番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


大学進学で上京したてのころ。新しい友人たちの中には、ぼくが筑豊出身だと知ると「炭坑って、ものすごく貧しいんだろ?」と聞くヤツが何人かいた。軽く尋ねられたのなら軽く答えるけど、真顔で真剣に詰問されると返す言葉に困ったりする。

彼らの頭の中には“総資本 vs 総労働”の構図がきっちりとできあがっていて、筑豊に代表される炭坑は総労働の総本山だという思い(思い込み?)があった。そんな連中にかぎって、五木寛之さんの『青春の門』を愛読していて、「抱いてくれんね、信介しゃん・・・」と言う“織江”にあこがれていたりするから始末が悪い。

そう言えば、炭坑で働いていたおばさんが「炭坑の女はあんな風にゃ、言わん。“信介しゃん、させれ”ち言うとたい」と教えてくれたっけ。炭坑の女は自主性バリバリ、男をリードするのだそうだ。

あら、話があらぬ方向に流れてしまふ。危ない危ない。

真顔で「貧しいんだろ?」と尋ねた友人たちをさらに始末が悪くしていたのは、土門拳さんの写真集『筑豊のこどもたち』じゃないかと思う。


筑豊のこどもたち


ぼくはこの写真集を大学に入ってから初めて見た。土門さんが世に出るきっかけとなった作品でもあり、とてもいい写真がたくさんあるとは思うけど、炭坑街で育ったぼくにはどうにも納得できない雰囲気というか、匂いに満ちていた。それは写真集全体が「貧困」に塗り込められていること。この写真集を初めて見たとき、「そうじゃないだろ」と思ったことを覚えている。

「貧困=不幸」じゃネェだろぉ!

そう感じたのは10代後半の、今よりは随分とナイーブな心の持ち主だったころのぼくであり、土門さんが炭坑街の子供たちを描くのに意図的に「貧困」を使ったとは今は思っていないけれど。しかし、当時は「炭坑街=貧しい=不幸せ」と言われているようで、えらく違和感を感じたのは事実だ。

確かに貧しかったんだろう。小学校の友だちが住んでいた炭坑住宅、通称“炭住”と呼ばれる長屋は、隣のうちが見通せるほどに壁に穴が開いていて、床は足の裏に馬鹿力のある子供たちがあちこち踏み抜いているし、雨が降れば屋根から雨漏りと呼ぶにはあまりに多量の水が落ちてきたりした。

ぼくの家は炭住ではなかったけれど、友だちたちの家がそんな風なのは普通だと思っていた。そんな風に思うことがプチブルのプチブルたるゆえんなのだと学生時代に指摘され、なんのこっちゃ?と、さっぱりわからなかったことがあったっけ。

何にしろ、ぼくらは別に貧しさをつらいと感じてはいなかった。なんせ、ノーテンキなお子さまだもん。つらさを抱えていたのは、子供を貧しさの中に置かざるを得ないおとなたち。思い返すと、ベラボーに貧しい家庭も確かにあった。

夏。友だちが遊びに来たとき、お袋がおやつに素麺を出してくれたことがあった。友だちはテーブルに置かれた素麺を前に固まっていた。こいつ、何をやってんだ?と思いつつ、ぼくはツルツル素麺をすすっていた。すると、しばし固まっていた友だちは、思い切るようにツユが入ったお椀をつかみ、それを素麺の中に流し入れた。そして、冷水とツユとが混じり合った素麺をすすり始めた。

びっくりしたぼくは、なんじゃ、こいつは?と思いながらお袋を見ると、彼女は涙をこぼしていた。

「あの子、素麺を初めて食べたんやね・・・」

友だちが帰ったあと、そう言ってため息をついたお袋の顔を覚えいている。その友だちは閉山と共にいずこかへ去って行った。

閉山は子供心にも寂しい出来事だった。なんせ、春休み、夏休み、冬休み、あらゆる休みが明けるたびに、同級生の数が減っていくのだ。閉山によって仕事がなくなり、他の炭鉱へ、仕事のある都会へと引っ越して行った級友たち。みんな、今はどこで何をしてるやら。

炭坑に勤めていたわけじゃないけど、我が家も結構金を持たない家庭だったらしい。食うに困った覚えはないけど、浪人して受験するとき、お袋が「あんた、入学金がなかよ」と言った。今さら言われてもなぁと思ったけど、別に、なんの弊害もなく、ぼくは大学生となった。

大学に入学してすぐ、奨学金をもらうための面接なるものがあった。面接官のおじさんはぼくが提出した書類に目を通しながら、「これ、あんまり少ないと疑われるから、ちょっと書き換えとくね」と言って、年収の欄の数字の頭に「1」を書き加えてくれた。

のちに働くようになり、収入を得るようになると、ぼくが大学に入学する前年の我が家の収入の少なさに改めて驚いた。よくもまぁ、私立大学なんぞに進学できたもんだ。あとから聞いた話では、どうやら親戚から借金をしたらしい。そんなことなどち~とも知らず、4年間を思い切り遊びほうけた自分を思うと、やっぱりロクデナシに近いと思うなぁ。

お袋の金の無心を親戚が断ってたらどうなっていただろうと思ったことがある。働きながら学ぶ(学ばないけど)という苦学生の道をとるつもりは全然、まったくなかったから、そのまま社会へ出たかもしれない。とすると、ぼくの人生は今とはかなり変わったものになっているだろう。

その親戚って、ぼくの恩人じゃないのかな、もしかして?

お金を貸してくれたという親戚が誰なのか、今もってぼくは知らない。借りたお金はどうしたんだろう? お袋が返したのかなぁ?

あぁ、なんたるロクデナシ息子だろうか。

でも、ま、時効だよね。



関連記事
スポンサーサイト



筑豊の子供たち の紹介評をあらためて読むと、無茶苦茶かいてありますな~!
わたしら、切り捨てられた子供たち、、、、?
でも、京都での学生時代に、友人とこの写真集みながら、子供時代の話に花が咲いたことがあったけど、素足に黒いズック靴の、それも、相当に傷んだ靴を履いている仲間の話には、痛ましい顔されたのを、思い出しました。
まあ、わたしは、美しくやさしい母に、なに不自由なく、育てられたので、、、、。

2006.12.24 00:46 URL | ろくです #79D/WHSg [ 編集 ]

★ろくですさん

>筑豊の子供たち の紹介評をあらためて読むと、無茶苦茶かいてありますな~!
>わたしら、切り捨てられた子供たち、、、、?

そんな風に読み解くのが情報の最先端だったんでありましょう。
確かに国の進む方向からは切り捨てられましたけどね。

>でも、京都での学生時代に、友人とこの写真集みながら、子供時代の話に花が咲いたことがあったけど、素足に黒いズック靴の、それも、相当に傷んだ靴を履いている仲間の話には、痛ましい顔されたのを、思い出しました。

本人はなんとも思ってないのに、先回りして痛ましがられたり、妙に共感されたりするのは気持ちのエエもんじゃありませんなぁ。
知らないこと、新知識への懐疑ってのは必要でしょうね。

>まあ、わたしは、美しくやさしい母に、なに不自由なく、育てられたので、、、、。

そやね~、確かにそう思うで。
そやけん、今のろくですさんがあるわけですたい。

2006.12.24 21:03 URL | izumatsu #79D/WHSg [ 編集 ]













管理者にだけ表示

トラックバック URL↓
http://izumatsu.blog.fc2.com/tb.php/1046-a7610208