番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |

今年最後の夜もふけつつある。

コタツに入り、みかんをむきながら、紅白や裏番組などを行きつ戻りつ、除夜の鐘が響いてくる頃にはふとんにもぐり込むだろう。


今年は忘れがたい年になってしまったね。

あの地震が起きた時間、ぼくは沖縄の局の編集室にいた。

そこへ、高校時代の友人から「あいつは大丈夫か?!」と興奮した電話が入る。

「は?」…なに言ってんのかね、このオヤジは?って思ったら、

「地震で東北がガタガタだぞ!」

編集室を出ると、局員誰もが呆然とモニターを見つめてた。農土を巻き込んで真っ黒となった海水が、家を、畑を、次々と飲み込む。

声もないって、あの時のことかな。このまま編集を続けていいものやら、心の中がちょっとウロウロしたな。


そして、原発の事故。

危機管理に「想定外」という言葉があんなに頻繁に使われる場合があることを知った。

もういいよ、ごまかしは。実施を前提とした試算もいらない。

誰もが求めるのは、穏やかな暮らし。それが生きる基礎だから。


早く年が明けないかな。

まったりゆったり、優しい陽射しに癒される日々が訪れますように。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さてさて、赤と白の歌合戦。ときどき他局へ抜けたけど、レディ・ガガも見た、少女時代も見た。あ、和田アキ子さんもユーミンも見たな。

200人強に増殖したというAKB48は見逃した。

嵐も、TOKIOも、きよし君も見た。郷ひろみさんは元気だったけど、ちょっと息があがっていたな。

マー君がマイクのコードを踏んでいて、大竹しのぶさんに叱られるシーンも見た。


紅白のステージは、華やかで艶やかで、PerfumeもKARAも嵐の5人も、登場する人たちはかわいいけれど、歌手としての個々人のオーラのようなモノで勝負するシーンが減っていて、見ていてあまりスリリングではない。

裏番組の演歌衆も見たけど、歌としての魅力はこちらの勝ちかな。

結果発表の前に、総合司会の阿部アナウンサーがNHKオンデマンドの宣伝をしたのには白けたね。

なにはともあれ、紅白にも白黒がついた。



風呂にも入った、歯も磨いた。

新年を迎える準備は整った。

新しい太陽が昇るまで、ふとんでまったり、癒されよう。

おやすみなさい。いいお年を。



スポンサーサイト

ほんに、年の瀬。

魚売り場に行けば、ブリだらけ。

ブリを丸ごと一匹買う人っているのかね?…と、ふと思ったけど、いるからこんなにごろりごろりと並んでいるんだろう。

出世魚だからね。

切り身のコーナーもブリばかりだ。嫌いじゃないけど、あっさりした白身の魚が食べたいんだよね・・・参るな。

年が改まると、売れ残りのブリが値崩れして、しばらくの間並ぶんだよね。魚屋さんも困るだろうな。年末の間に売り切れるといいんだけど。

そして、早めにいつもの品揃えに戻って欲しいな。


野菜売り場には、かつお菜が山積み。

ぼくが住むこのあたりは、この葉野菜を正月の雑煮に入れる風習がある(らしい)。

普段はほとんど目にもしないけれど、年が押し詰まるとどこからか現れて、年末ギリギリになるとご祝儀相場なのか値が上がる。

縁起物なんだろうけど。

このかつお菜、炒め物にすると結構いける。なのに、食べたい時には売っていないんだよな。

買って、炒めて食おうかな。


早く年が明けないかな。

アオ立ち小

みんなが同じ方向をまなじり決して見ているようなこの時期は、どうにも苦手だ。

テレビも特番だらけで面白くないし・・・。「特番」が「面白くない」なんて、マズイんじゃないのかなぁ。

でも、現場のスタッフは知恵を絞り、体力も絞り切って懸命に作っているのに、「面白くない」なんて言われちゃぁ気の毒だよね。ぼくも制作側の人間だしね。

しかしな・・・、

年明けの仕事もあるし、テープ起こしでもするかな。イスラム教の勉強もしなきゃ。付け焼き刃だけど、編集が終わるまではアタマに詰め込んでおかなきゃね。

板張りの部屋でカゼなぞひかぬよう、暖房入れて、保湿のために洗濯物でもぶら下げて。

膝にはタオルケットを掛けて、それでも脚をイスの下でぶらぶらしていると寒いので、イスの上にあぐらをかいて。

脚がしびれるんだよね。じ~ん・・・・・。

見なきゃならない素材が、まだかなりあるからね。


それとも、1年の疲れをとるためにコタツにもぐってごろごろし、半身浴して汗を出し、ほかほかしてるうちに床に入るか。

冬のふとんは心地いいもんなぁ。ネコ助も夜中にときどきふとんの肩口を「入れておくれよ」ってカジカジやるもん。

でも、ふとんの中で人の体の上をほふく前進で歩き回り、あったまって飽きたらシュパッと飛び出すけどね。

ねぇ、ネコ助、冷えた体は冷たいんだよぉ。

でもね、ぼくは汗が長引く体質だから、ほかほかのうちに横になるのは至難のわざではあるんだよな。

汗が引き切るまで待つと、カゼの入り口に足を踏み込んでしまうから、そのタイミングが難しい。


あぁ、早く年が明けないかなぁ・・・。

アオ立ち大

真冬の、でも時にあったかな陽射しの中で、ぼんやりまったりしたいね。






今、「ムーミン谷の彗星」を見てる。

録画予約していたらしく、知らない間に録画されてた。

ラッキー。

「 Wikipedia 」によれば、1992年制作の映画。ぼくがアニメの「ムーミン」を見ていたのは中学~高校時代だから、この映画はそれから20年ほどあとに作られたことになる。

映画はムーミンが恋人となるノンノンに出会う設定になっている。でも、「ノンノン」は「フローレン」と名を変えていた。

その昔、ノルウェー在住の「ムーミン」原作者が日本版アニメの「ノンノン」という名前に激怒して変更を要求した、という話を何かで読んだ覚えがある。

「ムーミン」には「ノンノン」じゃないとしっくり来ないなぁ。

しっくり来ないと言えば、ムーミンの声は岸田今日子さんから高山みなみさんに変わってる。

ぼくが見ていた「ムーミン」の岸田 as ムーミンは、ぼんやりとしたのんびり屋の、動きはもっさりとしていて、でも正義感はいっぱいの男の子だった。でも、この映画の高山 as ムーミンは、キリッとした口調でしっかり者の、仕草も素早い少年になっている。

ムーミンパパも、ムーミンママも、ノンノン(フローレン)も、ミィも、みんな声が変わっている。まぁ、僕が見ていたのは60年代末から70年代初頭だから、声優さんも変わって当然だけど。

岸田さんの「ぼんやりムーミン」が好きだったんだけどなぁ・・・。

映画のミィは佐久間レイさん。「らんま1/2」のシャンプーだ。

「らんま」と言えば、このムーミンの高山みなみさんは「らんま」のなびきちゃんだ。

ほんと、アニメばっかり見てたのね・・・。



スナフキンが好きだったね、やっぱ。それにニョロニョロも。

この映画は、ムーミンがスナフキンに初めて会う設定にもなっている。旅人だったスナフキンはムーミンに会ったのがきっかけでムーミン谷に腰を落ち着けることに。


物語の内容は、ムーミン谷に彗星が近づき、その影響で海が消える。

ムーミン谷の住民は揃って避難。さぁ、海は、谷は、どうなる?

丘に登ったスナフキンが叫ぶ。

「帰ってきた!」

彗星は去り、海が戻ってきた。

ムーミンたちは喜び、砂浜で踊り出し、海へと飛び込む。


それだけ・・・。

それだけと言えば、それだけ・・・なんだけど、「ムーミン」ののんびり感と安堵感はやっぱりいいな。

テーマソングをトワ・エ・モアの白鳥恵美子さんが歌ってる。なんか、懐かしい。



でも・・・ムーミンは岸田今日子さんがいいな、やっぱり。

次の番組は、日本人に数少ないイスラム教徒さんのお話。

ぼつぼつと取材映像を見始めた。


ご夫婦共にムスリム(イスラム教徒)。これは当然、ムスリムはムスリム相手じゃないと結婚できない。

お子さまは女の子が3人。当然の如く、皆ムスリム…かな?

「ヒンズー教徒は生まれながらにしてヒンズー教徒」だという話は聞いたことがあるけれど、ムスリムもそうなのかしらん?

キリスト教徒になるには洗礼を受けなければいけなかったんじゃなかったかなぁ…違ったかな。

あぁ、日常に信仰無き身の哀しさよ、信仰心ばかりか知識さえもが薄かりし。


10年以上前、ちょっとだけイスラム教に触れる機会があった。仕事でだけれど。

ムスリムは豚肉を食べることは許されない。でも、他の動物の肉を食すにも厳しい決まりがある。

鋭く尖らせたナイフを使い(動物の苦痛を少しでも和らげるため)、お祈りを捧げ(神への感謝)、その上で処分した肉しか食べることを許されない。

そうして食用となった肉はイスラムの教えに従って処分された肉、「ハラルミート」として販売される。

日本人ムスリムは1万人ほどだそう。

その人たちは食べることが出来る肉「ハラルミート」を手に入れることが出来るのかなぁと思ったら、日本にも大都市には「ハラルミート」を販売しているお店があるそうだ。

よかった。


イスラム教、もう一度勉強し直さなきゃぁ・・・、
と思っていたら、今朝の朝日新聞「ののちゃんの自由研究」は「イスラム教を知ろう」だった。

おぉ! グッド・タイミング!!

以下、「ののちゃんの自由研究」からの受け売り。


預言者 ムハンマド(“マホメット”は英語読みだそうな)によって伝えられた神の言葉を信ずるムスリム。ムスリムにとって(つまり、イスラム教では)ヨハネもキリストも神の言葉を伝える預言者で、彼らが伝えた神の教えを人間がきちんと守らないので最後の預言者として神が使わしたのがムハンマド。

だから、ユダヤ教の「聖書(キリスト教徒に言わせれば旧約聖書)」も、キリスト教の「聖書(キリスト教徒自ら呼べば新約聖書)」も、ムスリムにとっては「聖書」には違いない。だから、敬虔なムスリムは両聖書も大切にする。

そして、最後の預言者 ムハンマドによってもたらされたのが「クルアーン(“コーラン”も英語読みだそうな)」で、神の最後の教え、というか人間に向けての最後の言葉とされている。

「クルアーン」によれば、人は人種、肌の色、国籍、身分その他、どんな所属であれなんであれ、あらゆる人間は神の前には平等だとされている。この平等主義が人々の心をひき、全世界へと広まった。

それだけ「不平等」は世界中にはびこっていた(今もはびこっている)ってことかな。

今、全世界15億人がムスリムだそうな。5人にひとりはイスラム教を信じている計算になる。すごいね。ぼくらの身近には存在しないというだけなんだ。


イスラムの教えを信じるか信じないかは個人の自由だけど、ムスリムが何を信じ、何を感じているのかを知っておくのは、これからの国際社会の動きを理解するためにも不可欠だろう。

いつ、隣人にムスリムが現れるかも知れないし。


彼と我とは違う存在。それを常に心に留めて、互いに尊重していればいいだけの話なのだけど、ぼくら日本人は同じであることを喜び、それで安心するからなぁ。

だから、

「みんな 違って みんな いい」

っていう、金子みすずさんの「当たり前」の一文が心に染みたりする。


駅のホームで電車を待っている横で、突然おじさんが布をホームに広げ、西を向いて礼拝を始めても、動揺しない。

そんな自分になりたいな。

・・・その場面に直面しないとワカランが。


懐かしいヤツから同窓会の通知が舞い込んだ。

メールをくれるなんて、卒業以来初めてじゃん。

同窓会は、「12月30日に東京で」。

あらら、急だね。

12月の30、31日って晦日大晦日、帰省のピーク時だから上京できたとしても翌日に戻るすべがない。

でも、同じ時間を過ごしたヤツらには会いたいね。ぼくが都落ちをしたこともあって、卒業以来、一度も会ったことのない連中ばかりだし。


通知の中に「同窓の野田さんが総理のうちに同窓会を開こうということで」との文字が。

ん? 野田さん?? 同じクラスにその名はなかったような・・・。

あぁ、首相を務めているあの野田さんかぁ!

そうか、時の総理は同窓生なのね。

同じ年代だねとは思っていたけれど同窓だとは、この通知が届くまで気がつかなかった。

でも、面識があるわけじゃないし、学生時代は知らぬ同士だし、今はこちらが一方的に知っているだけなので、同窓会に集まるモチベーションが「総理のうちに」というのもしっくり来ないけどな。


時の総理に会ったとしたなら・・・、

「現時点で原発の事故収束はないでしょう」

「八ッ場ダムの建設再開とのことだけど、マニフェストって一体何だったの?」

「沖縄の人たちに与えた取り返しのつかない失望はどう収束するつもりなの? あ、期待はずれの幻滅だけを残してあっさり姿を消した宇宙人のあの方は、今、何してるんでしょ?」

なんてことを尋ねないといられないし、そんなことを尋ねると同窓会の和気あいあいの雰囲気も雲散霧消してしまうだろうしね。


同じクラスだったヤツに「出る?」って聞いたら、

>野田さんが総理のうちと言われてもね。

だと。

んだよね。

共に過ごした時間だけに浸れないもんな。

でも、懐かしい顔は見たいよ。


驚いたのは、通知の中の「同窓でも10名ほどが既に他界されているそうです」という一文。

多いな。

今年の夏、同じクラスの友人が世を去った。

彼が10年間ほど患っていたのは知っていたけれど、ぼくらと同じ世の住人ではなくなる時がこんなに早く訪れるとは思わなかったから、やっぱりショックだった。

しばし呆然…かな。

同じように世を去った同窓生が10人ほどにのぼるとはなぁ・・・。

同じ学部学科の同窓生は320人前後だったそう。その内、鬼籍に入ったのが既に10人を超えるほどもいるなんてね。

次がぼくではないというお墨付きなんぞはナイわけで。

そろそろ人生をまとめどきなのかな。


しかし、懐かしい顔が集まるのは誰かが世を去ったときばかりだなんてのはイヤだ。

そいつの思い出話をしながら酒を飲むばかりなんてのはイヤだ。


懐かしい顔を拝むための「再会行脚」にでも出かけようか。

それって、かなり大事なことのような気がする。

仕事も確かに大切だけどね。





ランチ時、テレビをONすると、唐突なニュースが流れていた。

金正日さん、世を去る。

健康に問題ありという話は流れていたけど、ほんとに唐突。

脳にも心臓にも疾患をかかえつつ、肉体的精神的な無理を重ねて地方視察を重ね、その疲労から心臓に受けたに耐えかねたのだとか。

独裁者だけど無理を重ねないと国をまとめられない状態だったのか、独裁者だから周囲の諫言も無視して暴走を続けたのか、どちらにしろ自ら寿命を縮めたって感じだなぁ。

後継者である三男はまだまだ権力基盤を築けてはいないだろうし、エアポケットのようなリーダー不在のこの機を狙って軍部が台頭したりするんだろうか。

軍部の力を抑えていたタガがはずれるようなものだろうから。


日本はどう関係を築いていけばいいのだろう? イニシアチブをとれるだろうか?

拉致問題は進展するんだろうかしらん。なし崩し的に反故にされることだけはないように。


しかし・・・、

父親の敷いたレールに乗り、国民が初めてその肉声を聞いたのは50才の時といういびつな姿に身をやつし、70才目前に地方巡りの列車の中で息を引き取る。

幸せな人生だったのかな?

思い残したことは何なのかなぁ。




番組紹介

RKB毎日放送創立60周年記念番組
『王貞治 走り続ける人生』


* ナビゲーター *

東山紀之


* 出 演 者 *

イチロー(マリナーズ)

桑田真澄(元読売ジャイアンツ)

城島健司(阪神タイガース)

小久保裕紀(福岡ソフトバンクホークス)

森脇浩司(元福岡ソフトバンクホークス監督代行)





「世界のホームラン王」 王貞治

傑出した大打者としてのイメージは
福岡ダイエーホークス、ソフトバンクホークスで
監督として采配をふるった14年間のうちに
「名将」へと変わりました。

「努力の人」「真面目」「かたぶつ」というイメージがあり
前人未踏の大記録を築いてきた事実のために
「近寄りがたい人」とさえ思われていた王さん。

九州 福岡で過ごすうちに、王さんは「雲の上の人」から
ファンに身近な存在へと姿を変えたのです。

ジャイアンツを離れ、東京を離れ、
遠く離れた九州の、人気が低いパリーグの
しかも“お荷物”とさえ言われていたホークスの
監督となった王さん。当時、54歳でした。

どうして王さんは50代からの新たな人生を
縁もゆかりもない地で始めたのでしょう?

“お荷物球団”を“常勝球団”へと引き上げた秘訣は?

病魔に冒されたとき、王さんは? 選手たちは?

WBCに挑戦した王さん、その覚悟とは?

未曾有の大災害に見舞われた子供たち。
王さんが野球を通じて語りかけたこととは?

そして、70歳を過ぎた王さんが思う野球の未来・・・。


王さんを身近に知る選手やコーチたちの証言が
素顔の「王貞治」を浮き彫りにします。


詳しい内容は → こちら  こちらでも





* 制 作 *

RKB毎日放送


*放 送 日 時*

12月11日(日)午後3時30分~午後4時54分
TBS系列 全国28局ネット



2時間ちょいの打合せをしたら、身体がタバコになった。

ディレクターと編集マンは喫煙者だし、ぼくは吸わないとはいえ、タバコの煙がダメというわけではないので喫煙室で打合せをしていたのだけれど、終えて車に乗ると身体からタバコが香るのが分かる。

タバコを吸わなくなって四半世紀以上たつ。

それまでは「ハイライト(hi-lite)」を3箱吸っていたから、ヘビィなスモーカーだったわけ。

20本×3箱=60本

多いな。

いつだったかなぁ、健康診断のとき、下記のような計算をさせられた。

「1日に吸うタバコの本数×365日×タバコを吸っている年数=??本」

ヤな計算式だね。数十万本になっちまうじゃん。


なぜ「ハイライト」だったのかはよく覚えていない。吸っていた人が身近にいたわけじゃない。

お袋が若いころ、「スリーA(AAAって表記だったかな?)」を吸っていた記憶がある。

同居していたおじさんは、「HOPE(ホープ)」だったかな。火鉢の灰で火を消していた。

ぼくが「ハイライト」になったのは、最初に吸ったのがたぶんそれで、なおかつ安かったからだと思う。吸いはじめたころは1箱80円くらいだったかなぁ。

その値段のせいなのか、きつめの香りのせいなのか、はたまた垢抜けぬデザインのためだろうか、「労働者タバコ」と呼ばれていたっけ。

『今はまだ人生を語らず』(拓郎さん)のジャケットにも映っていたし、あのころはとっても人気のある銘柄だった。

ぼくは、ごくたまに「ピース」や「マルボロ」などを吸ってもみたけれど、結局「ハイライト」にUターンした。

味というより、安かったからだな、やっぱ。

やめるころは150円になっていたかな? 「セブンスター」から派生した「マイルドセブン」などなどにおされて、そのころ既に労働者タバコの人気は落ちていた気がする。


タバコをやめた一番の理由は、お金がなかったからだな。

一日に数回喫茶店に入り、3箱のタバコを吸いつつ時間をつぶすと、当時のぼく的には結構な出費になった。

タバコをやめるついでに、喫茶店行きもやめた。

ヒマをつぶすのが大変だったね。


喫茶店行きはいつの間にか復活したけれど、あれからタバコは1本も吸ってない。

目を覚ましたら、ふとんに入ったまま「まずタバコ」だった。

仕事をしながら吸ってると、灰皿がシケモクの山になってくすぶっていた。

あれはあれで、妙な充実感があったね。


しかし、吸わなくなると、なぜ吸っていたのかわからなくなる。葉っぱが燃える煙を、ね。

不思議なもんだな・・・。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。