番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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今年も「賞」の季節がやってきた。

と言っても、民間放送において最も権威があり、歴史もあり、制作畑の人間が一度は欲しいと夢見る(とされている)日本民間放送連盟賞のコンテストに参加する条件が「5月末日までに放送された番組であること」ということだけなのだけど。

ここ数年、長い日数をかけて取材した番組が減っているように思う。参加条件である「5月末日オンエア」に間に合わせるべく、ひと月ちょいで取材から編集まで済ませてしまう番組もあったり。そんなこってエエんかね?と思うけど、そうした番組がポンと受賞したりするからおもしろい。

おもしろいけど、やっぱりきちんと企画を練り、きちんと時間をかけて取材をして、編集もじっくりやらなきゃね。経費節減のせいなのか、はたまた修正が手早く、しかも無限にできるように思えるパソコン導入編集システムのせいなのか、編集期間もどんどん短くなっている。これってヒジョ~にマズイと思う。

長けりゃいいってもんじゃないけれど、ほんの10年くらい前までは、取材に1年、編集に1ヶ月なんて番組は珍しくなかった。まるまる2ヶ月・60日間、朝から晩まで編集室に閉じこもりってな番組もあった。それが「いい番組」となったかは「見る人による」としか言いようがないけれど。

「賞が欲しい」。よくそう言われる。確かに欲しいだろう、ディレクターも、カメラマンも、プロデューサーも。そして、構成係として番組制作に参加するぼくも、賞がもらえるにこしたことはない。いただけるものは何でももらう。それが主義。

でもね。「賞」をもらうために番組を作るってのはどうかと思うな。番組は視聴者に見てもらうために作るんであって、「賞」はオマケみたいなもんだもん。番組って、制作者側(特にディレクター)が抱く、「こんな事実を知って欲しい」とか、「こんな面白い人がいるんだよ」といった熱い思いを視聴者に知らせる手段。ハナから「オマケ」を狙って作るのは本末転倒だと思うのだけど。

そう思うのだけど、「賞」を狙って作る制作者もいる。番組コンテストの審査員の顔ぶれ(普通、事前発表はされないらしい)を調べ、その男女構成比とそれぞれの好みを調査し、番組のウケがよりよくなるように、映像の流れからナレーションの文言まで変えるという制作現場に参加したときは「エライ」と思った。それもまたひとつの番組作りの方法だろうから。

しかし、その番組は「賞」をとれなかったけどね。





昨年からこの5月末にかけ、いい番組の制作に参加した。「性同一性障害」を抱えた人たちの話。体の性と自分が心に抱く性とが食い違う性同一性障害。世間には偏見が溢れているから、体は男性・心は女性の人などは「お前はそれでも男か」「チン○、持ってるのか」などと言ってはムリヤリ下半身を裸にされたりといったイジメにあいながら育って行く。

下半身を裸にされる。その恥ずかしさは説明しにくい。体は男性でも、心は女性。女の子が男子生徒に囲まれ、裸にされたとしたら、その恥ずかしさは口にできないほどだろうし、男子生徒たちのその行為はほとんど犯罪だ。

裸にされてしまった下半身。その上、その体は「おとこ」なのだ。「あたしは女性なのに・・・」。

どんな思いがするんだろう? 想像するしかないのだけれど、想像がそこへ及ばない。

番組は「自分は女性」だという思いを押し殺し、男性として生き、結婚し、子どもをもうけた人が「それでも私は女性」という思いを、顔出しで話してくれる。自分を女性だと思うこと自体がおかしなことで、きちんと結婚し、子どもができれば自分は治るんだ、そう思って男性として生きてきた思いを語ってくれる。そして、自分の男性としての体への強い違和感が消えなかったこと、自分が女性であるという思いを消せなかったことを語ってくれる。

その人の奥さんも顔出しでインタビューに応じてくれた。娘二人も、取材当初は顔出しOKだったのだけど、親としてやっぱり結婚前の娘を気遣ったのだろう、編集中に「顔出しはやめてください」とディレクターに連絡が入った。残念だった。とってもいいインタビューだったから。

父親が、実は心が女性だったと知った娘たちはこう言ったという。

「お父さんは男だから。だから、もうお父さんじゃない。顔も見たくない」

かつてそう言った長女はインタビューでこう話してくれた。

「やっぱり、家族だから・・・・お父さんとお母さんは世界にひとりしかいないから」

そう言って、長女は涙した。素直な、素敵な言葉だった。顔出し不可がメチャメチャ惜しい。でも、それは制作者側のエゴだろう。話してくれただけでも「ありがとう」だ。


性同一性障害を持つ大学院生も登場する。体は男性、でも心は女性の彼女は、大学の教授から「男のくせに、気持ち悪い」と言われ、就職試験では志望者4人の集団面接でただ一人、一度も面接官から質問を受けることがないなどの差別をされたあげく、志望する企業・団体にはどこにも就職することができなかった。

それでも、いずれ心の性に合わせる手術(性別適合手術)を受け、女性として生きようと決心している彼女は決して暗くはない。心の性で生きていく未来があるから。同時に、避けられない不安もある。将来、恋人ができ、結婚を考えたときに、自分は子どもを産むことができないということを相手に告げなければならない。男性の体を女性の体にしても、卵巣や子宮を持たない彼女には子どもができないのだから。


そんなこんなで作り上げた1時間番組。オンエア時間を聞いてガックリ、落ち込んだ。

「27時17分」

何時のなの、それ? え? 午前3時17分? そんな丑三つ時に誰が見てくれるわけ?

心と体の性が違うという生まれついての辛さを抱えた人がいる。心が男性の人は「できるものなら胸なんか引きちぎってしまいたい」と思うほどに悩み苦しみ、心が女性の人は周囲の奇異の眼差しに耐えながら紅を引き、スカートを履き、生きようとしている。どうにかして心の性で生きて行きたいと海外にまで出かけて手術を受ける人がいる。

ディレクターは取材対象者の元に足繁く通い、顔出しでの取材の了承を取り付け、海外で手術をする人に同行し、手術室の中にまで入ってカメラを回した。そうまでしたのは「心の性で生きたい」という思いを出来る限りの多くの人に知らせたいという願いがあるから。

それが、オンエア27時17分? 友だちにだって「見てちょうだい」って言えないよ、そんな時間。制作に参加したぼく自身さえ、その時間まで起きてオンタイムで見ようとは思わないもの。


「賞」が欲しいという気持ちは理解できる。でも、「見てもらう」相手が審査員だけのような番組作りでいいのかな? 審査員が「素晴らしい」と言ってくれるのももちろん嬉しいけれど、それよりも視聴者に「他の人にも見せたい、見て欲しい」と言ってもらえる方がずっとずっと嬉しいな。

あの番組は、オンエア終了後は局の倉庫で眠りにつき、未来永劫、人の目に触れることはないのだろうか? もったいなや、もったいなや・・・・・。

あ、「賞」をもらえば、記念の再放送があるかもね。
それも27時ってこたぁ、ないよねぇ?

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