番組構成師 [ izumatsu ] の部屋


オリンピックも終盤。
日本がメダルの多くを獲得した柔道、競泳、女子レスリングが終了。
日本選手はまだまだ弱い陸上が始まると、オリンピック・フィーバーも一段落。

「ワタシは、今まで、なぜ“日本”を応援してたんだろう?」

と、我が心の不可思議に、?マークが点滅している人も少なくないだろう。
ぼくもそうなのだけど。

日本というクニはいまいちキライでも、ニホンは好きなのだ。
ニホンには家族がいるし、友人知人がいて、仲間がいる。

TVでは毎日、きょうはメダルを何個獲得した!とかしましい。
でも、日本国が取ったメダルではなく、日本の仲間が獲得したモノだから心が震える。
できれば、そう、思いたい。

しかし、マイナースポーツは今回も映像情報に触れるのが難しかった。

日本が登場し、かつ、勝利を収める可能性が高いから、
マスメディアはその競技を大きく取り上げ、ぼくらも「がんばれ!」と熱狂する。
参加はしていてもメダルに遠い競技か、人気のない競技は、
今回もやはり報道はおざなりだ。
「みんなやる!」と大キャンペーンをはっていたNHKも、
不人気競技は結果だけを流したり、めちゃめちゃ短く編集してお茶を濁したり。

「見たいと思う視聴者が少ない」というのが、
「みんなやる!」と言いながら、みんなを平等にはやらなかった理由なのだろう。

あぁ、重量挙げが見たかった。

単純に見えて、技術的には果てしなく深い、古代から行われているあの競技。
三宅義信・義行兄弟の活躍は、
ケロヨン顔も愛らしい義行さんの娘さんが出場することで今現在につながった。

世界一の力持ちを決める最重量級。
ジャボチンスキーの昔から、この階級を見るとわくわくする。
学生時代、ウェイトリフティング部のバーベル(確か100キロ)をあげようとして、1センチとあがらなかった。
なのに、最重量級は、小錦の重さをアタマの上に差し上げるのである。
信じられない。

しかし、今回も編集された映像をチラリと見ることができただけ。
あぁ、つまんない。

重い物を持ち上げる。そこになんのイミがあるのか?
そう問い出すとキリがない。

重い物を持ち上げることだけじゃない。
速く走るのも、高く飛ぶのも、重いモノをぶん投げるのも、
そして美しく見せるのも、別になんのイミもないのだ。

ただ同じ人類が「ここまでやるか、やれるのか!」ということを思い知らせてくれる。
捨てたもんじゃないなぁ、オレらってと思わせてくれる。
敗者の涙に共感できる。

そんな“場”を作ってくれるのは、スポーツしかない。


「ありがたや・・・」




「国別メダル獲得一覧表」を見ると、やっぱり経済大国がメダルを占めている。
“参加することに意義がある”とは言えど、
レベルを無視してオープンにすれば参加した人もつらくなるだろうから、
お金のある国、国力のある国にメダルが集まるのは仕方がないのかもしれない。

経済力のない国は、お金のかかる、たとえばシンクロナイズド・スイミングなどに参加するのは難しい。
世界のレベルで闘えるまでにレベルをあげるには、シンクロ用のプールが必要だ。
監督やコーチ、トレーナーの他に、振り付け師も、音楽家も、デザイナーも必要だ。
純粋に“スポーツ”と呼べる以外の要素が占める割合があまりに大きい。

だからと言って、シンクロがスポーツとしてアカンと言うつもりはまったくない。
日本のふたり、見事な演技、見事な銀メダルだった。

ただ、シンクロをやりたくてもやれない国が、人々が、まだまだたくさんいるんだなぁと改めて思った。
そして、同様に、多くの国の人々がやりたくてもやれないスポーツで、
金だ銀だ、まぁ銅かと一喜一憂する自分をふと哀しく感じただけなのだ。





お金のかからないスポーツは世界に普及する。陸上しかり、サッカーしかり。
陸上は、スポーツの範疇に入る前の大昔から、
かけっこなんかでぼくらのご先祖様たちは楽しんでいたに違いない。

身体さえあれば、誰でも参加ができる。ぼくが陸上を好きな理由は、この点にもある。

もちろん、お金をかけようと思えばいくらでもかけられる。
シューズ、ウェア、そして競技場に敷き詰められる新素材まで、
アメリカなどが投入する開発費用は莫大なもの。
スポーツはもう一大産業と化している。

しかし、時に彗星の如く、まったく無名の選手が現れ、
観客と選手の度肝を抜きつつ、あれよあれよと言う間に頂点へのぼり詰める。
そんな爽快感は、今はもう陸上くらいにしか期待できない。

生まれながらの、ナチュラルな力と才能。
それだけで、何百万ドルをぶち込んだエリートたちに対抗できるのは、もう陸上だけだ。

彗星の如く現れた新星は、ほとんどの場合、スポーツ大国に引き抜かれてしまう。
より競技に打ち込める、そんな環境を求めるのは当然だ。
だけど、母国の人は少し寂しいかもしれない。
いや、だからこそ、異国で才能を磨いた選手に対する期待は、いっそう大きくなるのだろう。

フランキー・フレデリクス選手という選手がいる。
ナミビアの36歳。
今回のオリンピックも100mと200mに参加。200mではファイナリストに名を連ねている。
そんなフレデリクス選手が語った言葉を憶えている。

「私は、母国の子供たちの希望のために、限界が来るまで走り続けます」


スロベニアのマリーン・オッティ選手は44歳。オリンピックは、なんと7回目。
ジャマイカからスロベニアに居所を移し、陸上競技を続けている。
陸上で生計を立てている、プロ選手だ。
国を変えたことで批判も受けた。
しかし、歳を重ねても鍛練を積み、世界の舞台に登場し続ける姿は、
ジャマイカの子供たちに大きな影響を与えたと言う。

200mで優勝したジャマイカのキャンベル選手は、こう語った。

「オッティ選手を目標に、今までずっとやってきた」


母国の、そして世界の子供たちに希望を残す選手たち。素晴らしいじゃないか!

「がんばってにょ」

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