけれど、こうなるのが当たり前と言えば当たり前。みんなそろっておんなじとらえ方って、気持ち悪いもん。

でも、ときどき、審査員全員満点という番組が登場することもあるけれど、そうした番組はやっぱり面白い。


評価するには数値化が一番簡単。テストの点数しかり、偏差値しかり、視聴率しかり。相対評価はわかりやすいし、高い数値を得たものは、いいもののように思える。

でも、一番の評価はやっぱり自分自身の絶対評価だ。番組作りもディレクターを中心とした制作陣の絶対評価から組み上げられていく。

やれることをやるだけやって、オンエアされるときには、「さぁ、どうだ! どうにでも見てくれ、聞いてくれ!」と半ば居直れなければちょっとやってられない。

まぁ、居直れたことはないけれど、居直りたいと常づね思ってはいる。


賞はおまけ。もらえたらもちろん嬉しいけれど、狙って番組を組み立てることはない。

まず、見てもらって、わかってもらって、興味を持ってもらって、次へとつないでもらうことができたなら・・・その番組は成功だし、役目を十二分に果たしたって言えると思う。

やっぱり賞はおまけだな。

でも、欲しいね。実利はぜんぜんないんだけどさ。



学生時代の友人が亡くなったとの知らせ。

驚いた。

病気だと知ってはいたけど、あまりに早い。

中学時代、同級生が病気で世を去ったことはあったけれど、同じ時間を過ごしたヤツが逝ったのは初めてだ。


笑顔が優しいサラリとしたヤツで、大きな声を上げることもめったにない。いつもニコニコしている印象だ。

授業に来る前、下宿のある駅で尻押しのバイトをこなしてた。あの頃の電車は軒並みすし詰め、酷電だったからなぁ。

「女の人だと押すところも気をつかうし、けっこう疲れるんだよ」

ニコニコしながら言ってたな。


他のヤツらと一緒に、海のある街に住む友人宅へ遊びにも行った。男だけの、色気のない旅だったね。


病を得て、歩けなくなっても、「車いすになっちゃったよ」なんて、サラリと言っていたそうな。


病気だとは知っていた。

でも、なにもしなかったね。噂を聞いていただけだった。


卒業以来、一度も会わないままだったかな?

会えるときに、ムリしてでも会わないとダメなんだ。


合掌。





くろが姿を見せなくなって、何日くらいたつかなぁ…。

くろが二匹やって来て、一匹は濡れ縁に、一匹は庭石に、それぞれうずくまっているのを見て、「ありゃ! 二匹いる!!」と思っていたら、ご近所の玄関先にはくろよりずっと小さいくろがいて。

あぁ、我が町内はくろだらけ~、嬉かぁ!!

というのもつかの間。

くろは姿を見せなくなった。

くろだけじゃない。もう一匹のくろも、小型のくろも、いなくなった。前脚をひきずっていたくろは、一回姿を見ただけで、以来一度も目にしない。

くろだけじゃない。のしのし歩いていたとらも、ごはんくれくれとせがんだ白茶もいなくなった。

どうどうどっこの、風の又三郎みたいに、みんなそろって、ひゅぃん、どっかに飛んでいったかな。


もう来ないかな。

おなか、すいてないかな。

くろ


おまえは器量好しだから、どこかでごはんをもらってるよね。


また、来いよ。



そろそろ、起きよう。

ぼちぼち、再開。

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