番組構成師 [ izumatsu ] の部屋



◆九州・山口・沖縄にお住まいの方々へ-番組の宣伝です◆


ぼくが制作に携わった番組が下記の要領でオンエアされますので宣伝をさせていただきます。


★番組名:『ムーブ2005 息子へ ~父と子の特攻~』

★放送局及び日時:下記の通り、各県別々です。

  *福  岡=RKB毎日放送   3月20日(日) 24:40
  *沖  縄=RBC琉球放送   3月21日(月) 25:26
  *山  口=TYSテレビ山口  3月21日(月) 26:05
  *鹿児島=MBC南日本放送 3月22日(火) 25:30
  *熊  本=RKK熊本放送   3月23日(水) 25:50
  *長  崎=NBC長崎放送   3月24日(木) 25:50
  *大  分=OBS大分放送   3月26日(土) 07:00
  *宮  崎=MRT宮崎放送   3月26日(土) 06:00

★制作局:MRT宮崎放送



「男の子は自分の子どもではない。天皇の赤子だ」

「お国に息子を捧げることこそ、天皇の臣民にとって最高の喜びであり、誉れなのだ」

わずか60数年前はこうした考えが当たり前、いわば常識でした。番組は、その常識に従い、長男を特攻隊員として国に捧げた父親の、息子に宛てた手紙を中心に展開します。


*内容の詳細は こちら をご覧ください。

*『ムーブ2005』については こちら をどうぞ。






この番組を構成するにあたり、ぼくは次のようなことを考えていました。

ぼく個人は、特攻隊にかかわらず日本が関わった戦争で命を落とした人を「犬死に」だと考えています。この言葉には侮蔑的なニュアンスがありますから言い換えましょう。つまり、「強制的な、無意味な死」ということです。

「無意味な死」と考えることほど、遺族にとって辛いことはないと思います。遺族や友人たちは、その死になんらかの意味づけをしようとします。そして、「戦争だから仕方なかった」と口にします。ぼくがこれまで制作にかかわった戦争関連の番組では、インタビューに応じた方々が皆異口同音にこの言葉を繰り返します。「今の人には分からないだろうが、周囲がみんなそうなんだから仕方なかった」んだと。

「仕方なかった」

この言葉ほど、戦争の責任を負うべき国にとって好都合な言葉はありません。戦争体験者や遺族の悲しみ、苦しみ、やるせなさや憤りなどはこの言葉で完結してしまい、国民を戦争へと駆り立てた国に対する追求へと転化することがないからです。

そしてこの言葉は、戦争への道を止めることができなかった自分たちへの懺悔の言葉、言い換えれば言い訳ともなっています。誰にもさえぎることはできなかったんだと。あれは時の流れだったんだと。

これは違うと思います。国をあげた戦争は、国民の支持がなければ続けることはできません。戦争を主導したのは確かに日本という国であり軍部だったわけですが、それに追従し、時には軍部をもその熱狂であおり立てたのはぼくら国民なのです。

日本国民がどれほど戦争に熱狂したか。ひとつ例をあげます。

真珠湾奇襲攻撃により太平洋戦争が始まった日のわずか二日後、昭和16年12月10日、後楽園球場で「米英撃滅国民大会」が盛大に開催されました。これは軍部が主導して行われたものではありません。軍部によって「戦勝祝賀」が催されたのは翌年の2月半ばのこと。この「米英撃滅国民大会」は朝日や毎日など新聞各社が主催し、数多くの読者がその呼びかけに応じたものです。

「やったぞ、ついに待ちに待った戦争だ! アメリカ、イギリス何するものぞ!」

大会はそんな声であふれました。中国でのめどがつかない戦いに閉塞感を覚えていた国民は、日本に無理難題を持ちかけるアメリカの頭上に振り降ろした鉄槌に心底すかっとしました。晴れ晴れとした気持ちにさえなったのです。そして、嘘か誠かわからない大本営の発表に熱狂し、敵の艦隊を撃沈したと言えば提灯行列をし、敵爆撃機に体当たりを敢行した戦闘機の飛行士を軍神として崇めたのです。

ぼくには戦争体験がありません。ですから、次のように言うことにはとても引け目を感じます。しかし、言わねばなりません。国民には戦争を止めることが出来なかった責任があると。「仕方がなかった」という言葉はこの責任を逃れる言葉でもあるのだと。

戦争に対する国民の責任。戦争関連の番組に携わるとき、ぼくの頭にはそれが常にあります。


今回の番組を構成する際にも「国民の責任」ということを考えていました。しかし、ぼくの戦争観は表面的に出てはいません。父親が残した手紙を中心に、事実を淡々と描いています。それは、担当ディレクターの意向でもありますし、戦争の愚かしさを声高に叫ぶよりも父親の思いを紹介することの方が印象が強いと思ったからでもあります。


息子を軍人に育てたいと願った父。その期待に応えて陸軍士官学校へ進み、将校となった息子。彼は特攻隊隊長として部下を率い、沖縄の海に居座るアメリカ艦隊へと必死必中の特攻を敢行します。息子は天皇陛下の赤子としてこれ以上にない方法で見事に命をお国に捧げました。父も息子も、希望していたとおりの人生を歩んだのです。父には悔いるところはまったくありません。


しかし、そうでしょうか?

父は生涯、短かった息子の一生を晴れがましく思っていたのでしょうか?


その精神をも国へと殉じようとした親の心は哀しい。
そう思わずにはいられません。


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この番組、是非観たいです。
関東でオンエアされるときには教えてくださいね。

会ったことがない私の「伯父」にあたるひとは身体が弱く、昭和10年位に12~3歳で亡くなりました。祖父は息子の遺品を大事に物置にしまってあり、一度見せて貰ったことがあります。
学校で習ったのでしょう。漢字の練習プリントまでありました。
しかし、書いていた言葉に仰天。
「天皇陛下」
「元帥」
「大東亜共栄圏」

・・・・。

ただの、漢字の、練習なんですよ^^;しかも11か12歳の子の・・・。
何度も丁寧に几帳面に書かれたこれらの字を見て、当時の情勢を垣間見る思いでした。
こういう草の根までの教育が浸透していたからこそ、ああいう時代を作り得たんだと思います。

伯父は徴兵される年になる前に病死してしまいましたが、果たして我が祖父は殉じさせる用意があっただろうか?なんてことを思いました。

2005.03.19 11:55 URL | nonkey37 #79D/WHSg [ 編集 ]

★nonkey37さん

お返事、遅れました。すいませ~ん。

>この番組、是非観たいです。
>関東でオンエアされるときには教えてくださいね。

はぁい、ありがとうございます。
でも、関東でオンエアされることはないだろうなぁ・・・・。
5月末をメドに、1時間番組にする予定です。

>会ったことがない私の「伯父」にあたるひとは身体が弱く、昭和10年位に12~3歳で亡くなりました。祖父は息子の遺品を大事に物置にしまってあり、一度見せて貰ったことがあります。
>学校で習ったのでしょう。漢字の練習プリントまでありました。
>しかし、書いていた言葉に仰天。
>「天皇陛下」
>「元帥」
>「大東亜共栄圏」

>・・・・。

う~ん、確かに仰天ですね。
当時はそれが「まっとうな」子どもだったということもよくわかります。

>ただの、漢字の、練習なんですよ^^;しかも11か12歳の子の・・・。
>何度も丁寧に几帳面に書かれたこれらの字を見て、当時の情勢を垣間見る思いでした。
>こういう草の根までの教育が浸透していたからこそ、ああいう時代を作り得たんだと思います。

教育は確かにコワいです。戦争体験者はほとんどの人がそう言います。洗脳されていたんだと。
その体験があったにしては、今の学校(だけじゃなく、社会としての)教育はなんじゃらほい?と思ったりもします。

>伯父は徴兵される年になる前に病死してしまいましたが、果たして我が祖父は殉じさせる用意があっただろうか?なんてことを思いました。

nonkey37さんは、お子さんを国に捧げることができるでしょうか?
少しずつ、でも着実に戦争へと近づくこの国と国民を見ていると、「できない」と、ぼくらはいつまで言えるのかなぁと心配になります。


2005.03.20 20:31 URL | izumatsu #79D/WHSg [ 編集 ]













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